河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2474- ベスト・ワースト2017

2017-12-28 15:24:33 | 音楽

2474- ベスト・ワースト2017

今年2017年は213回通いました。一覧は下記リンク。

2016-2017シーズン(一覧その1)
2016-2017シーズン(一覧その2)
2017-2018シーズン(一覧その1途中)

今年もいい演奏会がたくさんありました。オペラは昨年2016年とだぶっている公演はスキップ、それに来日団体も昨年ほどは無くて、いまひとつでした。ほかは色々と聴くことが出来て、総じて手応えのあるものでした。
昨年2016年のベストワーストはこちら。
2252- ベスト・ワースト2016

今年2017年は素晴らしい企画がありましたのでそれを神棚にしました。

【神棚企画】
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲、5/2、5/3、5/4、5/5、ガル祭2017


【オペラ・オケ伴付き歌 ベスト12】
1.蝶々夫人、笈田プロダクション、バルケ、読響、2/18
2.神々の黄昏、飯守、読響、10/4、10/11、10/17
3.ラインの黄金、ハンペ、沼尻、京響、3/4、3/5
4.神々の黄昏、ヤノフスキ、N響、4/1、4/4
5.角笛、ゲルネ、ワルキューレ1幕、ペトレンコ、バイエルン、10/1
6.ラ・ボエーム、園田、新日フィル、6/24
7.タンホイザー、ペトレンコ、バイエルン、9/25
8.ジークフリート、飯守、東響、6/1、6/4、6/7
9.ダムラウ、テステ、オペラ・アリア・コンサート、11/10
10.ノルマ、デヴィーア、沼尻、TMP、10/22
11.ヘンデル、ベルシャザル、三澤寿喜、キャノンズ、1/9
12.ラインの黄金、インキネン、日フィル、5/26、5/27


【管弦楽ベスト21】
1.ハイドン受難、亡き子、小野美咲、シュベ5、未完成、プレトニョフ、東フィル、10/18
2.ペトルーシュカ、ラフマニノフ3番、ラトル、ベルリン・フィル、11/25
3.浄夜、ハルサイ、ノット、東響、7/22
4.ツァラ、死と浄化、ティル、シャイー、ルツェルン、10/8
5.コープランド3番、スラットキン、デトロイト響、7/17
6.ブルックナー3番、上岡、新日フィル、5/11
7.復活、チョン・ミュンフン、東フィル、7/21、9/15
8.ブルックナー5番シャルク版、ロジェストヴェンスキー、読響、5/19
9.ショスタコーヴィッチ11番、井上道義、大阪フィル、2/22
10.ブルックナー5番、ノット、東響、5/20
11.ショスタコーヴィッチ11番、ネルソンス、ボストン響、11/7
12.コリリアーノ、サーカス・マキシマス、クワハラ、佼成、1/28
13.ブラレク、ブロムシュテット、ゲヴァハウ、ウィーン楽友協会、11/13
14.クレルヴォ、リントゥ、都響、11/8
15.マーラー6番、ヤルヴィP、N響、2/23
16.青ひげ、カンブルラン、読響、4/15
17.大地の歌、インバル、都響、7/16
18.ブルックナー9番、佐渡裕、東フィル、1/27
19.運命、ブラ1、ジョルダン、ウィーン響、12/3
20.第九、ゲッツェル、読響、12/20
21.エロイカ、ドゥネーヴ、ブリュッセル、6/11


【協奏曲ベスト10】
1.ラフマニノフ、PC3、PC4、マツーエフ、ゲルギエフ、マリインスキー、12/10
2.モーツァルト、hr協4曲、シュテファン・ドール、7/11
3.ラフマニノフ、PC3、反田恭平、秋山和慶、東響、8/11
4.ハチャトゥリアン、ピアノ協奏曲、ベレゾフスキー、リス、ウラル、5/6
5.リスト、PC1、田中正也、三ツ橋敬子、東フィル、2/10
6.シベリウスVn協、サラ・チャン、アッシャー・フィッシュ、新日フィル3/25
7.ベトコン3、ソンジン、サロネン、フィルハーモニア管、5/15
8.タコpfコン1、上原、シモノフ、モスクワ・フィル、7/3
9.ベトコン3、紗良、ウルバンスキ、エルプ・フィル、3/12
10.モーツァルト、PC12、PC9、小菅優、東響、8/26


【リサイタル・室内楽ベスト17】
1.ベトソナ32、竹田理琴乃、5/4
2.ベトソナ29、バリー・ダグラス、5/5
3.イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル、10/20
4.ベトソナ32、創作32、ディアベッリ、コンスタンチン・リフシッツ、10/6
5.バッハ、ブリテン、無伴奏チェロ組曲全曲、上森祥平、9/2
6.アンドラーシュ・シフ、ピアノ・リサイタル、3/23
7.シューベルトD959、D960、今峰由香、12/22
8.ベトソナ27,30,31,32、イリーナ・メジューエワ、8/26
9.カティア・ブリアティシヴィリ、ピアノ・リサイタル、11/6
10.ベトソナ11,23,30,31、変2曲、浜野与志男、菊地裕介、田部京子、6/18
11.ディートリヒ・ヘンシェル、岡原慎也、2017.2.19
12.小菅優 ピアノ・リサイタル、Water、11/30
13.ベトソナ17,31、チャイコフスキー、ドゥムカ、大ソナタ、マツーエフ、12/9
14.室内楽、上野優子、西江辰郎、工藤すみれ、12/19
15.大公、アキコ・マイヤーズ、レイコ・クーパー、バリー・ダグラス、5/5
16.ブラームスの室内楽、川本嘉子、竹澤恭子、マルディロシアン、4/14
17.バッハ、マルティヌー、ラフマニノフ、山崎伸子、小菅優、5/25


【いわゆる現代もの系・発掘系ベスト13】
1.メシアン、幼子イエスに注ぐ20のまなざし、スティーヴン・オズボーン、5/18
2.メシアン、アッシジの聖フランチェスコ、カンブルラン、読響、11/19、11/26
3.メシアン、彼方の閃光、カンブルラン、読響、1/31
4.アダムズ、シェヘラザード.2、ジョセフォウィッツ、ギルバート、都響、4/17、4/18
5.大澤壽人、cb協、佐野、神風、福間、交響曲第1番、ヤマカズ、日フィル、9/3
6.オール・タケミツ・プログラム、井上道義、新日フィル、1/26
7.尾高尚忠、山田一雄、伊福部昭、諸井三郎、下野竜也、東フィル、9/10
8.芥川、トリプティーク、團、飛天繚乱、黛、饗宴、千住、滝の白糸、大友、東響、8/20
9.ツェルハ、ハース、ボールチ、イラン・ヴォルコフ、東響、9/7
10.メシアン、幼子イエスにそそぐ20のまなざし、エマール、12/6
11.黛敏郎メモリアル VOL.1、オーケストラ・トリプティーク、4/5
12.一柳慧、湯浅譲二、杉山洋一、都響、10/30
13.From me武満、広上淳一、京響、9/18


【ワースト4】
1.ベンジャミン・ブリテンの世界、3/26 トーク多過ぎで、
2.ノルマ、藤原歌劇、7/2 歌が、
3.ハイドン、ゲリエ、ベト7、鈴木秀美、読響、7/12 ソリストとオケが、
4.ブルッフVC、ロザコヴィッチ、グレイト、ゲルギエフ、PMF、7/31 来年頑張って

以上


2473- 第九、小林研一郎、日フィル、2017.12.23

2017-12-23 22:38:09 | コンサート

2017年12月23日(土) 6:00pm みなとみらいホール

バッハ 汝のうちに喜びありBWV615  3′
バッハ 古き年は過ぎ去りBWV614  3′
バッハ トッカータとフーガニ短調BWV565  9′
 パイプオルガン、石丸由佳

Int

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調Op.125  18-10-16+27
ソプラノ、増田のり子
アルト、林美智子
テノール、錦織健
バリトン、ジョン・ハオ
合唱、東京音楽大学

小林研一郎 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


沢山の演奏会をこなしている炎の小林。芸風が一段と深みを増してきて、存在が場の空気を変えていく、真摯で精力的、炎のカリスマは静かさを湛えた満潮のような美しさだ。

今日の第九は定期公演の一環。
日フィルの合奏というのは、多くの人たちが弾いたり吹いたり叩いたりしているというのがよくわかる。合奏アンサンブルに生命力が有り活き活きしている。小林芸風と一体化していてシナジー効果も大きい。
炎の右腕棒、これ一本で振っているのではないかと思えてくる。時折やや聴衆席に向かい頂点を示し静止した棒の中、ひたすら流れていく歓喜の歌は、もはや、それだけで美しい、感動の頂点棒。
左手の芸風も見事だ。小さなアクションひと動きは全て納得できるものだ。オケの反応も素晴らしく良い。意図する音楽が流れる。
第1楽章提示部リピートするかどうか聴いているほうはギリギリまでわからない。この緊張感。同楽章コーダ終結少し前に延ばしてタメを作り激性を増す怒涛表現。
終楽章ベースから始まる歓喜のモノローグの前のパウゼをフルトヴェングラーの並盛モードで完全空白を作るこの緊張感。他にも色々と趣向を凝らしていて、その内容はこのベートーヴェンにふさわしいもので、納得するところが多い。芸の細かさを越えたカリスマ棒で、それらはこれまで数々振ってきたことの集大成という行為を毎日毎日精力的にこなしているといった様相で、そういう思いで観る指揮はこれから益々聴きのがせないものになるだろうね。

ハオの一声は素晴らしく良く通る。いい声。これまでオペラの脇役等で聴くことがあったがこうやって聴くとなめし皮のような質感で改めて良さがわかった。ソリスト4人衆の流れがいい。
小林のコーラススタンディング指示の鮮やかさ、ソリストと一緒に歌うことをしていなかった小林がここでコーラスと一緒に歌い棒。歌える指揮者極まれりの感がある。
見事な棒で定期の第九、満喫できました。16型、200人規模の合唱は圧巻。

前半のオルガン独奏3曲。やや乾いたサウンドが心地よく響く。席が席で、脳天とお尻にズシンズシンとくる迫力あるもので、これも楽しめた。
おわり




2472- シューベルトD959、D960、今峰由香、2017.12.22

2017-12-22 23:28:34 | リサイタル

2017年12月22日(金) 7:00pm Hakuju Hall

シューベルト ピアノ・ソナタ第20番イ長調D959  12-8-4-13
Int
シューベルト ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960  22-9-4+8

(encore)
シューベルト 即興曲 Op.90-3  5


ピアノ、今峰由香


1年ほど前に出たベトソナ24,25,26と変奏曲の入ったCDを購入して聴いておりまして、その流れでリサイタルを聴きに来ました。

研ぎ澄まされて洗練された音の輝き、音粒の正確な均質感、ピアノの音が身体から出てくるような自然さ、ほどよい距離感、物腰、、
今まで色々とピアノを聴いてきたが、だいぶ違う。しっくりくる。山の高さ、海の深みが、最初からなにかこう、一段違う。

お初で生聴きします。第一印象は音の美しさ。素晴らしくきれいな音。それと、
例えばD959のスケルツォなど、この美しく飛び跳ねるフレーズはどうしてこのような扱い、表現になるのだろうか、なるほどそういう流れなのか。といった具合で、全編に渡り全て納得できるところに落ちる。こういったことが沢山出てくる。丹念な解釈の後の演奏に聴こえる。これも、うなる。ナチュラル。

D959、彫琢された音の美しさにうなるばかり。ハクジュホールは300ほどの贅沢席ホール、天井が高くてピアノの音が押しつぶされることなくきれいに響くので、さらに良い。
大体2楽章までで言いたいことを概ね言い尽くしている感のシューベルト。ベートーヴェン的な壊しては作るといった型ではないいわゆるソナタ形式デフォなので音の流れそのものを満喫すればいいのかなとも思う。
音の粒が徐々に流れとなる第1楽章、見事だわ。ちょっと音が跳び節回しが馴染みやすい第2楽章、最後激しさが覆う。クリアで明瞭、全ての音がくっきりと浮かび上がる。ここまでで大体満足。
と思いきや、次のスケルツォが惚れ惚れする粒立ちで鮮やか過ぎた。ピシーンパシーンと決まる。やっぱりこの楽章、短いけど要る。魅力的だわ。
終楽章の自然な流れと盛り上がり、この感興、パーフェクトでとてつもなく素晴らしい演奏でした。美しい。

鼻かぜ気味なのか楽章間でちょっとグシュグシュありますけど弾くほうは問題無い様で後半D960、これも頭2楽章で言いたいことを大体言っていると思うが冒頭楽章がさらに長くて緩やか。息を整えて、ことも無く渡る平均台のような趣き。作曲家の内面を照らし出す。太過ぎず細すぎず一つの鍵盤と同じような幅で身体から音楽がじわっとにじみ出てくる。
第1主題の後すぐにゴロゴロゴロとくる左手トリルの明瞭なタッチ。もう、いくら長くてもいい、終わらないで欲しいという感じ。
第1楽章の長大なモデラートに続いてアンダンテ楽章。この楽章には第1楽章の響きを今日は特に強く感じた。一体感あるものでした。ここまでで30分越え。
あとは形式を整えるような楽章、と言っては何だが、穏やかだったものが少しずつ浮遊感を感じさせ始め明るさを増して、これからまだ先があるよと言いながらシューベルトが終わる。

ご本人が書いたプログラムノート、味わい深いものです。これら2作品への姿勢、その前にある深い理解。満ち溢れていますね。アカデミックな香りとは別の、愛を感じます。
シュベソナ全部、今、聴きたくなった。ゆっくりタップリ聴きたくなりました。
ためいきばかり出るいいリサイタルでした。
おわり








2471- ウィーン=ベルリン ブラス・クインテット、下野竜也、新日フィル、2017.12.21

2017-12-21 23:51:11 | コンサート

2017年12月21日(木) 7:00-9:15pm トリフォニー

ヤン・クーツィール 金管五重奏のための協奏曲Op.133 7-6-4

モーツァルト ホルン協奏曲第4番変ホ長調K.495  7-4-4
 ホルン、トーマス・イェプストル

ハイドン トランペット協奏曲変ホ長調Hob.Ⅶe:1  6-4-5
 トランペット、ギヨーム・ジェル

Int

ラウニ・グレンダール トロンボーン協奏曲  4-4-3
 トロンボーン、ディートマル・キューブルベック

アルチュニアン トランペット協奏曲変イ長調  8+4+3
 トランペット、ガボール・タルケヴィ

(encore 3曲ともに五重奏)
J.スタイン レット・イット・スノー  2
J.ホロヴィッツ ミュージックホール組曲より Les Girls  2
オーストリア民謡  3


ウィーン=ベルリン ブラス・クインテット
トランペット、ガボール・タルケヴィ、ベルリン・フィル首席
トランペット、ギヨーム・ジェル、ベルリン・フィル
ホルン、トーマス・イェプストル、ウィーン・フィル
トロンボーン、ディートマル・キューブルベック、ウィーン・フィル首席
テューバ、アレクサンダー・フォン・プットカマー、ベルリン・フィル

下野竜也 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ブラスの魅力を満喫しました。
アンサンブルでの立ち位置を感じさせるもので華麗なスタープレイヤーの饗宴という趣きはありません。決して踏み外さない、手堅いもので品があって、作品の良さが浮かび上がる。

プログラム後半、グレンダール、アルチュニアン、なかなか面白い曲で楽しめました。ソリストもこの2曲はプリンシパルが吹いていて、余裕というか芸の深さを感じさせる見事なものでしたね。
前半のホルンはやや細めでデリカシーに富む、トランペットは柔らかいもの。それぞれ楽しめました。

冒頭のクーツィールの作品、オケ伴つきの金管五重奏コンチェルトというから恐れ入る。
全体にそうとうやにっこい。中間楽章の中ほどではジャズっぽさも出てくる。全体に斜めに構えた作品のようにも聴こえてくる。オーケストラの引き締まった運び、下野の棒のコントロール具合がいい。

盛況でした。ブラスの響きを満喫。
おわり









 


2470- 第九、サッシャ・ゲッツェル、読響、2017.12.20

2017-12-20 22:17:47 | コンサート

2017年12月20日(水) 7:00pm サントリー

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調Op.125  16-14-15+24

ソプラノ、インガー・ダム=イェンセン
メッゾ、清水華澄
テノール、ドミニク・ヴォルティヒ
バス、妻屋秀和
合唱、新国立劇場合唱団

サッシャ・ゲッツェル 指揮 読売日本交響楽団


年末のお祭り騒ぎの第九とは明らかに一線を画す屈指の充実公演。
指揮者はクリヴィヌからゲッツェルに変更。編成は目視で、12-12-8-8-6の対向配置。プリンシパル陣勢ぞろいの感がある。コンパクトな編成ながらダイナミックで引き締まった演奏。

ベートーヴェン・インスピレーションの塊のような冒頭、ホルンが見事な序盤、空虚なハーモニーを鳴らす。
フルオケが、ピアニシモからフォルテへ、ひたすら下降する音型。この諦めの混沌からフィナーレでは人類愛まで登りきるベートーヴェン作品の凄まじき内容。
ぎっしりと引き締まった弦、メリハリの効いたティンパニ、そして演奏を終始リードするウィンドとブラスセクション。無駄のない動きのゲッツェルの振り、そのままの音が出てくる。弦への指示はさほど大きくならずとも反応が圧倒的。これだけのレスポンスで返ってくるところを見るとプレイヤーたちのやる気度も完全に本気度100パーセントと見た。
ウィーンフィルのヴァイオリン奏者だった人の指揮と反応は出来て当たり前のデフォなのかもしれないという安心感有り。つまり今日の特筆すべきド反応はウィンドとブラス。ザッツが強くならずとも、すーっと弦をリードしていくような吹き具合で、これは指揮者の技のなすところだと思うのだが、このスタイル、本当に音楽を生き生きしたものにしていて、カツ、前のめりにならない読響セッションのプリンシパルたちをはじめとする技量の高さもあり、騒ぎの無い、静かな快活さのようなものがうまく出ていた。読響の正三角錐ベートーヴェン、と、アルブレヒトのベト全CDを思い起こすのに時間がかからない。ベートーヴェンの本格的な演奏ここに極まれり。

管のリードする中、指揮者のワンモーションで歌い揺蕩うベース、チェロと同じ数のヴィオラの弾きの頑張り、対向の妙がくっきりとしたヴァイオリン群。ゲッツェル圧巻の指揮。
惚れ惚れとする見事な第1楽章はあっという間に過ぎ去りし。

次のスケルツォは第1楽章を凝縮したものでオケの鳴りが何かの塊のよう。ゲッツェルの振りは身体の内面から湧き出るものを表現していてごく自然、納得するところが多いですね。ご自分のベートーヴェンのイメージがあるというのをしっかりと感じることが出来るもの。作為が無い。

ここまでで約30分、充実の内容。ソリストが入場。位置は合唱の手前、オケの奥。

第3楽章は変奏曲の趣きで聴く。型の事は忘れてしまっていて、ゲッツェル棒から繰り出される充実サウンドにばかり目がいく耳がいく。
何杯もの極上ウィスキーの上澄みが次から次へと出てくる。いい香りが漂う。美味しい。うまい。リードする管が川面にあちこちと浮いている。いつの間にか同じ方向に流れ出す。弦の静かな物腰がもう一つの流れを作り出す。やがてこれらがブレンドし、見事な一致ストリームを奏でる。出色の演奏。マーベラス。

間をちょっとだけおいて終楽章へ。
音楽作品の感興によりそったゲッツェル棒は自然、エキサイティングな展開なれど小節をきっちりとひとつずつ自覚、認識しながらの振りで、音楽はこのバーからでてくるんだ、オレはそれをしているんだ。読響さんも今日は素晴らしすぎるぜ。そう言っているようだな。
モチーフの打ち消し、曲想の発展、歓喜の歌、全てが自然。
管のリードによるやや硬めな疾風怒濤の同楽章冒頭回帰、そして妻屋さんの一声、輝いている。彫りが深くてエナメルのような質感、克明な縁取り、惚れ惚れとする声。おお、今日も好調だ。この決まり具合に初台の合唱のテンションも歌う前から上がっている。少人数のコーラスはオーケストラのサイズと同等、そしてダイナミックで緊張感あふれる歌う口までオケと一体。凄い。遅れない歌い口というのは歌う前から今日の進行がわかっているからだと何も言わずとも感じる。オケ、合唱、共に素晴らしい同一性を感じさせてくれるこのブリッジとなった妻屋バス。

シンフォニックだった。
やや硬質の力感溢れる見事な演奏はゲッツェルの望むところだったのかどうかはわからない。
でも、
限りを尽くす、これに尽きる。平衡感覚に優れた棒は高濃度で大好感。読響が水を得た魚のような演奏をしたではないか。
最後の一音の結末まで、こよなく満喫できたシンフォニー9番ワールド。指揮者とオーケストラ、ソリスト、合唱に、心の底から、ありがとう。
おわり

 









2469- 上野優子、西江辰郎、工藤すみれ、2017.12.19

2017-12-19 23:58:04 | 室内楽

2017年12月19日(火) 7:00pm コンサートサロン、ヤマハ銀座

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2 幻想曲風 5-2+8
 ピアノ、上野優子

ボルトキエヴィチ チェロとピアノのための3つの小品Op.25 4-5-3
 チェロ、工藤すみれ
 ピアノ、上野優子

リスト(サン=サーンス編曲) オルフェウス (ピアノ三重奏曲版) S.98 R.415  10′
 ピアノ、上野優子
 ヴァイオリン、西江辰郎
 チェロ、工藤すみれ

Int

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調Op.11 街の歌  8-4-6
ピアノ、上野優子
 ヴァイオリン、西江辰郎
 チェロ、工藤すみれ

(encore)
ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ  6′
ラヴェル 三重奏曲 第1楽章  8′
ピアノ、上野優子
 ヴァイオリン、西江辰郎
 チェロ、工藤すみれ


豪華ソリストによるリサイタル。お初で聴くのは上野さん。新日フィルの定期会員2本持ってますので西江さんはそちらのほうでしょっちゅう聴いてます。工藤さんはニューヨーク・フィルのチェリストですのでそちらで見ております。
上野さんが書かれたプログラム冊子によると、西江さんは桐朋の先輩、工藤さんは高校の同級生。
プログラム後半はラヴェルの三重奏からベートーヴェンの街の歌に変更。

息の合った演奏でどれもこれも素晴らしいアンサンブル。3曲目のオルフェウスの最初の音を聴いて真綿のような肌ざわりにゾクゾクときました。前にヴァイオリンとチェロ、奥にピアノ。弦のふんわりとした輝きとそのバックでピアノがよく流れる。ピッタリと合った呼吸で満喫しました。

最初の曲のベトソナは月光とせず幻想曲風とクレジット。13番からの流れを感じさせる。
幻想曲風というとなんとなく縁をぼかすみたいなイメージがあるけれども、実際のところは芯があって輪郭が明瞭。2楽章の気分の転換、終楽章のスケールの大きい流れが素晴らしかったですね。

2曲目のボルトキエヴィチ。この作曲家の事は不勉強で全く知らなかった。会場で購入した上野さんのCDにボルトキエヴィチの作品が二つはいっているのでお得意のものなんでしょう。
工藤さんが前、ピアノはその後ろにセッティング。80人規模のサロンホールのかぶりつき席。工藤さんのチェロが約1.5メートルの距離で弾いてくれる。これだけ近いと、自分のためだけに弾いてくれている、というのが、もはや、錯覚ではないと、この実感。曲どころではなくなってしまったの。
不遇の時代を生きた作曲家。奏でられる音楽というのは、そういったものとは対極にありそうな何かうっすらとした希望のようなものが、心にペイントされた、やや明るいとさえいえる心象風景。
惚れなおしました。

3曲目が最初に書いたオルフェウス。オケで聴くものとは随分と違うサン=サーンス編の三重奏。別物の感じで聴きました。チェロ美しいです。


後半はラヴェルから変更になったベートーヴェン。若い作品でいまいち。
2楽章のチェロとヴァイオリンの掛け合いが魅力的。それと、終楽章の変奏。まだまだどんどん変奏を追加できそうな勢い。
アンコールのクレジットはありませんでしたが、一番上に書いた通りと思います。

楽しいリサイタルでした。
ありがとうございました。
おわり

























2468- マルティヌー1番、ブラームス1番、フルシャ、都響、2017.12.16

2017-12-16 23:53:57 | コンサート

2468- マルティヌー1番、ブラームス1番、フルシャ、都響、2017.12.16

2017年12月16日(土) 7:00pm サントリー

マルティヌー 交響曲第1番  10-7-10-9
Int
ブラームス 交響曲第1番ハ短調Op.68  16-9-5-17

ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団


一言で言うと重い解釈。ご本人のスタイルが相応な熟成を魅せつつあるのだと思う。
この前のマル2、ブラ2をさらに推し進めたような響き具合。
2466- ドヴォルザーク、オセロ、マルティヌー2番、ブラームス2番、ヤクブ・フルシャ、都響、2017.12.11

正面突破スタイルで、提示部いくら長くてもリピート、弦楽合奏のような鬱蒼とした森のハーモニー、時折ほっかりと浮かぶウィンドセクション、抑えたブラス。
ブラームスに本格的な響きの快感をもたらす。ここにティンパニの強打は不要。都響のティンパニのバランスと音色はいつもよくない。これを除けば、最高のブラームスで聴きごたえありました。
スケールの大きさはこの前の2番が格別なものがあった。今日の1番はフレーム感覚をさらに推し進めてはいるもののびったり決まったかというといまいち感がある。合奏アンサンブルは濃いけれど、ホルンセクションなどは守りに入らずもっと攻めてくれと言いたくなる特に一番は。こじんまりしていて内声の響き具合は、支えているねとは思うがさえない。コーダソロでの1,2番の音色違いも気になる。どっちにしても線を大胆に浮き上がらせてほしいというところがたびたびある。
フルシャはいわゆるヨーロッパスタイルの正三角錐な音場進行を取っていると思うので、これなら読響のほうがしっくりきそうな気もする。バンベルクもオリジナリーなものを感じさせる方向へ変わりそうな気配濃厚。

プログラム1曲目はマルティヌーの1番。最後に1番。
冒頭から頻発するシンコペーションや快活な刻みをフルシャはほとんど振らない。この音楽には見えざる大きな縁取りがあるのだよ、それを振っているんだ。そんな感じ。それだけを見ているとメータの棒と似ているかもしれない。メータ棒はよく見ると細かいところまで振っているのだがフルシャは本当に大枠を振る動き。
殊更にリズミックなところを強調するものではなくて、流れ重視なのかもしれない。マルティヌーの音楽は、自分の聴き方はミニマル元祖という聴き方なのだが、ここはライヒではなくグラスモードのストリーム展開。
1番は巨大編成で色彩豊かな作品。都響のややドライで分解能に優れた演奏がフルシャの重くしたい(かもしれない)棒が双方の生きざまを見せてくれているようで、一度に二つのものを見ているような面白さがあった。
都響首席客演指揮者離任演奏会。
フルシャのこれからの活躍が楽しみです。
おわり

 


2467- マーラー3番、コルネリウス・マイスター、読響、2017.12.12

2017-12-12 23:09:24 | コンサート

2017年12月12日(火) 7:00pm サントリー

マーラー 交響曲第3番ニ短調  32、9-16-8+4+23
 メッゾ、藤村実穂子


新国立劇場合唱団(女声)
TOKYO FM少年合唱団、フレーベル少年合唱団

コルネリウス・マイスター 指揮 読売日本交響楽団


このコンビを聴くのは今日で3回目。3回ともに同じような印象。リハーサル不足ではないのかなということ。バックステージストーリーには興味のない人間ですけれども、どうも、アンサンブルの合わせが時間不足で、済んでいないような気がする。まぁ、ざっくりとした印象ですけれども。首席客演指揮者になったツボがありながら、そういったことが十分生かせていないのではないか。アンサンブルの妙を聴く楽しみは無かったすね。

マイスターGM3仕様はクレシェンドの歌い節が無いこと。マーラーの歌にありがちなねばっこいクレシェンドとか、削ぐようなスフォルツァンドといったものを駆使してネバネバやる演奏とはかなり違う。ドイツ音楽表現の力学を感じさせてくれる。フォルムで音楽を作るにはこうしていく、というのを、意識することなくDNA的感覚で進めている、そういった印象が強い。ときに薄味に聴こえたりするのは作品のせいかとも思う。

合唱とソロは長大な第1楽章が済んだところで入場。それでもソロの一声まで30分近く待つことになる。歌の前にペットボトルのストローに口をつけてうるおし4楽章へ。
指揮者の譜面台を覗き込むような近さにポジショニング。何か問題があったのか。あまりに近すぎてびっくり。第一声、二声あたりはピッチが不安定。ぶら下がる歌いくちのかたではないのでストレートにいくがずれ気味。ブラスセクションの吹奏の後は安定してきて、コクのある歌唱を楽しめました。次楽章の、新国立の女声、それに少年!合唱団、ともどもいきのいい歌唱。終楽章の見事な入りはマイスターのもの。演奏後の完全空白は聴衆のもの。
色々とありましたが、品性、知性といった言葉が明るく作品を照らした。
おわり

 


2466- ドヴォルザーク、オセロ、マルティヌー2番、ブラームス2番、ヤクブ・フルシャ、都響、2017.12.11

2017-12-11 23:05:05 | コンサート

2017年12月11日(月) 7:00pm 東京文化会館

ドヴォルザーク オセロ   16
マルティヌー 交響曲第2番  8-6-4-5
Int
ブラームス 交響曲第2番ニ長調  21-10-5-10

ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団


今日のフルシャのブラ2、第2楽章までで曲としても指揮者としても言いたいことを言い尽くした感があって、そのあとの展開も含めて誠に素晴らしい内容で、とりわけブラームスのハーモニーの充実度もさることながら弧を描いて進行するストリングの線が極めて美しいものであった。全曲通してホルンはもっと膨らみのあるサウンドが欲しいところだが、他のブラスセクションとティンパニは抑制されていて鉄板太鼓ブラスが鳴りを潜めいつもこうならいいのに、と思うところもあれど、パッションを殊更にフィナーレ楽章に求めることをしないクールで熱い二律背反シャッフル、フルシャの作り出すブラームスの懐の深さにうなるばかりのマーベラスな演奏で、秋の夜長ならぬ初冬の味わいを満喫しました。
第1楽章の提示部リピートなどはコクが増すばかりで、もう一度リピートしてもいいなあ、あらぬことさえ思わせてくれる。都響の緊張感漂う折り目正しき美演。凛としたブラームス。
やや明るめで終楽章コーダを冒頭から感じさせてくれる第1楽章のメロディーラインに比して2楽章は下降ラインからの開始。前楽章からの雰囲気のモードが漂いながらも別な表情を色濃く魅せてくれる。スバラシイ。なんでこんなに短いんだ。もっと長くてもいい、もっと味わいたい2楽章。ここでも全員シンクロした折り目正しき演奏にはふさわしい曲想でブラームス自身さんの満足度も高いことだろうと推測される。いい演奏ですね。
ここまで、静謐で精神の落ち着きを味わう。

もう、こうなると、第1,2楽章で大半を言い尽くしたあとの後半もなにやら同じモードが全体を覆い尽くすような気配が濃厚。フルシャの味付けが全面を覆う。3楽章の短さなど、ベートーヴェンのハンマークラーヴィアや31番といったあたりのことを掻き立てさせてくれる。終楽章は騒がしくなくて、なによりも唐突感が無いのがいい。4楽章は派手な違和感がなくて曲全体、同質性があってこれが指揮者の意図するところだったようにも思える。
聴きごたえのあるブラームス2番でした。

1曲目は3部作の中で一番長いオセロ。副題にとらわれることは無くても線が悲劇性を感じさせる。都響のアウトラインは水際立って美しく緊張感あふれてサラサラと流れていく。三つまとめて聴きたくもなる。

前半2曲目のマル2。
2番はドラマチックな激しさが無くて、先取りしたミニマル風味のきざみがフシをつけながらこぎみよく進行。都響の得意とするところで、モダンな作品であることを教えてくれる。
このコンビのマルティヌーは何度か接していてどれも素晴らしい。オーケストラの機動力がこの作曲家作品によくマッチして毎度完璧。
フルシャのマルティヌーの印象はこれまでと同じで、なにか、こう、もう少し抑えたものを望んでいるようにも思えるのだがどうだろうか。自国オケのデフォな質感を前提にして微細なニュアンスを求めているような気がする。都響に高みの要求をしているようにも思えるのだけれども、そうであってもなくても、ここはセッションでのマルティヌー交響曲全集を望んでやまない。すっとんで買いに行きますわ。

いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり

 


2465- ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番第4番、マツーエフ、シンフォニックダンス、ゲルギエフ、マリインスキー、2017.12.10

2017-12-10 23:24:03 | コンサート

2017年12月10日(日) 6:00-8:45pmサントリー

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調op.30  18+9+12
 ピアノ、デニス・マツーエフ

Int

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第4番ト短調op.40  9-8+8
 ピアノ、デニス・マツーエフ
(encore)
ラフマニノフ 練習曲『音の絵』op.39-2  6′


ラフマニノフ 交響的舞曲op.45  12+9+13
(encore)
メンデルスゾーン 『真夏の夜の夢』よりスケルツォ  4′

ワレリー・ゲルギエフ 指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団


ゲルギエフ、サンクトペテルブルク・キーロフ歌劇場管弦楽団はNHKのスタジオで録音したことがあり放送もされた。

グリンカ ルスランとリュドミラ、序曲
ボロディン ダッタン人の踊り
チャイコフスキー ナッツクラッカーより、花のワルツ
ムソルグスキー 展覧会の絵
指揮 ワレリー・ゲルギエフ
サンクトペテルブルク・キーロフ歌劇場管弦楽団
収録 1993年11月27日 NHK509ステューディオ
放送日 1994年3月7日  air NHK-FM


何度も来日していて、昨年2016年も3回聴いた。オペラ公演ふたつと演奏会をひとつ。
2202- ロメジュリ、オネーギン、イーゴリ公、十月革命、ゲルギエフ、マリインスキー、2016.10.11
2203- ヴェルディ、ドン・カルロ、ゲルギエフ、マリインスキ―、2016.10.12
2205- エフゲニー・オネーギン、ゲルギエフ、マリインスキー、2016.10.15

1993年の来日公演記録はブログへのポストが済んでなくて整理できていない。ゲルギエフは単身来日も含めたくさん聴いてきた。
ゲルギエフとマリインスキー。とりわけゲルギエフの指揮回数が毎シーズン多すぎてどうなんだろうと思うが、今日のような演奏を聴いていると、オーケストラの水準が日常から相応な高みに達していれば、リハの多寡にかかわらず、指揮者共々、毎度、素晴らしい演奏を繰り広げることは可能なんだろうなとある部分納得するところが多い。
ソ連崩壊後、1993年の来日頃はオーケストラ団員の目の色が違って見えるほどで、やれば楽になる。つまり、仕事をこなすほどに生活が裕福になる。それにはこの指揮者についていくのが正しい道だと。演奏は気力充実、それによって生活も充実したものになる。そういったことを、皮膚感覚でひたひたと感じたことを思い出す。当時も今もスキルはハイで、一定のレヴェルを保持している。総裁指揮者の手の込んだ良しき画策も色々とあるのだろう。
当時から指揮者とオケは完全に一体化していて、どんな小さな動きにも見事な反応を示していた。長い休止でピクリともせず指揮者を凝視し続ける団員。それだけでもド迫力。
あの当時は演奏後、オーケストラ全体でスタンディング、個々のプレイヤーにスタンディング指示をだしていなかった記憶なのだが、その後、立たせるようになってプレイヤーの反応が凄い。ムラヴィンスキーの指使いかと見まごうプレイヤーたちの見事なド反応。あれを見ただけでもわかることはたくさんありましたね。今日の演奏会でもそれは変わらず。相変わらず見事な反応スタンディング。
指揮者がコロコロかわり、スタンディングも、オレ?オマエ?ダレ?立つの?みたいなみっともない日本のオケの風景には失笑する。コンマスがスタープレイヤーになって色々と掛け持ちしている姿もどうかと思う。団員と日常的に本当に連携が取れているのか。阿も吽もなくて、リハ作業効率も良くないのではないかとこっちは心配になる。


ということで、
長大なプログラム。始まる前から長くなるとゲルギエフの公演ではわかっている。それにしても凄いプログラム。お昼にラフマニノフPC1と2、それにシンフォニーの2番やって、夜はこの公演。マツーエフも凄いもんだ。昨日は三鷹でリサイタルをしている。
2464- ベトソナ、テンペスト、31、チャイコフスキー、ドゥムカ、大ソナタ、デニス・マツーエフ、2017.12.9

圧倒的ピアニズムの神髄、圧巻の3番コンチェルト。マツーエフは昨日のリサイタルでも感じたが、静かな運びに長けている。殊の外デリカシーに富む。馬力腕力はそうとうなものだが、むしろ耳をそばだてるべきはそういったあたり。魅惑的に始まる冒頭から聴きどころ満載。アダージョ楽章の光るサウンド、したたる音の粒、ゆっくりと噛み締めるフレーズ。ラフマニノフの3番は極みの美しさ。
終楽章の技の恐さは知らなくて幸い。鮮やかなラフマニノフの妙技を堪能。マツーエフが先かラフマニノフが先か。
鳴りを潜めていたブラスセクションが断片的に活躍。アタックというか束になってスフォルツァンド気味に鳴らして進行するあたり、あまりの輝きにクラクラする。
ピアノが3連符の下降形進行。後打ちを絡めたブラス伴奏、派手なシンコペーション。そしてラフマニノフ終止。スッキリ。
振幅感情の大きい曲で聴く思いを込め過ぎて、すでに1曲目で満足過ぎる。

休憩を取り、後半へ。次もメインディッシュ、4番コンチェルト。
これまでやにっこい曲のように感じていたのだが、今日のような才気爆発オケと絡まってやると面白い。このメリハリ感!ピアノとオケが丁々発止。迫力と美しさ、両方来ました。ゲルギエフのブルブルコントロールもお見事で。伴奏ツボよくはまります。
2楽章のラルゴは作曲家がアメリカを体験していないと浮かばないようなフシだと思う。マツーエフの昨日のリサイタルのアンコール5曲目の自作自演曲「即興」の出だしを思い出す。ちょっと斜めに構えたような具合で深い沈み込みとはまた別な風情を感じさせるものがある。
絞り出すような終楽章、圧巻。ピアノ、オーケストラ、圧倒的過ぎて異次元ワールドを満喫出来ました。破天荒の力感。もう、ため息も押し殺す凄い演奏でしたね。ラフマニノフ終止も異次元か。

この日の最後の曲、シンフォニックダンス。ここでオーケストラは思う存分、力を発揮。
ギラギラした感じは無くて抑えた中に作品の美しさが浮かび上がる。
第1楽章静謐な演奏。サックスは惚れ惚れする響き。2楽章のワルツは縁どりが鮮やかカーヴィング明るくなり切らない切なさが気持ちを晴れやかなものにしない。終楽章、怒りの日を含めた旋律の交錯。オーケストラの妙技とパワーを満遍なく惜しみなく出し切る。凄味のあるもの。巨大な作品でした。

以上3曲、ピアノアンコール、オーケストラアンコール含め2時間45分。もっと長くかかるかと思ったけれどもそうでもなかった。日本式のダラダラ入退場、繰り返し拍手によるダラダラ立ち座り、オケの遅い入場、そういったものがなくてシャキッとしていて時間の使い方がうまい。ベルリン・フィルも同じ。テキパキしている。
こういったところは関係者とかお偉いさんがお金払って見に来て吸収して欲しいところですね。
おわり


























2464- ベトソナ、テンペスト、31、チャイコフスキー、ドゥムカ、大ソナタ、デニス・マツーエフ、2017.12.9

2017-12-09 22:34:05 | リサイタル

2017年12月9日(土) 2:00pm 小ホール、武蔵野市民文化会館

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第17番ニ短調テンペストOp.31-2  8-7-6′
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op.110  6-3+10′
Int
チャイコフスキー ドゥムカ ハ短調Op.59  7′
チャイコフスキー ピアノ・ソナタ(グランドソナタ)ト長調  11-8+3+6′

(encore)
リャードフ 音の玉手箱  2′
シベリウス 練習曲作品76-2  1′
ラフマニノフ 前奏曲作品32-12  2′
グリーグ 山の魔王の宮殿にて  2′
マツーエフ 即興  5′

ピアノ、デニス・マツーエフ


シーズンの演奏回数が多くて内容もタフといった印象が先に来てしまうマツーエフですけれども、ベトソナは殊の外、落ちついたものでした、最初は。

テンペストは幻想的なプレイで特に1,2楽章の静謐に傾斜していくようなおもむきは味わいがあった。キラキラ輝く水際立った音で、ピアノが物体で作られていることを忘れさせてくれる。アルペジオ風味が割とあって、また四声のうちバスの浮き沈みが冴えている。強調は無く短めに顔を出すがなんだか力が見え隠れするものがある。
鍵盤を押した後、さあっあと腕を上にあげる仕草もあまり無くて、一つ一つの音をじっくりと弾き込んで聴かせてくれる。
終楽章はキラキラワクワクノリノリな空中浮遊感。16分休符のあとの4つの音の流れ自然でした。そしてやや激しさを増しながら最後は弱音で急降下し消え入るように。ピアノさばき冴え渡るマツーエフ。

ワクワクベートーヴェン。最後の3つではこの31番の出だしの下降音型が好み。なんだか途中から始まっているような気持ちにさせてくれる。この第1楽章の前にもう一つ楽章があったんだよ実は、とベートーヴェンが言っているように聞こえる。この悟りのような第1楽章はいいですね。やっぱり3作品一束のような味わいなのかもしれない。
音の粒立ちが良くて、曲想のしっとり感が綯い交ぜになって居心地良い。31番この境地。マツーエフがしっかりと魅せてくれました。聴くほどに奥がある。
2楽章はうって変わって激しい。怒涛のような激しさ。切れ味が鋭い。完璧なタンギングを聴いているような錯覚。彫りが深くて立体的、クラクラするようなパースペクティヴ感。がらりと変わって圧倒的なマツーエフの力腕。息つく間も無くそのまま終楽章へ。
と言っても、強烈な2楽章結尾はスフォルツァンドの繰り返しから最後はピアノにディミヌエンドしてしぼみ、リタルダンド。終楽章の頭はこのモードを引き継いでいる。マツーエフの冷静な音の運び。最初から、全部が見えているのだろう。余裕のパフォーマンス。
清らかな第1楽章、激しいスケルツォ、変幻自在。終楽章のフーガへ。お見事とうなるしかない、この全体俯瞰。
嘆きの歌からフーガへ。なんだか全部嘆きの歌のような気がしてきた。音形を変えて再度嘆きの歌へ。そしてコラール風味な進行は抑え気味マツーエフ。このあとの進行は、ベートーヴェンはどうやってフィニッシュしようか探している雰囲気が漂うところ、全てを解決するように一気に垂直降下する。マツーエフのピアノが炸裂、爆発。フォルテシモ×2の音量だわな。
音符が一つに並んだような錯覚の垂直一気降下。鉄板でもなんでも来い突き破るからみたいな圧巻の響きの中、急上昇しサラリと終わる。鮮やかな31番でした。彼のスパイス見えました。マーベラス。

後半のチャイコフスキーのほうはリラックスして、でも気を抜くことは無い。
ドゥムカは作曲家の明るさ暗さ、独特のメロディー。ほの暗い浅めのタッチが少しモコモコ感を醸し出しながら色々と変化していく。

グランドソナタはマツーエフのリズミックでダイナミックなチャイコフスキーサウンドを満喫。
型が明瞭な演奏。怒涛の流れでいくわけではなくて副主題が物憂げさも漂わせてくれる。第1楽章は総じて激しくて音も華やか。型の規模も大きい。これと次のアンダンテ楽章、付点やシンコペーションのモードの味わいが似ている。静かな2楽章なのにリズムが息づいている感じ。この1,2楽章で、もう、ほとんど、作品の大半を占めてしまった。圧巻の演奏。あとは型の残りをやっていく感じ。腕の見せどころもパワーアップ。
マツーエフは楽章間を殊更区切ることは無くてだいたい続けてプレイする。勢いを感じさせるし、ポイントとなる楽章での一服は音楽の流れを冷静にくみ取っているかな。
チャイコフスキーの短い音符の塊が全部スタッカート風な切れ味の良さでいくら速いパッセージでも全部聴こえてくる。エスカレーターがエレベーターのようになり、最後はロケット発射、華麗な指技。まだ、やり足りないと言っている。凄い凄い。


アンコールは5曲。演奏後一礼して下てに引き、また出てきてすぐにアンコールピースを始める。このあとサイン会も無かったので、時間に追われていたのかしら。翌日ゲルギエフと昼夜2公演、ラフマニノフのピアノ協奏曲全4曲弾かないといけないし。その下ごしらえが要るのかもしれない。などと思う中、ショートピースを次々と。
最後の5曲目は自身作の即興(という曲)。やりたいことをあらいざらい全部やりつくす。最初は静かでややジャジー、ガーシュウィン風ドビュッシー風。だんだんとエスカレートしていき、技のオンパレードで大晦日の売り尽くしみたいになるも一滴の乱れも無い。唖然茫然。ぶっ飛びました。

マツーエフのデリカシーとパワー、心ゆくまで堪能できた三鷹の午後でした。ありがとうございました。
おわり



400人規模ホールにNHKのテレビキャメラが5台も。ステージ2台、客席3台。2018年2月2日(金)朝5時からNHK-BSプレミアム「クラシック倶楽部」で放送とのこと。






2463- マ・メール・ロワ、錯乱の論理、幻想、井上、日フィル、2017.12.8

2017-12-08 23:13:17 | コンサート

2017年12月8日(金) 7:00pm サントリー

ラヴェル マ・メール・ロワ、組曲  16′

八村義夫 錯乱の論理Op.12  9′
 ピアノ、渡邉康雄

Int

ベルリオーズ 幻想交響曲  16-6-15-5-9′

井上道義 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


一曲目のマザー・グース。井上は指揮台を使わずフラットな位置での棒。次の曲でピアノが持ち込まれるのでそれにあまり時間を取られないための気遣いのような気もするが、細身ですらっとした指揮者ですし、台は無くともこれはこれでわるくも無い。棒を使わない指揮姿も板についている。
豊潤なデリカシーとでも言えばいいのか、周到で入念な物腰のピアニシモは美しい。ソフトで居心地の良いベースサウンド。高弦がさらさらと舞う。透明感がありラヴェルのきれいな音楽をこの上なく感じさせてくれる。極上の演奏。ゆっくりと味わう。

ピアノも指揮台もセットして、2曲目は錯乱の論理。初めて聴く。こういった出し物をたくさん聴けるようになったことは本当にうれしい。
短い作品だけれども、これ以上長くは出来ないのではないかと思えるような圧倒的凝縮度。
絞り出すようなブラスセクションの咆哮、あちこちにミラーが有りそうな鏡の迷路。極限の点を響かせるピアノ。エキスのみの音楽。やがてピアノはやみ、オーケストラがクールダウンする中、ふさぎこんだ渡邉康雄、終えてそれを起こす井上道義。
なんだかわからないが圧巻。究極の努力作のように見えていながらインスピレーションによる一気書きのようにも聴こえてくる不思議。
タイトルの錯乱の論理は花田清輝の1947年の評論集にその由来があるよう。読んだことがないのでどのような内容なのかわからない。
八村義夫については、丘山万里子さんのWEBにある「錯乱の論理──作曲家・八村義夫論」に詳しい(長文ですね)。その中で彼の最初の作品、ピアノのためのインプロヴィゼーション。奏者がピアノにうつぶせになって消えゆく音を~、というくだりがあり、今日の渡邉、井上のうつぶせの画策はここらあたりに起因しているのかもしれないと、つまびらかではないがそこはかとなく感じるものがあった。
日本の作曲家のことは色々な方たちが掘り起こしていて作品の事や年代記も豊富で読めば発見することが沢山ある。またこうやって現実の生音で聴く楽しみは格別なものがある。あとは広がりなんだろうけど、昔と違い多くの作品が見えてきてはいるのだが、もう一つポピュラーな広がりが欲しい。どうすれば広がりが出来るのか、何も考えずに聴いていることは怠惰に近いと思うようになった。

井上が初めて日本のプロオーケストラ定期を指揮したのは1976年5月19日、日本フィルの第282回東京定期演奏会(東京文化会館)。メイン・プログラムはベルリオーズの幻想交響曲。そこから40年以上の時が過ぎた今、再び井上が日本フィルを相手に《幻想》を取り上げる。とのこと。
だからなのかどうか、後半は燕尾服に着替えて登場。指揮台もある。
1曲目のマザー・グースのパヴァーヌが戻って来たかのような繊細な音作り。ディテールを美しく描き切る。第1楽章後半の爆発も自然。井上の振り姿というのは誰の真似でもなくて独特。身体に巻きついてくるオーケストラの音。納得のパフォーマンスです。
そのあとも、指揮者の意図をオケが見事に表現、両者ウィンウィン。こういうのを聴ける聴衆にもお得感がある。
たまに不揃いになるのはリハと違う棒だからなのではないか、呼吸が合っていたからこその現象のような気もする。結果的にそうなっただけという。美演の枠の内側での出来事のように聞こえるので違和感はない。良き演奏の進み具合にはこういうところもあるものだ。
日フィルの柔らかさ繊細さと力感。両方堪能しました。きっちりとメリハリ効いた演奏会ですっきりとしました。ありがとうございました。
おわり


2462- メシアン、幼子イエスにそそぐ20のまなざし、エマール、2017.12.6

2017-12-06 23:42:28 | リサイタル

2017年12月6日(水) 7:00-9:35pm コンサートホール、オペラシティ

メシアン 幼子イエスにそそぐ20のまなざし  51-65

     Ⅰ~Ⅹ      6+3+3+4-6-11-4+2+4-8
Int
     ⅩⅠ~ⅩⅩ  6-3-4+4-11-3-5+6-10-13


ピアノ、ピエール=ロラン・エマール


エマールは先週末、デュトワN響の伴奏でラヴェルのレフトハンドを好演。今日はメシアンのロングな作品。
前半10曲、休憩20分を入れて後半10曲。

この作品は幸い5月にもオズボーンのピアノで聴きました。
2345- メシアン、幼子イエスに注ぐ20のまなざし、スティーヴン・オズボーン、2017.5.18

そう言うこともあってだいぶ見通しよく聴くことが出来た。
エマールの弾く20のまなざしは、見た目のコンセントレーションモーションを横に置くと、一歩引いて弾いている印象。
タッチが重くならずみずみずしくて、音から音への推移にあまり隙間を作らずつなげていく。規模の大きいピースの後は一服おくが、そうでないものはつなげて弾いていく。つなげて弾いているものは曲の表情の変化がそれほど濃くならない。音の粒立ちの良さが気持ちいい。

(テーマの目安)
Ⅰ 愛のテーマ
Ⅱ 星と十字架のテーマ


Ⅴ 神のテーマ (数字の3がキーワード)

Ⅶ 星と十字架のテーマ
Ⅷ 

Ⅹ 狩のテーマ、幸せのテーマ
intermission
ⅩⅠ 神のテーマ、聖母マリアと幼子のテーマ
ⅩⅡ
ⅩⅢ
ⅩⅣ
ⅩⅤ 神のテーマ、和音のテーマ
ⅩⅥ
ⅩⅦ
ⅩⅧ
ⅩⅨ 愛のテーマ
ⅩⅩ 和音のテーマ、神のテーマ

無調的な運びが全面を覆い微妙に不安定な進行。何かが解決に向かうというよりもそれぞれのピースの積み重ねが別のモードを引き起こすような具合、無機的ではない。メシアン流語法が若いときから出来ていたのだろう。このままオーケストラに編曲してもその響きの魅力は増すばかりのようだ。
それぞれの主題にはコクがあり、噛むほどに味わいがでる。聴くほうの気持ちが作品と一体化してシンクロしていくようだ。単独でピースを噛みしめるのもいいが積分の妙、これは心理的なものの累積現象のようなものだろう。そういうところがメシアンにはある。
10曲目のテーマは印象的でした。音の粒がジャズのアドリブ風味を感じさせるもので音粒が面白いように連鎖していく。それまでの静謐な空気が一気に解放された。エマールのノリ、効きましたね。幼子を満たすフレーヴァーが心地よい。

ここで休憩。
11曲目は休憩前の10曲目の激しさの残り香が漂う。オズボーンのように休憩を置かず一気に弾くのもいいし、この日のエマールのようにじっくりと連鎖を感じさせてくれるのもいいものだ。後半はピース毎に区切りを明確にせずつなげていくのが目立った。(それやこれやで全体としてはオズボーンより10分ほど速めの展開となった。)
中音域の抜けた高音低音、ギザギザと降下をしていくスケール、メシアン流のエキサイティングなシーンが続く。エマールの決め具合良くメリハリ効いています。
終曲の繰り返され続けるフレーズ。これがオーケストラなら多彩な音色変化をつけながらきらびやかなクライマックスにもっていくところ。ピアノ一本のエマールはそれに勝るとも劣らない鮮やかなもの。音の間隔を微妙に動かし、強弱のうねり、粒立ちよく進行。究極の心理的累積感による音楽的感興を呼び起こす。凄い技。
ピュアなまなざし、しっかりと見えました。

このホールは1600強のキャパでオーケストラの音量向きとは言えない。ピアノ単独でのリサイタルや室内楽には申し分なく良く響く。横のバルコニーは角度が悪くていけない席が多いけれどもそれを避ければ居心地よく聴ける。
おわり









 


2461- チャイコン1、小山実稚恵、チャイ4、伊藤翔、東フィル、2017.12.5

2017-12-05 23:26:48 | コンサート

2017年12月5日(火) 7:00pm サントリー

カバレフスキー コラ・ブルニョン 序曲  5

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調  20-7+7
  ピアノ、小山実稚恵
(encore)
ラフマニノフ 前奏曲 op.32-12   2′

Int

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調  19-10-5+9

伊藤翔 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


身体や棒の動きに音が絡んでこないもどかしさがある。1,4楽章の副主題や第2楽章等のほうがしっくりきます。
オーケストラは下降フレーズがメリハリなく雑。こういったところ指揮がしっかりしないといけない。
おわり




2460- 運命、ブラ1、フィリップ・ジョルダン、ウィーン響、2017.12.3

2017-12-03 18:27:31 | コンサート

2017年12月3日(日) 2:00-4:15pm サントリー

ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調op.67  7+9+8+8

Int

ブラームス 交響曲第1番ハ短調op.68  13-9-5+16

(encore)
ブラームス ハンガリー舞曲第5番  3
ヨハン・シュトラウスⅡ トリッチ・トラッチ・ポルカ  2

フィリップ・ジョルダン 指揮 ウィーン交響楽団


チケット発売時のあと日本では急にビッグになったように思うお初で聴くフィリップ・ジョルダン、王道プログラム2本。

棒の動きは。左手滑らか右手は少々硬い感じの指揮っぷり。大きく輪郭を取っていくオペラ棒の歌い口に見える雄弁な左腕。出てくる音はそのイメージとはだいぶ異なる。引き締まった弦は束になって光っている。磨けば光沢はさらに増すと思う。ウィンドとブラスにはスタープレイヤーが居れば要所が締まりピッチの事なども消えていくような気配はある。総じて前向きでやる気度満点の意思表示演奏ではあった。それに、なにやら昔のパリ管のようなキラキラ感が随所にありましたね。昔のパリ管のような。

前半の運命。
ベースも他の弦と同様二つセットで直列に並ぶ。14型でチェロ4プルトのうち3プルト目真横にベース1プルト目、2,3と後方向かい直列配置。結果、ホルン含めたウィンド2列目が一番外枠となりベースもこの並びにすっぽりとはまり、全体がきれいな半円型となる。トランペットとトロンボーンはその奥、外。ティンパニは半円に半分食い込む感じで。
この配列が功を奏しているのかどうかわかりませんが、全体の音がポーディアムに向かって集中していく気配があり、一点方向に向かうため大変に締まりのいい音。個々のテンションも高めやすく見える。運命凝縮演奏にはいい具合です。
テンポはそれほど動かさず強弱の濃淡で激性を高める。作為に過ぎるアンプリチュードとなる場面もあるが、これがピットから湧き出るオペラならちょうどいい具合だろう。
締まった演奏、艶の出具合もいい。エキサイティングな施しもそこそこに、品性を全体に感じさせてくれる。気品のある演奏でした。ベースサウンドは大きくならず、音場は弦バランスはそれぞれ1対1という感じかな。
4楽章提示部のリピート無し。

後半のブラームス。16型でブラス、ウィンド、ティンパニ、膨らむ。埃っぽさが少し出てきたオーケストラ。乾いた響きで時折潰れたようなところもある。大きな音で進むが聴こえるところは聴こえてくるものだ。
ジョルダンは運命同様の方針。後ろ髪を引くようなフレージングは取らずきっちりとすっと収めて次の展開に映っていく。こうゆうところも潔癖というか品があるというか。
編成は運命より大きくなっているものの、音の進行方向を一点に集中させていくスタイルは同じで横への広がりよりも一点前に進んで行く。これがプレイヤーのやる気度とうまく一致していて勢いのある演奏となっていました。気品と勢い。
コーダは4拍子から2拍子に変えてこの日唯一の急激なギアチェンジ。徐々に加速というスタイルは取りませんね。そのようなアチェルランド式な感興を演奏に求めていないのでしょうね。
ブラス、ウィンド派手なところはありません。弦とブレンドしてくれればさらにいい響きが鳴り渡っていたと思います。
王道2本、正面突破の演奏でジョルダンの主張もよく見えたし、演奏もうなるものでした。リーズナブルな価格、それにアンコール2曲、久しぶりに聴くハンガリアン舞曲の第5番、それにうきうきするポルカ。
満喫出来ました。ありがとうございました。
おわり