河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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823- ラローチャ キム 1984.7.21 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-05 11:06:58 | 音楽

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1983-1984シーズン聴いたコンサート観たオペラ全体はこちら

1984年モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

MMF

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プレ・コンサート・リサイタル

1984721()7:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタK.378

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ヴァイオリン、ヤン・ウク・キム

ピアノ、ネリン・バレット

メイン

1984721()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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J.C.バッハ/交響曲第2Op.18

  (ルチオ・シルラへの序曲)

モーツァルト/ピアノ協奏曲第21K.467

モーツァルト/ヴィオリン協奏曲第4K.218

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ベートーヴェン/交響曲第4

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ピアノ、アリシア・デ・ラローチャ

ヴァイオリン、ヤン・ウク・キム

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エドゥアルド・マータ 指揮

モーストリー・モーツァルト・オーケストラ

このフェスティヴァル、中身は意外と濃いのだが、どうも夏の音楽祭と言うとヨーロッパの素晴らしいメンバーによる豪華な演奏のことばかり浮かんできてしまって、このアメリカでやっているのはいかにも軽々しく思えてくるというのが率直な意見なのです。

たとえば、なにもラローチャが軽薄だなどと言っているのではない。(彼女のモーツァルトはいつきいても素晴らしい絶妙なタッチを持っている。) 全体として来ている人達はみんな名の知れた人ばかりで少しでも音楽通と思っている人だったら誰だって足が向くだろう。ただ、オーケストラがちょっと、、、、

オーケストラ、それもフル編成のオーケストラをよべないような夏の音楽祭などというものは意味が半減期を越えてしまったようなものなのだ。しかたなく、小編成でも可能であるところのモーツァルトのような音楽をやっているとしか思えない。これはむなしい。実にむなしい。普通のシーズン時にあれだけの技術と離れ業をやってのけるアメリカ合衆国オーケストラ集団はみんなどこへ行ってしまうのだろうか。この貧困状況はあのヨーロッパの音楽祭に比べると目もあてられないのではないか。それぞれのコンサートはそれなりに有名なソリストがひっきりなしに来るので楽しいことは楽しい。しかし、私が言っているのはアメリカの夏の音楽祭の非充実度なのであります。

他にこの時期行くものがないのでしかたなく行っているという人も多いのではないのでしょうか。国が広すぎてやることなすこと‘アメリカン’になってしまったのだろうか。‘アメリカン’を‘アメリカン’にするとさらに味は薄まり、従ってベートーヴェンの交響曲第4番のようなはちゃめちゃなアンサンブルに対しても聴衆はブラボーと叫ばざるをえなくなるのです。

といった当時の感想ですが、ラローチャの年齢を感じさせないキュートな演奏、どことなく田舎っぽいかんじがまたよく、モーツァルトをより身近に聴かせてくれてよかった。のですが、後半のベト4のオケのアンサンブルが今一つで(たぶんまとまっては、あまり練習してなかったのでしょう)前半のことが消し去られてしまった演奏会でした。

おわり

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