河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1746- 武満、吉松、リゲティ、クセナキス、井上道義、新日フィル、2015.1.29

2015-01-30 00:46:13 | コンサート・オペラ

2015年1月29日(木)7:15pm サントリー

武満徹  地平線のドリア 10′
井上トーク
吉松隆  トロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン」 24′
  トロンボーン、山本浩一郎(シアトル響プリンシパル)
(enocre)
モーツアルト  レクイエムよりトゥーバミルム  1′

Int

リゲティ  ロンターノ  12′
井上トーク
クセナキス  ノモス・ガンマ  21′

井上道義  指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


病気も治り、井上節のトークもあり、またトークのときにノモス・ガンマの過去の自分の演奏会の写真やプログラムを板に張り付けて説明したりと、一般的にわかりづらいこの種のコンサートも相応に楽しめました。

吉松の協奏曲は当初のオケ首席から変更になっていて、この山本さんと言うシアトル響の首席のかた、もしかすると変更は既定路線じゃなかったのかなと思わせるに十分な内容でした。トロンボーンの技もそうですが、自分が吹く番でないときはこの曲を口ずさむという、見方によってはこれも離れ業か。
この協奏曲はプログラムパンフの解説通りと言うか色々とわかりやすいものが出てきて飽きない。現代音楽は結構聴いているが吉松さんのはいつ何を聴いたか覚えていないぐらい。ちょっと作風がぶ厚いと言いますか、最近の若い作曲家の物言いとは違いますね。聴衆迎合ではないけれど、その聴衆たちを比較的意識した作品かと思います。聴衆がいて成り立つ芸術ですのでこれが当たり前、本来の姿と言えるかもしれませんが。

ロンターノはカンブルラン&読響を以前聴きましたが、あのようなクリアさは無く、塊のような感じ。コンセプトを感じておきましょう。
最後のノモス・ガンマは、井上トークに従い上の席に移ればよかった。自席は1階前方で、丸く配置されたプレイヤーたちのお尻を見ながら聴く感じで、また音響的な内容も期待したほどではなかった。

現代音楽物の演奏会は短いものが多く、この演奏会も同じだが、一般に現代ものは、形式と言った音楽表現要素としてなにか普遍に固定的なものがあるわけではないので概念が不明確なものが多い、その為もあって長い曲はもたないので短かくなる。それに曲ごとのプレイヤーたちの席替えにやたらと時間がかかる。
これらの演奏会デメリットを井上がトークでカバーしたのはいいことでした。
ただ、話を聴かずに曲だけに浸りたいという人もいるので、インターミッションではなく曲間に話がはいると退席するわけにもいかず、そういう人たちにとっては、デメリットの上塗りとなってしまったでしょう。難しいところではあります。
おわり


1745- ペトレンコ、辻井信行、ロイヤル・リヴァプール・フィル、2015.1.28

2015-01-29 01:14:52 | コンサート・オペラ

2015年1月28日(水)7:00pm サントリー

ショスタコーヴィッチ 祝典序曲  6′
 (創立175年記念演奏)

ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第3番 18′10′15′
  ピアノ、辻井信行
(encore)
チャイコフスキー  四季より「トロイカ」 3′
ラフマニノフ(辻井信行編曲)  パガニーニ・ラプソディ ⅩⅧ 3′

Int

ショスタコーヴィッチ  交響曲第10番 22′4′12′13′
(enocre)
ラフマニノフ  ヴォカリーズ 5′
ブラームス  ハンガリー舞曲第1番 3′

ワシリー・ペトレンコ 指揮 
ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団


昨晩に続き同じ組み合わせのコンサート。この日もいいプログラムです。
最初に、このオーケストラの創立175年記念演奏がありました。祝典序曲でまずスカッと。

辻井のラフマニノフ、毎晩毎晩、困難な曲が続きます。
ラフマニノフの3番は自分にとっても好物なので、ことあるごとに聴くことにしている。2か月ぐらい前に、及川、佐渡&東フィルの公演があったばかりです。あれも快演でした。

辻井の演奏は昨晩と同じような印象だが、オーケストラが静まる個所での心の落ち着きのようなものがよくわかった。音楽の流れを冷静にとらえて演奏していると思います。特に第3楽章の爆発前の静かな祈り、見事な運びだったと思います。この楽章は聴きごたえありました。
伴奏オケは強烈なサウンドですが、ペトレンコは丁寧にピアノとともに歩む。昨晩と同じスタンスの伴奏指揮です。この前見た佐渡は、協奏曲でもメインプログラムと同じような棒の振りで、ちょっと違うかなというところがある。ペトレンコは完全に切り分けていますね。

後半のDS10は久しぶりに聴きました。この曲は真っ暗なイメージがずっと先行していたのですけれど、ペトレンコの棒で印象が変わりました。3拍子の表現は湧き立つような趣きがある、全く弛緩せずシリアスなワルツみたいなところ面白い。もやもやしない演奏でフレーム感覚に優れているので曲が明確になり把握しやすくなる。
また、弱音記号系の主題や旋律の運び方、ショスタコーヴィッチの響きを堪能できました。魅惑的です。どうもペトレンコつぼ、ありそうですね。
最後の爆発への運動はもったいぶることなく音に語らせつつ、自然発火していく感じ。響きの饗宴は最高。
このオーケストラは割と音がでかいのですが、妙なバランスのフレーズとか出てこないので、ペトレンコが要所を締めて、ポイントははずさない、そんな感じで引っ張っているように思えます。
昨晩と本日、ともにロシアものばかり。多様な響きを楽しむことが出来ました。次回は別の作曲家の作品も楽しみたいと思います。
おわり





1744- ペトレンコ、辻井信行、ロイヤル・リヴァプール・フィル、2015.1.27

2015-01-27 23:40:47 | コンサート・オペラ

2015年1月27日(火)7:00pm サントリー

ストラヴィンスキー  火の鳥(1919年版)  20′
プロコフィエフ  ピアノ協奏曲第3番 9′9′9′
  ピアノ、辻井信行
(enocre)
ラフマニノフ  プレリュード32-12  2′
ラフマニノフ(辻井信行編曲)  パガニーニ・ラプソディⅩⅧ  2′

Int 20′

ストラヴィンスキー  春の祭典  15′+ 18′
(encore)
エルガー  朝の歌  4′
リムスキー・コルサコフ  雪姫より、道化師の踊り  3′
ブラームス  ハンガリー舞曲第1番  3′

ヴァシリー・ペトレンコ 指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィル


辻井のソロ含め3曲のプログラムだが、アンコールが前半2曲、後半3曲と大盛りの演奏会となった。

ペトレンコと辻井のコンビは息がよくあっている。演奏中だけでなく、腕組みにしてステージに向かい、終わればアンコールの為に出入りを一緒に繰り返すペトレンコ、辻井のソロアンコールのとき用のペトレンコ椅子もあり、なんというかシステムの流れが自然で、今始まったようなものではないということが本当によくわかる。また、彼の空気が支配しているわけでもなくて絶妙。お互い、それにオーケストラの皆さんも敬意をもってプレイしているのがよくわかりました。ゴールデン・コンビネーションです。

プロコフィエフの3番コンチェルトは、ガブリリュクの演奏を二日立て続けに聴いたばかり。爆な演奏でした。
辻井のスケジュールはかなり過密で才能の酷使にならなければいいなと思っていたのですが杞憂でした。彼はたぶん毎日弾いていることが栄養になりちからになり成長の糧になっている、弾くのが楽しくてしょうがない、そんな感じです。
ガヴリリュクのようにシャープな演奏とは異なり、辻井の鳴りは独特ですね。音符が一つずつ切れていくのではなくて、束になって鳴っている。分解していく感じではない。第3楽章などオーケストラともどもバリバリ腕まくり状態なのですが、グリッサンドをずっと聞いているような錯覚に陥るところもある。まぁ、ユニークです。
伴奏パートのオーケストラ部分はプロコフィエフ的な線の際立ちのある曲ですけれど、ペトレンコの棒は最初の火の鳥とがらりと変わり、抑制と節度のコントロール棒。伴奏オケのあるべき姿に従っている。ここらへんのギアチェンジ、演奏行為に対する考え方、見事だと思います。至難のコンチェルト、辻井も弾きやすかったと思いますね。終わってみると爆発曲、爆な演奏でした。
彼のアンコール仕草は、わかったわかったちょっと待って、みたいな感じで手で聴衆に向けてちょっと抑えるような動きで、それがなにかほっとさせてくれるところがあり、そのまますーっとアンコールモードになれる、安心感があります。曲も演奏も短い中に泣かせどころのツボを完全に把握し披露、見事なストーリーテーリング。

このオーケストラはCDで聴いているときと随分雰囲気が異なり、バリバリ鳴らしてくる感じ。明るくて硬質で粒立ちよく、厚みはそれほどでもなく空洞化的鳴りのところもあるが、音楽に対する熱の込め具合は、全員同じレベルの高みですね。
ということで、後半、ハルサイ第1部の終結部、猛速で飛ばすペトレンコ、最後にチューバだと思いますが音がファンブル気味に残ったが、みんなやる気度満点。
音色に潤いや艶が欲しいなと第2部の長い最初のシーンではそう思ってしまいます。ただ、弦がばらけ気味に解きほぐされて流れていく感じは相応な高性能オケ、それと地勢といいますか風土的な香りも感じさせてくれる。特色のあるサウンド構成です。
バランスは指揮者の役目、四方八方に至れり尽くせりの棒ではないが、要所を下目でしっかりと指示してくる。プレイしやすい棒だと思います。プレイヤーたちも彼のもとで演奏している心地よさが垣間見える。アンサンブルは特筆するものがあるわけではないが、オケ全体が一つのアンサンブルになっていて、音色にも方向性が出ているのだと思います。指揮者のもたらす波及効果は大きい。
ハルサイは丸みを帯びたものではなく、ギザギザと角ばっているあたりが前面に出ている。面白い演奏で楽しめました。

ペトレンコは演奏後、ポーディアムでお辞儀を繰り返すが、しなくなるとアンコールの合図、聴衆を見やり棒立ちになり、いるの?、わかったわかったみたいな感じでアンコールを繰り返す、大盛りの3曲。これらも楽しめました。
楽しい演奏会、ありがとうございました。





1743- さまよえるオランダ人 オペラパレス2015.1.25

2015-01-25 23:42:16 | コンサート・オペラ

2015年1月25日(日)2:00-5:00pm オペラパレス、新国立劇場

新国立劇場 プレゼンツ
リヴァイヴァル プロダクション

ワーグナー作曲
マティアス・フォン・シュテークマン プロダクション

さまよえるオランダ人 in 3 Acts

(in order of appearance)
1 舵手、望月哲也
2 ダーラント、ラファウ・シヴェク
3 オランダ人、トーマス・ヨハネス・マイヤー
4 ゼンタ、リカルダ・メルベート
5 マリー、竹本節子
6 エリック、ダニエル・キルヒ
新国立劇場合唱団

飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団

(duration)
Act1  overture 10′ act 43′
Int 25′
Act2+3  60′+28′ (連続演奏)


3幕仕立ては観たことがあるが、このように3幕仕立てと言いつつ、第2第3幕は連続演奏で切れ目がわからない。演出もよくわからない。
新国立のこのプロダクションはリバイバルなので自分でも観ているはずで、都度うっすらとステージのことを思い出すようなところはある。この劇場の機能性を駆使したものですが、動き自体は必然がある動きと言ったら妙な言い方ですが、思った通りにし動かない的なところがあり、やはり陳腐になりつつあるのだろう。
また、歌い手はよく揃えているにもかかわらず、さっぱりで、こちらも燃えない。あまり集中できない午後のひとときでした。肩透かしですね。


3幕仕立てかどうかにかかわらず、この日の様に序曲でいったん切って盛大な拍手がはいる舞台は他でも聴いたことがありますので、ここらへん目くじら立ててどうのこうの言うつもりは全く無し。
序曲、幕が下りたまま暗い中での演奏。前奏に演技の無いワーグナーはなんだか久しぶりに観る。遠い過去のデジャビュのような気さえする。
この序曲は指揮者独特のものですね。音価が普通の演奏とちょっと異なる。早い話、伸ばすところを伸ばさず、さっといってしまうようなところをこねる。ですので、このオペラの節(ふし)としては結構な違和感ありました。聴き慣れているものではない長さや抑揚で。これはオーケストラのせいもあるかもしれません。慣れてないような気がしました。
3階席から見るピットは完全な鮨詰め状態、ベース8本、チェロ10本は確認できましたので16型、ブラス、ウィンドも山盛り。あれで力任せに吹いたら壊れますよね。
音価レングスは相対的なものとはいえ、不正確な箇所が多く崩れ気味。練習不足と言うより、ワーグナー音楽の移植がいまだ済んでいないと思います、このオケに。
昨年のパルジファルでは見られなかった現象で、指揮者と言うよりやっぱりオーケストラの違いによるところが大きいかもしれません。

久しぶりに前奏に演技の無い演出、3幕仕立てながら2幕3幕連続演奏の意図は休憩優先か、16型(タブン)でオケピは立錐の余地無しの獅子粉塵気味、歌は当方うたた寝、オランダ人、新国立

肝心の歌ですが、これだけ揃っていながらさっぱり。ダーラント、オランダ人、声が小さくて鳴らない。二人とも二日酔いだったのかも。惰性でやっているような感じでしたよ。
ゼンタが出てきてようやく場が引き締まりました。圧倒的な声量は、男連中二人分ぐらい。これでハングオーバーから目が覚めたのか、少しずつ良くなってきましたけど、何事も最初が肝心と言いますから、オペラはよく、しり上がりと言われますけれど、だからと言って最初のポイントレベルを下げてしまっていいという話でもない。最初からきっちりお願いしますよ。
このオペラ独特の、ひゅードロン的なところがまるでない、おどろどろしさが感じられず残念。

ゼンタのメルベート、それにエリックのキルヒ、この二人の正確な歌はお見事でした。
コールでも聴衆はこの2人に盛大なブラボーと拍手でしたね。
おわり





1742- ファルスタッフ 藤原歌劇団、ゼッダ、東フィル、2015.1.24

2015-01-24 23:29:38 | コンサート・オペラ

2015年1月24日(土)3:00-6:00pm 東京文化会館

日本オペラ振興会 プレゼンツ
藤原歌劇団創立80周年記念

ヴェルディ 作曲
粟國淳 プロダクション

ファルスタッフ

(in order of appearance)
1 ファルスタッフ、バリトン、牧野正人
1 カイウス、テノール、川久保博史
1 バルドルフォ、テノール、岡崎弘毅
1 ピストーラ、バス、伊藤貴之
1 ガーター亭の亭主、黙役、江原実
1 小姓ロビン、黙役、上島春菜子
2 フォード、バリトン、堀内康雄
2 フォード家の小姓、黙役
2 フェントン、テノール、小山陽二郎
3 アリーチェ、ソプラノ、大貫裕子
3 ナンネッタ、ソプラノ、光岡暁恵
3 メグ・ページ、メッゾ、向野由美子
3 クイックリー夫人、メッゾ、森山京子
藤原歌劇団合唱部

アルベルト・ゼッダ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(approximate duration time)
Act1 scene1:17′ scene2:15′
Int 20′
Act2 scene1:24′ scene2:20′
Int 25′
Act3 scene1:18′ scene2:28′

藤原歌劇団80年にしてファルスタッフは初めてとのこと。
ヴェルディ80歳の作品を創立80年にして、87歳のゼッダが振る。経験の蓄積の放出だけでもありがたい気がする。それにしても指揮者をはじめとしてみなさん活力ありますね。

九重唱も十重唱も、重唱系はバランスよく、聴いていて気持ちよく見事に決まっておりました。折り目をつけながらきっちり持っていくあたり指揮者の功績は大きいと思いますけれど、この歌劇団の日ごろの練習の成果が出たものと言えます。
ソリストはダブルキャストで、この日のファルスタッフは牧野。ほどほどに品位と節度のみられるロールでした。オーバーアクションのないものでしたね。

キャストがドドッと出ますので、出てくる順番と言っても3束ぐらい。わかりやすいものです。ソリストはそつなく歌って、そこまで。このオペラでうならせるような歌唱はそう簡単ではない。

演出は創意工夫のあるものではありますが、演出者の意を遂げるにはもっとお金をかけないとままならないところがあると思います。意思が透けて見えてチープ感か時折見え隠れする。

第3幕のストーリー的違和感は魔女魔男の風味を前面に出すことによりかえって自分の気持ちとしては緩和された。洗濯かごのテムズ川投げが心理的な移行のシーンに一役かっていると思える。

各幕、幕間のショートブリーフ、メリハリがよくオペラ全体も先が良く見えわかりやすいもので楽しめました。

この日のスタッフ、今一つで、カーテンコールするタイミングで幕が途中で止まったり、演出陣の挨拶入場もちょっと流れが悪い。毎晩オペラやっていればこんなことは起こらない。

今回の藤原歌劇団の千円プログラムは、いろいろ工夫してありました。練習風景の写真とかたくさんいれても意味ありませんからね、学芸会の思い出づくりではないのですから。
ようやく気がついたのかもしれません。前、アンケートにだらだらそのようなことを書いて出したことがありますが、それが反映されたとは思いませんが、プロらしい内容に変わりつつあるといったところか。

この中に指揮者ゼッダの比較的長い一文があってそれは読みごたえのあるものでした。
音と言葉の完璧な均衡が実現された作品はファルスタッフだけである、と。
おわり



(詳細別途)


1741- リントゥ、ウィスペルウェイ、都響、2015.1.23

2015-01-24 13:08:30 | コンサート・オペラ

2015年1月23日(金)7:00pm サントリー

シベリウス 夜の騎行と日の出  17′

ルトスワフスキ チェロ協奏曲 26′
 チェロ、ピーター・ウィスペルウェイ
(encore)
バッハ 無伴奏チェロ組曲第2番から サラバンド 6′

Int

一柳とし  交響曲第9番ディアスポラ 13′ 13′ 10′

ハンヌ・リントゥ 指揮 東京都交響楽団


ルトスワフスキ、冒頭のレ音の繰り返し、自分のカウントでは、25回!!
ウィスペルウェイの必殺熱演!
彼は客席に向かって話しかけるようにチェロを弾く。張りつめて緩みない、緊張感がひしひしと伝わってくる。ひと時たりともプレイをないがしろにしていない。
ルトスワフスキは超難関な曲だと思いますけれど、技術をクリアしたその先に聴衆を見据えた訴えかけがある。スーパーな演奏でした。あらためてこの曲の素晴らしさを感じました。
ウィスペルウェイが最後の音を充実の満たされた響きで引き伸ばしたエンディング、彼の首がひとたび打ち震えました。圧巻の演奏。

この曲がどのような位置づけにあるのかわかりませんが、内向きで孤高の曲のように見えながら、結果的に、プレイヤーの演奏効果もはじける形になっており、ストイックながらその相乗効果は圧倒的だと思いました。

アンコールのバッハはルトスワフスキにひっかけて、レ音を繰り返すところから始めました。ユニークで自由ながら、あの曲の後のアンコールと言ったらバッハぐらいしか浮かばず、なかなか面白いものでした。とはいってもこれもヘヴィーな6分。


リントゥはお初で聴きました。
長身でクリアな棒捌き。シベリウスでのモヤモヤ感ゼロのフレーム感覚が素晴らしい。
シベリウス独特の刻みよりもモヤモヤしたところの多い曲ですけれど、オーケストラの明晰な響きの良さもあり、隅々まで光があてられた好演。
やはり、指揮者が良いと、いろいろと変わってくるものだ。

後半の一柳の最新作シンフォニー、4楽章構成という冊子説明ありますが、区切りがわからず、明確にわかるところで切ったタイミングを入れておきました。(楽章を追うごとにだんだん長くなる、と書いてありましたが)
副題の内容を色濃く落とした作品といったところでしょうか。ちょっと散らばりすぎな印象があります。どうも方向感が散り散りバラバラでしっくりこない。落ち着きが無くそわそわしているようなところはありません。これまでの筆の力が反映されているとは思います。終楽章の刻みはメシアンのトゥーランガリラの様相を呈していると思いますが。

久しぶりに、曲目プログラミング、指揮者ソリスト、演奏レベル、三拍子そろった世界最高峰の演奏会で満足しました。
日本管弦楽の名曲とその源流、このシリーズ、今回が最終回で残念、新たな企画お願いします。
おわり




1740- アゲイン!、前奏曲、パガ狂、ロマノフスキー、カセルラ3番、ノセダ、N響2015.1.22

2015-01-23 00:35:31 | コンサート・オペラ

2015年1月22日(木)7:00pm サントリー

リスト 前奏曲  16′

ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲  23′
  ピアノ、アレクサンダー・ロマノフスキー
(encore)
スクリャービン 練習曲 嬰ニ短調「悲愴」op.8-12  2′

Int

カセルラ 交響曲第3番  10′ 11′ 7′ 12′

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


今月6回目のノセダ、昨晩に続きP席で。
鬼の形相、圧倒的な演奏、フルヴェンの再来か、この前奏曲は!
まぁ、フルヴェンのブライトクランクの前奏曲の演奏はかなり生々しい疑似ステ成功例だと思いますが、あれをも忘れさせてくれるノセダ、やっぱり生演奏を聴くに越したことはない。
N響への神通力は昨晩のほうがあったかもしれない。あのハイテンション、毎晩続けるのは大変でしょう。こちらも大変。

ラフマニノフは昨晩にもまして振幅のあるもので、音楽がワクワクと湧いてくる感じ。活き活きしている。ツボにはまった、よくきまったいい演奏でした。気持ち良い。
ロマノフスキーの熱はどこらへんにあるのでしょうか、訊きたくなります。

後半のカセルラは昨晩と同じ印象ながら、吹奏楽のオリジナル曲と思えば割とすんなり聴けると思います。
ノセダはあの棒ながら、細かいところも全くないがしろにしていない。第1楽章の3拍子とか、こまめに振っています。私の愛する作品、そんな風に見えます。絶妙な棒ですね。
スタッカートの表現も目立つ。インストゥルメント全体に大きくかけたりするので、殊の外、ゴツゴツとした風に聴こえてくるところもあります。フルトヴェングラーの様に弦に集中した独特のスタッカートではありませんが、一種ここらへん、あくがあるのかもしれません。動きの良くないオケだと、満たす表現が不発になるかもしれません。

ノセダの口はあまり大きくありませんが、思いっきり開いて怒髪天を衝くようにオーケストラをドライヴしていく、そのさまは圧巻。あれだと、ついていくしかないよね。
まぁ、頭を見ているだけでもフルトヴェングラーかフリッチャイの再来ですよ。
本日もありがとうございました、満足しました。
おわり




1739- 前奏曲、パガ狂、ロマノフスキー、カセルラ3番、ノセダ、N響2015.1.21

2015-01-22 00:50:14 | コンサート・オペラ

2015年1月21日(水)7:00pm サントリー

リスト 前奏曲  15′

ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲  23′
  ピアノ、アレクサンダー・ロマノフスキー
(encore)
ショパン 革命  3′

Int

カセルラ 交響曲第3番  10′ 11′ 7′ 12′

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


早いもので今月ノセダ5回目。
サントリーのP席から見るノセダのリスト。この前奏曲は圧倒的だ。無く子も黙る鬼の形相、もの凄い棒だ。ザラザラと生々しくも切込みが深い。乾いた妖しいリストサウンドが圧倒的にホールに広がる。一拍半遅れのN響は吐息までぴったりと合っている。
何よりもすごいのは音のうねり、細かいフレーズ単位までグワッグワッと強弱が自然について、それが収束して全体が一つの個体の様に動く。絶演です。
このポジションから見るロボコップのようなノセダ棒、一回は観ておいてほしい、一生ものですね。
リストの前奏曲を全てCD化しているノセダですので十八番だとは思いましたが、圧倒的スケール感でこの曲がやたらと巨大化して見えてきた。後ろ姿が上背も含めフルトヴェングラーによく似ているノセダですが、そのフルヴェンのスーパー演奏の前奏曲に迫る、勝るとも劣らない、ウルトラハイテンション。音が生き生きとして、ギスギスと機能的にならず、響きを醸し出すまでの余裕の空白。ああ、なんて素晴らしい演奏。

後半のカセルラ、これもノセダが得意にしているもの。以前、別番号のシンフォニーを同じ組み合わせでやったのを聴いたことがあります。
個人的には好印象の曲です。誰かほかの作曲家の作風真似るといった話ではなく、時代様式とか交響曲としての形式、モードに忠実になればあのような各楽章におけるリズムや響きになるのだと思います。妙なこだわりとか局部の肥大化が無い、あえて言えばシンフォニーのツールや素材に力点を置いた作品のような気がします。聴くほうもあまりポイントを絞らず、時代のシンフォニーを聴く感じでいいと思いましたね。
ノセダ好物のカセルラ、小型スコア見まくりの棒でした。

ラフマニノフのロマノフスキー、
肩の力が抜けていて滑るように流れる。肩がバリバリのノセダとは見た目がだいぶ異なる。協奏曲の場合、音楽の方向性はどうかと言った部分はあまり燃えない話、ノセダは伴奏に集中。
例えば、佐渡さんの棒を見ていると協奏曲もご本人のメインディッシュも同じ具合の振りなのですが、こういった来日系の有名どころの人たちって、コンチェルトでの棒はかなり抑えているというか、ソリストがどうすれば弾きやすくなるのかといったあたりのことをソリストの立場になって考えて、アクションしている。その違いはあるかな。
だから、協奏の場合、指揮者とソリストの芸風の違いといった観点での話は第一義的なものではないと思う。息が合う合わないというのは出てくるとは思いますが、そうゆうことは承知でコンビネーションしているわけですし。

ロマノフスキーは肩に力が入らずリラックス、端正な雰囲気。ときおり、パソコンのエンターキーでも叩くような感じで右腕左腕をポーンポーンと大きく上にあげる仕草。快適に弾いていく、曲想毎の沈み込みやナイーヴな感じ、スタッカート。いろいろ自在な出し入れ。テンポは相応な動きに抑えていると思います。現代にマッチした、その渦中のモードを敏感に感じて演奏に自然にそのようなことが反映されていくのでしょう。
アンコールにも端的に表れていました。美しいものですね。

素晴らしい一夜でした。ありがとうございました。
おわり


1738- シューマンpf協、仲道郁代、田園、阪哲朗、東フィル2015.1.18

2015-01-18 22:41:05 | 全ログ

2015年1月18日(日)3:00pm オーチャードホール

シューマン ピアノ協奏曲 15′6′10′
  ピアノ、仲道郁代

Int

ベートーヴェン 交響曲第6番 田園 10′12′5′4′10′

哲朗 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


この前の13日に続き阪さんの演奏会へ。
田園が終わったところで、「うりゃー」というフライングの奇声がありましたが、新種でしょうか。本当にクラシックの演奏会に来る人たちって狂ってる人が多いと思います。自戒を込めて。

先週に引き続き、これ以上ないオーソドックスなプログラム。

このホールは3階のほうが良い響きを感じ取れるという人が多く、納得できるもの。ゆらゆら揺れ動くベースサウンドなどこれ以上ない迫力ですよ。
なにゆえのあの天井の高さなのだろうという不思議な作りで、中空にベストサウンドポジションがあるのかもしれない。設計者の徒労は我々への迷惑。そんなところか。

ブロードウェイのミュージックホールの形をそのまま大きくしたような作りで、案の定、ショーだとなかなか雰囲気でます。中空で見るわけにもいかないのですが2階3階はいいと思います。
また、オペラだとオケがピットにはいりますので、音が上に飛びそのまま下に降り注ぐので、そうゆう出し物では1階もいいですね。

仲道さんのピアノは本当に久しぶりに観ました。手がガリガリで大きい。先天的にピアニストのツールを備えているというところですね。
シューマンは鳴りがあまりよくない曲が多く、これもご多分に漏れずそうだとおもいますが、だからといって無理にキラキラさせるような作為は無く、むしろ指揮者ともども、その森の中に入っていって、そのなかで腕試し。といいますか、これが本道だ、どうだ。と言う感じ。正面突破の演奏ですね。
これでうならせてくれるわけですから、期待以上のうれしい内容となりました。また、繊細肌もありそうでデリケートでナイーブな一面も聴かせてくれました。素敵なコンチェルトでしたね。

後半の田園、これも指揮者による正面突破。前週はだらりとした左腕が気になりましたが、この日はそのようなところもなく、独特な指揮姿、両腕で振っておりました。
弦に厚みを持たせそれ中心に鳴らし切る演奏です。迫力あります。

レパートリーの核を聴いているわけですが、他日は興味深いプログラミングもあったのを記憶しております。(うかがえませんでしたが)
核プログラムでの正面突破の内容の良さを理解できました。次回が楽しみです。
ありがとうございました。
おわり



1737- キーテジ、プロコvn協2、エーネス、展覧会の絵、ノセダ、N響2015.1.17

2015-01-17 20:49:39 | コンサート・オペラ

2015年1月17日(土)3:00pm NHKホール

リムスキー・コルサコフ 組曲「見えない町キーテジの物語」 4′7′11′

プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番  10′9′6′
 ヴァイオリン、ジェームズ・エーネス
(encore)
バッハ 無伴奏ソナタ第3番ハ長調BWV 1005 より第4楽章 3′

Int

ムソルグスキー(ラヴェル編曲) 展覧会の絵 33′

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


前日に続き日参。
今日のキーテジは昨晩とうって変わって良く流れました。作品の良さが全面に出ました。タイミングは2分ぐらい短くなり、もう、時計なんか見なくてもよくわかる。
プレイヤーともども前の日の反省を踏まえての演奏と言うことになろうかと思います。
リムコルのやや乾き気味の白っぽい音色、スポット的とはいえ描写にすぐれていてシーンが浮かぶ。前半こそムソルグスキーのボリスやホヴァンチナが少し聞こえてきますけれど、進んでいくと、ねじり菓子風の音符のあやと響き。
流れと掘り下げがうまくバランスしたいい演奏でした。

展覧会の絵のサックス、昨日は丁寧すぎるというか慎重すぎて、結果音楽をころしていたところがありました。流れていませんでしたからね。それが今日は肩の力が抜けてリラックスしているのがよくわかる、音楽の流れを止めない良いプレイでしたね。

コンチェルトのエーネスの印象は昨晩と同じです。昇給したサラリーマンみたいなきっちりしたなりです。
おわり



1736- キーテジ、プロコvn協2、エーネス、展覧会の絵、ノセダ、N響2015.1.16

2015-01-17 19:51:22 | コンサート・オペラ

2015年1月16日(金)7:00pm NHKホール

リムスキー・コルサコフ 組曲「見えない町キーテジの物語」 24′

プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番  10′9′6′
 ヴァイオリン、ジェームズ・エーネス
(encore)
バッハ 無伴奏ソナタ第3番ハ長調BWV 1005 より第4楽章 3′

Int

ムソルグスキー(ラヴェル編曲) 展覧会の絵 33′

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


先週に続きこれで、ノセダ今年3回目。
ノセダ&N響は1月度3週連続6回続くわけですが、ともに前半にソリストを立てております。そしてその協奏曲の前に1曲必ず付けてまして、企画としてはいいものですね。

とはいえ、本日期待をこめていったキーテジが今一つ不発と言いますか、流れない。流れないとこの曲は厳しいかもしれない。組曲といっても結構な長さで、それが堰止湖みたいな演奏になってしまうとは、早い話、のってこない演奏で、このモードが後半の展覧会まで引きずられていた。これだと、イタオペのロール不発のときの雰囲気に似てなくもない。

後半の展覧会もピッチが不安定な箇所少々あり。ベースの解像度はお見事と言うほかないのだが、全体としてはふらつき気味。

先週のステージは離れ最前列を取り払って前スペースを大きくしたもので響き全体が相応に前に向かってきたのですが、今週は昔と同じような元の木阿弥状態。
ただ、先週のステージも席を潰しておきながらその、前スペースがやたらと広くて、オーケストラのポジション自体は今日とあまり変わらずといったところで、結局のノセダの意向などではなく、N響とか局側や放送の都合で自由に決めているだけかもしれない。
座席つぶしでオケを前に出すやり方は音質改善になっていると思いますので、継続してほしいところではあります。でかいんだから席少しぐらい減らしてもいいと思いますよ、ついでに2階両翼奥は縦蓋をして閉じてほしいものです。

エーネスは柔らかくて暖かい音色で、鋭さが先に立つものでは無い。デリケートな感じでプロコフィエフのような鋭角の細線で際どさを重ねていくものとは方向感が必ずしも一致を見ているわけではないと思いました。だからといって良い悪いがどうだというはなしではありません。プロコフィエフに温かなぬくもりを。技術を誇示しない。自分流をデフォで貫いていけばその部分は余計なことを考えずに済むし、作品の内面に光をあてて思索を聴衆も、より味わうことが出来るようになる。これはこれでいいことですね。
一瞬のインパクトより持続の美。
おわり



1735- 川島、シュネーベル、カーゲル、下野竜也、都響2015.1.15

2015-01-16 00:58:53 | コンサート・オペラ

2015年1月15日(木)7:00pm 東京文化会館

川島素晴 室内管弦楽のためのエチュード
 (New complete ver. , world premiere)
 Pre-Bridge   5′
  Cool!(KTR-Hocket)  3′
  Spring  6′
  River  5′
  Vivace  4′
  U-Zoo Potpourri 5′

Int

シュネーベル  シューベルト・ファンタジー (japan premiere)  24′
カーゲル  ブロークン・コード (japan premiere)  24′

下野竜也 指揮 東京都交響楽団


川島のエチュードは、それぞれ副題があり、内容もわかりやすい説明のあるピースの陳列。引用の山でわかりやすい。
ちょっと技が先行しているような気がしましたがエチュードという話を素直に受け取れば相応な面白さ。
この発想ならどこまでも作っていけそうな気がします。ただ、ピース数を増やすとそれぞれの連関が薄くなり、陳列が羅列になってしまうかもしれませんのでこの辺で折り合いをつけるのもよいかと思います。
場所に因んでしまうようなところがあるので、どこで演奏すればいいのか迷うところもあるかと思いますが、これからいろいろなところで取り上げられてもよいような気がします。全部まとめてですよ。企画がものをいうでしょう。
約30分、冗長になることなく楽しめました。

後半のシュネーベル、これも引用ピース。冊子の解説では、歴史批判としての作品、みたいな書き具合ですが、引用と編曲のスタンスの違いを、何が良くなくて、何が批判の対象か、といったあたり文章としては、掘り下げた内容が欲しいと思います。
音楽は、例えばコリリアーノの引用音楽などよりももっとストレート。シューベルトの幻想の通りですが、雰囲気はツェンダー編曲の冬の旅とか、モーツァルトのフリーメーソンの葬送音楽のような感じあります。
音色旋律風味で進行、密度が濃い音楽と思いました。

カーゲルは、ちょっとタイトルに引きずられているかな、よくわからなかった。

以上3曲、現代ものにしてはそれぞれのピースが比較的長いけれども、興味深く聴くことが出来ました。
ありがとうございました。



1734- ドヴォチェロコン、堤剛、ベト7、阪哲朗、東フィル2015.1.13

2015-01-14 00:58:19 | コンサート・オペラ

2015年1月13日(火)7:00pm サントリー

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 17′13′13′
  チェロ、堤剛
(enocre)
バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009よりブーレ 5′

Int

ベートーヴェン 交響曲第7番 16′7′8′8′(1mvt提示部リピートあり)

阪哲朗 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


この指揮者を見るのは20年ぶりぐらいです。その時はN響を振ったのですが、新人で何とかの賞を取った後だったとはいえ、秋のシーズン初日に持ってくる指揮者ではなく、内容的にも散々だったのでよく覚えております。
それがこうやって容姿も指揮ぶりも内容もまるで変ってしまった姿を見るにつけ、並大抵の努力ではなかったのだろうと推測するのを押しとどめるのは何もない。

誰の棒にも似ていないインディーズ系の振り姿は、なぜか右腕メイン。左手はぶら下がったまま時折動くだけ。リハーサルでやりつくしたことを本番でうまく出ていると感じているからでしょうか。まぁ、余裕の棒で、変われば変わるものですね。激変です。
それから、日本人の他の指揮者にやたらみられるような、ニヤケ笑がほぼ無い。その指揮は好感もてますね。ストイックな感じはあまりありませんが集中していく姿はいいものです。
オケピットでだいぶ鍛えられたこの20年だったように感じられました。オペラで経験積むと恐いものが無くなるんですねきっと。

オーケストラ全体をかなり前に配置。ギリギリ指揮台があって、コンマスに届きそうな感じ。ひな壇の最後壇は空いている。手前は混雑気味。凝縮した面白い配置でサウンドも密になっている。
収録マイクもなんだかとっても多い。可視で宙吊り13本、床上4本。チェロ用1本。

プログラムはオーソドックスなもの。
後半のベートーヴェンは奇を衒うことの全くない王道の棒。やりつくされた曲を王道の解釈でできてはじめていろいろな表現にトライしたときに説得力をもつのです。それがわからずいじくりまわせば変態の解釈となります。少なからずそういう指揮者はおります。数をたくさん聴いている聴衆は見透かしていますよきっと。
ということで、阪さんの棒はそのような軽薄なものではないということがよくわかりました。
トランペットのアタックの決まり具合が印象に残りました。それから森のような弦の響きに、自ら森の中に入りつつ鬱蒼とした中で光が上から直線的に舞い降り、聴衆に音の森林浴をさせてくれた、見事な演奏であったと思います。
おわり



1733- アゲイン!、プロコフィエフpf協3、ガヴリリュク、運命、ノセダ、N響、2015.1.11

2015-01-11 20:30:16 | コンサート・オペラ

2015年1月11日(日) 3:00pm NHKホール

フォーレ 組曲「ペレアスとメリザンド」5′3′5′3′

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 10′10′10′
  ピアノ、アレクサンダー・ガヴリリュク
(enocre)
ショパン 夜想曲 変二長調op.27-2  6′

Int

ベートーヴェン 交響曲第5番 6′9′5′10′

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


同プロの二日目。
ガヴリリュクは両手で超高速そろばんでもしているように見えてきた。縦の切れ味の鋭さと、身体全体を使ったダイナミックなフレージングが見事に両立している。それで指揮者ともども草木をなぎ倒すような猛烈な演奏。物凄い。圧巻。
作品、指揮者、ピアニスト、ベストマッチです。伴奏オケは、もちろん煽られっぱなしではありません、必死に食らいついていく。死闘です。
これだからやめられない。

ノセダの棒に対するオケの出力ポイントは見た目、1拍半ほど遅れているのですが、よく見るとたぶん、その時々の一番動きのある音符、細かい音符のパートを克明に振っているような気がします。運命のようなビートのきいた曲だとよくわかります。
また、足のステップと出てくる音のタイミングが完全にずれているので曲に踊らされながら振っているのではないというのもよくわかります。
運命の最後の音終わって、まず、譜面台の小型スコアにノセダのチュッ。

ノセダは見た目、ロボコップですが真後ろから見るとフルトヴェングラーに似てなくもない。長身ですからあのような動きが決まるんですね。
ノセダの指揮風貌は身長も含めフルトヴェングラー、芸風はトスカニーニ。

フォーレは棒無しの準備体操。
今日も素晴らしい演奏ありがとうございました。
おわり



1732- プロコフィエフpf協3、ガヴリリュク、運命、ノセダ、N響、2015.1.10

2015-01-11 20:21:20 | コンサート・オペラ

2015年1月10日(土)6:00pm NHKホール


フォーレ 組曲「ペレアスとメリザンド」5′2′5′4′

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 10′10′10′
  ピアノ、アレクサンダー・ガヴリリュク
(enocre)
ショパン 12の練習曲op.25から第7曲嬰ハ短調 5′

Int

ベートーヴェン 交響曲第5番 6′9′5′10′

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


見た目はロボコップ、芸風はトスカニーニ。
そんな感じがぴったりのノセダの風を切る顔つきと凄まじい演奏。
ノセダの演奏会やCDは結構な数をこなしています。昔はジャンプはかなり上まで到達しましたが、今でも激しいとはいえ、だいぶ低くなりました。棒は相変わらずの卓球で言うところのフォアのロングを一人でやっている感じ。タイミングはゲルギエフと似たりよったりで、ボーと見ていると、なんでこんなにずれて音が出てくるのかな、1拍半遅れだよね、となってしまう。ゲルギエフと会う前からあのような棒だったと思います。

プログラム後半の運命は激しい猛速で草木をなぎ倒すような演奏でした。第3楽章の冒頭、やり直しがありました、ベースの入りが決まらなかったのですかね。妙な3拍子とあの棒ですから、N響は何度もノセダと共演しているが克服するにはもっと回数を重ねるべきなのかもしれない。
冒頭の運命の扉叩きの4個目の伸ばし音、ノセダのタイミングだとあの音、2回振る。1回目は腕で、2回目は両肩で、そこで初めて音が出てくる。あの呼吸ですね。N響だとしっくり決まるところは決まる。

いずれにしても最初から最後まで激しい音楽が鳴り響きました。彼の振るイタオペは引き締まったものではあるのですが、この日の運命のような過激なものではないと思います。圧巻の演奏でした。イタリアの猛士ですね。
終楽章提示部繰り返しあり。

前半のガヴリリュク、お初で聴きました。1984年生まれとあるからまだ30歳といいつつ、激しく活躍しているようです。プレイは激しいというより切れ味鋭い。あまりにも鋭いので激しく見えてくるといったところか。
プロコフィエフ作品独特の線の細さや奇妙な動きがガラス張りのようなタッチで弾き込まれていく様は圧巻ですね。オケ伴奏がどんどん押していって、しまいにはオケが先かピアノが先かの状態になる、ノセダも煽る煽る。このように音楽におけるヒート感やカタルシス的なもの、生まれるべくして生まれる、音楽の再生というより生成、創造、生き生きとしている。このようなものを求めている自分。本当に満足の一夜でした。
ピアノであれなんであれリサイタルにはほぼ出かけないのですが、ちょっと行ってみようかなという気になりました。

最初のフォーレ、ノセダのフォーレ。なんでこの選曲なのだろうと思いながら少しうたた寝。

おわり