すいません。
華金になるとブログメインテーマのクラシック音楽系の内容から、それて、しまって。
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今日のブログで、銀座のぼったくりをアップしました。
それで、「ぼったくり」でいろいろとぐぐってみたら圧倒的に多いのが、例のローマ「イル・パセット」の日本人ぼったくり被害、お昼二人で9万4千円というやつですね。
レシートの写真付きのブログを発見しました。
これからは明細付きのレシートを必ずもらうよう、心がけたいと思いました。
↓
すいません。
華金になるとブログメインテーマのクラシック音楽系の内容から、それて、しまって。
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今日のブログで、銀座のぼったくりをアップしました。
それで、「ぼったくり」でいろいろとぐぐってみたら圧倒的に多いのが、例のローマ「イル・パセット」の日本人ぼったくり被害、お昼二人で9万4千円というやつですね。
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これからは明細付きのレシートを必ずもらうよう、心がけたいと思いました。
↓
先週の華金に銀座のここに行き当たりばったりで入ったのですが、久しぶりに×にあたってしまいました。二人とも頭にきたので、つい、食べログに書いてしまいました。
でも、修正のお願いがきてしまい変更を余儀無くされました。
今はこんな感じで載っていますが、以下がオリジナルです。
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最近二人で行きました。
予約していた店がいっぱい(?)で、行き当りばったりで入ってしまいました。
合計22,000円ほど取られました。
絶対金額はそうでもありませんが、途中でやめて退散して正解でした。
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・生ビール(サッポロエビス) 840円×2
・一番安いお酒一合(剣菱) 1,050円×2
・小ポーション(一口サイズ)の富山産岩かき
1,900円×2
・山形産アスパラガス
(長さ3センチが4切れ。感動!) 1,200円×1
・お刺身盛合せ 時価
(小さじ2さじ量のなめろう、極小はも切れはし、
2センチ四方の硬くて噛めないあわび5切れほど、
イカ?など、)
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さすが銀座です。反省もたくさんさせていただきました。
お酒が割高な店は感心しないとはわかってはいたものの、リサーチせず入ったのが間違いのもと。
でてくるものがとにかく小さい。量が少ない。
カウンターがあるが料理人の見えない間取り。
逆算してわかる「お刺身の盛合せ」の額を考えると気持ち悪くなる。
素人注文とは知りつつ。反省反省。
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ということで、支払いが2万2千円と書いたのが、食べログの規定に引っ掛かりました。
「合計22,000円ほど取られました。
絶対金額はそうでもありませんが、途中でやめて退散して正解でした。」
という文章を削除したら食べログOKでました。
引っ掛かったガイドラインは、
「5. お店への個人的なクレーム、及びトラブル、支払いに関する内容はご遠慮ください。」
です。合計金額を書いたのがまずかったみたいです。
食べログだと評価している子もいるようですが自分では支払っていないでしょう。お金を払ってわかるその価値。
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それで完全口直しで、やけ食いなら、ということで、2軒目は板前寿司に寄りました。
ここは昔も鮨屋だったのですが、大衆寿司屋に様変わりしました。
バク食いで、二人で1万2千円。口直し的には満足しましたが、冷静になって内容を考えるとそんなに安くはなかったような気もします。でも、朝4時までやっているようなので、やけ食いねらいにはいいかも。
それで、3軒目は夜中でも人の出入りに切れ目のない某店で。河童は深夜に弱いので寝てましたけど。。
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1977年に聴いたコンサートより
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1977年9月22日(木)19:00
東京文化会館
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武満徹/グリーン
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プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第2番
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ラヴェル/道化師の朝の歌
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ラヴェル/ダフニスとクロエ、第2組曲
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ピアノ、野島稔
井上道義 指揮 日本フィル
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当時の感想はというと。
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日フィルはやっぱりうまかったのかなぁ。グリーンはいい曲に違いないのだろうが。。
後ろの席で、海賊盤でも作ろうとしているのか、中年はげおやじが、ひたすらラジカセで録音している。非常に不愉快になったので、あとで係りに言いつけて死刑にさせた。(死刑はテープ)
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非常に指揮がいい。体型もスリムで軽い感じ。蝶が舞っているようだ。その羽の先から音が出てくるようだ。
プロコフィエフの第2番ははじめて聴いた。面白い曲。
日フィルに足りないのは音色だ。
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といった感想でした。
当時も隠し撮り(音だけ)をする聴衆がいた。大きめの紙袋にいれて持ち歩いているけれどでかいラジカセで、また機械音もあるのですぐに発覚する。録音はだめですといったアナウンスがあったかどうか記憶にないが、罪悪感に苛まされながら録音していたようなので、たぶんあっただろう。
32年後の今、ライブ録音の発掘が盛んだが、発掘したもの全てが、筆舌に尽くしがたい名演、みたいなキャッチコピーのもと売られているのはどうかと思う。名演奏なんてそんなにはなかった。骨董品的価値を求めようとしているのかもしれないが、録音というのは物品と性格が異なる。骨董的価値があるのは、初めて世に出た一本だけ。あとはコピーの山を聴くことになる。それも名演であればいいが。。
まだ髪の毛があった井上の棒は、というより体は軽く漂う感じ。余計な肉が付いていないというのはいいことだ。思いっきり棒を振れるし、普通に健康であれば早死にもしない。現在も似たような体型で軽やかに振り続けている。
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1977年の聴いたコンサートより書いてます。
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1977年9月21日(水)19:00
郵便貯金ホール
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モーツァルト/歌劇「後宮よりの逃走」序曲
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ハイドン/チェロ協奏曲ハ長調
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ベルリオーズ/幻想交響曲
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チェロ、山崎伸子
尾高忠明 指揮 東京フィル
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この日のことはよく覚えている。頭にきたためかプログラムもどこかにいってしまいアップすることができない。たぶん、捨てたんだと思う。
幻想の第3楽章のイングリッシュ・ホルンがひどい出来で、聴いているほうが火の出るような思いをするぐらい恥ずかしい演奏で、トラブルによる代役だったのかどうかしらないが、あのような演奏(と呼べるかどうかも疑わしい)には後にも先にも遭遇したことはない。周りの聴衆もざわついていた。一番火を吹いていたのはプレイヤーだったと思うのだが、演奏後、指を差しスタンディングをさせる尾高の神経を疑った。さらし首でもしたかったのかしら。
ということで当時の感想はひどいの一語に尽きるのだが。。
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チェロはうまくてよかったけれど、一所懸命弾けば弾くほど、なんだか悲しさを感じた。生活のためのプレイを感じるのだ。お金を払わせる必然性が欲しい。
それにしてもひどいオーケストラだ!!
これを何と言いあらわしたら良いのだろうか。田舎の学芸会の発表会という感じ。東京は人が多いから何とかなりそうな人どもを何とかかんとか集めることができるのだろう。このオーケストラ聴くのもうやめよう。
このごろの傾向でラッパも派手に鳴らすが、これじゃいけないとわかっていながら鳴らさなければいけない日本人のフラストレーションを感じる。
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以上のような感想。あまりの罵詈雑言がひどく文章を少し変えた。
今じゃ、もちろん、東フィルは安心して聴けるし、オペラはこの団体が絶対必要なのはわかっている。でもこの日の演奏はひどかったね。どさまわりっていう感じで、聴くほうとしてもこのような演奏などを聴くにつけ、だんだんとコンサートを選択するようになってきた。オーケストラ団体の腕は団体としては聴く前にある程度分かってしまうわけで、よっぽど聴きたい曲とか著名な棒振りとかいい餌がないと、‘聴く前選択’もあながち間違っているわけでもない、となってしまうのだろう。
今、東フィルの演奏会、オペラもちろん、いってます。
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1977年9月14日(水) 6:45pm NHKホール
シチェドリン(ビゼー原曲) 舞踏音楽「カルメン」組曲
バルトーク/ピアノ協奏曲第3番
ピアノ、ディジェー・ラーンキ
バルトーク/舞踏組曲
外山雄三 指揮 NHK交響楽団
カルメンはユニークで非常に面白かった。
ラーンキは悲しい音を出す人だ。第2楽章はほとんどバッハのように響いた。しかし、緩徐楽章におけるただ1度のミスタッチが全体にこれほど影響を与えるとは!なんというバルトークの音楽。
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といったごく短めの感想だった。
当時は今風なカラオケなるものはなく、スナックで電光掲示板のようなものがあって曲に合わせて歌うと点数が出てくるような装置はあった。崩して歌わなければピッチは多少ずれていても比較的高得点がとれたと記憶する。今はスナックにはいかなくなってしまったが、バーにはよく行く。人生あまり変わらないのかもしれない。
それでシチェドリンのカルメンの曲を編曲した組曲だが、茶化しているような部分があって、カラオケ風に伴奏だけになり主旋律がなくなる個所がある。今ではこの曲はCDで聴こうと思えば楽に手に入ると思うが、当時、こんな曲があることすら知らなかった。面白かった。
ラーンキのミスタッチは今思うと河童の勘違いかもしれない。あまりに清らかな音楽が流れている緩徐楽章で突然不協和音のような響きがあったので、吃驚してしまいそう思っただけのことかもしれない。つまり曲をよく知っていなかった。
最後の舞踏組曲は渋くてあまり聴き映えのしない曲だが、でもこの演奏のことは割とよく覚えている。N響の安定感ある響きが、棒の外山の体型となんだかよく似ており、落ち着いたバルトークを聴くことができた。
おわり
少し前に、ムラヴィンスキーのSACDが出たので買ってみた。
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シューベルト/未完成
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チャイコフスキー/交響曲第4番
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エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィル
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1959年4月24日
モスクワ音楽院大ホール
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PRAGA PRD/DSD350 053
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DSD SACD Bi-channel STEREO
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1959年のモスクワにおけるライブということになるのだろうが、録音状態が非常に良い。SACDということもあるとは思うが、オリジナルの状態が極めて良好なのだろう。また、聴衆の雑音も皆無だ。
いずれにしろ1959年の録音とはとても思えない。
PRAGAの録音によるムラヴィンスキーのCDは4枚セットもの含め、少し持っているが、デッドな音ながら録音は概ね良好。ものにより強奏部分で少し歪むというか鳴りきらない録音もあるが、どちらかというと儲けもの的な感じだったが、このSACDはいろいろな側面がよく見える。
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今日は未完成の話だけ。
レニングラード・フィルの技術は圧倒的で、余裕の音作りだが、決してだれることない芯の強い運びが強靭な音楽を生んでいる。ムラヴィンスキーの力によるものと言ってしまえばそれまでだが、両者の高レベルでの理解がこのような結果をもたらしている。
艶やかに太い高弦、憂いを含んだ中声部、強靭なコントラバス、魅力的な弦の技、音色。ウィンドの一本技の妙技も聴きごたえ十分。ブラスを抑えているのはムラヴィンスキーの感覚。
ムラヴィンスキーの独特の解釈はいたるところにある。角ばらない滑らかなフレーズ、主題のあたまをアクセントで叩きつけることを極力排した、それでいて、カラヤンなどとは全く異なる透徹した、澄み切った、自分の力だけでここまで持ってきたという自力の解釈。伝統は自ら作るものと言っているように聴こえる。
この当時から、またその後もっと強調されることになる第2楽章の練習番号Eからの背筋ゾクゾク解釈もすでに確立されている。ここのバーはスコア上はfふたつ。フォルテッシモの開始のはず。しかし、ムラヴィンスキーはどう始めるかというと。。
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河童ライブラリーにムラヴィンスキーの未完成はあまり多くない。発掘物とあるわりには再発っぽいのもあったりする。ダブりなど結構ある。
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シューベルト/未完成
ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル
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・1983.11.20ミンクス1992.9.6FM
・〃 VIDEO TRITON DMEC-18003
・1983.11.19ミンクス 練習風景
VIDEO TRITON DMEC-18006
・1978.4.30レニングラードBMG BVVX-4002
・1978 AUDIOPHILE APL101.508
・1978レニングラード ARTIST FED043
・1977.10.12東京文化会館KING ALT053
・1959.4.24モスクワ PRAGA 350 053
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ムラヴィンスキー関連記事
347- 演奏は曲を超えた ムラヴィンスキー シベリウス 交響曲第7番 (再掲)
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若杉さんの棒では数多観たり聴いたりしてきた。
でも、一番印象に残っているのは、昔NHKホールのロビーでまだ平気で煙草が吸えた頃、どこかの演奏団体の公演を観に来ていて、休憩時間に、例の斜め上を見上げるような姿勢で煙草をふかす孤高の姿だ。
若杉さんの吸う姿は、自然で結構決まっていた。棒を振っているときの斜め上方向き、目はさらに上を見据えた、あの感じとおんなじだ。
大曲、新曲、現代もの、難関もの、きわどい曲を数々振って、我々聴衆に音楽の振幅の大きさ、レンジの広がりを示してくれたものだ。
演奏の集中性や演奏会の連続性に関しては、バレンボイムなどの逆をいくスタイルで、ときとして薄いシルクを感じさせたりしてくれた。振る曲が大曲が多い割には妙なインパクトを排した、はじめて聴く曲をまるですでにそこにあったかのようにさりげなく聴かせてくれたものだ。その点では日本人的繊細さそして淡さみたいなものを実感をもって意識して聴かせてくれた、聴かせるべくして聴かせてくれた。
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このブログでは河童が実際に聴いたコンサートや観たオペラのことを書いている。ブログの左側に各シーズン、各年毎に区切ってリンクを張り貼っている。若杉さんの演奏会やオペラもいろいろと書いているが、まだアップ年次が少なく、これからいろいろとアップすることになる。
個人的に若杉さんを知っているわけではないが、演奏会に多く接してきているうちにまるで音楽で語り合っているような、そんな錯覚に陥らせてくれる人だった。
音は出た瞬間から過去のものとなるが音楽はその流れを自ら創り出し連続性を生むことにより一つの個体として心の中に刻みこまれる。だから若杉さんの創り出した音楽の流れも過去のものとならず連続した有機体として宇宙のどこかにいまだそしてこれからも漂い続けることだろう。
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1977年に聴いたコンサートより書いてます。
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1977年9月7日(水)18:45
NHKホール
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ウェーバー/歌劇「リューベツァール」序曲
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シベリウス/ヴァイオリン協奏曲
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ショスタコーヴィッチ/交響曲第10番
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ヴァイオリン、潮田益子
外山雄三 指揮 NHK交響楽団
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ヴァイオリンの潮田は独奏部分の音が少し荒かった。
ショスタコーヴィッチのこのような曲を聴くとN響の実力のほどがよくわかる。日本ではほかのオーケストラは問題にならないだろう。
トリッキーな部分をそなえた重い曲だが万全。
最初に置いたウェーバーは正攻法のN響にあっている。このような曲はこのような鳴りで聴きたいものだ。
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といった当時の感想。
外山&N響のコンビはこの月3回聴いたが、この日の潮田、その次のラーンキ、そのまた次のロジェ。3回続けてソリストつきのコンサート。ラーンキとロジェについてはこのあとのブログで。
1977年聴いたコンサートから書いてます。
今日はコンサートではなく映画。
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1977年9月3日(土)15:00
日比谷公会堂
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映画「人間ベートーヴェン」
20のエピソードでつづる楽聖のある日々
(1813~1819年)
日本語スーパーつきカラー(1時間50分)
日本語版監修 属 啓成
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同時上演
カラヤン/ベルリンフィル
ベートーヴェン/交響曲第9番「歓喜の合唱」
(カラー25分)
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なんだかとっても懐かしいですね。この映画は当時新作。また、カラヤンが映像に凝っているころでもあり抱き合わせ上演なのかしら。
今なら両方とも映画館で上映することはまずない。どちらもDVDですね。観たければ。。
プログラムの下のほうに、
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ニラサワフィルム/
ドリームライフ・コーポレーション/
ミリオンコンサート
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と書いてある。
ニラサワ・フィルムとあるので、ドリームライフというのは今のレーベルのドリームライフのことだと思われるが、このような上映を昔からやっていたわけでたいしたもんだ。
昨今の演奏家の映像は今なら簡単に手に入るが、昔は困難でそんなとき字幕付きで(クラシックを)やっていたわけだから。
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当時の感想をひもとくと、といっても感想はなく、ただ、ラストシーンで、ベートーヴェンが、たしか、現代の交通量の多くなった道路のなかを、馬車に積んだ所帯道具を後ろから眺めながら歩く姿が印象に残っている。
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1977年聴いたコンサートより ●
1977年9月2日(金)18:30
東京文化会館
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ヴェルディ/運命の力、序曲
三善晃/ヴァイオリン協奏曲
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チャイコフスキー/交響曲第5番
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ヴァイオリン、石川静
渡辺暁雄 指揮 東京都交響楽団
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この演奏会のことはあまり記憶にない。三善晃のヴァイオリン協奏曲のことも覚えていない。1965年NHK委嘱作品とある。
ヴァイオリンの石川静は度胸があるようにみえ、知らない曲にも聴くほうに安心感を与える。その後この曲がどうなったかは知らない。もう一度聴いて思い出すようなものでもない。
チャイコフスキーはこの当時、うるさい演奏が多く、うるささで下手さを覆い隠していたような演奏が多かった。
今はプレイヤーの底上げがあり、自然とスタイリッシュな演奏が多い。気張らない演奏が主流で、チャイコフスキーの別の面が浮かび上がる。演奏も時代とともに変化するということだろう。
おわり
前回2006年9月に書いたときとライブラリーは全く増えていない。ここ3年新譜らしきものが出ていない。
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1.エフゲニー・スヴェトラーノフ/USSRso.
1966 MELODIYA
2.ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツRso.
1975.5.28 NHK-FM (**注**)
3.キリル・コンドラシン/コンセルトヘボウo.
1976.2.12 ETCETRA
4.エリアフ・インバル/フランクフルトRso
1978 PHILIPS
5.リッカルド・ムーティ/ベルリン・フィル
1987.5.31 NHK-FM
6.ダニエル・バレンボイム/パリo.
1987.11 ERATO
7.ジュゼッペ・シノポリ/ニューヨーク・フィル
1988.1 WQXR
8.ジュゼッペ・シノポリ/ニューヨーク・フィル
1988.1 DG
9.リッカルド・ムーティ/フィラデルフィアo.
1988.4.29,30 EMI
10.レイフ・ゼーゲルスタム/ストックホルムpo.
1989.8.14,15 BIS
11.ヴァレリー・ゲルギエフ/レニングラードpo.
1989 LENINGRAD MASTER
12.エフゲニー・スヴェトラーノフ/USSRso.
1990.4.14 RUSSIANDISC
13.ウラディミール・アシュケナージ/ベルリンRso.
1990.4.22 NHK-FM
14.ウラディミール・アシュケナージ/ベルリンRso.
1990.5.23 LONDON
15.ネーメ・ヤルヴィ/デンマーク国立Rso.
1990.5.31-6/2 CHANDOS
16.リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル
1990.10.21 NHK-FM
17.ドミトリー・キタエンコ/ベルゲンpo.
1990 VIRGIN CLASSICS
18.ジョン・プリッチャード/BBCso.
?頃 BBC ARTIUM
19.アレクサンダー・ラザレフ/NHKso.
1994.2.16 NHK-FM
20.エフゲニー・スヴェトラーノフ/ロシア連邦so.
1996.5.16-20 EXTON
21.ミカエル・プレトニョフ/ロシア国立o.
1998.3 DG
22.アレクサンダー・ドミトリエフ/ペテルスブルク・アカデミックso.
2003.9 WLA
23.リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル
2005.5.2
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上から二つ目のミヒャエル・ギーレンの演奏は最後の二つの打撃音が無い。盛り上がって突然終る。編集ミスかと思われたがNHKの解説者は平然と解説を始める。当時、知られていない曲とはいえ、ありえない。のちにどこかで文章を読んだ記憶があるのだが、このように終わる解釈もあるらしい。消化不良気味なのがギーレンらしい。 . ● ●
以前書いたときは、この曲を十八番にしているムーティ、それにシノポリの演奏について少し書いたが、今回はバレンボイム。
バレンボイム指揮パリ管の方向は、ロシア風マスサウンド、へヴィー級サウンドとはかなり異なる、かといってきらびやかな演奏というわけでもない。この演奏の解釈としてはかなり異色。
前奏部分は滑らかというか、スローでワーグナーでも始まるのかといった雰囲気。その遅めのテンポは最後までかわらない。
聴き進めるうちに異常に丁寧な棒さばきにはまり込む。フレーズ毎の響きを重視した解釈で、モザイク風に進む。ある部分だけ聴きとるとスクリャービンの3番のようには聴こえない個所が多々ある。まるでラヴェルのマメールロワであったり、シェーンベルクの浄夜であったりする。
アップテンポのところも全く急かさない。かといって悠然たる響きというわけでもない。飽くまでも変奏曲の響きの変化を提供する。
52分オーバーの演奏でスヴェトラーノフまではいかないがかなりスローだ。
最後の空白の滞空時間も、誰のが一番長いのか知らないが、心理的には圧倒的なバレンボイムの解釈だ。
テスタメントも難儀だなぁ。
感動の上塗りをさせてくれる。
上の写真が2006年に出た1955年7月28日のバイロイト・ライブ。
下の写真は2009年一カ月ぐらい前に出たもので、1955年8月14日の同じバイロイト・ライブで、こちらは2サイクル目のもの。
現代の小ぶりの歌い手たちからみればそれこそ神々のオールスターキャスト。このあとはやはりたそがれるしかなかったのかもしれない。
棒はいずれもカイルベルト。
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1955年7月28日
ブリュンヒルデ/ヴァルナイ
ジークフリート/ヴィントガッセン
グンター/ウーデ
ヴァルトラウテ/イロスヴァイ
アルベリヒ/ナイトリンガー
ハーゲン/グラインドル
●
1955年8月14日
ブリュンヒルデ/メードル
ジークフリート/ヴィントガッセン
グンター/ホッター
ヴァルトラウテ/イロスヴァイ
アルベリヒ/ナイトリンガー
ハーゲン/グラインドル
第3のノルン/ヴァルナイ
●
第1サイクルと2サイクル目の違いは、ブリュンヒルデのヴァルナイがメードルになっているところ。グンターはホッターに。それと、第3のノルンを第2サイクルではヴァルナイが歌っている。(!)
●
自分は絶対にワグネリアンではないと公言していながらバイロイト詣でやメトまでリング・サイクルを観に行ったりしていたワグネリアンの友がいるが、彼に言わせると、ジークフリートの第3幕が終わったところでやっと半分まできたのだと言う。そういう風に言いたくなる気持ちはなんとなくわかる。
では、半分かというとやっぱり終盤、大詰めだ。幕で言うと全10幕のうち残す3幕ということになる。
カイルベルトの1955年ものは、歌、棒ともにすさまじいもので、特にジークフリート第3幕の結尾の高揚は音楽の高揚、そして精神の高揚を感じさせてくれる。音楽が精神に作用する圧倒的なもの。それに続くこの神々の黄昏ははたしてどうなのか。やっぱり聴いてのお楽しみ。
第1サイクルのほうは全4部揃っているわけだが、この前でた第2サイクルはいきなり神々の黄昏から発売。残り3部でるのだろうか。
●
1977年7月14日(木)
東京文化会館
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ベートーヴェン/エグモント序曲
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ヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容
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ベルリオーズ/幻想交響曲
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モーシェ・アッツモン指揮
東京都交響楽団
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当時の感想としてはいたって短いもの。こんな感じ。
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久しぶりに生の音を聴いた。
弦、特に第1,2ヴァイオリンは馬力がなさすぎる。
アッツモンの指揮は非常にテンポの動きのあるもので、あまり極端なところはついていけない。
もっと音色に気を配ったらどうか。
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以上だが、プログラム・ビルディングとしては、曲目も順番も好きな部類にはいる。ベルリオーズの動きのある音楽は自己表現をしやすいものなのだろうが、ヒンデミットのほうがもしかして注目すべき演奏だったような記憶がある。結果的に、ということなのだが。。
アッツモンはこの6年後ブルックナーの交響曲第9番、キャラガン版の世界初演をしている。
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ブルックナー交響曲第9番
キャラガン版 世界初演1984.1.8
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665- 前夜
666- 当日
667- 翌日
1977年の聴いたコンサートより。
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1977年6月18日(土)19:00
東京文化会館
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モーツァルト/交響曲第40番
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マーラー/交響曲第1番
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エリアフ・インバル指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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インバルはマーラーの第3、4楽章の歌の部分に細心の注意を払っていたように思う。
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それとは関係のないところで、
前の席に座っていた人たち。初老のおじさんと高校生らしき人物。
音が強くなると二人揃って身を乗り出し、音が小さくなって歌う部分になると二人揃ってプログラムをめくっていた。日本でマーラーがはやり始めたといってもこの程度なのか。
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日フィルの金管、特にトランペットは高校の吹奏楽のAクラスレベルで語れる。
繊細さをまるで持ち合わせていない。