河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1716- 牧神、海、左手協、舘野泉、ダフクロ、ピエタリ・インキネン、日フィル、2014.11.22

2014-11-23 03:25:41 | コンサート・オペラ

2014年11月22日(土)6:00pm 横浜みなとみらい

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲 10′
ドビュッシー 海  8′8′8′

Int

ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲 20′
  ピアノ、舘野泉
(encore)
カッチーニ(吉松隆 編曲) アヴェ・マリア 3′

ラヴェル ダフニスとクロエ、第2組曲 15′

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


前半ドビュッシー、後半ラヴェル。ラヴェルには左手協のソロ。
プログラム構成感とソリスト配置のプログラム。よく考えられたものと思います。

左手協は最初、なんかモゴモゴしている感じがあったのですが、後で考えると、もともとそんな曲。片手のみの演奏で、ハーモニクスが派手になることはないが、音楽が進むにつれて舘野の腕もしり上がりで波打つようになり最終的には光り輝くものとなり、完全に伴奏越えしているオーケストラの特に好調なブラスセクション、マッシヴな波及効果の大きいプリンシパル・ホルンやトロンボーンのあでやかなグリッサンドなど聴きごたえ十分なオーケストラともどもキラキラ輝いていた。
舘野のピアノはベールに包まれ、一音ずつかみしめてしずくのような詩情が醸し出される。ありきたりな表現ですが味わい深いものでした。演奏しながら、もしかしていろいろなことを考えているのかもしれない。ふと思いました。
右腕はどのくらい動くんでしょうか。このあとも続けられるよう応援したいと思います。
演奏の前、指揮者のインキネンさんと右手で握手していましたね。

インキネンの棒、ダフクロではグワッグワッと迫ってく感じ。妙に音楽を伸縮させず、ダイナミックな運びとぶ厚いオケサウンドのコントロール。ウィンド、ブラス特に鳴りがきれい。あとくされも無い。
弦は厚みを感じさせてくれるものでこれも充実の響き。弱音記号のところでもズシーンと腰があり心地よい手応え。
堪能できました。

このオーケストラはラザレフやインキネンだと非常に充実した響きになる。緊張感のようなものが良い方向に支配していくのですが、他方、特定の日本人指揮者だと、元に戻ってしまったという嘆きしか感じないケースもあり、誰かが言っていたフレーズがそのまま当てはまる。悪いオーケストラは無い。良い指揮者がいるか悪い指揮者がいるかだ。
おわり



1715- ジョリヴェ、fg協、小山莉絵、リャードフ交響詩、展覧会の絵、川瀬賢太郎、njp、2014.11.22

2014-11-23 02:08:10 | コンサート・オペラ

2014年11月22日(土)2:00pm トリフォニー

ジョリヴェ ファゴット協奏曲 6′7′
  ファゴット、小山莉絵
(encore)
P.A.ジュナン ヴェニスの謝肉祭 2′

リャードフ キキモラ  3′
リャードフ 魔法にかけられた湖  3′
リャードフ バーバ・ヤガー  3′
Int
ムソルグスキー(ラヴェル編曲) 展覧会の絵 34′
(encore)
チャイコフスキー ナッツクラッカーより 冬の松林 2′

川瀬賢太郎 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ファゴットの小山さんというのは1991年シュトゥットガルト生まれとあるから平成生まれのソロプレイヤー。アコーディオンのような指使いで、楽器が無くても真似は出来そうにもない。太くて大きいサウンド。全体の表情と曲想の表現が一致していて無理なく音楽をしているのがよくわかります。難しそうな曲です。ファゴット協奏曲なんてめったに聴けるものではないですし、条件が整わないといけないと思います、楽しみました。

この指揮者は靴がちょっと上げ底で、名前はカワケンと略しているみたいですね。お初で聴きました。振り下ろしで拍の音が出てくる最近あまり見かけない棒。棒さばきよろしい指揮者と思いますが、内容的には国内標準。

リャードフ3点盛りは、オケが引き締まっていていい演奏でした。縦のラインの不揃いにはあまり配慮がみられないかもしれない。

展覧会の絵では主旋律ラインが浮き彫りになっていてメリハリはある。このオーケストラは、特にブラスは強音になるとすぐに汚れてしまい、そういうところまで練習でゴシゴシやるというのはそもそもないのではないかと思う。前の日もこの日も午後のひとときコンサートのようですし。

このチケットは定期会員のなにがしかの抽選で当たったもの。
おわり


141122_155501


1714- アゲイン!アパラチアの春、セレナード、宗教改革、ポール・マクリーシュ、都響、2014.11.21

2014-11-22 11:34:00 | コンサート

2014年11月21日(金)7:00pm 東京芸術劇場

コープランド アパラチアの春
       13楽器のためのバレエ (原典版) 35′
Int

シュトラウス 13管楽器のためのセレナード Op.7  9′

メンデルスゾーン 交響曲第5番 宗教改革
(ホグウッド校訂版第2稿) 10′5′4′8′

ポール・マクリーシュ 指揮 東京都交響楽団


前日のサントリーから場所を芸劇にかえてのコンサート、この公演を2度聴ける幸せを思う。
演奏のことは前日に書きました。
この日は連れと。リフォメーション第2楽章でぐっときたみたいです。

この演奏会、CDになりませんかね。1枚にはいる長さですし、曲目、演奏ともにいいものですし、何度も味わいたいという思いもある。
難しいのであれば自分でプレイリスト作って聴きますか。3曲同じ指揮者で同じオケというのがベストではあるのですが。
おわり


1713- アパラチアの春、セレナード、宗教改革、マクリーシュ、都響、2014.11.20

2014-11-21 01:49:36 | コンサート

2014年11月20日(木)7:00pm サントリー

コープランド アパラチアの春
       13楽器のためのバレエ (原典版) 35′
Int

シュトラウス 13管楽器のためのセレナード Op.7  9′

メンデルスゾーン 交響曲第5番 宗教改革
(ホグウッド校訂版第2稿) 10′5′4′8′

ポール・マクリーシュ 指揮 東京都交響楽団


ホグウッドが振る予定だったが亡くなってしまい、プログラムを変えずマクリーシュという指揮者が振ることに。
マクリーシュは知る人ぞ知るということなのでしょうが、ボクは名前も初めて聞く状態。全くのお初です。
結果、本当にしっとりとしたいい演奏会、ホグウッドも天国で満足していたことでしょう。

コープランドとシュトラウスは13楽器のスモール編成、同じ編成の曲の間に休憩を入れるあたり、それなりに考えたものでしょうね。休憩という変化で、一呼吸置く感じ。
マクリーシュは長身、この2曲は椅子に座りながらの指揮。これがなかなかいい。特にアパラチアの原典版という貴重演奏はロングであり、また双方の目位置的にもちょうどいいのではないかと感じられました。

13楽器という音色変化としては限度がありそうなアパラチアの春、と思うことなかれ、いやはやなんともしっとり感の漂う本当に素晴らしい佳作と演奏!
バレエ曲と言いつつ、アメリカ開拓当時の、煙突から煙たなびく、うねる平原、煙の匂いまで脳裏をかすめてやまない、なんだか懐かしい昔が自分にもあったデジャビュ。
昔の英国風味と言われればそれもありかなと、いろいろ思いたくなるが、やっぱり、コープランドならではの少しドライな音色の中に、しみじみとしたウエット感は聴くほうが積極的に感じてくれ、といった割と割り切った世界も垣間見せながら、やっぱり独特。
気持ちが落ち着きました。
これに比してシュトラウスは策が過ぎるのが耳に聞こえるこれもまたシュトラウスならではのもの、響きの綾のめまぐるしさをよく感じ取ることが出来ます。

リフォメーション第3楽章の下降音型そしてすぐ上りつめる、亡きホグウッドへの涙雨、メンデルスゾーンの泣き節が人の心をうつ。
コープランド、シュトラウスと流れてきたプログラムはジャストフィットなメンデルスゾーンとなりました。前2曲よりはるかにウエットな音楽が心にしみてきます。なんという美しさか。
チューバのパートは本来用いられるべきセルパン、初めて見ました。グネグネとパソコンのパイプスクリーンセーバーのような雰囲気。音自体は特に目立つこともなくとうとうと流れる音の束に溶け込んでいく。このオーケストラ特有の硬質でクリアなサウンドに何かが付け足された感じ。セルパンの出番は終楽章導入部からと思われますが、音楽と演奏、素晴らしいものになりました。

ホグウッドの思いも伝わってくるいいプログラム、演奏。ありがとうございました。
おわり


1712- ラフマニノフpf協3、及川浩治、ブラームス4番、佐渡裕、東フィル、2014.11.16

2014-11-17 01:13:55 | コンサート・オペラ

2014年11月16日(日)3:00pm オーチャード・ホール

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 20′12′16′
 ピアノ、及川浩治
(encore)
ショパン  ノクターン第20番(遺作) 4′

ブラームス 交響曲第4番 14′12′6′10′

佐渡裕 指揮 東京フィルハーモニー管弦楽団



椅子のケツ飛ばしジャンピングフィニッシュ、最後までひたすら悶々と格闘していた及川がまとめの仕上げ!
渾身の3番フィニッシュ、爆ピアノ!、いいもの観た聴いた。

ややドライで勢いのあるピアノ、うるさくならず端正ともいえる響きが心地よい。この曲と3番シンフォニーは好み。聴くときはこちらもちからがはいる。
芯になる音、核になる響き、そのようなものを感じ取ることが出来たらもっともっと素晴らしい3番コンチェルトになっていると思う。
でもあのジャンピングフィニッシュは演技というよりもそこに至るまでのラフマニノフの難しさを一気に解放したような気分で、説得力のほうが大きかった。大変な代物ですよね。

それから協奏曲の指揮になっていない棒下のオケとピアノの距離は遠いと言わざるを得ない。

ブラームスのシンフォニーは16型編成で、このホールは1階は響きがあまりよくなく、上に行けばいくほど良い。3階席でベースがゆらゆらと揺れるスケール感のある響きはオーケストラを聴く醍醐味、サウンドを満喫できました。

佐渡さんはマスメディアの露出も結構ありますが、東京での燃えない拍手は何故なんでしょうか。
おわり



1711- 大洋の女神、夜の歌、ピエタリ・インキネン、日フィル、2014.11.15

2014-11-16 02:21:29 | コンサート・オペラ


2014年11月15日(土)2:00pm サントリー

シベリウス 大洋の女神 10′

マーラー 交響曲第7番 夜の歌 21′16′10′14′17′

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(アフターイヴェント) 35′
トーク、ピエタリ・インキネン
司会、オヤマダアツシ
通訳、木村小百合


前日に続き日参といいますか二日目のほうが自分の会員チケット、昨晩はオプションということで。
とにかく、ホルンセクションの決まり具合が普通ではない。特に2,3,4楽章のソロ、アンサンブルはスペシャル!昨晩も書いたがプリンシパルのハイスキルがもたらす波及効果は予想以上です。
ユーフォニアム(テナーホルン)の調子は前日のほうがよかったですが、これは一日目で安心してしまったのかもしれませんね。油断大敵ということで。

全体印象は前日と同じですが、インキネンの棒によるマーラーは重くならず、マーラー演奏が普通にきれいだった頃を思い出させる気張らないもの。

この日もアフターイヴェントのトークがあったが長めになったのはご本人が話し込んでいるときに被るようにしゃべる通訳さんの進化か。直列での対応となりました。かなり批判を浴びていたので一晩で学んだのかもしれません、いいことです。

インキネンいわく、
シベリウスとマーラーもいいが、やはりラーメンだ、
昨年のメルボルン・オペラではリングを3サイクル振った、
オヤマダいわく、
あなたが日フィルを振ったのは今日で38回目だ、


この日もたちの悪いフライングブラーボー屋がいたけれど、聴衆、主催者側、壊滅に向けて相応に努力を重ねている。音楽評論家もフラブラ駆逐のために積極的な発言が欲しい。ジャーナリズム的な現場皮膚感覚で一言欲しいものです。
おわり



1710- 大洋の女神、夜の歌、ピエタリ・インキネン、日フィル、2014.11.14

2014-11-15 12:06:04 | コンサート・オペラ

2014年11月14日(金)7:00pm サントリー

シベリウス 大洋の女神 10′

マーラー 交響曲第7番 夜の歌 21′15′10′14′17′

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(アフターイヴェント) 25′
トーク、ピエタリ・インキネン
司会、オヤマダアツシ
通訳、木村小百合


シベリウスとマーラーの組み合わせは違和感が無くもないが、7番一曲で終わってしまう演奏会よりはいいと思う。
この日はアフターイヴェントのトークもあり長丁場。音楽普及に尽くしている。

このオーケストラは日本人桂冠指揮者が振るとたちどころにほこりまみれになってしまってよくないのだが、インキネンやラザレフが振ると見ちがえるようによくなるので音は嘘をつかない。

それで、こうやって機能的な性能あたりのことを少しずつでも前に出していくのはいいことだと思う。ホルン若手プリンシパルの周りに及ぼす波及効果もある、特に他ブラスセクションがシナジー効果により能動的になってきているのは明白。このようなプラス面の動きがたくさんある。そのまま進化していかないのはより戻りが指揮者によってあるからですね。

終楽章でラッパ群がちょっとこんがらがってしまうような箇所があったが勇み足ということで。今日の不出来は明日は解消、こうやって一歩ずつ積み重ねていければ常時ハイレベルな演奏が出来ることと思います。

インキネンのマーラーは奇を衒うところが皆無。正面突破の演奏で余計な思いや邪念を聴衆に抱かせることなく大曲を淡々とこなしていく。手垢無しのマーラーで曲の中身を聴衆に伝えている。それはシベリウスもしかり。アフターイヴェントのトークでもラーメンの話だけでなく、このような考えがよく理解できました。
大曲を相応なレベルで演奏できたオーケストラもクリア。プログラムに予想演奏時間77分とありましたが、本当に77分でした。そこらへんも練習のたまものか。

ユーフォニアムの女性のかた、かなりのマッシブサウンドで結構揺らす、ホルンの日橋プリンシパルもあのくらい揺らしていいじゃないかな。まぁ、彼のオケへの波及効果は大きいですよ。


このオーケストラの会員になったのはラザレフ&スクリャービンの流れの中でであったのだが、インキネンの棒でワルキューレ第1幕をやった時、第3場冬の嵐は過ぎ去りのあとトネリコからノートゥングを抜いて双子の兄妹が逃げるところ、ブラスが弦の上から覆いかぶさるように鳴った、インキネンは本物だと思ったものでした。

いいコンビだと思います。ありがとうございました。
アフターイヴェントは通訳がちょっとアレでしたが企画はいいと思います。
おわり



1709- マレイ・ペライア、ASMF、2014.11.13

2014-11-14 01:38:07 | コンサート・オペラ

2014年11月13日(木)7:00pm サントリー

メンデルスゾーン 弦楽のための交響曲第7番 5′6′4′5′
 指揮者なし

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 14′7′8′
 第1楽章カデンツァ、ペライア
 第3楽章カデンツァ、ブゾーニ
 ピアノ、指揮、マレイ・ペライア

バッハ ピアノ協奏曲第7番 5′6′3′
 ピアノ、指揮、マレイ・ペライア
ハイドン 交響曲第94番驚愕 8′6′4′4′
 指揮、マレイ・ペライア

演奏、Academy of St. Martin in the fields


前半2曲、20分の休憩をはさんで後半2曲、アンコールは無くそれでも終演は9時過ぎました。充実の内容でした。
ペライアを聴くのはいつ以来か、何度か聴いたことはあるがいつの頃のことだったのかよく覚えていない。もちろんピアニストとして。

素晴らしいバッハ、アコーディオンの蛇腹の様に伸縮自在で、音が数珠つなぎになって流れていく、途切れないシームレスな演奏、うなうねりが続いていく。ASMFの正確な音価レングスが刻まれる中、同じように進行する。バッハではまずこのような正確性が第一と感じる。なればこそ表情は自然につけられていくのがベストなのですね。

モーツァルトは歯切れがよい。ルーチンワークに違いないがハイレベルな演奏を聴かせていただきました。カデンツァに二人の名前がありそれも面白く聴きました。曲想の肥大化とか方向感はバッハのほうを向いているような気にはなりました。

ハイドンの指揮も興味深い。もっと若い時から振っていたらさらにバレンボイムに振り姿が似ていたのかもしれないと思いました。ソロ・バウもよく似ている。どこかでいろいろと影響を受けているのかもしれない。感性と感覚の棒さばき。
ASMFは冒頭の指揮者無しメンデルスゾーンから非常に引き締まった演奏。良い一夜となりました。
ありがとうございました。

 

141113_200901


1708- パッパーノ、諏訪内晶子、ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団、2014.11.12

2014-11-13 01:10:53 | コンサート・オペラ


141112_212501
.

2014年11月12日(水)7:00pm 東京芸術劇場

ロッシーニ セビリアの理髪師、序曲 7′
ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 8′+9′+7′
 ヴァイオリン、諏訪内晶子
(encore)
バッハ 無伴奏ソナタ第3番より、ラルゴ 3′

シュトラウス アルプス交響曲 49′
(encore)
エルガー ニムロッド 4′
プッチーニ マノン・レスコー間奏曲 5′
ポンキエリ ジョコンダより、時の踊り(抜粋) 2′

アントニオ・パッパーノ 指揮
ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団


パッパーノは初めて聴いたのかどうか覚えていませんけれど、棒を持たない、風貌、纏っている緩めの上着の雰囲気、割と極端なしゃくりあげの振り、職人肌の棒振りに見えてきます。阿吽の呼吸でしょうから今更見た目からこのコンビのことを語る話でもありませんが、日常的に聴けるオケでもありませんし、受けてサイドとしては情報量は多いほうがいい。
一聴してうまいレベルのオーケストラサウンドが鳴り響く。メカニカルでうならせるのではなく、柔らかい帯のうねりが束になりねじれたりほぐれたりする。スキルレベルの話はベースにあるがそれがことさら見えることは無い。昨年のシャイー&ゲヴァントハウス管は以前に比べてスキルがベラボーによくなったけれど、それだけでした。別にゲヴァハウでなくてもいいというか、オーケストラの積み上げてきたものが無くなってしまった印象のほうが強い、つまり名前を借りた別集団の様になっていた。
このオーケストラはそのような現象とは真逆な感じ。アルプス・シンフォニーで歌いまくるおじさんのティンパニーの叩き具合を見ればそれこそ一目瞭然といったところです。ティンパニーが歌っているのです。

ロッシーニクレシェンドなどと言わずとも曲想に沿った演奏をこの集団がプレイするだけで自然現象的にそうなる。雪のスロープのようなお見事な演奏で快感満喫。

来日オーケストラ団体に日本人演奏家ソリストが出演するケースが最近やたらと多い。これいいのか悪いのかわかりませんが、ソリストレベルの話は横に置くとして、どうしてもお金のことが脳裏をよぎる。早い話安く済むのじゃないか、それが客の負担減少につながっていないじゃないのかといったあたり。それに、やるほうもわざわざ来日してプログラムの半分とは言わないがオケ伴奏では、負担軽減かもしれないがやる気も少なくとも上向きとは言えないような気もする。本当にこのてのプログラム多い。
諏訪内は音がでかい、この一点だけでもインターナショナルな世界で生きていける。そんな気がします。今の時代にあっている感じです。鳴りがいいというのは音がでかいだけではなく共鳴できるぶれない芯が常日頃から安定的に身についているからなのでしょう、安定感よく曲を堪能できます。やられすぎている曲ではありますが。
オーケストラの来日公演なれば、オーケストラルな曲を聴いてみたいというところは強いのですが、相応に満足できました。肝のすわり方が表情に出ているあたり商業的な萌え具合においても割り切っている部分があるやに見えますね。彼女にはそんな雰囲気も全部消化してしまっている女気のような印象さえ受けます。

後半のアルプス、イタリアのアルプスは坂がきつくても滑らかなのかもしれない。パッパーノの棒では、劇的な頂点は頂上にあるわけではなく、また殊更に劇的である必要もなく、後半の自然な息の長さが感動的、最初にも書いたティンパニーがまるで歌を奏でるように奏されている、一見の価値あり、ほかのインストゥルメントもあとは推して知るべし。素晴らしく光る太陽に雪山が光っている。オーケストラの音色は、桃色といったところか。
今のゲヴァントハウスにはやろうと思っても出来ないことなのです。同じになれとは言わないが失ったものの大きさを噛みしめる、いやならちょっとだけ立ち止まって振り向いてほしい。

生きている鍾乳洞ですよ。
おわり

 

 

 


1707- こうもり、ラヴェルpf協、伊藤伸、タコ5、松井慶太、横手フィル、2014.11.8

2014-11-11 02:01:36 | コンサート・オペラ

2014年11月8日(土)6:30pm 横手市民会館

ヨハン・シュトラウス二世 こうもり序曲 9′

ラヴェル ピアノ協奏曲 8′9′5′
 ピアノ、伊藤伸
(encore)
ラヴェル 道化師の朝の歌 6′
Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番 17′5′14′11′
(encore)
シベリウス、カレリアより行進曲風に 5′

松井慶太 指揮 横手フィルハーモニー管弦楽団


遠征で行ってきました。
年1回公演で今回が第7回定期演奏会。お初でうかがいました。
このホールは1968年建立、ワンフロアのみの928人収容。
この日の最後の曲タコ5の弦五部は変則の8-9-7-7-5と思われました。ウィンド、ブラス、パーカッションはそれに沿ったもの。全部で70人前後と思われます。このホールサイズにはよかったと思います。

この楽団のサイトを見ますと第1回目から本格的なプログラミングで、充実していたように思います。
http://www.yokotephil.jp/index.html

土地柄、ブラスバンドで使われるインストゥルメント群に関してはスキルレベル的に問題は無いでしょう。換言するとコントラバスを除いた弦四部のみブラスバンドには無いものという話ですから、これがクリアされていれば余計な心配はせずに聴くことが出来ます。
ブラスセクションは前の晩聴いたあのオケより上。
全体に少し乾いたしなやかさと繊細さ、歯切れ良さよりもストリーム優先で、相応に満足することが出来ました。薄く感じるところもありましたがそれは室内楽的な特性ということで。

輪郭は以上で概ね満足。

こうもりは準備体操。
ラヴェルのピアノ協奏曲はこのところ演奏会で割と聴く会があって脳裏に馴染んでいます。全体的な印象で言うとこのラヴェルも後半のタコも五月蠅くなくて静かさが支配しているように感じます。コンパクトで乱れず淡々とプレイしている。
伊藤さんの経歴をいろいろ確認しますとこの曲は得意曲のようです。
リズムがぶれない、端正な弾きぶりであまり感情を外に出さない、一音ずつ克明に深彫りするよりも流れの中に粒立ちを光らせていく。
表現する音楽が感情の起伏に因るものではない、当たり前という話かもしれませんけれど、このことが作曲家ラヴェルのこの曲の陰陽をうまく出していたように思えました。透明なガラスにまろやかさがある。
この協奏曲のオケ伴奏はソリスティックに際どいところのあるものですが、危なげない線の細さが割とフレッシュ。苦しげなところが無くちからが抜けていていいプレイ。
まぁ、ブラスは前の晩のオケよりはいいよね、たしかに。
ピアノのアンコールは少しリラックスして突き刺す感じではなく横広で鳴らす感じ。ダイナミックでよく流れていました、躍動感でました。

ここのトイレの床はホールの床と一段高さが違うので気をつけないといけませんね。つまづいて転んでしまいますよ。

後半はショスタコーヴィッチの5番。運命の次ぐらいに聴いているのではないか、といっても演奏会で運命を聴くことはあまりなくて、もしかするとタコ5のほうが回数が多いかもしれませんね。音源ラインナップなら圧倒的に運命で200種ぐらい保有、タコ5のほうは全然少ないと思う、今度数えてみますね。たぶん30とか40種ぐらい。
前半のラヴェルと同じモードのオーケストラサウンドと方向性です。ドでかいマスサウンドでねじ伏せて無理やり感動を呼び起こすといったところは皆無。
弦はもう少しちからがあってもいいと思いますが、他のインストゥルメントもみんな相応の線の細さなのでこれはこれで室内楽的につじつまがあっていると言えるかもしれない。
この曲は演奏されすぎていて誰でも知っている状態。指揮者の意向が結構なウエイトを占めますよね。とりたててどうこうという振りっぷりではなくて、かといって余裕が無くいっぱいいっぱいというわけでもない。無難な指揮ぶりでしょうか。
この指揮者は在京オケで何かの折に見たことがあるかもしれませんが、ピアニストと同じく恥ずかしながら今回初めて知りました。(それはそれでよかった)
この指揮者がオーケストラに求めているのは何なのか、というあたりが今一つ分かりませんが、のってくるとオケが波打ちうなりを立てるそのような部分で若干満足できないところもありました。強引にでもいいので引っ張っていくちから。リハーサルの多い少ないにかかわらず大人数を動かすちから、それに方向感や方針。
ただプレイ側も自発性がもっともっと欲しい。魂が揺れ動かないのは指揮者のせいではなく、自分たちのこと。自発性の無さを指揮者のタクトのせいにしてはいけない。
年1回ではもちろん足りません。
コンパクトなホールながら満員の盛況。2夜連続のほうが年に数回やるよりもやり易いような気もします。別ホールでの公演も可能性としてはある。
継続はちからではあるのですが、興隆には企画が必要です。

女性陣の思い思いのドレス、良かったです。

総じて満足できる遠征でした。
ありがとうございました。
おわり



1706- ブルックナー5番、ダニエル・ハーディング、新日フィル2014.11.7

2014-11-08 02:11:36 | コンサート・オペラ

1706- ブルックナー5番、ダニエル・ハーディング、新日フィル2014.11.7

2014年11月7日(金)7:15pm トリフォニー

ブルックナー 交響曲第5番 ノヴァーク版
       21′、17′+13′、23′

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


大曲の登場です。大変だと思います。
ハーディングの解釈は、名状し難い。まな板の上でオケとともにたゆたう。
ストイックで結構な深度の沈み込み。ブルックナー休止は長め、アクセルは無し、命綱付きの宇宙遊泳みたいな演奏。5番独特のダークブルー色のイメージはそれなりにありました。
問題は、オーケストラにあって、例えばブラスセクションの八分音符以上の細かいところの不明瞭さはかなり厳しい。スキルレベルあげないといけませんね。指揮者は容認なのかあきらめなのかそれとも作為なのか。

ハーディングの棒によるブルックナーは構造的な解釈は横に置いているのかなと思いました。変に曲がった解釈はしませんがブルックナーのエネルギーや形式といったものを強く感じさせるような演奏ではありません。どこらへんに彼のブルックナー的美学があるのか今一つわからないままでした。
おわり


1705- ウォルトン1番、他、マーティン・ブラビンズ、都響2014.11.4

2014-11-05 01:21:08 | コンサート・オペラ

141104_210901

1705- ウォルトン1番、他、マーティン・ブラビンズ、都響2014.11.4

2014年11月4日(月)7:00pm 東京芸術劇場

ヴォーン・ウィリアムズ ノーフォーク狂詩曲第2番  10′
デリアス ヴァイオリン協奏曲 25′
 ヴァイオリン、クロエ・ハンスリップ
(encore)
ペーテルス・プラキデス  2グラスホッパーズ・ダンス
Int

ウォルトン 交響曲第1番 14′6′11′13′

マーティン・ブラビンズ 指揮 東京都交響楽団


例えばバルビローリは前半2曲やったことがあるのかしら、彼でも手ださないでしょうと思いたくもなる。
愛着も過ぎれば、極度の美化は滅亡を招く。きいたセリフです。
個人的には偏愛がなければ馴染めない曲かと思います。ご本人が愛着を持っているアニマルを押し付けられた気分。自国愛的と言い換えてもいいです。

ブラビンズが指揮したウォルトンの2番はこの前聴いたばかりです(2014.10.20)
2番は形式的には構成感が欠落したことがよくわかる演奏で、それはそれで相応に考え抜かれたウォルトンの作曲ではあるのかなと思えました。
この1番のプログラム解説は奇妙なことにシベリウスとの相似性みたいな話を何度か出しておりますけれど違和感あります。まず最初に語るべきは何であるべきかと。

初シンフォニーはスケルツォを第2楽章に置いており、全体は大規模でシンフォニックな曲。形式感は理解しやすい。
イギリス音楽はブラバン的な響きを楽しめるのでその観点に重点を置けばそれほど飽きのこないもの、聴くコツのようなものがありますね。
響きに軽い感じはありませんが、かといって深刻ぶるような曲でもなく、都響のクリスタルで幅広、明確でクリア(同じ意味か)な演奏のもと楽しむことが出来ました。
また1番2番を立て続けに聴くことが出来てこれもよい企画でしたね。
ありがとうございました。


1704- ラ・ボエーム、フリットリ、フィリアノーティ、沼尻竜典、東フィル、藤原歌劇団、2014.11.3

2014-11-03 21:41:50 | コンサート・オペラ

1704- ラ・ボエーム、フリットリ、フィリアノーティ、沼尻竜典、東フィル、藤原歌劇団、2014.11.3

2014年11月3日(月)3:00pm オーチャードホール

藤原歌劇団プレゼンツ

藤原歌劇団創立80周年記念公演

プッチーニ 作曲
岩田達宗 プロダクション

ラ・ボエーム
第1幕+第2幕 36′+19′
Int 25′
第3幕 25′
Int 20′
第4幕 30′

キャスト(in order of appearance)
1.マルチェルロ  堀内康雄
1.ロドルフォ  ジュゼッペ・フィリアノーティ
2.コルリーネ  久保田真澄
3.ショナール  森口賢二
4.ベノア  折江忠道
5.ミミ  バルバラ・フリットリ
6.ムゼッタ  小川里美
7.アルチンドロ  柿沼伸美


藤原歌劇団合唱部
多摩ファミリーシンガーズ
沼尻竜典 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


舞台は、最近の機能性や新しいもので古さを演出する、と言ったことが皆無の、古くて古いもの。昨今のトレンドから言って、少なくとも新しくて古いものにシフトするべきだろう。舞台構造や予算の制約はあると思いますし、このオペラに演出のインパクトは必要なのかという話もあるかとは思いますが。
とりあえず、歌う場さえ整えばなんとかなる。第2幕の最後、上下2段構えの妙はあったが、沼尻のいつになく反応しない棒が全般を支配。東フィルの弦は張りつめたもので透明な厚さを感じさせてくれる素晴らしいものにもかかわらず、鈍重な流れになっていた。
ツボな箇所をさーっと通過。歌詞としぐさの妙が欲しいところでは、歌い手は相応なアクションなのだが演奏のほうは頓着せず進む。来日ロールのちから関係が大きいのかもしれずなのだが、モミュスでのムゼッタとボヘミアンのやり取りを見ていても同じ具合なので、まぁ、ここは指揮者のハウスでもないし、いろいろ妥協の産物的なところもあるかもしれない。
例1個、第4幕、偽寝から起きたミミに振り向き死の床に流れるロドルフォ、一番の音楽的呼吸が詰まっているところだろう、すーっと通過。演出家と連携が取れていたのかも疑問な舞台でした。ゼッフィレルリが執拗にこの場面、レヴァインにいちゃもんつけていた練習風景、何かで見たことがありますが、第2幕で人と動物を舞台に乗せれるだけ乗せるというコンセプトが哲学的かどうかわかりませんが、少なくとも究極のなにかを求めて進むゼッフィレルリの強い表現力と裏にある意志と努力の力の結実を感じたものでした。今回そこまで求めるものではありませんが、ふと思い出しました。
沼尻、本意の舞台だったのか。
.
フィリアノーティはこれまで聴いたことがあったかどうか今は思い出せません。細身長身の歌い手で、声だけ取ればパヴァロッティと同じく、一点光源型(と自分では呼んでいる)。喉の奥にある小さなレーザー光の源がそのまま外に放射してくる感じ。パヴァロッティのような黒光りする潤い具合とは別のもので、放射線の広がり具合も違う、また、カレラスみたいな泣き節は一切ない。求めてはいけない。
当節、スタイルよく、このように一見ひょうひょうと、というのは語弊があるかもしれないが、のどが向いた方向に鋭く突き刺さるテノール、潤いや過度なドラマチックなものにはあまり縁のない、機能的システマティックなスタイルがはやりと実感。デジタル風味でこれはこれで悪くは無い、声も出ていました。1個壊れると全部だめになるというデジタルな弱点は勘弁願いたいが。
こちらのコンプレックス的思い込みなのか、1,2幕は、なんで俺が日本人と歌ったり相手しないといけないんだよ、みたいな雰囲気が少しありましたが、それはもしかすると歌よりも舞台でのいわゆる演技の不自然さによるものだったかもしれません。つくり演技で滑らかさがなく不自然。
3幕から本気度が垣間見えてきて、彼にはあまり騒々しくない舞台や出ている役者の数も少ないシーンのほうが気持ちの安定などの面で歌いやすいような気がしました。1幕のChe gelida maninaの歌いだしと3幕の絶唱は別物であったとはいえ、落ち着かない騒々しさもクールダウンしていない状態での、冷たい手を、でした。これは伴奏指揮も問題でした。
3幕の4人のアンサンブルは絶妙、特に隠れミミを横に、マルチェルロと歌いかわすロドルフォの切実度は大変にシリアス。終幕への流れがつかめました。
.
ロドルフォが1幕で、Che gelida manina冷たい手を、と歌い始め、終幕大詰め死の床でミミがChe gelida manina冷たい手を、とあの時あなたは言ったわ、と歌う。歌詞の流れとしてはここで、対となり完結する。110分のオペラですが、プッチーニの考え抜かれた構成感や対の妙をいたるところに感じないわけにはいかない、その一つがこれ。110分がこれほど長く感じられる瞬間はありません。作曲家の勝ちに聴衆は負ける、負けていいなと思う瞬間ですね。
フリットリはミミにしてはちょっと栄養がついていますけれど、圧する歌唱、雰囲気モンセラ・カヴァリエ風なところもありますが、彼女のピアニシモの威力とはまた違ったどちらかというとメゾフォルテからフォルテあたりの伸び具合、それに声質の柔らかさ、なんとも言えず身を浸すことが出来てうれしくなる、悲しいストーリーではあるのですが。
彼女の場合、とにかく声が美しくきれい。まずそこがおおもとに有って、そこに陰影のニュアンスが加わる。それと抜群の安定感。苦しそうな声出しではないので聴くほうとしては彼女の歌に身を浸していくことが出来る。安定の素晴らしさと居心地の良さ。
フィリアノーティとフリットリ、歌としては対等なぶつかり合いで迫力ありました。
.
オーケストラの響きが良かっただけに、アゴーギクや流れる歌心が今一つだった指揮が残念なところがありましたが、これも言い出したらきりがないということで。
おわり


1703- マーラー、子供の不思議な角笛、ステイプルズ、交響曲第4番、森麻季、ハーディング、新日フィ

2014-11-03 21:06:11 | コンサート・オペラ

1703- マーラー、角笛、Sym.4ハーディング、新日フィル2014.11.2

2014年11月2日(日)2:00pm サントリー

マーラー・プログラム

「子供の魔法の角笛」より  3′6′4′3′4′
 テノール、アンドリュー・ステイプルズ

交響曲第4番  16′9′22′10′
 ソプラノ、森麻季

ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団


当初は、前半後半ともにLisa Milneリサ・ミルンという方が予定されていたのだが、急病で出られないということで、これは本当に急病だったのかもしれないと斜めに構えつつ、ご本人には悪いが聴くほうとしては嬉しい前半後半別々のソリストとなりました。前半はなんとソプラノに替わりテノール、後半はめざましい森さんとあいなりました。
ミルンさんを聴かないと何とも言えないわけですけれど、相応な納得感はあります。

前半の角笛。代打ステイプルズはもちろんお初で拝見、張り切っているように見えました。声質がソフトでまろやか、歌詞に合わせた表情が豊かで丁寧でした。ハーディングの棒伴奏がその丁寧さの上を行く濃さで、双方同じベクトル感覚であってシナジー的な音楽的効果が良い方向に出たと思いました。ハーディングのあまり思いもかけない濃密なマーラーながら、作為的なわざとらしさのまるでない自然でシームレスな流れ。
ステイプルズはピッチが心もとなくなった箇所がありましたがマジ顔で合わせにくる。修復可能な自覚症状は大切なことですね。オペラならキャラクターロールがよさそう。
全体が濃密な角笛、なかなか良かったです。

後半のシンフォニーはハーディング流がもっと表に出てきたようです。指揮ぶりを見ていると弦にもっと反応しろと言っている。特に第2ヴァイオリンに対しては自己の哲学がより一層有りそうな感じで、しつこく指示。
リズムの躍動感やアインザッツの正確性といったあたりとは別の部分での音楽的感覚があるように見えました。また、自発性があまり感じられないNJP用の指示かもしれません。
積極的で主張できるオケなら言わずもがなの不要指示で、もう一段先のことをしたかったのだがままならずといったところか。ただ、オケ反応は悪いわけではなくて相応にプレイ。練習と本番というよりやっぱりオケレベル的なところに問題の着地ポイントがありそうな気配は常々感じるですが。
森は以前オペラでは割と拝見。このような楽曲での出番も一二度聴いた記憶有ります。短い出番ですが柔らかくて丁寧な歌は好印象。それに見栄えがいい。

ニヤニヤにやけながら指揮する指揮者は日本人で特に目立つのですけれど自分としては結構気になっている部分。にやける暇が有ったらもっと的確で克明な棒を振れ、演奏中に決して満足するようなツラは出すもんではない、と思っているのからすると、音楽を凝視したにやけないハーディングには好感。
それから最近チェロにN響を卒業したポニーテールさんが陣取っているのですが、チェロ陣を引っ張り、かつ横の第2ヴァイオリンをしっかり見据えて気合を入れている感じがひしひしと伝わってくる。心なしか一つのオタマジャクシを最後まで丁寧に鳴らし切るようになったと実感。N響とは明らかにレベルの異なる団体ですから、なにかそのような意識改革があったのかなとふと思いました。N響との違いを意識改革の部分で言うと、N響はヴァイオリンの第1プルトと最後尾プルトが同じ意識レベルで弾いている。このオケはそうとは感じられないということです。ただ改革断行を考える場合は個々人のスキルレベルの観点が優先度が高いでしょうから、そこらへんの兼ね合いは外から見ていると余計なおせっかいかもしれません。

最後に、コンマスの今日の頑張りは目に見えて明らか。
おわり