華金のクリスマスは仕事終えたらまっつぐ帰って、自家製つまみでしみじみとお酒をのむべきなんだろうね。
このほんいいんじゃない?
いきつけのバーも載ってますね。
カクテルに合うつまみなんて作れないしね。
ウィスキーには、豚肉とキャベツの蒸し煮、なんかいいかもね。
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華金のクリスマスは仕事終えたらまっつぐ帰って、自家製つまみでしみじみとお酒をのむべきなんだろうね。
このほんいいんじゃない?
いきつけのバーも載ってますね。
カクテルに合うつまみなんて作れないしね。
ウィスキーには、豚肉とキャベツの蒸し煮、なんかいいかもね。
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また華金がやってまいりました。
今週はどうしましょうか。。
たまには昔の記憶が脳裏から剥がれてくるような超ブレンド・ウィスキーでも飲みましょうか。
ドヮースのホワイト・レイブルなんかどうでしょうか。
アップしてある写真は、かれこれ四半世紀前のものですが、この時代のホワイト・レイブルは最近ではあまりみかけません。あってもワン・ショットが結構な値段なので、本当はグラスに半分ぐらいストレートで飲みたいのに、へたにダブルでたのんだらとんでもない金額になったりします。
四半世紀前のその当時は、写真のような瓶で買うことはあまりなく、ワン・ギャロンのものを手に入れて飲んでました。ワン・ギャロン瓶はかなりでかく、瓶に取っ手がついてましたね。。
それを平日買い、その平日は仕事が終わった後毎晩外で飲むわけですから、ギャロン瓶を味わうのはいつも週末。
度数はそこそこながら、このセメダインのような独特の消毒液。。
良かったですね。生きているっていう感じ。
シングル・モルトが全盛になってきてからは、忘れた頃にたまに飲むぐらい。それも味わうというよりも、その脳裏に張り付いている記憶を探る手立てのようなもの。飲むと昔のことを思い出します。
マンハッタンに引っ越す前のブルックリンは、その時代でも、さらにもうひとつ前の時代が取り残されているようで自分を確かめるにはいいところでした。
マンハッタンが1980年代の頃、ブルックリンはひと昔もふた昔も前といった感じで、そうですね、ロケものテレビドラマの刑事コジャックのロケシーン、あれはマンハッタンばかりですが、当時のブルックリンにはそのロケシーン的リメンブランスを感じます。
1970年代のマンハッタンを想起させてくれる刑事コジャックはいいですね。今みたいにアメリカから生中継が日本国内の生中継と同じような感覚で見聞きする時代では全くなくて、あれはあれで、閉鎖された情報時代ではなかったのですが、あのようなネームヴァリューはあるけれど実態に接したことはない、といったあの感覚、むしろあれこそが世界のあるべき姿のように見えたりします。車が去るとほこりぽかったあの時代、ホワイト・レイブルとともに思い出します。
おわり
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この前、ちょっと100年前の演奏会に行ってきました。
580- 100年前に河童ワープ ニューヨーク・フィルハーモニック・サブスクリプション
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久しぶりでしたので、帰る途中道草してきました。帰る途中というのは道ではなく時でした。カーネギーホールの近場をグルグルといった感じで。
かなり古くて気合いの入ったザガットのレストランガイドを拾ったので証拠写真としてつけますね。最近では日本版も発売されているようですが、縦長で硬い紙質のもので日本人向きではない気がします。
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これは1986年のものですが、だいたい前年に発売されてますので、河童ワープの帰りに寄ったのは1985年です。
一次会といっても今回は一人でいったので、さみしい食事の一次会です。
ここはわりと安くて、うまいイタリア料理を食わしてくれます。
食事は雰囲気が大事ですから、一人で雰囲気でもないですが、それはそれなりに大切なもので、そこらへんしっかりしているので安心して埋没できます。
ザガットの評は、
食事:30点満点の14点
内装:30点満点の14点
サービス:30点満点の15点
価格:35ドル
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いたって普通ですね。
1985年はプラザ合意のあった年ですから、同年でも日本円にすると価格の変動が大きいですが、1ドル200円として7,000円ぐらいでした。今はどうでしょう。倍ぐらいですかね。
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さて、満腹感もほどほどにして次は二次会です。
一気に昔に戻りたいのなら、といってもそもそも河童ワープから帰る途中で昔にもどるというのも変な話ですが、要は雰囲気です。
なんというか、探し求めていたものが残っていたような気がしますね。
何年か前まで、銀座の山野楽器本店の裏口を出た正面2階にオールド・ムービーというお店がありましたが、あのたたずまいを、掛ける100倍したようなお店です。
ここで、おじいちゃんの弾くセピア色の響きのするピアノの音を聴きながら飲むお酒のうまいこと。
当時のザガットによると、
食事:30点満点の7点
内装:30点満点の11点
サービス:30点満点の11点
価格:23ドル
食事の評価が良くありませんが、食事目当てで来た人がいたのでしょう。日本人かもしれませんね。1次会でいきなり来たのかもしれません。団体で。。
安物買いの銭失いと言いますから、まして団体さん御遠慮。。
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これでこの日は満足。
1991年まであったディスコ今で言ったら、クラブ↑、といった変なアクセントで呼ばれるかもしれませんが、そこの前をかすめて帰りましょう。
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レジーンズ Regine's
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ちょっと写真もつけましょう。
よくわかりませんが、ドンペリが250ドルぐらいでしたか。遊びすぎは体に毒なので早々に河童ワープで戻ることにしましょう。
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この日は都合でおそい昼飯を3時頃食べたのですが、踏んだり蹴ったりの食事となってしまいました。
女性も気軽に入れる大規模チェーン店の定食屋ということで、ふだんのお昼は混んでいるので行くこともないが3時頃だとかなりガラガラ。50~60人は入れそうな大箱定食屋だ。
スタッフに案内されて席につき、定食屋だが、だからかメニューが近くになく、もってきてもらう。しばらく考えるからとひとりにしてもらう。
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それでようやく食べるものを決めた。
「ロースカツ定食(ナチュラルポーク使用)」ご飯大盛り。
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でも誰もスタッフがいない。
河童は大声を出してスタッフを呼ぶようなことは決してしないし、気も長いのでしばらく待つ。待つ。待つ。。
ほかの少ない客のほうへ遠くで行ったり来たりしているが、こちらには寄ってこない。ここで日本人だと「すみませーーん」と、でかい声で叫ぶが、あれをアメリカでやる勇気をもっている人種が日本人だったりする。
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それでいくら気が長いといっても時間のこともあるし、河童のお皿も渇いてきたので、スタッフのいないホールを歩き厨房のほうに行き中を覗いてみた。片づけに忙しそうな男に子がいたので、「オーダーを取りに来てくれいないか。」と頼んだら、今行きますということだったので、席に戻ったのだがやはり誰も来ず。それでもう一度同じことをしたら、その男の子がオーダーを取りに来てくれた。素晴らしい。サポートの良くきいたお店だ。
スタッフは家に帰ったのだろうか。それとも遅い昼寝か。
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ということで、なんとか昼飯にありついた。
ロースとんかつ定食。。
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さて、これで食えるはずだった。
しかし、
箸がない。
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運ばれてきたお盆をいくら見ても箸がない。
テーブルにも箸がない。
どこに箸があるのだろう。
箸もセルフサービスなのだろうか。
コップの水のおかわりを取りに行くついでに周りを見回したが、箸がない。
それで結局またスタッフを気長に待つ。
面白いお店だなぁ。
スタッフが眠そうに歩きまわり始めたので、あのう、箸ください。といったら悪びれることもなく、というかまるで水のおかわりでもするかのように、はい箸ですね、といった感じで取りに行った。水はなくても飯は食えるが、箸がなくては日本人ではない。
本当に面白い店なのか、このタイミングではいったのがアンラッキーだったのか。
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さていよいよ食らうか。
ここのお店では、とんかつ用のソース、キャベツ用のドレッシングが、それぞれ別の容器にはいってでてくる。安い定食屋のわりには気配りがある。
最初はそう思ったが、あまりに量が少なすぎる。とんかつ一切れをソースにつけたらもうなくなってしまった。
なんでこんなに量が少ないのだろう、そう思いながら一口目のとんかつにかぶりついた。感動のとんかつであった。
あまりの硬さに歯が折れた。
ような気がした。
とんでもない硬さなのだ。水分を全部飛ばして固形状に残ったようなとんかつを油ころもまみれにしたような代物でとても食えない。ころもは全部はずし、とんかつだけ食べようと試みたが硬い。
断片を食べてみたらそんなに変な味ではなかったのでおそらくそれなりだとは思うのだが何しろ硬い。
昔、別の定食屋で食った焼き魚定食を思いだした。硬くて箸がささらない。箸は魚に刺すものではないが、とにかく分けられない。あの時のことを思い出した。あれは渋谷だったなぁ。
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それでとんかつですが、あごの運動のこともあるし無理して食った。
しかし一口でソースがなくなった。「すみません。ソース追加で特盛りで。」といいたいところだがスタッフがいない。厨房の男の子のところまでソースを取りに行くのもなんか変。待つか。待つか。待つか。
そのうちスタッフが昼寝から目でも覚めたのか出てきてようやくソースにありつけた。あのとんかつはソースなしでは食えないしなぁ。
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それで、あまりの冗談の続きでこれはドッキリカメラではないかと思ったりもしたが、そんなことをされる商品価値のある河童ではないし、とにかく変なお店というかこんな時間帯はこんなもんかとあらためて思ってしまった。
別にこのお店のことをどうのこうのということでもないので、悪あがきはせず河童性特性でもってすぐに忘れてしまう。
ただ、大盛りにしたご飯のまずさはしばらく忘れそうもない。今頃、古米、古々米ということもなかろうが、まずかったぜ。
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悪いことは重なるものらしいが、こんなにひどい昼飯ならいっそ、全部重なってくれてラッキーだ。
夜、帰り際、ハードリカーで今日の悪い出来事と胃のとんかつを一緒に洗い流せばいいだけ。
それにしても高くつくとんかつだったぜ。
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マックの期間限定メガトマトのメガスマイルセット¥780にトライしてみた。
全然小さい。というか、横幅がなく縦に長くて食べづらいだけ。サーロインじゃないんだから、ナイフ使うわけじゃないし。
このハンバーガー、ガブリついても蛇みたいにあごがはずれるわけじゃないから一気に食らいつくのは無理。直径の小さいものなので、横とか底から中身がはみ出てきてすぐに口の周りがきたなくなる。
期間限定失敗作。
¥780だと立派なハンバーグ定食が食える。
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やっぱり直径サイズが大きめで、少し平べったい方が食べやすい。ハンバーガーは最初に指で少し押して、ガブリついて口でさらに押して、地盤を固めて食べやすくしてから、ゆっくり食べれるほうがいい。日本のハンバーガーは小ぶりでダメ。そもそもガブリつくと中身がはみ出るという日本様式にかなわない食い物なんだから、日本サイズにすることがどうかっていうこと。
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今、冗談で、日本国中の理系頭が集まっているのではないかと言われているT町。
このT町ですが、お昼時ろくな飯処がない。まったくない。少しはあるが高くてまずい。
少ないものだから値段を釣り上げても、まずくても、近場にあまりないので、選択肢の少なさにかまけてろくでもない飯を食わせてぼろもうけしている店が少しあるだけ。
あとは、道端に点々とある弁当屋。お昼時になると、弁当屋がいたるところに軒を出す。相場が500円だから高くはない。
仕出し弁当屋はビルの中の労働者をコンスタントな客にするのでこれまたぼろい仕事だ。
近くにある区役場のほうがもう少し安かったりするが、これまた食えた代物ではない。
まわりは、味のわからない、味に興味のない、油に興味のない、理系頭だらけだからまずい昼飯屋にとっては格好の儲け場所と言える。何しろまずいとかうまいといった観点を持ち合わせていないのでこれほどの適所はない。
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とにかくこのT町は飯に関してはどうしようもない街だ。地元の人間が昔F高の頃、何人かで、タクシーで別の街で昼飯を食い、帰りは地下鉄で戻ったという話を聞いたことがあるが、ちっとも大げさではない。
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それで、常日頃から昼飯に関しては2万パーセント諦めているので、投げやりにどこで食ってもいいのだが、マックのメガたまごを横目で見やり隣のチャイニーズにはいった。
たのんだのは、
半チャンタンメン。
つまり、レギュラーサイズのタンメンとチャーハンが半分。850円。
タンメンの量が多いのでかなりのボリュームだ。
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すぐにできる半チャンのほうが先に出てきたので、一口食べる。仕事のしすぎで腹が減っているので、なんでもうまい。
それで、二口目を口に含む。ちょっとあまいなぁ。砂糖をちょっといれすぎてるのかな。
三口目。うーむ。確実にあまい。でも砂糖ではないなぁ。
四口目。なんか変だぞ。ザラザラネバネバ。
と思っているうちにタンメンがきた。まずスープをすする。これはそこそこうまい。野菜が油っぽいすぎ。ではあるが、なんとか食える。
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タンメンスープをすすったそのスプーンで、五口目の半チャンを食べる。
なんじゃ、この味。これは化調ではないか。それも筆舌に尽くし難いほど多量の化調だ。
中国人と思しき夫婦(と思われる)がやっているお店で、安心して食べ始めたのだが、なんじゃい、この化調の山は。。
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気持ちが悪くなってきた。とてもこれ以上食えない。タンメンのスープだけいただいて、そのまま出よう。でも、なんだこのタンメンのスープ。これも変だぞ。これも化調じゃい。。
ああ、気持ちが悪い。
足早に出た。
近くにあるタリーズまでかけっこしてはやくコーヒーでうがいをしたい。
でも、走っている間に、喉の奥にねっとりとまとわりつく化調、口の中全体にヒリヒリベトベト感があり、ああ、どうしようもない。
コーヒーでうがいをしても、水でうがいをしても、この耐久性は高能力だ。ああ、まいる。。
とにかく気持ちが悪い。吐き気だ。やばい。
アルコールで毒素を流したい。でもまだ昼時だ。どうしよう。早退かな。
などと夢想が夢想をよび、耐えがたきを耐え、持ちこたえたが、結局夜中までずっと気持が悪かった。
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これが正真正銘の化調の後味。これを反面教師にしよう。この際、しっかりとこの味を脳裏に刻まなければならない。これを忘れず、銀座のお店に通わなければならない。
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それにしても、だ。このT町。昼飯、なんとかならないものか。このチャイニーズだけでなく、和ものから洋ものまで、まんべんなく、まずくて高い。
寿司屋もあったりするが、チェーン店で、カウンターに座ると、さばいている魚の血の匂いがただよってきて、とても気持ちのいい店だ。金払うから、お願いだから、食う前に店を即刻、出る。
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そもそも理系頭というのは、外部の美しさに興味がない。
自己のなかにある美意識、自己陶酔、理論、屁理屈に酔う妙な生き物。
だから外部のものを育てる、感動する、感想を言う、といった表現が出来ない。
植物、魚、動物といった対象の名前もろくに覚えられない。興味がないのだ。
逆に内なる自分を育て、自己陶酔し、いかに変な結果になろうとも、小理屈に小理屈を重ね上げ自分の中では全てが説明がつくのだ。
このような現象は外から見るとたまに、変、と言われている。
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反面、文系頭は、自己陶酔はデフォルト・バリューというか、ごく自然なものであり、外なる対象への関心が強く、ときとしてデリカシーに富む。
現象に対する意識の強さ大きさウエイトが理系頭とは異なる。
理系頭のような末梢神経が極度に肥大化したような変なところはないが、感度の位置が異なっていると思うときもあったりする。
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いずれにしても、食にうるさい文系の連中が半分でもいれば、街の食文化も大いに変わっているものと思われる。
つきあうなら文系だ。
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