1977年聴いたコンサートのことを断続的に書いてます。
左側のリンクからはいると今まで聴いたものを年別、シーズン別に観ることが出来ます。
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アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団はこの年1977年は3度目の来日。日本公演8回。韓国2回公演。計10回公演となっております。
日本では5月16日~24日の公演。
その初日に潜入して珠玉のようなサウンドを聴いて仰天しました。のけぞりました。
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1977年5月16日(月)19:00
東京文化会館
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ベートーヴェン/交響曲第8番
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マーラー/交響曲第4番
ソプラノ、大川隆子
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(アンコール)
ボッケリーニ/マドリードの帰営ラッパ
(と記憶する。)
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ベルナルト・ハイティンク指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
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記憶は怪しいものかもしれないが、頭は既に薄くなっていたが若々しく溌剌とした足取りでポーディアムに向かうその姿は、このオーケストラを振ることの充実感に満ち溢れていた。確か棒は持っていなかったと思うその両手をこぶしにしてひとさすりし、身を構え振りおろしたその手のひらからはこの世の音とも思えない美しすぎる音がベートーヴェンの第1楽章のスタッカートが、清らかに上野のホールに響き渡った。何という粒立ちの良さ。そして見事にあったその音粒たちの泡立つ響き。あっという間の25分だった。あまり凄かった時は何も覚えていないものなのだろうか、
美しいサウンド、これでベートーヴェンの8番をやるとどうなるか、何もかもが柔らかくそれでいて激しさも少しずつ増してくる。第3楽章のトリオのホルンあたりから自然な盛り上がりとなり、第4楽章は、気品がある激しさ、という言葉しか見つからない。極上の演奏となった。
前半の一瞬の出来事のベートーヴェンであったが、ほっと息つく間もなく、実際休憩時間があったことさえ忘れている、そのままの状態で後半のマーラー4番。
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ほっと一息つくこともなく、はっとする間もなくその100倍の驚きの音楽が天上から降り注いだのだ。超絶的なピアニシモの美しさ。
マーラーの4番の冒頭は前半のベートーヴェンの8番の同じく冒頭を想起させるリズム、見事さがより研ぎ澄まされて後半の最初の音となったわけだ。
珠玉のような音、これ以上美しいハーモニーがこの世にあるとは思えない。宙に漂うビロードのような響き。透明で薄いブルーのような色合いの溶け込むというより、アンサンブルという集合体の美がものすごいピッチで響き渡る。完璧ピッチであれば音はやたらと音圧を強める必要はなく、周波数がサイクリックに同期した響きが抑えた音の中からこれ以上なく清らかにホール全体を5階隅々まで包み込む。
ここでも、あまりにも美しすぎると何も覚えていないということになるのだろうか。
第3楽章の限りない美しさは、ウィーン・フィルと双璧。ウィーン・フィルの方がウエットかもしれない。この楽章の夢見るマーラーは何を想って作曲したのだろうか。異常な美しさは演奏を越え結局マーラー自身に向かうのかもしれない。
第4楽章の現実感とのバランスは見事であるし、美しい音楽は消え入るように終わるべきなのかもしれない。
不思議な具合に、このマーラーの4番を聴いていたらモーツァルトの音楽を想いだした。
おわり
(写真は当時のプログラムより)