河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2630- シューマン1番、2番、クリスティアン・ティーレマン、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、2018.10.31

2018-10-31 23:03:43 | コンサート

2018年10月31日(水) 7:00pm サントリー

シューマン 交響曲第1番変ロ長調op.38 春  12-7+6-9

Int

シューマン 交響曲第2番ハ長調op.61  13-8-10-9

クリスティアン・ティーレマン 指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団


2015年、2016年の来日公演の圧倒的な演奏とは、作品の規模やオーケストラ編成の要因があると思われもすれ、その部分を割り引いても、今ひとつなところがありましたね。

来日公演はなかなか万全とはいかないものでしょうが、逆に日常のルーティンワーク的な色合いが出てくるところもあって、そのような毎日毎晩の演奏のなかに面白みを感じるほうなので、むしろイヴェント的色彩には相応な興味しかわかない。といったあたりのことを思い出させてくれるような演奏でした。これはこれで。

第1番の春のブラス・ファンファーレから始まりました。ティーレマンは相変わらず颯爽としていて、釘抜きのような棒さばき、オーケストラの音の出が益々遅くなった。局面によっては音が出てくるまで待っているところもあって、これはこれで主体的なオーケストラアンサンブルを味わえる。良くザッツあいますよね。オケ呼吸ですな。
シューマンの執拗な刻み節には時に辟易するところもある。オーケストラの色彩感がなかなか出て来ず、ドレスデンでも簡単にはいかない。まろやか風味は無くてザクッザクッと進む。主題が直列に並んでいるような趣きで、これの次がこれ、といった感があってところてんまでもいかない、少し引っ掛かりがある。造形がうまく練り上げられていない。
それにオケの滑り具合も、スルスルまろやか風味を必ずしも求めるわけでは無いのだが、ザクッザクッ姿はプレイレベルに起因するように思えるところがあって、本来の総合体の響きの世界は出し切れていなかったと思う。

後半は2番。春に比べて遥に充実している演奏。しっかりとした作品によるところも大きいと思う。このような造形のしっかりした作品であればあるほどドレスデンの力がビンビン出てきます。
2楽章スケルツォの規模感や前進する音楽が大きく、手応えあり。他楽章がこのスケルツォ楽章のサイズに、よく似合うもので大きさ充実度、申し分ないもの。ヘヴィー級の2番。オケ指揮者ようやく水を得た魚になってきた。押し留まる縦方向の力が前進しようとする力にグラグラ揺れる。刻み節も前進推進力の前にのたうち回る。いい演奏になって来た。自然過熱し始めた。まあ、日常の定期演奏会の雰囲気ってこんな感じだと思いますね。春やって2番やって、折れ線グラフモードから右肩上がりのラインに活力が出てきた演奏で、最後はうまくまとめた。
それでも、なんだか、指揮者オーケストラともに、やり足りない雰囲気がそこはかとなく漂う。


アンコール無しのコンパクトな演奏会。もう一曲欲しかったところだが、それでも2番のほうは本格的なシンフォニック・シューマンでいいサウンドを浴びた。

スタンディングで面白かったのは、ティーレマンが親指をサムアップ風に上げるとウィンドとブラスのプリンシパル達だけが立つ。日本のオケのモタモタ風情は定番なれど、あんな感じでシグナル決めておけばいいのかも。まあ、音楽監督が定期公演を振る回数が日本の場合、本当に少ないのでルール決めも人しだいなのかもしれない。

収録カメラとマイクが多数。NHKではなかったようですがいつかどこかで観れるかもしれない。ステージにカメラ3台、客席に2台。収録マイクはステージに10本ほど、天井から7本ほどぶらさがっていた。いずれも可視。

14型編成

おわり


2629- ブルックナー9番、テ・デウム、新国立劇場合唱団、上岡敏之、新日フィル、2018.10.28

2018-10-28 21:23:01 | コンサート

2018年10月28日(日) 2:00pm みなとみらい

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調WAB109 (ハース/オーレル版)  26-11-26

(連続演奏)
ブルックナー テ・デウム ハ長調WAB45  24

ソプラノ、山口清子
アルト、清水華澄
テノール、与儀巧
バス、原田圭
合唱、新国立劇場合唱団

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


AB9 + Te Deum duration
Ⅰ P3-2-4-3-8-0-2-3-C1
Ⅱ 4-3-4
Ⅲ 4-4-6-8-C4
TeDeum 24

前日のサントリー公演に続き、今日は横浜のみなとみらいでの同一プログラム。

2628- ブルックナー9番、テ・デウム、新国立劇場合唱団、上岡敏之、新日フィル、2018.10.27

サントリーではP席を合唱が占め、ほかはほぼ満員の盛況。今日のみなとみらいは同じくP席は合唱、それから3階席を全てクローズ。残りの1,2階席でざっと七八割ほど。この横浜サファイアシリーズはもっともっと宣伝して満員にして欲しい。

連続演奏のタイミングは楽章間ポーズを除き合計で昨日の83分から4分ほど伸びて87分。朝の散歩で調子が良かったのでちょっとポンポンと小走りしたら身体が整ってきた感じ。身体に余裕が出来て、それが、速めに向かわず、よりスローなテンポに向かっていくというのはこの種の音楽ではえてしてありそうなことだ。今日の演奏は昨日に増してコクのあるものでした。弛緩ゼロ。聴くほうは割とリラックス、その上で余裕あるコンセントレーションができた。飽くまでも自然体です。

演奏は昨日とほぼ同じ。昨日の今日なので深みが出ている。聴くほうの耳にも余裕が出てきているしね。弱音はより強調され、ブラスの強奏は益々レガートモードになり、アタックは実に柔らかい。トラらも不慣れながらも上岡流儀についていく。そうゆうものだろう。
コンマスの激しい同化弾きは全く納得できるものだし、各プリンシパルたちの腕も冴える。チェロなど、実に強靭な弾き具合で魅惑的。
それやこれや、合奏アンサンブルしている雰囲気を直に感じ取れる。余裕の必死弾きには共感するところが多々ある。

一段と彫りが深くなった総体の響きはブルックナーに相応しいもので、この、直進するというよりはどちらかというと横広幅広なニ短調シンフォニーに、立体感を漂わせる。グラデーションも柔らかくてナチュラル。アメリカのスカイスクレーパーとは別の柔らかみのある構築物がしっかりとした底辺に支えられている。そんなところか。

ブルックナー9番とテ・デウムの合わせ技、今日も満喫しました。聴衆の反応も昨日と同様で凄いもの。もはや、作法であって、それを越えた自然体と言ってもいいのかもしれませんね。


二日間にわたる上岡NJP新国立劇場合唱によるブルックナー9番テ・デウム、オーケストラ作品を聴く醍醐味をたっぷりとエンジョイできました。見事な造形の美しさに惹かれ、たまに出てくる効果的なゲネラル・パウゼは上岡マジック。水を打ったように静まり返る聴衆の反応に手ごたえを感じていたことだろう。わけても、テ・デウムのあとのパーフェクトなロング空白は、ひとつの作品が出来上がる響きの総体を聴衆ともども体現したもの。指揮演奏側、聴き手、作品。三位一体となった姿で極めて感動的なシーンでした。

ブルックナー作品とその演奏に心も身体も浄められました。
ありがとうございました。
おわり


2628- ブルックナー9番、テ・デウム、新国立劇場合唱団、上岡敏之、新日フィル、2018.10.27

2018-10-27 23:32:42 | コンサート

2018年10月27日(土) 2:00pm サントリー

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調WAB109 (ハース/オーレル版)  25-11-24

(連続演奏)
ブルックナー テ・デウム ハ長調WAB45  23

ソプラノ、山口清子
アルト、清水華澄
テノール、与儀巧
バス、原田圭
合唱、新国立劇場合唱団

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


AB9 + Te Deum duration
Ⅰ P3-3-3-3-7-0-2-2-C2
Ⅱ 4-3-4
Ⅲ 4-4-5-5-4-C2
Te Deum 23

上岡NJPがブルックナー9番シンフォニーにテ・デウムを連続演奏するというまことに香ばしいプログラム・ビルディングでアタック。
色々と考えあぐねた末のプログラムと思われますので、まずはそれを正面から満喫する。

見事な造形美。上岡特有のレガート奏法、主題の節目は殊更境目をつけない。というよりも滑らかにつなげるアプローチ。3主題がシームレスに見えるかと思いきや、まったくそんなことはない。とろけるような推移に、この際立つ造形バランス。凄いもんだ。
第1楽章の頭は序奏から第1主題というよりも序奏含めて第1主題と思わせるような流れであり、自分の気持ちとしてもスッキリとする。これで初めてデカい第2主題と対等なバランス構成となる。上岡はそのような演奏で魅せてくれた。見事ですね。
同楽章、溶解する展開部から再現部。再現部は第2主題から始まるとすると、その直前、展開部の締めくくりに大きくゲネラル・パウゼしたあとの、超絶ピアニシモによる弦の下降音型スローモーション。ゆっくりと下降していくその姿は、なにか、リゲティでも聴いているような錯覚に陥る。そして、再現部の第1主題をこれで補完しているようにも聴こえる。見事な構成美と言わざるをえない。
第3楽章の2回目の副主題にあらわれるオーボエ3本の混濁のような引き伸ばし、そして、またもや、ゲネラル・パウゼ。この緊張感あふれる空白で、調は脳内で切り替わり、静謐なコーダに向かう準備が出来上がる。
どれもこれも見事なもので、有無を言わせぬ説得力で、シンフォニックな醍醐味を満喫できる。上岡の造形の構築はおそろしいばかりにポイントをついている。

ブルックナーサウンドとしては、高弦の切れ込みはもっともっと欲しいところが特に第3楽章に多々あるけれども、ただ、全般に8本のベースがそもそも比較的軽めというか、流れよりも律動のほうを少し強調しているところがあって、それらはテ・デウムへの布石のようにも、あとで考えると思ったりする。それに、序奏の弾き始めと相似美弱音の、先ほどの第1楽章の超絶ピアニシモによる弦の下降音型スローモーションの限界弾きは、切込みや厚みをむしろ避けていたからこそできるような気配もある。造形の見事さはフォルムだけでなくこのような音圧や律動バランスへの配慮にまで行き届いていると見たほうがいいものだろう。

各主題のあとに頻発する経過句はあまりに濃すぎて、なにやら別の主題がヴェールを脱ぎ始めたような趣きなのだけれども、この濃さは次の主題の予兆をはっきりと感じさせてくれるので噛み締めて次を待てる。待つ準備が脳内にしっかりと湧き立つ。こういった面白みもブルックナーでは一段と大きい。先の事を考えるよう、脳に作用している。天国的な長さのブルックナーではあるがひとつ先を行くといったあたりのことを色々と思わせてくれる。

音響の馴染み。
スケルツォ、トリオの響きはもの凄くさまになるもので、経験則的な響きの安定感を感じる。個々人の技量に加え、総体としての蓄積ナレッジの引き出し、そういったあたりのこともフツフツと。指揮者、プレイヤー、ともにこの音響を以前から理解していた、そんな感じですね。スケルツォは縦型直方体音響がそびえ立ち、トリオの入念さは他楽章同様緊張感あふれる。マルティプルな音色の色合いがこここらあたりから次のアダージョに向けて滲み出す。
ブラスセクションにトラが多かったけれども、それはそれとして、わざとずらしてるんじゃないかなどと邪推したくなる。


絵を描くとき、ちっぽけな一つの部分から書き始める。最終的に全体が出来上がり、観るほうはその出来上がった全体像をいっぺんに見渡すことが出来る。
音楽作品から時間軸を取り払ったら、もしかして、最終音がやんだ時、序奏の頭からこの最終音まで全て一気に見渡す、聴き渡すことができるんじゃないんだろうか。
フォルムの見事さというのはその時初めてよく理解できる透明物体のようなものかもしれない。時折、絵のように見えてくるのよ。聴こえてくるのよ。昔から不思議だったけどね。
画家は絵を描くとき、その初めから最終形が見えているのだろう、上岡タクトにも同じようなアトモスフィアがありましたね。

ということで、このやにっこいニ短調シンフォニーは、ベートーヴェンの第九と似てると言えば似てる。どうもニ短調の曲というのは吹っ切れないやにっこさを他作品でも色々と感じるところがあって、たまに、ちょっと引いたりするのだが、まあ巨大さに最終的にはそういったところは払しょくされる。
第九と同じようにスケルツォを第2楽章にもってきたブルックナー8番9番。これがもし、9番のスケルツォが7番までと同様3楽章の配置にあったなら、誰かれなくみんな、終楽章コンプリートヴァージョンをもっともっと前から創作していただろうなあ、などとあらぬ思いに走る。

テ・デウムには、ソナタ3主題も無いし、もしかすると8番より巨大になっていたかもしれないコーダの主題回帰、轟く様なマルチ主題同時進行の伽藍構築物がヴェールを脱ぐ、そういったスリルとサスペンスも無い。まあ、求めてはいけない。
そんなことは百も承知で敢行した上岡監督であろうからね。プロフェッショナルな味わいを享受する。

終楽章配置のそのテ・デウム。弦の動く8分16分音符の律動はチェック模様のテイストで、それと相対するかのようなコーラスの清らかなロングフレーズ、対比のあやが美しい。さわやかさが漂う。まあ、ハ長調ではある。
ここにきて、上岡のある種、意図のようなものが見えてきた。ソナタは別にして、音響への配慮はテ・デウムとかけ離れたものでは無くて割と通貫するところがあった。
弦が大波小波律動を繰り返し、ウィンドが強めのフレージングを表にさらす。ブラスは小宇宙。合唱とソロが上を流れる。新国立劇場のコーラスは強靭で透明。聖水で心臓が洗われるようだ。
歌を乗せたオーケストラはやや4番シンフォニーのフィナーレ冒頭の律動趣きを感じさせながら、最後は上昇音型に縁どられ天上を見上げる。スバラシイ。
上岡監督が一緒に歌い尽くす振り尽すその姿はピュアなもので、こちらもそのようなものを共同体として納得できましたね。共振のようなものかな。ピュアな気持ちとは。


シンフォニーとテ・デウムの連続演奏。合唱は第2楽章が終わったところで入場。4名のソリストは第3楽章が済んだところで登場。双方ともに聴衆の小拍手は一滴もない静寂なもの。また、テ・デウムが昇天したところで、指揮者が両手で指揮棒をつかみ、頭を抱えたような静止画像のような瞬間は、瞬間越えのロング空白を実現。雑音などたてずにこのまま帰ってしまいたい衝動にかられた。ほとぼりがさめたところでパラパラと始まった拍手とブラボーは10分以上続きました。
素晴らしいい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり

以下、翌日の公演
2629- ブルックナー9番、テ・デウム、新国立劇場合唱団、上岡敏之、新日フィル、2018.10.28


2627- クラウス、シンフォニア、モーツァルト39、メンデルスゾーン、キリスト、詩篇42、鈴木雅明、読響、2018.10.26

2018-10-26 23:09:23 | コンサート

2018年10月26日(金) 7:00pm サントリー

J.M.クラウス 教会のためのシンフォニア ニ長調VB146  7

モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調K.543  11-8-4-7

Int

メンデルスゾーン オラトリオ キリスト  6-12

メンデルスゾーン 詩篇第42番 鹿が谷の水を慕うように  23

(encore 伴奏無し合唱)
バッハ モテット 来たれ、イエスよ、来たれBWV229より 終曲 アリア  1

ソプラノ、リディア・トイシャー
テノール、櫻田亮
RIAS室内合唱団

鈴木雅明 指揮 読売日本交響楽団


精力的な一心不乱棒。
前半はオーケストラ、後半に歌をいれたプログラム、バッハ・スペシャリスト指揮者の登場。
その目で見ると全部が味わい深い。いつもは円錐型の音場構成で聴かせる読響、今日は下から上まで同じ幅で聴こえてくる。それぞれのインストゥルメントが独立様相で生き生きとした音楽が奏でられる。モツ39が生気に溢れ活力豊かに鳴り渡る。エネルギッシュなモーツァルトでした。聴きごたえありましたね。全リピート有りの39番。

一転、後半のメンデルスゾーンは清らかに流れまくる。メンデルスゾーンの泣き節全開。RIASの合唱が強靭さをベースにしてその上で美しさが漂う。しなりがあって透明な合唱でした。詩篇ではソプラノのトイシャーさんが大きく歌う。ホールに響き渡るもので焦点がどこにあるのかわからない。天井から舞い降りてくるような声で包み込む。歌わない時でもちょっとうつむき加減で何か憂いを抱えたような絵になる形が美しい。気品があってビューティフル。
オーケストラが寄り添う美ニュアンス。浸る音楽。
メンデルスゾーン満喫しました。
おわり









2626- アイーダ、バッティストーニ、東フィル、2018.10.21

2018-10-21 23:03:04 | オペラ

2018年10月21日(日) 2:00-5:45pm 神奈川県民ホール

神奈川県民ホール プレゼンツ
ヴェルディ 作曲
ジュリオ・チャバッティ プロダクション
アイーダ   43-41-53

キャスト(in order of appearance)
ランフィス、斉木健詞(Bs)
ラダメス、城宏憲(T)
アムネリス、サーニャ・アナスタシア(Ms)
アイーダ、木下美穂子(S)
ファラオ、清水那由太(Bs)
アモナズロ、上江隼人(Br)

二期会合唱団

アンドレア・バッティストーニ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


Duration
第1幕 32-11
Int
第2幕 17-24
Int
第3幕 31
第4幕 22


意識された劇性という言葉はこの指揮者にはいまのところ無縁に思える。オペラは留まるところのないドラマチックな音楽劇であり、それがもはや通奏低音的なデフォになっている。まず、こう鳴らしておくのが当たり前でその上に色々なものをどう並べて展開していくか。第2幕第2場は指揮者が主役とバッティストーニは言うけれど、きっと、言わなくてもいい自明の理を気付かせてあげたいのだろう。彼のテーマはその上に乗る音楽の動きだ。
派手に鳴るところもあるオペラながら、静寂が覆うオペラとしての見立てとしては、もう一段、彫りの深さが欲しいところでもある。

舞台はシックで、大言壮語に陥ることの無い落ち着いたものでした。
ラダメスとアイーダは双方、もっともっとプッシュ、押して欲しい。アムネリスはそういったことをクリアしていて、こういったあたりのことはオペラを歌う彼らのあたりまえの事だろうと思えてくる。


全体的に、オペラの呼吸を感じた好演でした。
おわり



























2625- ヴェーゼンドンク、エドナ・プロホニク、幻想、ダン・エッティンガー、東響、2018.10.20

2018-10-20 23:11:09 | コンサート

2018年10月20日(土) 6:00pm サントリー

ワーグナー ヴェーゼンドンク歌曲集  3-4-6-3-4
 メッゾ、エドナ・プロホニク

(encoreオーケストラ伴奏付き)
シュトラウス 8つの歌op.10-1 献呈  2
シューベルト(レーガー編曲) 音楽に寄せて  3

Int

ベルリオーズ 幻想交響曲  15-7-18-5+8

ダン・エッティンガー 指揮 東京交響楽団


おなかいっぱいの演奏会。幻想のデフォルメは新鮮すぎ、ヴェーゼンドンクは内面を照らした味のある歌、寄り添う伴奏が素晴らしい。

メッゾのプロホニクが歌ったヴェーゼンドンク。エッチの入念な棒によるオケ伴は呼吸というよりも歌詞に沿った情景や心象風景を醸し出す。薄めのハーモニーが独特なブルーの色合いを出す中、エドナは滑らかに一様な語り口。波風はナチュラルでシームレス、デリカシーが漂う。ソフトで柔らかい(同じ意味か)声が透ってくるけれども、力をこめて抑えているよう、大変に難しい歌なのだろうなあ。肩の力を抜いて、なんて、世界ではなさそうだ。歌詞がよくわかる丁寧な歌、にじみ出るような情感。素晴らしい。
エッチの棒は音の出が益々遅れてくるようになった。そこら辺から漂うようにざっくりと出してください、といったどうか知らないがそんな感じ。自在な棒で見事に寄り添う。
オーケストラ伴奏付きのアンコール2曲はヴェーゼンドンクの色あいから少しギアチェンジ、リズムがある。そういえばさっきまで律動の世界ではなかったなとあらためて思う。ちょっと、明るさが抜けてきていい吹き上げ具合。これらも実に感動的でしたね。献呈には震えた。
エドナはエッチと日本でも何度か共演しているので気持ちも波長もピッタリ、夢心地のいい歌でしたね。


エッチはキース・ウォーナーのトーキョーリング・リバイバル公演でリングサイクル全曲を2年かけて振るというエポックメイキングな出来事がありましたけれども、それ以外も演奏会、オペラと日本でかなりの数振っていて、まあ、聴くほうとしてもかなりの数、聴いている。
幻想は過激なデフォルメが新鮮。あすこまでするか、という部分が随所に聴かれて、それが結構な説得力で、幻想ならではと意識したところも含めて、ファンタスティック節炸裂。

10年ほど前にファウスト交響曲のところで書きましたけれども、バレンボイム似はさらにエスカレート。
621‐ 2万パーセント・バレンボイム エッティンガー ファウスト交響曲 2008.6.13

ただ似るというのではなくて音楽の彫りの深さや入念さなど流れを作るのがうまくて自然。こういったところがあるので似ている部分は取りあえず横に置いてという話しにはなる。

まず、ポーディアムの右左にハープを2台ずつセッティング。奏者4名は2楽章だけ登場。なかなかいいアイデアで強調メリハリよく効いている。
幻想ではヘヴィーな後半楽章はそれはそれとして、全体に重さはあるもののそれよりも入念な音楽作りに耳が奪われた。かなり注意深く音作りがされているようでオーケストラの反応もエッチの指示が細かくあちこち手入れされて練り上げられている。3楽章までは嵐の前の静けさ。

ポーディアムでの靴音、足の広げ具合やツイスト、両腕の動き、目のやりとり、どこを切り取ってもバレンボイム。なれど、左手はさらに雄弁になり、的確な指示。

静けさはその第3楽章のティンパニの強打炸裂で断頭台の情景を明らかに先取りしている。こういったあたりがワーグナーのストーリーテリングを十八番としいている指揮者らしい。
断頭台が済んだところでフラブラした人物は、オレもこの断頭台で逝きたい、というエクスタシーの発露手段があれだったのだろう。と、推測。

終楽章は圧倒的なテンポなのだが、聴いているほうとしては重く重油ドレッシングフレーバー風味。重戦車のような突進なんだが、東響の素晴らしく機能的なスキルは澄み切った圧力につながっていて、快感。

聴後感は、グロテスクな満足感。音楽という行為でどこまでやれるか、といったあたりの事を徹底的に追求したものでした。

バレンボイム似のことはもう言わないが、解釈も相似ではある。
エッチがベトソナ22番1楽章の締め方をどうするか聴きたいものだ。彼もおそらくバレンボイムのベトソナは聴いていると思うし。特に20代の1回目分とかね。
おわり






2624- シベリウスVn協、ヴァレリー・ソコロフ、リンドベルイ、タイム・イン・フライト、シベリウス7番、ハンヌ・リントゥ、新日本フィルハーモニー交響楽団、2018.10.20

2018-10-20 22:48:47 | コンサート

2018年10月20日(土) 2:00pm トリフォニー

シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op.47  16-8-8
 ヴァイオリン、ヴァレリー・ソコロフ

マグヌス・リンドベルイ タイム・イン・フライト(2016-17) 日本初演 5-5-5-7-8

Int

シベリウス 交響曲第7番ハ長調op.105  20

ハンヌ・リントゥ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


リントゥはいつ見てもニヒルでかっこいい。惚れ惚れする指揮姿だ。特に時に両腕を頭より上にあげて振り抜くモーションは日本刀を振り回しているようなしぐさの様でもあり素晴らしく切れ味のいいもの、この時、音楽はさらに高揚する。
基本的に、お腹の位置より上で動く棒であり、プレイヤーもわかりやすそうだし、反応がものすごくいい。この日のプログラムは彼の十八番もの、万全の舞台。

最初の2曲で軽く1時間越えのプログラムなのだが、あえてこの後に休憩を入れて20分ロングの7番を置くあたり、シベリウス・シンフォニーへの熱い思いが、やる前からひたひたと伝わってくるではないか。

ヴァイオリン・コンチェルト、ソコロフのヴァイオリンは豊かに鳴る。太めの音で安定感が抜群。高音の切れ味が良くて、腕に任せて弾くというよりも噛み締めて進む。リントゥの棒が素晴らしい前進力で、ソリストはリントゥの作った流れに身を任せてシベリウス技巧の限りを尽くす。スバラシイ。
オーケストラがシベリウス特有のタラランタラランのリズムを実に自然に鳴らす。リントゥは何拍子といった拍を感じさせず、縦線を取り払って動かしたり止めたりと自在な音楽、なにやら、フィンランド節、シベリウス・イデオムのようなアクセントを思わせる。ここまでで既にお腹がいっぱい。

次はリンドベルイ。リンドベルイと言えば、あの、ピアノ・コンチェルト第2番の強烈なインパクトが忘れられない。生で2度聴いている僥倖もある。
今日は日本初演もの。タイム・イン・フライト、飛び去る時間。飛行機が飛びながら飛行機雲を残すように、時は過ぎ去ろうとも明瞭な痕跡をあとに残していく。
これをイメージしつつ聴く。5部構成は切れ目がない。敷きつめられた音の粒と多数の音色。それらと、リズムとのせめぎ合い。構成はほぼ明瞭に聴き取れる。変奏のような動きをする。地に根ざしたリンドベルイの音楽がノーブルに響き合い、モニュメントがどこかにありそうな、変容でありながらどこか揺らぎのない動かない支点があるように聴こえてくる。痕跡は変容なのかもしれない。痕跡が消える前にその次の痕跡がオーヴァーラップしていく。この5部構成はあっという間の30分でしたね。ピアノ・コンチェルト第2番のような仕掛けがもしかすると、あるのかもしれない。なかなかいい曲でしたね。

ここまでで70分。休憩20分挟んで、いよいよ7番シンフォニー。
ティンパニのさりげない弱音から開始。
弦が濃い。ティンパニは総じて結構な強め。オケは垂直な鋭い切れ味と流麗なストリームがハイブリッド。スバラシイ。
ウィンドの反応力。アグレッシヴな弦。ブラスセクションのアンサンブル感。お見事なバランス。
横隔膜より上のポジションで振るリントゥ。弦に突きを入れるとドドッと反応。棒は上向き。それがエキサイティングに頭の上まで持ってきて刀を抜くと、グイグイと音圧が増し、弾力を増し、垂直切れ味とコクのある流れが一気にブレンド。新日フィル特有の雲の絨毯サウンドが時に立て板に出会ったように鋭く垂直降下もする。あまりの多様な音楽の面(つら)に唖然とする。プリズムの様な光り具合だ。むむ、声にならない。
フィニッシュは雲の中から光がさし、天上に向かう。リントゥの棒は上を指し、作品が昇華。圧巻のフィニッシュ。客、しばらく完全沈黙。凄いもんでした。
シベリウスにしびれた。リントゥかっこいいな、音楽づくりも。
ということで、シベリウス最高峰の作品を満喫しました。
本当にありがとうございました。
おわり


追記
例のムラヴィンスキーの演奏をあげておきますね。

1251- シベリウス交響曲第7番 演奏は曲を超えた。異形の絶演!ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル


 


2623- マントヴァーニ、2Va協、サン=サーンス3番、大野和士、都響、2018.10.19

2018-10-19 23:43:49 | コンサート

2018年10月19日(金) 7:00pm サントリー

ブルーノ・マントヴァーニ 2つのヴィオラと管弦楽のための協奏曲(2009)
日本初演  5-4-3-5-4 -23(-4)

ヴィオラ(しもて側)、タベア・ツィンマーマン
ヴィオラ(かみて側)、アントワン・タメスティ

(encore)
バルトーク 44の二重奏曲Sz98より No.28悲嘆(Sorrow)  3

Int

サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調Op.78オルガン付  8-10、7-8


大野和士 指揮 東京都交響楽団


マントヴァーニの日本初演作品。約40分もの。途中でタベアさんの弦が切れて演奏ストップ。ご本人は退場して張りなおして、そこから再スタートというあまり見かけない風景もあった。
コンフリクトなコンセプトが作曲家の頭にあるようだ。音楽の表現としてそういった概念が形作られていっているのだろう。
いきなり二つのヴィオラソロから始まる。音がデカい。PA使用なのかなとまずは不思議な感触。ホルンを含んだウィンドが弱音で伸ばしていく中、ブラスとパーカスは炸裂音を断片的に繰り返す。そのような進行が下敷きとなって二つのヴィオラがプレイを重ねていく。オーケストラ自体が伴奏という雰囲気はあまり感じなくて自己表現力が強く、味わいも濃厚です。ヴィオラが主導してオーケストラが咆哮や流れを出していく。重なるよりも直列進行の趣き。色合いはヴィオラ音域レヴェルに有って、キンキンする音楽では無くて、思考があって音が出てくるような具合。いろんなことが延々と続いていく。
1部と2部の切れ目は無くて、おそらく21分、19分の計40分の大きい作品。2部では最初に書いたアクシデントがあったので実際のところ19分では無くて24,5分ほどの経過時間。
解説にもっと詳細な進行説明があるのでそれをたまにチラ見しながら聴いてみた。

咆哮と流れと変奏的な大きな繰り返しの束、現代の音楽の音響への興味としては聴衆に申し分ないものを与えてくれる。弛緩しない音楽は聴衆をひきつける。魅力的な作品でしたね。

途中のアクシデントでは客が水をうったかのように静かで、このアクシデント自体が、まるで、この作品の演出の一つでもあるかのような不思議な静かさ。お客のテンションの高さが手に取るようにわかったのではないか、大野さんやソリストはじめ全員がね。
まあ、あの中断、大野の棒でオケが一斉にストップ、その空恐ろしい揃い具合。驚異のピッタリ中断で、あれを客が聴けば客は必然的に静かになると思う。お見事なアクシデント対処プレイでした。日本初演ものということで、なんというか、あらためてビックリな技。マントヴァーニもびっくりだろう。



現代音楽ではめざましいパフォームとなるこのオーケストラ。
後半プロは硬い音がマイナス。鉄板に壁ドンのブラスセクションの中、ホルンの3番はいい活躍でした。ティンパニは相変わらずでなんとかならないものか。なんで棒打ちになってしまうのか。
おわり




2622- モーツァルト38番プラハ、ブルックナー9番、ブロムシュテット、N響、2018.10.13

2018-10-13 23:32:17 | コンサート

2018年10月13日(土) 6:00pm NHKホール

モーツァルト 交響曲第38番ニ長調K.504プラハ 18-12-8

Int

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調WAB109  23-9-22

ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮 NHK交響楽団


AB9 duration
Ⅰ 4-4-3-6-0-2-2-C2
Ⅱ 4-2-3
Ⅲ 4-3-2-3-3-1-4-C2

前日のインキネンに続いて今日はブロムシュテットでブルックナー9番を。贅沢と言えば贅沢、こちらが本家のような周囲の気配も感じるけれども、随分と違う演奏ではある。それに10分も短い。びっくり。

ブロムシュテットのブル9は序奏からして既に律動主体の世界であり、快速。初楽章の展開部などあまりに軽すぎて全体フォルムを考えると、どうかな。アンバランスですね進行が。第3楽章の主題羅列モードは、この楽章のフォルムに明確さを与えるのかと思いきや、形式の溶解助長、陳列物の様相を呈し、形が見えてこない。ドラマも無くて、全体を覆う、ア・テンポがむなしい。

キュッヒル・コンマスの音が良く飛んでくる。モーツァルトでもそうだし、ブルックナーでもバンバン来る。NHKの手の施しようがないこの小屋でも孤高の独りサウンド。オケ連中はそろそろ学んだらどうなの。

プラハは小編成で音が小さい。バランス、ハーモニー、ニュアンスなどを聴き分ける前に、まず、音自体がきっちり届くかという大問題がある。
それに不思議な事に、小編成プラハでは奥めに配置されたオケ。大編成ブルックナーでは前のほうに移動。固定収録マイクのせいなのかしらと勘繰りたくなる。やってることは真逆だと思われるが、放送ファーストなんだろうね。
おわり


2621- シューベルト5番、ブルックナー9番、インキネン、日フィル、2018.10.12

2018-10-12 23:46:46 | コンサート

2018年10月12日(金) 7:00pm サントリー

シューベルト 交響曲第5番変ロ長調D.485  5-10-5-6

Int

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調WAB109  27-11-25


ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


AB9 duration
Ⅰ 5-3-3-9-0-2-3-C2
Ⅱ 4-3-4
Ⅲ 5-3-3-2-2-3-3-2-C2

ゆっくり、インテンポで進むブルックナー。鋭角な角がそぎ落とされた滑らかな進行。悠揚迫らざるインテンポで全く弛緩することの無い演奏が淡々と進んで行く。ブルックナーのフォルムをこのテンポで貫き通し、その世界にひきずり込んでいく手腕は並々ならぬものがあると言えよう。深みのある演奏。
弦集団のマッシヴ感、わけてもベースの揺れるようなプレイ、多彩なニュアンスはシンフォニーのプラットホームと思わせてくれる。

配置は5番8番と同じ。演奏スタイルも同じ。ホルンが上手に勢ぞろいし、朝顔から出る音がオーケストラのほうに溶け込んでいく。
初楽章の溶解した展開部と再現部、その再現部の第2,3主題は一層清らかにして明確。インキネン一流の染み抜きしたような響きでサクサクと進める。とっても遅いんですが、あんまり感じさせませんね。

聴き進むにつれ、名状し難い空気の圧力のようなものが皮膚を刺す。聴きごたえある演奏、ひとつずつ噛み砕きながら食べ尽す。どっしり構えたブルックナー、インキネンはどう進んで行くのだろうか、楽しみではある。

前半のシューベルトは、精度が今一つ。弦の4拍目にもう少し入念さが欲しいですね。
オケ全体はいつもの柔らかい真綿サウンド。これ自体、魅力的なところがあります。

収録マイク多数。ステージに6、天井から14、いずれも可視。商品化されるのかもしれない。
おわり


2620- ブラームスVnC、チョン・キョンファ、サン=サーンス3番、チョン・ミョンフン、東フィル、2018.10.5

2018-10-05 23:30:10 | コンサート

2018年10月5(金) 7:00pm サントリー

ブラームス、ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.77  24-8-9
 ヴァイオリン、チョン・キョンファ

Int

サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調op.78 オルガン付き  10+10、7+8

(encore)
ビゼー カルメン 第1幕への前奏曲  2

チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


前の晩の初台からサントリーに場所を変えてのいずれも定期公演。

2618- ブラームスVnC、チョン・キョンファ、サン=サーンス3番、チョン・ミョンフン、東フィル、2018.10.4

ブラームスは昨晩と同様に、一途に徹した演奏、二日で二度堪能しました。

ミョンフンお得意のサン=サーンスは一段とスケールが出てきて、1部後半のカンタービレ、2部前半の沸き立ち、等々、何から何まで冴えまくっている。それに、今更ですが、東フィルさんのカンタービレにはしびれますね。

ミョンフンの棒にはメシアン解析スペシャリスト的な雰囲気が漂っていて、知性の力学でコントロールするウエイトが高いと思う。そういうものが通奏低音的にあって、その上で色々と出し入れしている気配で、自信の底力を垣間見ることがある。その目で見るとオルガン付きは朝飯前で、まあ、そうなんだろうけれども、徹底化をし尽す。余裕のようなものが、より良い効果的な方向に味付けされている。出来上がった演奏作品は殊の外、見事なものとなりますね。

今日も大満足の演奏会でした。
おわり


(詳細別途)


2619- オール・ベートーヴェン・プログラム、4番、PC2、田部京子、7番、上岡敏之、新日フィル、2018.10.5

2018-10-05 23:00:46 | コンサート

2018年10月5日(金) 2:00-4:10pm トリフォニー

オール・ベートーヴェン・プログラム

交響曲第4番変ロ長調op.60  8-8-5-7

ピアノ協奏曲第2番変ロ長調op.19  15-8-7
 ピアノ、田部京子

Int

交響曲第7番イ長調op.92  11-8-7-6

(encore)
メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調op.90イタリア 第4楽章  5

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


上岡さんを聴き始めの頃、マーラー4番のあまりに変形した演奏に絡め、ベートーヴェンをまず真正面から振るのが先ではないかと非難めいたことを書いたことがあるが、今にして思えば何も知らずのなんと浅はかな事だったと大反省しているわけです。音楽に対する考えと熱い思いがこれほど深いものであったという事をもっと早く知るべきでした。一方的な決めつけは良くない、さらに、決めつけるためのダメな理由探しをするのはもっと良くない。最悪でした。ごめんなさい。

本格的なベートーヴェンプロ、このようなプログラムは国内オケの定期公演ではめったに見かけることが無いものですね。まさしく正真正銘の正面突破プログラム。上岡監督の基本的な音楽スタイルは聴衆を驚かすことではなくて、作品の原点に立ち返り、そこから始めることでありそれが今の聴衆には陳腐なものがワイプアウトされてフレッシュに聴こえる。原因も途中経過も結果も、全く納得できるもので本来のオリジンな上岡ワールドは限りなく正しいと言えるものだ。

作曲家の荒々しさはひとまず横に置いて、そのダイナミクスはむしろピアニシモに力点をスポットした極めて美しい内容。7番のシックな佇まいはまことに落ち着いたもので光の当て方次第でこうもなる、見事なものであった。
ということで、まずは最初の4番から。

初楽章の序奏は入念、その分少しスローなものではあるのだが、何故か提示部主題のシンコペ的なリズムを感じる、前出し的な絶妙なもの。これまでの演奏会でも同じような現象を感じており、なにか上岡マジックがあるのかもしれない。
音楽が進んで行って、律動がよく効いていて、カツ、バタバタとした騒ぎにならない。アンサンブルの混ざり具合と際立つ主旋律。上岡イズムや方針が生かされたいい内容で、また、プレイヤー達のやる気度も満点。力が合わさっているのだなあとうなる。バリバリとせず前進する音楽はベートーヴェンのもう一つの側面を魅せてくれる。
楽章終結音をスーッと抜くやりかたは、昔、チェリビダッケがシュトゥットガルト放送響の頃よくやっていたもので、フランス式とか解説者が言っていた記憶がある。主に1970年代ですね。多重な音の層がひとつずつ、こうだったのか、とヴェールを脱ぐような趣きで聴くことが出来る。
結局のところ最後の一音まで悉く聴かせてくれるベト4で、聴くほうの手応えも満点でアドレナリンがジワッと湧いてくる。聴き手を能動的にさせる上岡タクトですな。

田部さんをソリストに迎えたベトコン2。大きな作品に接した充実感に満ちている、客が。
田部さんのピアノは形式のフレームを感じさせつつも一旦中に入り込むと呼吸を大きく取った自由なカンタービレで、音楽が生きている実感。
緩徐楽章の静謐さ、滑らかに伸縮するフレージング、指揮者は膝をグッと折ってオケを抑えるものだから極限のオケ伴ピアニシモで、息が詰まるほどの緊張感。そして終楽章の自然な解放、見事な棒さばき、自由に解き放たれた呼吸。まあ、二人ピアニストが並んでいるという話しだ。

休憩を挟んでの7番は騒ぎ立てることの無いシックで落ち着いた演奏。舞踏、リズムの権化とは異なる。このように気張らないで音符を淡々と追っていく演奏が作品の本来の姿だったような気もする。譜面に正面から取り組んだ姿勢ともいえる。聴衆に語りかけるような7番の響きとリズムをじっくりと味わうことが出来ました。

序奏のウエイトが高い4番7番、その序奏が一つのポイントで、まずここで先々の枠組みをつかみ取らせてくれる上岡流の見事な棒。満喫しました。

目の覚めるようなアンコール、もう一段目が覚めたような気になった。スッキリ。
おわり











2618- ブラームスVnC、チョン・キョンファ、サン=サーンス3番、チョン・ミョンフン、東フィル、2018.10.4

2018-10-04 23:01:25 | コンサート

2018年10月4日(木) 7:00pm コンサート・ホール、オペラシティ、初台

ブラームス、ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.77  23-9+8
 ヴァイオリン、チョン・キョンファ

(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番より アダージョ  4

Int

サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調op.78 オルガン付き  10+10、8+7

チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


みなさんこの年齢になったとはいえ、弟さんの伴奏棒で弾くお姉さんソロ、いいもんですね。一時代を作り上げたプレイヤーですし。個別の思い出はなくてもなんだか神妙になってくる。音楽が引き寄せる力かな。

入念な入りの序奏から始まったブラコン。提示部も練る練る。基盤、インフラががっちりと出来上がる。そしてキョンファのヴァイオリン、厳しい音楽スタイルは安定より前進を目指す。美音かどうか、スキルの劣化はどうか。そんな議論には組しない。これ、ほんと、そんなことで、いいとかわるいとか、聴くレベルがそんなもんか、彼女の中でそう思っているのかどうかは神のみぞ知るだけれども百戦錬磨のプレイヤーは達観した弾きだ。
どのエレメントも全く揺れることのないプレイ、ビシッと決まった緊張感あふれる鉄演。演奏スタイルとして方向性が明確であって、その意思を強く感じる。ゆっくり目な伴奏の中、やや乾いた音が作品を作り上げていく。響きを締めて豊穣な音楽を作り上げる。軽い弾きなんて一切なかったなと、聴き手が問われる演奏で、精根尽きました。心地よい疲れではあります。本格的なシンフォニック伴奏のもとキョンファ会心のプレイでした。お見事。


サン=サーンスの3番はミョンフンお得意の物件。これだけ巨大なスケールで聴かせてくれる演奏もめったにない。マウントフジかエヴェレストか、そびえ立つような演奏で、時として空虚な作品が跡形もなく最高峰の頂と化す。演奏が作品を越えた瞬間ですね。
指揮者とオケが一音ずつ噛み締めながらの演奏を、聴き手側が同じように噛み締めて聴く、その聴かせ方をミョンフンはよく知っているのだろう。マジックですな。
様相を徹底的に振幅大にして、出来る限りの深彫り、立体的な彫琢を作り上げる。まるで初めて聴く様な感覚に襲われる。フレッシュで大きなものを観た。感動の嵐です。

両曲ともに知性と感情が渦巻く様な、手ごたえ満載の演奏会でした。
ありがとうございました。
おわり






2617- マーラー8番、井上道義、読響、2018.10.3

2018-10-03 23:58:31 | コンサート

2018年10月3日(水) 7:00pm 東京芸術劇場

マーラー 交響曲第8番変ホ長調 千人の交響曲  24-54

いと罪深き女、菅英三子(S)
贖罪の女、小川里美(S)
サマリアの女、池田香織(A)
エジプトのマリア、福原寿美枝(A)

マリア崇拝の博士、フセヴォロド・グリフノフ(T)
法悦の教父、青戸知(Br)
瞑想する教父、スティーヴン・リチャードソン(Bs)

栄光の聖母、森麻季(S)

首都圏音楽大学合同コーラス
TOKYO FM 少年合唱団

井上道義 指揮 読売日本交響楽団


もはや、平時のレパートリーという感じで、余裕の室内楽的アトモスフィアがそこはかとなく漂うテイスト。万遍なく抜かりなく作品の中身をじっくりと堪能できました。日常的な水準の高さがこれだけあれば、イヴェント的モニュメント的お祭り的な色あいはことさら強調することは無くても、まあ、ルーチンワーク・プラスワン、の感覚で大いに楽しめた千人でした。

オーケストラは厚みのあるウィンドハーモニーが印象的、マーラー特有のやにっこいしなり節を排したブラスセクションの純でストレートな筆の運び、これは終始一貫してましたね。それに、円錐型音場構成が魅惑的な弦群。

歌のほうはソリストが埋もれ気味でしたけれども、これは聴き手のポジションによるところが大きいのかもしれない。女声合唱がストレートに伸びてきて、鮮やかにラインが決まる。それらに呼応しているオケアンサンブルの見事さ。
指揮の井上が総まとめしたのだろう、ダイナミックな振りで大人数をドライブしていく姿は爽快。ひじを張り、鋭角的な振りとなるあたりは見た目も鮮やか、全員納得棒だろう。

合唱は、メトロポリタンエリアにある音大の合同コーラス。270人ほど。女声コーラスがグーンと伸びてくる。
ソリストでは小川さんが素敵、昨年のノルマのリヴェンジ果たしました。
おわり