河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2838- スピノジ HIMARI 新日フィル 2023.11.10

2023-11-10 23:28:50 | コンサート・オペラ
2023年11月10日(金) 2pm スミトリ

ロッシーニ アルジェのイタリア女 序曲 9
ヴェルディ 運命の力 序曲 8
ヴィエニャフスキ ヴァイオリン協奏曲第1番 16-3-8
ヴァイオリン、HIMARI

(アンコール)
J.S.バッハ ヴァイオリン・ソナタ第2番第3曲アンダンテ 4

Int
ワーグナー トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死 12+7
ビゼー カルメン組曲第1番、第2番より 16

(アンコール)
ビゼー カルメン 第1幕への前奏曲 聴衆の手拍子とハミングで

ジャン=クリストフ・スピノジ 指揮 新日フィル

(詳細別途)


















2819- モツコン25番、ラローチャ、ブルックナー7番、テンシュテット、ニューヨーク・フィル 1986.10.21

2022-06-05 19:34:47 | コンサート・オペラ
1986年10月21日(火) 7:30pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 K.503

ピアノ、アリシア・デ・ラローチャ

Int

ブルックナー 交響曲第7番


クラウス・テンシュテット 指揮 ニューヨーク・フィル

(詳細別途)



2818- モスクワ川の夜明け、ブラームス ダブル協、カガン、グートマン、ショスタコーヴィチ5番、スヴェトラーノフ、モスクワ国立響、1986.10.20

2022-06-04 19:42:39 | コンサート・オペラ
1986年10月20日(月) 8pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

ムソルグスキー ホヴァンチナ前奏曲、モスクワ川の夜明け

ブラームス 二重協奏曲
 ヴァイオリン、オレグ・カガン
 チェロ、ナターリャ・グートマン

Int

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番


エフゲニー・スヴェトラーノフ 指揮 ソヴィエト国立交響楽団

(詳細別途)









2817- ジークフリート牧歌、4つの最後の歌、シントウ、ベートーヴェン7番、ジェイムズ・レヴァイン 1986.10.19

2022-06-02 20:13:23 | コンサート・オペラ
1986年10月19日(日) 4pm メトロポリタン・オペラハウス

ワーグナー ジークフリート牧歌

シュトラウス 4つの最後の歌
 ソプラノ、アンナ・トモワ・シントウ

Int

ベートーヴェン 交響曲第7番

ジェイムズ・レヴァイン 指揮 ベルリン・フィル

(詳細別途)








2816- フィガロの結婚 レヴァイン メト ファン・ダム キャスリーン・バトル フォン・シュターデ ハンプソン ゼーダーシュトレーム 1986.10.18

2022-06-01 23:11:51 | コンサート・オペラ
1986年10月18日(土) 7:30pm  メトロポリタン・オペラハウス

モーツァルト フィガロの結婚

ジャン・ピエール・ポネル プロダクション

キャスト
フィガロ ホセ・ファン・ダム
スザンナ キャスリーン・バトル
ドン・バルトロ パオロ・モンタルソロ
マルチェリーナ ロレッタ・ディ・フランコ
ケルビーノ フレデリカ・フォン・シュターデ
アルマヴィーヴァ トーマス・ハンプソン
ドン・バジーリオ ウーゴ・ベネッリ
ロジーナ エリザベート・ゼーダーシュトレーム
アントニオ ジェイムズ・コートニー
ドン・クルチオ アンドレア・ヴェリス
バルバリーナ ヘイ・キョン・ホン

ジェイムズ・レヴァイン 指揮 メトロポリタン・オペラ

(詳細別途)




2815- ワルキューレ シェンク レヴァイン メト ホフマン マイアー マッキンタイア ベーレンス 1986.10.17

2022-05-31 22:13:54 | コンサート・オペラ
1986年10月17日(金) 7pm メトロポリタン・オペラハウス

ワーグナー ワルキューレ

オットー・シェンク プロダクション

キャスト
ジークムント ペーター・ホフマン
ジークリンデ ヨハンナ・マイアー
フンディング ジークフリート・フォーゲル
ヴォータン サイモン・エステス ドナルド・マッキンタイア
ブリュンヒルデ ヒルデガルト・ベーレンス
フリッカ ミグノン・ダン

ジェイムズ・レヴァイン、メトロポリタン・オペラ

(詳細別途)





2634- プロコフィエフ、イワン雷帝、ニコライ・アレクセーエフ、サンクト・ペテルブルグ・フィル、ニコライ・ブロフ、東京音楽大学、2018.11.13

2018-11-13 23:09:02 | コンサート・オペラ

2018年11月13日(火) 7:00pm サントリー

プロコフィエフ オラトリオ イワン雷帝 Op.116 (字幕付き) 67分

語り、ニコライ・ブロフ
バリトン、浅井隆仁
合唱、東京音楽大学合唱団

ニコライ・アレクセーエフ 指揮 サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団


指揮は当初のテミルカーノフからアレクセーエフに変更。内容についても変更があり、カット予定の「3.大海原」が省略されずに演奏。

また、昨年2017年同時期にソヒエフ、N響で同じ演目の公演がありました。

2450- プロコフィエフ、イワン雷帝、トゥガン・ソヒエフ、N響、他、2017.11.17

この時の公演ではメッゾの出番がありましが、今回は無し。テミルカーノフに替わるアレクセーエフでも同じようにカットしているという話しになります。


いやはやなんとも、一気通貫のやにっこさ。昨年のソヒエフでも同じような感触でしたけれども、あれをもう二回りスケールアップした演奏で、やにっこさも増す。プロコフィエフ特有の斜めに見た雰囲気はあまりなくてムーヴィー的なスペクタクルあり。とは言いつつも、合唱との掛け合いがものすごく印象的でこちらがメインといった気もする。合唱が素晴らしく美ニュアンスに溢れていて血が通っている。合唱と語り、それに管弦楽、それぞれの色模様が直列的になっているのでわかりやすいですね。

映画のストーリーは解説のほうに譲って、まずは、語りのブロフ。マイク付きで、おそらくマイク無しでも相当デカい声だと思われるが、それにマイクだからオーケストラの全奏すと同じぐらいデカい。これにはびっくりで、アンバランス感が漂う。ただ、自国の芝居物オーソリティの語りは圧倒的でグイグイと引き込まれる。ソヒエフのときの片岡も凄いものでしたがそれとはまったく別、ブロフの母国語での語りは圧巻の説得力。まるで歴史のその場にいるかのような原色カラー。まあ、けた外れの仰天パワーでした。
この語りと合唱の絡み合いがアンバランスにならず双方同じリキで受け応えする。語りが済むとブロフは後ろの合唱を見て促す。なんというか、いいコンタクトで、呼吸がよく合っていて音楽が非常によく流れていく。語りと音楽。音楽と音楽のようだ。
声が済むと今度は18型のオーケストラが唸りを上げ底馬力、センターバックの鳴り物、上手奥で炸裂するブラス・セクション、ぶ厚い弦のうねり。
上手に配したブラス・セクションは昔のレニングラード・フィルや他のソ連時代のオケを思い出しますね。ホルンが1列では無くて1,2と3,4の2列になるとほぼ昔通りの配置。あすこからかたまってトランペット、トロンボーン、ホルンが整然とした響き、一糸乱れぬアンサンブルというのはロシアらしいし、またあらためて秀逸、レヴェルの高さをまざまざと実感させてくれる。
とにもかくにも、もの凄い演奏に出くわしたものだ。腰が抜けました。

代振りのアレクセーエフは棒を持たず、しなやかな腕まわしでテミルカーノフ風味もあるかな。空気わしづかみ的なアクションは若い頃のロジェストヴェンスキーを思い出させる。全体に端正な振りで要所要所を締めているのだろう。語りと合唱の掛け合いの時はそちらを見たりしているオケメンも出番になるとアレクセーエフの腕のピクリにドドーンとものの見事に反応する。オーケストラは言わずと知れた高性能集団で、進むにつれて、その素晴らしいアンサンブルが合唱にも伝播、フルオケ、合唱がドドーン・ドドーンと見事に荒れ狂う。流れも実によくてめくるめく映画音楽の完成だ。

対向配置、18型、巨大編成のオーケストラ。女性奏者は十二三人でしょうか。この時代、随分と少ない男集団ですね。


イワン雷帝、満喫しました。
ありがとうございました。
おわり












2078- リッカルド・ムーティ、東京春祭、2016.3.17

2016-03-17 23:38:48 | コンサート・オペラ

2016年3月17日(木) 7:00pm 東京芸術劇場

ヴェルディ ナブッコ、序曲   7′

ヴェルディ ナブッコ第1幕より、「祭りの晴れ着がもみくちゃに」 6′
  合唱、東京オペラシンガーズ

ヴェルディ アッティラ第1幕より、
「ローマの前で私の魂が・・あの境界の向こうで」  6′
  バス、イルダール・アブドラザコフ

ヴェルディ マクベス第3幕より、舞曲  11′

ヴェルディ 運命の力、序曲  8′

ヴェルディ 第1回十字軍のロンバルディア人 
第3幕より、「エルサレムへ、エルサレムへ」  7′
  合唱、東京オペラシンガーズ

Int

ボイト メフィストフェレ、プロローグ  30′
  バス、イルダール・アブドラザコフ
  合唱、東京オペラシンガーズ
  児童合唱、東京少年少女合唱隊
  バンダ


リッカルド・ムーティ 指揮 日伊国交樹立150周年記念オーケストラ
=東京春祭特別オーケストラ + ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団


2016年東京春祭の一環、日本とイタリアの国交樹立150周年記念公演。オーケストラは、日本側は春祭用、イタリアはムーティが2004年に設立した奏者30歳以下のメンバーによるもの。大変に大きな編成です。

東京春祭特別オケ      45名  バンダ 20名
ルイージ・ケルビーニ管   40名
東京オペラシンガーズ    S 36  A 28  T 27  B 29
東京少年少女合唱隊     20名と推測

オケはプログラム前半後半でポジション入れ替えしていました。

また、この日は、リッカルド・ムーティが日本で振る150回目の公演だそうです。その記録パンフも挟んでありました。記録魔にはお宝でしょうね。


前半はオール・ヴェルディ・プログラム。
かなりのヘビー級なラインナップですね。オーケストラのみの演奏は序曲2曲と舞曲。マクベスの舞曲が殊の外、充実していました。前半では一番のロングなもの。序曲は相応な雰囲気を楽しめました。
合唱付きは2曲で、100人越えの圧力と清らかな運びが心地よい。テンポ感もよく、立ち上がりがいい、小気味いいもの。ムーティのオーケストラと合唱の境目のない見事な棒が光ります。極小さな動きでコントロールしていくさまはリハーサルの成果ですね。例の、右手に持った棒を左肩の上に後方に向けて終わる独特のエンディングもよく決まっています。
バス独唱はアッティラから1曲。大柄な人で身体全体が共鳴箱のような雰囲気。ムーティに敬意を払いながらの歌のように見えます。暗い歌、力強く聴かせてくれました。

イタリアオペラ、特にヴェルディは振りつくしていると思われるムーティの棒は、オペラを振っている時のそれぞれのシーンが頭の中にしっかりとあって、そのイメージに近づけようとする振り具合だと思います。経験とイメージ、その集大成を日々行っているのでしょう。たとえプレイヤーがイタオペゼロスタートな人たちであっても、そのゼロからのスタートのための努力をする人ですね。どのような場合でも、彼のオペラのフレージングの見事さ、特にスコア重視と言いますか、サッと切り上げるあたりは昔通りの耽溺しない棒そのままです。
見事なバトンさばきで、ちょっとした動きにプレイヤーがグワーンと反応する。オペラ振り尽くしてきた人の棒というのは、凄いもんですね。

後半のボイトのメフィストフェレのプロローグ。このオペラ、ここだけが凄い編成となる。たぶん。
バンダ・セクションは頭と中間と最後、吹きっぱなしで。派手なプロローグ。
息の長いフレーズのシーンで、指揮者はよっぽどオペラ全体のイメージ、雰囲気を頭の中に入れていないと息切れするというか、緊張感が緩んだ演奏になりかねない。だれた演奏とすぐ隣り合わせみたいなところがありますね。作曲家のイメージが膨らみ過ぎでオペラを美化しすぎたような部分。雰囲気に浸かってからでないとなかなかのめり込めないプロローグ。ムーティはこのオペラに力を入れていたはずで、まぁ、のめり込むというほどではないが、やにっこくて渋い作品を淡々と振り、ツボで大きく鳴らす。オペラの肝をわかっている。あたりまえですが。
バンダは派手、合唱も分厚い圧力で、それでいて混濁しない。ムーティがオケと合唱、シームレスな扱いで滑らか、角の立たない流れで進む。ホールに音が響き渡る。
この日の無料プラグラムには対訳リブレットがついていまして、メフィストフェレは事前に読んでおくと面白さが増しますね。
メフィストフェレのアブドラザコフは途中入場の途中退場で、ほかの部分はソロがいても掻き消えそうな派手な鳴り、オペラで音響を久しぶりに堪能させてもらいました。
ありがとうございました。
それにしてもムーティの髪の量と腰の強さ、凄いね。


東京春祭の全プログラム掲載の冊子、今年は216ページ。昨年から500円に有料化。これを買っても買わなくても当日のプログラムは別配布される。ちなみに今日のプログラムには対訳もついている。また、ムーティ150回来日記録も挟んである。ので、わりと、至れり尽くせりです。

おわり




2049- 魔笛、パーテルノストロ、東響、オペラパレス、2016.1.28

2016-01-29 00:06:04 | コンサート・オペラ

2016年1月28日(木) 2:00-5:10pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
モーツァルト 作曲
ミヒャエル・ハンペ リヴァイヴァル・プロダクション

魔笛

キャスト (in order of appearance same as voice’s appearance)
1.タミーノ、 鈴木准 (T)
2.侍女Ⅰ、 横山恵子 (S)
2.侍女Ⅱ、 小林由佳 (Ms)
2.侍女Ⅲ、 小野美咲 (Ms)
3.パパゲーノ、 萩原潤 (Br)
4.夜の女王、 佐藤美枝子 (S)
5.モノスタトス、 晴雅彦 (Br)
5.パミーナ、 増田のり子 (S)
6.童子Ⅰ、 前川依子 (S)
6.童子Ⅱ、 直野容子 (S)
6.童子Ⅲ、 松浦麗 (Ms)
7.弁者、 町英和 (Br)
8.ザラストロ、 妻屋秀和 (Bs)
9.僧侶、 大野光彦 (T)

10.パパゲーナ、鷲尾麻衣 (S)
11.武士Ⅰ、 秋谷直之 (T)
11.武士Ⅱ、 大塚博章 (BsBr)

合唱、 新国立劇場合唱団
ロベルト・パーテスノストロ 指揮 東京交響楽団

(タイミング)
序曲 6′
第1幕 61′
Int
第2幕 85′


1998年5月6日がプレミエ公演ですから随分と前から人気のプロダクション。
最後のシーンは舞台奥に大きな地球のような星が現れるので、これまでのことは宇宙での出来事だった、みたいなユニバース的な雰囲気になるのですけれども、第1幕終盤でザラストロが出てきたあたりの祭事のような全体的な人の動きというのは、何か、入信儀式に入っていく感じで、言われなくてもフリーメイソンのことしか浮かんでこないもの。それが正しいものと言われてしまうとプロダクションの色濃さも手伝って、人によっては相当な抵抗感があってもおかしくないのではないか。それがユニバースというわけではないのですし。ザラストロが絶対正義ではないでしょうと言いたくなる。

モーツァルト最後のオペラはドイツ語のジングシュピール。タイトルがマジックフルートですから、タイトルロールは誰なの?という話しになってしまう部分があって、この日の内容でも良く言えばキャスト皆おしなべて良い具合、と言ったところか。
指揮者以外オール・ジャパニーズのキャストでタミーノの声が全然出ていないことを除けば概ね満足のいくものでした。特に冒頭に書いたことの象徴である3、侍女や童子の重唱が素晴らしい。それに合唱ですね。キャストの歌は一人むき出しで歌う局面が多く、それはジングシュピール的なしゃべりと相応しているものでそうゆうものだと思うしかない。みなさん揃ったいい歌でした。キャラクター的にはモノスタトスがぴったりときまっていましたね。

それにも増して印象に残ったのはコラール局面の素晴らしさに代表されるパーテスノストロ指揮する東響の透明でピュアなハーモニーの美しさ。そもそも序曲の時からオーケストラの引き締まり具合が普通でなくて、最初から完璧なシンフォニックな腕前披露という感じで、こう言ってはなんですが、もったいないぐらい。

舞台はシンプルで縦と横の移動を活用、それに宙ぶらりんで横に動く童子たち。夜の女王の例のアリアは舞台中央、なにもないところで歌う。かなり印象的ですね。東響の伴奏に合わせてスキッとスカッと聴くことができました。
ゴチャゴチャしない舞台でメリハリの効いたわかり易いもの。横広にとった舞台の縦の移動のスケール感、そして床の蓋をあけてパパゲーナがちょこっとでてくる細やかさまで色々と対比も面白かった。
それから、怪獣たちの中にアリゲーターがいて、這って歩いてましが、あれはどうやって動かしているのかしら。


指揮とオーケストラが緊張感のフレームづくりにかなり寄与していて、これがあればこその散漫ならずの舞台になったわけですね。いい演奏腕前でした。
パーテルノストロは、前はパテルノストロ表記で、いつぞやの11枚組1790円の残響の長い名演ブルックナー全集だけでなく1990年代にたまに日本に来てオペラ振っていました。


魔笛の1000円プログラム冊子。作品ノート絡みとは別に色々と読みごたえあります。

・ウィーンのジングシュピール公演と魔笛
・旅に病んで - シカネーダー一座小史
・モーツァルトの政治利用 - 排他か包摂か

ヒットラーの写真まで引き出していますから、その意気込みというか。

おわり


2046- ブルックナー 8番、スクロヴァチェフスキ、読響、2016.1.21

2016-01-22 22:57:39 | コンサート・オペラ

2016年1月21日(木) 7:00pm 東京芸術劇場

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調  16+16、29、20

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮 読売日本交響楽団


Sの指揮するブルックナーはずいぶんと聴いてきたけれど、この日の8番の印象は類するものではあれど、少し印象が異なりました。
円錐の先をこちらに倒して奥に直線的に放射していくようなストレートな線の流れであったものが、この日のブル8では直線的な奥行き感よりも横に幅広な音場空間となり、ともするとゆるいような雰囲気で、オーケストラの特にブラスの縦ずれ、それにホルンを含むウィンドの不安定さにいつものS棒のときの緊張感が少しだけ希薄になったように感じたのがそれを助長したのかもしれません。
年と共に体内時計がスローになり流れが間延びした分だけ密度が希釈されてしまうようになったのかしらという漠然とした思いは終楽章の激烈ないつも通りの棒によって杞憂であったと感じたのは良いことでした。0番1番の類とはまるで異なる巨大さで、直前の流線型の7番とも異なる。9番のやにっこいニ短調以上に扱いにくい8番というあたりあらためて感じました。読響の演奏ももう一度腰を据えてやらせてもらえるならクリアリセットからやり直すといった感じで各プレイヤー自覚し直したのではないか。幸いもう一度同じプログラムがあるので気持ちを入れ直してやる機会はある、幸いにも。
この日の演奏の技術的レベル感はストレートにハイレベル演奏に結びつくほど高いものではありませんでした。オーケストラの方に緊張感が足りませんでした。
いまさら無骨なブルックナー演奏という言葉を探し出すのは似て非なるものを探し出すような記憶の掘り起しであり、単に、思ったほど決まらなかったというところですね。リハーサルが少なかったとしたらうなずける部分はあります。

といったあたりのことが、たくさんこのコンビで聴いてきたブルックナーの演奏がもう一度聴けるという普通の思いがあり、1923年生まれの人が立って指揮をするというそれだけで割とエポックメイキングな歴史足跡的なものを二の次にしか脳裏をかすめなかった自分の率直な感想です。


7番までのS的解釈は形式の正しい構築をS本人が積極的にかかわって作り上げてきた演奏スタイルで、説得力も抜群だったように思います。
8番では完全である構築物自身に語らせるような演奏であったように思います。
ただピアニシモエンドの第1楽章はこれまでにないものであり、とくに再現部以降の語り口は滑らかなエンディングに至るまでの流れにS的解釈をもっと注ぎ込んでもよかったのではないか。もっと形式感を立体的にわかるように、ということなのですが。メリハリと言いますか。
8番の演奏スタイルを意識的に変えたのかどうかはわかりませんけれども、終楽章のいつも通りの演奏スタイルを聴くつけ、意識されたもののように思えて。
それにオーケストラがついてこれなかった。
第1楽章はどちらかというとこのような具合で不発。
しり上がりに良くなるのはオペラの常套句の様な具合であれですが、アタッカで突っ込んだスケルツォ楽章、この一連の流れは思わず、5番の2,3楽章を思い出してしまいました。それとは違う局面であり相応な苦労が感じられます、が、たしかに、しり上がりに良くなってきた。
この1,2楽章はデューレーション的にも時間のかかっているのが明らかで、結構テンポを落とした演奏。真のブルックナー演奏はやはり難しいものだったと第1楽章で感じたのかどうかプレイヤーたちが気持ちを入れ直して少しずつ上向きに。トリオの静かなたたずまい、判で押さないスケルツォ1回目2回目の多彩なニュアンス。それにしても気持ちの立て直しというのは簡単ではないですね。今日のことは忘れ明日全力でやろうといった感覚ではだめですし。

スケルツォとアダージョ楽章が逆順で良かったと、その3楽章は緊張感にあふれ、音に隙間のないもので、気持ちの乗り具合もSがポーディアムにいるときのいつもの緊張度に。
コーダ前のクライマックスは熱にうなされたようなものではなく、それまで通りのインテンポで貫くあたりはSの真骨頂と言えそうです。5分超のコーダはブルックナーの気持ちの安定が見えるような深い素晴らしい表現。ホルンがもっと自信を持って吹いてくれればさらによかったと思われますが、線の細さが精神の不安定感を少しだけ感じさせて残念。オーストリアのブルックナーにシュヴァルツヴァルトがどうなのかよくわかりませんけれど、深くて黒い森の大胆な安らぎの音楽にホルンの悠然たる響きは欠かせません。

ここまでの3楽章、バランス感覚は上記いろいろあれど見事です。手綱を少しだけ緩めつつ全体のフレーム感覚は見事にバランスしました。(ここで終わってもいいくらいです)

終楽章20分、いつものSの研ぎ澄まされた演奏が戻ってきました。やっぱりゆだねて語らせるのは作品にだけではなく、オレに触らせろといった感じ。
3主題が切れ味鋭くスパッスパッと移り変わっていき、明快。各主題のブラスの咆哮は生理的快感。また、展開部における第1主題のティンパニを抑え気味にしてブラスを際立たせたきれいな強調はリズミックな楽章であることを再認識させてくれる。総じて展開部での動きが他楽章との対比を際立たせていたものと言えよう。

再現部はどこから始まるのか、については、終楽章の再現部はアウフタクトで始まる全奏から、作品の再現部はそのちょっと前の第1楽章の第1主題のブラス強奏の雷的ギザギザ炸裂音からという自分なりの解釈です。まぁ、二重構造的と言えなくもないですけれど、全主要主題が折り重なって出現する見事さは、S棒であればこそ作品の輝きをさらに増し、このびくともしない音響構築物はインテンポを貫きつつも何か加速度的なカタルシスをおおいに感じさせながら、圧倒的に瞬間的な3個の打撃音であっけにとられるうちに下降音形でありながら天上の高みに飛んでいく。
素晴らしい演奏でした。
ありがとうございました。
おわり


2042- メンコン、イザベル・ファウスト、家庭交響曲、小泉和裕、都響、2016.1.12

2016-01-13 01:34:56 | コンサート・オペラ

2016年1月12日(水) 7:00pm 東京文化会館

メンデルスゾーン  ヴァイオリン協奏曲ホ短調  12′8′7′
 ヴァイオリン、イザベル・ファウスト
(encore)
クルターク  ドロローズ  2′

Int

シュトラウス  家庭交響曲  44′

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


イザベル・ファウストさんは昨年ブラコンを聴きました。
今回、なんでメンコンなのという思いはありますが、享受するという前向きな姿勢で。

ファウストさんのヴァイオリンというのは音が美しく芯が強い。同じ音域、音程でも区切りや強調がただのタイやスラーにおさまらない非常に明確でクリア(同じ意味か)。ただ同じ音をのばしてるだけの演奏とはずいぶんと違う。聴きごたえのあるプレイですね。
メンコンは個人的にはもういいので、別の聴きたいです。

後半のドメスティカ、素晴らしいハーモニー、あらためて味わい深い曲と再認識。同じフレーズ、メローディーラインの中で、一音ずつハーモニー音色がめまぐるしく変化していく、一音ずつでさえ織りなす色合いが万華鏡のように変化していく。小泉棒は情にズブズブというのがなくて、機能的な色合いが濃い。まぁ、都響の特質をつかんでいる棒ですね。
的確な指示と見事なオケ反応。コンクリートのような音ですが、この日はティンパニもあまりうるさくならずスッキリ演奏。

この曲は最後これでもかのちょっとしつこい終わりなんで、ここらへんのエネルギーを、もっと前半や中間部に持っていって山を作ればさらに面白い曲になった作品の気がします。
おわり


2040-  ベスト&ワースト・パフォーマンス2015

2015-12-30 16:32:40 | コンサート・オペラ

2015年はオペラやコンサートに145回通いました。2014年は146回でしたので1回減りました。
食指の動くものを中心に聴いていますので、同じ公演プログラムに複数通うこともあって、偏りは大変なものですね。

ということで、自分なりのベスト・パフォーマンス、ワースト・パフォーマンスを選んでみました。複数通いについてはかっこの中に通った回数をいれました。

【オペラ・ベストテン】
1.オテロ、沼尻 神奈川フィル
2.ラインの黄金(6回)、 飯守 オペラパレス
3.サロメ、 バークミン デュトワ N響
4.ワルキューレ(2回)、 ヤノフスキ N響
5.トリスタン(2回)、 カンブルラン 読響
6.ドンジョ、 パッパーノ コヴェント
7.ワルキューレ第1幕(2回)、ブラビンズ、名フィル
8.リゴレット、 バッティストーニ 二期会
9.トスカ、 イェンセン オペラパレス
10.椿姫、 アベル オペラパレス

次点
1. ダナエの愛 メルクル 二期会 (演出問題で次点)
2. パーセル 妖精の女王 寺神戸亮 レ・ボレアード

【オペラ以外ベストテン】
1.ブルックナー9番、ティーレマン、ドレスデン
2.リスト 前奏曲(2回)、 ノセダ N響
3.アイヴス 答えのない質問、 カンブルラン 読響
4.死と変容、静寂と反転+ミサソレ メッツマッハー 新日フィル
5.ルトスワフスキ チェロ協、ウィスペルウェイ リントゥ 都響
6.タコ8とトーク(2回)、タコ9(2回)、タコ11(2回)、ボロ2、ラザレフ 日フィル
7.わが祖国 ビエロフラーヴェク チェコフィル
8.ガーシュウィンpf協、ラウンド・ミッドナイト、リットン ピアノと指揮 都響
9.シベリウス567 ヴァンスカ 読響
10.ハイドン 十字架上のキリストの最後の7つの言葉、 ロト 読響

次点
1.クッレルヴォ、新田ユリ、アイノラ響、2015.3.3
2.シュマ1 ブラ3 阪 日フィル
3.チャベス シンフォニア・インディア バスケス エルシステマ
4.タコ15 (2回)、 ノット 東響
5.GM3番 デュトワ N響

特別賞
モツpf協12、ラフマニノフ2番、フライシャー ピアノと指揮 新日フィル

【ワーストファイヴ】
1.パルジファル抜粋、ペンダ ノット 東響
2.エロイカ、 サロネン フィルハーモニア管
3.GM1、 下野 読響
4.エグモント、ベト7、エロイカ ソヒエフ DSO
5.GM1 幻想 (2回)、 エストラーダ Hr響

【番外1:奇声もの】
2015年最初の観客奇声ウリャー 田園 阪 東フィル


【番外2:落差あり過ぎ企画】
モツ全曲公演、素晴らしい企画ながら、耳慣れない2千円のプログラムを買わないと演奏進行タイムチャートが不明という未聞なもの。


【番外3:今年発掘した昔の記事】
巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人:千葉馨

以上

 


2039- 第九、インバル、都響、2015.12.25

2015-12-25 22:06:05 | コンサート・オペラ

2015年12月25日(金) 7:00pm 東京文化会館

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調  15′11′16′23′

ソプラノ、安藤赴美子
アルト、中島郁子
テノール、大槻孝志
バリトン、甲斐栄次郎
合唱、二期会合唱団

エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団


インバルの棒というのはヤノフスキなんかと同様、叩きつけ派で、突き上げ派に見られるような音の出はここらあたりどこでも可能といった呼吸の不揃いの確率が高くなるやりかたのファジーな部分を嫌っていることからくるものと推測されます。それがデフォの前提ですから、プレイヤーはまずそこまで意識レベルを上げてからの演奏行為となるわけです。インバルの作戦勝ちと言ったところもありますが、若いときに彼の時代の時代音楽やいわゆる現代音楽を振っていればこその今という話しでもあります。正確性は彼の要求の前提でしかないということ。
そのようなことを頭に描きながら観聴きしているとなるほどと思うことはたくさん出てきます。コントロールと開放。コントロールは彼が振るという行為により、つまりポーディアムに立つことによる存在自体が、このオーケストラにとって既に解決しているものとみるべき。ですから聴衆が聴くのは開放の音楽です。素晴らしい、というより、凄いという話にもなるわけですね。

まぁ、一言でいうと第九のレベルが高い。

インバルの指示は非常に的確で明快。彼の得意とするテクスチャの浮かび上がらせ、これがこのオーケストラの明るくて硬くて一見、録音向き的なサウンドに合致していて見事に出てくる。インバルの指向性がこのオーケストラと一致しているかどうかは別の話しですが、このようなオーケストラ・サウンド表現で解決されるケースもあるということです。
パシーンパシーンとインストゥルメント単位に揃って研ぎ澄まされた鋭角的な響きは露骨ではあるが正しく分離したサウンドは聴く者に生理的快感をもたらすのですね。ティンパニが硬すぎて強すぎるのが個人的には耳障りでなんとかならないものかと思いますが、これはこのオケをドライブする上で必要なものだとインバルは感じているふしがありますね。歌えるティンパニがリズムを正確に取る、これが理想かもしれません。一流を感じさせるにはこういったことがクリアできていないとなかなか世界でトップレベルオケとまではいかないのかもしれません。

したがって、インバルが年月とともにこのオケへの要求が高くなるのは、良いことで、正しいことでもあります。


合唱、ソリスト登場はともに第2楽章後。ソリストは合唱とともに奥の最前列。甲斐さんはじめ柔らかで充実した響き、このオーケストラとのソノリティは聴く側の問題なのかもしれませんけれど、一致したものではないが、年末ですし。

3楽章ホルンソロは1番さん。
因みにホルンをはじめとした作為的な表情はここには無く、パーヴォ・ヤルヴィ&N響ではかなり感じた。インバルが一枚上と思う。
おわり


2038- ヘンデル、メサイア、鈴木雅明、bcj、2015.12.23

2015-12-23 20:54:42 | コンサート・オペラ

2015年12月23日(水) 15:00-18:00 サントリー

ヘンデル  メサイア HWV56   53′、54′、32′

ソプラノ、シェレザード・パタンキ
アルト(カウンターテナー)、クリストファー・ローリー
テノール、ダン・コークウェル
バス、ベンジャミン・ベヴァン

鈴木雅明  バッハ・コレギウム・ジャパン

(enocre)
きよしこの夜 (無伴奏)  4′


デューレーション
1部 36′(11曲まで)
Sb 1′
1部 18′(12曲ピファから)

Int 20′

2部 53′
Sb 4′
3部 32′

ヘンデルのサムソンは、昔メトで観たことがある。1986年に8回だけ舞台上演され、そのうち第4回目のを観た。(※1)
舞台上演できるのは登場人物がいるからなのだが、それでも長いメトの歴史で1985-1986シーズンに8回行われただけ。このときのヴィッカーズをタイトルロールとした劇にいたく感銘を受け、それ以来ヘンデルのオラトリオものはちょくちょくとCD漁りなどをしている。

1741年8月から1カ月弱で完成させたメサイア、そして筆をおかずすぐに1カ月強で完成させたサムソン。メサイアは登場人物はおらずいわゆる朗読ものでサムソンとは異なるオラトリオで、ドラマチックな部分に置いてサムソンは圧倒的だと思う。
この日聴いたメサイアでも2部の中間から音楽はがらりと華麗に様変わりし劇的になっている。サムソンの世界に足を半分突っ込んだ状態になっている。

第1部、2部前半まではストイックさが勝り、くすんだかなり渋めの曲が連続し、この演奏団体の味わいのよく出たバッハ風な色合いが濃い。ソリストのアリアは、テノール、バス、アルト、そしてピファの前に一服置いて、柔らかな膨らみと広がりのある田園曲が始まりソプラノの出番となる。ここからはソプラノの出番が多くなり、圧倒的な歌唱。アルトと同質的な響きの主張が心地よい。バスとテノールは語りの色彩感が覆いかぶさる。合唱は響きの強さにおいて女声のほうが男声に勝っている。ちょっとバランスがいまいちと思うのだが、これは普段、正三角形のオーケストラ音場構成感に耳が慣らされているからなのだろう。聴いているうちに、各声部の均質性にこそ耳を傾けるべきだろうと段々思うようになっていった。
個人的には宗教には関心が無いので響きへの興味一辺倒なのだが、歌詞に感動を受けやすいタイプなので、内容の深さはある程度分かる。
プログラム冊子に英語と日本語の対訳は載っているが暗くて読めない。なぜ字幕をつけないのだろうか、つけてもいいチケット価格です。入っている聴衆の濃さも感じるのだが、宗教であれ何であれそれらを越える理解の伝播とはそういうものと認識もすべし。極度の美化は滅亡を招く。

ショートブリーフを置いたのち始まる田園曲、豊かな音楽、もうここのあたりで第1部は締めモードと自然に感じる。
休憩後の第2部、3部、ここに休憩は無く連続演奏となる。2部後に拍手があり長めのショートブリーフこそあれインターミッションが欲しいところですね。3部は1部や2部の半分のレングスですが、ここは音楽の高まりと冷却、休憩をいれるべきと感じる。

それで第2部、最初のほうはストイックな朗読歌唱が1部からの余波のように続いていく中、28からのソプラノのレシタティーヴォとアリア、そして合唱あたりから少しずつ音符が小刻みになり運動が目立つようになり、それはもちろん朗読内容と合致したものですが、受難と復活よりは福音の広がりと神の勝利のほうにウエイトがあり、刻みを濃くすることによる音楽の律動、そしてハーモニーを重ねることによる広がりや深みを一段と感じる。編成自体は全く小さいもので音響には限界があるけれども相応な劇性の手応えはあります。
やや急な坂道、だけれどもデコボコでないストレートな坂道、それを登っていくようなヘンデルの音楽と歌詞との一体化した高まり感は圧倒的です。
ハレルヤでは起立している人がLBから可視で18人ほど。また、立つように促している人が数人いました。まぁ、立っている方々は通路とか壁席の人が多く、はやい話、まわりに迷惑がかかりにくいポジションの席の人たちが立っている雰囲気で、本当は意思としてはもっと多かったのかもしれませんけど、王様真似起立は自分には馴染まないものです。音楽を味わうには邪魔です。ヘンデルの斜め45度坂上りの音楽の高まりを身を持って聴いている最中の人の動きは変な違和感が残るだけです。King of Kingsのくだりのあたりで王は勘違い立ちしたのではないでしょうか、と勘繰りたくもなります。

この第2部の中間部から〆のハレルヤまでの圧倒的な音楽の盛り上がり。インターミッションが欲しいところですが、残念ながら無し。確かに3部は短いものなのですが、連続させると整理体操みたいな雰囲気になってしまいます。アメリカのプロレス番組の構成は今は知りませんが、メインイベント大格闘のあと番組は終わらず、軽量系の、もう一試合を整理体操的に流して興奮を冷却して終わる構成。まぁ、あれを思い出しました。
ここは整理体操ではなく、死の克服なのです。並んだ朗読内容も言葉の上でもものすごく説得力のあるもの。そしてヘンデルの味付けは一層ドラマチックになる。レングスバランスとか関係なく、音楽の深度の意味合いに置いて、ひとポーズ欲しいシリアス局面ではあると感じました。
指揮の鈴木さんは最後の合唱での高まりではルバート多用気味になり劇性の表現もものの見事に決まっておりました。ストイックで清らかな表現から、ここの着地までまき散らされたバリエーションの数々。合唱の一本筋のような響き、鋭い閃光のような合唱はお見事の一語に尽きる。オーケストラは、特に主体の弦はプレイしっぱなしで大変だと思います。渾身の演奏でした。緊張感をこのように連続させるのは大変なストレスかと思います。オーボエももちろん。
ティンパには少し強すぎると感じたところがありました。通奏低音はチェンバロに息子さん、この前、芸劇でトゥーランガリラを振りましたけれど、あのときとはまるで違う、音楽の温室のなかに浸りきって音楽を奏でられる幸せを見ました。
低弦には締まりが増せばさらによかったと思います。特に合唱の鋭角的な響きにうまく合致させるとさらによくなったことでしょう。

無伴奏のアンコール曲、きよしこの夜。合唱はさらにストレートで鋭角さが増し、張った響きが素晴らしい。3番までありましたけれど、一本の糸のような合唱和声の妙と指揮の多彩なニュアンス、この日一番静かなホール。
無伴奏合唱なのに、チェンバロの息子さんがお父さんの指示でスタンディングしていたので編曲したと推測されます。
メサイアからきよしこの夜への流れは演奏会モードとしては最高でしたね。
素晴らしい演奏会ありがとうございました。
おわり

(※1)
1986/2/15(土)8:00-11:40pm メトロポリタン・オペラハウス
ヘンデル サムソン
ジュリアス・ルデール、ジョン・ヴィッカーズ、レオーナ・ミッチェル、ジョン・マッカーディ、キャロル・ヴァネス、他