河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1521- ミュン=フン・チュン、フランス放送フィル、ラヴェル、マ・メール・ロワ、ピアノ協奏曲、アリス=紗良・オット、サン=サーンス、交響曲第3番、2013.9.30

2013-09-30 23:38:36 | インポート

 

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2013年9月30日(月)7:00pm サントリー

ラヴェル マ・メール・ロワ

ラヴェル ピアノ協奏曲
 ピアノ、アリス=紗良・オット
(encore)シューマン ロマンス第2番

サン=サーンス 交響曲第3番 オルガン付
 オルガン、クリストフ・アンリ

(encore)
ストラヴィンスキー  火の鳥、子守唄~終曲
ビゼー  カルメン組曲、前奏曲

ミュン=フン・チュン 指揮
フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団

お土産付き(マスターピース・オブ・メリー)


久しぶりに興奮した演奏会でした。
このオーケストラは初めて聴くと思う。個人的には影の薄い団体だったのだが、聴いてみてびっくり。音色の吐息と統率されたアンサンブルがびっくりするほど良い。
完全に有能な指揮者のコントロール下にあり、ピクリですぐ反応する。これは演奏だけに限ったことではなく、ポーディアムで指揮棒を最初に振りだすタイミングの呼吸、演奏後のソロ・バウの指示、等々ほぼ指揮者の配下にいることが日常的にそれなりに納得出ていて、かといって演奏者は指揮者による威圧的なものではなくおそらく開放の美学を教え込まれている、そんな感じでした。これとよく似ているのが、ゲルギエフの指図どおりに動くマリインスキーです。
なぜ言いなりに動くかと言えば、それは指揮者の才能に畏怖の念をおぼえているからでしょう。ピアニストでもありそこらへんにも強みありますね。とにかく指揮姿を見れば棒さばきのレベルが並みの指揮者とまるで違う。一目瞭然。
また、フランスのオーケストラ、キラキラ四方八方光りが飛び散るのかなと思ったが、全く違っていた。アンサンブル重視で曲の良さが良く出てくる。バランスがいいし、唐突でトリッキーな動きもない。王道の演奏なのだがアンサンブルのピッチの良さ、強弱のバランスの見事なさま、香り立つ音色、これらがそこかしこに溢れ、いぶし銀の発光のような気配。音そのものの魅力は大きいですね。

一番エキサイティングだったのは後半のサン=サーンスで、構造とかそういったことばかり気にかけて聴いていた自分がアホだったというのが良くわかった。これはそんなこととは別ワールドの曲であるということがこの演奏でよくわかった。形式とか構造は手段でしかない。この火照るような美しさはいかばかりか、特に第1楽章第2部オルガンがはいる静寂の弦の歌の美しさは異常。本当に信じがたい美しさ!音楽が美しく、しなっている。
華やかな第2楽章第2部は、その静かさと対をなすものだが、華やかさもさることながらスケールの大きな演奏にこれまたびっくり。彫が深くてパースペクティヴを強く感じさせる響きにクラクラする。どのようにバランスすればこのような演奏が可能なのか、こぼれるようなサウンドが宇宙的スペースを感じさせながら輝かしくティンパニとフル強奏で締められた。まぁ、すごい演奏でした。
指揮者とプレイヤーの一体感がまた素晴らしい。コントロールされながら開放されている。抑制ではなくアンサンブルの美しさを前面に出しながら、音楽の愉しさを感じながら演奏しているプレイヤーたちがうらやましくもある。
指揮者の明白な勝利と言えば言えるかもしれない。
とにかくこのような耳を洗われる素晴らしい演奏、ありがとうございました。


同じく圧巻だったのが、前半2曲目の協奏曲。紗良さんは写真でしか見たことがありませんでしたが、写真の雰囲気とは随分と印象が異なる。自由奔放さと深さを兼ね備えたピアニストの様に思えました。第1,3楽章の速いパッセージでは、不敵な笑いを浮かべながら椅子を蹴る勢いで、まぁ、早い話が、腕がうなっている状態。脂乗りまくりで、鳴った音楽のことはあとで考えようすべてはうまくいかないはずがないでしょ、そんな年頃ですよ。スピーディーな爆演に圧倒されました。なんだか尊敬のまなざし、むしろあこがれのまなざしです。
一転、第2楽章の静けさはこれも深い。ここで圧巻だったのは、指揮者がソリストに見えたこと。二人のピアニストが語り合っている。このシーンは忘れがたいものとなりました。このピアニスト兼指揮者がそこに居ればこその深い音楽と爆な響きで安心して遊びまくれる。そういうことだったのではないか。
長い髪と大きめアクション、特に各フレーズのエンディングでのオーバーアクションは爽快。このラヴェル、印象が強すぎて、しばらく眼底に映像が貼りつきそう。

冒頭のマ・メール・ロワ、そもそもこの出だしのところで、このオーケストラの響きに魅了されたのであり、香り立つ美しさがしとやかなアンサンブルで表現されていて、この時に既に最初に書いたようなことを感じ、その通りになりました。美しい響きの演奏でした。珠玉のような曲に相応しい演奏。
素晴らしいオーケストラでした。
おわり


1520- ワルキューレ、ローウェルス、プロダクション、沼尻竜典、神奈川フィル&日本センチュリー響2

2013-09-23 18:31:58 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013.9.14satキャスト1
2013.9.15sunキャスト2
2013.9.21satキャスト1
2013.9.22sunキャスト2
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2013年9月22日(日)2:00pm びわ湖ホール
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ジョエル・ローウェルス プロダクション
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ワーグナー  ワルキューレ
 第1幕 63分
 第2幕 91分
 第3幕 70分
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ヴォータン、グリア・グリムズレイ
ワルキューレ、8人
フリッカ、加納悦子
ジークムント、望月哲也
ジークリンデ、橋爪ゆか
幼少のジークムント、末本眞央
幼少のジークリンデ、広瀬英恵
フンディング、山下浩司
フンディングの仲間たち、(省略)
(以上第1幕に出ます)
ブリュンヒルデ、エヴァ・ヨハンソン
少女時代のブリュンヒルデ、浅野ユリ雅
 (第2幕で揃います)
以上、in order of appearance
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沼尻竜典 指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
日本センチュリー交響楽団
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びわ湖ホールでの二日目です。最終公演となります。出演者は前週横浜で聴いたものと同じくキャスト2です。
ヨハンソン、グリムズレイが数段上なのは、もう明らかで、それに引っ張られるように他の出演者たちの馬力、充実度もすごいものでした。
それにこの日は、終演後にヨハンソンがもう一つの奇跡を起こしました。あれは空前絶後で絶対に二度と見ることのできないものだと思います。(あと)
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演出の妙については既にブログ2回のなかで断片を書いてきたのでそれを参照していただくとして、
この演出、ヴォータンが抱く幻影、家族への憧憬など幼少期の家族を舞台に載せ、契約や理屈を最後は越えてしまうお涙まで誘う非常に振幅の大きい演出だったと思います。
もう一人、彼の奥さんフリッカのウエイトが高い。
歌の出番だけだとフリッカは第2幕第1場後半で歌うだけです。通常の出番もそこだけだと思います。それがこの演出だと第1幕第1場ヴォータンが出てきて直後のシーン、ヴォータンのお城にそのヴォータン、それにワルキューレたちと一緒にまず現われます。そして、第3幕幕切れ最後の最後、亡霊ジークムントがヴォータンのお城に現われるところでも出ます。(最初のシーンと同じ構図ですね)
もっと妙なのは、第1幕双子の春の訪れのところで、ジークリンデが何かが入って来た、というところでゆっくりとフリッカがはいってきます。もちろん、双子には見えないという想定ではありますが。
いたるところに現われるフリッカ。あとで思い起こすと歌の出番で出てきたような錯覚に陥ってしまうぐらい印象度が高い。
フリッカの歌唱の部分は少ないものですが、リングのストーリーを展開させる大事なもの。双子の運命は、ヴォータンは自然の成り行きに任せればいいじゃないかと言う、フリッカは剣を持っているジークムントを負けさせろと。まぁ、摂理が自然でなくなるところですね。物語としては展開していく、ということだと思います。ヴォータンが長大な語りをはじめる前に物語は決まった。ここを押さえればこの第2幕、ちっとも長いと思わなくなる。展開が面白くてグイグイ惹きこまれていきます。オペラをあまり知らない連れが隣にいれば、この第2幕のあとの休憩はいらないわ、となる。気持ちが間延びするよりは第3幕をどんどん進めて言ってちょうだいよ。という話になってくる。
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第1幕
最初のヴォータン出現と幕。次のお城のヴォータン、フリッカ、ワルキューレのところにジークムントがはいってきて第一声を歌うシーンと幕。そしてようやくフンディングの家近辺のシーンとなる。最初の数分でこれです、とにかくめまぐるしく変わる。最初のブログ(2013.9.15公演)に書いた通り、ほぼコミックのコマ状態です。それだけでは済まず、それぞれの幕が上がる前にそのシーンを象徴する単語まで映し出される。説明過多なのか、私の感想は最初のブログに書きました。
とにかくこんな感じで流れていきます。
ジークムントの声質としてはキャスト1の福井よりこちらの望月のほうが個人的には好みです。進むにつれて流れ落ちる汗が凄い。汗まみれの熱演、好演でした。
惜しむらくは、声自体よく出ていたと思いますが伸ばし続けるところの保持が若干つらい。前の週の横浜の時の方が、のどに疲れが無い感じで痛快に歌えていた。この演出では2回のヴェルゼのうち最初のほうは聴衆に背を向けて歌います。同じ馬力で歌っても後の方が通りがよいという当たり前の結果で、ローウェルスの意図とは?という話になるが、ここもフル歌唱の熱演でした。
ジークリンデはキャスト1は馬力あり過ぎで、キャスト2橋爪の方がバランス良くイメージ通り。
つまりジークムントとジークリンデのいい組み合わせの歌を聴くことが出来ました。
フンディングはキャスト1の方が見た目はいい。キャスト2の山下は声は横浜の方が出ていたと思いますが、横浜でもびわ湖でも演技が自然でタイミングがよく、キャラクターがよく決まっていた。
この日の3人、役どころを歌い切りました。
最後のシーンに向けて集中していくところは横浜の方が決まっていたと思います。
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第2幕
フリッカは演出の妙で目に焼き付く。そしてこの演出に相応しいふてぶてしさが出ている。旦那のヴォータンを演技では食っている。字幕を見ながらのこの夫婦の動きを観ていると、シリアスと言うよりコミック風な感じがしてくる。
第1場のフリッカ、第2場のヴォータン、良かったです。
フンディングはジークムントを刺殺した後に、フリッカに倒されます。そして幕の直前、まだ息のあるジークムントにヴォータンがとどめを刺すところで幕。声なき展開ですがローウェルスの演出が光ります。
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第3幕
前幕の演出が濃いので、ここまで来るともう物語的には終わっているようなものですが、逆にどのように見せ場を作っていくのか、観る方としても余裕の観劇となる。観る方が自由に思い入れを作りながら観ていくことが出来ます。死体処分のワルキューレたちのグロテスクなあたりから、思いっきり始まる。
そんな感じで進む中、ヴォータンの家族の幻影も頂点に達する場面があります。舞台中央奥に一本ある木、そこのまわりにワルキューレ、ブリュンヒルデ、それからヴォータン幼少、双子幼少、みんな集まり、涙を誘うようなヴォータンの憧憬。そして歌い切り振り向くとそこには誰もいない。印象的な場面です。第3幕のグリムズレイの絶唱は、第2幕の語りのシーンとはまた別の張り詰めた悲しくも強い意志、錯綜した斉唱。そして絶妙な演技。最高のヴォータンでした。
これがあれば娘の最後の望みを叶えるしかない。ローゲ・ファイヤー、でも杖の3叩きはありません。音をたてない杖の演出ははじめて観たような気がします。
そして最後は、最初のシーンの回帰、ヴォータンのお城に亡霊ジークムントがヴォータンの腕を払いながらもその家族の方に向かっていくところで幕。
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ブリュンヒルデのエヴァ・ヨハンソンは、第2幕の最初の場のところからいきなり飛ばします。まだら模様にならない音域の広さとピッチの正確さ、それに歌いこまれているのでこなれている。ダイナミックレンジの幅が驚異的で振幅がすごい。安心して一緒にクレイジーになれるところがいい。こんな感じで第2幕の告知シーンまで圧倒的。第3幕でも衰えを知らず、ヴォータンとのやりとりは、二人で舞台の、そして心理的なパースペクティブが広く、10メートルぐらいのスチール製の刀が2本でじゃれ合っているような錯覚に陥る。
まことに素晴らしい、今回の数あった名シーンのなかでも白眉の、ヨハンソン、グリムズレイの場面であったのです。
ローゲ・ファイヤーはもう少し派手でもよかったかなと思いましたが、でも最後の最後のシーンがもう一つ用意されていたわけですから、これ以上多く望むものではありません。
大変に素晴らしい好演でした。
(ただ、オーケストラについては完全に横に置きたいと思います。)
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この日は4公演の千秋楽。カーテンコールでヨハンソンに呼ばれた沼尻はひかえめに入ってきましたが、彼女は沼尻を抱きかかえるだけでは気が済まず、体もろとも抱き上げた。沼尻がブリュンヒルデに両足を床からはがされた瞬間でした。
おわり


1519- ワルキューレ、ローウェルス、プロダクション、沼尻竜典、神奈川フィル&日本センチュリー響2

2013-09-23 00:40:00 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013.9.14satキャスト1
2013.9.15sunキャスト2
2013.9.21satキャスト1
2013.9.22sunキャスト2
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2013年9月21日(土)2:00pm びわ湖ホール
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ジョエル・ローウェルス プロダクション
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ワーグナー  ワルキューレ
 第1幕 63分
 第2幕 92分
 第3幕 68分
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ヴォータン、青山貴
ワルキューレ、8人
フリッカ、小山由美
ジークムント、福井敬
ジークリンデ、大村博美
幼少のジークムント、末本眞央
幼少のジークリンデ、秋山珠羽沙
フンディング、斉木健詞
フンディングの仲間たち、(省略)
(以上第1幕に出ます)
ブリュンヒルデ、横山恵子
少女時代のブリュンヒルデ、小宮優
 (第2幕で揃います)
以上、in order of appearance
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沼尻竜典 指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
日本センチュリー交響楽団
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先週2013.9.15に続いてのワルキューレ。キャストが変わりました。
先週の感想では演出のことを書きましたが、そのあとこの日の公演を観る前にもう一つわかったことがありますので書きとめておきます。
第3幕のローゲ・ファイアーに包まれて通常、幕が下りるのですがこのプロダクションでは、曲が終わる前に幕が下りごく短いですがもう一度幕が開きます。ヴォータンのお城に家族がそろっている。そこに亡霊ジークムントがあらわれる。よく来たというしぐさのヴォータンの手を払いながらも、その家族の中に入っていき、幕。
この最後のシーン自体ショッキングな演出ですが、このシーン、どこかで観た。
第1幕の最初のヴォータンがあらわれるシーン、そのあと2つ目のシーンがこれです。全く同じ構図。
この演出の組み立てはどのような意図でなされたのかは知りませんが、ヴォータンの前にあらわれる家族の幻影、憧憬、頻繁に出てくるがそのうちの一つなのか、最初が実在で最後の方は亡霊といった単純な構図でもないような気がするし。
ローウェルスのリング・サイクルとしてのプロダクション構想があれば観てみたいものだ。
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ということで、
この日の公演は、キャストがガラッと変わり、オールジャパニーズ。
別のオペラ感想でも何度か書いていますがこの日のジークムント役は、自分の持っているヘルデンのイメージの声と異なり、喉に横幅があるというか声が広がり過ぎでイメージが合わない。黒光りする突き刺すようなヘルデン・テノールのイメージが自分としては欲しいので、たくさんの賞賛の中、今一つ没頭できない。じゃなんでびわ湖まで聴きに行くの?という話になるのかもしれませんが、第一義的にはワーグナーの天才の脳を見たいからです。
まぁ、それはそれとして福井は、ピッチが良く安定していて慎重すぎるくらい丁寧な歌でかなり用意周到な練習量であったことは言をまたず、素晴らしい出来であったのは確かなんです。若さとは別かもしれません、経験に裏打ちされた正確性のようなものがあふれ出ておりました。
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ワルキューレ第2幕は90分かけてリングのストーリーの転換点を示していく。本当に味わい深い、聴けば聴くほど味が出てきますね。この幕で一番好きなところはヴォータンが長い時間かけてブリュンヒルデに語りかけるところ。通常のプロダクションだと第2場。歌なのか語りなのか名状し難い心の響き、それに寄りそう見事な音楽。
ストーリーの理不尽な展開の起点は既にフリッカにより第1場で示されている。第2場は語りかける内容もさることながら親と子の見つめ合い、聞くブリュンヒルデ。ワーグナーのひらめきが静かに広がるところだ。
ワーグナーは自分でストーリーを作り、歌詞テキストを作り、曲を作り、それで頭韻を踏んで、・・などと言われると、聴けば聴くほどアンビリーバブル・ワールド!
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告知のあと、ブリュンヒルデがお父さんとの約束をちょっと破り、でも結果は同じ。だけど罰は受ける。このシーケンス。通常ならフリッカの場より前から5場使って作り上げます。ローウェルスの演出もさすがに第2幕の場については出し入れが少なかったような気がしますが、登場人物の変わり目のところで幕の上げ下げがありますのでやはり、場ではなく場面というイメージが強い。
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内容のつまったこの第2幕のあとの第3幕は長いと思ってしまうのだが、ここは思いっきりエンターテイメントを楽しめばいいと思う。幻影の家族がそろっていつの間にかいなく、その部分のヴォータンはこの日はグリムズレイほど決まりませんでした。見た目や動きも大事な要素のヴォータンではあります。声は出ておりました。
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それからブリュンヒルデもヨハンソンなみではなくともかなり強烈に響き渡りました。ただ、見た目がワルキューレ8人とあまり区別がつかない、衣装で工夫が必要かと思いました。8人衆は、今回の方(キャスト1)が前回の方(キャスト2)より若干上だと思います。アンサンブルの緻密さとピッチそれに8本の馬力。
ジークリンデは、ど迫力で弱々しさはない。
フンディングは、演技はキャスト2が上だが、今日の方が役柄にマッチ。
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沼尻の棒は精力的。左腕は大きなアクションではないが、的確に歌い手にキューを与えている。こんなに頑張っているのにオケの汚れは前回から未改善。この合同オケよくありません。特に両サイドに分かれているブラスの響きはかなり聴くぐるしい箇所あり。
ホールの音響は前回2010年のトリスタンのときにも感じたが、1階センターにいても音が来ない、みぎひだりに分かれて後方に行ってしまう感じ。
おわり


1518- 四季、三浦文彰、イタリアより、園田隆一郎、東フィル2013.9.20

2013-09-21 01:47:31 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年9月20日(金)7:00pm サントリー
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ヴィヴァルディ 四季
 ヴァイオリン、指揮、三浦文彰
(encore)同上「夏」第3楽章 
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シュトラウス イタリアより
 指揮、園田隆一郎
(encore) ロッシーニ チェネレントラ、序曲
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東京フィルハーモニー交響楽団
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指揮者がアルベルト・ゼッダ氏から園田隆一郎氏に変更、どちらが出てもお初で聴きます、だったと思います。後半のシュトラウスがお目当てでしたので指揮者とかはあまり気にしておりませんでした、が。
指揮の方はもともとこの後半一曲だったようで、前半はヴァイオリンの三浦さんがソロしながらたまに合わせるぐらい。
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後半のシュトラウス、
急な交替だったためか少しぎこちないというか板についていない棒であまり楽しめませんでした。最後の裏打4つと表3つ。この間の位相の変化うまく出来なくてはいけません。
珍しくアンコールがあったのは指揮者変更に対するお詫びかな。イタオペが得意のようで活き活きした棒に豹変。後半のプログラム、差し替えた方がよかったのではないかと思いました。イタオペ序曲集とかに。
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前半のヴィヴァルディ、
全曲聴くのはいつ以来なのか全く記憶なし。何十年か前のイ・ムジチ以来かもしれない。ドラマチックな盛り上がりで楽しめました。波が寄せては引くような曲ですね。あらためて思いました。
おわり


1517- 圧巻、アイーダ、グスターボ・ドゥダメル、ミラノ・スカラ座2013.9.19

2013-09-19 23:02:42 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年9月19日(木)6:00pm NHKホール
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ヴェルディ アイーダ (コンサート・スタイル)
第1幕 40分
第2幕 44分
(激しいブラボーと拍手) 8分
インターミッション 25分
第3幕 30分
第4幕 32分
(激しい拍手とブラボー) 17分
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エジプト王、ロベルト・タリアヴィーニ Bs
アムネリス、ダニエラ・バルチェッローナ Ms
アイーダ、ホイ・ヘー S
ラダメス、ホルヘ・デ・レオン T
アモナズロ、アンブロージョ・マエストリ Br
ランフィス、マルコ・スポッティ Bs
使者、ジュヒ・クォン T
巫女、サエ・キュン・リム S
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ミラノ・スカラ座
指揮、グスターボ・ドゥダメル
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会心のアイーダ、圧倒的。
コンサート・スタイルをとりながら、それぞれの人物像がこれほどクリアに浮き彫りになったオペラ公演も珍しい。壮絶な美はアムネリスのバルチェッローナと思いますが、ラダメスのデ・レオンが最初やや安定感を欠いたものの持ち直し、他のシンガーもおしなべて、比して揺らぐことなく均整の良くとれたものとなりました。シェイプされてバランス感覚に優れた見事な総合アンサンブルだったと思います。オペラの舞台より明らかに精度の高いパフォーマンスで、歌い手の舞台ではみられない落ち着きと集中、ピットとはまた異なるオーケストラの高性能演奏、言うことありません。そのバランス感覚はドゥダメルのものであり最後のエキサイトした振りは人間的ではありましたが、概ねこのオペラの悲劇的な美しさが冷静に出ておりました。
この1981年生まれの若者がなぜスカラ座相手にアイーダを来日公演でこのように振れるものなのかわかりませんけれど、お見事の一言に尽きます。
素晴らしいシルキーサウンド!!
ドゥダメルの棒は魔法の棒!!
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第1幕は悲劇の始まり、ドゥダメルは気張ることもなく大げさな動きでもなく、どちらかというとサラッとしていて余計な動き目障りな動きが皆無なのである。おそらくピンポイントの的確な指示がオーケストラに出ているに違いない。日本人の一部大げさ系の棒振りにドゥダメルの爪の垢でも飲ませてやりたくなる。ピアニシモでラ・スカラをドライブするなんて最初から興奮。
第2幕2場へ向けて、静寂から華麗な盛り上がり。
3本ずつ左右にわかれたアイーダ・トランペットの音は美しく、誠にきらびやかに乱れなく揃い華麗なものでした。華麗さよりもむしろきれいにそろっているのが印象的。均質でそのことが美しい。オーケストラ全体含め大騒ぎにならないのが本当に心地よい。アイーダの美しさの側面がよく出ていたものでした。
ここまで、緊張感と美しさ、休憩前の拍手とブラボーがなかなかとまらない。
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後半
最初からそうだが、ドゥダメルの棒、オーケストラがかなり遅れて入ってくる、それが当たり前みたいな感じが心地よい。オーケストラとの息がぴったりな感じ。
後半はドラマチックで息をつく暇がない。圧巻は第4幕第1場、アムネリスのバルチェッローナ、鬼気せまる壮絶な美、巨体迫るエチオピア王でホールが揺れたのもすごかったが、バルチェッローナの歌はそれを越えました。強靭な声が悲痛に願い訴えるヴェルディ白熱の絶唱。拍手とブラヴィッシマがやまない。(実際にはブラボーコールのようでしたが)ここは本当にすごかったですね。
あとは悲劇の終結部へ。タイトルロールを完全に食ってしまったアムネリスではありましたが、ホイ・ヘー、ホルヘ・デ・レオンがよくなかったわけでもなく、最後は悲劇をきっちりと締めました。
ドゥダメルの見事な棒がさえわたり幕。
激しい拍手とブラボーが20分近く続きました。聴衆のこのような熱烈なブラボーはなんだか久しぶり。やまぬ。
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スカラ座の高性能のオーケストラと強靭な合唱。全く騒ぎ立てない。これはドゥダメルのマジック棒のなせる技だろう。
また粒ぞろいのソリストたちの底力のようなものも感じました。心地よく歌えたのも指揮者の力、とにかく何もかもがこのポーディアムの指揮者に全てが集中してくる。これはすごい。さらに聴衆も同じような集中となり、なにかホールの中心点が指揮台の指揮者にあり、周りのすべてが宇宙空間のような錯覚に陥った。
最後の局面でドゥダメルがわりと振り乱れたりした、それにしても全曲にわたりこれだけの緊張感を保持していたのはお見事の一言。
この上ない一夜、ありがとうございました。
おわり


1516- グスターボ・ドゥダメル、ミラノ・スカラ座管弦楽団、マリア・ホセ・シーリ、スチュアート・ニ

2013-09-16 20:39:55 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年9月16日(月)4:00pm NHKホール
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ヴェルディ・ガラ・コンサート
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・ナブッコ、序曲 7分
・アイーダ、清きアイーダ 4分
  ラダメス、スチュアート・ニール(T)
・アイーダ、勝って帰れ 7分
  アイーダ、マリア・ホセ・シーリ(S)
・ラ・トラヴィアータ、プレリュード 4分
・アイーダ、運命の石が~さらばこの世 10分
  ラダメス、スチュアート・ニール(T)
  アイーダ、マリア・ホセ・シーリ(S)
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インターミッション
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・ルイザ・ミラー、序曲 7分
・トロヴァトーレ、
  ああ、あなたこそ私の恋人~見よ、恐ろしい火を 5分
  マンリーコ、スチュアート・ニール(T)
・(encore)見よ、恐ろしい火を
・シチリア島の夕べの祈り、序曲 10分
・トロヴァトーレ、静かな夜~この恋を語るすべもなく 5分
  レオノーラ、マリア・ホセ・シーリ(S)
・運命の力、序曲 8分
・(encore) 

 マスカーニ、カヴァレリア・ルスティカーナ、間奏曲 4分
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グスターボ・ドゥダメル指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
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割と散文的なガラコンで短い曲の配列ながら2時間オーバー。合唱はなく、通常のコンサート・スタイルのオーケストラにソプラノとテノールがついただけ。華やかさはそんなになくて、オケもバリバリ鳴らすのではなく、どちらかと言うと高性能に傾斜した演奏になりつつあるのかなと、いずれにしても、演奏する方聴く方、双方そんなにエネルギーを消耗するようなものでもなかった。指揮のドゥダメルにスポットライトが当たっているのだろう。
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ソリスト両名ともによく、テノールのニールはハイ音を得意としている歌い手らしく、集中的に攻めていく。途中のアンコールも自分でこれをここで歌いたい、そんな感じと見受けました。
ソプラノのシーリは流れを作っていく感じ。ドラマチックな表現よりもベリーニとかそちらの方が得意な気がします。
ドゥダメルは、オーケストラの透明感を保持しながらダイナミックさを加えていくスタイルで、濁りが無いオケから肩の力が抜けたそれでいて迫力のあるサウンドを引き出していたと思います。この日のプログラムは全部頭の中に入って入るようで、そんなに熱い棒ではなかったが、かといって、流しでもないし、日常のドゥダメルのレベルがハイということがよくわかりました。
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プログラム的に20分ぐらいの1シーン、掛け合いがあればさらに良かったと思いますが、ヴェルディの場合、ソプラノとテノールの絡み合いワン・シーンはあまりないような気もする。プッチーニだったら、だらけ、かと思いますけど。
アンコールはヴェルディではなくマスカーニ。妥当と思います。
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オーケストラの配置について、
この日は3階センター1列目で鑑賞しました。眺めが良く、音も良くなっているかなと。
ステージがかなり前にセッティングしてあり、弦5部全員がほぼ、オペラの際のオケピットの位置の上あたりまで前にせり出している。席を何列か潰しているかと思われます。このため、音像が近くになりその分、ホールのモヤモヤ感がなくなりストレートに音が聴こえてくる。劇的な改善ではありませんが、それなりに快適に聴くことが出来ました。
このようなセッティングだと、あとどうしようもないエキスのみが問題点として浮き彫りになるだけだと思います。横広な音場のガホガホした音、芯のない音、焦点を結ばない音像、こういった悪いエキスは建て替え工事とか別ホール新築をしない限り残ると思いますけれど。
スカラ座オケはこんなに筋肉質だったかなと思えたのは、以前は熱いものが上回っていたような気がしたが、高性能オケに変貌しているのかなとオケ自体の変化とともに、ホールの配置も少しは寄与していたように感じました。
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それから、N響定期も以前とは異なりステージを少し前に持ってくるようになったと思います。この日のスカラ座公演の様に思いっきり前に出せば相応の改善はのぞめるのではないか。
どっちにしろ問題点は残りますが、切に希望するのは2階左右の奥の席。あれはコンサートホールなどと言ったハイカラな名称からはほど遠く、立て板の落し蓋をしてふさぐのがベスト。
おわり


1515- ワルキューレ、ローウェルス、プロダクション、沼尻竜典、神奈川フィル&日本センチュリー響2

2013-09-15 23:14:21 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013.9.14satキャスト1
2013.9.15sunキャスト2
2013.9.21satキャスト1
2013.9.22sunキャスト2

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2013年9月15日(日)2:00pm 神奈川県民ホール
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ジョエル・ローウェルス プロダクション
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ワーグナー  ワルキューレ
 第1幕 64分
 第2幕 90分
 第3幕 71分
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ヴォータン、グリア・グリムズレイ
ワルキューレ、8人
フリッカ、加納悦子
ジークムント、望月哲也
ジークリンデ、橋爪ゆか
幼少のジークムント、末本眞央
幼少のジークリンデ、広瀬英恵
フンディング、山下浩司
フンディングの仲間たち、(省略)
(以上第1幕に出ます)
ブリュンヒルデ、エヴァ・ヨハンソン
少女時代のブリュンヒルデ、浅野ユリ雅
 (第2幕で揃います)
以上、in order of appearance
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沼尻竜典 指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
日本センチュリー交響楽団
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まず、演出について、現代感覚でとらえたもので、これはこれで悪くないなと感じました。
上記に書いた出演順番とキャストを見れば、また妙な演出だなと思うに違いない。一番最初に出てくるのがヴォータン、このようなことは昨今、他のワーグナー作品でも見られるのであまり驚きはしないものの、子供たちが出てくるのにはびっくり。現代感覚と幼少時代への憧憬なのか、かなりロマンチックなところもあった。
とにかく第1幕は3人だけという古い固定観念しかもっていなければ、上記のようなキャストが第1幕にあらかた、それも盛り沢山、出てくるというのは本当に驚き。
あと、幕が頻繁に上げ下げされる。コミックのような感じでコマが切られていく。第何幕第何場という感覚はもはや取り払われ、第何場面と言うほうがあっている。幕の上げ下げのたびに風景が変わり、断片化された心象風景のようなものが現われたりする。そこに子供たちが出てくることもあるし、大人から目に見えない透明人間化されたイメージで出てくることもある。
この頻繁な幕の上下の前に、幕そのものに次の場面を暗示する言葉が映し出される。説明過多のような気もしたが、ストーリーを知らない人が、まるで封切の映画でも見るみたいに何の予備知識や予習が無くてもはいってゆける。いろんな遊びや、やることが沢山あって予習なんかしている時間のない人でも、この日この場にプログラムも買わず読まず開演1分前に来ても、何の問題もなく観劇できるのだ。むしろそのほうが、新鮮味があっていい。そんな演出に見受けられました。これは良い悪いではなく現代の感覚によく合ったものというか、むしろ似ている。皮膚感覚でとらえた現代を演出に生かした。
ですから、ワーグナーの劇のえぐりに観点をおいたというよりは、接し方にスポットライトをあてたものであり、違和感があるとすればそのあたりのすれ違い、もしくは肩透かし的なものなのかもしれない。
ただ、頻繁に場面が変わり、次はどうなるんだろう的、な興味のそそられかたになっていくので、ワーグナー特有の場面転換での多彩なモチーフを絡めた音楽への興味が少し希薄になってしまった感は否めない。
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ということで観ている分には全く飽きのこないもの。キャスト表だけ見ていると第1幕などかなりゴチャゴチャしているように思えるが、そんなことはなくなにしろ漫画チックに場面が変わっていくわけで、つまり直列配列で場面が進むので最初から整理整頓されたものなわけです。ストーリーが、これでもかこれでもかと、執拗に迫ってくるリングサイクルのキーポイントの長丁場第2幕はこの整理整頓が効いていてわかりやすかった。ヴォータンの語りもあっという間の出来事。
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キャストでは見た目も歌も最高のヴォータン、コミック風味の効き過ぎ演出の為、フリッカとのやりとりには苦笑させられる場面も頻出、このような苦笑演出ははじめて観るわけでシリアスさと少しかけ離れたヴォータンではありましたが、とにかくはまり役として、これまで観た中でも最高レベルだと思います。この流れでサイクルをしたらどうなるのだろうといったところにも興味がいきますね。
フリッカは歌の妙味もあって圧倒的な存在感。彼女を起点にしてストーリーが回っているのではないかと思うぐらい。なにしろ、第1幕、ジークムント、ジークリンデのやりとり「冬の嵐は過ぎ去り」で何かが入って来た、というあたりでフリッカが透明人間状態ではいってくる。全体の流れからたまたまそう見えただけなのか、不思議な場面ではありました。
その双子の歌唱は安定感があり熱演でした。第1幕見せ場ですからね。フンディングは歌のこれまた安定感、それもさることながら、演技が絶妙、歌と振りが一致しておりまた間延びせずで、取り巻き連中もあれなら従ってくるだろう。
ブリュンヒルでは何度か接しているヨハンソン、彼女はだいたい最初から飛ばす。行けるところまで行こう!そんな感じの絶唱が続きます。安定感を越えた納得の歌でした。
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だいたいこんな感じで、もう2回観劇予定ですのでそのときにまた。
あと、最後の炎の場面は、コミック風味の面白さから少し乖離したあっさりしたものでした。ただ、最後にヴォータンのお城に透明人間のジークムントが現われます。ヴォータンが腕を握るのを拒否する亡霊ですね。
オーケストラについては、ブラスはみぎひだり分かれているせいか、よごれがかなりある。弦はなんだか中抜け状態。一番おいしいところの音が聴こえてこない。プロ同士のオケなのでもうすこし丁寧さが欲しかった。
おわり


1514- ホヴァチナ、法悦の詩、チャイ5、メッツマッハー、新日本フィル2013.9.14

2013-09-14 18:04:12 | インポート


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2013年9月14日(土)2:00pm サントリー

ムソルグスキー(リムスキー・コルサコフ編曲)
                      ホヴァンチナより前奏曲 6分
スクリャービン 交響曲第4番 法悦の詩 19分
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チャイコフスキー 交響曲第5番 13+11+6+12分
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インゴ・メッツマッハー 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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前の週がはずれで、一気に意気消沈。肩の力を抜いて本来の聴き方である作曲家の曲を聴く感じで出かけました。
前半の2曲はほとんど連続演奏。どんな意図があるのかわからない。調性の違和感はありませんでした。チャイ5は全部アタッカ状態。当節はやりなのかなとも思います。
この指揮者は見て聴いての通り、基本的にタメのない棒ですから、速度がそんなに早くなくても全体的には短い時間の演奏となるケースが多い。味わい深さとか濃厚さとかが好きな向きには、曲にもよりますが、別の選択肢もあるかなと感じます。
この日の演奏ではスクリャービンがベスト、これが3番だったらかなり厳しいと思います。チャイ5もそういう意味で彼の棒と合っているとは言い難い。
スクリャービンの交響曲ならこの日の4番以外合わないと思います。ご本人がこれを選んでいるのは彼の自然の摂理でしょう。
今シーズンは定期を2セットに増やしたのですが、今のところオーケストラの技術水準とぬるま湯的なところが見え隠れ、少し疑問を感じています。またメッツマッハ―の4プロ6公演でコンダクター・イン・レジデンス就任というのはキャッチコピーに近いのではないかと思います。アドバイスなどもあるようですので、そこらへんのウエイトを推し量ってみることはできませんけれど。
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スクリャービン4番については、3番のあとこの方向に向かうのはわからなくもないが、そのあとの5番については、今の5番は別物としておいて交響曲としては書くべき方向性が(神秘とか色彩とかではなく)普通の意味でもっと革新的な曲であるはずだったのではないかと思います。
おわり


1513- リゴレット、ラ・スカラ、グスターボ・ドゥダメル2013.9.13

2013-09-13 23:58:08 | インポート

 

 

130913_205001

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2013-2014シーズン
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2013年9月13日(金)6:30-9:40pm NHKホール
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美術、エツィオ・フリジェリオ
衣装、フランカ・スクァルチャピーノ
指揮、グスターボ・ドゥダメル
ジルベール・デフロ、プロダクション
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ヴェルディ リゴレット
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マントヴァ公爵 フランチェスコ・デムーロ
リゴレット、ゲオルグ・ガクニーゼ
ジルダ、エレーナ・モシュク
スプラフチーレ、アレクサンドル・ツィムバリュク
マッダレーナ、ケテワン・ケモクリーゼ
(in order of appearance)

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ミラノ・スカラ座
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第1幕 15分 40分
第2幕 30分
第3幕 32分
インターミッション30分ずつ
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第2幕の幕切れ親子の重唱、第3幕の四重唱、そして伏線がらみの一度聴いたら忘れがたい女心の歌、印象的でした。このほか最初から最後まで聴きどころ満載のオペラ。ドラマチックというより、テンションの高さとその持続がものすごく何度観てもいつも最後は、うなる。第1幕は複雑系なので1場2場を別幕仕立てにした方が、ドゥダメルの棒もさらに冴えわたったと思う。歌い手たちのバランスがよく重唱は聴きごたえがありました。
タイトルロールのガクニーゼは第1幕では喉が鳴りきっていない、ふかしている途中みたいな感じがありましたが、第2幕それに第3幕と会心の絶望リゴレットをテンション高く劇的に歌い切り、ご本人もかなりの満足模様。ベストのはまり役だと思います。力強く、憎まれ役と悲哀を見事に表現していたと思います。
王の愉しみ、マントヴァ公爵のデムーロもガクニーゼと同じく最初は細くて芯のあるテノールが前に出きっていなかったが、こちらも場が進むにつれ喉がどんどん開いていった。
第1幕をポーズで1場2場と続けていくのは、歌い手にとってはいいのかもしれないと思ったりもする。いろいろと交錯しますね。
ジルダはスキニーでなければならない。何しろ袋で担がれるわけですから。ゴロンと投げ出されそのあとも少し歌わなければならないので、それはそれで大変。体型(身体のライン)と弧を描く独唱がぴったりと重なれば、何も言うことはない。モシュクは、やや、ジルダのうぶさからは遠のいた感があるものの、一番手慣れている感じ、余裕のジルダですね。ピッチが上がりきるか、といったスリルが最初ありましたけれど、きっちりハイ音を揃えてくる。さすがというか、その歌いっぷりがだんだん気持ちよくなってきた。
それに、次のツボはあすこだね、狙いすまし。きわどい安定感だと。
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四重唱は、舞台下手にジルダとリゴレット、ここに光りはあたらない。結構暗い。そして上手にマントヴァ公爵とマッダレーナ、ここは明るい舞台。この対比で会心の重唱でした。
最後、袋から半身を乗り出したジルダ、抱えるリゴレット、舞台中央、くっきりとスポットライト。第3幕の光と影は美しいものでした。
演出は裏もなければ表もないもので、それはこの美しい舞台にはふさわしい。暗さを基調としてややくすんだ光と陰、シルエット、美しい背景。そして絵巻物でも見ているような衣装。踊りの見事さ含め、この舞台にはみとれました。色光あでやかで見事な舞台は余計な演出はご遠慮ですね、たしかに。
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復讐は2段構えになるのでしょうか。むしろ、憎しみと言った方がいいかもしれませんけれど、憎しみをあおったリゴレットは、復讐の刃が自分に向かうことになった。と言う。ここは訳なのかト書きなのか少し違和感あるあたりなんですが、そもそも道化ということが通奏低音として自虐的な部分を前史で占めていたのだろう。あらためて悲劇的なストーリーだと思う。
緊張感のあるいい舞台でした。
オーケストラの音合わせは第1幕の前だけでしたね。
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ところで今、飛ぶ鳥を落とす勢いの超絶好調男グスターボ・ドゥダメル、お初です。1981年生まれと言うから、32が33ですね。見た目以上に若い。場数をかなり踏んでいるらしく、余裕の指揮と思いました。ちょこんと挨拶してクルンと振り向いて、あっさりと振り始めます。ピットに入っていますので指揮ぶりはよくわかりません。もう2回オンステージで観る予定ですの、振りぶりはそのときに。
音だけ聴いているとかなりダイナミックなレンジ。ただテンポは極端に動かすようなところはありません。滑らかさとダイナミックさを兼ね備えて、また緊張の糸が切れないので、歌い手やオーケストラに適切な指示がずっーと行き届いていると思われます。
指揮も歌も含め、第1幕第1場はエンジンをふかすモード。劇場のパターンですね。
指揮者はこの年齢でラ・スカラ連れて国外上演ツアーなわけですから、それもリゴレット、アイーダ、他公演、久しぶりにとんでもない指揮者の登場かと思います。
このあと9/16ヴェルディのガラコン、9/19コンサート・スタイルのアイーダと聴く予定です。
おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1512- ブラームス1番、大学祝典、ハイドン・バリエーション、ブロムシュテット、N響2013.9.11

2013-09-11 22:03:39 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年9月11日(水)7:00pm サントリー
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<オール・ブラームス・プログラム>
大学祝典序曲 9分
ハイドン・バリエーション 18分
交響曲第1番 16分、8+5+17分
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ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮 NHK交響楽団
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ブロムシュテットは今まで何度も聴いてきたが、ブラームスの1番では決して忘れることのできない演奏がある。
1981.11.26
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第2楽章の結尾、ソロ・ヴァイオリンを一本保持させた状態で、和音を一度かなり長めに切り、まるで人の精神状態が明らかな安定状態にあるときのようなあの安息のエンディング、その演奏は今でも耳に残っている。
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比して、30年以上たった今この日の演奏、オーケストラも同じ。
完全に肩の力が抜けている。即座に思い出したのは晩年のジュリーニ&ウィーン・フィルによるブラームスの4番。ガラス細工の骨だけが残った様な隙間だらけの演奏なのに、それがまるでジャングルジムの様につながっている。あちらからもこちらからも見通せてしかも骨組みも見える。なんとも名状しがたい演奏であった。
ブロムシュテットのこの日のブラームスの1番はそのように聴こえてきました。気張っていないのは明白。炎の核だけが音楽の確信となっている。見事というしかない。
弱起を早めに跳ね上げる癖もほぼ見られなくなり、自然な流れ。どちらかというと大げさなこの曲ではあるが、中規模編成の様なおもむきで、ダイナミックレンジではなく音楽の自然な流れを表現。気持ちの安定感がこちらまで伝わってくるような演奏でした。ブラームスの1番もこのように演奏すれば秋の夜長に心地よい。
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前半の2曲も珠玉のような作品と演奏。ハイドン・バリエーションの滑らかで快活な演奏、音楽の愉しみがある。
素晴らしい一夜、ありがとうございました。
おわり


1511- 良い子にご褒美、ストッパード、プレヴィン、飯森範親、東響2013.9.10

2013-09-10 22:47:45 | インポート

2013年9月10日(火)7:00pm サントリー

トム・ストッパード 作、アンドレ・プレヴィン 音楽

台本翻訳・演出 村田元史

『良い子にご褒美』
Every Good Boy Deserves Favour 73分

劇団昴
アレクサンドル 鳥畑洋人
イワーノフ 牛山茂
サーシャ 堀川恭司
医者 北川勝博
教師 服部幸子
大佐 三輪学

飯森範親 指揮 東京交響楽団


引き続き、トーク 20分
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池辺晋一郎、村田元史、飯森範親
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9月に入ってラッシュ、この日までに一応、在京のオーケストラを一通り聴きました。N響は翌日聴く予定です。
この日のプログラムもサントリー・サマーフェスティヴァルの一環。ユニークなプログラムです。演劇に音楽をつけたものですが、伴奏というより、オーケストラがストーリーの中に入っている。
日本語タイトルは『良い子にご褒美』となっておりますが、『良い子にはご褒美を』ということですね。
病んでる患者はオーケストラを指揮している。もうひとりは政治犯。二人とも病棟にいる。それに政治犯の家族を絡めたストーリー。
(チェコ→シンガポール→インド→)イギリスの作家ストッパードが1970年代のロシアを題材に選び、プレヴィンが音楽をつけたもの。
プレヴィンの音楽は、まるでショスタコーヴィッチが風刺の時に使う音楽そのもののように聴こえました。また、映画音楽的な雰囲気もあり、1812年も出てくる。聴くものを飽きさせない。このオーケストラの特色である黄色いサウンド(自分で昔から持っているイメージですが)、これが鋭く明快で、お芝居のしゃべりよりよほどよく響き渡りました。
比してストーリー自体は真っ暗なものですが、作り出す音楽が対象的。これを狙ったものだったんでしょうか。つけた音楽は才気あるもののミスマッチの感は否めません。タイトルに含まれる「子供」がそれらの中間点に位置していたのかもしれませんね。
おわり






1510- 春尽くしプログラム比較 バーンスタイン対カンブルラン

2013-09-08 18:29:00 | インポート


1984年3月22日(木)、23日(金)、24日(土)、27日(火)
・コープランド アパラチアの春 28分
・シューマン 交響曲第1番 春 36分
・ストラヴィンスキー 春の祭典 34分
レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィルハーモニック
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2013年9月8日(日)
・ドビュッシー 映像より春のロンド 7分
・シューマン 交響曲第1番 春 35分
・ストラヴィンスキー 春の祭典 18分/20分
シルヴァン・カンブルラン
読売日本交響楽団
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一曲目の違いは、アメリカ人とフランス人の違いか。
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1509- 春尽くし、春のロンド、シュマ1春、春の祭典、シルヴァン・カンブルラン、読響2013.9.8

2013-09-08 18:25:12 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年9月8日(日)2:00pm 東京芸術劇場
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ドビュッシー  イメージより春のロンド 7分
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シューマン 交響曲第1番 春 35分
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ストラヴィンスキー 春の祭典 18分/20分
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シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団
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季節とは関係なくて、ハルサイ初演100年に引っかけた春尽くし企画だろうか。冒頭のドビュッシーをコープランドのアパラチアの春に替えれば、バーンスタインが昔やった企画演奏と同じになる。
前週のユニークなプログラムの時と同様、オーケストラの引き締めが効いている。会心の出来だったのはシューマンの春。こんなに鳴っていいのだろうかという感じで、心地よくピシッと締まった演奏、やたらとでかい音でなくてもこれだけピッチ、縦、刻みが揃えば自然とホールに鳴り渡る。スピード感というと語弊があるが、テンポが速いということではなく、滑るような演奏。ブラスが心地よく鳴り響き、弦が消されることなくズッシーンとくる。例えば収録CDサウンドを聴いたときに、よく整理された演奏どまりに聴こえたりするのがこのような演奏、評もだいたいそんな感じ。やはり現場で生で聴いてみないと味わえないものがたくさんある。第一義的には作曲者の曲を聴くのであるが、こうゆう演奏でこそその価値があらためてわかるというものだ。いやぁ、いい演奏でした。
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後半のハルサイ。スコアはめくっているが、余裕の演奏だったと思います。はめが外れない程度のカンブルラン余裕の出し入れ、随所に指揮者の意思が明確に感じられる演奏でした。ここでも引き締めモードはしっかり効いていました。
以前、同じオーケストラで聴いたロジェストヴェンスキー(2004.9.22)と同じぐらいの結構スローな演奏でしたけれど、中身はまるで違う。
細部と全体の両方から光をあてたような演奏、クレンペラーはいつもスコアをみて棒を振っていたということですが、カンブルランも、ちょっと大げさかもしれませんが、クレンペラーがベートーヴェンの8番をスコアを見ながら振っている、そんな感じのハルサイでしたね。ディテールへの配慮、つまり内部から光が溢れてくるような入念な響きへの余裕の配慮、それと曲想の転換の見事さ、バレエとしての面白さみたいなものですかね。その両方がこの演奏から聴けました。フル馬力の熱演というより、余裕の流し運転。日常的な演奏にこそ価値がある。このオーケストラ1980年前後の演奏からは想像もつかない(つかなかった)。
両曲ともに楽しめました。ありがとうございます。
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最初の曲、春のロンド、自国のフランス物から選ぶとすればこれかな。イメージは全曲演奏を聴いてみたいですね。
おわり


1508- ジークフリート牧歌、トリスタン、ワルキューレ第1幕、ピエタリ・インキネン、日フィル2013.9.7

2013-09-07 20:09:55 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年9月7日(土)4:00pm サントリー
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オール・ワーグナー・プログラム
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ジークフリート牧歌 21分
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トリスタンとイゾルデより、前奏曲と愛の死 12分7分
 イゾルデ、エディス・ハーラー
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ワルキューレ第1幕 67分
 ジークムント、サイモン・オニール
 ジークリンデ、エディス・ハーラー
 フンディング、マーティン・スネル
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ピエタリ・インキネン 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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3曲ともに、研ぎ澄まされ、スタイリッシュで明快、素晴らしい演奏!
今年、パレルモ・マッシモでリングを回しているだけのことはある。前の日のメッツマッハ―&新日フィルとは雲泥の差。特にオーケストラの雄弁さは比べようもない。
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この日の公演、もちろん後半のワルキューレに力点を置いてきたのですが、なんという僥倖。前半の一曲目からやたらと素晴らしい。
オーケストラの響きが非常に引き締まっており、全く弛緩しない。スモール編成ではないだけに引き締めモードがさらに強調され、そのサウンドが耳に心地よく響く。この張り詰めた音の流れが20分強続くとは驚きであり、ワーグナーのことを今やっている指揮者だけのことはある。このジークフリート牧歌、いたく感激しました。緊張感がジークフリートのファミリーのモードから普遍的なワールドへ一歩踏み出したようないい演奏だったと思います。
見た目重くない指揮者の動きも心地よい。表現したい音楽だけを表している動きで、日本人のオーバーアクション系指揮者たちにしっかり見てもらいたいと思う。
本番時にリハーサル以上のことを許さない、というか、許す許さないといったあたりを越えて、きっと、リハーサルでこなれた状態までもっていっているのだと思う。明快にして説得力のある棒で、オーケストラの鳴りも指揮者の動き通りなのであるが、極めて雄弁。共感の響きと言える。
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2曲目のトリスタンはブラスがそこそこ加わるが、引き締めモードのコンセプトは不変。特に前奏曲は前曲の雰囲気を引き継いでいて細身と思えるぐらいなのだ。
愛の死のハーラーはとげとげしさのない硬さとでも言えばいいのか、耳に居心地の良いサウンドがホールに響く。インキネンの秀逸なさばきでクリアな演奏を展開。オーケストラがここでも上質。豊饒さよりもスキニーな雄弁さで。
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後半のワルキューレもオーケストラの引き締めモードは変わらず、非常に明晰。クリアにしてニュアンスに富む。指揮者のコントロールがよく効いており、手垢にまみれた第1幕を忘れさせてくれるもので、きれいにまとめあげた。ドラマチックな盛り上がりも、これ以上のものはない。
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冬の嵐は歓びの月明かりの前に消え去り、
一人入って来た者、それは春のほほえみ。
ジークムント、第1,2幕を通しての聴かせどころ。
それを引き継ぐジークリンデ。
水面の顔のやりとり、
そしてノートゥング、
オーケストラはバックのブラスが前面のウィンドと弦と指揮者さえ、覆いかぶさるように越える咆哮で聴衆に向かい、まさに鬼気迫る一大クライマックスを作り上げエンディングへと。
弦の小刻みな震えと大胆なシンコペーションが双子の行く末を暗示させながら最後の打撃音。そして紅潮したインキネンが振り向き圧倒的な熱演が今完了したと知る。素晴らしい。
一時間かけて微熱を灼熱まで盛り上げるワーグナーの音楽のすごさ。これにやられる。
情念のようなものはとりあえず横に置き、クリアに全て見通せるようなもの、現代風というか、答えが早急に欲しくなってしまう当節の我欲は捨て置き、焦らずにだれることなく適切なテンポで自然体のクリスタルな響きが美しい。
このインキネンのスタイルにマッチした歌手陣はド迫力を求めたものではなくオーケストラとの同質性がある。
このお三方のバランスが非常によく音楽的な偏りがなく、出来不出来といった凸凹もない。特にハーラーの伸びのある声が印象的。オニールは細く芯がある。スネルのフンディングはどちらかというとお父さん的安心感。
素晴らしい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり


1507- ワルキューレ第1幕、カウネ、ツァラトゥストラ、インゴ・メッツマッハー、新日フィル2013.9.6

2013-09-06 23:39:42 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年9月6日(金)7:15pm トリフォニー
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就任披露公演
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シュトラウス ツァラトゥストラはかく語りき 33分
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ワーグナー ワルキューレ第1幕 63分
  (コンサート・スタイル、字幕無し)
  ジークムント、ヴィル・ハルトマン
  ジークリンデ、ミヒャエラ・カウフマン
  フンディング、リアン・リ
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インゴ・メッツマッハー 指揮 
新日本フィルハーモニー交響楽団
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新日フィル、秋のシーズン開始。メッツマッハ―の就任披露公演と銘打ってヘヴィー級のプログラム。
ところが内容は幻滅。特に前半のツァラはリハーサル練習をしたのかどうか疑わしいレベルの演奏。自信無げなインストゥルメントの立ち上がりの悪い切れ味無しの演奏に終始。ふやけた演奏で、なんだこれはという感じ。2001年宇宙の旅は尻つぼみどころか発射できず。
後半のワルキューレに総練習の95%、前半のツァラは5%という感じだったのですが、ワルキューレに100%つぎ込んだとしても演奏水準としてはいいとはいえませんでした。
この日と翌日は、日フィルとプログラムが被っており、翌日のことを想像しながら期待に胸を膨らませて出向いたのです。
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前半のツァラは不調とかそういったレベルではなく明らかな練習不足。プレイヤーの方は解釈が存在しない分どうやって節まわしをすればいいのかとまどっている。ぶっつけ本番に近かったのではないか。聴衆を甘く見たらいけませんぜ。演奏後のパラパラ拍手聴けば分かるというもの。がっくりな演奏でした。
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後半はオーケストラが少し締まりました。こちらの方は練習の成果がありあり。ありありですが、良否は別。
指揮者の作為が明らかであり、オーケストラがかなり動かされておりました。作為の出し入れ。よく動く演奏で、それがほとんど作為的であり、プレイヤー自身による高まりがない。こなれていない。
歌はカウネでもちましたが、以前聴いたときよりも少しドライでした。もう少し潤いのある声質だったはず。歌の正確性はピッチのみならず強弱までおよびますので、このような正確無比のようなものが好きな人にはたまりません。一人気を吐きワーグナーの埃を取り去っていました。テナーは力不足。
このキャストで、11月にジュネーブ大劇場でワルキューレをやるそうですから、今日のは顔合わせなのかな。そういうレベルでした。
字幕なしの公演。
演奏自体の準備不足と字幕サポート無しは致命的。
おわり