河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1566- エグモント、第九、インバル、都響、他、2013.12.25

2013-12-25 23:05:05 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年12月25日(水)7:00pm サントリー
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ベートーヴェン エグモント、序曲
 8′
(no intermission)
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ベートーヴェン 交響曲第9番
 14′12′15′23′
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ソプラノ、澤畑恵美
メッゾ、竹本節子
テノール、福井敬
バリトン、福島明也
二期会合唱団
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エリアフ・インバル 指揮
東京都交響楽団
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インバルの第九は先般聴いた「悲劇的」(2013.11.3)、「夜の歌」(2013.11.9)と同じくインバルの原点回帰の傾向があると感じる。言い方はどうかと思うが聴衆に迎合しなくなったというか、元に戻りつつあるというか、むしろ自由さをやめ、勝手さをやめ、昔の引き締まった表現に戻りつつあるのではないか。喜ばせるのは聴衆ではなく作曲家である。そういうことですね。(自由と勝手の違いを認識し両方やめる)
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福井さんがジークムントなみにマジ歌で頑張っておりました。このように音楽に向かう姿勢がいいのですね。
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オーケストラはツルツル高性能。一曲目のエグモントでは弦の刻みが追いつかない個所あり。インバルのエンジンかかるのが遅め。


1564- 第九、エド・デ・ワールト、N響、2013.12.21

2013-12-22 10:53:48 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年12月21日(土)6:00pm NHKホール
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ベートーヴェン 交響曲第9番
 15′11′14′22′
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ソプラノ、中村恵理
メッゾ、加納悦子
テナー、望月哲也
バリトン、甲斐栄次郎
合唱、国立音楽大学
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エド・デ・ワールト 指揮
NHK交響楽団
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第九のはしごです。
一言でいうと、これ以上淡い演奏は無いといえよう。(コーホー風)
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第九のはしごであらためてNHKホールの音の悪さを実感。40年もたてば聴くほうも慣れてはいるのだが、やはり他と比べるとひどく良くない。
ソリストに1人1本ずつ、合唱に上から4本+2?、オケに多数、これらの収録マイクにより、放送時は本当の第九となるのであろう。
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演奏は、自然体というか爽やかというか淡いというか無策というか、乱立するマイクでベストサウンドになるのだろうが、曲に向き合うなにかが、DRDとは深度が違いすぎる。
音楽に対する熱、何に向かって何を表現しようとしているのか、そういったチリチリした主張のようなものを感じ取れない。
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バリトンの甲斐さんは修羅場を潜り抜けてきた後の気合の入ったいい顔だなぁ。現地で得たものが大きいのだろう。何度か接しているが、ついた度胸を感じる。
おわり


1563- デニス・ラッセル・デイヴィス、読響、第九、2013.12.21

2013-12-22 10:36:46 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年12月21日(土)2:00pm 東京芸術劇場
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ベートーヴェン 交響曲第9番
 15′15′16′25′
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ソプラノ、木下美穂子
メッゾ、林美智子
テナー、高橋淳
バリトン、与那城敬
新国立劇場合唱団
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コンマス、ダニエル・ゲーデ
デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮
読売日本交響楽団
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この組み合わせは、2013.12.18に聴きました。
この指揮者を聴けるだけで幸せと思うのです。グラスを聴けたらもっとハッピーですね。
DRDはマス系のサウンドには興味がなく(別に排しているというわけではない)、全旋律の分解化を目指してきたのだと感じる。アンサンブル単位に溶解する。
そしてシームレス。メリハリはあるがどぎつさはない。第3楽章などを聴いていると流れるような音楽とメリハリが同居している。このシームレス化はグラス風味なのかもしれない。と、なんでもかんでもフィリップ・グラスに結びつけてしまうのはいかがなものか、と自分でも思うのだが、思い込みがちょっと強すぎるのかもしれない。あの、ユニークな音楽はまた格別なのです。心地よさとでも言いますか。
このあと、日本でDRDの棒でグラスのオペラを観れる日が来るのかどうか、願ってやみません。
おわり


1562- アゲイン!、バルトーク、Vn協2、庄司紗矢香、青ひげ公の城、エリアフ・インバル、都響2013.12.20

2013-12-20 23:42:17 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年12月20日(金)7:00pm サントリー
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バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 17′10′12′
 ヴァイオリン、庄司紗矢香
(encore)
作曲者不詳 ハンガリーの民謡より 2′
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バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」 58′
 ユディット、イルディコ・コムロシ(メッゾ)
 青ひげ公、マルクス・アイヒェ(バリトン)
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エリアフ・インバル 指揮
東京都交響楽団
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前の夜に続き、日参。
前半の協奏曲、聴き手(自分)のほうが、だいぶ滑らかになってきた。やはり民謡なのか。
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後半、ユディットのコムロシさんは前日の赤系とは異なり、通常のドレス。前日は民族衣装だったのかしら。
バンダの位置は、上野ではしもて。この日はオルガンの位置から両サイドに広がった。いい響きでした。
感想は一日目と同じ。演奏時間が少し長くなっていたようだ。二日目のほうがこなれてきて全体的にシームレスな感じ。引っ掛かりがない。いい演奏でした。
インバルは劇的でドラマチック(同じ意味か)な表現に特に重きを置く指揮者ではないと思う。曲に緊張感が内在しているものをその方向に表現するのに長けている。ブルックナーよりはマーラーなわけです。オペラならロングな3幕物より1幕完結ストーリーのほうがいいでしょうね。
おわり


1561- バルトーク、Vn協2、庄司紗矢香、青ひげ公の城、エリアフ・インバル、都響2013.12.19

2013-12-20 00:56:53 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年12月19日(木)7:00pm 東京文化会館
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バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 18′9′12′
 ヴァイオリン、庄司紗矢香
(encore)
作曲者不詳 ハンガリーの民謡より 2′
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バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」 55′
 ユディット、イルディコ・コムロシ(メッゾ)
 青ひげ公、マルクス・アイヒェ(バリトン)
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エリアフ・インバル 指揮
東京都交響楽団
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バルトークの協奏曲は私の力不足で、なにがなんだかさっぱりわかりませんでした。どのような発想で作ったのか、バルトークの思考回路を電流になって垣間見ないことにはまるで分らないといえるであろう。
ひからびた長ネギの輪切りみたいな響きで、好きになるには厳しい。
どなたか、聴き手側へのアドヴァイスとして、民謡なのだよ、みたいな感じで、適切で納得させてくれるような閃きの一語が欲しい。

青ひげはなさそうで割と聴いているかもしれない。ストーリーはシンプルなもので、緊張力を保持しながらどれだけ濃い表現をすることができるか、といったあたりがポイントだろう。
上演スタイルではないため、たとえば、扉を開いていくところの音楽が肩すかし気味にスゥと過ぎ去っていく。ドラマチックではないのだ。音だけだと味気ない。
浮かく考え込まれた曲であればあるほど、補完するものが必要というのは皮肉なものです。
本来の上演を一度でも観ていれば理解度がかなり違うと思う。
映像や光の陰影だけでも有ると無いではだいぶ違う。たとえば第5の扉、広大な領地、イメージだけでもあると音楽とのシナジー効果が出る場面なはずだ。もちろん字幕はどっちの場合も最低限必要なものですね。
音楽の心理描写のために、シーンづくり、シチュエーションが必要なオペラですので是非とも上演してほしいと思います。
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ユディットのコムロシの前には譜面台ありません。自信というよりもこのオペラへの深い共感がものすごく感じられる。おそらく何度歌っても飽きることなく愛しむような、その都度、役に同化していっているのだろう。共感の表現。
一方、青ひげのアイヒェは見た目、インテリモード。毒のエキスが見えない。存在感も今一つか。大胆な悪を見たいような気がします。
インバルの棒はオーケストラの能力に任せている部分も大きいと思います。緊張感に関しては明日に期待。
おわり


1560- デニス・ラッセル・デイヴィス、読響、第九、2013.12.18

2013-12-19 00:30:51 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年12月18日(水)7:00pm サントリー
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ベートーヴェン 交響曲第9番
 15′14′15′25′
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ソプラノ、木下美穂子
メッゾ、林美智子
テナー、高橋淳
バリトン、与那城敬
新国立劇場合唱団
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コンマス、ダニエル・ゲーデ
デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮
読売日本交響楽団
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このカリスマ指揮者をこの年になって観られるというのは僥倖以外のなにものでもありません。読響さんには感謝です。これで、フィリップ・グラスでもやってくれれば最高なのですが、第九でもなんでも、とにかく来てくれてよかった。
カリスマといってもその名は一部でしか知られていないというのが実際のところだと思います。ブルックナー、ハイドン等々の全集をだしていますが、個人的にはそれらは副業のようなものだと思っています。やはりデイヴィス自身の時代をともにしているコンポーザーとは切っても切れないものがある。特にグラスではトランスレーターみたいなものかもしれない。
トランスレーター的な印象があるので演奏の解釈などといったものは、そもそもよくわからない。CDでならハイドンの交響曲全集は全部まとめて聴きましたし、ブルックナーも同じく聴いた。そんなところにいきなり第九ですから。
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この日は第九、DRD&読響、6公演の初日。演奏は非常に引き締まっており、叩きつけるようなティンパニの強調が耳につきます。
そして全インストゥルメントにわたり鋭いアクセントと彫り、主旋律、対旋律の明確な区分け、そして印象に残った第3楽章の美しいシームレスなウィンドのロング・ハーモニー。これなどはまさにグラス風味満載。終楽章は単なる一つの個体、きつく引き締まったオーケストラと合唱の響きが心地よい。全楽章にわたりメリハリのきいた演奏。
初日のためか、縦の線がふゎっと揃わなくなるところがありましたけれど、ソリッド・スタイルのサウンドは強烈で快感。
特に第2楽章の入念さが光ります。スケルツォの強打、5個目を弱く叩く微妙なニュアンス、弦5部の分解、明瞭な響き。読響の腰が重くならず機動性を発揮しつつ前進していく。素晴らしい演奏でした。ありがとうございました。
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色紙とCDにサインをいただきました。
「このCD覚えてる?」
「オオォッ」
「お互いふけたなぁ」
「オオォッ」
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デイヴィスさんは革ジャンにペットボトル突っ込んだナップサックをしょって帰りました。昔のままです。
おわり

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1559- ロメジュリ、チャイコン、神尾真由子、春の祭典!!!、クシシュトフ・ウルバンスキ、東響2013.12.14

2013-12-15 01:37:23 | インポート

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2013-2014シーズン

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2013年12月14日(土)6:00pm サントリー
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チャイコフスキー ロミオとジュリエット 20′
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チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
 21′6′11′
 ヴァイオリン、神尾真由子
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ストラヴィンスキー 春の祭典 16′18′
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クシシュトフ・ウルバンスキ 指揮
東京交響楽団
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この演奏会から何日が経ったが、ハルサイでのウルバンスキの身悶えする悶絶変則拍子ダンス棒が目に焼き付いたまま。また激烈な演奏も耳裏に張り付いたまま。
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RA席から眺めました。本人の振りスタイルがほぼ全部見える。左足を爪先立てて内また風にして身体が伸びる、左手は頻繁に何かをつかむようにする柔らかい動き、体の芯でこの曲の変拍子の刻みを感じて全体が神経細胞のようでもあり、脊髄まで滲みこんだアドレナリン満タン状態。変拍子であるためいたるところでビックンビックンきまくる。ものすごい、まるで生贄状態。している方なのかされているほうなのか。
聴衆はピクリともせず唖然とした状態で全身が動かない、ただ観るだけ。動いているのは圧倒的にガックンガックンと全身でトランス状態にさえ見えるようなウルバンスキ、それにひたすら応えようとするプレイヤーたちのマジ顔演奏の動き。
このルツボ状態にありながら、右手のてのひらに一方をあてた指揮棒の先は、ほとんど常に指揮者の胸より上にある。つまりプレイヤーから良く見えるポジションを保っている。指揮者としての肝、理にかなっているように感じた。このように腕がだいたい上方をさまよい、棒先はさらに斜め上を向くので、体の芯から湧いてくるような変則ビートのガックンガックンと併せ、下から上まで一種名状し難い、誰も何も言えない動けない唖然茫然の聴衆たち、自分も含め。
スコアなどあるはずもなく、楽譜から感じたことを一瞬のレントゲンモードでエクスプレッション!映画のクライマックスのワンシーンを息を止めて観ているような、リアルと非日常性がないまぜになったような錯覚が幻影か、クラクラするような酔いの連続。
それでも、自己陶酔しきっている状態というのではなく、自己の音楽表現の伝播、そしてその曲の最上の表現を成し得るための自己解釈の表出なのであって、つまり夢中になって曲を振っているのであって、そこらあたりでただの指揮者との境目がおのずと出ているのだろう。才能が溶岩の様に溢れ流れ出ている。

こうなると、最近の若手はよくディテールにこだわったり、わけもなく踊ったり(これは日本人指揮者)、などといった常日頃の妙な表面分析なんかはただの文句、不平不満であって一体意味があったのか、どっかいっちまってよい。そんな感じ。
スロー過ぎると思えたバスーンの出だしは予兆でしかない。
フレーズの指示は非常に的確で、アンサンブル毎、ソロ単位、ポイントを突いた明確な棒でありそれが全部頭の中からでてくるのでスコアを見ながらの‘ながら棒’とは基本的に異なり、全部生きている。また、サウンドの強弱や表情の濃淡に対する抑止開放指示もはっきりしている。そこらあたり遠慮はない。これはあたりまえではあるのだが、迎合指揮者たちとは一線を画す、この若者。そしてその通り音が変わるこの日のオーケストラ。
ウィンドのハーモニーは全てをさらけ出し、それがすべて限りなく美しいかどうかといったあたりはオーケストラの問題もあろう。このような個所では本番では不満を表してもしょうがなく、出来るだけもっともっと合わせて、と前向き。まぁ、非凡だと思います。うまく行かないかもしれない怖れを成功の可能性に導いていく棒、リスキーであろうとも。
若いって素晴らしい。
表現は細やかだがその色彩感を出すためにテンポがスローになるということはない。これは別の話しなのだろうね、きっと。
最初の強烈ビートは弦主体の乙女たちの踊り。ここらあたりからバッキンバッキンくるのだが、テンポ感は非常にすっきりしている。耳が洗われるようだ。強烈な大サウンドでも明確な縁取りはさらにクリアになってきている。見事なフレーム感覚。
だいたいこのような感じで進む。圧倒的な、大地の踊りまでほぼ一瞬。指揮模様は冒頭に書いた通りで徐々に加熱。第1部の比較的インテンポで多彩な色彩感覚、ここまででおなかいっぱい。スコア見ながらだとこのような表現は出来ないだろうなと逆に思わせるに十分すぎる濃い演奏。
第2部はいつも序奏が長すぎるのではないかと思ってしまうのだが、この日の演奏ではむしろ生贄の踊りに達するまでの舌なめずり的な効き目があり、ある程度長い方がより効果が出てきそうだ、このあとの圧倒的な悶え棒にとっていいえじきだ。
始まった、
乙女の神秘的な踊り、選ばれし生贄への賛美、祖先の召喚、祖先の儀式、選ばれし生贄の乙女。
聴衆が全く息が出来ない。息より大事なものを今、聴いて観ている。唖然。
あるツイッター氏が弾よけスタイルと言っていたがまさに言いえて妙。
体の芯からリズムをとっていて拍の頭前のアウフタクト部分で芯がビックンと動き、体の左半分と首のあたりに伝わり、銃の弾をよけているようなジェスチャーになるのだ。このわけのわからない拍子の頭揃えを呼吸とタメを作りながらプレイヤーたちに伝えていく。素晴らしく説得力のある‘からだ棒’。
連続した爆裂は比較的速めのインテンポ、爽快このうえない、生贄には悪いが。
オーケストラがついていけてないとしたらそれはテンポに対してではなく、どちらかと言うと序奏のあたり。特にウィンドのハーモニーのバランス感覚か。美しく流れていたがもう少し抑えながら揃っていたらさらにえも言われぬ響きになっていたことだろう。
とにかく、指揮台の上で全部晒してのたうち回るカブキ棒、いくら夢中になって振っていたとはいえ凄すぎる。才能の発露の表現がこれなんだ、という説得力がものすごくあり、プレイヤーたちもあれは出来ないと思っているに違いないし、要求に100%応えるための目に見える(耳に聴こえる)努力をしており、結果もついてきた。
爆発音響の最終音に負けず劣らず大きな絶叫がホールを埋め尽くした。
いやぁ、とんでもないものを観たと思いました。
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最初の曲はロメジュリ。
この日の公演はヤフオクをみるとプレミアム価格になっていて、だいぶ競っていたようだった。噂のウルバンスキがハルサイを振るとあって、居ても立ってもいられずといったところだ。
一曲目のロメジュリ、肩透かしと言うか、パンフやサイトなどの紹介記事から得ている若き鬼才風なあたりで身構えていたのだが、そうでもない。
芸風は非常に細やかで、かつテンポ感だれずに進んでいく。硬さが無くソフトな肌触り。無数の微妙なニュアンスをすぅすぅと運んでいく。なんだか、カラヤンでも聴いているような趣きだったのです。今思い起こすと、分解機能と言うか、ソフトなタッチながらセクション毎に分解されて聴こえてくる様は、あれはヴィトルド・ロヴィツキ風味だったのかもしれないなどど妄想。
この曲は好物で録音などもよく聴いている。ロシア的な爆音系ではなく、これは言われてみれば確かにソナタ形式の主張ととらえられなくもないと実感。音を一つずつ大事に扱った美しい演奏だったと思います。
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2曲目の協奏曲は、神尾さんが冒頭ねっとりとはじまります。オーケストラがはいってきてテンポが変わりました。両者の意識のずれのようなものがあるかもしれません。ヴァイオリンは比較的肉厚で殊の外、横広で、そのドレス姿とは随分と違うなぁと。
第1楽章のタイミングはロメジュリより長い。指揮者が黙って振っていたらもっと遅くなっていたかも。神尾さん自分の世界がありそうだが、リサイタルだとマッチ・ベターかもしれないと思った、ファンにとっての話だが。
全楽章随分と時間がかかってしまったが、その割にはコクがあったどうか。ウルバンスキの棒もロメジュリ同様いたって静かだった。演奏後何度か出てきたのはソリストだけで、ウルバンスキが出てくることはなかった。
それで思い出したが、ハルサイのあとのソロバウもなかった。最近では誰でもどんな指揮者でもやる奏者の迎合風な立たせ指示、かけらもなかったね。
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ウルバンスキは来年ベルリン・フィルを振るのがスケジュールされているようだ。この日のような演奏をすれば一気にスターダムにのし上がるかだろう。
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ベルリン・フィル
2014年5月23/24/25日
スメタナ わが祖国よりシャルカ、ヴルタヴァ
マルティヌー チェロ協奏曲 vcソル・ガベッタ
ドヴォルザーク 交響曲第7番
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来年の東響での聴きものはなんと言ってもこれ。
東響
2014年10月12日
ショスタコーヴィッチ 交響曲第7番
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ウルバンスキのサイトはこちら。(スケジュール掲載)
http://www.krzysztofurbanski.com/
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おわり


1558- ラヴェル、クープランの墓、デュティユー、チェロ協、ゴーティエ・カプソン、ベートーヴェン7

2013-12-11 22:51:55 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年12月11日(水)7:00pm サントリー
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ラヴェル クープランの墓
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デュティユー チェロ協奏曲「遥かなる遠い世界」(1970)
 チェロ、ゴーティエ・カプソン
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ベートーヴェン 交響曲第7番
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シャルル・デュトワ 指揮 NHK交響楽団
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引き締まった演奏でした。ラヴェルの曲はラ・ヴァルスなどに比べてもどかしいところもありますが純粋に音楽に浸る感じで。

デュティユーでは、デュトワの棒がかなり頻繁に動く。
チェリストの演奏はうったえかけてくるが、曲はそれほどでもない。
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前半のプログラムとは結構なミスマッチの後半のベト7。
大げさな演奏ではなく、デッドで筋肉質、硬質硬派の内容でした。それでいて、機械油が結構効いていて滑り具合が良い。どつくような強いアクセントではなく、ッーーウ、ッーーウ、という具合なんです。
デュトワ自身、バネがあり、後ろ姿はアルゲリッチ時代をほうふつとさせる若々しさでしたね。きっちりした演奏で、N響の一年分の大掃除、ちりが一掃されました。
引き締まったいい演奏で、フレッシュなベト7でした。
ありがとうございました。
おわり


1557- ロンターノ、バルトークPC3、金子三勇士、6つのルーマニア民族舞曲、マンダリン、カンブルラン、読響、2013.12.10

2013-12-10 22:52:55 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2013-2014シーズン
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2013年12月10日(火)7:00pm サントリー
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リゲティ ロンターノ  18分!!!
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バルトーク ピアノ協奏曲第3番  24′
 ピアノ、金子三勇士
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バルトーク 6つのルーマニア民族舞曲  7′
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バルトーク 組曲「中国の不思議な役人」 19′
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(encore)ベルリオーズ ラコッチ行進曲 4′
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シルヴァン・カンブルラン 指揮
読売日本交響楽団
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ロンターノをネット検索で情報得て見てみると、18分もかかる演奏はない。
カンブルランの棒は正確に4拍子を振り続けているように見える。銀河が渦を巻いているような雰囲気で、ゆっくりと進む。時折、人の声や合唱のような響きが聴こえてくるのだが気のせいだろう。生で聴く醍醐味。
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そのあとはバルトークが3曲。プログラム前半ロンターノのあとのピアノ協奏曲第3番から全部バルトーク。カンブルランのプログラム構成は、単発でとらえるのではなく、何回かの公演を俯瞰してみるとよくわかります。
協奏曲は曲自体もっと艶やかでインパクトのあるものだと思う。全般に渡り冴えが見られない。明瞭とは言えない個所があり、それは今の時代基本的に必要なもの。ばたばたしていました。
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後半のバルトーク2曲は短いもの。ルーマニア民族舞曲は6曲もあるのにそれぞれがあっとっという間に終わる。短いなりにカンブルランが振ると味わいも増すということだろうね。
最後の曲、マンダリン。スコアは見たことないがそれなりに複雑な拍子の曲なんだろうね。カンブルランにとっては好物なんだろうから、譜面を一生懸命見ている割には事も無げに振っている。でも素人目ではこんな曲、100年練習しても無理だろうなと思わせるに十分だ。
彫の深い演奏で、なんだかハルサイモードなところもある。ブラバンでも取り上げられる曲だが、大げさにがなり立てることなく縦の線をきっちり揃えて丁寧に表現していく。カンブルランがこのような曲が得意なのはこのように整理整頓しつつ生きた音楽となっているあたりでよくわかる。迫力あるいい演奏でした。
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カンブルランの定期でアンコールを聴くのは初めてだが、演目だけだと2時間枠よりだいぶ短くなってしまうので入れたのだと思う。こうゆう姿勢も聴衆を裏切らなくていいですよ。得意のベルリオーズでした。これも迫力あるいい演奏でした。
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今日のサントリーのはいり具合ですが、どら焼きの両端をかじった感じで、1階右左の良席がエンプティ。他はほぼ埋まっておりました。もったいなかったですね。良席なので当日のさばき方難しいですね。
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●リゲティ ロンターノ
《ロンターノ》(1967年)はリゲティ(1923~2006)の出世作。徹底的に「音色の変化」だけに絞って書かれた作品です。メロディは全くなく、リズムもない、と言っていいでしょう。何もないところからフルートが1つの音を吹き始めて、1人、また1人、と同じ音を演奏する人が増えてくる。音が変わる時も、グラデーションのように楽器が増えたり減ったりしながら音が変わっていく。
 弦楽器は、指板の方で薄いかすかな音から弾いたり、駒の近くでかすれた金属的な音を出したり、特殊奏法で音を変えていく。非常に微妙な音程の変化で曲が出来ています。《ロンターノ》という名前の通り、遠くから聴こえてくる響きが主眼ですね。このスタイルで書かれた作品は実はたくさんあるんですが、その中でも《ロンターノ》は先駆的な存在です。
リゲティを含め、1960年代に書かれた曲は、スコアの段数が大きな場合が多い。《ロンターノ》も、管楽器が1人ずつ違うパートを演奏するのはもちろん、弦楽器も1人ずつ違う動きをもっている部分があります。大編成で、オーケストラには90人ほどが要求されていますが、この90人がそれぞれ違う音(!)を出している時間がある。しかも微妙に、どの瞬間でも動きがあります。音色や音程が変わっていく。例えば、遠くの空を眺めていて雲が出てきて、少しずつ形を変えながら雲全体が移動していく。そんなイメージかもしれません。
 オーケストラにとっては、コントラバスの低い音は変化が分かりにくいですけれど、ピッコロの高い音は目立ってしまう。楽器ごとに性格が違いますから、バランスをどうとっていくかという難しさがあります
(解説 高関健)

 

 

 


1556- ロッシーニ スターバト・マーテル、ジャナンドレア・ノセダ、トリノ王立歌劇場2013.12.6

2013-12-06 23:17:25 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年12月6日(金)7:00pm 東京文化会館
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オール・ロッシーニ・プログラム
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泥棒かささぎ、序曲 9′
セヴィリアの理髪師、序曲 6′
ウィリアム・テル、序曲 11′
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スターバト・マーテル
 7′5′6′4′3′7′4′4′5′6′
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ソプラノ、バルバラ・フリットリ
メッゾ、ダニエラ・バルチェッローナ
テナー、ピエロ・プレッティ
バス、ミルコ・パラッツィ
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トリノ王立歌劇場合唱団
合唱指揮、クラウディオ・フェノーリオ
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トリノ王立歌劇場管弦楽団
指揮、ジャナンドレア・ノセダ
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いい選曲と並び具合。前半は軽快なロッシーニの序曲を聴いて、後半は同じロッシーニのシリアスな歌に浸る。在京オケの企画ものではなかなか聴けないもの。
この前のトスカが素晴らしく、この日のスターバト・マーテルも期待できる。
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前半一曲目のかささぎから響きが素晴らしい。トリノの音はノセダ好みにいまだ変貌しつつあるのか、それとも進化継続中のオーケストラなのか。とにかくトリノの音はツルツル、艶があり、切れ味鋭い。
2曲目のセヴィリアの理髪師は、硬いアクセントを意識して排していたと思う。最初の拍から少しトローンとぼかして。
最初のかささぎではスネアを両翼に一個ずつ配しメリハリが効いていてセヴィリアとの違いが強調された。
3曲目のウィリアム・テルは、クレッシェンドの妙にとどまらずドラマ性のある序曲で、前半後半一曲で2度楽しめるようなところがある。かささぎとセヴィリアが混ざった感じ。
きれいなサウンドで耳が洗われました。
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後半はこの日メインのスターバト・マーテル。
つい先だって(2013.9.19)、ドウダメル&ラ・スカラのアイーダで悶絶ものアムネリスで圧倒的な歌を聴かせたバルチェッローナ。
フリットリの余裕。それから男声陣(ちょっと知りませんあしからず)。
ロッシーニは曲自体この前のアイーダのようなドラマチックなものではないため、あれを聴いた後だと手応えが今一つだが、コントロールされた抑揚感はまた別のおもむきがあり、これはこれで味わいが深い。
それにトリノの合唱とオーケストラ、これが大変に凄い。コーラスとオケが一体化しており、境目がわからない。どこまでが声でどこからがオケの響きなのか、渾然一体となったアンサンブルはあまりに見事。全てがインストゥルメントの響きのように聴こえるし、声のようにも聴こえる。
オペラの舞台でのアンサンブル構築とはかなり異なるのではないか。あえてシンフォニックと言いたくなるが、そうすれば自然と、ノセダの力量の勝利。
やや硬質で滑らか、美しく流れるスターバト・マーテル、フリットリは出番でないところでは座って口ずさんでいる。あぁ、身体の中に沁みついているのだろう。ノセダはコーラスと一緒に歌っている。当然と言えばそうかもしれないが音楽と演奏の一体化があって聴衆に激しくうったえかけてくる。音楽と演奏と聴衆、一体化しました。
素晴らしい音楽と演奏、ありがとうございました。
おわり