河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2564- ショスタコーヴィッチ、VnC1、パヴェル・ベルマン、5番、バッティストーニ、東フィル、2018.5.31

2018-05-31 23:36:14 | コンサート

2018年5月31日(木) 7:00-9:20pm サントリー

ボロディン ダッタン人の踊り  11

ショスタコーヴィッチ ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op.77  11-8-14+5
 ヴァイオリン、パヴェル・ベルマン

(encore)
J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番よりサラバンド  3

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番ニ短調Op.47  17-5-15-10

アンドレア・バッティストーニ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


ショスタコーヴィッチのシンフォニーは時折、暗黒の楽章が有ってそれも含めた全体の構成が鮮やかでシンフォニストの腕の冴えを感じさせてくれるもの。今日のヴァイオリンコンツェルトはそれらシンフォニーのさらに上をいくような真っ暗な世界が第1楽章に広がる。シンフォニストの面目躍如たる作品で深刻なシンフォニーとしか聴こえない。この作品は、交響曲第9番と第10番の間に位置していますね。完全に10番のほうに寄っていると思いますけどね。
余りに暗すぎて、きっとこのまま終わるだろうなと、シンフォニーでもそうだし。の通り何が何だかわからないうちに初楽章は終わる。ヴァイオリンソロは譜面不要のパヴェル・ベルマン。どうすればあのような暗黒の作品をこんなに見事に弾けるのか素人目には一滴もわからない。太めの音で確信に満ちた弾き。オーケストラともどもムードがシンクロしている。
生で聴くこの曲はオーケストラの弦の束が割と強調されたようなサウンドバランスなんだがそれはこの楽章だけなのかもしれない。

もんもんとしているうちに次の楽章へ。
シンフォニーの型通りのスケルツォで、気分がやや変わって軽くなるものの、ウィンドが空気のない自転車の車輪の転がりを感じさせるようなトリッキーな響き。スケルツォ、トリオが拡大されていて結構な規模で長め。この2楽章まではソロはシンフォニーの中にあるような具合の動きで、シンフォニー的な楽しみ方もありですね。

次のパッサカリア、折角スケルツォで明るさを取り戻したのも束の間、初楽章の闇が戻ってきて、暗闇を抜けるとそこは暗闇だった、の世界。
トランペットとトロンボーンが無く、チューバが1本という異様なブラスセクションの構成。チューバがなにやら沈殿物のような鳴りで弦、特にベースと絡む。全く異様な響き。この光景の異常さはやっぱり生で観て初めてわかる。ベルマンはチューバとベースのずっと上のほうのオタマだと思うのだが、実際のところは幅広で安定感のある音、ヴィオラのように聴こえてきます。
沈殿物が引き伸ばされて止むと、5分ロングのカデンツァが始まる。その前のゆっくりとした流れのモードを保ちながらウェットなヴィオラ風サウンドが心地よい。徐々に速度を上げ、音域を上にあげていき激しさを増して、ショスタコーヴィチならこれは極めて自然な流れで、追い込みをかけていきアタッカで終楽章に突入。
ティンパニ強打、回転する音、そのなかをソロが快適に進む。困難なパッセージが続いていそうだ。各インストゥルメントのアンサンブルの中にソロが駆け回る。凄い迫力でフィニッシュ。
東フィルのノリが特筆に値するものでお見事な揃い具合。圧巻の演奏でした。

バッテの振る5番。単音同士のむき出しのぶつかり合いは無い。フレーズの流しかた、呼吸等々、現音チックな装いとは反対方向のもので、これが彼の理解によるショスタコーヴィチ像なのだろう。
終楽章の3拍子からファンファーレに突入する加速、そしてもの凄い急ブレーキ、一体どういったことからくる解釈なのか、とにもかくにも初めて聴く流れでした。
全体の精度が今一つ、バッテはこのオーケストラの首席指揮者だけれども、両翼にいるチョン・ミョンフン、プレトニョフ、彼ら二人がこのオーケストラの水準を高めているのは明らかで、毎回圧倒的な演奏にうならされる。両翼に配しているということの意味を一番よく知っているのはオケメンだと思う。
激しくエネルギッシュなバッテの指揮、実はオケメンが振られているのではなくて温かい眼差しでバッテを振っているのだろうと思います。相応に良好な関係なのでしょうね、音にも色々とよくあらわれています。
おわり


 




2563- アメリカ序曲、不安の時代、河村尚子、ショスタコーヴィッチ5、イラン・ヴォルコフ、読響、2018.5.30

2018-05-30 23:45:02 | コンサート

2018年5月30日(水) 7:00pm サントリー

プロコフィエフ アメリカ序曲変ロ長調op.42a  7

バーンスタイン 交響曲第2番 不安の時代  16-18
 ピアノ、河村尚子

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番ニ短調Op.47  16-5-14+11

イラン・ヴォルコフ 指揮 読売日本交響楽団


3曲ともヴォルコフの棒が光る演奏会でした。また、不安の時代は河村さんのピアノが圧倒的、いい演奏会でした。

1曲目のアメ序はプロコフィエフと思うことなくひねりのないストレートな作品だと思って聴ける作品。吹奏楽の版でもあれば手応えありそうですね。アメリカン・スパイスのプロコフィエフ、次のバーンスタインにつながっていく気配を感じる。

その、不安の時代、大ピアノコンツェルトといったおもむき。これはほとんどピアノ協奏曲ですね。録音ではよくわからないようなところが、大変にクリアに聴こえてくる。切迫感が有る作品で、彫りの深さも並々ならぬものが有りました。
1部の延々と続く変奏は自分には怒りの日にしか聴こえない。それも終始つまずくような音の塊で前進性は感ぜず、塞ぐような進行。バーンスタインのやにっこい音楽ここでも全開というところだろう。
オーケストラ、ピアノ、ともに同じような進行なんだが、ヘヴィー級の読響サウンドに対し、河村さんのピアノは表情が凄く豊かに変化する。鍵盤に身体ごと押し付けるような強く濃いプレイであったり、軽くサラリといなすようなタッチも魅せる。聴かせてくれますね。素敵です。
今日はP席に座ったので、蓋無し正面向きピアノのこのセッティング、P席全員鍵盤側でラッキー。
2部はジャジーなノリだったり困難極まりないカデンツァだったりと、どっちにしろそうとう難しそうな弾きで、左から右から、あちこち目の回るような弾きで、素人目にも大変そう。
そんななか、リズムを取るところは身体を動かしキレキレのピアノ、よくシンクロしていて気持ちがいい。重くならないのもいい。また、オケが消えソロとなるところはお見事な技、坂道を転がるようなノリ、息をのむようなスリリングな展開に圧倒されさらに、困難なパッセージも天衣無縫のように聴こえてくる不思議。スペシャルな自由度。この日もやっぱり実感再認識の、何度でも一目惚れ。
1部は怒りの日にしか聴こえなかったが2部の締めはまるで、マメールロワのようなナイーヴなものでバーンスタインの別の顔を見るよう。河村さんの最後のワンショットまでお見事の限りの演奏を堪能。
こういったことを可能にしたヴォルコフの棒もまたスペシャル。現代ものに光るセンス、バーンスタインの音楽がふところ深く、大きく、パースペクティヴに富み、弛緩しないパワフル演奏はオーケストラともどもお見事。ブラスセクションの裸音のぶつかり合いアンサンブルや、響きを吟味して進むあたりやっぱり現音向きだなといたく思う。

ヴォルコフは10年前の2008年にトゥーランガリラを都響とやっている。あの時の冴え技は記憶の中にある。昨年2017年もサマフェスでコッテリと現代音を聴かせてくれた。今日のメインはバーンスタインだったと思う。ものの、後半にはショスタコーヴィチの5番。やりつくされた感があるけれども、彼のような指揮者が振ると、やっぱり、一味違うものになる。
読響はその特色通りヘヴィー級の大演奏、モタモタしないできっちりと縦ラインを合わせてくるから突進力は岩盤のよう。ヘヴィー級臨界点越えの演奏といえよう。
ヴォルコフのコントロールは効いている。第1楽章の弦楽合奏の束をしだれ柳風にグイグイいじったり、から、終楽章の最後2小節は驚天動地のパーカスサウンドを響かせる、等々、色々な味付けを聴けました。強調は結構多いですね。ブラスの線のぶつかり合いをむきだしに強調、すべりの良いブラスプレイはノリノリです。それからブレス、音が切れないパッセージに隙間は無い。呼吸小節コントロールもなにやら独特なのかもね。
現音風味のテイストは緻密なフレーヴァーでより鋭くなり、単色、ブレンド色、ともに見事な調理で、結果が出ていましたね。新鮮なショスタコに舌鼓。
ヴォルコフの棒は通り一遍のものではなくて、現音を歌う、歌うエレメントがあってそうとうに濃いもの、ナチュラルな指揮ぶりは音楽の流れを強く感じさせてくれるもので、プレイヤーたちは息を整えやすいだろうなあという気がする。ほれぼれする棒さばきですな。


収録マイクは目視では床には無くて、宙づり8本のみと思います。宙づりの中央二股マイク2本のうち1本はステージ真上、どんなサウンドメディアに仕上がるのかお楽しみですね。
おわり


2562- グラズノフVnC、アレクサンドラ・スム、ドヴォルザーク7番、小泉、都響、2018.5.28

2018-05-28 23:38:40 | コンサート

2018年5月28日(月) 7:00pm 東京文化会館

ドヴォルザーク 序曲 謝肉祭  9

グラズノフ ヴァイオリン協奏曲イ短調Op.82  19
 ヴァイオリン、アレクサンドラ・スム

Int

ドヴォルザーク 交響曲第7番ニ短調Op.70 B.141  10-11-8-9

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


グラズノフはヴァイオリンが弾きっぱなしのピースで、スムさんの熱演弾きが光る。強い
右腕の弾きは自身の身体全体を動かすほど。鳴りもいいですね。
中間のカデンツァが圧巻、そしてそこから後半にかけテンポを上げていき畳みかける。スムさん、グラズノフ共感のヴァイオリンでした。

スムさんは今年の1月にも来日していて、シベリウスを弾きました。

2487- シベリウスVC、アレクサンドラ・スム、ブルックナー7番、小林研一郎、日フィル、2018.1.26

2488- シベリウスVC、アレクサンドラ・スム、ブルックナー7番、小林研一郎、日フィル、2018.1.27、アゲイン

おわり


2561- メンデルスゾーン、スコティッシュ、コリリアーノ、ボブ・ディラン、ミスター・タンブリンマン、日本初演、下野、都響、2018.5.22

2018-05-22 23:14:52 | コンサート

2018年5月22日(火) 7:00pm サントリー

メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調Op.56スコティッシュ 15-4-10-10

Int

コリリアーノ ミスター・タンブリンマン
 - ボブ・ディランの7つの詩(2003) 日本初演 5+8+4+3+6+8+5
 ソプラノ、ヒラ・プリットマン (歌はアンプリファイドされる)

下野竜也 指揮 東京都交響楽団


後半に日本初演ものが控えているとはいえ、このスコティッシュは実に素晴らしく研ぎ澄まされた美演。
テンポをそれほど速めることなく、鋭いカミソリシュートの切れ味をスパスパ出していく、パースペクティヴが深くて弾力に富んだ演奏でスピーディーさを感じさせてくれる。遠心力のようなものが働いているかのような演奏。グワングワンきますね。スタイリッシュな飛ばしのように聴こえてくる不思議。スコティッシュにフレッシュなものが帰ってきた。作品再認識の棒は大きいですね。
圧倒的なメタリックカラーの弦の厚み。ウィンドセクションのアンサンブルの歌。ブラスは要らない。そんな感じ。
泣き節のドツボにはまらず、かといって軽く切り上げていくわけでもない。ひとつずつじっくり進んで行く充実サウンドの妙。いい演奏でした。

コリリアーノのスペシャリスト下野が振るミスター・タンブリンマンの日本初演。歌はオーソリティのソプラノ、ヒラ・プリットマン。万全な布陣。
プログラム冊子に対訳が載っているとはいえ、ディランの長い詩に字幕が無いのは、画竜点睛を欠くとまではいかないが、万難を排して、やるときは完膚なきまで盛り上げる的な、まぁ、古い考え方かもしれんが、そういったこともあってもいいかなと思いました。欲を言いだすときりが有りませんが。

前奏曲、ミスター・タンブリンマン
物干し
風に吹かれて
戦争の親玉
見張塔からずっと
自由の鐘
後奏曲、いつまでも若く

シルヴィア・マクネアーがコリリアーノに連作歌曲の依頼をした時の唯一の希望は、アメリカのテクストを使ってほしいという事。ディランの詩に共感、インスパイア。それを使うことにしたが、先入観のようなものが入り込まないようにするためか、ディランの曲のフシ、メロディーは封印。というか、それまで彼の曲を聴いたことがなかったコリリアーノは、自作が出来上がるまで、それまで通り聴かずのままで、作曲を行った。
従って、作品はいわゆるクラシカルなカテゴリーにはいるもので、コリリアーノがこれまで進めてきたものと変わるところは無い。
ピアノ付きソプラノのものを完成後、オーケストレーション。オペラティックな唱法回避のため、アンプリファイドでの歌唱を指定。(声がオケで消えないようスピーカーを配置。右・左・奥)

今日登場のプリットマンは2003年のオーケストラ版世界初演のソプラノ。切れ目なしの約40分の歌。譜面無用の絶唱。切れ目は無いがピース毎に、歌う位置を変えたりあちら向きになったりする。詩は大変に長くて対訳がついているとはいえこのヴォリュームだと演奏中に詩を目で追うのは困難。字幕が必須でしたね。これだけが残念。声は増幅されているので明瞭に聴こえてくるけれども、意味とか繋がりとかそういったものはなかなか理解しやすいというわけではなくて、事前勉強していても難しい。
ポストリュードのforever youngは執拗に頭韻を踏む。オーケストラの音はほぼ無くなり、語りのような歌になる。場を静謐にするプリットマン。オケがやむとき、なぜか、圧倒的に切迫感のある歌が響き渡る。なんと静かでメロディアスなんだろう。若さが静かに高みへ。
この切迫感、ディランのいつまでも若く、なにやら逆説的なアトモスフィアも漂うけれども、こういったあたりがコリリアーノの進めてきた作曲と、ディランとの未知との遭遇的な出会いの妙ということだろう。

プリットマン登場前からスペシャルな雰囲気が有りましたけれども、登場と同時に小どよめき。第一声で聴衆を魅了。自在の歌に唖然茫然、譜面不要の説得力もありますね、長い詩。
ディランの内面へのくい込みがディープ、スリリングな進行。
コリリアーノのチリチリする弱音持続、ダイナミックで色彩豊かなパレット。様々な表現が次々と現れる。アンプリファイドされたソプラノはオーケストラの咆哮と折り合いをつける。言葉が聴こえる。深刻で厳しい音楽が展開されていく。説得力あります。都響の演奏も白熱さを増す。
コリリアーノ・スペシャリスト下野にしても今日の初演はエポックメイキングなものであったに違いない。隅々まで冴えわたる棒、プリットマンとの絶妙なキュー。内面に光をあてていく。音楽が生きている。日本初演にふさわしいものでした。

コリリアーノを満喫しました。ありがとうございました。
おわり

コリリアーノ











2560- フィデリオ、カタリーナ・ワーグナー、ダニエル・ウェーバー、リカルダ・メルベート、ステファン・グールド、ミヒャエル・クプファー=ラデッキー、ニュー・プロダクション、2018.5.20

2018-05-20 22:46:09 | オペラ

2018年5月20日(日) 2:00-5:00pm オペラ・パレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ベートーヴェン 作曲
カタリーナ・ワーグナー プロダクション
ダニエル・ウェーバー ドラマトゥルク

フィデリオ プレミエ、ニュー・プロダクション 70-63

characters in order of appearance at overture Fidelio
1.ドン・ピツァロ、ミヒャエル・クプファー=ラデッキー(黙役)
2.ジャッキーノ、鈴木准(黙役)
3.ロッコ、妻屋秀和(黙役)
4.マルツェリーネ、石橋栄美(黙役)
5.フロレスタン、ステファン・グールド(黙役)
6.レオノーレ、リカルダ・メルベート(黙役)

Character in order of appearance at act
1.フロレスタン、ステファン・グールド(T)
1.ジャッキーノ、鈴木准(T)
1.マルツェリーネ、石橋栄美(S)
2.ロッコ、妻屋秀和(Bs)
3.レオノーレ、リカルダ・メルベート(S)
4.ドン・ピツァロ、ミヒャエル・クプファー=ラデッキー(Br)
5.囚人1、片寄純也(T)
5.囚人2、、大沼徹(Br)

6.ドン・フェルナンド、黒田博(Br) ActⅡ
7.偽レオノーレ、(黙役) ActⅡ

新国立劇場合唱団
飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団


Duration
フィデリオ序曲  5
ActⅠ 46-19
Int
ActⅡScene1  34
レオノーレ序曲第3番  14
ActⅡScene2  15


つい先達て、凄いフィデリオを聴いたばかり。
2551- フィデリオ、ウール、ザイフェルト、チョン・ミョンフン、東フィル、東京オペラシンガーズ 2018.5.8

2553- フィデリオ、ウール、ザイフェルト、チョン・ミョンフン、東フィル、東京オペラシンガーズ 2018.5.10

上記は演奏会形式の公演、完成度が非常に高くまた受けた感銘も大変なものでした。
今日は新国立劇場がカタリーナ・ワーグナーに演出依頼をしたフィデリオのプレミエ公演。こちらは舞台がありますので、また別の味わい、オペラの醍醐味満喫となるか。

チョンの公演では冒頭レオノーレ3番から始まるものでしたが、初台公演はフィデリオ序曲から始まり、第2幕1場のあとレオノーレ序曲第3番が奏されるいわゆる通常の上演。

唯一のオペラ小屋は初台、とは言っても昔とは随分と状況がちがってきていて、あちらこちらで上質のオペラ公演を観ることが出来るようになった昨今。オペラでの音楽シーンは日本でも根づいていると思う。多彩な音楽活動とオペラ演目、そういったことが途切れることなく上演され続ける。シーンですね。色々と問題もあろうが、ピュアにエンジョイできるようになった大仕掛けエンタメ。思い切り楽しめる時代、まことに幸せといわなければならない。
ワーグナーの名がプロダクションの名に出ていてそれだけでエキサイティングなところもありますが、オペラゴアーズはびくともしない(笑)。今日はベートーヴェンのオペラ。
そういった思いが自然に醸し出される中、フィデリオの騒々しい打撃音から始まった。

昔メトで観たのはオットー・シェンクのプロダクション、指揮者はクラウス・テンシュテット、クリストフ・ペリック、リチャード・ウォイタック等々で。
シェンクのプロダクションでは今日の演奏と同じくレオノーレ3番が鳴るが、それは第1場の幕が下り、真っ暗な中、ピットで動く指揮姿が時折ちらつくだけの暗闇15分。これはこれで物思いにふけるにはいいのかもしれない。それから何十年。舞台は変遷を重ね、今では頭の序曲のところから前出しで色々とやるのが普通。
カタリーナ演出では序曲の第一音が鳴り、幕が開きいきなりピツァロとそのシルエットがいる。彼にスポットライトがあたる。結局、この序曲だけで6人衆が出てくる。
舞台は2段で上が中庭、右からスポットライトピツァロ、真ん中マルチェリーネとジャッキーノ部屋、左がレオノーレ部屋。下段はフロレスタンの牢獄。
動きは上の真ん中マルツェリーネとジャッキーノの部屋から始まる。床にはピンクのマット、お花を挿して歌う、明るい感じ。
左隣のレオノーレ部屋では男装に着替える。変装部屋で変装するところを見せることになる。下段の牢獄ではフロレスタンがチョークで壁に妻の絵を描きながら闇の生活を送っている。
通常2幕からの出番となるフロレスタンはこのように最初からほぼ出ずっぱり。他のキャラクター連も序曲から第1幕へそのまま出ていて動きを作っていく。
1幕後半では新国立の大掛かり舞台仕掛けが動く。全体が徐々に上にあがり、それまで2段だった舞台が持ち上げられ3段になる。一番下に現れたのは多数の囚人たちがいる牢獄。つまり1段目が囚人用牢獄、2段目がフロレスタンの牢獄。3段目が中庭部屋。舞台移動は初台機能を垣間見られるものと。

第1幕の動きはこういったところで、音楽はフィデリオ序曲がまるでフィガロの結婚のように軽やかなものにきこえる。そのまま1幕へ。セリフはほぼ割愛されている。
ジャッキーノの声が出ていない。かたやマルチェリーナはやや硬さが有るもののそれを自身の動きでもみほぐしながら、前に出る声で思いっきり体当たり演技。石橋さんは最後まで歌と演技が明快で舞台に明るさをくれた。
ピツァロのキャラクターがよく決まっていて、いかにもわるだくみしそうな気配。
レオノーレのメルベートはエンジンをかけ始めたところか。

囚人たちの地下牢が舞台地下から上に持ち上げられて出てくるところは迫力ある。とはいえ、序曲の前出し風味満載の緊張感に比してその後の第1幕本編は全体にあまりぱっとしない。

第2幕はフロレスタンの一声から始まる。絵を描いたり、墓穴を掘ったりとなにかと動きの多いフロレスタンキャラ。グールドはシーンの流れに沿うもので、レオノーレともども忙しい動きが多い中、相応なこなしであったと思う。メルベートは進むにつれて勢いが出てきましたね。
第1場でピツァロに刺されるレオノーレ。このあたりからストーリーの雲行きが怪しくなってきた。レオノーレ序曲第3番の前半、もうひと芝居ある。ピツァロが牢獄に降りてきて今度はフロレスタンを刺す。そして上に抜ける階段のところにブロックを積んでいき出口をふさぐ。
序曲後半は動きが無い。ドン・フェルナンドが来るトランペットが遠く響き渡るところから勝利、歓喜までのところの音楽では舞台は空虚で動きのない世界となる。序曲中のこの対比は鮮やかにしてお見事。この演出にふさわしいものだ。
そして、間際のフロレスタンとレオノーレ、二人で掘る墓穴。
フェルナンドが囚人たちを牢獄から出す。その大人数に紛れ込むピツァロ。
深手を負ったフロレスタンとレオノーレはいつの間にか上段左のレオノーレ部屋で瀕死の重傷で勝利を歌い続ける。
ピツァロはフロレスタンに変装し、偽レオノーレとともに牢獄から出された囚人たちの中から出てくる。奥から勝利の光が放射される中、フェルナンドはこの偽夫婦たちを見破れないまま、わるだくみ夫婦は囚人たちを牢獄に入れ直し、自分たちだけが外に、そこでフェルナンドと対峙する偽フロレスタンの顎を突き出したピツァロ。オレの策略が勝つのだ。といいたげな短いストップモーションとともに幕。

思えば、劈頭でのあちら向き静止ピツァロから始まったこのオペラは最後、勝ち誇ったピツァロで幕。メインロール二人を刺し、レオノーレの変装の上をいく変装をし、策略を凝らしたピツァロの勝ち。徹底的にピツァロにスポットライトを当てた演出であったと言えよう。
勝利と歓喜の歌はピツァロのためのものであった。ピツァロとフェルナンドの最後のシーンは力関係の逆転予告、ピツァロの勝利を予告するものであり、フェルナンドから次のピツァロへの権力橋渡しが、このオペラが終わったあとでそのようなことになるのかもしれない、権力は腐敗し、次に受け継がれていくものだ。そういうことを、この舞台が演じられている中までに前出し、さき出ししたもの。将来起こりそうなことをこの舞台で表現しえた見事な演出であったと言えよう。力強い合唱の歌は権力が新しい権力者に移るときのお祝いの喜びの歌だったのかもしれない。今の時代、ありそうなことだ。
そして、これはリングのように繰り返される、と。

舞台が1,2,3階、それに、トップ階は部屋が分かれており、独唱は聴きごたえあるものの、2,3,4,5重唱はお互い離れた位置での歌唱でなかなか重唱の妙が出て来ない。遠い席から観ているほうがいいのかもしれない。

演奏はいまひとつ。特に第2幕。レオノーレ序曲第3番に代表されるノリのあまり良くない演奏。それに、フロレスタンが歌う前の前奏は普段オペラの歌い節をやっていないオケだろうなあとモロに出るすべりの悪い演奏。



マルツェリーネの二つのシルエット
一度に二つ出てくるマルツェリーナのシルエット、あれどうゆう仕掛けなんでしょうかね。

演出については、1000円プログラムにあるドラマトゥルク担当のダニエル・ウェーバーのプロダクションノートを事前読みすれば概ねわかります。

終演し、演出関係者一同、カタリーナ含め全員揃い踏み。

とりあえず、1回目
おわり






2559- プロコフィエフ、交響的協奏曲、辻本玲、ストラヴィンスキー、ペルセフォーヌ、ラザレフ、日フィル、2018.5.19

2018-05-19 21:51:08 | コンサート

2018年5月19日(土) 2:00-4:00pm サントリー

プロコフィエフ 交響的協奏曲  11-18+11
 チェロ、辻本玲

(encore)
カザルス 鳥の歌  3

Int

ストラヴィンスキー ペルセフォーヌ jp (演奏会形式、フランス語上演/字幕付き) 55
 ペルセポネ、ドルニオク綾乃(narrator)
 ユーモルプ、ポール・グローヴス(T)
 晋友会合唱団
 東京少年少女合唱隊

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

プロコフィエフは大きな曲。聴きごたえありました。オーケストラの出番が結構あってプロコフィエフのやにっこさも増した感じはするけれども、チェロが鳴るときオケはやむ、といったおもむきで、独奏の活躍を堪能できる。高い音域でのパッセージが多くて、高音多湿。
中間楽章は特にビッグな演奏、全体は3つの楽章にわかれているというよりも、作品全体が自由に展開していく、という聴き方。それにしても長い曲。40分のフルパワー全開。
辻本チェロは若々しい弾力に満ちたプレイ、高音パッセージはしなやかでみずみずしくて、緊張感あふれる見事なもの。余裕の美演でした。

メロドラマ、ペルセフォーネ duration
第1場(ペルセフォーヌの誘惑) 22
間奏曲 2
第2場(冥界のペルセフォーヌ) 13
間奏曲 1
第3場(蘇るペルセフォーヌ) 17

主役、ペルセポネ、マイクつけての語り(歌わない)、(位置は指揮台かみて)
エレウシスの祭司ユーモルプ、独唱の物語進行役、(位置は指揮台しもて)
合唱、水の精・黄泉の亡霊・など、(位置はLA少年少女、左P女声、右P男声)


ストラヴィンスキーの日本初演。掘り起してきたフラグメント初演といったものではなくて、1時間ロングの大曲初演。日本でなぜ埋もれていたのか知る由もない。

主役が語りだけだし、メロドラマというジャンル付けはわかる。が、出てくる音楽は、ロシアのストラヴィンスキーが本格オペラ作ったらこんな感じになるだろうなと、もう、第一音でそんな感じ。ボリスやホヴァンシチーナのいたるところにある粗野感をドビュッシー風味の透明フレーヴァー添加で滑らかに濾した。1934年初演、遅れてきたロシオペの感が無くもない。
メロドラマもの、字幕が今様のように発達していれば日本初演ももう少し前倒しになったかもしれぬ、と、ふと思う。
巨大化した合唱付きオケ編成はオペラ規模でオーケストラがダイナミックに響く。マイクがない語りは打ち消されてしまうだろうね。テノールのグローヴスは健在。合唱の威力は人数比の圧力。ということで、もはや、演奏会形式のオペラを聴いているような聴き方になってしまった。
語りでの音楽の躍動感には並々ならぬものがあり、それを上回る声にはマイクが要る。ダイナミックなオーケストラサウンドがとても魅力的。テノールのグローヴスは美声で、こちらは地声でオケに負けない。

ストーリー展開とそれに付く音楽がうまく同期しているかというところがありますけれども、雄弁な場面転換の間奏曲が3倍長の長さで鳴り渡り、合わせてそれ長尺の本格本編になればオペラとして観るのも面白そうだ。
二つの間奏曲、生き生きしている音楽でしたね。

ラザレフと日フィル、渾身の演奏に圧倒されました。ありがとうございました。
おわり

第700回特別記念東京定期演奏会



2558- ショスタコーヴィチPC2、トラーゼ、ブルックナー1番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2018.5.18

2018-05-18 23:23:10 | コンサート

2018年5月18日(金) 7:00pm NHKホール

トルミス 序曲第2番(1959)  11

ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第2番  7-10+5
 ピアノ、アレクサンドル・トラーゼ

(encore)
スカルラッティ  ソナタ ニ短調K.32 (L.423)  3

Int

ブルックナー 交響曲第1番ハ短調 (1866年リンツ稿/ノヴァーク版) 13-11+8-14

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


トラーゼはアメリカに移ってきた頃に何度か聴いた。強い弾きの印象がある。
それから何十年、今日のショスタコーヴィチは軽妙なもので水面の水きりのようなもんだろうが、サラリとした感触で、猛弾きもできるんだよという余裕みたいなものが少し鼻につく。演奏への打ち込みが削がれていたと感じる。指揮とオケを上回るプレイを聴きたかった。


AB1-elapsed time
Ⅰ 3-5-4-c1
Ⅱ 1-3-2-2-2-c1
Ⅲ 3-2-3
Ⅳ 5-5-3-c1

ブルックナーはオーケストラをグッと引き締めたもの。パーヴォの芸風ではどの作曲家作品でもそうなるわけだが、この論法で、ではブルックナーの聴かせどころはなんだという話になると、ちょっとわからない。
凝縮明確フォルム、ギュッと絞まったスキニーサウンド、スピード感に溢れ、中のホンワカ空気の膨らみを押し出した握り寿司、むらさきに味わいを求める。場の雰囲気を楽しむ。そんな感じ。
爽快な演奏が一定の形式感の中でバランスよく進行するスタイル、途中からベートーヴェンの1番的な楽しみに変わってきて、これはこれで面白かった。プレイヤーも演奏しやすそう。コンパクトで解像度の高い好演でした。

びっしりと強弾きする弦の圧力は大したもので、ゆらゆら揺れるベース刻みが聴こえてくればさらに良いだろうなとは思う。このホールではそういったことの限界、限度がそう遠くないところにあるので、聴く前から自分の頭の中にフィルターがかかっているのかもしれない。
おわり


2557- バーバー1番、ガーシュウィンPC、山下洋輔、カーニス、ムジカ・セレスティス、コープランド、アパラチアの春、ファレッタ、新日フィル、2018.5.18

2018-05-18 22:00:12 | コンサート

2018年5月18日(金) 2:00-4:30pm トリフォニー

バーバー 交響曲第1番Op.9  21

ガーシュウィン ピアノ協奏曲へ調  17-19-12
 ピアノ、山下洋輔

Int

カーニス ムジカ・セレスティス  11

コープランド アパラチアの春、オーケストラ版の組曲  23

(encore)
エリントン(Roy Collier編) The River より The Lake 7

ジョアン・ファレッタ 指揮 新日本フィルハーモニー管弦楽団


しびれた。しびれました。アメリカ作品4連発。ジョアン・ファレッタさんの棒、いつか聴くことがあるだろうと思ってはいたが、いやいや、この現実感。

新日フィルは上岡監督になってから色々と新機軸、企画を打ち出している。今日の演奏会は、金曜・土曜のアフターヌーンにルビーのコンサートとしてはじめられたもの。
このルビコンはなんといっても、席種2種類のみの4500円、2000円、それに毎度の豪華キャスト。全く信じがたいもので、今回のアメリカもの4連発、ファレッタさん、山下さんで聴けるなんて、まさしく、干天に慈雨。
トリフォニーは3階席まで音がストレートに飛んでくるのでフルオケの醍醐味は2000円席が良い。

前半2曲は大がかりな編成、後半2曲はコンパクトなもので聴後感というのは、後半は整理体操のおもむきだったなあとあらためて前半のエキサイティングな2曲の思いにふける。


バーバーの若き佳作。
織りなすチェック模様のようなリズミカルな進行からアメリカ原風景へ、と思いきや徐々にノーブルに纏い、威厳のヴェールを脱いで圧巻のエンディング。やっぱり、生の説得力は凄いもんですね、吹奏楽にも合いそうな作品です。
ファレッタさんの指揮は大きくてテキパキしていてきれいなもの。腕を下げることのない明快な棒。プレイヤーにもわかりやすいものに見える。バーバー・サウンドが腕に巻きついてくる一体感と説得力のある棒でした。ビューティフル!

次のガーシュウィン、これも、しびれた。
変幻自在の山下洋輔ピアノ、結果、50分におよぶ演奏になりました。
幅広でシンフォニック、スケールの大きなオーケストラサウンド、もう、これだけで何も言うことがない絶品のパワフルサウンド。これに付かず離れず、一定の距離を保ちながら弾くピアノ、揺れる主導権。オケとの協奏の妙からソロ、カデンツァ、アドリブ、50分の長きになったのは山下ピアノが大きくそこに場を求めたものだからだろう。
流れるピアノ、呼吸は一定ではなく、ディテールやフラングメントパッセージの肥大化、ジャズ風な大波小波を大いに感じさせてくれる。山下アートを満喫。
ファレッタさんは入念な指揮、スケールの大きなサウンド、ナチュラルなドライヴィング、ジワジワと広がりを魅せていく。本当に素晴らしい演奏。ピアノの入りのところではほぼ必ずコンタクトを取って合わせる、ピアニストのピアノに敬意をはらっている様子がよくわかる。ピアノがこれほど動いても自然な流れに持っていくファレッタさん、あっぱれ。

一本ずつのインストゥルメント技に耳を奪われながらも、いつのまにかオーケストラという集団としてのサウンドに強く引き込まれた。シンフォニック、スモーキー、ムーディー、メランコリック、いろんな言葉が浮かんでくる。濃密な演奏。
第2楽章のトランペットソロは出だし、なにやらストールのようなものをラッパに巻きつけ角を消した独特の響き。それから、ストールを取り、譜面台に赤いハットを掛けていてそれにラッパを向けて吹く、これは裸音とストール音の間ぐらいの音、それと通常のミュート、また、ミュートをはずした通常音。結局4種類の音色で吹いたと推測。濃いソロ。
山下さんのアドリブが長くて、50分という破天荒の長い演奏となりましたけれども、ピアノ、指揮、オーケストラ、全て満喫。ガーシュウィンを堪能しました。圧巻の演奏でしたね。


後半の一曲目は、カーニスのムジカ・セレスティス。これは初めて聴く。
天上の音楽、弦楽合奏による美しい作品。漂いのような音がリズミカルなものに変化し、漂いにもどっていく。1960年生まれのカーニス、時代の作品といえよう。
ステージを通常のオーケストラ編成にセッティングしなおし最後のコープランドへ。それが何故か、カーニスの最後の漂いがそのままアパラチアに引き継がれているような雰囲気となる。この絶妙なプログラム・ビルディング。
アパラチアの春、今日の演奏はオーケストラ版の組曲なれどアメリカの心象風景のような冒頭のおだやかな音楽にはカーニスの佇まいが引き継がれているように感じる。彼らの時代は順序から言って逆なのだろうが、ネオ・ロマンティシズムのコープランド先取り感。
情景が目に浮かんでくるような鮮やかな演奏、ファレッタさんのアメリカ音楽4連発は全てが真骨頂、このコープランドのややドライにしてジワッとくる情感、美しい音楽にうたれました。

長い演奏会、それでもやる、アンコール。
エリントンの作品。トロンボーンのなだらかな流れ。やっぱり、こういった曲は人工美の極致のように聴こえる。何かを斜めに見ているように思えたりする。たくさん楽しみました。今日の企画、大満足、ありがとう、新日さん。
おわり




2556- ベートーヴェンVC、テツラフ、シベリウス、4つの伝説、ヤルヴィP、N響、2018.5.13

2018-05-13 18:58:38 | コンサート

2018年5月13日(日) 3:00pm NHKホール

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61  22-8+9
 ヴァイオリン、クリスティアン・テツラフ

(encore)
JS.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調BWV1003から アンダンテ  5

Int

シベリウス 4つの伝説  20-9+8+12

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団

ブラスが細かい動きを作ることなく鋭いアタックと引き延ばしを繰り返すシベリウス独特の響き。やや硬めで明るく引き締まったスキニーサウンドに変化したN響のシベリウス。筋肉質で精度の高い演奏はインターナショナルなシベリウスで、ヤルヴィがしたかったことはこのオケで実現している。ベースにもっと力強さが欲しいと思うが、彼のサウンドバランスはというのは上から下までおしなべて同じような圧力進行が理想なのだろう。
規模の大きな4つの伝説があっという間に終わったような錯覚。研ぎ澄まされた演奏にナイフにでも触れる思い。

前半のテツラフのベトコンは、睡眠不足でこちらのエンジンがかからずで、申し訳ない。
おわり










2555- トリスタン、シューマンPC、阪田知樹、チャイコフスキー4番、ラザレフ、日フィル、2018.5.12

2018-05-12 23:24:25 | コンサート

2018年5月12日(土) 6:00pm みなとみらい

ワーグナー トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死  11+7

シューマン ピアノ協奏曲イ短調Op.54  15-5+12
 ピアノ、阪田知樹

(encore)
シューマン(リスト編曲) 献呈  4

Int

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調Op.36  18-8-6-7

(encore)
チャイコフスキー ナッツクラカーより トレパック  1

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


昨年2017年の10月来のラザレフ、日フィルのコンビ。
つい1週間前までインキネンのタクトで落ち着いた演奏を繰り広げていた。ラザレフさんが猛烈に振り回す。メインのチャイ4は嵐で、第1楽章のコーダ崩壊、終楽章のコーダでは例によって指揮台を降りてきて弦に突進指揮。爆発炎上演奏。あらんかぎりのドライヴ、やり尽くした感。リハの数がもっと多ければとは思うものの、いやいや、ノリノリの演奏、オーケストラの醍醐味とはこうゆうもんよ。とも言っているようだ。
終楽章のホルンによるコーダから最後の伸ばしまでの流れは一気通貫の猛爆演奏なんだが、巧妙に音色バランスを変えて独特な響きを醸し出しているところも見受けられた。昔聴いたスヴェトラーノフ&N響のマーラー6番を思い出した。同国人だからどうか知らないがどうも共通したセンスを感じるところがある。
それにしても、終楽章の頭、あんな音符の嵐、チャイコフスキーだけだろうね書けるの。

前半最初の曲は、トリスタン。慎重に始まった演奏、強奏でのブラスのアタックには異種なたたずまいを感じる。握りずしのシャリに空洞が無く、びっしりとお米が埋まっている。そんな感じの圧力で、アタックの頭のフォルテが減衰しても厚さはそのままといった感じのサウンド。インキネンのワーグナーではこうゆう音にはならないので、明らかな作り込みと思う。ロシア風味ということか。
最後はフラブラ、フラ拍をさせない、音が終わっても振り続けている。ショスタコーヴィッチで数々の名演を聴かせてくれた時のスタイルでフィニッシュ。説得力の大きいトリスタンでした。

2曲目のシューマンが聴きもので、今日は最初からこれがお目当て。2016年フランツ・リスト・ピアノコンクールチャンピオンの弾くシューマン。
冒頭オケ強打のあといきなり、
オーケストラがやむとき、テンポをグッと落として、重力に任せたような弾き。あまりのテンポ変化に戸惑うその間もなく、渇きのようなピアノ、ドライな感情表現とでも言おうか、一種独特の響きを醸し出す。非常にゆっくりしたテンポで肩の力の抜けた演奏は水際立っている。また、強いタッチはみられない。メゾフォルテ以下といったところ。
リサイタルのほうが自己主張をもっと濃く自在な弾きに出来るのだろうなと思うところはあったけれども、それはそれ。ひとつずつ慎重に弾かれていく音の積み重ねは少しずつつながりを感じさせるようになり、最後は大きくまとまったシューマン作品となる。手応えありました。
演奏が進むうち、指揮者とオーケストラがだんだんと阪田ペースになる。強引ではなくて独特のアトモスフィアを作る演奏でした。全体的な物腰はどことなく近藤さんに似ていますね。
おわり







2554- ドビュッシー、夜想曲2曲、セバスティアン、フランク、シンフォニー、ミシェル・プラッソン、新日フィル、2018.5.12

2018-05-12 23:01:06 | コンサート

2018年5月12日(土) 2:00pm サントリー

ドビュッシー 夜想曲より 雲、祭り  5-7

ドビュッシー 聖セバスティアンの殉教 交響的断章  4-7-6-6

Int

フランク 交響曲ニ短調M.48  18-10-11

ミシェル・プラッソン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


当初予定されていたラドミル・エリシュカが活動を停止したためプラッソンが代振り。ずいぶん前に決まっていたとはいえ、思わぬところで思わぬ指揮者。プラッソンと言えばトゥールーズというのがその昔は定番で、あとは出ている音源を聴くかどうか。そんな感じだった。
だいぶ足にきている感じはあるが、指揮ぶりはかくしゃくとしている。そんなことより、この一発公演、プラッソンの思うところに自在に音色を変えている気配が濃厚。そもそもオーケストラの下地となる音色は同方向と思われ、シナジー効果で大きな美演を展開させてくれました。

ドビュッシー2曲はプログラム冊子にある青澤さんの解説を読んで聴くとまた格別な味わいがある。
ノクターンからの2曲、雲のダークグレイな響き、祭りは騒がしさというよりシックなものを感じさせてくれる。両ピースの多様な色彩。そして柔らかい音色の息づかい。本当にシナジー効果、良い面が出ている。
滑らかハーモニー、曇りガラスハーモニー、伸ばし切るパッセージが粘着質とならずどの切り口でも均質なバランスでスーッと入ってくる。響き自体の特性をよく感じとれるもの。
セバスティアン・フラグメントともどもディープな味わいで鮮やかなドビュッシーに舌鼓。2曲ともに絶品でした。

後半のフランクも同じスタイル。この作品は強固なシンフォニックな側面が強調されがちなんだが、今日の演奏は別物。ドビュッシーの続きのように聴こえてくる不思議。
弦パート主体のパッセージ、ウィンド主体のパッセージ、ブラス主体のパッセージが、それぞれ別々の活躍の場があるのがはっきりと明瞭にわかる。ブレンド物とは全く異なるセパレートした響き。このクリア感。それに併せ、ステージ上での弦、ウィンド、ブラスの立体的な配置まで、ものの見事なパースペクティヴ感。凄いもんです。一体どんなマジックなのだろうか。びっくりですゎ。
セパレートしたインストゥルメント群が合奏でまじりあう時のコクのあるブレンド風味は第4の響きといった感じで別の味わい。フランクにしてこの色彩感、素晴らしい。内面から外面からよく照らし出された音色進行、聴きごたえあり。フランクのシンフォニー、もう一つの姿を新発見。いい演奏でしたね。それに、
最後の音をグイッと力を込めて終え、拍手までの滞空時間の長いこと。久しぶりの充実空白、これも良かった。こうゆう空白があると本当にいい作品と演奏だったと実感できますね。
プラッソン、巨匠の棒、堪能しました。ありがとうございました。
おわり

 


2553- フィデリオ、ウール、ザイフェルト、チョン・ミョンフン、東フィル、東京オペラシンガーズ 2018.5.10

2018-05-10 23:38:02 | オペラ

2018年5月10日(木) 7:00-9:45pm コンサートホール、オペラシティ

お話し(フィデリオ粗筋含め)、篠井英介   5

ベートーヴェン フィデリオ (演奏会形式)  15-57-44

Characters in order of vocal appearance
1.ヤキーノ、大槻孝志(T)
2.マルツェリーナ、シルヴィア・シュヴァルツ(S)
3.ロッコ、フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(Bs)
4.レオノーレ、マヌエラ・ウール(S)
5.ドン・ピツァロ、ルカ・ピサローニ(Bs)
6.囚人1、馬場崇(T)
7.囚人2、高田智士(Bs)

8.フロレスタン、ペーター・ザイフェルト(T)
9.ドン・フェルナンド、小森輝彦(Br)

合唱、東京オペラシンガーズ
チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


Duration
お話し 5
レオノーレ序曲第3番 15
第1幕 57
Int
第2幕 44

すごいフィデリオだった。ウールさんと3回、目があった。
二日前にサントリーで聴いて、千秋楽の今日はオペラシティのコンサートホールでの定期。東フィルの定期は、オーチャードを除いて全部持っているので、これはこれでいいもの。今日は2階のレフトのかぶりつき席。ピアノの鍵盤側お目当てということで取っている席なのだが、歌い手が今回のようにしもてサイドで歌ってくれると、もっけのさいわい席ですな。

5月8日公演はこちら。
2551- フィデリオ、ウール、ザイフェルト、チョン・ミョンフン、東フィル、東京オペラシンガーズ 2018.5.8 



ドラマチック・ソプラノの本領発揮、ウールさんの強靭で自在な歌に悶絶。演奏会形式とはいえ表情が豊かでオペラの舞台を感じさせてくれて、彼女の周りにシーンがちりばめられる。出色のパフォーマンス。聴きホレ観ホレ。
ザイフェルトを引っ張っていくような勢いはまさにこのオペラにふさわしいソプラノで圧倒されました。いやいや、なにもかも素敵で。

演奏会形式とはいえ、7+2人のキャラクターがよくきまっていた公演。二人の女声はともにソプラノ、ベートーヴェンのタッチは見事に切り分けられていて、ウール、シュヴァルツのキャラの決まり具合もいい。
7人衆は舞台と袖、歌のたびに出入りするものでわかりやすい。重唱での字幕はもうひと工夫ほしいところもありましたけれども、どの重唱もバランスが良くて本当に満喫できました。

このホールは1600人キャパで巨大編成だとステージも手狭。特に右端・左端・正面奥は傘になっていてパーカスやベースが傘の下になる。今日はコーラスが一部、傘をさした状態になっていたようだ。そういったコンディションのホールなんだがその割に音は悪くなくてどこに座ってもよく飛んでくる。(1階の奥席が一番よくないかな)
全体印象は一昨日と概ね同じ。コーラスのパワーが凄味を増していて、オーケストラの咆哮といい勝負。女声を中心にやや明るめで厚みがあり第九的な祝祭的色彩を堪能しました。

チョンの指揮はさえまくり、ソリストに寄りそう絶妙な歌いくち。それから抜群のオーケストラコントロールがまるで歌のようだ。
むき出しとなるホルン群は困難なパッセージが続きますけれども、大胆で正確。総じてブラスセクションはデカサウンドの合奏吹奏でも圧倒的な歌いくちで、こういったところは本当にオペラを感じさせてくれる。このオケの面目躍如たるところであった。強靭な歌でベートーヴェンの凄味がビンビンと迫ってくる。

一昨日のサントリーからさらに一段、パワーアップしたパフォーマンス。チョンの自在なオペラ神髄棒。この日も満喫しました。ありがとうございました。
おわり














2552- はげ山の一夜、素朴な交響曲、ラフマニノフPC3、清水、高関、シティフィル、2018.5.9

2018-05-09 23:22:13 | コンサート

2018年5月9日(木) 7:00pm コンサートホール、オペラシティ

ムソルグスキー はげ山の一夜(原典版)  16

ニールセン 交響曲第6番 素朴な交響曲  14-5-6-11

Int

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調Op.30  18-11+14
 ピアノ、清水和音

(encore)
ショパン ノクターン第10番変イ長調Op.32-2  5

高関健 指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


ラフマニノフの3番コンチェルトお目当てで聴きに来ました。演奏会のプログラムは3曲でどれも興味深いものでした。

清水さんのベトソナなどは割とさっぱりとしていてその印象のままラフマニノフを聴いたのですけれども引き締まった内容で新たなテイスト発見というところです。ラフマニノフの全曲の一気演奏会も以前あったことですし、そちら方面でのオーソリティでもあるわけですね。
引き締まったラフマニノフは細さや繊細さ、それに均質でブレないパッションなど、色々とブレンドされている。オケ伴があるところでも独奏が自然に際立っている響き。多面的な聴く楽しみ。ラフマニノフ満喫。
トランペット一本のみの吹奏で後はおとなしくしていたブラスセクションは終楽章でアタッカ爆発を皮切りに活躍。最後、伴奏がやや縦に食い込む様相をみせながらも滑るような弦のユニゾンでなだれ込み、シンコペーションで角度をつけ、ピアノが3連符の急降下、フルオケでアクセントを入れ後打ちキックを一本、シンコペを繰り返しながらラフマニノフ終止。ピアノの椅子は飛ばなかったが、気持ち、蹴りを入れて、圧巻の清水ラフマニノフ。いやー、エキサイティングでした。


プログラム前半1曲目は、はげ山の原典版演奏。トランペット2、コルネット2、等、多彩な響きを楽しめた。編曲物とはまるで違う物件だけれどもだからといって粗野な感じは無い。ボリスやホバンシチーナのような原始的でワイルドなあぶなさは無い。ドラマの起伏ではなくて最後まで高テンションで通したユニークな作品。指揮者の几帳面な振りっぷりで粗野感が抑制されたのかもしれない。一つの作品に潜む色々なヴァリエーションを開陳して魅せてくれる。そこらあたりは彼の真骨頂のひとつなのかもしれませんね。

2曲目のニールセンの6番。
めったに聴くことが出来ない作品。概ね2管のコンパクトな編成。そうとうひねりの効いた作品で面白い響きが随所に出てくる。終楽章はなにやらエスニックな料理が次々と9皿でてくる。不思議なメインディッシュ変奏。
高関の棒のもときっちりと整理された佳作の美演。見通しの良い演奏。オーケストラの透明でシルキーなサウンドが魅力的で大いに楽しめた。


このホールは1600人キャパ、それにしてももう少し入りが良くてもいいんじゃないのかなと思いました。選曲、ソリスト、揃っていて、聴く前から良さそうだというのはわかるし、聴後感は指揮&オケ含め期待通りのもので、良かった得したという思い。
自分の持っている定期チケット以外では、曲お目当てで出かけることが多くて、やはり足繁く通わないといけないなと再認識。
素晴らしい演奏会、ありがとうございました。
おわり



2551- フィデリオ、ウール、ザイフェルト、チョン・ミョンフン、東フィル、東京オペラシンガーズ 2018.5.8

2018-05-08 23:41:48 | オペラ

2018年5月8日(火) 7:00-9:45pm サントリーホール

お話し(フィデリオ粗筋含め)、篠井英介   5

ベートーヴェン フィデリオ (演奏会形式)  15-57-44

Characters in order of vocal appearance
1.ヤキーノ、大槻孝志(T)
2.マルツェリーナ、シルヴィア・シュヴァルツ(S)
3.ロッコ、フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(Bs)
4.レオノーレ、マヌエラ・ウール(S)
5.ドン・ピツァロ、ルカ・ピサローニ(Bs)
6.囚人1、馬場崇(T)
7.囚人2、高田智士(Bs)

8.フロレスタン、ペーター・ザイフェルト(T)
9.ドン・フェルナンド、小森輝彦(Br)

合唱、東京オペラシンガーズ
チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


Duration
お話し 5
レオノーレ序曲第3番 15
第1幕 57
Int
第2幕 44

オペラ劇というよりもベートーヴェンの熱い信念がストレートに伝わってくる作品、それをものの見事に正面突破したチョン・ミョンフンの力感あふれる圧倒的ベートーヴェン圧力、作曲家の意思が乗り移った様な強烈なヒート演奏でした。

冒頭、通常のフィデリオ序曲の代わりにレオノーレ3番序曲を置き重苦しく押しつぶされるようなモードから開始し、最後の解放、歓喜、序曲が全てを言うベートーヴェン。オリジナルな形での演奏となり、フィデリオ序曲は消えたけれども、劇性は増しよりドラマチックな結びつきは、序曲での緊迫感が第2幕1場のザイフェルトによる地の底から光が放射するがのごとく細く鮮明なフロレスタンの嘆きにつながり、それらは続く2場で一気に解き放たれてぶ厚いヘヴィー級サウンドが爆発したところで終わりとなる。圧倒的なベートーヴェンの力でした。全開総合力、出し切ったチョンの棒さばき、お見事。
彼のスタイルだと第2幕1場済んだところでのレオノーレ3番は考えられないのだろうね。インタールードのような曲でもないしね。今日のパフォームは自ら課した重しを自ら取り払ったようなゴク重の本格的なもので成功配置。始まる前に篠井さんによるストーリー展開含めたトークが5分ほど。さすがにツボどころをおさえた話節。話し終えたところから、あらためてコーラス、オーケストラが入場、この一服感はチョン・ベートーヴェンへの切り替えとしては結果的ではあるがよかったと思える。
このトーク中に、最前列席左から数席目の男客が、あろうことか、プログラムでステージを叩きながら、早く始めろ、と、無知蒙昧な無知の徒による妨害怒号。エンタメ極意を知り尽くしている百戦錬磨の篠井氏がうまく切り返し、ショー・マスト・ゴー・オンは事なきをえた。件の無知男は某大学教授で音楽評論を側面で生業としている人間で、彼にしてみればフィデリオ事件の完成なのかもしれない。ベートーヴェンは棺桶の中で間違いなくロールオウヴァーしながら入場禁止を呟いたことだろう。
これまでもたびたびトラブルメーカーになっている人間で、エンタメにおけるマリグナント・チューマーの存在は絶えることがない。
始まる前から水を差された格好になったが最終的にはベートーヴェンの圧力がまさった。
オペラが始まる前だったので強制退場はルールを作れば可能ですね。


当公演は東フィル定期5/6,5/8,5/10の3公演のうちの中日。豪華キャストによる演奏会形式のフィデリオ。
歌い手のポジションは指揮台からしもてまでの最前方、かみては最前方から弦で埋め尽くされている。しもて歌手ポジションの一つ奥から弦、トロンボーン、ホルンがさらに奥にセッティング。トランペットとベースはかみて。ほかは概ね通常位置。女声合唱とフロレスタン、ドン・フェルナンドは2幕のみの出番。コーラスは、1幕は男声合唱のみなんだが、もう、すでにこの辺からかなりな圧力で、2幕で女声コーラスが加わったところでオーケストラを凌ぐ様な力感を魅せた出色のパワーコーラス。力任せに歌わなくても精度が高ければストレートに音は伝わる。合唱指揮の田中裕子さんと総合指揮のチョンの周到なオペレーションの成果だ。
セリフはほとんど省いていて緊張感を持続。シンフォニックなたたずまいのなか、独唱、二重唱、三重唱、四重唱、五重唱、とりわけ四重唱は弦四の緊密で濃厚なテイスト、もはや、全て、満喫。言うことなし。


序曲の後の出始めは、やや重のオラトリオ風味、快適さという言葉は浮かばない、シリアスな進行。マルツェリーナの下ラインを歌うレオノーレの抑えたソプラノが、容姿に加えてほれぼれするウール。素敵ですな。正体明かした後の全開もいいです、が、ここもいいものですな。
1幕は色々と状況を出してくるところで、メインテーマとは直接関係しないところでも、チョンの棒で比較的重く、しっとりとしている。相反するものではなくて重心の低いウエットな展開は、明るいはずの舞台が、なにやらダークブルーにしずんだような色あいとなる。音の色彩感が素晴らしく印象的。チョンが示すベートーヴェンの心象風景なのかもしれない。ひとつずつの音に味わいがあり、殊の外静かなストリングの息づかいは、何一つ聴きのがせないもので、後戻りのできない音とシーンを感じさせてくれる。よく噛み味わい尽くす。

2幕はザイフェルトの一点光源型テノールからの開始。パヴァロッティと得意分野は異なれど、その細さ、ホール全体への突き刺すような浸透感、似たものがある。ザイフェルトの行書体に自在に伴奏をつけるチョンの棒はマジカル。譜面不要の神髄棒、オペラの極意棒にあらためて驚嘆。彼らの絡み合いは絶妙で何も言わずともオペラを知り尽くしている大人の音楽表現だった。
レオノーレ3番序曲の重みが、ここのザイフェルトの一声でさらなる厚みとなり一気の盛り上がり、マグマ噴出、圧倒的なパワーが全員に感染。ウールのドラマチックな歌にもますます磨きがかかり、ガチンコパワーの大迫力。
ウールには一昨年2016年初台ローエングリンのエルザで出会い。今日も美しかった。ザイフェルトは30年前1988年に色々と観た。ほかにも観ている年がるかもしれないが今は不明。このお二方によるソロ、重唱、この年月の間隔は一体どこに飛んで行ってしまったのか(笑)。

2場は、勝利が見えてからが割と長い。ワーグナーを思い出してしまう部分もあるが、順序が逆。ワーグナーが下敷きにしたようなところも垣間見える思いを感じながら、ハイテンションで最後まで貫き通すベートーヴェンの意思の音楽が、やっぱり、凄い。
レオノーレ3番序曲を冒頭に据え、終始、厚いサウンドで進めてきたチョンの解釈がここの2場でパーフェクトに完成結実。なるほどなるほどとうなるばかりなり。破天荒な勢いでクライマックスとなった。
おわり


2550- ショパンPC1、ゲニューシャス、コル・ニドライ、鳥の歌、横坂源、クォクマン、シンフォニア・ヴァルソヴィア、2018.5.5

2018-05-05 23:55:32 | コンサート

2018年5月5日(土) 7:45-8:55pm 東京芸術劇場

ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11  20-10+9
 ピアノ、ルーカス・ゲニューシャス

ブルッフ コル・ニドライ  13
 チェロ、横坂源

カザルス 鳥の歌  4
 チェロ、横坂源

リオ・クォクマン 指揮 シンフォニア・ヴァルソヴィア


フォークトに続き二つ目のショパコン1。
この風体から、というのは失礼な話かもしれないけれども、フォルテシモなんて一滴も無かった。暴れることなどない。ピアニシモの世界に耳をそばだてなければならない。水際立った演奏でした。
初めて弾く様な香りの節回しや強弱伸縮、まるで自家薬籠中の如く一発で決め、パーフェクトに弾いている。そうゆうふうに思わせるに十分なインプロヴィゼーションなタッチ。みずからを何かから開放してその時の思いを指に託す。そして、それの連続技。ショパンの詩的な香りが湯気のようにたってくる。理性を横に置いた感性なのだろうか。そう思うとさっき聴いたフォークトのオープン理性のプレイとの違いが際立つ。双方お見事なものですなあ。

伴奏の指揮とオケ、秀逸な演奏、ようやく聴けた本格サウンド。これも満喫。
おわり

LFJ2018-M315