2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
2012-2013シーズン
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2013年1月31日(木)7:00pm
サントリーホール
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シューマン ゲノヴェーヴァ、序曲
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プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番
ヴァイオリン、庄司紗矢香
(アンコール)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番から、アダージョ
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ブラームス 交響曲第4番
(アンコール)
ブラームス セレナード第1番から、スケルツォ
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庄司さんちょっと元気無いような気がしたがきのせいかな。
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お初にお目にかかる指揮者です。NYTの記事を2回ほど拙訳したのでそれなりに馴染みはあります。NYTの拙訳リンクは一番下に書いてあります。
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まず素晴らしかったのはゲノヴェーヴァとブラ4。何が素晴らしかったかというと、音楽の造形が崩れない、奇を衒うことがない、構造をデフォルメしない。真っ向勝負で勝ちにいける。まずこれがしっかりしてれば作曲者当地の人たちも納得する。という話はどこかで聞いたことがある。ともすると、奇を衒い、構造を変形させる、といったことを、本質の核心からそらすために行なう指揮者がいる。全て理解したあとの表現であるならばわからなくもないが、表面(おもてづら)の理解が済み、「それだけだと何か足りないから」といった理由でいびつな変形解釈が今、割とまかり通っている。例えば、インバルなんかは、この真逆である。彼の時代とともにあった音楽を今でも熱く、そしていつまでもストレートに表現している。彼の時代共有音楽は今も生き生きしている。音楽の本質をとらえる作業を若い時からしてきたのだろう。一方、誰とは言わないが変形して力なく構造物が自然崩壊してしまうような演奏も多々ある。こちらは、時代を通して聴き手も含め、振り過ぎ、聴き過ぎ、その経験だけは過多、いろんな演奏パターンを演奏者と聴衆ともに共有化されてきており、それを前提にした変形解釈がみられるということ。別にこれだけなら悪くもないが、ダメなのは本質の理解と表現が全く足りないということです。
その意味でこの日の指揮者はドイツの構造音楽に真正面から取り組んでいるいまどきあまりいない若い指揮者であると思います。表現はオーソドックスだと思います。
ここではっと気がつかなければいけないのは、日本国内で聴いて消費している音楽やその解釈はもしかして井戸の中で聴いているのかもしれない。ブラームスの形式音楽をこのように正しく解釈し、聴衆が称賛する、聴く耳をもって。アメリカ、ヨーロッパで受けているのは、このような本質の共有がレベル高くあるからではないか。と思ってしまうぐらい、セガンのオーソドックス・スタイルでの説得力はたいしたもんでした。
それからもうひとつ、フレーズ出だしの角を滑らかにするのが彼流の音楽ストリームの作り方だと思う。角を滑らかにしたからといって音楽が流麗に流れるかどうかは別の話しであって、まぁ、セガンの今を聴きましょう。角は滑らかだが、音楽は流れるというよりどちらかというと垂直的だ。線が細くなることが無く太めで大きくなる。コントラバスを底辺にした正三角形の響きを志向しているように聴こえる。ウィンドが若干弱い(音量ではなく)、うまかったり濁ったり。セガンも現代の指揮者らしくオーケストラの機嫌をとりつつ自分の表現も行ないたい。相手がフィラデルフィアなら、このようなあたりは全く杞憂で頭をかすめもしないだろう。
セガンの指示は明確であるのだが、あるべきものがあるべきところで鳴る場合、あたりまえすぎて見向きもしないし指示もしない。やっぱり一歩先をいっているような気がする。
たまにオペラ振りになったりするが、音楽の縁取りを明確にするうえでは非常に有効な棒でありとらえどころがよくわかる。またブラームス的経過句については響きを重視、へんに道草ズブズブしないのが好感を持てる。
師と仰ぐカルロ・マリア・ジュリーニの、枯れて隙間から構造が見えてくるようなブラ4に到達するには長い年月を要すると思うが、真っ向勝負のブラ4、いい演奏でした。この曲最後の音、伸ばすか伸ばさないか。意識された短さは第4楽章の理解をより深く彫ることが出来ました。厚い響きが熱く鳴りました。
前半一曲目のゲノヴェーヴァ、これがブラ4に負けず劣らずよかった、順序が逆なので変な表現ですが、ゲノヴェーヴァの本格的な鳴りを聴いていたら、ブラームスもつい期待してしまう。早く聴きたい。そんな感じになりましたね。
セガンの棒で聴きたくなるのは、ベートーヴェンならエロイカ、エグモント、ブルックナーなら6番、ミサ曲、あたり聴きたいですね。マーラーは今いりません。
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プロコフィエフの2番は有名な曲でしょうが、ホント、やにっこいですね。作為的過ぎる、当たり前に作っていたらこんな曲出来るわけないだろうな、とついつい思ってしまう。庄司さんの音から始まります。ちょっとボーイングが弱いような気もしますが、均質な響きがずっと継続するので、音楽に集中できる。個人的には、演奏がどうだったというより、この曲がどういう曲だった。その理解を深めるのが先。何度聴いても今のところ深まりません。
庄司さんはアンコールも含めあんまり元気が無いような気がしました。前回の時の印象と随分と異なる。
曲の解釈の方針としては、指揮者も含めもっとドライな演奏が好みです。
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ロッテルダム・フィルは、アメリカ式の入場ですね。始まる20分ぐらい前から奏者がばらばらに入ってきて、いつの間にかまとまってチューニング開始。アメリカ方式はどこでもこうなんですが、最近はヨーロッパでもこの日のようなスタイルが流行ってきてるのかしら。
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記事リンク
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1448- Maestro With the Turtle Tattoo!! もうすぐ来日、絶好調男、ヤニック・ネゼ・セガン
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1449- A Foot-Stomping Night at Carnegie Hall ヤニック・ネゼ・セガン、フィラデルフィア管、カーネギー・ホール公演2013.1.17
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