河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

601- レニングラード国立歌劇場の初来日1 1991-28

2008-04-30 00:43:19 | 音楽

1

しばらくの間、今シーズンのコンサートやオペラ、それにその他いろいろなことを書いていたため昔話が途切れてしまいました。

前回の

440- ジョルダン スイス・ロマンド 1991-27

の続きというか、スイス・ロマンド管弦楽団の後続の公演です。

この年199111月にレニングラード国立歌劇場が初来日しました。

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199111

13()ボリス・ゴドゥノフ 上野

14()ボリス・ゴドゥノフ 上野 ●

17()エフゲニー・オネーギン 上野 ●

18()エフゲニー・オネーギン 上野

21()エフゲニー・オネーギン 上野

23()ボリス・ゴドゥノフ 大阪

24()エフゲニー・オネーギン 大阪

26()エフゲニー・オネーギン 広島

27()ボリス・ゴドゥノフ 名古屋

28()エフゲニー・オネーギン 名古屋

30()エフゲニー・オネーギン 神奈川

199112

2()ガラ・コンサート オーチャードホール

4()ホヴァンシチーナ 上野 ●

5()ホヴァンシチーナ 上野

6() ボリス・ゴドゥノフ 上野

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(●は河童潜入)

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14回公演とガラコンサートが1回。

ボリス5

オネーギン7

ホヴァンシチーナ2

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初来日、長丁場の公演です。

当時のプログラムをみると、1991101日にレニングラードはサンクトペテルブルクに変更になっています。ですが、日もなかったせいかこのままレニングラードで押し通すということでプログラムもそのまま。

レニングラードというと、響きそのものがなんとなく格調高い音楽文化を感じさせたりするのは、ムラヴィンスキーのレニングラード・フィルの印象が強いせいかもしれない。しかし時代は変わる。レニングラードがサンクトペテルブルクに変わることにより、既に亡くなっていたムラヴィンスキーではあったがこれで本当に過去、歴史上の人になってしまった。ムラヴィンスキーのレニングラード・フィルによるベートーヴェンの田園など強烈な印象は忘れられるものではないのだが。。

ということで横道にそれました。

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国立歌劇場の当時の芸術監督ガウダシンスキーによると、この歌劇場は実験的な方向性をもっており、ドラマ性に特徴のあるオペラハウスであると紹介している。まさか、ベルリン・コミーシェオーパのようなドラマチックな歌劇場ではないとは思うのだが。。

初来日、限りなくオーソドックスな演目をもってきたが、全て手ごたえ十分なものであり楽しみだ。

続く。

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600‐ゴールデン WEAK! 5月の演奏会

2008-04-28 01:13:39 | 音楽

今年のゴールデンウィークは56()が休日になるなど、休まない日本人向けの強制連休方式になったが、いくら祭日が多くなっても普段の有給休暇を消化しないでジャブジャブの状態にしているわけで、いつまでたってもよく働く民族だ。

今年のゴールデンウィークは、仕事が忙しくて全然休めそうもないが、夜ぐらいコンサートでもいきたいなぁなどと思っても、サントリーホールなどこの時期既に5月涸れ状態だ。

サントリーホール5月

一見すると定常的な公演が多くて連休を除けばそれなりに盛況に見えるが、猫の目のように変わる指揮者たち、プログラムもあわせ、なんだか指揮者の本番練習を聴きに行くようなつまらなさだ。

ひとつのオーケストラだけとればそれなりのシステムを作りそれに沿った形で進めており、行き当たりばったりのプログラムではないのだが、サントリーホールでもどこでも、全体を俯瞰すると、ただ単に多くの在京オーケストラが統一感のないプログラムで流しているなぁ、という感じ。フランチャイズでもなんでもないのでこうなっちゃう。

新日本フィルはトリフォニーで落ち着いて仕事をできるので幸せだと思うのだが、たまにサントリーホールにのりこんだりする。5月だと小沢征爾の棒の日があり、値段もかなりベラボーになる。

いつもどおりにしてほしいよね。特別演奏会」ということらしいので値段が特別なんだろう。

後半にフィラデルフィア管弦楽団が3回ほど公演を行うが、このオーケストラは好きだが今回は二つの理由でたぶん行かない。

一つめはまず、その法外なチケット価格。

ろくでもないプログラムとは決して言うまいが、なんで最高席が35千円もするんだ。

これだと、新国立劇場のかなりいい席でオペラを2回観れる。

サントリーホールの傲慢な値付け。ここのホールの値段をわけもなく、正しいわけもなく、吊り上げる連中がいるからほかのホールもつられてあがってしまう。本当にいい迷惑だ。

サントリーホールは文化に寄与するという姿勢を目に見える形で見せてほしいものだ。カラヤン広場なんていう気恥しいものがあっちゃたりするから、ネームバリューで値段をどんどん上げていく方針は不変なんだろうね。

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二つめの理由は、言わずもがな。棒振りのもとふさふさのピアニスト。なんでこんな棒に35千円も払わなきゃならんのか。ひでぇ棒だ。

それにもう次の指揮者が決まってる。というか今年秋20082009年からデュトワが振るんですよね。フィラデルフィアには彼の名前を聞いただけでなんとなくストンと納得できる。

でるのは愚痴ばかり。。

欧米では5月は長いシーズンの終盤であるから地元でラストスパート。今の時期、フィラデルフィア管弦楽団が来日するなんてあんまり自然ではないなぁ。

日本のーけストラは春の終わりから夏そして初秋までみさかいなく演奏会があり、芸術の秋にシーズンのオープニングがあるわけでもなく、したがってセレモニーもない。

やっぱり元日にはじまり大晦日に終わるのが日本かなぁ。そう言えばNHK交響楽団の、今年よかった演奏会、のアンケートも年始から年末になっているしなぁ。

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各オーケストラに夏祭りというか、どこか避暑地での定例コンサート、みたいなものもないし四季を通じて同じことを同じ場所で繰り返していて変化がない。聴くほうも変化がないとたまにはそれが欲しくなる。

5月は演奏会はいけそうもないが、ひとつぐらいはなんとかいってみよう。

おわり

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599- ブルックナー交響曲第9番 キャラガン版 世界初演-3- (改・再掲)

2008-04-25 00:15:00 | 音楽

3

599- ブルックナー交響曲第9番 キャラガン版 世界初演-3- (改・再掲)

ニューヨーク・タイムズはヘナハンではなく、EDWARD ROTHSTEINが評を書いている。

THE NEW YORK TIMES,

<date w:st="on" month="1" day="9" year="1984">

MONDAY, JANUARY 9,1984

</date>

By EDWARD ROTHSTEIN

ブルックナーの交響曲第9番のフィナーレを完成させることは、音楽学者によって不完全なスケッチに手を加えて完成させるよりも、もう少し根気のいることだ。

ブルックナーの9番は神話的な意味合いに覆われている作品である。既に出来上がっている最初の3楽章は、苦悩した作曲家の生涯の総決算、初期の自身の音楽の想起、間近な死への音楽的試みや宗教的な疑念、といったまさに精神的自叙伝に他ならないものとして聴かれる。

しかし、その作品の完全版の世界初演は昨日の午後、カーネギー・ホールでモーシェ・アッツモン指揮アメリカ交響楽団により行われた。(イダ・レヴィンのソロでモーツアルトのヴァイオリン協奏曲第5番の生ぬるい演奏が先立って行われた。)

ウィリアム・キャラガンが完成させたこの版は、実際ブルックナーの音楽スケッチによるという意味だけではなく、作品の精神的広がりまで内包している。ブルックナーは第3楽章を生への別れとよんだ。そのような別れにふさわしく続くことが出来る楽章はどのようなものか。ほぼ全部トラウマの音であり、苦難、超越、を想起させるような音楽を越えてどのようなものに奮い立つことが出来るのか。

作品が1903年に初めて演奏されて以来、そのような作業のことを推し量るのは困難であり、いろいろな他の試みは不十分であった。テ・デウムがこの別れへの精神的な解決策としてしばしば演奏されている。それゆえ、ベートーベンの第9との合唱の相似性を形作っている。最終楽章の提示部は1940年に完成していた。1970年代に完成した他の試みは演奏されないままだった。

ニューヨーク州トロイのハドソン・ヴァレー・コミュニティー大学の医業の教授であったキャラガンは1979年、そのスケッチに注目した。多方面にわたる音楽学の経験も持っていたキャラガンは、ブルックナーが残したスケッチは実際のところ明快であると主張した。5回もの改訂のパッセージとともに、前楽章や他作品からの主題の関係や引用を示している数百のページが残っていた。その楽章のほぼ70%が完成せずにあった。無い部分はスコアでは空白であり、まるでページが失われてしまっているようだと主張した。

キャラガンはこれらの空白はハーモニーとテーマの変化の分析を通して補填できると感じていた。しかし、その作品の精神的な広がりにも明らかに動かされていた。最後の方の小節は、ブルックナーのテ・デウム”We praise thee,O God.”からのメロディーの自由な引用である。

昨日スコアなしで聴いた結果は、第一に、やや方向感覚を失わせるようなものであった。アッツモンは精神的自叙伝的なこの作品を、制御された劇的な演奏でブルックナーの別れとした。忠実な試みの第1楽章。のどかで気晴らしの考え込む人間のふざけた様の第2楽章。積もり積もった後悔と記憶の第3楽章。これらは全て伝統的で、平静さをもって、まるで別れが平和を見つけたかのように結論づけられるようだ。

しかしながら、完成されたフィナーレは、まるで、かさぶたが熱にうかれて引っかかれたようで、問題・論点・版を再び論じているように思える。キャラガンの再構築においては、第一に、音楽的なサウンドが神経質である。ブルックナー魂(spirit)を失ってはいないが、彼の精神性(spirituality)を置き去りにしている。

付点の繰り返しは、金管の繰り返すコラールのテーマと混合する。解決策は差し迫ったものではない。しかしそうなったとき、解決策は明白でもあった。キャラガンにとって、死の床での信頼の許容ではなく、定められた勝利を勝ち取った運命の支配を、ブルックナーの生への別れにするという解決策。

音楽は、この精神的自叙伝の結果を変えるような力を伴い勝ち誇って終わる。ブルックナーの交響曲は大聖堂と比較され続けている。この新たな解決は私たちに、前近代的なものに確信を持って別れを告げる。

おしまい

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598- ブルックナー交響曲第9番 キャラガン版 世界初演-2- (改・再掲)

2008-04-24 00:10:00 | 音楽

1_2

598- ブルックナー交響曲第9 キャラガン版 世界初演-2- (改・再掲)

世界初演ではあったが、河童のレビューはいつになく、かなりきつめの評となっている。

さていよいよブルックナーの第9番であります。

当然、第1楽章から始まるわけですが、まあ、なんとオーケストラのよく見える席であり、素晴らしい眺めではあった。

ホルンが9(うちワグナーチューバ持ち替え4)。左から右へずうっとならび、その見た目の派手さ。因みにこのホルン9人というのは、コントラバスの人数と同じなのであります。

オーケストラはうまくなく、ニューヨーク・フィルなどと比べたら完璧におちる。

興ざめするほどではないのだが、たまに音楽が隙間だらけになり穴だらけになるときがある。

これは全く指揮者についても言えていて、彼はこの曲をこなしていない。

普通には振れるのだが、その筋の専門家のような安定感を得ることが出来ない。

ブルックナーなどの場合、オーケストラ自身を安心させるような包容力がなければならないのだが、彼は振るのが精一杯のように見受けられる。

逆に言うと今まで聴いたことのない第4楽章が一番安心して聴いていられた。

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あの寂しさが漂う第3楽章のあと、第4楽章が出てくるというのはなんとなく変な感じであるが、ブルックナー自身は基本的に第4楽章が完成して、ひとつのシンフォニーの世界と考えていたわけであるから、本当は第3楽章が終わって寂しげに拍手をしてはいけないのである。途中で終わってしまうこと自体が何か感傷的なものにつながっていたわけだ。そのような意味においては、この版を完成させたキャラガンという人はブルックナーの意志をついでくれたといえる。

.

さてその第4楽章なのであるが、まず、最初に感じたことは、メロディーが無さ過ぎるということです。

前の1~3楽章の豊かさに比べて、あまりにもメロディーが無さ過ぎる。

まるで伴奏部分を聴いているようだ。素材に発展性がなくあまり美しくない。

従って、自然に次に感じることは、3つの主題が全く明確性を欠き、構成がよくわからない。

どこから展開部になるのかわからず、また、どこにあったものがここに現れるのかよくわからないのです。

再現部はさすがに第1楽章の主題らしきものが現れたりして、なんとなくクライマックスをむかえているようだというのはわかるのだが、これではあまりにもありきたりのような気がする。

一度聴いただけではわからない面もたくさんあると思うが、この版は成功とは言えないと思う。

世界で初めて、ということに意義を見出すべきなのかもしれない。それにブルックナーの意志を継いだということは大切なことです。

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レヴィンの弾いたモーツアルトは代役のせいもあるかもしれないが、このごろの若い人には珍しく技術的にだめで、聴いていられなかった。

おしまい

かなりボロクソに書いてしまっているが、実際のところこうだったのだ。

指揮とオケの出来が悪く、曲も足を引っ張られたというところか。やはり、何事も最初が肝心で、白熱の演奏を繰り広げていれば、このあとの演奏史にも別の光があたっていたかもしれない。

それと、当時と違って今は、このような編曲版に対しても聴く方の間口が広がってきている。

宙に浮いたような独特の二短調が、最後に解決する音響を聴きたいものだ。

続く

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597- ブルックナー交響曲第9番 キャラガン版 世界初演-1- (改・再掲)

2008-04-23 00:30:53 | 音楽

1

597- ブルックナー交響曲第9 キャラガン版 世界初演-1- (改・再掲)

ブルックナーの交響曲第9番のキャラガン版第4楽章付全曲の世界初演は、198418日にカーネギーホールで行われました。

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<date w:st="on" year="1984" day="8" month="1">

Sun, Jan 8, 1984

</date> at <time w:st="on" minute="0" hour="15">

3:00p.m.

</time>

Carnegie Hall

Mozart Violin Concerto No.5

Bruckner Symphony No.9

(completed finale by William Carragan)

Violin,Ida Levin

Moshe Atzmon,conductor

American Symphony Orchestra

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198418()15

カーネギー・ホール

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モーツアルト/ヴァイオリン協奏曲第5

ブルックナー/交響曲第9

(ウィリアム・キャラガンによる第4楽章付全曲)

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ヴァイオリン、イダ・レヴィン

モーシェ・アッツモン指揮

アメリカ交響楽団

前半のモーツアルトは当初のヴァイオリン協奏曲第3番から変更になっている。

ソリストがCharles Tregerから変更になったためと思われる。

演奏の内容は別の日に書こうと思う。

この日の前後は、ザンデルリンクがニューヨーク・フィルとマーラーの交響曲第10番クック全曲版の6回公演の最中であった。

河童は15日にこの公演にもぐりこんで、未体験ゾーンのマーラーを楽しんでいた。

そして17日つまりブルックナーのキャラガン版の前の日も、このマーラーを再度楽しむためにゆっくりと席に座った。

のだが、

今日はどうも隣のおじさんがチラチラと右左をみて話し相手を物色している。

隣のおじさん

「エクスキューズ・ミー・サー。きょうのマーラーは10番の全曲版ということで興奮するね。」

.

河童

「ヤー。でも、僕はおとといの初日も聴いたので今日は2回目だけど。」

.

「オー・グレイト。君は新しいもの好きだね。」

.

河童

「ワゥゥ。別にそんなこと、あるかもしれない。」

.

「今日のマーラー10番もエキサイティングだが、ユノウ?実は明日ブルックナーの交響曲第9番のキャラガンが作った第4楽章付の全曲版の世界初演があるんだ。」

.

河童

「アイノウ。だってチケットもってるもん。」

.

「リアリ?それはすごい。明日は3時からの公演だね。」

.

河童「ライ。」

.

「じゃ、今日のナイトキャップはほどほどにして、明日公演前の1時に52丁目の方にこないか。(といっておもむろにブローシュァーを取り出す。)

.

河童

「ホヮット?日曜日の朝はおそいんだ。」

.

「明日1時からブルックナーの公演の前にフランク・プラッシュのブルックナーの講演があるらしい。」

.

河童

「講演を聞いてから公演を聴くのか。(日本人にしかわからないジョークだな。)

.

「駄洒落はよくわからんが、とにかくこのブローシュァーにサインしておくから、それもってきて。それと名刺もあげとく。」

.

名刺には、アメリカ・ブルックナー協会西地区会長FRANK J.PLASH と書いてあった。

続く

2

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596- フィラデルフィアのブルックナー5番 ミスターS

2008-04-21 20:10:00 | 音楽

596- フィラデルフィアのブルックナー5番 ミスターS

昨日、一昨日とミスターSの話が続きました。

594- ミラクル・クラップ ミスターSのブルックナー5番 2008.4.18

595- ミスターS フィラデルフィア・サウンドのブルックナー8番 1983.11.1

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ミスターSはフィラデルフィア管とはブルックナーの5番も振っていました。

こうゆうのがありました。

WQXR(ニューヨークのクラシック音楽専門FM放送)でオンエアされたことがありました。

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198624()WQXR

ブルックナー/交響曲第5

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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮

フィラデルフィア管弦楽団

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これは当地フィラデルフィアでの公演をニューヨークWQXRで毎週火曜日にオンエアしていたものをちょっととっていたものです。

日本人の好きなタイミング比べをしてみると。。

どちらも実測です。

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1986.2.4WQXR フィラデルフィア管

1楽章 1924

2楽章 1626

3楽章 1240

4楽章 2310

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2008.4.18 読売日本交響楽団

1楽章 18

2楽章 16

3楽章 13

4楽章 23

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WQXRのほうはテープを聴いた実測ですので、本来の姿とはちょっと異なっているかもしれませんが、いずれにしても、ほぼ同じような感じです。細部の伸び縮みはあるでしょうが、解釈としては今も昔もかわらないものでしょう、当然といえば当然ですが。

でも、なかには、というか、たいがいの指揮者は年とともに速度がおそくなり、それが一つの価値の目安になったりするものだが、ミスターSの場合、気持ちは常にインテンポ、実際もインテンポ、ゲネラル・パウゼの素振りは今もさっそうとしている。

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WQXRのブルックナー5番は今となっては昔の音ですが、いつか自主製作盤でよみがえるかもしれません。ミスターSの変わらぬ音作りに感慨を深めるかもしれませんね。

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フィラデルフィア管はムーティのあとサヴァリッシュになってしまったのですが、日本人にはなにか解せぬものがありましたが、フィラデルフィア管とは音作りの面でフィーリングがぴったり合っていたのだと思います。フィラデルフィア管というのは日本人が持っている印象とはかなりかけ離れたところがあり、まずはオーソドックスな音作りをしていたのです。

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いろいろと書きましたが、ミスターSにはこのあともずっと振り続けて名演奏を聴かせ続けて欲しいものです。

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595- ミスターS フィラデルフィア・サウンドのブルックナー8番 1983.11.1

2008-04-20 19:12:30 | 音楽

Scan10012

595- ミスターS フィラデルフィア・サウンドのブルックナー8番 1983.11.1

昨日に続きミスターSのお話です。

以前(2005.4.18)、読売日本交響楽団を振ったブルックナーの7番では、完全に場の空気感を一変させてしまったミスターSでしたが、一昨日のブルックナーの5番では、らしくもない一発必殺技で楽しませてくれました。

さて河童はいつもの通り昔話へ。

ミスターSは昔、フィラデルフィア管弦楽団を振っていたことがある。

フィラデルフィア管弦楽団は、当地だけではなくニューヨークでもサブスクリプションをもつ。ボストンとかクリーヴランドとかも同じ。シカゴはプライドが高いのでたまにしか来ないが。。

早い話、昔のビッグ5はみんな東よりにあるわけで、大がかりなツアーを組まなくてもお手軽にこられたわけだ。

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1983111()8:00pm

カーネギーホール

.

ブルックナー/交響曲第8

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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮

フィラデルフィア管弦楽団

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聴く前から答えがありそうな雰囲気。

コーダにおいてブラスがアウフタクトからの全強奏を始めるとき、そこにはなんの思い入れもなく、マッシブなフォルテシモがただひたすら流れるだけである。

存在するのはオーケストラそのものであり、ブルックナーの世界を感じとることはできない。

この前(1983.10.6)、つい一か月前にオイゲン・ヨッフムの指揮バンベルク交響楽団の演奏でこの曲を聴いたばかり、いろいろな意味での比較ができ興味深かった。

オーケストラに関して言えば、これはもう断然、フィラデルフィア管のほうが素晴らしく、ひとつのオタマジャクシに対する正確さが違う。もうほとんど完璧。特に金管楽器の正確さは耳に余るものがある。()

金管といえばホルンはすさまじく、前後8+1本。うち、ワーグナーチューバ4人持ち替えで、びくともしないあの威力はものすごい。

つまるところ、ブルックナーに持ち込まれたフィラデルフィア・サウンド。

このような、世界を圧するブラスの咆哮のすさまじさは例えばバンベルクが同じような吹奏をしたとしてもその感性位置はまるで対極のような気がしてならない。

指揮者によるところも大きい。ヨッフムの本当に精神的な没我をここに感じることはできない。特に第4楽章の単なる音の羅列と化したパレットには少々虚しさを感じた。音楽ではなく音のみがつながっていく。構造の連鎖をどのように感じていいかわからない。フィーリングとしては落ち着きのなさのようなものを感じてしまい、それはブルックナーに好結果をもたらさない。

そのときの感想はこんな感じで、実にあっさりと通過してしまった。

そのわりには、カーネギーホールのぼろい楽屋までいってサインのおねだりをしている。。

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今、メモを読み返すとどうしようもない文章が、日本人評論家に影響された言葉だけが単なる単語の羅列と化し虚しいパレットになっている、ようだ。

ただ、フィラデルフィア・サウンドというのは、当地と日本での意味合いがかなり異なるようだ。日本ではキラキラ輝く、音楽内容の理解とは別のところにある能天気なもの、といった雰囲気が昔はあった。これは誤りである。

フィラデルフィア・サウンドというのは、集中する音、である。ステージ上のオーケストラという楽器の中心になにか磁石のようなものがあり、楽器の音々がそこに向かっていくのである。ある個所に中心をもつ音が存在するオーケストラであり、非常に高密度で分厚く、くるいのないマッシヴなサウンド。ブラスもでかいが、かけ離れた感じはなくブレンドされている。ゴージャスというより芯のぶれない安定感が心地よい。ニューヨーク・フィルハーモニックの拡散系のサウンドとは異なる。日本人は拡散系のサウンド・オーケストラはあまり好きではないと思うのだが、昔から評論家はフィラデルフィアのなにを聴いていたのだろうか。

ということで、1983年といえば、ミスターS60才。

フィラデルフィア管を完全にドライブするまでには至らなかったかもしれないが、自分のすべき曲はとうの昔に分かっていて、だからこのような選曲が双方からもたらされたのだろうと思う。聴くほうとしては曲の巨大さはその長さ、音の巨大さ、といったものに比例するような感じの理解であり、あまり深くはなかった。ミスターSのスタイルは昔と方向が変わったわけではない。

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その後四半世紀もたってから日本の読売日本交響楽団の第8代常任指揮者になるなんて夢にも思っていなかったに違いないが、今こうして日本の聴衆を楽しませてくれる。

常任といっても、このオーケストラを切り盛りするシェフというよりは年2回ほど定期的にやってきて棒を振ってくれるという保障がついただけのような気がしないでもないが、それでもいい。今どきブルックナーで会場の空気感を引き締めてくれる指揮者はそうめったにいないし。

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594- ミラクル・クラップ ミスターSのブルックナー5番 2008.4.18

2008-04-19 22:09:43 | 音楽

Scan10012

前代未聞、空前絶後、完璧な‘間’であった。

ブルックナーのゲネラル・パウゼのことではない。

曲が終わった瞬間から拍手までの間のこと。こんな素晴らしい間は久しぶりにきいた。早からず、遅からず、実に絶妙の呼吸のタイミングであった。

ミスターSの音楽が、聴衆のフライングをとめた。

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読響、ミスターSによるブルックナーの5番はこの日1回だけ。

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2008418()700PM

サントリーホール

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ブルックナー/交響曲第5

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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮

読売日本交響楽団

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各楽章のタイミングは大体こんな感じ。

1楽章 18

2楽章 16

3楽章 13

4楽章 23

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3楽章が終わったところで、ミスターSはコンマスに何回かチューニングをするよう促し、オーボエの音から始まり盛大な音合わせとなる。そして第4楽章へ突入。

プログラムには85分と書かれているが、実際には70分ぐらい。

そもそも、この第5番というのは、いまだ、曲が完成していないのではないだろうか。隙間だらけで穴だらけでむしろそのこと、そのようにわざと放置したところに魅力があるようなフレーズのとぼけたエンディングなどいたるところにあり実に面白い曲だ。

メロディーは下降線をたどる旋律。前進する感じはなく、歩いていてつまずくような、ブレーキが始終かかるっているような、押して押してといった節だ。面白い曲だ。

そのように思わせないのは昔最初にこの曲を聴いた時の先入観があるからかもしれない。フルトヴェングラーの第5は曲想に似合わず圧倒的スピード感で一筆書きする。この演奏には反対する人が多いが、こんなにオケのメンバーを引っ張れる指揮者はほかにはいない。

それからフランツ・コンヴィチュニー指揮ゲヴァントハウスのレコードがその昔、オイロディスクから見開き2枚組ブラックのジャケで出たとき、そのブラックホールのような圧倒的演奏に開眼した。この二つが古典みたいなもんだ。

ミスターSのブルックナーは、昔から聴いているが、昔といっても彼が60ぐらいの頃だから年齢的には彼なりに完成の域にあったと思われるのだが、今、84才にして昔本人が思わなかったような領域に高みにきているのではないだろうか。一言で言うと、‘かるいまんまスケール感が出た’、これだとちょっと失礼なので換言すると、‘昔と同じように重くならず、それでいてスケールの大きい演奏になってきた’という感じ。ブルックナーの音楽に変なベールがかからずクリア、それでいて音楽が息づき自然さが増しスケールの大きな演奏になってきた。

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ミスターSはゲネラル・パウゼでもきっちり拍子をとる。まるで音が出ているかのように。。

速度の不安定な動きを嫌っているのは明らか。根拠のあるテンポだ。音楽にメリハリがつく。このゴツゴツした料理しにくい5番でも同じ方針で進むのは彼としては当然なのだが、苦労した割にはあまりおいしくない料理もなかにはある。

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圧巻は第4楽章の細かいニュアンスのフーガ。各楽器が克明に微妙なニュアンスで音を刻む。それはエキサイティングなコーダにはいっても変わらず、究極のエンディングに向かう途中ブラスの彷徨を抑えたりして冷静な響きの世界を想起させ、感情のコントロールを取り戻させる。

編成は、変則2管。シャルク版ではないのでいたってオーソドックスである。トランペットとトロンボーンが3本、ホルン4本、あとは2管。チューバは2本持ち替え。

こんな感じでいたって普通であるが、ブラスの彷徨がものすごく、特に第4楽章コーダでフーガが極限に達し調が安定したあたりからの響きが爆発的なのでCDできいているとものすごい編成だと勘違いする人もいるかもしれない。ミスターSにとってこのようなオーソドックスな編成の曲は整理の仕方を隅から隅まで知っている。だから譜面は不要。ベートーヴェンと同じスタンスで曲に向き合えるのだ。

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読響のサウンドは、腰の重い男性的な音が、楽団の男女比率がわりと昔のままであったりすることに一部起因したりしているのかもしれないが、ピラミッド形で貴重というか、指揮者がベースに指示をだすとすぐにぐっと力がはいったりして、安定感と機能性が現代風なところも備えている。

今日のブルックナーにおけるブラスの品性ある、抑制のきいたソロはミスターSのせいだけではない。むやみにバリバリとならすのもどうかと思ったりしていたので、コラール重視の演奏は聴いていて気持ちの良いものであった。また、オケのすわるポジションがあまり拡散していないのもよい。もっと指揮者を中心に取り囲むような座り方であれば、さらに素晴らしいアンサンブルになっていたに違いない。

5番は個人的には変に好き。ブルックナー特有の3個の主題の節目がよくわからないなど何回聴いても整理整頓できなくて自分にいらいらしたりするときもあるが、ブルックナー本人になってみなければそこらへんよくわからないこともあるのだろう。この交響曲のあと第6番というのは妙に納得できるし。。

あんまりムードに流されるようなところがなく、フレーズのエンディングが面白い箇所が多く、音楽が口をあけたまま、玄関の扉がひらっきぱなしであったりして、こちらで音楽のクローズの仕方を考えなければならない。そのへん、面白い。

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おまけ、

この前買ったSACD、ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルの演奏とは段違いの比べ物にならないものであった。なんでもかんでもSACDにすればいいというものではない。あのように荒れた演奏で、また技術の限界点が明らかなオケ、あたりはずれは聴いてみないとわからないからしょうがない。

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593- 湖底バー ボトム・ヴァッサル

2008-04-17 01:02:02 | 六本木にて

5

バー・マナー2

「この前食べたブラームスはおいしかったね。」

「実は指揮棒で食ったんだが食いづらかったぜ。」

「エヌホの音は最低だな。」

「フモンよりはましだ。」

「下には下があるってことよ。」

.

などと、バーでお酒を飲み始めて一時間もすればこんな変な会話も始まってもおかしくない。

でも、酒を飲んでもいないのに、これから酒を飲むのに、お店にくるなりいきなり馬鹿な事を言う自己中がいる。

「おれの席はどこだ。」

ゴー・ホーム

みんな、地球は自分を中心にまわっているので、自分を他人の目で視線で見ることが出来ない。みんな救いようがないからこの地球の寿命もおのずと決まる。

それで、、おれの席はどこだ、、というのはつまり自己中のおれのための一番いい席はどの席だ。ということになるのだが、実際問題、カウンターのどの席が一番席なんだろう。

.

大きいバーのカウンターだと一番手前かな、小さいところだと人の動きの少ない席かしら。

要は水まわりのないほうの席、調理用出入りから一番遠い席ということになるのだろうか。

でも、お酒は種類ごとにまとめてならべているので、端席だとウィスキーだけ、ラムだけ、などしかボトルが見えない。小さなお店だと特に問題もないだろうか、ある程度のサイズのお店だと、やはり座る席はそれなりに考えたい。

一番いい席はセンター席か。全部が見渡せる。お山の大将みたいなもんだし、極めつけの自己中おやじ席みたいなもんだが一度は座りたい。

最低3回はかよって右端、左端、センター、などと座り分ければ問題なし。初めて行ったバーが気にいったときは、もう2回はうかがいたいものだ。

静かな悪友S

「お河童さま、この前はカパコさんと一緒にセンター席に、デン、と座ったらしいじゃないですか。」

.

河童

「なんで知ってるんだ。」

.

S

「はいはい、情報は全部漏れてます。誰も面と向かって言わないだけです。」

.

河童

「君、内緒の話なんて、昔からみんなそんなものさ。そこにいあわせた全員が内緒の話をしっていることもあるしね。」

.

S

「はいはい、そうでございます。言わないだけです。それでカパコさんとセンター席に座ってガバガバ食べていたらしいパスタの味はどうでしたか。」

.

河童

「ほんと、よく知ってるね。まるで見ていたみたいじゃないか。パスタはおいしかったね。」

.

S

「たしか、ハマグリパスタとキンメダイパスタだったとか。」

.

河童

「君は尾行でもしたのかね。パスタはたしかにそんなところだ。ちょっと量は少なめだったけど味はいけた。」

.

S

「それで、そのバーのメインディッシュ、イベリコステーキと子羊はどんな感じだったんだい。」

.

河童

「なんだか、内緒の話じゃなくて、情報公開しているような気がしてきた。おれは区役所かっ!

メインディッシュはこれまた量が少なかったけど、まぁ、イベリコも子羊もちょっとくせがもともとあるけど、それがそのままっていう感じで、いまいちっていうところかな。」

.

S

「じゃぁ、せっかくのワイン、レオナルドダヴィンチもちょっと薄く感じたんじゃないですか。」

.

河童

「やっぱり、情報公開だ。。

それで、ワインも物足りないので、結局最近カパコがはまっているグラッパに走った。こっちが1杯飲む間にカパコは3杯飲むって感じ。」

.

S

「センター席から見渡すボトルの数々、あすこの店だと壮観じゃないですか。グラッパなんて酒は、僕はお河童さまがバーというものを教えてくれるまでは全く知らないものでした。だいたいラフロなんかもそうだったんです。そしてあのドクターペッパーみたいな味にはまったんですね。グラッパもそんな感じはありますね。」

.

河童

「君、ちょっと雄弁すぎるぜ、だまって、カスでもトリな。」

おわり

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592- 水底バー ボトム・ヴァッサル

2008-04-15 12:30:00 | 六本木にて

4

592- 水底バー ボトム・ヴァッサル

バー・マナー

静かな悪友S

「僕は河童さんと知り合う前はバーなんか行ったことがなかったんだ。実は興味があったんだけど、なんだか得体の知れないもの、いくらかかるかわからないし、第一何があって何を頼めばいいのやら、早い話がバー無知だったわけさ。」

.

河童

「そのようだったね。僕はあちこち行ったり来たりしていたので、外のそのようなところでお酒を飲む機会がかなりあったし、昔は高くて飲めなかったハードリカーが日本でも気楽に飲めるようになった頃から、、飲み始めたわけではないなぁ。もっと昔からだなぁ。」

.

S

「河童さんのたわごとはそれくらいにして、今日はどこに連れて行ってくれるんだい。」

.

河童

「そうだね。最近はやりのガールズバーなんて身の毛がよだつしな。やっぱりしっかりしたお酒を飲むに限るね。今日は河童のとっておき、水底バー、ボトム・ヴァッサルにでもいってみるか。」

.

S

「おお、河童の地の果て、もとい、水の果て、水底で飲む酒の味は?」

.

河童

「そりゃVGに決まってる。」

.

S

「また音楽用語が出たね。ヴァイニル・レコードのコンディションじゃないんだから。」

河童

「どうだい。水底で飲むウィスキーの味は?」

.

S

「いやいや、なかなか、いい、いい。」

.

河童

「やけにリピートの多い日本語だな。そういえば君は酔うと繰り返すんだったね。なんでも。」

.

S

「そうらしい。いろいろと失敗をしているようだ。」

.

河童

「ところで、あすこにすわってウィスキーを飲んでる男二人組がいるだろ。あいつら、さっきからベタベタとボトルにさわりまくってる。」

.

S

「いいじゃないか、よいお酒にあえて感動しているんだろ。」

.

河童

「なめんじゃねぇ、よその家のボトルにベタベタさわりやがって、ほかの客も飲む酒じゃねぇか。なめんじゃねぇ。。」

.

S

「おっと、はじまりましたな。。」

.

河童

「店のボトルにはさわるんじゃねぇ、店の連中が許した時だけにしろい。君は自宅で他人が自分のCDにベタベタさわったらどう思うかね。なかには、プラケースから取り出して、指紋だらけにしていく奴もいる。あんなの頭に、河童の頭にきて、ほんと、そいつの頭かち割ってあげたい、何を考えてるんだ、と。。」

.

S

「なるほど、言われてみればそうかもしれない。なかにはふたをあけて鼻水をいれそうになる連中とか、ひどいのになると自分でウィスキーをグラスについだりしているトンデモバカも見たことがあるなぁ。」

河童

「つらいのは、お店のバーテンダーは、なかなか注意ができないんだ。何しろカネを落とす客なわけだから、なめんじゃねぇ、さわるんじゃねぇ、って言えないよね。いったらそれで全部終わりだし。」

.

S

「たしかにつらい。河童さん、僕はいつになく河童さんの話に説得力があったので、もうボトルにベタベタさわるのはやめにするよ。ほんと、もつべき友ははっきり物事をいう河童だね。」

.

河童

「なめんじゃねぇ、いつもは説得力ないということか。

それはそれとして、真のつながり、つまりバーテンダーと客との真のつながりというのは、注意をちゃんと言えるバーテンダー、ちゃんと受けとめる客、そのような関係なのではないだろうか。

僕も昔はあいつらと同じようなことをしていたかもしれない。

ある日、あるバーテンダーが僕に注意してくれたんだ。僕は怒るどころか嬉しかったね。ある程度リスクを覚悟の上での注意であったのだと思うが、それは裏から見ると残り何パーセントかは僕のことに賭けてくれたのだと思う。妙に感動したよ。

そのバーテンダーは日常の努力も大変なものだと思うよ。世界観が広く深いし、それに時代の出来事にも敏感、それでいて昔のこともよく覚えている。もちろんお酒の事は人一倍詳しいし、よいお酒があれば地の果てまで足を運び自分の舌で見極める。このような不断の努力がなければならない。人柄なんて、にじみ出てくるものなんだ。僕はそういうところでお酒を飲むと、疲れがとれるし元気がつく。たまに押し黙って話したくないときもあるが、そんなときはそれを察知してくれる。距離感、バーでの距離感ってすごくポイントなんだぜ。」

.

S

「お河童様の長い講釈は終わったみたいだな。でも僕もよくわかったよ。お酒のラベルを見るのも一つの楽しみなのだが、そのようなことひとつとってもよく気をつけるようにするよ。特に個人でやっているお店のマスターなんて、我々クラシック音楽のプロに言わせたら、やっぱり自分の枕もとのCDに他人がベタベタさわっているのが頭にくるように、彼らの愛着が降り注がれたボトルに違いない。僕らはそのようなことに敬意をはらいながら、そんなかしこまったことでなくても、要は誰でもちょっと考えればわかるようなことをきっちりとマナーとしてとらえて、そのうえでおいしくお酒を飲む、バーというのはそんな場所なんだね。」

.

河童

「僕に負けず劣らず長い講釈だったな。。

それにしてもあの二人組、どうしようもないなぁ。なにかいい方法はないものか。」

.

S

「それは簡単だよ。このブログを読ませてやればいいだけさ。」

おわり

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591- 愛聴盤は不思議な演奏

2008-04-14 01:22:36 | 音楽

Scan10012

591- 愛聴盤は不思議な演奏

4年前にSACDが出たときに、それまでのチープ盤のことはかなたに忘れ去りさっそく買いなおしたのがアップしてあるこれ。

.

ワーグナー作曲

マイスタージンガー 前奏曲

ラインの黄金 前奏曲

トリスタンとイゾルデ 前奏曲

.

シュトラウス作曲

ばらの騎士、第12幕のワルツ、

ばらの騎士、第3幕のワルツ

.

ハインツ・レーグナー指揮

ベルリン放送交響楽団

1977年録音

Avex-classics AVCL-25296

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これは2004年発売で、エイヴェックスのレーベルになっているが、早い話が、ドイツ・シャルプラッテンの音源。

アナログ・マスターテープからカッティングされたSACD。音がかなりいい。

SACDの優位は明らかだと思うのだが、DGなどはあまり熱がないようだ。

例えば、せんだってでたハーディングによるマーラーの10番全曲。とろけるようなサウンド。あれがSACDであればもしかして決定版かも、しれなかった。

いきなりそれました。

.

それで、このレーグナーの棒による不思議な曲。それはトリスタン。。

ワーグナーは3曲で全部前奏曲。

そのなかでも、とっても変、というか妙なのが、

トリスタンとイゾルデ 前奏曲

.

ですね、普通は愛の死とセットで演奏される機会が多い曲ですが、このSACDでは前奏曲だけです。

オペラであれば、前奏曲が終われば第1幕のカーテンがあがる。

しかし、この演奏では前奏曲といいながら、それが終わるとき全てが終わる。

本当に不思議な編曲なんです。

これって、でも、演奏と完全にコラボになっていると思う。

レーグナーの棒は前奏曲中盤あたりから、まるで棒が寝たかのようにうとうとしはじめスピードがなくなり、ついにはとまる。

わけではないが、ほぼとまる。。

夜は長くて暗闇が支配しなければならない。まるで第2幕の長丁場にさしかかったような錯覚に陥り、目がまわりくらくらしてきて催眠術にでもかけられたものを見ているような、非常に不思議な音楽が、漂う。

前奏曲はたかだか11分ほどの長さだが、曲、編曲、演奏、サウンドの素晴らしさ、などをうとうとしながら聴いて、はっと気がつくと。。

そこにあるのは、愛の死。

実に不思議なんだ。

トリスタンに負けず劣らず面白いのがラインゴールド前奏曲。

例の開始音から始まり、ホルンたちがひたすらハーモニーを繰り返し、そのまま終わる。

7分。

曲というよりもアンサンブルの練習曲の雰囲気だが、そこは曲者レーグナー、ただでは終わらん。天上にホルンたちが昇天していく。。と、いった編曲。

SACDの音質の良さがフルに発揮されていて、なんというか、そこらへんにホルニストがいるようだ。それにしては人数が多いと思うが。。

.

河童としてはこの2曲で十分なのだが、マイスタージンガーは横に置き、シュトラウスのワルツ。これがまたいい。これは純粋に音楽的にきれいで美しくて諧謔的。

舞台の人間模様をこれだけうまくあらわしている音楽はそうはない。レーグナーは30年後にSACDが出るのをわかっていたみたいに、弦、特に高弦を艶やかにのばす。美しい演奏だ。

全部で52分のSACDだが、これで十分。愛聴盤のSACDは昔のアナログ・ディスクみたいに彫れて白くならないし、これでまたワンランク上のSACDプレイヤーを買えば、今よりきっといい音で再生されると思うし、この不思議な曲をいい音で静かに聴くことがずっと出来るわけで愛聴盤は愛長盤だ。

他人(ひと)が勧めるものは、その人の手垢がついてしまったような気がして、本当は聴きたいのに尻込みしてしまったりするときがある。でも手垢がついているのはその人がもっているCDだけ。お店にいって新しいのを買えば気持も新たになるかもしれない。これ是非みなさん聴いてくださいな。

ということで、日本ではタスキがCDにもついているという、ほぼ文化、になっているわけですが、このSACDのタスキのテンコモリ、もすごいので下にアップしておきました。

お時間あるときに覗いてくださいな。

Scan10013

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590- カラヤン 上野のブルックナー8番 1966年

2008-04-12 23:56:22 | 音楽

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589- カラヤン 展覧会の絵 イン ヤーパン

2008-04-10 00:43:02 | 音楽

前回、カラヤンの1979年日本公演について余計な事を書いてしまいましたが、書きついでにもう一つ。今度は1988年の公演です。

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198854()

東京文化会館

ベートーヴェン/交響曲第4

ムソルグスキー/展覧会の絵

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

ベルリン・フィルハーモニカー

.

史上最悪のプログラムビルディング、とまではいかないが、ひどい組み合わせの日だ。

この日の公演はNHK-FMで生放送されてます。

展覧会の絵は、1979年の公演でも演奏されておりますがそれはそれとして、

この1988年公演です。。

.

で、

後半の展覧会の絵が始まりました。これも前回話題にしたマーラーの6番に負けず劣らず難しいものです。トランペットが。。

それで、

冒頭トランペットのソロから始まるわけですが、やっぱりやっちゃったんですね。致命的なミスでした。トランペットさん、ごくろうさん。

なんでこうなるのだろうと思うのです。油断大敵。

でも、

覆水盆に返らず。

どうしようもありません。音楽は先に進むしかないのです。それが音楽なんです。あとはどのくらい挽回するか、ということだけです。

1988年といえば、カラヤンも間際ですし、そこらへん魔法の力も弱まっていたのかもしれませんね。

それで、この日の公演は生放送されてますが、別の日に1回だけブロードキャストされているわけです。

19891010日 NHK-FM

カラヤンがなくなったのは1989716日ですから、この1010日のブロードキャストは追悼の意味での濃い放送でした。3回分の公演をまるまる連続放送したわけです。

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198852日 サントリーホール公演

モーツアルト/交響曲第29

チャイコフスキー/交響曲第6

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588- カラヤン 日本でのマーラー6番

2008-04-08 12:11:45 | 音楽

 

ここ何回かバーンスタインのことを書いていたら話がカラヤンになったので、バーンスタインとカラヤンのマーラーの9番のブロードキャストのことになったので、今度はちょっとカラヤンのマーラーの6番の話を。

前々年の1977年にはベートーヴェンをもって来日したカラヤンであったが、この年1979年は大曲を担いでやってきた。そのなかにマーラーの6番もはいっていた。

.

19791017()普門館

マーラー/交響曲第6

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

ベルリン・フィルハーモニカー

.

2年前のベートーヴェンを普門館で演奏したカラヤンが2年後に、いくら音響板をつけたとはいえこの希代まれなる会場でまた演奏するとは神も知らなかったに違いないが、カラヤンはそこで演奏会を敢行した。

この4日後の第9公演は最近CD化されたはずだが、マーラーの6番のほうはされていないのでは?ということで、、

この会場のことは真横に置いといて、曲についてちょっと書くと。。

.

6番悲劇的は序奏もそこそこに第1主題が提示される。この日その音を聴いてすぐに思い出した。これを、、

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1977827

フェストシュピーレ、ザルツブルク

ザルツブルク音楽祭

マーラー/交響曲第6

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

ベルリン・フィルハーモニカー

ブロードキャスト

NHK-FM 19771214()

.

なんでこの録音のことを思い出したかというと、第1主題弦のあふれるフレーズの後、トランペットのソロがあるが、そこで見事にはずしてしまっている。その時の演奏と冒頭がよく似ていたのだ。

なんだか、1977年のコピーのような演奏になるのかな、そう思った。

それで、おぉ、やっぱりものの見事にはずしてしまったのだ。トランペットさん御苦労さん。

ベルリン・フィルの演奏は当時やや湿り気をもった溢れるような音色だったが、ブラスが個別にべらぼーなうまさであったとはいいがたい。中にはバイロイト好みのザイフェルトのような人物もいたが、全体にあまり目立つものではなかった。どちらかというとウィンドや弦のような火の出るようなアンサンブルをブラスもやっていたのでそこらへんがすごかった。

ブラスだけとればアメリカのオーケストラのほうが一枚上手であり、代表格はシカゴ交響楽団。仏像のように微動だにしないクレヴェンジャーなんて本当にラッパを吹いていたのかしら。今はニューヨーク・フィルハーモニックの主のようなフィリップ・スミスだって昔はシカゴの末席にいた。

それで、マーラーの第6番は悲劇的という副題がついていますが、カラヤンのベルリン・フィルのトランペットがうまく吹けなかった第1主題はベートーヴェンのエロイカ第2楽章の葬送行進曲のフレーズだと思うのだが、自分以外指摘している文章への出会いがない。

演奏会の模様はいつか書くことがあると思います。

おわり

.

 

 

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587- マーラー9番 バーンスタイン・ライブ VS カラヤン・ライブ

2008-04-04 00:48:50 | 音楽

ここ2回ほどバーンスタインの話が続きましたので、ついでにベルリン・フィルとのマーラー9番のブロードキャストについても書いてみます。

バーンスタインがほぼ振ることのなかったベルリン・フィルですので、同時期のカラヤンとの比較データです。

マーラー作曲交響曲第9

レナード・バーンスタイン指揮ベルリン・フィル

1979104日、フィルハーモニー・ベルリン

NHK-FM 198052

:27’35 :15’52 :12’00 :26’10

マーラー作曲交響曲第9

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

198251日、フィルハーモニー・ベルリン

NHK-FM 1982923

:28’02 :16’31 :12’52 :25’48

マーラー作曲交響曲第9

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

1982827日、フェストシュピーレ、

ザルツブルク音楽祭

NHK-FM 198212 10

:27’13 :16’23 :12’37 :25’01

NHKもよく放送したもんです。

これだけならべると話はカラヤンのほうに移ってしまいそうですが。。

まず、バーンスタインの演奏ですが、同組み合わせででているCDのクレジットでは録音が197910月となってますので、NHKの放送と同じものかもしれません。

次にカラヤンの演奏ですが、CDででているものは19829月となってますので、この2回の放送はいずれもCDとは異なる演奏ということになります。

タイミングも書いてみましたがあまり関係ないような気もします。ただ、最近の演奏は特に第4楽章が極度におそい演奏がはやりで、丁寧すぎで、つまり細部の異常に克明な表現が流行なわけで、30分ぐらいかかるのが普通になっているので、四半世紀前の演奏はいたって普通だったような感興をおぼえます。

.

演奏はバーンスタインの世評の高さはありますが、カラヤンの勝ちだったなぁと記憶します。

古さに勝るオーソドックスな演奏ながらも、らしからぬエキサイティングなもの。カラヤンはマーラーはあまり振らなかったが世の中、マーラーブームが始まりカラヤンといえどもある程度はレパートリーにいれたんだろうね。1980年の4番のライブでは第4楽章をファンブルしたりして、ベートーヴェンのようにはしっくりこない面もあったに違いない。

でも、9番ともなるとベルリン・フィルとの呼吸がものすごく、というか、呼吸というものはほぼ地盤であり、その上でドライブするのではなく団員の自発性がものすごく、そこらへんがやはりバーンスタインをうわまわった。

バーンスタインの演奏はミシミシとポーディアムの音がしたりして、彼の自発性が団員をドライブした。CDではすっかりお化粧されているような感じだ。

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世の比較というとき、今となっては、どちらの演奏もCDを買って聴いて比較して、いろんな文章、資料を頭の中にいれ、想像をたくましくして、ふくらまして、文筆しているのが実情だと思うのだが、たかがブロードキャストとはいえ、これだけ3種の演奏がそろえば、これはかなりのライブ感覚で聴くことができるわけで、また、それのみで比較がある程度できたりする。非常におもしろいものだ。

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それでその音は河童の蔵にあるのか。

ある。

但し、DATとオープンリールテープでね。

最近のメディアにコピーしておかないとやばいことになりかねない。

再生装置がなくなれば意味がなくなるからね。

でも、

1500本のDAT100本あまりのオープンリールテープ。

大変だよね。

誰か、この演奏の録音、欲しい人がいればコピーしてあげるのもやぶさかではないのだが、みなさん、なににダビングしてあげればいいの?

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