河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2696- チャイコフスキーPC2、ヴォロディン、スクリャービン2番、ロフェ、新日フィル、2019.4.26

2019-04-26 23:04:49 | コンサート

2019年4月26日(金) 2:00-4:10pm トリフォニー

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第2番ト長調op.44  20-14-7
 ピアノ、アレクセイ・ヴォロディン

(encore)
ラフマニノフ 13の前奏曲op.32より 第12番嬰ト短調  3

Int

スクリャービン 交響曲第2番ハ短調op.29  7+12-9-6+9

(encore)
チャイコフスキー くるみ割り人形 組曲op.71a 小序曲  3


パスカル・ロフェ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


前半、後半、ともに素晴らしい内容の演奏会でした。
ヴォロディンは端正さとやる気満々さがうまく混在、大胆で繊細、両方併せ持つ振幅の大きな演奏で充実の2番コンチェルト。作品自体そこそこ馴染みはあるものの、再度の再発見、とっても充実したものでしたね。
大規模な初楽章、ヘビーに違いない。ヴォロディンは輪をかけて力強さが前面に出て力感溢れる演奏、作品の魅力をビンビンと絞り出す圧巻のプレイ。

中間楽章はソロチェロがピアノと立ち姿のコンマスのほうに寄ってセットアップ。ため息の出るような三重奏を繰り広げた。ヴォロディンのピアノはさっきまでとは変わってデリカシーに富んだもので細身と言えるような味わいに豹変。(ヴォロディン、西江、長谷川)
終わって欲しくないような緩徐楽章でしたね。お見事!

終楽章はみんな一気に解放され、ピアノはこれまたさっきまでとは違い今度は軽快な音楽に合わせて軽い。何通りの音を彼は持っているのだろうか。

現音エクスパートのロフェの棒で引き締まったカラフルサウンド。実に丁寧で濃い伴奏、味わい深いもの。絶妙なニュアンス、息の合った素晴らしい棒。棒は持っていなかったと思うが、白鳥の様な両手振りが印象的。
このような演奏で2番コンチェルト、もっとたくさん聴く機会が欲しいものです。


タップリと濃厚で幅広なスクリャービンサウンド浴びました。ビューティフルな演奏にうなるばかりなり。
5楽章となっていますが、1+2、4+5と繋がっていて、真ん中の3楽章アンダンテが独立していると思えばよい。
1番の雰囲気を感じさせつつも、次の3番の呼吸も見え隠れする。遠くから徐々に近づいてくる主旋律の遠近感的カタルシス。アンダンテ楽章の音の柔らかさ、スクリャービン・アトモスフィア。どれもこれもロフェが作品とオーケストラの良いところを引き出している。実に素晴らしい指揮。お得意物件なのだろうと思う。1番3番に揺れつつの佳作美演。
中間楽章の正ホルン4人衆によるハーモニーもなかなかのものでした。
おわり






2695- ショスタコーヴィチVn協1、グルズマン、ヴァインベルク12番、下野、N響、2019.4.24

2019-04-24 23:46:08 | コンサート

2019年4月24日(水) 7:00-9:15pm サントリー

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調op.77  11-7-13+5
 ヴァイオリン、ワディム・グルズマン

Int

ミェチェスワフ・ヴァインベルク
交響曲第12番op.114 ショスタコーヴィチの思い出に(1976)  20-9-12+18


下野竜也 指揮 NHK交響楽団


今年2019年はミェチスワフ・ヴァインベルクの生誕100年とのこと。一昨年2017年にクレメルの弾くヴァイオリン協奏曲がありましたけれども、印象としてはどうだったのかな。
2402- ヴァインベルクVC、クレメル、ショスタコーヴィッチ4番、カスプシク、読響、2017.9.6


今日の後半プロはショスタコーヴィチに絡むシンフォニー、前半はそのショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲、緊密な関連性のプログラムビルディングと思われる。

まずはグルズマンが弾くヴァイオリン協奏曲から。シカゴのストラディヴァリウス協会から貸与されている1690年製ストラディヴァリウス(エクス・レオポルド・アウアー)とのことだが、全くの門外漢でわからない話。とはいえ、聴いていてよく分かったのは、凄い性能の楽器それ自体の能力を100パーセント引き出している音に聴こえたという事。使いこなしているなどといった生易しい話では無くて、インストゥルメント自身が自分の能力をアクティヴに出しているように聴こえる。楽器の音が聴こえる。
1番はよく演奏されるが3,4楽章の吹き上げるようなものがなかったらそうとうに厳しい作品と思う。聴くほうの忍耐と快感の享受がバランスしている際どい曲。それを音のたっぷりとした幅、ふくよかな鳴り、技巧が殊更に前に出ることの無い自然体を感じさせる音楽性、大した腕前でこの作品を聴かせてくれる。厳しい作品がものすごく大きなものに聴こえる。巨大な作品の様に見えてくるから不思議。シンフォニーと思ったほうがいいのかもしれない。ビッグな腕前のコンマスが弾くシンフォニーと。
下野の棒は全くテンポを緩めないもので、今にも下がってしまいそうなアウトラインを見事なタクトで持ち上げてくれる。このテンポ感。現音振りの一面をよく魅せてくれる。こうゆう棒だと曲が良く締まりますね。40分規模のヴァイオリン協奏曲、タップリと楽しみました。



後半のヴァインベルクの12番シンフォニー、1975~1976年の作とあるから、ショスタコーヴィチが1975年になくなってすぐに書き始めたものだろう。In Memory of Shostakovichの副題も思いの通りだと思う。1時間規模の長い曲。
第1楽章は作為に作為を重ねたような序奏から。このねじれたような楽想は故意なのか推敲の結果なのか。とりあえず聴き進めていくと響きの総体はショスタコーヴィチというよりはマーラーの響きが満載。シンバル一撃からコーダと思うが、そのコーダなど10番アダージョそのままではないかと思ってしまう。ここらたりまできてようやく引用という言葉が浮かぶ。ソナタ形式で通過してきた少し斜めに構えた楽想はやや厳しい。吹っ切れ感が一か所も無いもので、ソナタ形式ならある程度のメリハリが欲しいところ。
この第1楽章と同規模の終楽章はさらに厳しい。マリンバソロから始まる終楽章は前の第3楽章からアタッカで連続してくるもの、マリンバの不思議な鳴りがこの後出てくるパーカッションたちを代表しているようだ。ショスタコーヴィチの15番結尾の雰囲気と思えるのは最後の最後。この終楽章冒頭のマリンバから始まるのが第1主題とすると、副主題は3拍子系の威嚇する様な音楽。これはマーラーの奇妙な中間楽章の主題のように聴こえ、今頃これが出てくるのかといった手遅れ感がある。大詰めで鳴らすような節ではないだろうと。
両端楽章の時間規模は同じながら、DS15の終結を真似た先細り感に時間を割くため、バランスとしてはいいものではない。終楽章のほうが薄い。この両端楽章のつくり込みは推敲不足と感じる。
第2楽章のスケルツォは遅くて重いマーラーモード。この楽章は形が透け過ぎ。
次のアダージョ楽章はなにやらDS5番3楽章を思い出させるところもある。が、ここまでくると、一体全体、どっちに似ている、引用がどうだこうだ、いろいろあるけれども、したかったことはそんなことではないだろう、と思いたくなる。In Memory of Shostakovichの副題を自作品にどのように料理したのか、わからない。というのが率直な思いです。

この作品年次の頃のいわゆる現代音楽がどのようなものであったのか知らないが、物足りない。もっと明確な意思表示を作品に注入すべきだったと感じる。ショスタコーヴィチの思い出に、という副題の作品を作るには早すぎたと思う。

下野の指揮は熱のこもったもので、十分な共感が手に取るようにわかる。のだが、心の中までは見えない。ほぼ譜面にらめっこはいたしかたがないものだろう。はたしてこのような作品に彼は熱意を捧げるべきなのだろうか、などとは言わないが、100年節目の作曲家とはいえ何故にこうもこの作曲家の一作品に没頭したのだろうか。
おわり


2694- メシアン、讃歌、ジョリヴェ、赤道コンチェルト、藤田真央、ルシュール、マダガスカル狂詩曲、イベール、寄港地、秋山和慶、東響、2019.4.21

2019-04-21 19:13:19 | コンサート

2019年4月21日(日) 2pm サントリー

メシアン 讃歌  17

ジョリヴェ ピアノ協奏曲 赤道コンチェルト  8-11-6
 ピアノ、藤田真央

(encore)
バルトーク 子供のために 第1巻 Sz42より 第21曲アレグロ・ロブスト

Int

R.ルシュール マダガスカル狂詩曲  4-5-4-4

イベール 寄港地  7-3-5


秋山和慶 指揮 東京交響楽団


なんだかめくるめくプログラム。じっくりと4曲噛み締める。

メシアンの讃歌はいわゆる、聖体秘蹟への讃歌、ですね。何度か聴いたことがあると思う。以前、若杉N響のブルックナーサイクルでも前半に持ってきてなかったかな、確か。
この日の秋山東響による演奏は大変にゆっくりとしていてメシアン独特のブラスセクションをはじめとする輝き、長い息、間断なく音が空間を埋めていく。息の長い呼吸が階段の位置を変えながら繰り返し響き渡る。このオーケストラ独特のイエローなサウンドが充実感満タンで響き渡る。メシアンは最初からメシアンだった、素材がたくさん煮詰まっている。有無を言わせぬ秀逸な作品と演奏、秋山の棒が落ち着いて全体に深みが出る。
ビューティフルな演奏がいきなり飛び出した。さて次の曲。ジョリヴェの赤道コンチェルト。

藤田のピアノはリサイタルやコンチェルト何度か聴いていて割と馴染みがあって、また、相応な印象が出来上がりつつあったのだが、この赤道コンチェルト、オーケストラとソロピアノが合体し派手に鳴らした破天荒な灼熱地獄のようなフツフツと煮えくり返る圧巻の沸騰パフォーマンス。もう、バンザイです。自分が持っていた藤田イメージががらりと変わった、というよりも目から鱗が剥がれ落ちた。彼の多彩なプレイにうなるばかりなり。
なかなか聴く機会のなかったコンチェルトだったが、このような形であれ身に音を浴びさせてくれて気づきをさせてくれたことに感謝。
秋山の棒は冷静だ。作品の強烈なビートに戸惑うことはまるで無い。作品のリズムの先出し、ジックリと先に刻む。音楽に乗っているのではない。リズムを作り出しているのだ。こうゆうことを実感させてくれる見事なタクト。これがあるから、ソロ、オケともにあのような精緻な演奏が出来上がったんだろう。ヴィルトゥオーソのアトモスフィアがホールいっぱいに漂った。快演!!

前半のこの2曲で、もはや、満腹。充実感でいっぱい。

さて、後半の2曲。まあ、4曲並んだこの日のフランス・プロ。後半はそういったあたりの事を手放しで聴き、音を浴びる。
ルシュールのマダガスカル狂詩曲なんてえのはホントに初めて聴く、この探索の楽しさといったらありゃしない。冊子の説明にある副題や解説が欠かせない。先に読んでいて頭にインプット、いやいや、楽しさが増す。リズミカルなものが生命力を感じさせてくれる。秋山の棒はやはりべらぼうな冷静沈着のうまさ。大いにエンジョイ。

最後のイベールの寄港地はたまに演奏会に顔を出す。先月もカンブルラン読響で聴いたばかり。リズムの面白い動きと多種多彩な音の色合いが面白い。それに加えて秋山の語り口のうまさか、なんだかとっても大きな作品に見えてきた。

今日の4曲、心の底から楽しめた。素晴らしい作品と演奏。乾杯!
ありがとうございました。
おわり






2693- リゲティ、ルーマニア協奏曲、フランセ、クラリネット協奏曲、シューベルト8番、ポール・メイエ、山形交響楽団、2019.4.20

2019-04-20 23:53:59 | コンサート

2693- リゲティ、ルーマニア協奏曲、フランセ、クラリネット協奏曲、シューベルト8番、ポール・メイエ、山形交響楽団、2019.4.20

2019年4月20日(土) 7pm 山形テルサ

ジェルジ・リゲティ ルーマニア協奏曲  3+2+1+6

ジャン・フランセ クラリネット協奏曲  6-5-3-6
 クラリネット、ポール・メイエ

Int

シューベルト 交響曲第8番ハ長調ザ・グレートD.944  13-12-9-11

ポール・メイエ 指揮 山形交響楽団


このオーケストラを聴くのはお初です。と、思ったのだが、コンマスさんの顔を拝見して、たしかどこかで聴いたことがあるなあと。記憶探索中。
メイエさんのクラは昨年2018聴いたばかり。
2534- ナッツクラッカー、モツクラ協、ドビュッシー、狂詩曲、メイエ、ハルサイ、カンブルラン、読響、2018.4.13

ナチュラル・インストゥルメント・スタイルの陣容で概ね8-7-5-5-3編成かと。やや硬めで渋めのサウンド。1500人キャパのホール、余裕の響きですね。
昨年メイエさんのクラリネットを聴いた時は、身体をほとんど揺らさないもので正確なプレイが前面に出てくる印象が有りました。今日は吹き振り。

リゲティ初期の管弦楽曲ルーマニア協奏曲はこれまで聴いたことがあったかどうか。後期のいわゆる現代音楽ものとはまるで異なるとはいえ、ひとつぬけている感じがあって明確な縁取り。バルトーク風味を感じさせる。協奏曲とあって、なんの協奏曲なんだろう、オーケストラのためのものなのか、ルーマニアのものなのか、判然としない。取り方によっては別位相の話になりますね。リゲティの作品は無から自力で作り上げたという実感があり、そういったものの原点を垣間見た気がした。
オケの渋めのきっちりとした押し出し、粒立ちの良いサウンド。作品の言わんとするところがよくわかる佳演でした。

次のフランセは吹き振り。副指揮者の名前が挙がっているが見ていてもその気配は感じなかった。宙に浮く様な流れのオーケストラ伴奏に乗ったメイエの鮮やか仰天技にびっくり。
約20分の大きなもの、昨年同様あまり体を揺らさない吹きっぷりながら困難なパッセージも頻発でちょっとした動きがそういったことを物語っているし指揮もしているなあと、大変さがよくわかる。フランセの作品は軽い感じに聴こえてくるがよくよく耳を澄ましてみると作為的なところはそこそこでナチュラルな飛び跳ね。プレイヤーの揺れない音がよく作品に寄与していると思う。曲の事がよくわかりました。メイエさん絶品の活き活き演奏に拍手。

後半はシューベルトのグレイト。クラリネットのあとはタクトとこれまた大変。
ナチュラルな楽器による響きは心地よい。初楽章提示部リピートなどはもう一回繰り返して欲しいなあというぐらいだ。シックな色合いのサウンドが滑らかに全体像を造っていく。
これも満喫できました。素敵な演奏に舌鼓。
ありがとうございました。
おわり

































2692- ツァラトゥストラ、クレオパトラの死、ヴェロニク・ジャンス、ヤナーチェク、シンフォニエッタ、ヤクブ・フルシャ、N響、2019.4.14

2019-04-14 20:46:24 | コンサート

2019年4月14日(日) 3pm NHKホール

シュトラウス ツァラトゥストラはこう語った  35

ベルリオーズ 叙情的情景 クレオパトラの死  20
  ソプラノ、ヴェロニク・ジャンス

Int

ヤナーチェク シンフォニエッタ  3-6-5-3-7


ヤクブ・フルシャ 指揮 NHK交響楽団


これまで都響でたくさん聴いてきたフルシャがN響初登場、ちょっと頭でっかちのプログラムビルディングに見えるが彼としてはこうなのだろう。聴後感としては、ツァラは準備体操だったのかとなんだか納得のものでしたね。

25分ほどのシンフォニエッタを休憩後の一撃とする。壮観な13人バンダから始まり、見事なバランスの音響空間。曲を凌駕するような勢いの演奏でしたね。
フルシャの振るヤナーチェクは、アレグロパッセージはより速く。かなり速い。そして静か。ここらあたりはオーケストラの腕前がだいぶ寄与している。フルシャがしたいことをこのオケは簡単に満たしてくれる。
ファンファーレ的な表現を排したヤナーチェクワールドで、なるほど枕詞の作品では無くて実に深くて味わいのある作品と再認識。Ⅱアンダンテ、Ⅲモデラート、これらコクがあって、ザラッとしていない。シルキーな流れで本当に心地よい。Ⅳアレグレットのスタッカートな筆の運び、そしてフィナーレ、フルオケで冒頭回帰、思い起こしのヴェールが剥がされていく。自力での思い出しは内なる感動を引き起こすものだ。

前半、ツァラのあとに置かれたベルリオーズ。長身細身、赤いロングドレス、バロックオペラからモーツァルトまで、等々のスペシャリスト、ジャンスさん。登場するだけでホッとどよめく。洗練された余裕の物腰、オペラでの舞台映えが目に浮かぶようだ。
クレオパトラの死はほぼ20分歌いっぱなしで、ストーリーに縁どられた情景を描写音楽風に変化させていく。彼女が作り出すドラマは緊張感のあるもので克明で濃い。流れがナチュラルで見通しが良くて筋書きがすんなりとはいってくる。ヤングベルリオーズをシンプルで絶妙な味付けで聴かせてくれました。最後は本当に雰囲気出ましたね。



この日は同定期の二日目。1階は満員、2階席も例の地獄席がちらほらという感じであとは満席。3階は見えなかったがおそらく、推して知るべし。盛況だった。
おわり




2691- 4つの最後の歌、森麻季、ブルックナー1番、高関健、2019.4.13

2019-04-13 23:25:45 | コンサート

2019年4月13日(土) 2pm コンサートホール、オペラシティ、初台

モーツァルト 魔笛 序曲  6

シュトラウス 4つの最後の歌  3-4-5-6
 ソプラノ、森麻季

Int

ブルックナー 交響曲第1番ハ短調   13-13-11-16
1868年リンツ稿
2016年ウィーン出版のトーマス・レーダー校訂による新全集版(日本初演奏)


高関健 指揮 東京シティフィルハーモニック管弦楽団


マジックフルート、明るくてシャープ、エンジンかかっていて持ち味がいきなり全開。気持ちの良い演奏ですね。

森さんの歌うシュトラウスは割と幅広な低音から、このオーケストラサウンドに似た高音まで、声色に変化を見せながらストレートな歌い口、一様な滑らかさとはまた違ったもので、このような表情の変化付けも相応に惹きつけるものはあった。
高関シティのオーケストラ意思表示が思いの外、明快。彫琢された伴奏付けであって、歌とはどの程度併せてリハを重ねたのだろうかとふとよぎるものがあった。つまり、聴き合いによるシナジー効果が見えず、それはもしかしてリハ時点で認識して精度向上が出来るものではなかったのかという話し。



ブルックナーの版はこっちが好き、あっちの稿が好み、といったたぐいの話にあまり興味がない。でも、それらの出来上がり経緯の読み物はしっかりと読むことにしている。出てくる音の差異から良し悪しや好みをすることは全くの主眼対象外。そのようなことはしなくてもよいものだろうとも思う。

トーマス・レーダー校訂の新全集版、1868年リンツ稿のブル1。聴くイメージとしては、初期リンツ稿のオリジナルなフレッシュ版。最初の最初の物件、が、なんで、今頃出てくるのかという不思議さがあるものの、実際どういった響きだったのだろうという興味は湧く。後のものに比べてどうだといった話はあるのだろうが、こっちは良い、あっちは良くない、そういったところにはまるで興味がない。

ABr1 duration
Ⅰ 1-2-2 3 1-1-2 1
Ⅱ 3-3-3-3-1
Ⅲ 4-3-4
Ⅳ 1-1-1 2 1-2-2 6

00番0番1番2番のあたりだと、1番と2番は比較的馴染みがある。
その馴染みな作品がかなりの巨大さで迫る。巨視的を横に置き微細に迷路を探索する高関のスタイルはどうであれ彼の真骨頂には違いない。鎮座するブル1。わけても後半の2楽章は止まっているかのようだ。止まって模索するブルックナーは指揮者が求めていたものかどうかはわからないが、期せずして静止しているような鳴り具合だ。迷路が解けない。
終楽章のソナタは努力して聴きつつも型が途中から行方不明になってしまった。こちらの混乱なわけだがそれでも惹きつけさせてくれる指揮というところがあり、わからないなりに竹藪をかき分けて聴く、に、まい進。
透明なアダージョ楽章、鎮座形の終楽章。前半2楽章と後半2楽章の造形バランスは良く取れていて構築物件としてのスケールの大きさをこの1番で垣間見ることが出来たのは大いなる喜びであった。オーケストラの切れ味がシュトラウスほどではなかったのは少し残念なところもあるが、高関の振るブル1説得力、構築するにはエネルギーが要ったと思う。
この作品、また色々と聴きたくなってきた。


客入りは半分以上あったと思うけれども、空席が目立つ。週末土曜の2時。他オケとバッティングの嵐で、聴くほうは身は一つ、優先度をつけて選択するしかない。秀逸な内容、というのは結果論になるけれども、プログラムビルディングやキャスティング等々でバッティング負けしてしまうのはいかにももったいない。平日公演というのも辛いところもあると思うし、厳しい競争ではある。
おわり






2690- メンデルスゾーン3番、ドヴォルザーク8番、レオポルド・ハーガー、新日フィル、2019.4.11

2019-04-11 23:09:03 | コンサート

2019年4月11日(木) 7pm サントリー

メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調op.56スコティッシュ 14+4+9+11

Int

ドヴォルザーク 交響曲第8番ト長調op.88、B.163  10+10+6+9


レオポルド・ハーガー 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


オーソドックスなプログラム2本。落ち着いた作品にはじっくりと耳を傾けるか。
まずはメンデルスゾーンから。

心地よい響きの序奏は、一音一音全部色合いが違う。いきなりびっくり仰天。どうすればあのようなバランスの響きを引き出すことができるのだろうか。ハーガーマジックなのだろう。ナチュラルでコントロールよく程よいブレンド感。なんて素晴らしいんだ。この序奏に耳を奪われてしまうと最後までグイグイと。
総じてバトンコントロールが良くて、演奏本来的な規律を思い出させながらもその上に絶妙な味付けがそこかしこに混ざり合う。規律から来る美しさというのを強く感じましたね。いい内容の演奏でした。

後半のドヴォルザークも同じ方針。オーケストラの柔らかいサウンドも相俟って最後まで美味しくいただけました。
両曲ともにウィンドのアンサンブルが美しい。それにクラリネットのソロの味付けが濃くて素晴らしい歌い口で盛り上がる。ラッパがいまひとつ溶けきれないところがありますが、それを補って余りあるウィンドの活躍。
メンデルスゾーンは切れ目なく4楽章続く。同じくドヴォルザークもこれまた切れず進む。ひとつの完成した形を魅せつけられるようでなかなか味な試み。
ハーガーは活力があり殊の外元気な指揮振りで健在さをアピール。
ありがとうございました。
おわり




2689- さまよえるオランダ人、ターフェル、ザイフェルト、メルベート、アフカム、N響、東京春祭り2019.4.5

2019-04-05 23:12:00 | オペラ

2019年4月5日(金) 7pm-10pm 東京文化会館

ワーグナー 作曲

さまよえるオランダ人 全3幕 コンサートスタイル、字幕付き、映像付き 11+41、58+28

キャスト( in order of voices’ appearance)
1.水夫たち
2-1.ダーラント、イェンス=エリック・オースボー(Bs)
2-2.舵手、コスミン・イフリム(T)
3.オランダ人、ブリン・ターフェル(BsBr)

4.娘たち
5-1.マリー、アウラ・ツワロフスカ(Ms)
5-2.ゼンタ、リカルダ・メルベート(S)
6.エリック、ペーター・ザイフェルト(T)

合唱、東京オペラシンガーズ
映像、中野一幸

ダーヴィト・アフカム 指揮 NHK交響楽団 GCMライナー・キュッヒル


(duration)
序曲 11
ActⅠ 41
Int
ActⅡ+ActⅢ 58+28


東京春祭り2019。序曲からそのまま第1幕。休憩を挟んで2幕3幕と続いていく仕様。
昨年までの作品からすると一回り小さくなった感は否めないものの、ビッグな3人衆のお見事なさま。計6人衆による歌いっぷりはオペラの醍醐味をまるごと満喫、何も考えずに楽しめばよい。のだろうけれども、個人技はいきなり冴えわたるものの、全体の流れが良くない、オーケストラもいまひとつ。指揮がまとめ切れていないし、ワーグナーの流れを作り出していない。いいものとそうでないものが入り混じって、チグハグ。
ダーラントはアイン・アンガーに代わってオースボーという方。映像は昨年までより精巧になったような気がするが、歌い手たちの中に入っていくことは無いので飽くまでもイメージによる補完。


アフカムの一振りで序曲から始まった。緩急をかなりつけていて濃い内容。緩での丁寧なオケ扱いは、これまで何度もこの作品を振っているのだろうなあと思わせる。ひとつずつ粒の様な音だ。一幕にそのまま入っていく。
代役オースボーのダーラントと舵手のイフリム。オースボーは線が細く、崩れず、安定感ありで、こう言っては何だが、思わぬところでいい歌を聴けた。線が細いというか、一つのピッチはひとつの音と思わせるところがあって、山の尾根的な際どさが緊張感を生んで継続していく。
オランダ人のターフェルが易々と絡んで軽く歌う。歌い口がいかにも慣れていてお見事の一言に尽きる。ただ、シーン全体に暗さや、ヒュー・ドロドロドロといった雰囲気が無くて妙に明るい。バックの映像は幽霊船相応な事はしているが奥での出来事であっていくら精巧な絵になろうとも目に見える主役は歌い手たちとオーケストラ。明るい。
そのオーケストラなんだが、歌の伴奏となるときのブラスセクションがかなり粗末。指揮の問題と思う。オランダ人の流れがオーケストラに出来ておらず、歌が束にならずソリストが点になってしまっている。大いなる楽しみも半分なり。

第1幕終って一服で30分の休憩。
第2幕の頭で娘たちの合唱、そしてマリーとゼンタという女性陣が歌い始めてようやく締まった。歌が良く締まっていてオーケストラも少しずつ上向きに。とは言っても最初からキュッヒルの音が飛んでくるのは変わらない。毎年折角のコンマス席なんだからオケの連中も、もっとつられてもいいと思うんだが、あれだと周りは仏像弦、動きのない弦、音も奥行き感無く、昨年までの彫りの深い演奏となっていない。
メルベートは高音までスッキリと伸びて美しい。鮮やかな歌唱。2013~2018年バイロイトでゼンタを歌っているとのこと、さすがですね。聴きごたえありました。
彼女は初台に頻繁に出ているので馴染みもあり、今回の歌も抜群の安定感。さらに一段、高みに昇ったような気がしました。
ちなみに、初台でのメルベートは自分が聴いたものだけでも、昨年2018年グールドと組んだフィデリオ、その前の年はジークフリートでのブリュンヒルデ、2015年にはゼンタ、それから2007年にはタンホイザーでエリーザベトを歌っていましたね。

エリックを歌ったザイフェルトはこのオペラの主みたいな歌いっぷりで、役どころオーバーという余裕の歌唱。メルベートとの絡みもお見事の一言に尽きる。


ターフェル、メルベート、ザイフェルト、この3人衆の歌であっという間に終わってしまったオランダ人でした。まあ、オペラとしては物足りない。歌ってる連中が大きすぎたのかな。
おわり

























2688- ラモー、優雅なインドの国々、ショパンPC2、レミ・ジュニエ、ペトルーシュカ、鈴木優人、読響、2019.4.4

2019-04-04 23:22:22 | コンサート

2019年4月4日(木) 7pm サントリー

ラモー 歌劇「優雅なインドの国々」組曲  10

ショパン ピアノ協奏曲第2番ヘ短調op.21  14-9+9
  ピアノ、レミ・ジュニエ

(encore)
ショパン マズルカ イ短調op.17-4   5

Int

ストラヴィンスキー ペトルーシュカ(1947年版)  35

鈴木優人 指揮 読売日本交響楽団


コンチェルトもバレエも聴きもの。演目、出演者、いいラインナップ。
最初のラモーでは、指揮の鈴木が木の台で高くしたチェンバロを立ったまま弾きながら指揮をする。見た目も派手でノリノリのショーアップ・パフォーマンス。いやいや、見た目だけでは無くて、選曲6ピース、快適でスッキリ、読響の正三角形音場がよく動く。フランス・バロック・オペラの香りが短いピースの中から気持ちよく漂ってきましたね。

次はレミ・ジュニエ。彼を初めて聴いたのは2016年のLFJ。
2113- レミ・ジュニエ、ピアノ・リサイタル、2016.5.5

その日は大変に印象深いリサイタルでした。今日はコンチェルト。
ラルゲットの中間楽章が息を呑むような美しさ。強弱とリズムが絶妙に絡み合う。自由度が高い自然な流れ、意識された作り込みではない美的センスたっぷりの美ニュアンスが満ち溢れる。ピアニシモに始まりピアニシモに向かうパッセージはどれもこれも美しいもの。このデリカシー。ショパンの溜息なのか。こっちがため息が出る。
アンコール含め素敵なプレイでした。

休憩入れて後半はストラヴィンスキー。
オケの特性もありかなり厚ぼったい。厚ぼったいんだが動き良く切れ味あるもの。
目をつむって聴くと、きっちりとクラシックな枠を感じさせるペトルーシュカ。厚ぼったいというよりもむしろ正しく圧力あるサウンド、そして、殊の外カラフルな鳴り。さらに素敵なソロプレイヤー達の美技。等々、そして、テンポを締めつつも変幻自在な指揮者の振りっぷりに舌鼓。じーっと見て聴いているうちに、もしかするとそのうち、ブーレーズの様に決然としたタクトを現代音楽に魅せてくれそうな気配を感じた。色々なものが漂い始めた。
4年ほど前に東響相手にトゥーランガリラを振ったことがあったが、あの時とはだいぶ精度が増した。メシアン、ストラヴィンスキー、ここらあたりの作品をたくさん振ってくれたらいいと思うのだが、なかなか機会は簡単にくるものでもないのだろうか。引き寄せる、どう、ハルサイで。と、膨らむ。


1曲目のラモーでは鈴木、チェンバロの立ち弾き振り。2曲目はジュニエのショパコン2のピアノ。最後はペトルーシュカで活躍するピアノ。3曲3種の鍵盤を楽しめました。
エネルギーもらった。いい演奏会。ありがとうございました。
おわり