河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

984- レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック 第2回名古屋国際音楽祭1979.6.26

2010-03-14 00:10:00 | インポート

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昔聴いた演奏会のことを書いてます。

1979年聴いたコンサートはこちら

前回ブログのムラヴィンスキーに続き同じ名古屋国際音楽祭より。

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1979626()7:00pm

名古屋市民会館大ホール

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2回名古屋国際音楽祭

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シューマン 交響曲第1

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ショスタコーヴィッチ 交響曲第5

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レナード・バーンスタイン指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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それでは例によって当時のメモから。

バーンスタインは心から音楽を愛しているのだろう。音が弾みうねりをもつ。しかし、最終印象は‘静止’であった。

シューマンの非常にゆっくりした序奏から始まり、音が飛び跳ね、戯れる姿、そしてショスタコーヴィチの実にスケールの大きなフィナーレまで、音の戯れの虜となった。

ニューヨーク・フィルハーモニックは思ったより洗練されておらず、むしろ‘武骨な音’といった方が相応しいくらいであった。ピアニシモも極端なものではなく、強音はあのシカゴ交響楽団と似ている。つまりホルン1本で大ホール全体が鳴るといった感じである。音色バランスよりは、個々のメロディーの絡み合いを楽しむ雰囲気である。

シューマンはまず非常にゆっくりした序奏に始まった。一音一音をかみしめる指揮である。そしてあとは流体のように進行する。緩徐楽章は独特である。しなやかな旋律の上にハーモニーがそっと覆いかぶさるような感じである。

そして懐かしいショスタコーヴィッチの5番。こういうのを機能美とでもいうのだろうか。旋律よりは定規で引いたような音が縦、横、斜めと直線的に響いてくる。自分としてはこういうのも好きだった。

1楽章など有無を言わせぬ機能美、直線美、構築美があった。そういえば建築物が少しずつ立っていくような雰囲気であった。

この強烈な第1楽章に比べて、なんという第3楽章であったことか。冷たい美しさがそこにはあった。氷の上に炎のしずくが落ちるとでも言おうか。

バーンスタインの音色感覚はどういうものだろうか。第3楽章のこのひたすら直線的で冷たい、そして広い広原を感じさせる音をどのように表現したかというと!

まず、冷たい主旋律が直線的に流動する。そうするとそれをささえるハーモニーはその旋律に安定感を与えるような静かな、いわゆるオーソドックスな手法はとらないのである。ハーモニーが上から柔らかく主旋律に降り注ぐのである。実にきれいであった。実に具体的であった。このような音を奏でるニューヨーク・フィルハーモニックは実に冷的である。

そして高校で演奏して以来熟知している第4楽章。へたな演奏だと本当にありきたりにしか響かないこの音楽をバーンスタインは何もすることなく実に雄大に響かせた。なつかしさのあまり手が一瞬動きそうになった。フィナーレはふさわしい。

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メータが振ったらどうなるかわからないが、先日のレニングラード・フィルとはバランスそして高貴さの点において劣ることはたしか。しかし、バーンスタインはムラヴィンスキーとは別の音楽を所有している。実に面白かった。この2大国の明白な相違感。

こんな感じの感想でした。

なんだか、昔の方が音楽をよく聴いてとらえていたような気がしないでもない。

おわり

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