河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1417- ヴォツェック、キーンリサイド、エッカ・ペッカ・サロネン、フィルハーモニア、ニューヨーク公

2012-11-23 20:33:49 | マンハッタン

Fk

フランシス、キーンリサイド

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エッカ・ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団
ニューヨーク公演
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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2012.11.18 マーラー 交響曲第9番
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2012.11.19 ベルク ヴォツェック(コンサート・スタイル)
 サイモン・キーンリサイド、ヴォツェック
 アンジェラ・デノケ、マリー
 ヒューバート・フランシス、鼓手長
 他
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来年、来日するサロネンのプログラムにはないものだと思いますので、この週末と月曜日にあったサロネンのニューヨーク公演よりちょっと書いておきます。
NYTのレビューはヴォツッェクのものです。
アウトラインだけメモしておきますので、全文訳はお任せします。
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この公演はニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地エイヴリー・フィッシャー・ホールでおこなわれたもの。オペラハウスはお隣ですので、このホールではコンサートスタイルの公演です。Opera in concertということになります。
まず、オペラは非常にドラマティックで直感的、音源としてカール・ベームとフィッシャー・ディースカウのものや、レヴァインの昨年のメト上演、等々紹介しております。
そしてサロネンの棒については、この指揮者兼作曲家が作曲したような素晴らしい内容と紹介しております。
演奏は約90分で幕間に相当する部分は短いブレークのみ。
歌は、キーンリサイドほめまくりで、彼がいたからほかのみんなも素晴らしかったという話になります。2008年2009年と場数を踏んでいるので問題なし。
デノケ、フランシスも概ね好評。
演奏中、退場した聴衆もいたけれど全体反応としてはものすごいオベーション。
オーケストラのフィルハーモニア管はマーラーの9番では今一つでほかのオケの方が上ということもあろう。でもこのヴォツッェクは素晴らしかった。
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ところでマーラーの9番の公演は、一か月におよぶリンカンセンターの第3回ホワイト・ライト・フェスティバルの最終公演との事。演奏会にタイトルがついているようで、
On Departing
日本でも副題付きの演奏会があるが、同じコンセプトなのだろうか。個人的にはわずらわしいだけなんだが、どうなんだろう。
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November 20, 2012
Haunted Soldier, Demeaned Anew
By ANTHONY TOMMASINI
The performance of Berg’s “Wozzeck” at Avery Fisher Hall on Monday night was called an opera in concert. But the impressive cast, headed by the baritone Simon Keenlyside in the title role, and the conductor Esa-Pekka Salonen, who drew an intense, harrowing and, finally, deeply poignant performance of this landmark work from the Philharmonia Orchestra, were not about to let the confines of the concert format inhibit them. This was as dramatically visceral an experience of Berg’s masterpiece, completed in 1922, as you will have in any opera house.
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That it took place the day after Mr. Salonen led the Philharmonia in an organic and pulsing account of Mahler’s Ninth Symphony at the hall suggests that things are going very well for this important London orchestra since Mr. Salonen became its principal conductor and artistic adviser in 2008. The Mahler program on Sunday afternoon, titled “On Departing,” was a fitting conclusion to Lincoln Center’s third White Light Festival, the monthlong series of programs exploring spiritual dimensions in music.
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In the period following the 1925 premiere of “Wozzeck” in Berlin, its champions tended to treat Berg’s pungently chromatic and lushly atonal music as an extension of the late-Romantic language of Wagner and Mahler, as in the conductor Karl Bohm’s classic 1965 recording, with Dietrich Fischer-Dieskau as Wozzeck.
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James Levine, one of the work’s finest interpreters, who last conducted “Wozzeck” at the Metropolitan Opera in 2011 (and is scheduled to lead it next season), also captures the Wagnerian resonances of the music while bringing lucid textures and disciplined execution to his performances, like the expert interpreter of contemporary music he is.
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Mr. Salonen’s approach emphasized the score’s modernism while still bringing out its remnants of late-Romantic yearning and gnashing Expressionist power. Mr. Salonen thinks of himself, rightly, as a composer who conducts. He led “Wozzeck” with such purpose, direction and precision that you might have thought he had composed it.
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This three-act opera of roughly 90 minutes (played here, as is common, with only brief breaks between acts) flowed with uncommon urgency, a miracle of compact dramatic storytelling and exploration of the unconscious. The inspired Philharmonia players were with Mr. Salonen all the way.
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Wozzeck, an impoverished soldier living in a garrison town with his common-law wife and illegitimate son, is becoming a signature role for Mr. Keenlyside, who was fresh from his triumph as Prospero in Thomas Ades’s opera “The Tempest” at the Met.
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One of the most charismatic actors in opera, Mr. Keenlyside was a haunted Wozzeck in a daringly modern production at the Paris National Opera in 2008. If Monday night’s performance had the feel of a lived-in staging, that was probably because Mr. Keenlyside, along with several members of this cast, had taken part in a semi-staged presentation, with costumes and videos, that Mr. Salonen conducted with the Philharmonia at the Royal Festival Hall in London in 2009.
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Mr. Keenlyside’s essentially lyric baritone voice may be a little light for the music. At times on Monday, during anguished outbursts, he sounded as if he were pushing his sound. But he brought intense expressivity to every line and captured the tormented character’s volatile mood swings.
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From the moment he appeared in the opening scene, when Wozzeck shaves the Captain for whom he performs menial tasks, Mr. Keenlyside embodied the character. Obviously, in this concert performance he did not actually shave the Captain (the tenor Peter Hoare). But he brushed off the Captain’s jacket and straightened his hair, sometimes tottering on his feet as he nervously used one leg to scratch an itch on the other.
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As the moralizing Captain, Mr. Hoare lectured Wozzeck for living in an unwed state with Marie, and delivered lines in a haughty, bright tenor. Mr. Keenlyside just took it, looking the essence of a beaten-down man.
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The soprano Angela Denoke, who sang Marie in that 2008 Paris production, gave a haunting, vulnerable portrayal. Her voice is sizable, focused and richly colored. Among other standouts in the excellent cast were the bright tenor Hubert Francis as the preening, self-assured Drum Major; the lyric tenor Joshua Ellicott as the decent Andres, Wozzeck’s only friend; and the husky-voiced bass Tijl Faveyts as the doctor who pays Wozzeck to be a guinea pig in quack medical experiments. The always strong Westminster Symphonic Choir took part in the short but crucial choral scenes.
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The ovation was tremendous. During earlier breaks between acts, a number of people in the audience left the hall. In a strange way, I am almost glad that “Wozzeck” still drives away some listeners. This great work should never become too palatable.
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The Philharmonia may not be all Mahler buffs’ idea of an ideal orchestra for their hero’s symphonies. Other ensembles might have brought more sheer richness and depth and glowing string sound to Mahler’s 80-minute Ninth Symphony.
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But, as with “Wozzeck,” Mr. Salonen conducted the score like an insightful composer. The pacing and shape, the way Mahler develops the musical materials ? all this came through with freshness and clarity. And in the sublime final Adagio, especially the hushed moments of the ending, when the music seems unwilling to trail off, the performance achieved Mahlerian transcendence.
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This score was an obvious candidate for a festival exploring spiritual realms in music. But “Wozzeck” could also have been included. Any work that penetrates the human condition with such wrenching honesty fits my definition of spiritual.
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1377- ツイン・スカイスクレイパー  (改・再)

2012-09-11 19:46:25 | マンハッタン

この日は、静かな悪友S君と渋谷道玄坂、中腹右まがる百軒店の奥の今は駐車場になっている郷土料理磐梯山のカウンターでいつものとおりお酒を飲みながらクラシック音楽界の今後について談義をしていた。
まだ週初であるしここであまり盛り上がってしまうと週末に向けて調子を落としてしまうし、なにしろ仕事がはかどらなくなる。それに9月といえば、そろそろ芸術の秋、例年通り9月後半から海外演奏団体の来日ラッシュとなるわけだし体力温存ということでいつになく早めの21時頃切り上げた。
帰宅しテレビのスイッチをいれたらテレ朝のニュースステーションにかぶるようなかたちで速報の衝撃的な映像が映っていた。最初はなんのことかわからず、ワートレということは姿かたちでわかったのだが、CGのはめ込みフィクション番組でもやっているのだろうと感じた。しかしだんだん事態が飲み込めてくると今晩のお酒は冷めてきて目も醒めてきた。
そして呆然として放心しているさなかもう一つもやられた。唖然呆然から少し落ち着いてきて、あの高い階の壁に出来た飛行機の穴をどうやって修復工事するのか見ものだ。と変に冷静にクールになってきた。
しかし、その考えは打ち消された。ワートレは幾何学的に垂直に、あまりにも見事というほか言いようがないような瓦解が始まったのだ。まるで瓦解の形まで計算しつくしたような設計、鳥かご設計があだとなり完膚なきまで6000度のプレスが全てをブラックホール的圧力の中に押し込めた。
ジップコード10048のワンワールドが先にやられ、ツーにもすぐに突っ込まれた。先に突っ込まれたワンワールドのほうが衝突階が90階よりも上のほうであり、ツーの80階前後よりも高かった為か、あとで崩壊した。ファーストイン・ラストクラッシュ。
このあとのことは、マンハッタンは心象的にも夕暮感、ひなびた感が力なく漂うような気が今でもする。

静かな悪友S
「あのお酒のあと大変なことになってたなぁ。」
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河童
「そうだね。いくら他国のこととはいえ、象徴的なものを失うというのは相手の意思があまりにも明確に感じられるし。それに崩壊の仕方が幾何学的すぎで作為的でさえある。」
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「お河童さんの事務所もあすこらあたりにあったのではないのかね。」
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河童
「そうだ。先に突っ込まれあとで崩壊した方の79階あたりだ。でも今は必衰のことわりどおり撤退していたから問題ない。というよりもそれ以前にカンパニー自体が盛者に食われ崩壊していたのだよ。時の流れ方が運命を変えたのかもしれない。」
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「そういうことか。でもそれなりの思い入れはあったわけだし、ショックではあっただろうね。」
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河童
「そうだね。ある部分、過去が消え去ったような感じかもしれない。マンハッタンのスカイラインはワートレが出来るときその景観に問題を呈した人もいたが、こうやって典型的なスカイスクレイパーがなくなってしまうと元に戻ったというよりも、落ち着きのないアンバランス感を感じる。最近はポスト・モダンの建築物に興味を抱くようになってしまった。みんなそれなりに心の平衡感覚をとりもどそうとしているのかもしれない。」
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「消し去れるもの、そうではないもの、いろいろとあるわけだね。」
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河童
「この写真は、その事務所から撮ったものらしい。ブルックリンブリッジもヘリにでも乗らない限りこの角度からは見れなくなってしまったわけだ。」

イーストリバーを泳ぐ河童がブルックリンブリッジにたどり着いたところ。

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北方向を望む。左がハドソンリバー。雲のじゅうたんに乗る河童。

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おまけ。河童ハウスの47階から南方向の蒸し蒸し感。

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1374- イチローの31は、デイヴ・ウィンフィールドだった。(写真付き)

2012-07-24 20:54:57 | マンハッタン

イチローがヤンキースへ!
背番号は31、これ、デイヴ・ウィンフィールドのものよ。
ものすごいダウン・スウィングだったウィンフィールドは、よく3塁内野席に飛ばしていました、バットを。
ホームランも恐ろしくて、レフト・ライナーかと思いきや、アナウンサーは興奮気に言ったもんです、スティル・ライジング、と。Still rising
練習中にシーガルをのしてしまったあとの試合はテレビで見ました。ゲネプロでラ・ボエーム第2幕出演のアニマルをのしてしまった後の本番さながら。大ブーイングでした。
バーニー・ウィリアムスはウィンフィールドのバッティング・フォームと少し似ているかも、神様の真似だから許せるか。
背番号31のウィンフィールドがヤンキースにいたころのメンバーを思い出すと。
ドン・マティングリー
リッキー・ヘンダーソン
ウィリー・ランドルフ
ルー・ピネラ
ドン・ベイラー
レジー・ジャクソン
アンドレ・ロブソン
ケン・グリフィー(息子は瓜二つのクラウチング・フォーム)
ニクロ兄弟
ロン・ギドリー
リゲッティ(名前失念、みてる前でノーヒットノーランやったことがある)
ビリー・マーチン監督
ヨギ・ベラ監督(開幕10何連敗かして前年首になったビリーすぐに再登場)
今思い浮かぶのはこんなところかな。
メッツにストロベリーとかグッデンが出てきた頃ですね。
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ナックル専門のフィル・ニクロは40過ぎてからヤンキースに移ってきて、よく覚えているのは記録のかかっている試合でピンチになりそうな局面があり、そこに監督ビリー・マーティンがしたこと。それは弟のニクロやとにかくベンチにいるピッチャー全員を投球練習に出したこと。あれはすごかったね。
ホームベースへの砂かけはビリーが発明したんだろうw
セカンドのランドルフは静かな闘志満々で好きだった。
犬の穴掘りのようにバッターボックスに立つたんびに両足をばたつかせてバッティングポジションを決めていた安打製造機マティングリーは、それこそ若いときのイチローみたいな感じで、とにかくヒット打ちまくり。サウンドはマティングリーではなくマティグリー。
ところで、ビリー・マーティンって指揮者の誰かに似てると思いませんか?
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31番ウィンフィールド
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Winfiled



安打製造機マッティングリー
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Mat



ネクストバッターズサークルでたたずむレジー・ジャクソン。長嶋のスタイルと同じ。
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Reggie


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1294- 初期のCDジャケカバー

2011-09-12 00:10:00 | マンハッタン

前回ブログの電気ショップJ&Rで買ったCDで思い出したこと。
マンハッタンのダウンタウンにあったJ&Rとか、リンカーセンターの近くのタワーレコードでCDを買うことが多かったのですが、CD黎明期は、アナログディスクと一緒に並べてあって、ショーケースの形が定まっていなかったような、売る方も戸惑いかありましたね。下の写真は初期のCDをくるんでいたカバーです。縦がCDサイズの倍以上(厳密には32センチ)ぐらいあって高さがちょうどLPと同じような売り物箱に置ける。それはそうなんだが、とにかくがさつで扱いにくかった。この紙カバーはさらにプラスティックの透明で硬いカバーで覆われており取り出す前のプラモみたいな感じ。はさみでプラスチック部分を切り取り紙カバーを露わにし、さらにその紙カバーの端をはがしてようやくこの紙サイズの三分の一ぐらいのCDケースがでてくる。随分と大事にされていたもので、初期のころの貴重品の趣がある。
結局何年もたたずにこのがさばるカバー付きのCDはなくなり今のようになった。思うにアメリカへの輸入CDはたぶん最初から今のようにシンプルな包装で、アメリカに渡ってからがさばる頑丈なカバーをしていたのではないかと思う。盗難防止とかそのような意味合いもあったと思う。だんだん流通量が増えて価格が安くなるにつれ貴重品扱いではなくなっていったのではないだろう。
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写真のカバーはブランチャードのいいショットだったので残して壁に貼り付けていたもの。今となってはこれしか残っていない。
ブランチャード最高でしたね。
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1293- around the wtc, then and then 9.11

2011-09-11 15:42:17 | マンハッタン

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1980s

1980s

ブロードウエイにあるトリニティー・チャーチの方からツイン・タワーのほうに歩いていくと、手前にアレキサンダーのデパートがあって、その地下は地下鉄コートランド駅。
2001.9.11になにもかもなくなってしまった。
タワーの南側に道路を隔てて日本料理の「田村」というお店があってそこはたまに寄ったりしていたことがある。あすこらあたりはどうなったんだろう。
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コートランド駅はコートランド・ストリートに作ったのでそういう名前なんだろうが、ツイン・タワーのあたりはその昔はRADIO ROWとよばれていて日本で言う秋葉原電気街のようなところだったと思います。
ラジオ街そのものは見たことがありませんけど、ちょっと離れたところに電気ショップのJ&Rがあって、これがラヂオ街周辺の名残だったのかどうかはよくわかりませんけれど、Radioshackなんかも近くにあったような記憶があります。
電話機はRadioshackで買ったし、オープンリールデッキTEAC X2000Rとかニコンの210ミリオートフォーカスと本体のN2020はJ&Rで買った。1983年頃出だてのCDなるものもここでお昼休みに結構お世話になった。一番最初に買ったCDはこのJ&Rで買ったもので日本から輸入されたDENONレベールのスイトナーのベルリン・シュターツカペレのエロイカ。価格は15ドル99セント。といいながら8.25%のタックスがついて、今ならそれでも1400円もしない。ただ当時の例えばプラザ合意の前なら1ドル240円換算で4000円以上の価格です。内外通貨に関係ない人にとっては4000円とかは関係ありませんけど。
このダウンタウンのJ&Rは、バッテリーパークからブロードウエイを上っていって、ウォールストリートとか無視してまっすぐ歩いていくと途中、前方右手にシティホールが見えてくるのでその手前を斜め右にの方に折れた右側にあった。(と記憶する。)
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どっちにしても、マンハッタンの残像は個人的には白黒の方がイメージがわくし、なんだかイエローキャブが道路を迷走しほこりが立つような埃っぽい感じがしっくりする。だから、then and now ではなく then and then の思い出だらけということですね。
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1885 CORTLAND STREET

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1179- 昔のスタットラーからの眺め

2011-02-02 00:12:59 | マンハッタン

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1983年の1月の写真です。
MSGのとこのペンステ(ペンシルベニアステーション)のスタットラー・ホテルの一室から撮った写真です。
遠く、懐かしのパンナムが見えます。クライスラーもよくみえてますね。
それから近くに目を移すと雪が積もってます。この年は雪が多かったんです。
缶ビールを窓を開けて縁ギリギリに置いておくと、10分ぐらいでいい冷え具合で飲めました。


当時のスタットラーの1階のバーは雑然としてて、天井にぶら下げた逆さまグラスなんて今にも落っこちてきそうな感じ。
カウンターよりもソファーのテーブル席の、雑、とした雰囲気がよかったと思います。
でも、当時このホテルの丁目より数えて24丁目ぐらいアッパーに住んでいたのですけれど、なんでこのホテルにいってたのかな。
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1175- ウィンフィールド と ジャクソン in ヤンキースタジアム

2011-01-29 00:17:00 | マンハッタン

昔、デイブ・ウィンフィールドとレジー・ジャクソンが同じヤンキースでプレイしていた時の写真です。

デイブ・ウィンフィールド

Winfiled

レジー・ジャクソン

Reggie

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1174- 昔のブロードウエイ&ウォールストリート

2011-01-28 00:10:00 | マンハッタン

1984年ブロードウエイのトラディッショナル・パレード。左がバッテリーパーク方面。右がアッパーへ。

1984年にロスのオリンピックがありました。それを記念してマンハッタンでパレードが行われました。仕事中に仕事場からとったもの。

正面左サイドのビルのもう一個左がトリニティーチャーチなのですが映ってませんでしたね。

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それで、1900年頃のトリニティーチャーチの写真です。

右方面がバッテリーパークへ。左方面がアッパーへ。

ですので正面奥への小路がウォールストリートです。

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それで、これも古いですが、ニューヨーク証券取引所の写真ですね。

右の通りがウォールストリートですので、そのずっと奥に見えるのがトリニティーチャーチです。

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1151- carnegie hall

2010-12-30 21:27:00 | マンハッタン

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1143- プラザ合意前後当時のクリスマスw/t ニューヨーク・フィルハーモニック

2010-12-22 00:52:04 | マンハッタン

クリスマスがかなり近くなりましたので、12月1日に更新したブログを再掲します。

ずいぶんと昔の話なのですが、忘れないように書きとめておきます。

長い文章になっちまいました。

プラザ合意前後当時のクリスマスw/tニューヨーク・フィルハーモニック

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1128- プラザ合意前後当時のクリスマスw/t ニューヨーク・フィルハーモニック

2010-12-01 16:49:56 | マンハッタン


12月になりました。
名付けて「師走のクリスマス」
和洋折衷なんでも食べてしまう日本人にふさわしいと思いますがどうでしょうか。
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また昔話です。忘れないうちに書いておくというか、時がたてば全く忘れてしまうようなことと結構ずっと頭の中に残っていることと両方ありますね。脳内コンディションにより思い出したり出せなかったりすることはありますけれど。
お河童さんは、音楽シーズン風に言うと1982-1983シーズンから1986-1987シーズンまで、政経金融風に言うとプラザ合意前後数年、マンハッタンの57丁目に棲息しておりました。仕事は音楽業界や政経業界とは全く関係ありません。普通に毎日仕事をして、なにもなければ9時から5時までのお仕事。髭の伸びが割と早く、仕事仲間によく、ファイヴ・オクロック・シャドウだねお河童さん、って言われてました。9時5時といっても実際のエンジンのかかり具合は9時半4時半で正味6時間。のんびりしていた時代ですが、でも、アメリカと日本の生産性のひらきは大きい。仕事の仕方や細かさの違い、表に出ない成果が多すぎる日本、成果と呼べるのかどうかも怪しい、誤り率の考え方の違いもあるし、それを受け止める方の習慣も違う。日本の至れり尽くせり文化とはまるでかけ離れた価値観、文化の違い。それは例えば日本の旅館をご覧ください。至れり尽くせり、何か少しでも問題があると不機嫌になる客。家庭、家の延長としての旅館、これは旅に向かうときの新幹線等の乗り物においても顕著で、すぐ自宅モードになる。レストランの食事もしかり。自分がかかわっているところが家になってしまう文化、仕事先も家になるし家も仕事場となる文化、生産性とはなんぞやと思ってしまいます。一方当時のアメリカ、少なくともウォールストリート界隈の空気しか知りませんけれど、他人とのかかわりの前に自己が確立している文化、明確な線引き、かなり違いますし、仕事の上での生産性は日本のみ異質といった感が強い。
話が最初から大幅にずれまくりですね。
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それで何年かすごしたマンハッタンのクリスマスですけれど、個人的には宗教行事には全く興味ありませんでした。でもいろんなものが目に飛び込んできます。
ちょっと忘れてしまいましたが、たしか、10月末のハロウィンだったか、11月第4木曜日のサンクス・ギヴィング・デイだったか、うるおぼえですけれどこの行事が終わると街が一気にクリスマスモードになります。日に日に街の中がデコだらけになっていきます。住んでいた57丁目だと5番街がクロスしているティファニーのあたりのデコな盛り上がりがすごい。ロックフェラーあたりも大がかり。
仕事場でも、プレゼント交換儀式段取りとかクリスマスカード漁りが盛り上がってくるんですね。こちらはあまり興味がないのですが、仕事場は日本人は少しいるとはいえローマはローマ、マンハッタンはマンハッタン。
プレゼントの交換儀式というのは日本でも同じようなことをしているのかどうか知りませんが、クリスマスの2週間ぐらい前に、同じフロアの連中でクジをする。あたりとかはずれとか書いてるわけではなくて、仕事仲間の名前が書いてあって、その引いた名前の人にクリスマス当日にプレゼントを持ってくるというわけです。もちろんそれまでは口外厳禁。誰が誰に何をプレゼントするのかわからない。当日朝、特設テーブルにプレゼントをポッポッと置いておき仕事を始める。全員分そろっているか受付秘書さんがチェックするわけですよ。それで夕方、みんなそれぞれテーブルからプレゼントを受け取っていくわけなんですが、タネ明かしがないので、結局、誰が誰にプレゼントしたのかわからない。そのまま日が進んでいってクリスマス・デイの祭日へ突入。オチも何にもありませんが毎年そんな感じでしたよ。いまだに誰がくれたのかわからないものもありますね。
プレゼント相場はだいたい10~30ドル。プラザ合意の前は1ドル230円ぐらいだったと思いますが、ドルベースでやりとする分には問題がありませんね。
プレゼント選びは、仕事がダウンタウンでしたのでブロードウエイをすこし上りウールワースの1階の百貨店とか、途中のワートレ(今はもうないワールドトレードセンタービル)のコートランド駅出口1階のアレキサンダーとかで済ませていたような記憶があります。
自分がもらったものは、当時からクラキチ、クラヲタで名を馳せてましたので、カセットテープとかLP(アナログディスク)、移行期で高かったCDなど、また、ファイヴ・オクロック・シャドウのせいか髭剃りセットの年もありましたね。
クリスマスカードに関しては結構問題ありというか、日本の年賀状みたいに相手の住所を問いただしてそこに送ると言ったことは個人主義の国、全くありませんでした。直接手渡しとか会社の壁に貼るといった程度ですね。
現地の日本人は年賀状がわりに当時からハッピー・クリスマスとハッピー・ニュー・イヤーを混ぜこぜにして海外郵便で日本の親戚、友人、会社の連中に出してました。郵便局は、あのビル、なんて言ってましたっけ、今は忘れてしまいましたが、トリニティーチャーチとバッテリーパークのちょうど間ぐらいにあった年代物のビルの1階がでかい郵便局になっていてそこはまめに行きました。結局、クリスマスカードというよりシーズン・グリーティング・カードとしての性格が強い。
このグリーティング・カード、結構高いんですね、シーズン物ですので。
それで庶民の知恵としては、クリスマス・デイが過ぎると急激に安くなり投げ売り状態になるところを見計らってタイミング良く買い占め、翌年用に利用する。これ、よくやりました。去年とおととしのカードが同じ模様だったということもありましたね。
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クリスマス・デイは祭日ですので仕事はお休みです。今年2010年はその12月25日が土曜日になってますので、前日24日の金曜日に振替えられると思います。日曜にぶつかっていたら月曜が休みのはずです。
ちょっとそれますが、今度の元日2011年1月1日は土曜日です。この場合も前日の金曜日に振り替えるんですかね。前日だと12月31日になるので、来年ではなく今年になっちまいますけど。みなさんお得意のあれでググッて調べてみてくださいな。まぁ、機械的と言っちまえばそれまでですけど。
アメリカの祝祭日は合衆国共通がデフォで決まっていて、それに各州ごとに、例えばニューヨーク州だとルーサー・キングの日などを休日として付け加える。毎年年末になると、フロアで一番偉い人が来年の祝祭日はこうだ、という感じでノーティス、ペーパーを配ってました。仕事柄カレンダー日付は大事なので年初までにしっかりと帳面しておいたものです。
それと、リープ・イヤーの問題点があったような気がするのですが今は思い出せません。
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それから忘れてはいけないのが郵便局員への心付け。お河童さんの住処は57丁目のコンドミニアムの一部屋。ワンルームサイズでした。いわゆるStudio、スタジオではありませんよ、ステューディオと発音してください。ステューディオで月払い家賃が$X、XXXでした。毎年値上がりしてまして所有者はいい商売だったんでしょうね。新築でした。セキュリティがしっかりしておりポストマンの顔は知りませんしどうやって心付けを渡したかと言うと、1階にある集合郵便受けのなかに紙にくるんで置いておくと郵便を配達しに来た際に受け取っていく。ただそれだけなんですが、やっかいなことが一つあって、ポストマンは一人ではないということ。それで1週間分だったか、隔日だったか、何度か心付けを置かないといけない。割と高額になってしまった記憶があります。
あとはドアマンとか裏で荷物運搬とか掃除をしてくれる人、1階裏口58丁目側にはクリーニングの手配コーナーもありましたので、そこにも。結構痛みました。日本のお年玉ほどではないと思いますが、普段お世話になっている人たちへの感謝の気持ちを表すということで。
ただドアマンには普段から結構握らせていたのでクリスマス・シーズンだからどうのこうのということはあまり気にせずでした。ドアマンというのは監視カメラみたいなもんで、頭も口も目も耳もついているので、カメラ以上にたちが悪いというか、日常の口止めがものをいいます。やっぱり何事も普段の心がけ次第ということでしょう。ここらへんの話はクリスマスとは関係ありませんので別の機会にゆずることにします。
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こんな感じで独り者の自由さ加減とこのような時期の一抹のさみしさ加減は、表裏一体なもので、全てがいいことだらけだったというはずもありません。心の隙間を忘れる為に遊ぶか、噛みしめて真っ当な人生とするか、どっちにしろ隙間が埋まったことはありませんね。タンホイザーなみの贖罪の気持ちが今となっては必要だというところでしょうか。
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ということでタンホイザーがらみでようやく音楽の話にこぎつけました。
お河童さんはニューヨーク・フィルハーモニックのサブスクライバーとして5シーズン聴きまくりました。中学校以来の夢がかなったということになります。昔はヨーロッパ、特にドイツで聴きまくり人生を送りたいと思ってましたが、とりあえずニューヨークでもいいかなという感じだったんですが、結局、こっちのほうが大正解でした。
仕事でその土地に住んでいて聴きまくりですから、旅ではないので旅の金がかからない。給料もらって生活して日常的に聴きまくりなわけです。演奏会ツアー客との違いは大きいですよ。
それで、メトロポリタン・オペラやカーネギーホールのサブスクリプションもメンバーで張っていましたが、今回のお話はニューヨーク・フィルハーモニックの年末にしぼって。
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このブログに1983-1984シーズンの聴きまくりを整理整頓してアップしております。よければまずその拙文をご覧くださいませ。他のシーズンについては折をみてアップしていきます。多すぎて簡単には書ききれませんけれど、全てノートに万年筆でメモ書きをとっているのでなるべく早めに全部電子化したいところではあります。(30冊)
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それでクリスマス。
1983-1984シーズンのニューヨーク・フィルハーモニックのクリスマス休暇は次の通り。
1983年12月21日(水)~28日(水)
ただ、これはコンサートがなかった日を示しているので、実際のところは27とか28に出勤して練習を開始していたのだと思います。完全プロフェッショナル集団ですので29日の朝っぱらからの練習、夜には定期、ということも考えられなくもありませんけど、そこらへんわかりません。クリスマス休暇はほぼ1週間前後といったところでしょう。
当時は、拠点のエイヴリー・フィッシャー・ホールでのサブスクリプション・コンサートは同一プログラムが4回。
木曜日8:00pm
金曜日2:00pm
土曜日8:00pm
火曜日7:30pm
お河童さんはこのうち火曜日をフルで持っていて、あとはイレギュラーなケースがあるのでつぶしで木曜日を少しもってました。月水土はメトの方です。
1983-1984シーズンはうまく曜日がはまっています。
12月29日(木)定期あり
12月30日(金)定期あり
12月31日(土)定期あり
1月1日(日)元日
1月2日(月)元日振替
1月3日(火)定期あり
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日本みたいに年初の三日間お休みといった風習はありませんので通常なら1月1日だけ祝日で休暇、あとは普通の生活パターンに思いっきり、なっていきます。
ぜひとも、1983-1984シーズン聴きまくりリンクをご覧くださいませ。
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Nyp201012
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今シーズン2010-2011はどうでしょうか。
コンサートの無い期間は
2010年12月19日(日)~27日(月)
休みはやはり1週間前後です。
翌28日(火)~31日(金)4日間連続公演。
年が明け、2011年1月(土)・2日(日)・3日(月)の3日間は休んで、あとは通常のパターンになっていくのでしょう。
ニューヨーク・フィルハーモニックの公演回数はめちゃくちゃ多いのはこのような日常のカレンダーを見ればわかります。本拠地のエイヴリー・フィッシャー・ホールで週4回、それ以外にニュージャージー、ボストン、フィラデルフィア、など近場への公演もあるので大変。さらに遠方ツアー公演もこなしていきます。日本やヨーロッパへのツアーなど多少長めの日程で組まれたりしても、本拠地での公演数をみたら、この公演スケジュールに穴をあけるのがいかに難しくて大変なことかと言ったあたりよくわかると思います。
ただ、音楽監督などというといかにも年がら年中くっついているような感じがありますけど、最近はどこのオケでも、名ばかり音楽監督、だらけですよね。お河童さんの時代は不調と言われたズービン・メータの時代でしたけれど、彼は、名ばかりでは決してない音楽監督、であって多く振っております。それだけ人気もあったということです。メジャー録音にあんまり熱心ではなくて、ベートーヴェンやブラームスもありますが、再発が絶えて久しい。マイナーへの録音は結構いいものがあります。バーンスタイン時代のすさまじい公演数については他の機会に。
そんなこともあって、通常のサブスクリプションに戻っていくのはいいのですが、誰それの解釈、などといったことはなくなりつつある。ただうまいオーケストラだけが残った、という形になりつつある。このような時代にオケを短期間でドライブさせる指揮者などごく少数になってきており、才能ひらめき型の欠乏は日本だけでなくどこでも同じ。
そんな感じで今シーズンも過ぎていくのでしょう。
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エンターテインメントは一般人がお休みの日か平日の夜のお楽しみ、その日時に逆の立場で仕事をするわけですから、あまり不規則ではないとはいえそもそもが大変なお仕事なんですね。ですのでクリスマス休暇はとても大事なものでしょう。ニューヨーク・フィルハーモニックがこの週公演を行わなくても、ほかのエンタメが山のようにあるエンタメ天国ですから街としてはピクリともしませんけど、クラヲタとしては公演して欲しい気持ちもありました。この時期、日本だと第九だらけですね。ニューヨークで第九を聴いた記憶はありません。山積みノートを調べれば聴いた記録が出てくるかもしれませんが飽くまでも通常の公演の延長でしかありません。
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ところで、我らお河童族の仕事は、カレンダー通りですよ。真面目に仕事をしておりました。
おわり
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1098- Trick or Treat in Mnhttn nite (改・再掲)

2010-10-27 00:10:00 | マンハッタン

2006.10.31Trick or treatの再掲です(改変有り)
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河童
「日本人にはハロウィンなんて関係ないんじゃないか。」
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静かな悪友S
「いやいや、日本人は西欧のありとあらゆるイヴェントを組み込まないと気が済まないのさ。彼らが右を向けば、右に行列をなすわけさ。その先になにがあるかわからんが、とりあえず並んでみようと。」
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河童
「なんでかね。そうゆう特質なのか。河童界では理解できんな。」
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S「最近は商売便乗みたいなところもあるみたいだ。小金あまり、時間あまり、平和ボケ、無いのは、何だろう。パンプキンの中身みたいなもんだ。」
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河童
「人間界だとこの前夜祭、外国かぶれした人間どもが余計な仮装をして暴れまくり地下鉄も時間によってはうようよしているな。ウィークデイの何でもない日でもおめでたいことだ。今年は日曜日にぶちあたっているが後先見ずに遊びまくりだろう、きっと。」
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S「そうだな。おめでたい。ところでアメリカあたりでもそんな騒ぎが大きかったのかね。」
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河童
「どうかな。アメリカ人のすることはたまにわからないこともあるし。」
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S「河童さんが棲息していた摩天楼ではガキどもも入ってこれなかったんだろう。」
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河童
「それがそうでもないんだ。ドアマンがいて、セキュリティも厳重で普段なら絶対に誰も侵入できないはずなのにだ、ドンドンとドアをたたく音がする。」
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S「それで。」
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河童
「誰だ。不埒な闖入者は。といっても反応がない。誰だ誰だ。こんな21階まで上がってくる奴は。名を名乗れ。」
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S「マンハッタンでは何がおきても不思議はない。」
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河童
「ドアの覗き穴から恐る恐る廊下をみても誰も視界にはいらない。それなのにドンドンたたく音だけはやまない。」
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S「なるほど。ガキども視界にはいらないはずだな。」
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河童
「3~4人でドアの外でわめいている。なんかくれないとワルするぞ。ってね。はは、これは外で騒いでいる連中のガキどもが、ドアマンに言って催促にきてるんだな。というのはわかった。」
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S「でもあげるお菓子なんか部屋にないだろ。」
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河童
「そうだ。毎晩飲みふけって皿にもアルコールが充満しているし、いま皿、何もない。」
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S「でも何かあげないとあの子たち帰らない。」
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河童
「最後の手段さ。おかね。お小遣い気味のおかねを渡すと割とおとなしく退散するんだな。利口な子たちだよ。」
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S「毎年そんなことしてたのか。」
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河童
「いや、運悪くニューヨーク・フィルの定期のない月曜とか水曜にあたると居留守を使うわけにもいかないが、それ以外は毎晩エイヴリーフィッシャーホールかメトロポリタンオペラハウスかはたまたカーネギーホールだな。だからもぬけのからというわけさ。でも後で考えると、外からの侵入というのはやはり考えにくい。同じビルの他の住人の子供たちの悪ふざけということだったのかもしれない。」
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S「なるほどね。それはそうとお河童さんの21階のお部屋の番号はSuite何番だったんだい。」
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河童「#21BBだね。」
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S「そうか。それで、Bad Boy だったのかね。Best Boy だったのかね。」
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1033- アート・ブレイキーのコースター

2010-06-29 00:10:00 | マンハッタン

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先週、二次会のあと、ちょっと寄ったお店に置いてあったコースター。
これって、昨年2009年のイベント、ブルーノート創立70周年記念がらみのもんだと思うんですが、お店によってはいまだに置いてあるんですね。
ニッカとEMIが作りすぎてしまったんですかね。
裏に着うたダウンロード用のシリアル番号が書いてあるので、贋物増産とも思えず。

アートブレイキーを生聴きしたのは、亡くなる数年前、ヴィレッジのスウィート・ベイジル。前座は山下洋輔だった。
この模様については、このクラシックブログの中でいつか書くことがあると思う。
ジャズ・メッセンジャーズで気持ち良く吹いていた若い若いテレンス・ブランチャード、今でもファンです。

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857- 今週の華金はおとなしくアルバムの整理?

2009-06-26 00:13:43 | マンハッタン

今週はわけあって華金の活動をひかえないといけないので、久しぶりに昔の写真から。

日付は特定しませんが、だいたい四半世紀前の日々です。

全部マンハッタンです。

57丁目にクロスしているブロードウエイ。

写真奥黒い高いビルの手前のピンクのビルのもう一つ手前の低い黒めのビルがカーネギーホールです。

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②もっと近づくとこうなります。工事中です。

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③さらに近づくと

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④ニューヨーク・フィルハーモニック恒例の夏のファイアー・ワークの野外コンサートにあらわれた名物市長コッチ。

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⑤⑥⑦⑧メッツがワールド・シリーズで優勝した時の、ブロードウエイのトラディショナル・パレード。ストロベリーの姿も見える。

仕事をさぼって仕事場のビルから見物。

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⑨最後は、同じく四半世紀前のトリニティー・チャーチ。

ブロードウエイ、ダウンタウン。右がアップタウンへ向かう。

正面入り口の向かいはウォール・ストリート。写真からは見えない。仕事場のビル前から撮る。

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当時の聴いたコンサート観たオペラは、まだ1シーズンしかいれてませんが、興味のある方はこちらから。

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0010- 独立宣言230年 自由の女神120年

2006-07-04 00:02:00 | マンハッタン

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ブロードウエイはパインストリートを越え、右にトリニティーチャーチを仰ぎ見ながら、ウォールストリートをやり過ごし、レクターストリートをスキップすると、まもなくバッテリーパークに着く。そこから見るやや遠目の、スタチュー・オブ・リバティーは今日もしっかり立っている。

昔、地下鉄コートランド駅、アレキサンダー・デパートの上に天まで届くビルがあった頃、その天から睥睨したながめは絶景であった。右にハドソンリヴァー、その先にニュージャージー、左にイーストリヴァーを見ながら、そして正面やや左にスタッテン・アイランド、やや右に、スタチュー・オブ・リバティーを展望することが出来た。ジャンプするとどこまでも飛んでいけるような気がした。そのビルも今は無い。

アメリカが独立宣言をしたのが1776年。独立百年記念で自由の女神をフランスから寄贈されたのが1886年。百年記念と言いながら、110年たっていた。だから自由の女神寄贈100年祭は1986年。このお祭のとき、レーガン大統領はたしか空母だか戦艦だかを降りなかったはずだ。当時リビアのカダフィがマンハッタンの地下鉄に爆弾を仕掛ける、などといった噂が河童界に流れていたのだ。100年祭で世界中からたくさんの船が来てお祝いをし、自国の、島のような空母、戦艦なども山のように寄港した。しかし、レーガンは確か上陸しなかった。いずれにしろ独立記念日と自由の女神寄贈とは百年単位+10年という割と中途半端な数値である。

ニューヨーク・フィルの最初の公演は1842年アポロ劇場においておこなわれた。思えば長い歳月が経ったものだ。ざっと164シーズン。数々の指揮者がオーケストラとともにあった。未来の音は聴くことが出来ない。しかし音を出すことによってしか未来は創造出来ない。未来を創造するのは夢・希望に膨らむ若手プレーヤーをおいて他にない。河童に出来ることは残念ながら昔の音を思い出すということだけだ。

指揮者と歌い手、変な話、亡くなると両方ともあっという間に忘れ去られてしまう。場合が多い。例えばヴァントの盛り上がり。あれは一体なんだったのか。その意味では聴衆は冷たい。今、ここで、音楽を発する演奏家が大事なのである。この冷たい現実はしかししっかり受けとめなければならない。音楽をする喜びとともに聴かせることが出来る喜び、両方感じて欲しい。

作曲家は未来の音を予言する。聴衆にとっては予期せぬものだから張り切って聴けばいいものを、その根性がなくなってきている。駄作が増えたのではなく、予期せぬ音楽の広がり緊張感についていけなくなってしまったのだ。最近の河童は半世紀前のいわゆる当時の現代音楽も何故か懐かしい。誰か音楽の行き先を教えて欲しいものだ。熟した音楽はどこへ向かっているのであろうか。

(河童の記憶だけで書いてます)

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