河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2321- ニールセンfl協、真鍋、ブラ2、インキネン、日フィル、2017.4.22

2017-04-22 23:03:04 | コンサート

2017年4月22日(土) 6:00pm みなとみらいホール

ブラームス 悲劇的序曲  14′

ニールセン フルート協奏曲FS.119  12′9′
  フルート、真鍋恵子
Int

ブラームス 交響曲第2番ニ長調  20′10′5+9′

(encore)
ブラームス ハンガリアンダンス第4番  4′

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

ニールセンのフルート協奏曲はオケが鋭く咆哮を繰り返す。そんな中、独奏楽器の音がきっちりと聴こえてくる。巧みにオーケストレーションされているんだろうなぁと感心。
真鍋さんは骨太の音で、オーケストラに溶け込んでいく。同色系の響きで作品を堪能しました。バスーン、クラリネット、ヴィオラのお三方にもオヴェイション。楽しめました。

ブラ2はこの前の3番4番より雑味成分多め。ゆったりテンポは変わらず。完成度はまだまだ。ブラームス・シンフォニー・サイクル敢行中で来月5月に1番を演奏予定。楽しみではあるがもう2サイクルほどやらないと例えば収録、商用化といったレヴェルにはならないかとも思う。
配置は下てからチューバ、トロンボーン、トランペット、ホルンというあまり見ない並び。チューバの前にベース。ヴァイオリンは対向。ホルントップは代打東フィルさんのお方かしら。プリンシパルは少なくともきっちり正社員の方が毎回出てほしいものですね。普段の日フィルさんとは随分違う音色でしたね。
おわり


2320- ハイドン、セヴン・ラスト・ワーズ、ホーネック、紀尾井ホール室内管、2017.4.22

2017-04-22 22:03:30 | コンサート

2017年4月22日(土) 2:00pm 紀尾井ホール

ストラヴィンスキー バーゼル協奏曲  6+4+3′

バッハ 2本ヴァイオリン協奏曲ニ短調BWV1043  4-7-4′
 ヴァイオリン1s、ライナー・ホーネック
 ヴァイオリン2s、千々岩英一

(encore)
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー父の作による
バッハ 2本ヴァイオリン協奏曲第3楽章のためのカデンツァ 3′
ヴァイオリン1s、ライナー・ホーネック
 ヴァイオリン2s、千々岩英一

Int

ハイドン 十字架上のイエス・キリストの最後の七つの言葉HobⅩⅩ/1A
                   6-7-7-7-6-7-7-6-2′

ライナー・ホーネック 指揮 紀尾井ホール室内管弦楽団

硬いアンサンブル。
緊密なアンサンブルとは言い難い。撫でるような感じで、ギュッと引き締まって圧縮された演奏ではない。そういったものとはかなりの距離がある。どこかしこのオケで見かけるプレイヤーたちの集合体なのか。個々のスキルレヴェルは相応なれど、これといった特徴のない演奏は指揮者だけのせいとは思えないものがある。ホール付きのレジデントオケということのようですが、にわか作りの音で集合体としての響きに乏しい。例えば、オルフェウスのようなアンサンブルとは別世界のもの。

ハイドンの作品は直近ではロト&読響で聴きました。
今日も期待してうかがったのですが、なんとものっぺりとした演奏で、ちょっと残念。
指揮もオケもただやってるだけ、とまでは言わずとも、指揮は明らかに物足りないしオケはアンサンブルの繋がりの意識がどの程度あるのか。救いはベースのお一方の熱い弾きのみ。

バーゼルコンチェルトはさらにアレだった。
バッハの2本のソロは手際よく鳴ってました。
おわり


2319- ベトコン1、ラナ、ブラ4、ルイージ、N響、2017.4.21

2017-04-21 23:29:40 | コンサート

2017年4月21日(金) 7:00pm NHKホール

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番ハ長調 15′12+9′
 ピアノ、ベアトリーチェ・ラナ
(encore)
バッハ パルティータ第1番変ロ長調BWV825より ジーク 2′

Int

ブラームス 交響曲第4番ホ短調  14′12′6+11′

ファビオ・ルイージ 指揮 NHK交響楽団


ラナさんのベトコン、とっても素晴らしくて堪能しました。
ピアニッシモからメゾフォルテの間を粒たちよくきれいに鳴る。両端楽章などこのコンチェルトにふさわしい歯切れの良さ。中間楽章は一転、グッとテンポを落とし、滴る極みのプレイ。静謐の間を音が縫うよう、間の香りがなんとも言えず美しい。スピード緩めても深刻にならず清らかに響く。息をのむ美しさ。出色の演奏でした。スバラシイ。

見ていると掌より横に指をあまり広げないで立てるような弾き。タッチが軽くてカツ安定している。この微妙なバランス。惚れ惚れする指さばきでした。

美しい2楽章に寄り添う伴奏オケがこれまたいい。プログラム冊子の紹介によると1993年生まれの彼女、ルイージと旧知とあるから、よっぽど若いときから一緒しているんでしょう、ルイージの絶妙なサポート。N響は才能ある指揮者には積極的に反応するので、指揮者がつがい目のような具合で最高の演奏となりました。

例によってステージを前に出し、そこにピアノが乗りますので割と前のほうにやすやすと響いてくる。そういうこともあって、いい味わいの演奏、存分に楽しめました。

ブラームスでは、ピアノはしまうのですが、それで出来る空きエリアまでオケが前に出てこない。コンチェルトと同じ位置。これはいけません。そもそもよくないホールですから、こまめにいろんな調整をしないといけないのです。

演奏はルイージの一見オーソドックス、このオケ得意そうな作品で、能力を引き出す。うまいもんです。
両端楽章のベースのアクセントが印象的。それに他インストゥルメントとのバランスに特徴が出ます。指揮者が色々と出し入れしている。第1楽章のベースとホルンの重なり合い、両楽器距離があるが非常によく合っていた。こういったあたりも指揮者のものですね。
あと、チェロの膨らみ、しなるような演奏で弦楽合奏の極み。

テンポはゆっくり目で終始急かすことの無い棒で、あわてず、ブラームスの響きのあやを浴びるように楽しめました。
例によって汚いフライングブラボーが、いつものように決まって上のほうからありました。太古の昔からあるので絶滅種となるのはクラシックが無くなるときなのかもしれない。
おわり




2318- オテロ、カリニャーニ、東フィル、2017.4.19

2017-04-19 23:33:27 | オペラ

2017年4月19日(水) 2:00-5:05pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ヴェルディ 作曲
マリオ・マルトーネ リヴァイヴァル・プロダクション
オテロ

キャスト(in order of appearance)
1.モンターノ、伊藤貴之(Bs)
1.カッシオ、与儀巧(T)
2.イアーゴ、ウラディーミル・ストヤノフ(Br)
2.ロデリーゴ、村上敏明(T)
3.オテロ、カルロ・ヴェントレ(T)
4.デズデーモナ、セレーナ・ファルノッキア(S)
5.エミーリア、清水華澄(Ms)
6.伝令、タン・ジュンボ(Bs)
7.ロドヴィーコ、妻屋秀和(Bs)

新国立劇場合唱団
世田谷ジュニア合唱団
パオロ・カリニャーニ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
ActⅠ 30′
Pause 3′
ActⅡ 34′
Int
ActⅢ 38′
Pause 2′
ActⅣ 32′


長々ともたもたと気ままな準備吹き弾きが続く中、定刻10分過ぎにようやくチューニング、そして指揮者の登場。
段取りがよくない開始でしたけれども、長々準備が良かったのかどうかラッパはじめとんでもない爆発サウンドでスタート。びっくり仰天の咆哮。嵐。
負けじとヴェントレの力強いエナメルのような声、ヴェルディのヒロイックなキャラクターにふさわしい。木っ端みじんにぶっ飛びました。最初から圧倒的。

気持ちを落ち着けてデズデーモナの出まで待ってようやく一服。結局のところ、ヴェントレ、ストヤノフ、ファルノッキア、この3人舞台、わかっていることとはいえ迫力ある舞台でした。

その舞台は征服したキプロスをヴェネチア風にしたのであろうか水の都のセッティング。大掛かりに水を張っているので、場面転換は無いだろうなぁとちょっと先が見えてしまうところもある。中央にセットした寝室がまわるだけ。むしろ、ライトによる反射や光と影のコントラストなどが美しい。

カリニャーニの大音量攻めが続く。疲れを知らぬヴェントレ、黒光りする英雄テノールが気持ちよい。デズデーモナのファルノッキアにも伝染したのかリリックというよりはハードな勢い、イアーゴのストヤノフだけが冷静に悪だくみを遂行している。キャラクターのきまり具合もいい。ヴェントレ対ストヤノフの世界が繰り広げられる。イアーゴの存在感がとても大きいウエイトを占める舞台ですね。
カリニャーニは大音量だけで攻めているわけではなくて、ストーリー展開に合わせた筆の運びが素晴らしい。大胆なフレージング、息をのむようなピアニシモ。大音量の部分ではかなり音が汚れるがその上をいく、手足の長いこの指揮者独特のグイグイひっぱり棒、これはこれで物語に切羽詰まった緊迫感を常時与えている。作品とプロダクションに合った指揮振りと思います。息をつかせぬスリルとサスペンス。お見事。

1幕最終シーンのオテロ、デズデーモナの二重唱、2幕それぞれの妻を絡めた歌のあとのオテロ、イアーゴの二重唱。3幕で重唱が次々と輪を広げ合唱と混ざり合う迫力。終幕の殊の外長い柳の歌シーンからの一連の展開。どれもこれも聴きごたえ満点。オペラの醍醐味に浸る。

デズデーモナはオテロの手にかかり仰向けに倒れる。右腕はヴェネチアの水に浸かる。オテロは自刃し水の中を這うようにデズデーモナのもとに。ヴェネチアの悲劇。

余りにリアルで明快なキャラクター3人衆。舞台の引き締まり具合。連続する緊張感。ドラマチックな舞台はエンタメ向きと多少言えなくもない。インパクトのある劇、存分に楽しめました。
おわり






2317- アゲイン!、アダムズ、シェヘラザード.2、ジョセフォウィッツ、アラン・ギルバート、都響、2017.4.18

2017-04-18 22:54:57 | コンサート

2017年4月18日(火) 7:00pm コンサートホール、オペラシティ

ラヴェル マ・メール・ロワ  27′

Int

ジョン・アダムズ シェヘラザード.2 (日本初演)  15′14′10+9′
 ヴァイオリン、リーラ・ジョセフォウィッツ

アラン・ギルバート 指揮 東京都交響楽団


前日に続き本日も。

プログラム冊子を読んでいるとこんな文が出てきます。
「もしも、私の音楽の中に過去の作品の痕跡が感じられるとしたら、それは私自身が自分を一度も前衛と感じたことがないからでしょう。過去から学び、吸収したあらゆる要素を、作曲に注ぎ込むのが私の創作姿勢です。過去は振り返らないという態度から、強烈な創作欲を得たことはありません。(中略)しかしながら、音楽に現れてくるのは“マーラー”そのものではなく、“マーラー”を個人的に体験した“ジョン・アダムズ”なのです」

みんなが聴いているように聴いている、ということかなと思いますね。
音の流れとしてはミニマル三羽烏のうち、聴いている感触としてはグラスとアトモスフィアが似ている感がある。今回の作品は馬力のあるものでしたけれども、グラスともどもこれまで大作を多く書いてきたあとの、今の力の抜け具合が本当にいい。これまでの積み重ねを自由に駆使している。ショスタコーヴィッチで言ったら15番の世界観に似てなくもない。

第2楽章頭の騒ぎのあとの静けさは、終楽章の飛翔と同じモード、締まった弦が素晴らしい。また3楽章を頂点とするブラスセクションのごく短い咆哮の快感、全くもってよくあっている。
昨日にもまして素晴らしくさえわたる都響現音サウンド、締まった低音からキンキン一歩手前の鋭利な弦、ブラスまでホールに響き渡る。柔らかさは必要ないと言わんばかり。ソロヴァイオリンとの掛け合い、リーラさんの腕がさえわたる。
ギルバートの棒がスクリューの様に胸のあたりのレベルで動き回る。あの動きからこのような素晴らしいサウンドが醸しだされる。アダムズのひらめきの音楽、今日も堪能しました。

マイクがぶらさがり収録されていたようなので、ぜひとも商用化してほしい。するなら、前プロのラヴェルも一緒に。マ・メール・ロワが本当に美しい音楽、演奏。これも入れないとね。

ラヴェルはピアニシモからメゾフォルテあたりを隈なく動く。この美ニュアンス。鮮やかにちりばめられた見事な色彩。呼吸も素晴らしく生きている。ベースとチェロが6本ずつ、バランスはほぼ並行進行。サウンドが忍び寄るこの肌ざわり。ホルンは本来のほぼウィンド状態でマーベラスな混じり具合。いい響き。全てが言葉に出来ない美しさ。
前日の上野での硬質なオケ響きが、今日のこのホールでは硬さも少しほぐされ、むしろ解像度が上がったような気がする。収録するならこっちのホールですね。

素晴らしい両作品、充実した最高の演奏。満足です。
二日間にわたりありがとうございました。
おわり



 


2316- アダムズ、シェヘラザード.2、ジョセフォウィッツ、アラン・ギルバート、都響、2017.4.17

2017-04-17 22:42:03 | コンサート

2017年4月17日(月) 7:00pm 東京文化会館

ラヴェル マ・メール・ロワ  27′

Int

ジョン・アダムズ シェヘラザード.2 (日本初演)  15′14′10+9′
 ヴァイオリン、リーラ・ジョセフォウィッツ

アラン・ギルバート 指揮 東京都交響楽団


2014年作、ほやほやの作品、本邦初演。
劇的交響曲と銘打っているが、ヴァイオリンと管弦楽のための、とあるように、観れば実際のところ、ほぼヴァイオリンコンチェルト。リーラの譜面無しエネルギッシュな演奏とアクション、一人舞台の感がある。

.2というのは、Rコルサコフの続編という意味だと思うが、中身はまるっきり違う。もちろん下敷きストーリーは同位相のものだろうけれども、そこに今の時代の出来事を重ね合わせている。

副題付き
第1楽章 若く聡明な女性の物語‐狂信者たちに追われて
第2楽章 はるかなる欲望(愛の場面)
第3楽章 シェヘラザードと髭を蓄えた男たち
第4楽章 脱出、飛翔、聖域

終楽章へはアタッカでするりと滑り込む。

冒頭から、短い音符がリズミックに、強弱の記号問わず、上下あちこちと飛び回る。特に弱音系での飛び回りは独特の力感がありますね。それと、アンサンブルのユニゾン進行が結構ありそうな気配で、深淵を覗き込むような勢いある進行が素晴らしくさえわたるアダムズ。

このての作品には抜群の表現を魅せる都響、跳ぶ音符を正確に合わせていかなければならない、もってこいのオケです。目をつむって聴いても汚れは、無い。ヨーロッパツアーとかに持っていく作品はこういうものにすべきだったのだろう。(仮定法過去完了形)

第1楽章の飛び跳ねる音符の迫力。なぜか、リゴレットのジルダ誘拐のシーン、音を抑えた中に落ち着かないざわめきの音楽、あれが浮かんできた。気持ちを不安定にさせる技法効果がさえます。ヴァイオリンソロは別世界の出来事のように響く。伴奏越えのオケパートとソロヴァイオリン、これはこれでガチンコかもしれない。
この楽章が一番長い。ヴァイオリンコンチェルトをイメージ出来ますね。

次の2楽章は前楽章の緩徐部分の雰囲気を引き継いでいる。それが全部に広がりをみせていく。音色旋律風味な進行をゆっくりと聴ける。だいたい副題のイメージ通りの音楽進行。

第3楽章は、作品副題のドラマチック・シンフォニーの命名を思い出し。スケルツォ風の激しい音楽となる。
リーラは軽快に小ジャンプを繰り返し、時に口を大きく開け、まるで何かを訴えかけているように、叫ぶように、激しいプレイ。猛アクション弾き。小柄な中に今日のパンツは正解とうならせる。激しい演奏。譜面台があったら、飛んでいただろう。この作品のスペシャル・オーソリティにふさわしい内容でした。興奮。

進行する激しい音符。そして、
ギルティー、と。

苦し気にヴァイオリンが鳴り、そのままアタッカで終楽章へ。
このフィナーレ楽章の副題は、三つ並べてあって、進行はまさしくその通りのイメージと順番。三つ目の聖域と思われるあたり、弦楽合奏が骨太に大きく力強く、都響渾身の猛弾き。聴き応えありましたね。
先細り感を感じさせながら、音楽は天に昇る。

存命現音作曲家作品に殊の外優れた解釈と棒を魅せてくれるギルバート。踊り振りしない(できない)指揮姿はやっぱり本物と痛切に感じる。ニューヨーク・フィルはこの種の作曲家作品を少なからず取り上げてきている。一方、エンタメの街マンハッタンでもあって、毎週4回のリピート演奏、まぁ、色々とあるのだろう。(都響のプレミアム音楽監督になって、)

ということで、アダムズの本邦初演新作品、思う存分に楽しめました。
ありがとうございました。(もう1回ある)
おわり


特設サイト


参考 世界初演

2015年3月26、27、28日 エイヴリー・フィッシャー・ホール

リャードフ 魔法にかけられた湖
ストラヴィンスキー ペトルーシュカ(1911)
  ピアノ、エリック・ヒューブナー
Int
アダムズ シェヘラザード.2 (世界初演)
  ヴァイオリン、リーラ・ジョセフォウィッツ

アラン・ギルバート 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

 

 


2314- アイネム、カプリッチョ、メンコン、マーラー1番、ルイージ、N響、2017.4.16

2017-04-16 22:44:18 | コンサート

2017年4月16日(日) 3:00pm NHKホール

アイネム、カプリッチョOp.2  9′

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調  12+8+6′
  ヴァイオリン、ニコライ・ズナイダー
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 アンダンテ 3′

Int

マーラー 交響曲第1番ニ長調 巨人 16′9′11+21′

ファビオ・ルイージ 指揮 NHK交響楽団


ルイージのマーラーはメリハリがあるというか、曲想でテンポを割と変える。変え方が主題毎に一気に変えてくるので表情の移り変わりがよくわかる。また、同じ主題で息の長いマーラーお得意の盛り上げパッセージでは斜め30度ぐらいの角度で徐々にアップテンポさせたりもする。いずれにしてもストレートな変化。
全体的に劇場型、観ていてもオケ咆哮箇所での動きは激しい。身体全体が激しく動く。
N響の音は固い。ハードな音でないとこのバカでかいホールではすみずみまで届かない。幅広な豊かなサウンドを望むのは無いものねだり。ルイージの限りを尽くした棒、激しい動きに心が痛む。

NHKホールは、ホール自体が決定的なマイナス要因になっているし、ここはよかったとかこのホールにしてはあれがよかったとか、ステージを前に出して工夫しているとか、そういった話を毎度出さなければならないこと自体疲れた。もうそろそろ専用ホール作る頃合いです。

前半のプログラム、メンコン、もう、いい。要らない。ヴァイオリニストには悪いが。
マジに別の曲をアタッチして欲しい。

1曲目のアイネムのカプリッチョ。なにやら、土の中のうさぎが表に顔を出してきてリスと一緒に突然遊び始めたような音楽。この作曲家の他の作品を普段から聴けていればこのような思いは抱かないと思う。ヨーロッパのトラディッショナルな流れの中にありながら、少し杭が出てしまったような違和感がある。表面的な効果という話です。
おわり




2313- 忘れられた捧げもの、聖セバスティアン、青ひげ、カンブルラン、読響、2017.4.15

2017-04-15 23:46:53 | コンサート

2017年4月15日(土) 6:00pm 東京芸術劇場

メシアン 忘れられた捧げもの  12′

ドビュッシー 聖セバスティアンの殉教、交響的断章 (ファンファーレ付き)
       F2′4′7′5′6′

Int

バルトーク 青ひげ公のお城 (コンサートスタイル) P15′5-4-3-4-7-13-6′F3′
  青ひげ、バリント・ザボ(Bs)
  ユディット、イリス・フェルミリオン(Ms)

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


これまで何度か観聴きした全体像が頭の中をうっすらとよぎる中、
ドア、扉ですが、どのように並んでいるのかしら。
扉を開けると光とシチュエーションが現れ、その光の先に次の扉がある。先々に扉が次々とひとつずつ現れる。演奏会形式だとこのイメージが浮かぶ。セミステージ方式でもだいたいひとつの扉シーンを順に出すので同じようなもの。
かたや、お城の大きな部屋の壁側に7つの扉が並んでいる。それを順番に開けていく。劇場のオペラなら出来る。それで、開けた扉を開放にしておけば順番に光が混ざる。開けた扉を閉めてから次の扉を開けば光は混ざらない。

それから、扉5広大な領土、扉6涙の湖、これらは前者だと実現できそうもない。後者だと舞台で実現出来そう。

この日の青ひげはコンサートスタイルで、これまでの自分感覚で言うと前者のイメージなものなのですが、聴き進むうちに何故か後者のような感覚がフツフツと浮かび上がってきました。それも過ぎた扉は開放状態、だからバラージュさんが言っている指定光は混ざっていく、この感触。重なっていくのではなく混ざる。スクリャービンのような音と光の関係といったものとはちょっと違う、ちょっとは思い浮かびましたけれどもちょっと違う。まぁ、バルトークに色彩を感じた。

扉ひとつ毎の音楽内容がカンブルランの鮮やかな棒でずっと保持されている。先の扉のモチーフを今の扉音楽で含みをうまく強調、聴こえるようにするバランス配慮、さき出し感覚。現音オーソリティの指揮者では割と感じる感覚。音は流れて過ぎ去るだけなのに、こういったことで時系列の中につながりをしっかりと感じさせてくれる。扉は並んでいるが並列的に単独でポツポツとあるのではなくて全部関係している。扉のある広間はひとつ。そういったことを強く感じさせる演奏内容。

プロローグは結構長くてウエイト高い。ここで深淵を覗き込みたくなる。怖いもの見たさにさせてくれるカンブルラン棒。最初はやや慎重、そして適度にこなれていく。緊張感のあるオーケストラの響きとバランスの良さ。
青ひげの歌は点、ユディトは線。青ひげオーソリティの譜面不要のザボの声は自席からはよく聴こえる。黒光りするバスで深さよりも芯の強さを感じさせる。包み込むバスではなく鋭角なヒール系風味。高身長でスレンダーなメッゾ、フェルミリオンの美声がすーっと通る。このお二方、劇のキャラクターを感じさせる。いい配役。前半プロにあったハープが3台から2台へ、ホルンは6から4へ、色々と減ってはいるが、声の場でもあまり抑えないバルトークのオケ節。

開けたら扉4までは短くすっと来る。音楽はスローさが不思議と漂う。なぜかしら。
次の広大な領地で音楽は全開。このホールのオルガンレベルに配したバンダが光り輝くプレイで領地の広さを大いに感じさせてくれる。効果抜群のシーンでしたね。読響がいつになくベースが一段上に持ち上げられたようなサウンド構成となる。三角錐ではなくドラム缶のような横幅同じ幅となった響き。音の饗宴に浸る。凝固気味のバルトークもここはやにっこくも全開。テンポ堅持のカンブルラン棒は杭の様にしっかりとしていますね。

最後の2扉は場面転換と言いますかインタールードと言いますか、そういった音楽の流れに比較的ウエイトを置いている。余韻が続いているともいえるが、扉5までの血の事が再帰するのでこうなるが、まとめは無い。殊更ドラマチックな盛り上がりでもない。このシーン、再帰の関連付けは先に書いたようにカンブルランはお見事。

扉7最終、4人目の真夜中のユディットはやっぱりお化けだったのかもしれない。
ごく短い深淵の中、音楽はそろりと終わる。

カンブルランのブレの無い棒、緻密な音楽運びと周到な響きのバランス、動きのないオペラ作品のストーリーをうまく語ってくれた秀逸な演奏であった。スバラシイ。

前半1曲目、若い作品で中間部の騒ぎなど違和感ありまくりなんだが、若さゆえ。
カンブルランのまとめ上げはたいしたものでスタイルとしては彼方の閃光と同じ意思で立ち向かっている。魅惑的な曲に仕立て上げてくれた。やっぱり、音色バランスがお見事。

2曲目のドビュッシー。ファンファーレ付き。総じてウィンドの活躍がめざましい。ウィンドのアンサンブルハーモニーをじっくりと聴かせてくれる。いい音楽。
大昔、初めて聴いたのがモントゥー、ロンドン響のLP。白っぽいイエロージャケと記憶。動きのある演奏だったような記憶。
カンブルランの演奏はそれとは随分と違うが、時代の要請のようには聴こえない。彼の場合、断片を聴いてしまうとどうしても全部聴きたくなる。作品の魅力を引き出してくれます。作品が大きく見えました。

濃い3曲、思う存分楽しめました。
ありがとうございました。
おわり




2312- ブラームス3番4番、インキネン、日フィル、2017.4.15

2017-04-15 22:27:58 | コンサート

2017年4月15日(土) 2:00pm オーチャードホール

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調  14′8′7′9′

Int

ブラームス 交響曲第4番ホ短調  13′11′6′10′

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


サントリー定期、改装中のサントリーに代わりオーチャードホールで。
柔らかいオケサウンドがこのホールでさらに柔らかくなる。

聴いたことも無いような柔らかくてソフト(同じ)な第1音。トロリとしたアタック、豊穣な響き。インキネンのスローな歩みは、今年1月のブルックナーの8番を思い出させる。
ユルリとしていてテンポをいじらない。潤いの弦、浮き出るチェロ、奥からのウィンドハーモニー、ブラスはいつものセッティングを裏返しにしたような配置。16型対向。
しも手サイドに陣取ったベースの音は自席では完全に右から聴こえてくる。第1ヴァイオリンの隣に配置されたチェロ、それにこのベース音にサンドウィッチされるようにヴィオラと第2ヴァイオリン。結果、チェロとベースの音の出が対向の様に聴こえてくるので、右左のヴァイオリンセクションともども、二つの対向配置を聴いているような具合、弦の音のあやが素敵。目をつむると色々と不揃いとか聴こえてくるがその上をいく豊かな音楽表現とサウンドが魅力的という話です。

先般のブルックナー、そして今日のブラームス、インキネンいよいよ本腰の芸風が出始めたのかもしれない。プログラム冊子に彼の弁として、首席席者就任にあたりドイツ・ロマン派の音楽を提案したとある。基本であり、オーケストラの向上に必要です。とのこと。これ以上明確な言葉は無い。

ブラームスのシンフォニーに関してはサイクル化して取り上げられていますので、この後、1番2番と聴くことが出来る。楽しみです。
おわり


2311- ブラームスの室内楽、川本、竹澤、マルディロシアン、2017.4.14

2017-04-14 22:59:28 | リサイタル

2017年4月14日(金) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

オール・ブラームス・プログラム

ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 (ヴィオラ版) 9′7′5′
  ヴィオラ、川本嘉子
  ピアノ、ヴァハン・マルディロシアン

ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調  8′5′3+5′
  ヴァイオリン、竹澤恭子
  ピアノ、ヴァハン・マルディロシアン

Int

主題と変奏ニ短調  12′
  ピアノ、ヴァハン・マルディロシアン

ホルン三重奏変ホ長調 (ヴィオラ版) 8′7′7′6′
  ヴィオラ、川本嘉子
  ヴァイオリン、竹澤恭子
  ピアノ、ヴァハン・マルディロシアン

(encore)
グノー アベ・マリア  5′
  ヴィオラ、川本嘉子
  ヴァイオリン、竹澤恭子
  ピアノ、ヴァハン・マルディロシアン


こうやってブラームスを並べて聴くとあらためてベートーヴェンはメロディーメーカーだったと再認識するわけだが、ピアノと弦の2本だけしかない旋律でさえハーモニーがよく流れるブラームス。ベートーヴェンのようにささくれだったところがない。よく秋口に聴くといった話が多くあるのも、心に秋模様が漂う時、ブラームスモードの音楽はよりふさわしいのかもしれない。その実感。

2番はヴァイオリンパートをヴィオラで弾く。演奏者自身による編曲とあるから川本さんが自ら編曲したのだろう。
川本さんの音は美しい。やや骨太でクリア、強靭なヴィオラサウンド。楽曲を明確に響かせようという意思が感じられる。潤いのウェット感の味わいはこの意思のあとからついてくるもののように聴こえる。3番の竹澤さんの鋭角に研ぎ澄まされて上に突き刺さるようなヴァイオリンとはまた違った魅力がありますね。

その3番、竹澤ヴァイオリンは呼吸が素晴らしい。歌うといった言葉で形容する弾きではないと思う。自ら感動の中に入っていない、プレイ中のプレイヤーあたりまえの振る舞いだと思いますし、自然な理性、知性の弾きを感じさせてくれます。色合いは川本ヴィオラとは異なりますけれども、お二方ともにそのようなところを感じさせてくれる。双方、一段高みにあるソロですね。いい演奏、スバラシイ。ブラームス満喫。

休憩を挟んで、4曲全部弾くピアノのお方。日本語の妙を感ぜずにはいられないお名前のかた。あまり控え目にコントロールすることもなく伴奏をつけていました。主題と変奏ではソロ弾き。女性二人にはかなわない。

最後のホルン三重奏、ここはホルンでやってほしいところだが、そのパートはヴィオラで。作曲者自身がヴィオラ代替を認めているということなので。
ヴィオラ版を聴くと、オタマがいかにも点のように聴こえてくるところが多くある。短いフレーズ、やっぱり、ホルンはホルンでお願い。
女性二人の演奏は知性理性に熱がこもり始め、対峙しているわけでもないのに火が飛び散る圧巻の熱演。ブラームスの炎、見ました。
思う存分、ブラームスを楽しみました。
ありがとうございました。
おわり





2310- シューベルト、ミサ曲第6番、シルマー、都響、2017.4.9

2017-04-09 23:16:26 | コンサート

2017年4月9日(日) 3:00pm 東京文化会館

シューベルト 水上の精霊の歌D714 9′
  男声合唱、東京オペラシンガーズ

シューベルト(ウェーベルン編) 6つのドイツ舞曲D820 11′

Int

シューベルト ミサ曲第6番変ホ長調D950 7′12′15′4′5′8′
  ソプラノ、オレナ・トカール
  メッゾ、ウォリス・ジュンタ
  テノール、パトリック・フォーゲル
  バリトン、ペーター・シェーネ
  合唱、東京オペラシンガーズ

ウルフ・シルマー 指揮 東京都交響楽団

前半5階、そこから下を覗くと結構な数のエンプティーシート、移動して後半1階センターで。

この前のカミタソ、唯一ある合唱、さっぱりでした。今日の男声合唱も今ひとつで、なんだかしゃべるような地声が飛んでくるようなところがある。男声合唱の前に陣取った女性合唱が素晴らしく整ったものでこれは気持ちよく聴けた。
シルマーは快走、部分にこだわらず全体のバランスに腐心。
みなさん、もうひとつ突っ込みが要ります。
おわり


2309- ナッシュヴィル・シンフォニー、コンサートマスター岩崎潤、1人コンマス「和」奏でます。

2017-04-09 00:01:05 | 音楽夜話

2013年の記事で少し古くなりましたが再掲します。
ここにあるようにアメリカのオーケストラはコンマスは一人です。
ニューヨーク・フィルなんかも1シーズン250回前後コンサートあると思いますが、一人で貫き通していましたね。ディクテロウ時代ひたすら観ましたけれども、アシスタントがコンマス席に座ったのは記憶では数年に一度。
一人のほうが指揮者からコンマスへ、コンマスからオケメンバーへ、いろんなやりとりが一定していて、指揮者指示などをうまく効率よく伝えられるような気がします。ユニオンがありますから、効率重視はとても大事な話ですね彼らにとっては。
日本でわかったのは、コンマスが指揮者の次にスター性をおびているという事。ひとつのオケに複数のコンマスがいたり、国内の色々なオケに客演コンマスとして出演したりと多忙だということ。コンマスが変わるたんびにオケメンへの意思疎通がそれぞれ変化して、すんなりうまくいくものなのかどうも心配になります。それに加え、プリンシパルも複数置いてるオケありますね。出演したりしなかったり、出ないときは他でプレイしていたり、と。これもアメリカでは、日常風景ではありませんね。どっちがどうだという話ではありませんけれども。
最近は人の入れ替わり、違和感を持ちつつも観るの慣れました。

それで、ナッシュヴィル・シンフォニー 岩崎さんのお話です。


1人コンマス「和」奏でます
米オケ所属、演奏取りまとめや相談相手…大忙し 岩崎潤
2013/1/25

アメリカ合衆国テネシー州の州都ナッシュビルというとカントリー・ミュージックの本拠地。だが、人口60万のこの都市の人々は、あらゆる音楽を愛する。ジャズはもちろん、ロックも盛んで、クラシック音楽の愛好家も少なくない。内部がニューイヤーコンサートなどで有名なウィーン楽友協会大ホールに似た立派なホールもある。私は1年ほど前からここでオーケストラのコンサートマスターを務めている。
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日本・欧州では複数人
アメリカのオーケストラというと、ニューヨーク・フィルハーモニック、ボストン交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、シカゴ交響楽団、クリーブラ ンド管弦楽団がいわゆるビッグファイブ(5大オーケストラ)といわれてきた。ナッシュビル交響楽団は1946年に設立、指揮者にもよるが評論家の言からす ると全米ベスト10前後にいると思う。

 ヨーロッパや日本でコンサートマスターというと複数いるのが普通で、客員という制度を取り入れているところもある。だが、アメリカではどの楽団も大抵コンマスは1人、ナッシュビル交響楽団も私1人。あとはアシスタントがいるが、クラシック音楽の演奏会は基本的に私が責任を負っている。オケは年間 44週にわたってコンサートを行い、私はのべ100回は出演している。オペラも年1回は上演するので、結構忙しい。
♯ ♪ ♯
 楽員80人のグチにも耳
コンサートマスターはオーケストラの演奏をとりまとめる役目を担う職である。指揮者の楽曲解釈を楽員に伝えるための打ち合わせや、ボウイング(弓使い)を決めるほか、管弦楽曲にあるバイオリンソロも受け持たなければならない。しかし、コンマスで本当に大変なのは、楽員の様々な相談に応じることだ。

 ナッシュビルの楽員は80人以上おり、スタッフも80人はいる。楽団の人間関係を良好に保つため、私がカウンセラーの役割を担っている。指揮者には話せないような、個人的な悩み、いわゆるグチも聞き、なだめなければならない時もある。

 アメリカのオーケストラは一般の企業と同じくユニオン(組合)の力が強く、簡単に解雇や配置換えはできないといわれる。しかし、私の場合はオー ディションで合格、日本でいわれる特別契約のため、組合に属していない。音楽監督が「ジュンはふさわしくない」といえば、コンマスの座を降ろされる。幸 い、今の音楽監督である指揮者、ジャンカルロ・ゲレーロとはうまくいっている。

 私は82年の生まれ。チェリストの父とピアニストの母を持ち、アメリカで5歳でバイオリンを始めた。クリーブランド音楽院に入学、クリーブランド管弦楽団のコンマス、ウィリアム・プルーソー先生に師事したことで、コンマスのおもしろさを知り、この道を歩むようになった。
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日本人らしい心配り
音楽院には毎年定員1人というコンサートマスターアカデミーがあり、そこでディプロマを取得すると共に、在学中にオハイオ州のカントン交響楽団で コンマスを務めた。音楽院を修了するとともにオレゴン交響楽団でコンマス、4年間そこにいて、ナッシュビルに移った。コンマスはいわば天職だと思っている。アメリカでの生活がほとんどだが、国籍は日本である。

ナッシュビル交響楽団は町全体と同じく、いわば人種のるつぼ。指揮者ゲレーロはコスタリカ人だ。そういう雰囲気のなかで親から学んだ日本人らしい心配りもコンマスを務めるうえで大事な要素だと感じる。

アメリカのオーケストラにとって、あこがれのホールはやはりニューヨークのカーネギーホール。毎年春の音楽祭で全米から5つのオケが招待されるが、2011年はオレゴン交響楽団、その後、ナッシュビル交響楽団のコンマスとしてステージに立った。

忙しいとはいえ、ソロや室内楽の演奏活動もしている。クリーブランド管弦楽団の音楽監督フランツ・ウェルザー=メストにも目をかけてもらい、同管弦楽団の客員メンバーとして演奏旅行で弾く機会もある。今年の夏は「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」に初めて参加する予定だ。(いわさき・じゅん=ナッシュビル交響楽団コンサートマスター)

以上 2013年の記事でした。オリジナルは以下です。

 


2308- 太鼓連打、巨人、カンブルラン、読響、2017.4.8

2017-04-08 22:37:21 | コンサート

2017年4月8日(土) 2:00pm 東京芸術劇場

ハイドン 交響曲第103番変ホ長調 太鼓連打  8′10′5′6′
Int
マーラー 交響曲第1番ニ長調 巨人  17′8′11+23′

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


ハイドンは序奏がヘビーでその序奏が再帰するのでさらに重くなる。ベートーヴェンが好みそうな第1楽章。カンブルラン棒は4拍目に込めた力感が心地よく、アウフタクト気味に一連のフレーズの最初のオタマのようなつながりを感じさせる。
2楽章も規模が大きい。変奏曲を2つの主題でやれば大体長くなる。カンブルランはこういったところは飽きさせませんね。後半楽章は特にスケルツォがバーの頭に力があって印象的。といったあたりのことがインプットされて、
後半プロのマーラー1番はオケのコンディションが、なぜか、よくありませんでしたけれども、とりあえずそれを横に置けば、ハイドンのシンコペーション気味アウフタクト念入り進行とスケルツォ的頭きっちり進行をカンブルラン的ハイドンとすると、マーラー第1楽章で、このハイドン的味わいが一つのパッセージに同時に出てくるようなところがあり、ジャングルジムのように音の骨格の組み合わせ具合と透けて見える遠景、そういったことがよくわかるもの。
ハイドンはシンプルに楽しめるのに対しマーラーの演奏は結構なコンプレックスエクスプレッションと言えよう。

速度設定の事が色々と目立ちますけれどもカンブルラン方針は、速度はいじらない(とりたてて関心事項ではない、駆り立て要素の速度効果に関心が無い)、別の事をしているという話だと思います。今日のマーラーを聴いていると、1月に演奏された彼方の閃光の美演方針を思い起こさせてくれますね。

テンポは堅持しつつ、水平的な流れの中での音符の均一性から浮かび上がるメシアンの美しさの表現、そういう意味ではゆがまない建築物を構築するには、テンポの堅持は一つの大事なエレメントと言えるのかもしれない。なので、インテンポという単語はニュアンスとしては彼の場合ちょっと違う感覚。ブルーノ・ワルター的ゆっくりズムと当時の現音発掘者クレンペラー的感覚の違い、カンブルランの場合、よりクレンペラー的な味わいがありそうな気配をフツフツと感じる。まぁ、ワルターのメシアンは思い浮かばないけどクレンペラーなら凄かったろうなというのはありだな。

並んでいる音符からストレートにエモーショナルなものを表現していくマーラー作品。そしてオーケストラにはプレイ具合が、いい悪いは別にして昨今のマーラー流行病(はやりやまい)の中、すっかり染みついてしまっているわけで、そういったものをワイプアウトするのはそんなに簡単な事ではないだろうと推測される。今のマーラー演奏の呼吸とかアクセントといったものにすっかりまみれている。カンブルラン流のマーラーのイントネーションに再構築するのは短期間では難しそう。(だから、2回公演があれば確実に2回目のほうが説得力のある演奏となります。)
メシアンのような作品だと、まっさらなキャンバスから始められるというのはありそう。

終楽章はかなりのスローテンポでしたけれども、以上のような具合ですから、慣れない解釈によって、オケのブレスには空きが目立ち、ハーモニーがまだら模様になるような演奏となっちまいました。びっしり敷き詰められたサウンドとなめし皮のようなハーモニーが一つ一つしっかりと鳴っていけば別のマーラー像が打ち立てられていたやに思う。後期クレンペラー的味わいといって語弊があるなら、音を濡れて光るストーン・ペイヴメントのように魅せてくれるカンブルラン的味わいが聴けたかもしれない。
おわり


2307- ブラームスVnCon、ソコロフ、ドヴォルザーク7番、上岡敏之、NJP、2017.4.7

2017-04-07 23:11:54 | コンサート

2017年4月7日(金) 7:00pm トリフォニー

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調  23′8+8′
  ヴァイオリン、ヴァレリー・ソコロフ
(encore)
クライスラー レチタティーヴォとスケルツォ・カプリス Op.6  5′

Int

ドヴォルザーク 交響曲第7番ニ短調  11′9′7′7′

(encore)
ドヴォルザーク スラヴ舞曲Op.72-2  5′
ドヴォルザーク スラヴ舞曲Op.72-1  3′

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ブラームスのシンフォニックな開始、確信のテヌートモードの中、びっしり詰まった音は上岡の指示のもと滑らかに流れる。充実のサウンド。
このコンチェルト、シンフォニックで大音量、この日のオケは気力体力充実と見え、なにやらスペシャルに鳴っている。
そんな中、ソコロフのヴァイオリンがくっきりと浮かび上がる。もう、これだけで感動もの。本格的なブラームスを堪能しました。

もはや伴奏を越えた極めて雄弁なオーケストラをバックにソコロフのヴァイオリンは、艶やか、むしろ少しザラッとしていて、一見、軽く弾いているように見えるところでも彼の音がスーッと通ってくる。それに、とっても、弾き心地がよさそう。上岡マジックですね。ご本人が弾くピアノコンチェルトのプレイイメージがあるやに見えなくもない。コンチェルトとシンフォニーを同時に聴いているような名状し難い快感。オーケストラを聴く醍醐味。

アダージョ楽章はビューティフルな美音伴奏の中、高弦から舞い降りるソロヴァイオリンのほれぼれ気概のプレイ。オケはここでも立体的で雄弁。ステージの奥行き感を感じさせてくれる。手前からソロ、弦パート、ウィンド、ブラス。この彫りの深さ。ホルンちゃんにはもっとしっかりと頑張ってほしいところもあるが、ぜいたくを言えばキリがない。

指揮者とソリスト、呼吸があってますね。指揮者兼ピアニストの強みでしょうね。この大曲、これだけ呼吸がシンクロしていれば向かうところ敵なし。
終楽章、目まぐるしく変わるモード。全部楽しめる。オケはここでも大音量ですが、ソロのところでぱたりとやむのでくっきりとソコロフ技を楽しめる。なんだか、中低音の弾きがとても強く感じますね。なにやらヴィオラサウンドからヴァイオリンの艶やかな高音まで全てを一人で自在に操っている感じ。
上岡棒は、アダージョ、終楽章ともにニュアンスが多彩で味わい深い。変則的な伸縮を忘れさせてくれた。テンポをそれほど落とすこともなく、じっくりと聴かせてくれたあたり、ご本人の変化、それにオケとのジャストマッチコンビ、そういったものを強く感じさせてくれる。秀逸な演奏でした。楽しめました。

それと、
アンコールのクライスラー、美演。聴かせどころ満載の曲、とっても楽しかった。

ニ長調のあとはニ短調。ニはやにっこいのニ。ニはそんな曲が多いなぁといつも思う。
ドヴォルザークの7番なんて、フィナーレの締めくくりでさえ短調に聴こえてくる。快晴の晴れではないな。

骨格がしっかりした作品、本格的シンフォニー。
大きく鳴らし、オケの奥行き感彫り深し、かつ、パースペクティヴの効いた美ニュアンスが満載。プリンシパルたちはユラユラとバンバンしながら上岡棒を表現、ほかのプレイヤー達への波及効果、以心伝心、ということで、素晴らしく歌うアンサンブルの妙。
上岡棒はトリッキーなところがまるで無いもの。第1楽章への込めた気持ちがそうとう強いような気がする。前半のブラームスでもそうですね。言いたいことは全部初楽章の中にあって、とにかくそれを全部表現してしまおうという感がある。ので、
後半楽章はもはや言い尽くされた後の余裕のスケルツォ、締めくくりの快活なアレグロソナタ、先細り感は無くて、シンフォニーの振幅の大きさを感じさせてくれる。正面突破のオーケストラル・コンダクターと思える。
ダイナミックでシンフォニック、彫りが深いエクスプレッション。多彩な美ニュアンス。いろんなものを色々と魅せてくれました。

上岡さんは楽章間のポーズが長いですね。じーっと見ていると、前楽章から次の楽章への気持ちの切り替えと、次の楽章の拍を感じ、それをオーケストラに伝える状況が整ったところで次の楽章へいってます。ポーズ中、ごく少し体が動き始め、そのあたりからプレイヤーたちは気配を感じ始め、だから、指揮者が棒、腕を大きく構えることは無くて、本当に大丈夫なのかなと余計な心配してしまう中、双方の呼吸があったところで始まるのでザッツもハーモニーも生きたものとなってビッタンコ。この実感。

それから、定期で上岡さんが振るときはだいたいアンコール有ります。この日も2曲。歌う、跳ねる、素晴らしく素敵なスラヴォニック・ダンス。

彼が振る定期は毎回収録しているようで、音源が商用化されることもあろうかと思います。そういったこともいい方向に作用している気がします。

他の指揮者のときとは別人プレイヤー達、上岡ご指名のときはシャキッと立つようになった。ようやく来た、この気持ちよさ。充実の盛り上がり、ずっと続いてほしいものです。
いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり