また聴きたくなるCD5
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ワーグナー作曲
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ジークフリート牧歌
ローエングリン、第1幕への前奏曲
マイスタージンガー、第1幕への前奏曲
トリスタンとイゾルデ、前奏曲と愛の死
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ラファエル・クーべリック指揮ベルリン・フィル
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クーべリックがバイエルンとは別にベルリン・フィルを振ったものは総じて良い。
ワーグナーでは響きがベルリン・フィル特有というかうまいオーケストラ特有な音のまとまり、房のような塊となった気合いをこめたアンサンブルから出てくる響きのようなものが素晴らしいのだ。
前奏曲を聴いてしまうとそのあとの4時間をどうしても聴きたい感興になってしまう。ここまでで我慢しなければならないが、ベルリン・フィルの特質をとらえたいい演奏。ジークフリート牧歌は、潤いの響きではなくアンサンブルのマスで聴かせてくれる。
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また聴きたくなるCD4
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リヒャルト・シュトラウス 作曲
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オーボエ協奏曲
Ob、マルティン・ガブリエル
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ホルン協奏曲第1番
Hrn、ラルス=ミヒャエル・ストランスキー
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ホルン協奏曲第2番
Hrn、ロナルト・ヤネツィク
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二重小協奏曲
Cl、ペーター・シュミーデル
Fg、ミヒャエル・ヴェルバ
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アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィル
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すばらしいの一言に尽きる。
このCDの特色は、全同一性にある。企画も内容も全部が同じ方向を向いている。
演奏はウィーン・フィル。ソリスト5人は全てウィーン・フィルのメンバー。
そして、曲はシュトラウス。
例えば曲順としてホルン協奏曲は1番2番がならんでいるが、2番の最初の音が出た時、1番と同じ人が吹いていると言われたら、そうだというしかない。
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また、ソロ部分が完全にオーケストラのアンサンブルに同化している。オーケストラがまるで、交響曲のソロパートを耳を澄ましながらアンサンブルをしているような雰囲気がありあり。
サウンドの艶の方向がソロ、アンサンブルともに同じであり、これは当然と言えば当然なのだろうが、どれが一番いい出来なんて甲乙をつける意味がほとんどいない。光り輝くソフトなクリスタル・サウンドだ。そして柔らかに歌うアンサンブル。
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シュトラウスのオペラ的な雰囲気も曲によっては醸し出されているし、ウィーン国立歌劇場で聴く同オーケストラのイメージが強い。たぶんストップと言われるまでオペラのように気持ちよく吹きまくっている感じ。
プレヴィンの指揮は、そこにいて邪魔をする指揮者ではない、ただそれだけで存在意義がある。ウィーン・フィルからこのようなアンサンブルを紡ぎだせる棒振りはそんなに多くは無いだろう。
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また聴きたくなるCD3
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スクリャービン ピアノ協奏曲
スクリャービン 前奏曲op16
スクリャービン ピアノソナタ第4番
スクリャービン 練習曲op42
スクリャービン ピアノソナタ第9番
スクリャービン 前奏曲op74
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ピアノ、カール=アンドレアス・コリー
アルミン・ジョルダン指揮バーゼル交響楽団
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スクリャービンのピアノ協奏曲は、初期の曲でショパンの協奏曲の響きが充満しているが、それでも第3楽章の最後は、この後に続く交響曲を先取りしたような響きが少しだけ感じられる。ペダルが開放されたエンディングは印象的。
この演奏はソロの曲も含めデリケートで細かなニュアンスに富んでいる。ピアノの繊細さもさることながらジョルダンの伴奏がいい。ジョルダンはスイスロマンドの演奏を聴いたことがあるが、日本ではあまり名は知れなかったが好きな棒振りだった。もともとはオペラ指揮者であり伴奏は手慣れたものなんだろうが、出しゃばらずそれでいて細かいところまで行き届いた棒で忘れがちになっていたものを思い出させてくれる。
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また聴きたくなるCD2
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ハイドン 十字架上の七つの言葉
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リッカルド・ムーティ指揮ベルリン・フィル
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テンポの緩い曲には七つの言葉がふさわしい。器楽的というより声楽的に。
神父のこのような助言は横に置くとしても。
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1. 序奏 マエストーソ・エダダージョ
2. ラルゴ
3. グラーヴェ・エ・カンタービレ
4. グラーヴェ
5. ラルゴ
6. アダージョ
7. レント
8. ラルゴ
9. 地震 プレスト・エ・コン・トゥッタ・ラ・フォルツァ
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最初の序奏からそのあとの七曲目のラルゴまで、早い話が全部スローな音楽だ。最後の地震だけとってつけたように締められる。
静かで清らかな音楽がせせらぎのように流れる。いつものハイドン独特のドライで少し埃っぽい音楽がここではかなりウェットな響きに様変わりしている。タイトルの意味合いを重ね合わせながら聴き進めばブレンドの味わいがさらに深まると思われるが、宗教の世界は個人的には無縁。響きのあやを楽しむだけ。それで十分。
熱血漢としないムーティの心のひだに触れるいい演奏。そしてベルリン・フィルの圧倒的な技術と精神の安定が音楽をさらに高みにのぼらせる。素晴らしい演奏だ。
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また聴きたくなるCD1
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ヴィトルド・ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲
ヴィトルド・ルトスワフスキ 弦楽のための葬送音楽
ヴィトルド・ルトスワフスキ 管弦楽のためヴェネチアの遊び
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ヴィトルド・ロヴィツキ 指揮 ワルシャワ国立フィル
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ルトスワフスキの1950年代60年代の作品。
ショスタコーヴィッチ風の響きがあるが、馴染み易さ難さを越えたそれぞれの時代における完成された作品の響きのように聴こえる。
葬送音楽は低弦の響きが魅力的。
ヴェネチアの遊びは、1961年の作品。音の遊びがこの後の混沌とした音楽を暗示させる。
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ロヴィツキは40年?以上前に、ショスタコーヴィッチの5番で粗い中にも透明度の高い演奏で、それはこのオーケストラの特色なんだよと言いたげな光る演奏が記憶に残っている。白っぽい見開きジャケのアナログディスクのことを今でもよく覚えていて、探せば出てくるはず。
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4月21日、22日は、ブロムシュテット&N響によるブルックナーの5番が奏されているところですので、昔聴いた同曲、オケはドレスデンですけれど、その感想メモを再掲します。
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918- ブルックナー 交響曲第5番 ブロムシュテット ドレスデン国立歌劇場O 1978.4.4 上野
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例の37枚組聴いている途中です。
今まで聴いた内容は以下にあります。
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番号順に聴いていて、今日は75番から81番まで聴いてみました。
序奏つきの75番が気に入りました。序奏がはいっていると気が落ち着くというのもあるし、ロングトーンなみに高低の変化をつけずのばされる音が気持ちいい。
78番は聴きようによっては、ほとんどモーツァルトの40番のように聴こえてくる。順番からいったら逆なんだろうが、とにかく非常にイメージが似ている。調の親近性だけでなくメロディー、リズム、よく似ていると思う。
続く。
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例の37枚組聴いている途中です。
今まで聴いた内容は以下にあります。
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番号順に聴いておりまして、66番から74番までまとめ聴きしました。
かなりいい感じになってきました。
68番など快適。
69番あたりは本格モードに近づいてきたが、どうも打撃音の濁りが少し気になったりする。
72番はホルンが4本に増強されている。まるでホルン協奏曲のようだ。
続く。
2010年4月11日(日)3:00pm
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マーラー 交響曲第9番
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ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
NHK交響楽団
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今日の演奏は聴衆の爆な反応が最初から予定されていた演奏といえるかもしれない。演奏後の大ブラボーはメンバーが去った後まで続いた。
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今年83才になろうとする指揮者のポーディアムに向かう足どりは、ぜい肉もなく変な毒素もない極めて普通なものである。マーラーの9番をやるということでこれまた変なお別れモードを想定していた人にとっては肩透かしだったと思う。この9番、マーラー生誕150周年の一環として行われるに過ぎない。このあと来シーズンにむけて別の指揮者たちでどんどんサイクルされるわけだし。
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ブロムシュテット独特の、4拍子系なら第3拍目を早めに切り上げて第4拍目に大きくためをつくる振り方。昔からこのような振り方だ。
マーラーの第1楽章はその4拍子系だが、リズムがユニークで、シンコペーションの山だと思うのだが、それがまた一小節単位であり大きなフレーズのきざみとなっている。
それで、ブロムシュテットの3拍目早めの切り上げの棒と、曲の2拍目からの大きなシンコペーションのリズムがうまくかみ合わない。ぎこちなく見える。
いまさらと言った感はあるのだが、たしかにシンコペーションの塊のようなチャイコフスキーをブロムシュテットの棒では聴いたことがないような気がする。
第1楽章の今一つの切れ味、ブラスの三連符のずれ、気になるところが少なからずあった。むしろ練習の成果がよく出ていてわかりにくいところも決めるところは確実に決めていたともいえる。
特に明瞭に振らなくても、音楽の流れとして演奏者指揮者ともに身についてしまっているような音楽との微妙な違い。早い話、マーラーはあまり得意ではなさそうだ。今週来週のエロイカ、ブル5の好演が約束されてしまったような話かもしれない。
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それで第1楽章だが、変な粘着質の音楽表現となっておらず、つまり極度に不自然に引き延ばされる音価、やりすぎ歌い過ぎ、そのような極端な表現はとらずむしろ一所懸命スコアを見て棒振るその姿そのもののような音楽解釈で几帳面とも言えるし、慣れていないともいえる。入魂といった言葉には少し距離がある。
オーケストラは右左分けた対向配置。弦、とくに分離したヴァイオリンの響きが素晴らしかったが、それにもましてかなり膨れ上がったウィンドの充実感がなんとも言えない。この曲は瞬間断面の響きはそれほどぶ厚いものではなく、ウィンドの多彩な音色を楽しみたい。逆にホルンは響きの強烈ハーモニーと松崎さんのほぼ完ぺきなソロの両方を。
トランペットもトロンボーンもチューバもブラスは見事だが、ウィンド+ブラスの合奏強奏部分でこの第1楽章に少し濁りが聴こえた。ただ浅い響きなっていないのはN響の力というところか。
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3拍子系の第2楽章。これも第1楽章と同様の問題がある。こんどは第3拍目にためがはいる。単なるアウフタクトからはいるフレーズならこれでもいいが、マーラーの場合、3拍目よりもっと前、つまり小節の頭から2拍目の途中から始まってしまうようなフレーズが多発する。この音型、あの棒だとなかなか合わすのは難しいのではないか。練習の成果はでていたのだが。
テンポは動かしにくいし、ダイナミックな部分も少しそがれてしまうかもしれない。それであればこそ、造形的な音楽美が表出されてくるわけでこれはこれでいいとも思う。ここでも前広のウィンドのサウンドが素晴らしい。
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第3楽章は2拍子系。ここは拍にそってバンバンと押していく音型であり、余計なことをあまり気にせず振れるし演奏できる。だいぶ良くなってきた。ここにきて安心して音楽にのめりこむことができはじめた。ノリとは遠い演奏ながらバランスを崩さず節度あるアップテンポで進む演奏はみごと。フライング拍手をした方にはご退場いただきたいところだが、隣の席で眠りこける音大生よりはましかもしれない。
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棒を持たず振りぬいた第4楽章こそは、マーラーにしては最も得意とする音楽、そのようにブロムシュテットも言っているようだ。はねあげてためをつくる棒、棒は持っていないので腕、手先、指、これらが非常に見事な説得力を持って白鳥の翼のように上に跳ね上がる。右腕を震えさせながら間をとる、見事な振りだ。白眉のコーダも極端にロマンチックに耽溺することなく、音楽の転回軸を感じさせつつさらりと深みにはまらせてもらえた。
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ブロムシュテットのマーラーは結果的に造形的な構築物となってしまうしかない棒なのであって、最初からそのつもりで聴けば特に問題もなく聴き果せるものなのだろう。
マーラー演奏はここ四半世紀30年、手垢にまみれた粘着質、そもそもがそれがマーラーが求めるところ作曲したところの演奏様式であったのかもしれない。でも音楽表現というもっと大きい枠組みのなかにあってはこのような演奏解釈、それももはや枯れた巨匠の音楽という陳腐な言葉を横に置いてしまうような演奏家においては、なじまないなじむなどといったそれこそ陳腐な言葉、イメージをすぐに取り払いたくなって、それで当たり前とも思う。今日の9番は作り上げた演奏のように聴こえた。
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それで、この指揮者の指揮棒様式はデフォルメ、変形気味の曲よりも、古典的な形式に沿った音楽にこそピッタリで、今月はこのあとベートーヴェンとブルックナーでそのまま力がでてくるのはほぼ間違いのないところ。特にブルックナーにおいては、あまりの安定感と説得力にきっと、肝をつぶすことになるだろう。
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昔聴いたブロムシュテットとドレスデンによるブル5の感想はこちら。
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前回ブログ報告から日を置かず、またやっちまったよ~。
でも今度はたったの6枚。塔レコではなく、銀座の山野楽器です。銀座あぶないですね。帰り際、右や左に引っかかってしまうとCDの3倍4倍はすぐにいってしまいます。この日は慎重に裏通り経由で帰りましたようでした。
山野は塔レコにくらべてスペースがないので探しやすいということもありますが、独特のラインナップで味わいがあります。昔の六本木WAVEほどではありませんけど。
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それでと、
まずはルネちゃん、ビブラートがかかりすぎのときもありますが、魅惑的な歌、ヴェリズモ集です。なんだか、何から聴いていいのかわからないくらい。
カンテルリの棒は、NBCはあんまり関心なし。ニューヨーク・フィルハーモニックとのアルト・ラプソディーだけです。聴きたいのは。
それにしてもデルタは高い。
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聴きものはアバドの指揮によるペルゴレージ2枚。1枚目のスタバをまだ買っていないという画竜点睛を欠く感はありますが、だからといって一枚目を別に先に買う必要もないわけで。
ジャケをみてるだけでなんだかとっても清涼感ありますね。アバドのことですからピュアな感じでしょう。楽しみです。
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あとの2枚は、別方向に行ってしまってからヨーヨーマと同じぐらいつまらなくなってしまったギドン・クレメルですが、たまにいいものもある。タコ14、これは聴きものでしょう。マーラーの10番アダージョがカップリングされているのもいいかな。
それと、奇天烈指揮者山田一雄の棒、東京都交響楽団の演奏による諸井三郎記念演奏会の実況中継
・交響的断章
・ピアノ協奏曲第2番
・交響曲第3番
先入観を全部取り去り聴いてみたい。
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以上でした。
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ことしになってCDをろくに買っておらず、まともに買ったのはデニス・ラッセル・デイヴィスのハイドンの交響曲全集ぐらいで、それで久しぶりに渋谷の塔レコに行ってみた。
あるわあるわ。
前もって決めていたのはお店の人にお願いし、こちらはこちらで欲しいものを探しまくり。
結局、
バケツ、ではなく黄色いカゴにいれまくり。一カゴではたりなくて、二カゴ?
26タイトル買いまくり。
今回、食指の動くボックスものが多く、それにやたらと安い。CD20枚とDVD1枚のシューリヒトものがなんと4490円。レギュラー盤2枚分の価格だ。限りなく怪しい感じはするのだが、ヘンスラーものなんでじっくりと聴いてみるか。日常のシューリヒトなのかもしれない。
ロヴィツキのドヴォ全は楽しみだ。ワルシャワのタコ5は白めの見開きジャケで遠い昔、グレイな透明感みたいなサウンドが印象としてある。このドヴォ全はロンドン響。果たしでどんなサウンドの色かしら。
バルビローリのEMIボックス物は総まとめみたいなもんだが、完膚なきまでそろっているわけではない。10CDで2990円という価格に釣られた。
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ボックスというか自然に複数枚になってしまうもの2点はワルキューレ。鬼のカイルベルト。1955年バイロイト、例の素晴らしかった指環の別日バージョン。それと、シモーネ・ヤングのハンブルク。これはどうだろう、マンダム、男の世界以上か。
コントラ・ワーグナーのあやしさも早く聴いてみたいもんだ。
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ジュリーニの単独もの三つ。これは聴きものだろう。ベルリン・フィル相手で、プログラムは完璧にジュリーニ好み。
ノイマン1965年のブル1は興味深い。CDはスレスレになっていて不良品だと思うのだが、交換しようかどうしようか、たぶん在庫がないという答えが返ってきそう。思案橋。
ラフマニノフはレナード・スラットキン。2バージョン。セント・ルイス絶好調時代のものと最新盤デトロイト。セント・ルイスのころはトランペットのトップは女性だったと記憶するが、あの当時ビック・ファイブに迫る勢いだった。
SACDは3枚。プレトニョフのタコ1,15。ホルンのバボラーク。それにヤルヴィのベーレンライター版の第9。
SHMCDはザンデルリンクの2枚セット。マーラーの9番とタコ15。ザンデルリンクはマーラー10番全曲版とタコ15は限りなくしつこく山のように振っている。ここでの9番はちょっと横に置いて、クリーヴランドとの15番は発売当初からの聴きもの。この曲でこんなに透明感をえられたのはむろんオケのおかげ。
あとはアシュケナージの棒、コリンスキーのピアノによるマルティヌーの協奏曲2題。どこまで爆発できているかだ。
シュワルツのナクソス盤2点も興味深い。ウィリアム・シューマンの続き物で今回は6番。もう一枚はシェーンフィールドとシュワルツの自作自演もの。
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歌の単独ものは3枚。
夜のしじまのネトレプコ、バレンボイムの組み合わせ。昔のことを知っているファンにとってネトレプコは垢ぬけしすぎ?でもこれはこれで。
リサ・デラ・カーサのナクソス盤はきっちり彫りおこされ直されているか。期待を持って聴こう。
もう1枚はシュトラウスのアカペラ。ながら族をやめて聴いてみたい。
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DVDはバーンスタイン、ニューヨーク・フィルハーモニックの5枚。フィルハーモニックの昔の顔ぶれを観れるだけでもハッピー。
もう1タイトルは、マルケヴィッチの震える棒でドライブされたN響のライブ映像。これは1983年マルケヴィッチが亡くなる直前の映像、この日、現場で観ました。やっぱり震えてました。棒が見える角度にすわっていたのでよく見えました。あの棒を聴けたのは僥倖。
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ということで、全部聴き観終わるまでかなり時間がかかりそう。ゆっくりと味わってみますわ。今は演奏会で結構忙しいので合間に。
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