河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2354- ラインの黄金、インキネン、日フィル、2017.5.27

2017-05-27 21:11:37 | オペラ

2017年5月27日(土) 2:00-4:50pm 東京文化会館

JPO プレゼンツ
ワーグナー 作曲
佐藤美晴 プロダクション
ラインの黄金    149′

キャスト(in order of voices’appearance)
1-1.ヴォークリンデ、林正子(S)
1-2.ヴェルグンデ、平井香織(S)
1-3.フロスヒルデ、清水華澄(Ms)

2.アルベリヒ、ワーウィック・ファイフェ(Br)

3-1.フリッカ、リリ・パーシキヴィ(Ms)
3-2.ヴォータン、ユッカ・ラジライネン(BsBr)

4.フライア、安藤赴美子(S)
5-1.ファーゾルト、斉木健詞(BsBr)
5-2.ファフナー、山下浩司(BsBr)

6-1.フロー、片寄純也(T)
6-2.ドンナー、畠山茂(BsBr)

7.ローゲ、ウィル・ハルトマン(T)

8.ミーメ、与儀巧(T)

9.エルダ、池田香織(Ms)

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(duration approx.)
序奏 5′
第1場 21′ (場面転換含む)
第2場 45′ (場面転換含む)
第3場 29′ (場面転換含む)
第4場 40′
第4場ハンマー 9′


前日に続き日参。定期公演で二日続けてやってくれる。スバラシイ。
前日キャンセルしたウィル・ハルトマンがローゲ役をどうしてもやりたいということで、スタッフの前アナ付きで出場。アナが出てきて言い訳がはいるときは、まぁ、本調子じゃないけど出ます的な内容がほとんどで、途中で調子崩しても大目に見てね、と相場は決まっている。

ミーメは昨日同様、代打出場。

インキネン棒は前日より若干伸びた。伸縮が出ましたね。24時間おかずの上演ですから気持ちの再セットはオケも歌い手もそう簡単ではないと思う。指揮者が引き締めないといけませんね。オーソリティの風格さえ漂うインキネンのアッパー棒。前日は普段見せないような体全体の激しい前のめりなどあったりしたのだが、今日はそれほどでもなくて、そのかわり少しの動きに大きく反応するオケが大迫力。ニーベルハイムの高速処理の見事さはシンフォニーオーケストラの面目躍如たるもの。
昨日今日と一番感じたのはオケがオンステージで後方からデカい音をたてているのに、前に位置しているシンガーの声が全くかき消されないこと。キャスティングが凄いというのはもちろんあるが、このオーケストラ特有の奥行き感を感じさせつつブラスなどは、上に舞い、上方奥から前に降りかかってくるような具合の音で、うるさくない。弦アンサンブルがウィンド、ブラスとバランスしているからだと思う。均整のとれたいいもです。

ローゲのハルトマンは動きを作りすぎていてちょっとやにっぽい。歌のほうはテノールの魅力を今一つ感じることが出来ず、まぁ、普通の出来栄え。文字通り体調不良だったのだろう。リヴェンジお願いします。

むさくるしかった空気を取り払うドンナー。言われてみればこの2時間半ずっと鬱陶しいシーンの連続だった。ノンビブでホールを包むようなドンナーの一声。かなりユニーク、チューニングをしているような雰囲気を醸し出しつつ際どいピッチで進みハンマーの一撃。ティンパニーが驚天動地のうなり声をあげる中、入城開始。


色々ありましたが、二日とも客席はほぼ埋まり、むしろ普段定期で聴いている連中で、いつもと違う雰囲気だわと思った方々がいたようで、初日は1階席可視範囲で7名途中棄権。
二日目土曜の定期会員ですので、土曜は自分も含めみなさん時間に余裕をもってきてる感じ。
今回の企画はインキネンの力が大きかったと思う。会場の入りもよくて熱気もありました。早く続編を観たいですね。
おわり

PS
ラインの黄金はざっと思い出すだけで20回ぐらい、たぶん30回ほど観ているかもしれない。



2353- ラインの黄金、インキネン、日フィル、2017.5.26

2017-05-26 23:17:47 | オペラ

2017年5月26日(金) 7:00-9:50pm 東京文化会館

JPO プレゼンツ
ワーグナー 作曲
佐藤美晴 プロダクション
ラインの黄金    146′

キャスト(in order of voices’appearance)
1-1.ヴォークリンデ、林正子(S)
1-2.ヴェルグンデ、平井香織(S)
1-3.フロスヒルデ、清水華澄(Ms)

2.アルベリヒ、ワーウィック・ファイフェ(Br)

3-1.フリッカ、リリ・パーシキヴィ(Ms)
3-2.ヴォータン、ユッカ・ラジライネン(BsBr)

4.フライア、安藤赴美子(S)
5-1.ファーゾルト、斉木健詞(BsBr)
5-2.ファフナー、山下浩司(BsBr)

6-1.フロー、片寄純也(T)
6-2.ドンナー、畠山茂(BsBr)

7.ローゲ、西村悟(T)

8.ミーメ、与儀巧(T)

9.エルダ、池田香織(Ms)

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(duration approx.)
序奏 6′
第1場 20′ (場面転換含む)
第2場 44′ (場面転換含む)
第3場 29′ (場面転換含む)
第4場 39′
第4場ハンマー 8′


日フィル東京定期は通常サントリーホールで金土。サントリーが改築中の為、上野での公演。
指揮のインキネンはリングの実績を積んでいるし、日フィルとはワルキューレ第1幕や、ジークフリート抜粋、カミタソ抜粋もやっている。今回は日フィル・リングサイクルの初年になる。

プログラムクレジットは特にないがセミステージでの上演。ソリストはステージ上のオケの前で衣装付き、動きありでの歌唱。指揮者よりも手前で歌うので、指揮者とソリストは阿吽の呼吸、それとアイコンタクト。呼吸は良く合っています。
プロンプター代わりに4台のモニターがシモテからカミテまで並べてある。

今日の初日は2人体調不良でキャンセル。代役ローゲの西村とミーメの与儀は、先達て3月のびわ湖ホールでのラインの黄金の初日に出ている。

2286- ラインの黄金、ハンペ、沼尻、京都市響、2017.3.4 


ホールを暗くし、譜面の明かりだけが光る中、やや音色相違のある複数ホルンソロによる序奏から開始。
1場が始まるところでカミテから歌う順番にノースリーブの思い思いのロングドレスでラインの乙女たち3人衆が登場。
2場4場、それに3場も、ワーグナーのストーリー全部入れてこの長さだと話がごちゃごちゃしていてもう少し長くてもいいような気がするし、2場でローゲが、愛を断念したものが一人だけいるというくだりの下ごしらえとしての1場のレングスは内容も含めてちょうどよいぐらいで、この1場のストーリー展開の比率で言ったらやっぱり2,3,4場はもう少し相応な長さとなってもいいような気がする。特に2場4場はたて込んでいますね。

14ロール中、2場で8人が同時に乗っかるあたりは舞台としても特にたて込んでいる。が、
この8人目の役どころローゲ代役西村が出てきたところで場がギュッと締り、ストーリーを追う面白さも倍増。ホールの空気感が変わりました。3月にびわ湖で同役で出ていたのが大きいですね。あのときはややかたさが見られたが、今日はリラックス、余裕のリラックス。ここの場から最後まで出ずっぱりですし、主役モードですね。動き、ナチュラルなウィット感、役の積み重ねを実感します。歌う劇場がたくさんあればそれに越したことはない。演じて歌う場所があればいくらでもうまくなっていきそうな気配。

1場。
まず3人の乙女たち、動きが結構あるとはいえやっぱり準コンサートスタイルならではのコンディションの良さを感じます。お三方とも声が前に出ていて、と言いますかこのあとの役どころのかたがたも含め全員、歌唱では正面を向くので声の出具合を十分に味わうことが出来る。快感ですな。
この3人の声の強じんさとバランスがとてもいい。最初から堪能。
これにアルベリヒが絡んでくる。ファイフェのバリトン声、魅力的です。ザラザラしてなくて滑らかで高低が自然で良く出ていて聴きやすいもの。少し幅広な声で、突き刺すようなところがなくて最初から最後までものすごくよく出ている。つまり日フィル的な声。
それと動きがいい。アルベリヒの哀しさみたいなものまで透けて見えてくる。俄然素晴らしいアルベリヒ。

2場。
神様夫婦の登場。ラジライネンはもう、何回観たかわからない状態。このオペラではローゲに役をくわれる、その前によく歌っておこうといった気配でもない。通常のジョブですな。
フリッカのパーシキヴィは初めて聴く。大柄で声も大きい。やや硬めの声質。ダンナにとっては山の神みたいなもの。その雰囲気よく出ている。このシーンの二人のやりとりを見ておいてワルキューレ2幕にはいれば、また味わいも格別だろう。フリッカは裏表の陰がないストレートな歌唱でした。

フライアが可憐な歌唱をする中、巨人二人が人間サイズで登場。ちょっと裏社会的ななり。ファーゾルトがメインとなる歌唱。ファーゾルト斎木はアルベリヒと同じく柔らかい声で大きく歌う。聴きやすい声質ですね。キャラクター的にもきまっている。ファフナーの声での出番は最初の方はあまりありません。この場と4場、要所を突くきかん坊的な歌いくちでこれもはまっていました。

フライア窮地に兄弟登場。フロー片寄の黒光りテノール。贅沢なキャスティング。力強いテノールで素晴らしい。次作のジークムントお願いします。

ということで2場、ここまで7人登場。8人目が冒頭に書いたローゲ西村ということになります。ストーリーもここから面白くなるし、自然な振る舞い、ローゲキャラ全開。余裕ですな。この役どころ、歌い込むほどに引き締まったいいテノール声にさらに躍進できそうな気配です。2場のここから、それと次の3場。ほとんどローゲが主役の大活躍。絶賛拍手。

インキネン棒は、オペラにあるような極端な濃淡はせず、歌い手とのコンタクトをうまく取りながらオーケストラを煽り立てることなく抑揚コントロール。場面転換はなだらかな表現で場そのものと同じく流れが自然。オーケストラはインキネンについていくようなところもありますが、自分たちが音楽を作っていくという強い意思、張り切り具合、それに研ぎ澄まされた神経、コンセントレーションがコンマス以下全員に。編成上ブラスにトラは多いもののミスタートロンボーンをはじめとしてトランペットからチューバまで、見事なプレイ。ブラスセクションの柔らかい力感、奥行き感は、同じ指揮者によるワルキューレ第1幕を思い起こすに十分な演奏で、お見事!

3場。
ミーメ、短い役どころながら与儀さんの歌いこまれたテノール。ここも贅沢キャスティング。キャラ越えか。
3人のやりとりでは、ヴォータンは歌の出番があまりなくて、アルベリヒのファイフェとローゲの西村のやりとりは聴きごたえ満点。アルベリヒがだんだんと気持ちが動いていくさま、ローゲの変わらない策士ぶり、双方秀逸。ストーリー展開が陳腐に陥らずハイレベルの歌唱を堪能。大蛇は天井にそれらしき姿があらわれたが蛙はそうもいかず。

4場。
エルダがストーリーを割らないと先に進めない。大事なポイント。先のことが見えるエルダというのなら、ヴォータンがそのまま指環をせしめた時空もあるということか。
エルダ池田も、もう何度も見ている。役得のように思えるのはオネーギンのグレーミンみたいなものか。
14キャラ中エルダのみ舞台前面ではなく、シモテからオケに向かい雛壇中腹あたりでの歌唱。透る声でオケサウンドをものともせず強じんなエルダぶしを唱える。彼女用の音場がステージ全体に広がっていくようだ。スバラシイ。

この4場はストーリーがたくさんあってたて込んでいる。50分ほどの中に詰め込まれてしまっている。ここ100分は欲しいですね。
シリアスな神様連中、半神ローゲのウィットなたたずまい。音楽はどっちに寄っているのだろうか。神様たちにか。
ハンマーの後、神様ワルツが盛大に鳴る中、入城。そのワルツはワルキューレ冒頭の3拍子へと続く。
おわり




 


2352- バッハ、マルティヌー、ラフマニノフ、山崎伸子、小菅優、2017.5.25

2017-05-25 23:14:16 | リサイタル

2017年5月25日(木) 7:00-9:25pm 紀尾井ホール

バッハ 無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調  5-10-4-4-4-5′

マルティヌー チェロとピアノのためのソナタ第1番H.277 5+5+5′

Int

ラフマニノフ チェロとピアノのためのソナタト短調  14-7-7-11′

(encore)
ラフマニノフ 前奏曲op.2-1  3′
ラフマニノフ ヴォカリーズop.34-14  7′

チェロ、山崎伸子
ピアノ、小菅優


ヘヴィー級プログラムのリサイタル。チェロ・ソナタ・シリーズ最終回10回目の公演とのこと。
だいぶ待たされて7時10分過ぎにスタート。
大きなプログラム、冒頭にピアノが無いチェロだけのバッハの作品。いきなり30分越えの曲から。
かぶりつきのセンター席でしたので、潤いのあるしなやかでボリューミナスなチェロサウンドを心ゆくまで浴びることが出来ました。満喫。
見えない水分が絶え間なく与え続けられているかのように弾き続ける山崎さんのチェロはそれだけで唖然とするものですけれども、それにもまして難曲をものすごいコンセントレーションで停滞することなくススッススッといとも軽く弾きまくるその技のさえていること。体力気力もちろんですが優れた技巧、そちらに耳が奪われました。細かい音符が均質で均整がとれ、連続性をもって繋がっていくバッハ、連鎖のマジック。圧倒的でした。このつながりの妙というのは最初のプレリュードから少しずつ自然過熱しジークでピークに達するもので感興が積分されていくような感覚。素晴らしいですね。1曲目からいきなり堪能。

次のマルティヌーに小菅さんが加わる。チェロの真後ろで弾くピアノ。ちょっと横にずれてセッティングしてくれればよかったのに。
マルティヌーの作品は、オーケストラ作品に比べて細かいところの技が沢山ありそう。小回りの利く編成で色々とやっていると思うが少し斜めに見たような作品かな。リズムパートではそれが強調されすぎるきらいがある。活力のある作品でエネルギッシュ、インストゥルメント同士のぶつかり合いみたいなところもある。火花が散る。オーケストラル作品の醍醐味も随所に聴かれました。これも堪能。

休憩の後は、チェロソナタ&ピアノソナタとでもいうべきビッグなラフマニノフ、40分の大作。これも両者の位置が少しずれてくれればと。それはそれとして、
ロマンティックでメランコリックなものだけではアンダンテは、もたないだろう。などと脳裏をよぎる。だからというわけでもないと思うが、頭でっかちの曲。
形式感を十分に感じさせる大規模な第1楽章。緊張感を孕んだ進行で各主題の妙、それにチェロとピアノの両楽器のアンサンブルの妙、力感あり聴きごたえ満点でした。ピアノの活躍がめざましく、山崎さんはしばし瞑想の間もある。
2楽章がスケルツォ、3楽章にアンダンテ。アンダンテはそれほどの長大さは感じなくて、同じ規模もしくは時間的に若干上回るスケルツォの規模の大きさが目立つ。スケルツォは前のマルティヌーのような荒々しさはあるが、角張っている感じは無くて、こう、すべるようにつながっていく。形式通りの音楽だが規模が大きい。ピアノとチェロが同時、順次と目まぐるしい。演奏はお見事、迫力ありました。
アンダンテの規模はそれほどでもない。これ以上長いと、持たないだろう。ちょうどいいと思う。ピアノの導入から始まる。全体にムーディーな雰囲気が支配。緊張感を持続させながらの二人のアンサンブルには聴き惚れる。もう、何十年も一緒にやっているような気さえしてくる。濃厚な楽章、ススッと終わる。
終楽章は、それぞれの楽器の鳴りが全開し、本当にぶつかり合い。パッセージの積み重なりは数珠つなぎのようになってくる。圧巻。素晴らしい。

アンコールはエキサイティングなラフマニノフの余韻で、同作曲家の作品を二つ。アンコールという雰囲気は無くて用意周到。チェロとピアノの同曲というのははじめ聴く。静かな中に何か哀愁のようなものがじわじわとにじみ出てくる。チェロ・ソナタ・シリーズ最終回、その締めくくり、それに新たな出発の決意。両方感じさせてくれた。
山崎さんのふところの深さ。実感。
小菅さんのピアノも山崎さんと同じく素晴らしいものでした。
存分に楽しむことが出来ました。ありがとうございました。
おわり


チェリスト山崎伸子 10年公演の次はバッハ : NIKKEI STYLE




2351- チャイコン1、ベレゾフスキー、フェドセーエフ、N響、2017.5.25

2017-05-25 22:52:18 | コンサート

2351- チャイコン1、ベレゾフスキー、フェドセーエフ、N響、2017.5.25

2017年5月25日(木) 3:00pm シンフォニーホール、ミューザ川崎

ショスタコーヴィッチ 祝典序曲  6′

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調  19-6+6′
  ピアノ、ボリス・ベレゾフスキー

Int

リムスキー・コルサコフ スペイン奇想曲  17′

チャイコフスキー フランチェスカ・ダ・リミニ 24′

(encore)
ハチャトゥリアン レズギンカ 3′

ウラディーミル・フェドセーエフ 指揮 NHK交響楽団


ベレゾフスキーは今年のLFJ最終日にハチャトゥリアンのコンチェルトを聴いたばかり。
今日はチャイコフスキー、幾度となく弾いてきたものだろう。2楽章の入りはまるでモーツァルトのような響きを奏でる。中間部はリズミックで鮮やかな動き。左手はパッセージごとに真上にはねあげる。バスが軽く切り上げられていくようでメリハリが効いています。左手はねあげは全楽章にわたるもの。右手の力の入れ具合とちょうどになるようにバランスを取っているのかもしれない。

第1楽章からN響の重いサウンドとは違って、ささっと右左に面白いように両腕が動いてガラス張りのきれいな音で流れていく。オケはこのホールのせいかどうか、だいぶ明るい音色で鳴っているが、ベレゾフスキーの輝かしいサウンドと機動力にはかなわない。本日のオケ、ノリがあまりよろしくないのかもしれない。ホールによって腕前を変えてきているとは思いたくないが、演奏場所により張りきり度がまだら模様の気がしないでもない。あまりいい傾向ではない。
ベレゾフスキーはオケとは別に全部カデンツァのような見事なピアノさばきで聴きほれる。大言壮語なバックとはまるで違うもので終始、肩の力が抜けていて透明なガラス細工でも見ているような気持ちになってくる。この響き最後まで変わらない。スバラシイ。
LFJのときより、おなか、すこしへこんだかな。
いい演奏でした。ありがとうございました。

祝典序曲は、後打ちのノリの悪さ、戦車のよう。
スペイン奇想曲は殊の外明るいものでこのホールのせいかもしれない。
ダ・リミニは曲の構成、それに感興もあまり良い作品とは思えず。オケ指揮者ともにそれ越えとはならず。
おわり


 

 


2350- エン・サガ、シベコン、堀米、シベ5、ロウヴァリ、タンペレ・フィル、2017.5.23

2017-05-23 23:03:07 | コンサート

2017年5月23日(火) 7:00-9:20pm 東京文化会館

オール・シベリウス・プログラム

エン・サガ  19′

ヴァイオリン協奏曲ニ短調  16-8+8′
  ヴァイオリン、堀米ゆず子
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番BWV1005より、ラルゴ 3′

Int

交響曲第5番変ホ長調   5+5-9+9′

(encore)
フィンランディア  9′

悲しきワルツ  5′

サントゥ=マティアス・ロウヴァリ 指揮 タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団


指揮者もオーケストラもお初で聴きます。
最初のエン・サガ、音が薄くて奥行きが浅い。全体にガサついている。そんな第一印象の音。

そのエン・サガ、スタティックなところがまるで無い。静かさと弧が印象的な曲と思っていたのだが、どうも、よく動く。動きのある演奏で、それが聴き進むにつれてシベリウス的アクセントというかイディオムなのだろうかと妙に説得力がある。リズミックでメロディアスなエン・サガ、興味深く聴きました。この作品、楽しめた。ロウヴァリの解釈が効いているのかもしれない。

堀米さんは、2年前の2015年のちょうど今頃、ラザレフ日フィルの伴奏でブルッフをやったのを聴きました。あのときも同じアンコール。
堀米さんの若いときの演奏は色々と聴いたような記憶なのだが、前回のブルッフで昔との距離を感じました。
今日はシベリウス。音色にあまり特色のないオケの伴奏で、堀米の艶やかな音とまるでブレンドしない。音色乖離。コンチェルトソリストはオケを選べないのだろうが、ちょっと違いが鮮やかすぎる。
憧憬の眺めをしているのだろうか、堀米さんのヴァイオリンは時に過ぎ去りし時を見ているようだ。時に立ち止まり流れが止まる。
中間楽章が落ち着いていて色彩を楽しめた。終楽章のノリは前進して欲しい気もする。最後のオケ打撃の中でのフィニッシュはアクションほどは決まっていない。
今日の入りは、1階席は半分ほどしか埋まってなくて、本人もアレって思ったのかもしれない。やる気的に。

スタッフなのか奏者なのか知らないが空き時間に袖のほうからチラチラと何度か客席を心配そうに見ている。半分ですから、どうなっちゃってんのということかもしれない。

シンフォニーもエン・サガのモード、こうなると指揮者の形ですね。かなりあっさりしている。スカスカ過ぎていって30分かからず終了。フィナーレコーダの印象的な打撃音と空白、あすこだけはコッテリしていました。オーケストラのザッツは完全に一致し、ティンパニの濃厚で粘着ながら輪郭明確な打撃。この最後の表現が全般を覆っていればさらに素晴らしい演奏が出来るのだろうと。

ロウヴァリさんの棒はかなりユニーク。上のほうに引力があるのではないのかと思ってしまう。細身で小柄ながら腕が長い。両腕が柳のようにしなる。何かに巻きついているんではないのか、それに両足もあちこちに動きこれも巻きついていそう。これでプレイヤーがよくわかるもんだと思っちまうが余計な心配だろうね。

アンコールのフィンランディアはフレーズの頭に力をこめた表現、ワルツは濃厚で中間部の動きは目くるめく様なスピード。
色々と楽しめました。
おわり







 

 

 


2349- エルコンVln、三浦文彰、RVW南極、ブラビンズ、都響、2017.5.21

2017-05-21 18:38:48 | コンサート

2017年5月21日(日) 2:00pm 東京芸術劇場

エルガー ヴァイオリン協奏曲ロ短調 17+11+19′
 ヴァイオリン、三浦文彰
Int

ヴォーン・ウィリアムズ 南極交響曲 9-6-10+5-10′
 ソプラノ、半田美和子
 女声合唱、新国立歌劇場合唱団(女声)

マーティン・ブラビンズ 指揮 東京都交響楽団


三浦さんはつい先だって、下野読響の伴奏でフィリップ・グラスのヴァイオリンコンチェルト1を聴いたばかり。今日のエルガーはなかなかの好演。
この作品は長いものですけれど聴き応えありますね。終楽章に4回転ジャンプがかたまっていそうな曲で、これを第1楽章に持ってくれば長さもこんなにならなかったと思う。が、それはエルガーさんに訊いてくれと。
間延びするところもままある作品ながら、あまり形にこだわらず聴いていく感じで。三浦さんのヴァイオリンは強弱とか濃さ薄さのダイナミック幅で聴かせるのではなくて、なんというか、つぼみのような膨らみが何度も寄せては返す、そんな進み具合。ストイックとは思わないが、あっさりしているというか、タメを作らずいきりたたず、かといって淡々としているわけでもない。言葉が見つからない。膨らみがチェーンのようにつながっていく。瞬間を味わいつつ連鎖も楽しむ。じっくりと流れを楽しめるところがある。粋な芸風かな。エルガーにシャープさを感じさせるいい演奏でした。

南極はフィルムミュージック的色彩でブラスが空虚な鳴りを繰り返す凡作。
おわり



やっぱり、宇宙人


2348- モツコン6、小曽根真、ブルックナー5番、ノット、東響、2017.5.20

2017-05-20 23:24:46 | コンサート

2017年5月20日(土) 6:00-8:25pm シンフォニーホール、ミューザ川崎

モーツァルト ピアノ協奏曲第6番変ロ長調  7-6-13′
  ピアノ、小曽根真
(encore)
E.レクオーナ スペイン組曲「アンダルシア」から第4曲ヒタネリアス 2′

Int

ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調   22-21-13-24

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団

小曽根さんのモーツァルト、端正な表現でいい感じでした。伴奏オケに溶け込んだ音色でよくブレンドしていて、ピアノインストゥルメントのピアノ色のみがよく浮き出てくる。きれいな色合いのコンチェルト。
パッセージの回転が速いところでも均整のとれたぶれない演奏、それにカデンツァも楽しめた。もう一つの商売道具は仕舞って、モーツァルトに徹していましたね。NYPと共演した時のような妙な多発サムアップもなくてご挨拶も割と端正。
小編成の東響オケ伴、そのわりには音がデカく感じるのはピッチが限りなく合っているからでしょう。アンサンブルもいいですし、ピアノも気持ち良く弾けたと思う。モツ6味出ました。
終楽章が通常の倍ほどかかったと思いましたが気のせいですかね。


AB5
Ⅰ i3-2-3-3-5-1-2-1-c2
Ⅱ 3-4-3-5-5-c1
Ⅲ 6-2-5
Ⅳ i2-1-3-3-6-1-3-3-c2

後半のブルックナー。
アダージョ楽章の2回目の主題Bあたりからノットフレーヴァーが効き始めて、クライマックスを含む3回目の主題Aのあたりで止まりそうになる。極度な傾斜。昨年2016年のコスモプロ、リゲティの無律動なアトモスフェール、カオスであってもピュアな東響サウンドを思い出した。ブルックナーのほうはもともときれいな音ですけれども、これら滑らかな傾斜具合、東響、そして明らかにノットのもの。
アダージョ楽章のコーダは短いものですから取った手段なのかもしれないと思うところがありますが、いずれにしても、構造越えのノットの解釈はよく理解できます。感性と造形がよくバランスしている。
この楽章、本日の白眉でした。結果的には前日のロジェヴェンを越えるロングな楽章となりました。

それから、もうひとつ。
フィナーレ楽章コーダ結末の5個の打撃音の前の強い2回の下降パッセージ。この2回目の部分ですね。これでもかというぐらいの驚天動地の圧力。あの音圧にぶっ飛びました。たまげた。
あすこのところ、オーケストラ楽器能力の限界強度の吹き弾きではなかったのか!驚いた!そして感情の糸を止めず一気にエンディングまで持って行った。カオスと言えばここが唯一のカオスだったのかもしれない。見事なフィニッシュでした。
東響の音響美はパーフェクトでした。ブルックナーも草葉の蓋が開くぐらい喜んだに違いない。

慎重にして入念な冒頭の導入部、そして提示部第1主題が決然と現れる。東響独特の明るいサウンド、解像度が高く力感溢れる。それに、オーケストラの奥行き感が凄い。楽器の強弱のその前に既にオーケストラという楽器が独自のパースペクティヴを保有している。これが、能力のひとつとして一気に開花する。素晴らしい。ハードなこの主題、そしてソフトな第2主題、ピッツィカートはクリア、歌は明るくしなやかに、いいですね。第3主題はややスロー目ながら流れる音楽が心地よい。
展開部はオケにちょっとキズが見えましたけれども他楽器まで波及することはなくて、気持ちの落ちつきは良く表現されていたと思います。明るく落ち着く。
圧縮された再現部、コーダは濃く。造形バランスがとてもいい。輝く5番、下降音型がくい打ちのように打ち込まれる第1楽章ながら音楽はどこまでも上昇していく。見事なノット棒。

アダージョはノット、最初に書いたように本日、白眉のベスト表現。演奏のスローな傾斜は空気のゆがみさえ感じさせるもので、結果、演奏のほうがストレートに聴こえてしまうという位相の鮮やかな扱いと言えよう。

スケルツォは2回目のほうが一段と力感がありスピードもアップ、ただの繰り返しにはなっていない。最終楽章を見据えた表現といえる。ノットの造形感というのはこうゆうふうに前後色々と俯瞰してみるとよく理解できる。

フィナーレ楽章は提示部と再現部が同じ規模、再現部のほうは音圧が強烈に増していって主題の切り替わりのポイントがわからないぐらいになるところもあるけれども、構造を見る醍醐味的手応えがあると言えばある。感情の盛り上がりはノットが示してくれているけれども、もしかして冷静に計算されつくしたものかもしれないとルツボテンションのなか、ふと思う。
第1楽章の展開部の滑らかな滑り具合と自然な伸縮、それはこの楽章の展開部では折り重なるような重力音場となる。見事な対比。この流動性と力感の二つの位相がそれぞれのコーダを決めている。だから最初に書いたようにフィニッシュコーダの圧倒的強度の音圧がここで具現化される。上下前後左右出し入れのあや、見事に計算されていると思います。
ダークブルーな5番に明るくスポットライトをあてたノット、東響の演奏は緻密でビューティフルなブルックナーで、存分に楽しむことが出来ました。
おわり



2347- ブルックナー5番シャルク版、ロジェストヴェンスキー、読響、2017.5.19

2017-05-19 23:22:49 | コンサート

2017年5月19日(金) 7:00pm 東京芸術劇場

ブルックナー 交響曲第5番 (シャルク版) 26-20-13-20′

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー 指揮 読売日本交響楽団


Ⅰ  i3-2-4-4-5-1-3-2-c2
Ⅱ  3-3-4-5-4-c1
Ⅲ  7-t3-3
Ⅳ  i2-1-3-3-5-1-1-2-c2

ハイスピードのスーパースローモーション演奏となった第1楽章。この棒についていけるのはチェリを経験したオーケストラだけのような気もする。DNAか。
並み居る5番名盤名演奏の3割増しロングとなった演奏、その導入部、無から始まる。ミスターSが召されたことによる代振りとなったロジェヴェン棒。殊の外、柔らかい音色。Sの強靭な音とはだいぶ違う。最初から別世界。
導入部にコッテリと時間をかけ、あとは推して知るべしなのだが、その一様でゆらぎのない演奏は柔らかくも型崩れしない、強固な構築物。天に突きさすひとつのビルではなく、むしろ連立するスカイスクレイパーを遠目のスカイラインとして眺めるような安定感。
強烈なブラッシングの第1主題。読響の正三角錐の音場が見事、ほれぼれする。ベースの力感が凄い。空気が揺れる。
超スローの第2主題はやぶの中から何やらバケモノでも出てきそうな気配。自分の感覚ではこの主題の速度設定が物差しの基準になっていると思える。限界ピッツィカート。
同主題が不動テンポで繰り返される。読響渾身の咆哮第3主題は2種、という具合で、展開部まで15分近くかかってしまった。各主題揺れない等速、同じ物差しと尺度で等速。ロジェヴェンのバランスはいいものです。というより驚異的なオケ。ロジェヴェン棒にピッタリとついていく演奏は驚異的ですなぁ。
シャルク版の飾りは展開部のあたりからちらほら目立ってくる。ここらへん殊更騒ぐほどのものでもない。棒は展開部でさらにガクッとテンポドツボにはまると思いきやそうでもない。主題の陳列とからみの素晴らしさ、それに余計なリタルダンドを全くしないというのもあって展開部はそれほど苦労することなく通過。とはいうものの全般を覆うスローモーション、この部分でパートの絡み合いのあやをバランスよく表現できているのはオケメンのコンセントレーションがそうとうな高みにあるからだろう。聴きようによっては息もできないような演奏ではあるが、プレイヤーのテンションの高さが作品に乗り移っていて最高の表現とも言える。
再現部は提示部に比べてだいぶ短いものとなるがそれでも第2主題の濃厚さはかわらない。肝主題です。この真ん中にある中心主題が前と後ろのシーソーの支点。
うなりをあげながら再現部へ。ここの締め具合は加速したくなる歯車的な音符の塊だが、等速。プレイヤーも前のめりにならない。もはや、覚悟が出来ているといった演奏で、ここを全く崩さずできる読響さん凄いもんです。右腕ほぼオンリーでほとんど動かないこともあるロジェヴェン棒。チョコっと動かすと疾風怒濤の音がうなりをあげて出てくるさまは大迫力で、オーケストラの醍醐味、ここに極まる。
長い第1楽章でした。揺れが全くない演奏。揺らぎが無くて演奏には芯がありアンサンブルのレヴェルの高さは驚異的。緻密な演奏でした。

空気緊張のまま一息ついてアダージョ楽章へ。
主題Aは2拍子と3連符。ロジェヴェンの棒は右手のみで2拍子と3拍子をまるで同時に振っているように見える。とんでも棒!極みの芸風。
第1楽章と同じテンポで進む空気。読響のどこが凄いって、このロジェヴェン棒にマジについていってること。チェリ覚醒か。
主題Bの安定感は羊水のようだ。節目をつけて2回目のAB、音符に飾りが出始め、最初のABより長めになる。速度傾斜は無い。ここらあたりまでくると、秘境の世界に踏み入ったような錯覚。オケはここでも柔らかいし、ダークブルーな色合いの音色が美しい。等速で均整の取れた演奏はこの楽章を平板なものとしない。主題の切り替えは明確だし、色合いも変わる。素晴らしい表現。3回目のAでクライマックスの頂点を示すが、安らかな盛り上がりですね。前のめりにならない演奏はここでもロジェヴェン感覚をしっかりと消化しているのがよくわかる。踏みとどまっているようには見えない。緊張感がもたらす自然さかもしれない。まぁ、双方、離れ業。
そして短いコーダ、針のむしろを歩く雰囲気はないですよ。あっけなく終わるコーダにはやや安ど感が漂う。

ここまでで、約50分、ほっとどよめく。聴衆よりむしろプレイヤーのほうがホッと。
ツートップのコンマスも含み笑い、ホルンなど苦笑い、タップなのかもしれない、ここからが本番吹き、大変、と。今更やめるわけにもいかない、と。
シャルク版のカットが待っているとはいえ、2楽章までこんなに時間かけて、この版選んだ意味あるの?みたいな雰囲気がある中、その真意はロジェストヴェンスキーさんのみぞ知る。20年以上前に彼のブルックナーCDが、たしか3曲1セットだったかで何度かに分けて発売されたことがあった。今どこに置いたかわからなくなってしまったが、あのCDの5番は何版だったのだろうという興味は少しある。が、彼のメインテーマはそこにはなかったように思う。今日の演奏も同じだと思う。自分の芸風を確かめているのやもしれぬ。


後半2楽章は、前半2楽章に比べたら、想定内よりもっと内側。ちょっと霧が晴れたような演奏になった。
スケルツォ楽章は読響のヘヴィーな演奏が印象的。トリオを挟んだあとの再現スケルツォは大幅にカットされている模様。トリオと同じ規模でしかない。
と、普通なら、スケルツォの波形は前楽章の主題Aと同じだよねと言った話が有ってもいいと思うが、そんなこと、みんな忘れてしまっている。前半2楽章があまりに驚天動地だったためか、ホッと、記憶もなくなった。

フィナーレの導入部は第1楽章のナイトメア的モードが脳裏をよぎるが、進行具合は良い。前楽章再帰、そして提示部。この3主題はリズミック、低弦から上までおしなべて機動力のあるものでぴったりと合った呼吸、アンサンブルの妙を聴くことが出来る。地響きのコントラバスやねじのようなブラスが束になったフーガが進行する様は苦悶の音楽のようでもある。第2主題のリズムの妙、第3主題でのブラス主体の咆哮。それぞれギリギリのテンポで空間をびっしりと埋めていく。
展開部の律動はさらに激しさをます。シャルクカットは丸見えで、まるでレコードの針がずれたかのごときだ。カットしていなかったら、今日の演奏、さらに空恐ろしいものになっていたことだろう。
カットでその先の再現部の配列をやや見失うなか、第3主題の咆哮から一気にコーダ。音量の線系な積み重なりは威力十分で作曲家が基本的に望むものだろう。圧力は増し、さらにステージ奥に横一列に配したバンダがようやく増し増し吹奏。圧倒的な圧力でブルックナー空間を生成したかと思うと、突き刺さるような下降音型のあと5個の打撃音でフィニッシュ。指揮者の棒が冷静で演奏は克明。最後まで緊張感の持続した演奏でした。
破天荒な解釈によるブルックナー5番。全体を俯瞰すれば前半2楽章までのウエイトが高い。後半はカットと解釈ともども7番的尻つぼみ感が否めない。シャルクカットは造形軽視、広めたい一念のものと。指揮者の意向もそれに沿ったもの、とは、まるで思えない、けれども、独特なテンポ設定による音楽の膨らみは、後半楽章に心的な膨らみで厚みを加え、バランス補てんするというところまでは至らず。ただ、この驚天動地の演奏をもう一度してみろと言われても簡単には出来そうもない、読響屈指の演奏でした。永久の時を魅せてくれたオーケストラには敬意のまなざし。あの時のチェリを思い出させてくれたし。
楽しかったです。
おわり

Ps
5番の保有音源は77個です。


2346- フランク、プーランク、サン=サーンス、カサドシュ、新日フィル、2017.5.19

2017-05-19 22:22:49 | コンサート

2017年5月19日(金) 2:00pm すみだトリフォニーホール

フランク 呪われた狩人  14′

プーランク 2台のピアノのための協奏曲ニ短調  8-5-6′
 ピアノ、ギュヘル&ジェヘル・ペキネル
(encore)
ルトスワフスキ パガニーニの主題による変奏曲 4′

Int

サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調 11+8、7+9′
 オルガン、長井浩美
(encore)
ビゼー アルルの女第2組曲より ファランドール  2′

ジャン=クロード・カサドシュ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


この著名な指揮者が初来日なのかどうなのかプログラム冊子には書かれていない。1935年生まれだから81か82、高齢ですけれども身体は細身で軽そう。若いときにはスピノジのような振りだったのではないかと推測。
ロベルト・カサドシュの甥ということですから、みなさん音楽一家親戚という感じですかね。ロベルトさんは昔CBS系の音源でそこそこ聴いていました。

いくらいい指揮者でもこうやって日本にやってきて振ってくれないことにはわからない。フランスもの3作品のラインナップ。洒落た演奏で大いに楽しませてくれました。
プレイヤーの方々、女性陣、おめかししているように見えます。気のせいかな。

フランクは曲のタイトルも中身も物々しいもの。低音から高音まで押しなべて低くうごめく。鳴りは素晴らしく良い。オーケストラの柔らかい歌い口がいいですね。上岡さんが音楽監督になってから何か目覚めたような気がするオーケストラ。指揮者が違ってもそのへん意識改革の効果が表れているような気がする。いい指揮者が振ると本当にいい演奏になる。いいことですね。フランク堪能。

2曲目のプーランク。この作品は児玉姉妹のピアノデュオで聴いたことがあります。
1403- 濃かった群響。井上道義、児玉麻里、児玉桃、群響2012.10.27

今日はペキネル姉妹のプレイで。
二人とも歌いながら弾いている。浅いタッチでクルンクルンとまるまるような弾きで心地よい。このタッチ、2楽章のことです。この楽章は作品自体ほぼモーツァルト状態ですね。

第1楽章は頭の衝撃から音楽の表情が目まぐるしく変わる。割とドラマチックで激しい。二人分のピアノ、結構な迫力です。伴奏はウィットに富んでいて余裕が感じられる。指揮者効果がよくわかる演奏。さすがという感じ。カサドシュは両足が縦に弾んだりして軽そう。とてもこの年齢には見えない。
終楽章もガラス張りのような響きを楽しむことが出来る。明るく流れる演奏はビューティフル。
アンコールのパガニーニ変奏曲、これも軽い感じはありますが、単独のピアノとは違った力強さがあって、楽器ピアノを越えるような迫力と色模様でした。お見事でした。

休憩後のサン=サーンス。
自席から指揮者とオーケストラを斜めに見上げ、さらにその上にドレスアップした長井さんが弾くオルガンがそびえ立つ。なかなかの壮観。ドレスも艶やか。
演奏のほうはこれと同じく見事で鮮やかなもの。美しきアトモスフィア、なんとも言えない香りが漂う。素晴らしい空気感。マーヴェラス。
ディテールに耽溺しないカサドシュ、さりげなく進む中に細やかな変化が何度も何度も膨らみを繰り返す。フレーズの去り際がけれんみの無いものでサッと、サッと。
自席の少し前に座ったペキネル姉妹が二人並んで静かに聴いている。
素敵な演奏、聴衆だけでなく、演奏したオーケストラのメンバーたちも大満足のよう。
新日フィルのサウンドは一段と柔らかさを増し、空気とよくブレンドする。
いい演奏会でした。
おわり




2345- メシアン、幼子イエスに注ぐ20のまなざし、スティーヴン・オズボーン、2017.5.18

2017-05-18 23:49:51 | リサイタル

2017年5月18日(木) 7:00-9:25pm ヤマハホール、銀座

スティーヴ・オズボーン トーク 5′

メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし
                 9+3-3-5-7+10-4-3-3-8-7-3-3-5-12-3-6-7-10-14′

ピアノ、スティーヴン・オズボーン


この作品はお初で聴きます。ピアノのオズボーンは二日前に都響の伴奏でティペットのピアノコンチェルトの日本初演をしたばかり。あのときは左指に何か巻いているようにみえました。今日見たところ左親指と中指にテーピングしていました。強烈弾きの曲、そういったところもあるのかもしれない。

プログラム冊子には5曲毎に重要な楽章が置かれると書いてある。とりあえずそこらへんを頭に入れながら、メシアン自身が書いたという各楽章説明というのを、席はかぶりつきだったのでステージの光をもらって読みながら聴くことになる。

細身のオズボーンが始まる前に5分ほど通訳付きでトーク。そしてそのまま演奏に集中。まさに、コンセントレーションの世界。インスピレーションの再現が成るのか。

9+3-3-5-7+
10-4-3-3-8-
7-3-3-5-12-
3-6-7-10-14

宗教に特に興味を持ってませんので、曲も解説も外からの鑑賞。5曲毎に重要な楽章が置かれる、メシアン解説と曲の重みを聴くと、端的に言って時間がかかる(長い楽章)が重要という感じ。
テーマの現れ具合は以下。
Ⅰ 愛のテーマ
Ⅱ 星と十字架のテーマ


Ⅴ 神のテーマ (数字の3がキーワード)

Ⅶ 星と十字架のテーマ
Ⅷ 

Ⅹ 狩のテーマ、幸せのテーマ
ⅩⅠ神のテーマ、聖母マリアと幼子のテーマ
ⅩⅡ
ⅩⅢ
ⅩⅣ
ⅩⅤ神のテーマ、和音のテーマ
ⅩⅥ
ⅩⅦ
ⅩⅧ
ⅩⅨ愛のテーマ
ⅩⅩ和音のテーマ、神のテーマ

9+3-3-5-7+
Ⅰはピアニシモから始まる。静謐の極み。メロディーラインは無い。メシアン独特のよどみのない響きの沈殿。神のテーマとわかるのは後の話。演奏としては始まる前に息を整え、この楽章でさらに整えるといったところ。
ⅠからⅤの束では、Ⅱの突然のデカい音が激しい。それと、Ⅳの鳥の声が印象的。この束の重要楽章というのはⅤの人間イエスを神イエスが見つめる、というあたりだと思う。3がキーワード。オーケストラ曲でなじみのメシアンサウンドがそのまま出てくる。作曲年次から言ってこのようなピアノサウンドをオケで後年実現させたということだと思う。ピアノからオケというインストゥルメンタルな変化ではなくて、響きのことはずっと最初からイメージされていたのだろう。

10-4-3-3-8-
5楽章毎の束と言いながら、ⅤからⅥへは休みなくそのままの進行となる。このⅥからⅩではアタッカではいるこのⅥが重要な楽章か。フーガ進行、後半の逆行は初聴きでもわかるもので、オズボーンのクリアな演奏では比率のブレすら感じない見事なもので技が冴えまくる。
Ⅷで現れる鳥の声は印象的。最初の束のⅣで出た鳥の声よりも厚みが増している。
結局、この二つ目の束、演奏というのは激しい箇所はさながらアヴァンギャルドな打楽器奏法みたいなところが頻発。もちろん鳴りはメシアンサウンドそのもの。特にバスの響きには強靭なプレイが要求されているように見える。

7-3-3-5-12-
三束目のⅪからⅩⅤ、ここらへんから聴いているほうの脳内はそれまでの楽章が積分され、蓄積されてくるようなちょっとくらくらしたものとなってくる。聴きどころも多い。
聖母賛歌、幼子心臓鼓動、銅鑼、クリスマスの鐘、天使のまなざし、鳥の声、幼子イエスの接吻。メシアンが楽章譜の冒頭に書いたという解説と響きがマッチしてくる。メロディーラインは有って無いようなものだが音響によるイメージ構築それに、心理描写にはうなるしかない。清らかな高まりを内在させた音楽、メシアン作品の高みとオズボーンの圧倒的な演奏はシンクロしていて、これらによるシナジー効果は別世界の位相を感じさせてくれる。素晴らしい。
この束の重要楽章はクライマックスを感じさせるしびれる様なⅩⅤ幼子イエスの接吻と感じる。

3-6-7-10-14
最終束ⅩⅥからⅩⅩは40分かかる長いもの。
最初から最後まで超常現象を擬人化した響きのようでもあり、それを音楽という形態で示したメシアン、作品は長いようでいて一瞬の出来事の気もする。天才技のインスピレーションは月日を相応にかけて作られたものであっても、あとで聴いているほうとしては一瞬のインスピレーションによる一筆書きのように聴こえてくる。
最後の2楽章は長い。愛のテーマの息の長さはトゥーランガリラだろうね。フィナーレに至っては最初から色々あった例えばピアノが打楽器に化けたり木琴になったりトライアングルになったり、シンバルのような響きを醸しだしたり等々、それらあったものを集大成したようなめくるめく響き饗宴ワールド。オズボーンの左腕は最低音から始まり同時に右腕は最高音から降下する。じゃばらのような弾きはメシアンの深淵を覗き込む、生と死を同時に、出現と昇天を同時に、見事に描き切っているし、まだ先がありそうでもある。ふと、最初の楽章、父なる神のまなざし、神のテーマが頭の中を駆け巡る。結局のところ、2時間5分の世界なれど、宇宙の果てまで行って折り返して戻ってきたような気持ちになった。最終楽章は極めて感動的な音楽と演奏でした。

演奏を終えたオズボーンは放心状態。精神の集中と肉体の強靭さ、両方を必要とする作品。
オズボーン、神技だったな、とメシアンが言っている。

おわり


2344- ベトソナ31、シューベルト4即興曲、トロイメライ、ダニエル・シュー、2017.5.17

2017-05-17 22:48:03 | リサイタル

スーパー・リクライニング・コンサート

2017年5月17日(水) 7:30-8:30pm HAKUJU HALL

ベートーヴェン ピアノソナタ第31番変イ長調 7-3,4+6′

シューベルト 4つの即興曲D.899 10-5-5-7′

シューマン トロイメライ 4′

ピアノ、ダニエル・シュー


31番終楽章のエンディングの弧のところ、ああいう作品はどうすれば作れるものだろうと、本当にオンリー・ベートーヴェンの世界を感じないわけにはいかない。どうすればあのようなフィニッシュを作れるのだろう。

終楽章のフーガが進行している途中で、2回目の嘆きの歌が歌われる。そのあと短い押しのハーモニー、シューはここをフォルテまであげていく。フーガが戻り、アゴーギクはさらに激しさを増し、フォルテシモの頂点に達したところで鮮やかに弧を描きながらあっけにとられるうちに曲は閉じられる。素晴らしい閃きの作品。
シューさんお初で聴きます。割と骨太の音でかなり没頭して弾く。第1楽章から結構なアゴーギクでゆさぶりをかけてくる。ぶ厚く熱い演奏。伸縮がある濃い演奏で、ダイナミックでドラマチック、激しい演奏でした。

シューベルトはなかなかやにっこい。ズブズブのメロディーラインがあるわけではない。4つまとまると大規模。シューは輪郭を明瞭にする。バスも克明。スキッとした終わりではなくて果てるような感じ。4曲目がよかったですね。

このホールは初めて来ました。お金を沢山かけているような気配。スーパー・リクライニング・コンサートと銘打ったリサイタルで、椅子は偶数席は空きにしているようで、思いっきりリクライニング出来る。下から上を見る傾斜。椅子を倒してもピアノの鍵盤が見える。といいつつ、やっぱりしっかり観て聴きたいので、椅子を直角に戻して聴きました。
休憩無しの1時間リサイタル。年齢を書いたものが見つかりませんでしたけれどもたぶん19才。エネルギーが余っていると思うので次回は是非フル・リサイタルをお願いします。それに客が寝そべっているところで弾きたいものなのかどうかということもありますしね。
おわり

ダニエル・シュー、
フィラデルフィア・インクワイアー
2016.6.22 記事
Mann Center's classical opener is a 40th fete 






2343- 青柳の堤、ティペットPf協、オズボーン、RVWロンドン、ブラビンズ、都響、2017.5.16

2017-05-16 23:13:26 | コンサート

2017年5月16日(火) 7:00-9:15pm コンサートホール、オペラシティ

バターワース  青柳の堤   6′

ティペット  ピアノ協奏曲(1955) 日本初演  16-10-8′
  ピアノ、スティーヴン・オズボーン

Int

ヴォーン・ウィリアムズ  交響曲第2番(ロンドン交響曲) (1920年版) 14-12-8+15′

マーティン・ブラビンズ 指揮 東京都交響楽団


ブラビンズを聴くのは名フィルとのワルキューレ2回以来。その前は都響とのウォルトン1,2等々の記憶。先秋ENOの音楽監督に就任、今回はひげもじゃで来日。

バターワースは息の短い佳作。オーケストラのアタックが丸くてアクセントが角張らずに押していく。このオケのこのような表現はあまり聴くことが無い。ブラビンズ効果なのかもしれない。硬い響きではあるが音が束になって絶妙なアンサンブル。

マイケル・ティペットの日本初演作、といっても1955年の作だから半世紀以上経ってからの掘り起し。2番シンフォニーの前あたりの作品。生でもCDでも聴いたことが無いはずなのでお初。
16型と思われるデカい編成のオケをバックに、オケが鳴るところでピアノがせわしなく鳴り、オケが鳴りやむときピアノもやむ。バックオケと同じ具合で進むので音がかき消される。唯一違いは、オケの特にベース、チェロを中心とした息の長いフレーズに対して細かく動き回るピアノ。
第1楽章のカデンツァが聴きやすい。気持ちも落ち着く。第2楽章の最後のほうにカデンツァというかソロ風な流れがあり、オズボーンの本領発揮の響きのあやを楽しめるがそうこうするうちにすぐに楽章自体が終わる。なにやら中途半端な感じ。ちょっともったいない。
終楽章で初めてオケとピアノの出し入れがようやくコンチェルト風味をおびてきて交差するようになる。
ギーゼキングのベトコン4のリハでインスパイアされて作ったようだが、同じような曲を作るというよりもピアノのコンチェルトを書くということ、ギリギリのインスパイアか。

オズボーンさんの左親指に白いバンド風なものが巻かれているように見えた。

エルガーもホルストも手掛かりがない曲の場合、英国の吹奏楽を聴くような気持ちで立ち向かうと結構、最後まで聴き通すことが出来る。
RVW2は最後のところのチャイムが印象的。全般にディープというより、やっぱり先の見えないフォッグが沢山、という感じが強い。輝かしいブラスセクションの響きはエルガーと同質性を感じさせる。ひらめきのエルガー、霧のRVW。
序奏付きのソナタ形式第1楽章はちょっと頭でっかちで再現部は足りない。最初のほうにこめた力が解き放たれる感じはいいですね。オーケストラの鳴りが輝かしくて効果的。霧を払うような素晴らしさ。
2楽章のレントはこれも尻つぼみになる。フラットな響きと流れが印象的。メリハリ感以外のところで勝負するのがイギリス式と。なかなかいい流れ。低弦のモノローグがさえる。
次のスケルツォ楽章、型通りだが変化が面白いですね。トリオも含め結構長い。ただ、ここも最後あっけなく終わる、ものたりない。
そのままアタッカで終楽章へ。クライマックスへの流れはあって、演奏も意を汲んでさえていましたね。チャイムへの動きもいいし、その後の消沈しながらのエンディングもお見事。

プログラム冊子には作品の版のことを沢山書いてあるが、とっても大事なこととはいえ、版を語ることよりももっと大事なことがあるような気がする。RVW、ウォルトン、エルガー、ホルスト、デリアス、等々、もっと聴きたいですね。

いい演奏会でした。佳作の良演、お見事!
おわり


2342- ベトコン3、ソンジン、ベト7、サロネン、フィルハーモニア管、2017.5.15

2017-05-15 23:56:44 | コンサート

2017年5月15日(月) 7:00-9:35pm 東京文化会館

シュトラウス ドン・ファン  18′

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調  16-10+9′
  ピアノ、チョ・ソンジン
(encore)
シューベルト ピアノ・ソナタ第13番より 第2楽章アンダンテ 5′

Int

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調  14-9-9-7′

(encore)
シベリウス ぺリアスとメリザンド より メリザンドの死  7′


エサ=ペッカ・サロネン 指揮 フィルハーモニア管弦楽団


前回来日時のエロイカはさっぱりでしたけれども、今思うと会場と席位置のせいが多分にあったのかもしれない。
1761- ブラコン、ハーン、エロイカ、サロネン、フィルハーモニア管、2015.3.7

今回はベートーヴェンを2本並べてくれた。端正な配置のベートーヴェンの前に大挙して来日しているオケ用にシュトラウスを一本。都民劇場用の無料プログラムとは別に500円のスーヴァニアな来日公演プログラム冊子があってそれを見てみるとホルンちゃんは9名、トランペット7名。他、推して知るべし。プログラム毎色々と出し入れしているのだろう。

シュトラウスはデッドな上野でなくても大いに引き締まった演奏だと思う。ホールにより音が足りなくなるようなスキニーサウンドではなくて、どこにおいても芯の通った演奏がこのコンビでは出来ていると思わせるに十分。力感あり、それよりもシャープさが先にきますね。このあとメンバーは大挙して抜けてベートーヴェン。

2015ショパコンチャンピオン、ソンジンの弾くベトコン3。
ソンジンは既に3回ほど聴いている。チャンピオン前2回(モツコン21、ショパコン1)、チャンピオン後1回(エンペラー)、聴く方のバランスとしてはいいかもしれない。
ただ、これまで印象がいまひとつ。
今日はベートーヴェン3番コンチェルト。ハ短調、みずみずしい演奏も可能な作品ですね。
チョさんはドラマチックでダイナミックな事に力点を置いていない。関心外というか。
左のバスが殊更騒がず柔らかくすんなりとはいってくる。全く目立たない。自然な入り。全体に強弱の幅で音楽を鳴らすことはせず押し並べて一様で滑らか。細かい音符の進行はトリル風味にまとめて束にしてプレイしているように聴こえてくる。だからそのあとちょっとフレーズに隙間が出来る。息をしているという感じかな。そのうちフォルテピアノ風な響きに聴こえてくるところもある。一様なプレイのせいですかね。
今まで頭の中を全部ショパンが占めていたのかどうかは知りませんが、もしそうだとしたらヴェールを自分で剥がしてもう一つの世界に入っていかなければなりません。新種のベートーヴェン弾きの可能性も。
オケ提示部をはじめとして弾きの無いところはほぼ、指揮者を凝視。双方呼吸はソーソー合っていたと思います。目をつむるとオケの縦線がずれているというかちょっとささくれだったところも。
アンコールはシューベルト、ここらへんもねらいを定めているのかもしれない。

プログラム後半はベト7。
前回来日時のエロイカでは意識が散漫状態だったせいかあまり見るものも見ていませんでしたが、前回もたぶん同じように端正な配置だったと類推する。(今頃)
14型左からv1-v2-vc-va-cb(たぶん)、ベースとチェロに挟まったあたり少し奥目にティンパニ(茶色のバロックティンパニ)。ナチュラルトランペットが2ではなく3、3番さんの横にもう一本立ててある。取り替えて吹いた記憶が無い。スペアなのかしら。ホルンちゃんは4本だけど、1番2番がメイン吹き。ウィンドは2管。
非常に引き締まったサウンド、カミソリモード。ティンパニのニュアンスが素晴らしい。強弱の間に無数のニュアンスがある。濃い表現力でした。
N‐tpのサウンドは弦とマッチ。一致ベクトル。奥のウィンド、さらに奥のN-tp、手前の弦。左サイドの一列ホルンちゃん。見事なバランスの演奏。このソノリティーの良さ。抜群のバランスですな。
それに品の良さも加わって、サロネン、動きの良い、スキニーガイの雰囲気濃厚。年齢を重ねているのを感じさせない。いい動き。
多少メカニカルでありながらメタリックさは無い。几帳面で引き締まった演奏はハイレベルでテンションの高いベートーヴェンでした。ベト7、満喫。

アンコールはシベリウス。引き締まったサウンドは持続していて副題をイメージさせる静謐な演奏でした、これも素晴らしかったですね。

おまけ話、
このオーケストラを初めて聴いたのは2回目の来日公演1978年のこと。EMIクレンペラーのLPサウンド通り、でしたね。指揮者はブルゴス。

970- フィルハーモニア管弦楽団 ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス1978.11.19

おわり




2341- ショパンPf協1、ケイト・リウ、エロイカ、オンドレイ・レナルト、読響、2017.5.14

2017-05-14 22:37:59 | コンサート

2017年5月14日(日) 2:00-4:15pm 東京芸術劇場

ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調  22-11+10′
  ピアノ、ケイト・リウ
(encore)
ショパン 24の前奏曲より第15番 雨だれ  7′

Int

ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調 エロイカ 18-16-6-13′

オンドレイ・レナルト 指揮 読売日本交響楽団


ほれぼれするオーケストラサウンド、読響の正三角錐定位音場、特にエロイカでは充実の本格的なシンフォニック演奏で何も言うことはない。

前半のショパン。2015ショパコン3位入賞者の演奏。お初で聴きます。
鍵盤側に座りましたがちょっと距離があってよく見えませんでしたけれども、手が随分と大きいのかな。結構なザブザブ感でありながらしなりの効いた柔らかい音が出てくる。デリカシーの塊のような美しさだ。柔らか自在のタッチ。音が滴り落ちる。こぼれ落ちる。これがショパンのパッションか。なるほど。

グッと引き締まったオケサウンドで長い提示部、ここらあたりの味わいも深い。読響の響きはいいですね。そうこうするうちにすぐ第2主題北の宿から、などを交えつつピアノの憂いある進行は独特の演歌節と言えなくもない。オケ伴だけのときとピアノでは随分とテンポ設定が違っていて、ピアノではガクッとスローになるがその違いが気にならない。むしろショパンのしたいところを濃厚に表現していると見たほうがいいかも。一緒に歌いたくなる。美しい演奏でした。

といった具合ですから次の2楽章はさらに美しい。美しさの極み。鍵盤から美音がこぼれ落ちる。パウゼ的空白も功を奏しています。あの空白の瞬間、奏者は何を考えているんでしょうね。空白の間を持たせるのは並大抵の技ではない気もしますが。
これが最大限に発揮されたのが、終楽章への移行。もう、ここ、あまりのスローテンポで、音楽をしているというより、ポツポツと音が断続的に聴こえてくるだけ。ハッとする即興なのか、冷静な筆の運びなのか。見事過ぎて声も出ない。漂う音の香り。素晴らしい。

アンコールの雨だれはこれをさらに振幅拡大させたようなプレイ。限界越えの美しさ。と言い出したらきりがありませんね。本当に美しい演奏でしたね。ケイトさんのショパン、堪能しました。

後半のエロイカ、極めてシンフォニック。読響の得意技、正三角錐の音場で鳴り響くエロイカは極上。目をつむっていても、弦60、ob-fl-fg-clそれぞれ2、ホルン3+1、トランペット2、ティンパニ1、〆て74+1が手に取るようにわかる最高バランス。気持ちがいい。
第1楽章を1拍子振りで通したレナルト、繰り返し有りの提示部、それに展開部、そして再現部、きっちりと1:1:1の見事な構成感。オーケストラ・シンフォニック作品を聴く醍醐味。ベートーヴェン最高のプロポーション。理想的な作品、演奏。お見事!

ゆったりとした演奏でしたけれども弛緩ゼロ。シンフォニックな響きにはこのようなテンポがふさわしいと指揮者は言っている。十分に鳴らすには間をとってと。
後続楽章も完全に同じスタイル。最後まで全く緩むことの無い棒。プレイヤーたちの高いテンションを感じました。
今日の指揮者は当初予定していたミスターSの代振り。このような渾身の演奏自体、ミスターSへの追悼となったことであろう。
おわり






2340- わが祖国、スタインバーグP、N響、2017.5.13

2017-05-13 22:38:47 | コンサート

2017年5月13日(土) 6:00pm NHKホール

スメタナ わが祖国 ⅠⅡⅢ  16-12-10

Int

スメタナ わが祖国 ⅣⅤⅥ  13-13-14

ピンカス・スタインバーグ 指揮 NHK交響楽団


スタインバーグ息子、いつ以来かはたまた初めて聴くのか今記憶にない。息子といってもバレンボイムより3つ若いだけ。

我が祖国、連続演奏ではなく休憩付き。ターボル、ブラニークもアタッカせず、きっちりとポーズ付き。ここらへんも含めて非常にシンフォニックな演奏。副題を取り払って純音楽的な演奏に聴こえてくる。N響の演奏が大変に充実していてよく鳴っている。器楽美音が美しい。シンフォニックな要求は彼らの欲するところでもあろう。いい指揮者の棒でツボにはまるとこのような演奏となるのがN響の凄いところ、
テンポ設定が自然でいい流れ。そちらよりも音の余裕のある響きのほうに耳が奪われる。引き締まり具合がよくきっちりと決まるのはこの余裕の状態からの鳴りだからと思いますね。
充実サウンドでよく鳴れば鳴るほど、特に後半は作品自体のスカスカさが気になってくる。こういったあたりの歌い節とか劇的構成感等々、別の趣向もありと思います。
オペラ指揮者と思いますが、オペラ振りシンフォニック作品振り、どちらとかあまりこだわりのない指揮者と思います。
このような器楽的でシンフォニックな鳴りは好きなので楽しむことが出来ました。
おわり