河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1536- リッカルド・ムーティ conducts ヴェルディ、東京・春・音楽祭 特別公演2013.10.31

2013-10-31 23:52:47 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年10月31日(木)7:00pm トリフォニー
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東京・春・音楽祭 特別公演
ヴェルディ生誕200年記念
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「シチリア島の夕べの祈り」より、
  序曲  9′
第3幕よりバレエ「四季」  31′
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インターミッション 20′
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「運命の力」より
  序曲 8′
第2幕より「天使の中の聖処女」 9′
 グワルディアーノ、加藤宏隆(Bsbr)
 全員、東京オペラシンガーズ
 レオノーラ、安藤赴美子(S)
 (in order of appearance)
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「マクベス」第4幕より、「虐げられた祖国」 7′
  スコットランドの亡命者の合唱、東京オペラシンガーズ
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「ナブッコ」より
  第3幕より「行け、わが想いよ、黄金の翼にのって」 6′
   ヘブライ人たち、東京オペラシンガーズ
  序曲 7′
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指揮 リッカルド・ムーティ
管弦楽 東京春祭特別オーケストラ
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ムーティは1941年生まれ、バレンボイムやレヴァインと同年代。もう70越え。なのに髪は黒々と長く、身のこなしもまだまだいい感じだ。それにオーラがあり、このホールの人数ぐらいなら簡単に魔術にかけられるのだろう。カリスマとオーラ。
この年代で女性客にいまだ人気絶大なのは恐れ入る。
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それとは裏腹にというわけではなく、全く正論的に音楽は厳しい。
シチリア島の序曲が動き出して、おや、チェロの音が一段持ち上げられていると感じ、もしかしてピッチ高めに設定なのかなと感じた。響きがより明瞭になっている。ここらあたりの事情はわからない。ピッチなのかプレイヤーの充実度、集中力なのか。
ただ、音楽は後半最後の曲の方でようやく自由度が増してきた。その前までは、硬いというかムーティをこわがっているのは明白で、上手から水が漏れることはないとはいえ、そこらあたりにいるチャラチャラ踊り系の指揮者たちとはまるで異なるということを当然ながら皮膚感覚でわかっているのだろう。聴いている方でもよくわかる。ムーティにはそう感じさせる何かがもともとあるのかもしれない。ミラノ、シカゴ、フィラデルフィア、ベルリン、ウィーン相手でも同じような雰囲気がある。とはいえ、この日のオケ、一言で言うと、委縮。
ヴェルディ特有のダッダッ、ダッダッの足なみ、艶のある歌といったあたり足りない。俄作りのオーケストラ編成だから呼吸が合わないのか。アンサンブルの鳴りではなくマスサウンドでなんとか音楽を造っている。
後半、合唱がはいって来たところでようやく、この日はもしかして合唱のための一夜だったのではあるまいかと感じさせてくれた。肌触りのいい合唱の響き。黄金の翼はあの時の(1988.9.10)永遠に鳴り続けたと思われたスカラ座公演にははるか遠くおよばない、全く別物のような感じだ、とは言え、合唱はオーケストラよりはよく応えていた。
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最後のナブッコ序曲でようやくヴェルディの熱が出てきた。ここからスタートすれば素晴らしいヴェルディ・ナイトになっていたことであろう。
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最後にこの「東京・春・音楽祭」というお祭りのタイトルはもう少し何とかならないかな、特にこの日は、秋。
おわり


1535- ドヴォルザーク スターバト・マーテル(悲しみの聖母)、レオシュ・スワロフスキー、都響2013.10.23

2013-10-24 00:32:38 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年10月23日(水)7:00pm 東京文化会館
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ドヴォルザーク
 スタバート・マーテル(悲しみの聖母)op.58、B.71
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ソプラノ、エヴァ・ホルニャコヴァ
メゾ、モニカ・ファビアノヴァー
テノール、オトカール・クライン
バス、ヨゼフ・ベンツィ
スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団
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レオシュ・スワロフスキー 指揮 東京都交響楽団
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Ⅰ 21分
Ⅱ 10分
Ⅲ  6分
Ⅳ  7分
Ⅴ  4分
Ⅵ  6分
Ⅶ  7分
Ⅷ  5分
Ⅸ  6分
Ⅹ  7分
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ポーズをいれて80分越えの長丁場。この曲はCDやエアチェック等で聴いたことがあるかもしれないが、こうやって生で観聴きするのは初めてだと思う。第一印象としては、やにっこい感じの音楽で、なんだか一つの主題が手を変え品を変え鳴っているような感じだ。
オーケストラの響きが良く、また几帳面風な合唱あわせ、ていねいな音楽造り。もちろん指揮者のスワロフスキーがこの音楽を熟知していればこその演奏だと思う。
連動するテロップがあればさらに良い。リブレットを暗い中で読みながら聴くのはつらいものがある。
また、聴きなれたいわゆるドヴォルザークの「ふし」がなかなか出てこない。快活さとか人懐こいメロディーが、まるで意識して避けられて別の音楽でも鳴らしているかのように、出てこない。曲が曲だからといえばそうかもしれないが、ロッシーニの同タイトル曲だって滑らかなわかりやすさがあるというものだ。
歌ありきで聴けばいいのだろう。そう感じたときには終わっていた。
おわり


1534- 新国立、フィガロの結婚、ウルフ・シルマー、東フィル2013.10.20

2013-10-21 00:57:14 | インポート

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131020_225501_2 → 見?→身?
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2013-2014シーズン
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2013年10月20日(日)2:00pm 新国立劇場
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アンドレアス・ホモキ、プロダクション
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モーツァルト フィガロの結婚
 第1幕+第2幕:90′
 Int
 第3幕+第4幕:80′
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アルマヴィーヴァ伯爵 レヴェンテ・モルナール
伯爵夫人 マンディ・フレドリヒ
フィガロ マルコ・ヴィンコ
スザンナ 九嶋香奈枝
ケルビーノ レナ・ベルキナ
マルチェリーナ 竹本節子
バルトロ 松位浩
バジリオ 大野光彦
ドン・クルツィオ 糸賀修平
アントーニオ 志村文彦
バルバリーナ 吉原圭子
二人の娘 前川依子 小林昌代
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新国立劇場合唱団
東京フィルハーモニー
チェンバロ、石野真穂
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指揮 ウルフ・シルマー
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ホモキの段ボール箱プロダクションは2010年にも観ました。人気演目、シンプル舞台、その愉しみはモーツァルトの音楽から湧き出てくるもの、過剰演出は不要。
舞台の上には愛の巣となる白い部屋、だけ。そこに引越しの段ボールが運ばれるところから始まります。段ボールにはロンドン、東京、ニューヨーク、等々いろんな地名が書かれている。この意図はよくわからないところがありますけれど、何となく楽しい。
舞台は4幕ともこのシチュエーション、途中、この部屋の壁が斜めに広がりますが動きはそれだけです。部屋の風景は白くてピュアな感じで、シンプル・イズ・ザ・ベスト、といったところ。
自席が少し右寄りで、舞台左サイドの白い壁に映る出演者たちのシルエットが非常に美しい。進むストーリーになにかもう一つの要素がからまったような趣きで愉快。
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フィガロのヴィンコは足が長くやたらと舞台映えがする。低音域にもっと力強さが欲しいところはあるけれど、全般的にこのプロダクションには良く合っている。シルエットも当然美しい。身のこなしもいいので動きがバタバタとしない。モーツァルトのオペラにはこのようなスタイリッシュさも求められるのだろう。
スザンナ、ケルビーノも快活、フィガロに引っ張られたところもあったかと思います。
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最後のところ、フィガロがスザンナ(→伯爵夫人)とわかっていながら間違ってあげるシーケンス。声をきいただけでわかると彼は言う。でも、フィガロが隠れて彼女たちのやりとり聞いているのをスザンナはその前にみている。つまり正しい結果を予想してあげているスザンナが一枚上手。
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前回2010年に観たときは、ピットを覗いたらコントラバスが3本、あとは推して知るべし。今回も同規模。弦の刻みがどうのこうの、あっちがあっているあっていない、そんなことは些末なことでモーツァルトの音楽がいかに流れていくか、そうゆうことだよと、なんとなくわかりました。
それと、指揮のウルフ・シルマー終演後、舞台上で結構な満足モードでした。よっぽどうまくいったということなんでしょう。モーツァルトの清く正しく流れまくる音楽の心地よさ。
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舞台の動きが一回、休憩も一回、かなりロングな舞台です。ドン・ジョヴァンニとかマジック・フルートを観たと思えばいいのでしょうが、フィガロは幕毎にシーンが変わるものですから頭の切り替えが大変。続け様に観てもいいかなと思うのは今回の様にグイグイ舞台に惹きつけられていくようなとき。
おわり


1533- ブリテン、夜想曲、ギルクリスト、ピーター・グライムズ、ベートーヴェン8番、ノリントン、N

2013-10-19 22:34:58 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年10月19日(土)6:00pm NHKホール
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ベートーヴェン エグモント、序曲
ブリテン 夜想曲
 テノール、ジェームズ・ギルクリスト
ブリテン ピーター・グライムズ、4つの海の間奏曲
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ベートーヴェン 交響曲第8番
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ロジャー・ノリントン 指揮 NHK交響楽団
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なんとも頭でっかちのバランスの悪いプログラム構成。前半の3曲だけで1時間越え。せめてエグモントを後半、8番の前に持ってくるとか策があると思うのだが、このアンバランス、何か理由があるのかしら。
夜想曲のギルクリストは細めの美しい声で、でかく歌わなくてもホールに響きが充満。昔のタリアヴィーニの鼻声を少し思い出しました。(といっても生ではなくCDですが)
このホールで夜想曲を歌うのは歌い手からすると厳しいのではないかと思いましたが、事前の準備、きっちり段取りしていたのでしょう。
PG間奏曲は独特なモノローグ風な静かなところが美しかったと思います。オペラ全曲だともう少し劇的なところが強調されるような気がするだけに静かさが目立つと言った部分があるのですが、前曲の夜想曲含め2曲並べられるとその静かさの連続にちょっとしんどくなる。ここらあたり諸外国の指揮者やオーケストラが外国で自国ものをやるときの陥穽。日本の団体が外国でやるときの演目についても同じ、この日のような並べ具合はしないとは思いますが。
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後半の8番は短い曲でノリントン棒だとさらに短く。あっという間の出来事でした。この曲独特の粒立ち、その良さをN響からは聴くことが出来ました。伸ばし音符のフレーズ句についても対比が良くわかる演奏。ノリントン速度だとアクセルそのものがもう一個別の個体の様にアドレナリン注入されパースペクティヴに優れた迫力が出てくる。この前の田園もそんなところがありました。ユニークな演奏様式ですね。
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最後は、「振り向きフィニッシュ・ドヤ顔さらし」
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1532- ブルーノ=レオナルド・ゲルバー、月光、3番、田園、熱情、2013.10.19

2013-10-19 22:23:45 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年10月19日(土)2:00pm 東京文化会館小ホール
オール・ベートーヴェン・プログラム
第14番 月光 (1801年)
第3番      (1795年)
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第15番 田園 (1801年)
第23番 熱情 (1804-06年)
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ピアノ、ブルーノ=レオナルド・ゲルバー
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ゲルバーは随分と昔から聴いてきた。1970年代後半からだから少ないとは言えそれなりに聴いてはいる。身体のことでいうと最初の頃は両杖で割と元気にばたばたとピアノに向かっていたような記憶がある。そのあとちょっと記憶がさらにあいまいなのだが杖が無かった時代もあったと思う。今回は介添えの人の腕をつかみながら。それでも色つやがいいし、とても72才とは思えない。
月光の神秘にいきなり入っていった。歯切れよくピュアなサウンド、伸縮しない正確な音の長さ、ぶれない。これはよほど気持ちが安定していないとこのようにはならない。雑念皆無の音楽集中。この小ホールはちょっとガラスが割れたような小さい割には拡散系のサウンドホールだと思いますが、音楽への集中力が上回る。静かさと激情、その両方に眼が光る。
第3番はまともに面と向かって聴いたのはこの日が初めてだと思う。大規模な曲でした。形式感がありあまるほどキッチリした曲のはず、でもそこまで見通せなかった。聴くので精一杯。ゲルバーのピアノ、この日、白眉、会心の演奏だったように思います。曲自体をあまり知らなかった自分としてはほとぼりが冷めてから、最近のアリス=紗良・オットのCDを取り出して聴きたいと思います。
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後半の最初の曲は、冒頭の月光の次のソナタ田園。
田園はこれまた古い話だが、ポリーニのザルツブルクでの放送録音(1976.8.24ザルツ)が印象深く、静かで精神の安定を感じることができる演奏であった。ゲルバーのこの日の演奏も静かで造形に優れ、ブレない表現が印象的。見事なフォルムだと思いました。
この日はプログラムの入れ替えがあり、もとは、田園が先で月光が後半一曲目の順番でした。変えた理由はわかりませんが、こっちのほうがいいように思いました。
最後の熱情はこの日の曲で一番後期の作品。最初は運命が鳴りっぱなしで、どうしても音価が均質かといったあたりに耳がいってしまいます。ゲルバーは最初の月光から、乱れのない演奏でそこらあたりのことは心配無用なのでしょう。楽しめばいいとわかりました。
最近では泊真美子さんのを聴いておりました。両方ともうるさくならずいいですね。
糸がもつれないでメビウスの輪のようになり先へ先へ進んでいく、空中を絶えず動きながら浮かんでいる糸のような、ピアノの一つずつの音であるはずのものが連続連鎖していく様は見事と言えます。
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アンコールもなく、きっちり4曲。ファンで埋め尽くされたホール。久しぶりにゲルバーを聴いて満足しました。ありがとうございました。
おわり


1531- 眠れる森の美女、ウォーター・ドリーミング、スクリャービン3番、アレクサンドル・ラザレフ、

2013-10-18 21:49:00 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年10月18日(金)7:00pm サントリー
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チャイコフスキー 眠れる森の美女、組曲
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武満徹 ウォーター・ドリーミング
 フルート、真鍋恵子
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スクリャービン 交響曲第3番 神聖な詩   47′
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アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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スクリャービンの3番を久々に聴くことができると言うので期待に胸を膨らませて出かけました。
一曲目のチャイコフスキーで、ドンドンドンと結構地鳴り風に響いたりして、これは期待が持てると感じたのです。
結果的には、そう悪くもなかった、といったところ。
ラザレフが左手の掌を一生懸命前に出し、もっと音を出せと始終要求している。ブラスはそれなりに出てくるのだが、弦は出ない。薄い。彼がイメージしているであろうロシアのサウンドを引き出せない。このもどかしさ。
この曲は、束で迫るマス系方針とブラスを抑制させ全体の響きのバランスで迫る響き系があると思うのですが、ラザレルの方針は明らかなマス系、でも、空振り、ではなく肩透かしとか空回り。そんな感じでした。要求が満たされていなかったと思います。これは、技術的にへたとかうまいとかいった話でもないと思うのですが、音圧増減幅の大きさの表現も技術のうち、とするならば、今ひとつ足りないものがあるということです。弦の薄さは如何ともしがたい。ブラス掻き分け弦が鳴るのではなく、同音量で鳴ることによりベクトルが、1+1=3みたいな世界になっていく。そうならない。
これでは常日頃の普通の曲の演奏とあまり変わらない。というか、曲を理解して演奏しているのか少し疑問に感じたところもありました。第2部後半~第3部前半あたり、もしかしてプレイヤーもパートによっては、よくわからなかったのではないか。楽譜は前に有るので弾けると思いますが。
この曲は、リストのファウスト交響曲の、あの、主題がなんだか一つしかないような、始終同じ節が鳴っているようなあんな感じの曲なんですね、変奏曲と言うか。
ですからヴァリエーションの愉しみはアンサンブルしているプレイヤーのほうがより感じることができると思います。弦の薄さは強く弾かない(弾けない)日本の文化的背景があるような気がします。ウィスキーのロウカスクも上澄みより全部飲み込みたい。そんな欲望を満たしてくれていない。上澄みだけでいいじゃないか、という感じの弾きっぷり。
ラザレフはこの曲の演奏解釈をオーケストラに移植したが、必ずしも満足できる結果とはならなかった。オーケストラ側の消化不足と言うより曲への理解度が今ひとつであった。
ただ、音として目の前で鳴ってくれたのを聴いたので、それなりに満足はしています。
スクリャービン 交響曲第3番 河童ライブラリー(2013.10.15リニューアル)
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武満の曲は理解も出来なければ、皮ふ感覚的なフィーリングも感じない。生演奏ではショートピースが結構演奏されますが、決まってプログラム前半にちょこっと置かれるだけ。
おわり


1530- ラフマニノフ、コレ変、プロコフィエフ、ピアノ協3、小山実稚恵、ストラヴィンスキー、火の鳥

2013-10-16 23:23:14 | インポート

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2013-2014シーズン
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2013年10月16日(水)7:00pm サントリー
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ラフマニノフ(ドゥンブラヴェーヌ編)
 コレッリの主題による変奏曲op.42 管弦楽版、日本初演
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プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番
 ピアノ、小山実稚恵
(encore)プロコフィエフ 前奏曲op.12-7
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ストラヴィンスキー 火の鳥(1945版)
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クリスチャン・ヤルヴィ 指揮
東京都交響楽団
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録音魔のもう一人の息子、お初です。
派手な動きが目障り、自分のために振っているように見える。音楽が消化されておらず、どうかと思う。
でも、それよりも何よりも、一曲目のコレッリ変奏曲、指揮者のはるか上をいくわけのわからない駄作で、なんでこんな曲を取り上げて演奏して何を訴えたいのかさっぱりわからない、あえて言うなら、このような文句が出るはずだという逆説的でなまめかしい発想だったのなら、わかるが。時間の無駄。
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プロコフィエフの協奏曲は、切れ味とか色彩感覚といったあたりをねらわず、普通に丹念にオタマを音にしている感じでした。曲自体は爆で面白いものなので聴いていて飽きることはない。
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火の鳥は、振り慣れている棒さばきはわかります。それ以上のものはありません。
おわり


1529- スクリャービン 交響曲第3番 河童ライブラリー(リニューアル2013.10.15)

2013-10-15 23:30:04 | インポート

2013年10月15日時点で保有している音源です。

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1
エフゲニー・スヴェトラーノフ/USSRso.
  1966 MELODIYA
2
エフゲニー・スヴェトラーノフ/USSRso.
  1990.4.14 RUSSIANDISC
3
エフゲニー・スヴェトラーノフ/ロシア連邦so.
  1996.5.16-20 EXTON
4
ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツRso.(**注**)
1975.5.22-23 hanssler
5
ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツRso.(**注**)
  1975.5.28 NHK-FM
6
キリル・コンドラシン/コンセルトヘボウo.
  1976.2.12 ETCETRA
7
エリアフ・インバル/フランクフルトRso
  1978 PHILIPS
8
リッカルド・ムーティ/ベルリン・フィル
  1987.5.31 NHK-FM
9
リッカルド・ムーティ/フィラデルフィアo.
  1988.4.29,30 EMI
10
リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル
  1990.10.21 NHK-FM
11
リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル
  2005.5.2
12
ダニエル・バレンボイム/パリo.
  1987.11 ERATO
13
ジュゼッペ・シノポリ/ニューヨーク・フィル
  1988.1 WQXR
14
ジュゼッペ・シノポリ/ニューヨーク・フィル
  1988.1 DG
15
レイフ・ゼーゲルスタム/ストックホルムpo.
  1989.8.14-15 BIS
16
ヴァレリー・ゲルギエフ/レニングラードpo.
  1989 LENINGRAD MASTER
17
ウラディミール・アシュケナージ/ベルリンRso.
  1990.4.22 NHK-FM
18
ウラディミール・アシュケナージ/ベルリンRso.
  1990.5.23 LONDON
19
ネーメ・ヤルヴィ/デンマーク国立Rso.
  1990.5.31-6/2 CHANDOS
20
ドミトリー・キタエンコ/ベルゲンpo.
  1990 VIRGIN CLASSICS
21
ジョン・プリッチャード/BBCso.
  ?頃 BBC ARTIUM
22
アレクサンダー・ラザレフ/NHKso.
  1994.2.16 NHK-FM
23
ミカエル・プレトニョフ/ロシア国立o.
  1998.3 DG
24
アレクサンダー・ドミトリエフ/ペテルスブルク・アカデミックso.
  2003.9 WLA

以上、24点
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8、9、10、11番
ムーティについては別稿を参照願います。ムーティはこの曲が大好物でたくさん振っております。
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724-(2008/12/03up)
スクリャービン 交響曲第3番 リッカルド・ムーティ フィラデルフィア管弦楽団 1984.2.22
060-(2007/9/18up)
スクリャービン 交響曲第3番 ムーティ フィラデルフィア 1984.2.22
061-(2007/9/19up)
スクリャービン 交響曲第3番 ムーティ
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4,5番
ミヒャエル・ギーレンの演奏は最後の二つの打撃音が無い(**注**)。盛り上がって突然終る。5のNHK-FMのものは放送を聴いていて、編集ミスかと思われたがNHKの解説者は平然と解説を始める。当時、知られていない曲とはいえ、ありえない。のちにどこかで文章を読んだ記憶があるのだが、このように終わる解釈もあるらしい。消化不良気味なのがギーレンらしい。
内容的には4のヘンスラーの正規CDの方が精度で上を行く。最後のところもスピードアップしていき、打撃音無しをうまく解決していると思う。
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13、14番
シノポリ&ニューヨーク・フィルの演奏は、肩の力が抜け75%の力で100%の感動を、といった、いかにもNYPらしい余裕の演奏である。運動後の整理体操みたいなリラックスさが聴くほうにも心地よい。
この曲の解釈にはマス系とアンサンブル系の二つの行き方がありそうだが、NYPの演奏は完全に後者。
べらぼうなうまさのブラバンによくありそうな開始。こじんまりとブラスがハーモニーを奏でる。目先の楽譜を一歩ずつ消化して進んでいく。実に心地よいアンサンブル。ウィンドも同じく均衡を保ちながらブラバン系の響きのなかを進んでいく。弦は控え目であり、徐々に糸が絡んでいく。進むうちにやがて全奏が出現するが飽くまでも75%の力。品位と節度が保持される。アンサンブルは室内楽的透明さで。
オペラを振っている途中でゴロンと死んでしまったシノポリは、よく分析的、解像度の高い演奏、などと言われたものだが、たんにアンサンブル重視の演奏・表現を目指したのではなかったのか。その結果としての世評のような気がしないでもない。NYPのこのような演奏を聴いているとますますそう感じる。いずれにしろこのNYPはへヴィー級マス・サウンドとは明らかに方向性が異なり、秋の夜長でも気張らないで聴くことができる超一品である。かむほどに味が出る。
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12番
バレンボイム指揮パリ管の方向は、ロシア風マスサウンド、へヴィー級サウンドとはかなり異なる、かといってきらびやかな演奏というわけでもない。この演奏の解釈としてはかなり異色。
前奏部分は滑らかというか、スローでワーグナーでも始まるのかといった雰囲気。その遅めのテンポは最後までかわらない。
聴き進めるうちに異常に丁寧な棒さばきにはまり込む。フレーズ毎の響きを重視した解釈で、モザイク風に進む。ある部分だけ聴きとるとスクリャービンの3番のようには聴こえない個所が多々ある。まるでラヴェルのマメールロワであったり、シェーンベルクの浄夜であったりする。
アップテンポのところも全く急かさない。かといって悠然たる響きというわけでもない。飽くまでも変奏曲の響きの変化を提供する。
52分オーバーの演奏でスヴェトラーノフまではいかないがかなりスローだ。
最後の空白の滞空時間も、誰のが一番長いのか知らないが、心理的には圧倒的なバレンボイムの解釈だ。

といった感じで、全部の印象は書いていないが、機会を見つけて書いていこうと思います。
このライブラリーのなかから一つだけ選べ、と言われれば。
8番
リッカルド・ムーティ/ベルリン・フィル
  1987.5.31 NHK-FM

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この幾何学模様的な演奏は強烈。最後の打撃音間の空白の空気音がフィルハーモニーで見事にとらえられている。(空白なので音はしないが、ものすごい威力だ)
なぜかブーイングがはいっている。戸惑っている聴衆がいるのかもしれない。
空前絶後の演奏ではある。
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1528- ブルックナー4番、パッサカリア・イマジナリア、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、読響、2013.10.14

2013-10-14 21:52:29 | コンサート


2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年10月14日(月)4:00pm 東京芸術劇場
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スクロヴァチェフスキ パッサカリア・イマジナリア
23′
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ブルックナー 交響曲第4番 ロマンティック WAB.104
19′15′10′21′
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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮
読売日本交響楽団
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同プロが二日前に有り(2013.10.12)。再訪。
まずは初めの一言、ミスターSがブルックナーを振ると空気が変わる。
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演奏内容については二日前と同じだが、ホールとか聴衆が変わっているわけで、それなりの変化はある。
ホール空気の緊張感はかなりのもので、二日前の上をいく。自ら生唾を飲み込む音さえ拒否している聴衆の異常な緊張感。張り詰めた空気がものすごい。
この雰囲気は昔味わったことがある、同じ読響で。
1977年読響を振るために単身来日したセルジュ・チェリビダッケ、この時代チェリビダッケの録音は限られていたが有ることはあった。ただご本人を見ることができるなんて思ってもいない。かのフルトヴェングラーの映画で、がれきの中でエグモント序曲を下から上へのしゃくりあげ棒で精力的に振っていた若い指揮者を見たことがあるだけだ。その歴史上の人物が日本の舞台に現われたのだ。チェリを待つ聴衆の異常な緊張感。生唾もなければ、コトリのコもない。シーンという音がうるさく感じるほどの異様な窒息感。
そのなか、チェリが現われた。少し足が悪いのかゆっくりした歩で指揮台に向かう。そして最初の曲、真夏の夜の夢。全ての音がなんと柔らかくピアニシモで美しく響いたことか。度を超えた緊張感はプレイヤーにもあり、超弱音のクラリネットからは空気の音が鳴ったりした。チェリの棒のもとあれはあれで正しいのだと思ったものだ。(1977.10.18)
チェリの時ほど極端ではないが、ミスターSがくると同じ種類の空気となる。聴き手側の緊張感が一気に高まる。受動的であった受け手が能動的な思考回路に変化すると言えるかもしれない。聴き手側にアドレナリンが充満し脳内変化を起こす、その起因となるものがミスターSから出てくるエーテルなのである。
既に聴き手は、ブルックナーとミスターSの凄さを知っている。それがまた繰り広げられる。再現芸術の極み、愉しみ、面白さを心ゆくまで味わえる。
この日も揺るぎない構築物、一瞬、時間が静止し、第1楽章諦めのような下降する第1主題から第4楽章のフィナーレの角度のついた明瞭な3連音符と息の長いトーンまで、まるで壁画でも見るように、遠くの時間と過去の時間が合体し一つの絵のようになった。極めてクリアで安定感に富み、フレームの縁取り感覚に優れたものすごい演奏であった。ということです。
解釈は別宇宙のようにまるで異なるとはいえ、まさしくフルトヴェングラーと同じ、最初の音のときから、すでに最後が見えている、この構築感の素晴らしさに他ならない。
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だから、
ブルックナーの4番は聴き方を変えるとホルン協奏曲みたいなところがあり、極めて難しいインストゥルメントであるのは重々承知しているとはいえ、吹くたんびに、次のフレーズは大丈夫かなと思わせるような吹奏は、エーテルに少なからず水をさすことになってしまう。二日前と同じ個所でのすべりもいいとは言えない。
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前半の自作自演は、二日前と同じくいい内容。オーケストラの表現能力が高く、ハイレベルでの作品への共感がよくわかる。プレイヤー側に、演奏しやすいというか、演奏し甲斐があるような気もする。総じてミスターSの作品はそのようなところがあるのではないか。まんべんなく出番があり、やり応えがある、そんな感じです。
枠の中に留まっていると言えるかもしれないが、じゃぁ枠の外ってなに?うまく行ったためしがあるの?そう問われているようでもある。とにかく、ミスターSの作品は全部聴いてみたい。
おわり


1527- ブルックナー6番、シューマン、チェロ協奏曲、ルイジ・ピオヴァノ、下野竜也、新日本フィル2

2013-10-13 18:20:28 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年10月13日(日)2:00pm トリフォニー
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シューマン チェロ協奏曲
 チェロ、ルイジ・ピオヴァノ
(アンコール)
山田耕作 作曲(Roberto Granci 編曲)
あかとんぼ(チェロ四重奏曲版)
(チェロ6人+ピオヴァノ)
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ブルックナー 交響曲第6番(ハース版)
 17′22′8′15′
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下野竜也 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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ピオヴァノのシューマン、金属的でなくて木の香り、木目が見えるようないい音色の鳴りでした。しっとりと濡れているというよりも、木の皮風の味わいで癒されました。
非常に余裕のある演奏で、第2楽章のチェロトップとの重奏では流し目とウィンク、トップさんはどう思われたかわかりませんが、それやこれやで、いい雰囲気の演奏でした。
シューマンのチェロ協奏曲はだいたいいつも一回は眠りについてしまう曲なのですが、この日はそのようなこともなくパフォーマンスを満喫しました。
また、オーケストラも先般のメッツマッハーのときとは段違いの音で、見通しがよく清涼感溢れるサウンドとなっており、下野の練習成果がよくでていたと思います。
良い演奏でした。
また、アンコールでの重奏は珍しいもので、チェロのサウンドの魅力を十分に味わうことが出来ました。
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後半のブルックナー6番、最初は気張り過ぎでしたが、第1楽章コーダあたりでブルックナーの伽藍サウンドでました。第2楽章以降、多少の汚れはあるものの全体的に楽しめました、第4楽章第2主題の鳴らしは確信犯的トリスタンですね。確信犯はブルックナーで指揮者の方は割と無策ぽく鳴らしていたような気がします。
指揮者の下野は今回初めてブル6挑戦ということみたいで暗中模索でしょうね、自身への種まきみたいなものでしょうか。マーラーかぶれしていない指揮者のように見受けられますので、その労力をブルックナー等々に使ってほしいと思いました。このスタンスは好感がもてました。
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今日の下野さんは、そうとうなマジ顔でした、ブル6余裕がなかったのかもしれません、でも、それでも、笑いで済ますような棒よりはずっといいではないですか、
やはり、彼の真剣さと音楽へのひたむきさをかいますよ。
おわり


1526- ブルックナー4番、パッサカリア・イマジナリア、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、読響、2013.10.12

2013-10-12 21:44:20 | インポート

2013年10月12日(土)6:00pm サントリー

スクロヴァチェフスキ パッサカリア・イマジナリア  23′

ブルックナー 交響曲第4番 ロマンティック WAB.104 20-15-11-21

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮 読売日本交響楽団


ブルックナーの7番は滑らかな曲でミスターSが強固な構築物にしようとすればするほど第4楽章のバランスが悪いのが出てきてしまう。それに比して、この4番は7番ほど流麗ではないが全体バランスがよく、Sが振ると不動の演奏作品となる。
この日も完全無欠のソナタ形式構築物の建立!!となりました。
構造が透けて見えるジャングルジムのような演奏、その鉄筋はさびることも動くこともない。とはいえ、ブルックナーの歌、みたいな部分もありました。硬い引き出しではあるがそれなりにあるのだろう。
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まずは初めの一言、ミスターSがブルックナーを振ると空気が変わる。これを今回も感じさせていただきました。ありがとうございます。
第1楽章の3主題提示部と再現部は、ほぼ同じながら第3主題の少なからずの加速化。特に再現部の方はコーダになだれ込みますので自然なアチェルランドが心地よい。でも、再現部のエンドとコーダの開始の節目はきっちりと切っていくあたり彼らしい。
また、展開部の表情が濃い。作曲家自身による主題のこねくり回しはあるがほぼ羅列状態の中、Sのちょっとした表情が濃く、これがブルックナーの歌なのですね、みたいな感じになるところがある。音楽の表情ですね。
そもそも、このオーケストラにはSの刷り込みがはいっているので、もはや細部の指示だけで十分なのではないだろうか。結構大胆な抑制指示とかが出ていて、パースペクティヴが効き、歌も良い。
あと、延ばし音符よりも同時進行の刻み音符を克明に響かせていたのが印象的でした。両端楽章が顕著でした。フィナーレのコーダなど、ホルンの3連符の方を聴け、みたいな振り方でした。
いずれにしてもこのような、強固で味わい深いブルックナーは他ではめったに聴くことはできません。今回もありがとうございました。
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前半の自作自演
Sの作品はわりと聴く機会があり、内容も好きです。
この日の曲は、もはや実験などといった言葉は彼にとっては陳腐であり、素材の駆使、そしてその先にある音楽の表情、そこに力点がいっているように聴こえる。フルオーケストラの鋭角的な響きが美しく響き、魅惑的。聴きづらさや、やにっこさがなく響きの世界にすんなりと入ってゆける。長い曲なのだが飽きのこない曲。管弦楽が分厚い曲だからかな。
この日の演奏も秀逸であったと思います。
出来ることならSの作品のCDは全部揃えたいと思っております。
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自作自演は譜めくりしていましたが、ブルックナーは譜めくりは不要でした。指揮台にスコアは置いてあるもののスポンジ?無しだったので最初からめくるつもりはなかったのでしょう。支えみたいなものですね。
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プログラムにSさんの二男坊の映像エディター、ニコラスさんの2ページの短文「素顔の父・スクロヴァチェフスキ」が載っております。文中ちょこっと拝借。
「~食器棚に大事に隠してあるとっておきの古いワイングラスが、父の美意識に従って配置されています。こうした穏やかで秩序正しい生活が、音楽的研究に対する深い集中や、作曲におけるクリエイティブな着想を支えているのです。~」
おわり


1525- グルック、ベートーヴェン、Pfcon2、ロバート・レヴィン、田園、ロジャー・ノリントン、N響2013.10.9

2013-10-09 22:24:50 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年10月9日(水)7:00pm サントリー
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グルック(ワーグナー編曲)
 アウリスのイフィゲニア、序曲
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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番
 ピアノ、ロバート・レヴィン
  第1楽章カデンツァ、レヴィンの即興演奏
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(encore)
ベートーヴェン 7つのバガテル、第7番
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ベートーヴェン 交響曲第6番
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ロジャー・ノリントン 指揮 NHK交響楽団
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田園は猛速もさることながら遠近がすごい。
テンポ感については周知のところであり特別にびっくりするようなものではないが、パースペクティヴがかなり効いておりオーケストラ自体が前に出たり奥に引っ込んだりするような錯覚に陥る。この迫力はすごい。
田園全体の弦編成は14型、14-12-10-8-6
田園第2楽章弦編成は変則10型、10-8-6-4-4
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さらに、管、ウィンドは倍管編成
でも、楽章毎の遠近のことを言っているわけではありません。第1楽章なら第1楽章で、その中でのパースペクティヴがすごいということです。第1楽章で弦の振動のような刻みが近くなったり遠くなったりするのは、かなりの迫力。フルトヴェングラーと対極のテンポ感でありながら、双方ともに田園らしくない。自己主張の極みが万人の心を揺さぶる何かがあるとき、それを普遍的と人は呼ぶのかもしれない。
うならせてくれます。
これだけ、曲よりも演奏解釈の方に耳がいくケースはあまりない。かなり手の込んだ仕込みをオーケストラに行なっており、双方納得の演奏となっているように思える。
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前半の協奏曲は、ピアノを正面向きにセットアップ、ノリントンは弦とウィンドの間に立って指揮。いつもこのスタイルらしいのですが私ははじめて見ました。どのような効果があるのかわかりませんが、弦がこっちにお尻を向けて演奏するさまは、音の進行方向が逆で、かつウィンドとぶつかるのでいいとは言えない気がしますが。まぁ、これでいい理由もあるのでしょう。
ピアノは水際立っており新鮮、切れ味良く、ぜい肉無しですっきり。気持ちのいい演奏でした。ノリントンの小節一振り指揮と出てくる音のリズム感が見た目ではちぐはぐ。でもきっちりリズミックな演奏ですので練習のたまものだと思います。オーケストラもこうゆうふうにちゃんと練習してから本番迎えるのが理想ですね、聴く方としても。
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最初のグルックが殊の外、巨大でびっくり。フルトヴェングラーが演奏会に引っ張り出している曲だったのをつい思い出してしまいました。
ノリントンのクラシカル・プレイヤーズの枠を取り払ったような演奏が印象的でした。良い曲ですしね。あらためて聴きたくなりました。
ありがとうございました。
おわり


1524- ミュンフンチュン、フランス放送、藤村美保子、カルメン、ローマ、火の鳥、ラ・ヴァルス2013.10.5

2013-10-05 23:20:43 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2013年10月5日(土)6:00pm NHKホール
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ベルリオーズ 序曲、ローマの謝肉祭
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ビゼー カルメン組曲
ビゼー カルメン抜粋
 メゾ、藤村実保子
(encore)
サン・サーンス
 サムソンとデリラより、あなたの声に心は開く
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インターミッション
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ストラヴィンスキー 組曲、火の鳥 (1919)
ラヴェル ラ・ヴァルス
(encore)
ラヴェル マ・メール・ロワより終曲(妖精の園)
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ミュン=フン・チュン 指揮
フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団
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予定されている極上の藤村、サン・サーンスのアンコールをいれても短いプログラムでした。オーケストラはこの日が日本での千秋楽だと思います。この前(2013.9.30)のような破格の素晴らしい演奏からするとちょっと疲れ気味。
プログラムは当初から決まっているとはいえ、ショートピースの寄せ集めのようなものであまり感心できません。今年2013年のNHK音楽祭、全4公演。最初の3公演がヘヴィー級ですごかっただけに尻つぼみ的な印象がぬぐえないのも事実。(2013.9.162013.9.192013.10.2)
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この音楽祭も、横の流れでみたらそれなりのラインナップですが、縦の流れで見れば、来日団体のスポット出演の感をぬぐえず、音楽祭専用の招聘を行ない、内容、回数ともにさらに充実させてもらいたいと思います。
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前半にセットアップされたカルメン、藤村の歌は抜粋のほうだけの短いもの。内容的には、理系のビゼーと言う感じで、ワーグナーの歌曲でも聴いているようなおもむき。非常に精緻にコントロールされておりスコアのオタマが見えるような歌、さらに強弱の出しいれも念入り。これがカルメンかと言われれば、舞台でタイトルロールとして草木たちをなぎ倒せるのか観てからでないと何とも言えません。
アンコールピースは藤村に、よりマッチしてシームレスで精緻で静かな歌が最高でした。
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後半の2曲はミュン=フン・チュンの指揮芸術だけ見てればいい感じ。統率されたアンサンブルの妙、コントロールと開放、オーケストラに、服従させていると感じさせず、自由自在に音楽を造る。一朝一夕で出来たものではなく、長年かけて双方の敬意がそうさせているのだと思う。それに値する力も持ったチームです。
アンサンブル重視だから、曲もボレロではなくラ・ヴァルスになったのだと思う。
おわり


1523- ミスターS、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、ミネアポリス・シンフォニー、デビュー記事

2013-10-04 23:55:37 | インポート

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ニューヨークタイムズ、1960年10月3日の記事
スクロヴァチェフスキを我々は歓迎する!
ミネアポリス・デビューの36才の指揮者
ミネアポリス、10月2日(AP)
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昨晩、ミネアポリス交響楽団は新たな指揮者のもと、このオケ歴史で初めてミネアポリスを離れて演奏を行なった。36才の指揮者スタニスラフ・スクロヴァチェフスキは、当地のブレーナード高校体育館で彼自身のオープニングとなるこの演奏会で、これ以上ない称賛を勝ち取った。
 ミネアポリス・スター紙の批評家ジョン・シャーマンは、スクロヴァチェフスキ氏のデビューは「興奮と天啓の歴史的な一夜だった。」と書いた。
 セント・パイオニア・プレス紙のポールI.アイボリーは、聴衆は「今まで経験したことの無いような最高のシーズンの真っただ中にいるようだ」と思ってもおかしくないと書いた。
 「新しい音」とミネアポリス・トリビューン紙のジョージ・グリムは書いた。***「オケをドライブしていくさまは、ディミトリ・ミトロプーロスの時代以来だな。」
今日、ムーアヘッドで演奏したのち西地区で24回演奏を行ない、ミネソタ大学のキャンパス、ノースロップ・オーディトリウムに戻ることになる。

以上、NYT引用 意訳
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ニューヨークから遠く離れた地ミネアポリスの新聞記事の紹介が3つ。曲目は書いていない。詳細は当時の3紙に載っていると思います。
センセーショナルなデビューであったためニューヨークでも取り上げたのだと思います。
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1923年10月3日生まれのミスターSは、今2013年10月2日~14日の間、日本で読売日本交響楽団と6回のコンサートを敢行中だ。だから90才!の誕生日は日本でむかえた。
ミスターS偉大な演奏の数々いまだ敢行中。
ミネソタ管は不運にもサラリー問題で1年にわたりロックアウト継続、音楽監督降板、いいときも悪いときもある。ミスターSの居はいまだこの地、きっといいときもめぐってくるはずだ。

国内では何度も聴いているミスターSだが、NY在住時にも一度だけ聴いたことがある。
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641- ミスターS ブルックナー8番 フィラデルフィア・サウンド カーネギー1983.11.1
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生煮えの拙文だが、後で読み返すといろいろなことを思い出すのも事実だ。
おわり

 


1522- パルジファル、トリスタン、神々の黄昏、オーギャン、ヨハンソン、オニール、N響2013.10.2

2013-10-03 01:57:40 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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NHK音楽祭2013
2013年10月2日(水)7:00pm NHKホール
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ワーグナー生誕200年記念
オール・ワーグナー・プログラム 生誕200年記念

パルジファル
   前奏曲 12分
   役立つのはただ一つの武器 9分
    パルジファル、サイモン・オニール
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トリスタンとイゾルデ
   前奏曲 10分
   愛の死 6分
     イゾルデ、エヴァ・ヨハンソン
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インターミッション
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神々の黄昏
     夜明け 6分
     あなたの新しい働きを 10分
       ジークフリート、サイモン・オニール
            ブリュンヒルデ、エヴァ・ヨハンソン
     ジークフリートのラインの旅 13分
   ブリュンヒルデよ、神聖な花嫁よ 7分
            ジークフリート、サイモン・オニール
   ジークフリートの葬送行進曲 7分
   ブリュンヒルデの自己犠牲 20分
      ブリュンヒルデ、エヴァ・ヨハンソン
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フィリップ・オーギャン 指揮
NHK交響楽団
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以上、楽劇ごとに連続演奏
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ヘヴィー級のプログラムでした。後半のカミタソだけで1時間越え。聴きごたえのあるプログラムそして演奏会でした。
ソリストは二人ともに前月、日本でワルキューレを歌っている。
オニールはインキネン&日フィルとの第1幕のジークムント、ヨハンソンは沼尻&神奈川びわ湖共同の全幕でのブリュンヒルデ。
オニールヨハンソン
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聴く方としても歌い手にそれなりになじみがある状態で音楽に没頭できました。
オニールは馬力よりも、きれいなテノール声で魅了。歌わない部分でも口を少し動かしている。おそらく舞台をイメージしながら集中。かなり高濃度の集中力と舞台のイメージを。
声自体大きいわけでもなく、また突き刺す感じもないが、きれいに響く声で美しいテノール。この日は舞台の上にオーケストラが乗り大音量で鳴らしていたため、声がかき消されるか所が散見されたと思う。舞台に近い席に座っていても感じたので、離れると聴こえないところもあったかと思う。オニールは劇場の人だと思う。そしてリートも味わい深いような気がします。
役どころとしては後半のドラマチックなジークフリートもさることながら、前半冒頭のパルジファルこそふさわしい。指揮のオーギャンはコンサート・スタイルを意識したダレないテンポ感を身に着けていると思われます。おそらくですが、オペラ上演とこの日のようなスタイルとは意識して振り分けているような気がします。その流れに乗ってオニールの清唱、結果的にこの日の演奏会、この冒頭のパルジファルが一番良かったと思います。オーケストラも精緻に良く表現できていました。パルジファルは聴き方を変えるとものすごくフレージングの長いシンコペーションが山盛りだと思います。そのロングなリズム感をオーギャンは身で感じながらの棒。振り尽しているような気がしました。オニール、オーギャン、溜めて放つパルジファル。
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前半2曲目のトリスタンはプレリュードの盛り上がりが今ひとつ、愛の死はチリチリ感がなかなか出てきません。ヨハンソンの堂々とした歌いっぷりは、最初から飛ばす歌い手らしくブレのない素晴らしいもの、演奏も横広でスケール感あり。ストーリーが内包する焦燥感のようなものが出てくればさらに良かった。
N響はトラが多かったからかどうか知りませんけど、しなやかさが足りない。パルジファルの幾何学的な響かせ方、換言するとスコア通りなぞれば、バランスさえ揃えれば、きれいに鳴る。トリスタンはそうはいかない。うねらないとね。弦の一体化したうねりがなく、また、ブラスの棒吹きはどうかと思う。指揮者の力量も試されます。
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プログラム後半を埋め尽くしたカミタソ、全て連続演奏でヘヴィー級。聴きごたえ満点。聴く方もプロローグからの全幕をイメージできていれば充実感はさらに増す。字幕要否の話しは確かにあると思う。抜粋でストーリーのつながりは字幕からはわからないもので、字幕をつけるなら管弦楽だけのところにも必要だと思う。個人的には過剰さの排除。字幕は不要でした。
ワーグナーは聴きようによっては、始終五月蠅い。ガンガン鳴りっぱなしではないか。まぁ、カミタソもなにがなんだかわけのわからないプロローグを除くと鳴りっぱなしかもしれない(笑)。第2幕終結の悪巧み3重唱あたりを起点に、前へ後ろへイメージを膨らませるのがいいのかもしれない。そうすると第3幕だけで、楽劇一個分の雰囲気になってしまうけれど(笑)。
大げさに膨らんだ管弦楽がオンステージで鳴らし過ぎ。声がかき消されてしまうではないかといった不満の前にすでに、音がただ大きすぎて汚れも目立ち普段のN響レベルではない。お祭りだからと言って質を下げて良い道理はない。オーギャンをどうのこうの言ってもしょうがないところもある。振り慣れた愛着のあるオーケストラでもないし、さらに混成部隊みたいな感じだとオーケストラ個体として、指示をうまく汲むのも簡単にはいかない。お祭り公演でなければもっと良かったはず。この編成、構成、このようなところでワーグナーを響かせること自体慣れていなかったのかもしれない。ただ、オーギャン自身は場をわきまえた棒であったと思います。各ピースだれることなくきっちりと振りこみ、さらに連続演奏の間奏部分も明確であったと思います。このモヤモヤ感のなかにあって精一杯の棒だったと思います。
私の席は前過ぎて(6列)、正面から当たる場合と通過してしまうときがあり、ちょっと声の響き方に波を感じました。オーケストラにかき消されたところもあったように思います。
とはいえ、この1時間超の演奏、いろいろと場面を思い浮かべらながら聴けば楽しいものでどうしても全曲聴きたくなってしまいます。
この後半プログラムはブリュンヒルデのウエイトが高く、ヨハンソンの流れ。前月もブリュンヒルデ役で申し分ない役どころでした。この日も歌い切り、エネルギーの照射、肌で感じることが出来ました。オニールの出番は少ないものでしたけれど、彼の音楽への集中力は本当に称賛に値しますね。出番でないところでも集中して音楽の流れをつかんでいる。自然な歌唱がスゥッと自然に入ってくる。よかったと思います。
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ドゥダメル&ミラノ・スカラ座のガラコンとは、なにもかも対照的で両方楽しむことが出来ました。ありがとうございました。
おわり