河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1279- ついに未読状態発生。レコ芸

2011-07-22 00:30:00 | インポート

もう何十年も買っているレコ芸。
先月も7月号を6月20日に買いました。今月は8月号を7月20日に買いました。
でも7月号をまだ一度も開いてません。早い話、読む前に次の号の発売日がきちゃいました。これまでもこの傾向は多かれ少なかれあって、読みだすまで時間がかかってました。そもそも興味自体が薄れてきていて、中身を開いても宣伝ページを見るだけです。いつどのようなCDが発売されるのか、その情報だけがあればいい。読み物とか評はほとんど読まない。昔なら発売日を楽しみにしていたものですが今は読まなくてもいい状態。
CDを購入する気がないならレコ芸を買わなくていい」状態。
去年2000枚ぐらいCDを買っちまって、それまで4万枚からせっかく2万枚まで減らしたのにまたメタボ状態で今の蔵状態は2万2千枚ぐらい。当然全部聴ける状態ではありません。なんというか、「飽和状態」
昨年の買い過ぎ逆リバウンドで今年は100枚ぐらいかな。新譜旧譜ともにあんまり興味がわかない。原因は演奏会通いすぎでCDを買わなくてもいいということもあるけれど、発売CDがつまらないというのが最大の原因。(そんなことを言っている割には山のように買っているじゃないか、というよりもそもそも2000枚とか言ったら、発売されたものを全部買っているようなもんだから、レコ芸の情報がいらないんだよ、といわれればそうかもしれない。)
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昔のライブテープを掘り起こして、超名演といったキャッチコピーで売り出す。新しい録音もほとんどがライブ録音。音楽が生活に密着したフランチャイズならこんなもの買う必要ありません。聴く姿勢の違いということもあるんでしょうが、彼の地の音楽シーンを全部追っかける必要なんて全くない。自分の生活基盤があるところの音楽シーンこそが根ざしたものであってそこで、今、鳴っている音楽こそが一番大切。
今、日本にいて例えば、「1234年56月78日のアンセルメ&スイス・ロマンドの北欧演奏旅行におけるフィンランドでのエロイカが超名演だということがわかってテープを探したら出てきたのでCD化します。みなさん、買うなら今しかない。」もし本当にあったとしても買う必要ありません。その時代のひとつの音楽シーンを大げさなキャッチコピーで騒がせているだけ。
かたや新譜。これまたライブ録音だらけですが、それと同じくらい飽き飽きするのが、同曲異演。マーラー、ブルックナーなど飽きもせず同じタイトルのCDをよくもまあこんなに出すこと。指揮者とオケが違う、たしかにそうだけれど、ソーホワット。
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バブルがはじけて、安上がりの新譜ライブがひところ受けたので二匹目のドジョウで過去のライブ録音へ同一方針で進んだ結果、ソースの枯渇。まだまだレアアース並みにはあるかと思いますけれど、こんなに掘り尽して果たして、「超絶的な名演のテープを発見」なんて、なんだか、昔の演奏会ってそんなにみんな超絶的な名演が多かったのかね?
最近では新譜ライブの方はもはやその会場で聴いていた人たちのスーバニアー状態。それで、自分が会場にいた演奏会は全部、「筆舌に尽くしがたい演奏」となっちまう。
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にっちもさっちもいかなくなって転機、今度は作曲者の掘り起こしをやりはじめた。これは正解でしたね。今まで聴くことのできなかった有名作曲家の無名曲。無名作曲家の珠玉の曲。聴く方の喜びは大きい。個人的にはNAXOSのアメリカ作曲家のいろんな曲がこれほど聴けるようになるとは思っていなかった。本当に素晴らしい曲がたくさんあります。日本人はヨーロッパ志向でそのような曲ばかり聴いてきましたけれど、一度アメリカに耳を向ければ、別ワールドがそこにある。この傾向は手放しで絶賛。パチパチ。
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それで何の話だったかというと、レコ芸を買っても読まなくなってしまったという件でしたね。宣伝ページとそれから新譜の紹介欄だけあれば満足。総花的な雑誌ではありますが、ネットであちこち探すよりもこの雑誌を見ればとりあえず全体状況がわかるので重宝している。CDやDVDを買わなくなってしまえばレコ芸も買うことはなくなってしまう。今まで何十年もお世話になったのでしばらくは買い続けますけど。
すんません、華金の散文でした。
おわり

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1278- コントラ・ワーグナー 湯治場朝七時さまよえるオランダ人・他 CD紹介

2011-07-21 00:29:29 | 音源

この前2011.7.19の読響定期はブル4のスケルツォが終わったところでスーパー・フライング・ブラボーがはいる想定外公演だったわけですけど、日テレ収録があったからとにかく収録されてしまおうというメモラビリティー溢れる作戦だったかもしれません。ただ、楽章間の雄叫びは編集カットされる可能性が高いので、演奏中に叫べばよかったのでは?何が目的で演奏会に来るのか、これら雄叫びマンの脳内回路を覗いてみたくなります。
それで、この日の前半一曲目。奇妙なタイトルの曲。ありましたよね。
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ヒンデミット さまよえるオランダ人、序曲
~へたくそな宮廷楽団が朝7時に湯治場で初見をした~
(下野竜也編・弦楽合奏版、世界初演)
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爆笑演出付き看板付き時計付きの公演でした。詳細は1277-を読んでください。
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それで、今日はこの曲が収録されているCDを紹介しますね。
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≪コントラ・ワーグナー≫
1. ワーグナー 夢
2. モンティ チャルダーシュ
3. ワーグナー ジークフリート牧歌
4. シャブリエ ミュンヘンの思い出
5. ヒンデミット さまよえるオランダ人(弦楽四重奏版)
6. ワーグナー 夢
7. クルシェネク セレナーデ
8. ウェーベルン 断章
ベルリン・フィル・メンバー
Col legno WWE1CD60018
2007.4.4 & 4.8 ザルツブルク・イースター2007
ザルツブルク、モーツァルテウム

全部ワーグナーの曲が下敷きになってます。もちろん夢とジークフリート牧歌は作曲家自身のもの。
それで湯治場はどちらがよかったかというと、演出付きの読響温泉の方が断然面白かった。オランダ人自体はブラスをいれた壮大な演奏の方が気分がスッキリしますが、なにしろ朝7時の湯治場での少人数による‘初見’ですからそもそも無理。
初見って最初の一回だけしかその味をかみしめることができないんですが、ワクワク感があっていいものですよね。知らないものに最初に挑むときって新鮮。
いっぺん真似してみたらどうでしょう。坊ちゃん湯あたりで。
CDのほうはベルリン・フィルのメンバーが中心になって固めてますので間違いのないところ。安心してこれら奇妙なパロディー風な音楽を楽しめます。
おわり
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1277- 湯治場オランダ人 スーパーフラブラつきブル4 他、下野 読響2011.7.19

2011-07-19 22:11:34 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2010-2011シーズン
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2011年7月19日(火)7:00pm
サントリーホール
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ヒンデミット さまよえるオランダ人、序曲
~へたくそな宮廷楽団が朝7時に湯治場で初見をした~
(下野竜也編・弦楽合奏版、世界初演)
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ヒンデミット 管弦楽のための協奏曲OP.38
(日本初演)
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ブルックナー 交響曲第4番(ハース版)
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下野竜也 指揮
読売日本交響楽団
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チャイコフスキーの悲愴ならいざ知らず、ブルックナーの第3楽章スケルツォが済んだところで、すぐご近所で想定外のスーパー・フライング・ブラボーがあり、体がビクッと反応してしまいました。この雄たけびマンは曲に関して十中八九無知なわけで、それであっても少なくとも「まだ終わった感じではないな」といったあたりを皮膚感覚で感じて欲しかったのですが、確信犯的フライングブラボー屋のその悪い部分だけ真似してしまっているわけです。確信犯よりは、たちは悪くないが、なんでそんなに競って叫ばなければいけないの?それもラスト一楽章残してまで。
ということで想定外のためこちらも聴くバランスを失ってしまいました。特にブルックナーのような構造物の場合、聴き終えている最初の三楽章分まで一気に崩れ去ってしまう可能性があり、はた迷惑この上ない。
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この日の4番は、ハース版!です。
タイミングはざっくりと以下のよう。
第一楽章:20分
第二楽章:16分
第三楽章:11分
第四楽章:22分
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下野の解釈は、なんというか、要は、構造力学的な方向の解釈ではない。三主題のソナタ形式、ロンド、スケルツォ-トリオ、そのような部分にあまり力点を置いていない。
ハース版は少し華麗に聴こえて第三楽章などハーモニーが変だなぁと思ったりする箇所が散見。そこらあたりは研究家にお任せするとしても、ブラスは華麗かな。
自分の席(一階9列目)からのサウンドは弦の深い森が圧倒的であり、ブラスは正しく奥から聴こえてくる。また棒も深く、これだけ遅れて出てきてアインザッツが揃っているあたり指揮者とプレイヤーの信頼関係を聴くことが出来る。
構造力学的な方針で進む場合、第一楽章からブルックナーの三つの主題の置き方あたりからはいる。無用なリタルダンド的引き伸ばしはしない。一小節におよぶ三連符も正確に。などなど、締めていき、構造物のようなものを時間の流れの中に構築していく。寸法が揃わないと建築物は瓦解する。でも、下野はその方向には固執していないと思う。わかりやすい解釈ではあると思う。
そんなブルックナーは意外でした。下野の特徴の一つは「だれないテンポ感」であると思っているので、この日のブルックナーもその方向かなと思っていましたので。
誤解しないように言っておくと、この日、「だれた演奏」だったわけではありませんので。
一言で言うと「総花的演奏」
あれもこれも、幅広く求める、そんな感じですかね。
例えばソナタ形式第一楽章の第一主題の経過句はかなり伸ばすがディテールにこだわっているというより、プレイヤーに比較的お任せのフレージング。よくあれで揃うもんだと感心してしまう。流れを止めない演奏ですが寸法はかなり自由。さらに、アダージョ楽章のクライマックスへのもっていきかた、かなり自由に伸ばしまくる。意識された感情の高まりの表現であり、ここらへんは賛否両論だと思う。などなど。
スケルツォ楽章の刻みは下野本来の正確な突進する刻みが爽快、痛快。生理的快感。それに比べ、トリオの味のなさ。ここの表現はフルトヴェングラー&ウィーン・フィルの物憂げなエクスプレッションに勝る演奏はなかなかない。いずれにしても下野の方針で進むならもう少し表現の幅の広さがほしいところ。
現場で見ながら聴いているとホルンコンチェルトのような曲なのだが、2回目のスケルツォから俄然調子が上向いてきた。合せて他のブラスも快調に刻みをいれてスケルツォが終了。
ここで例のスーパー・フライング・ブラボー。無知は無知としてもこらえ性もないと思う。会社の競争じゃないけれど、「ここはひとつ、退場していただく」ということにしたいものだ。ブラボー表現自体別に悪いことではないが、確信犯的な連中も含め、「あらかじめ誰がどこで叫ぶかわからない」ということが問題を複雑にしている。
事後発見やむを得ないが、マイクロチップ(電子タグ)をつけて次回から入場させるような措置ができないものか。
それでこのブラボーに指揮者下野もさすがに客席方向に向いて軽くたしなめるようなしぐさをしていたけれど、電子タグほどの効果はあったかどうか。
第四楽章は、このような想定外の状況での進行。
華麗なサウンド。ソナタ形式へのこだわりというより自由な動きと展開のスタイル。深い沈み込みはなく上向きにサウンドが広がる。上側180度四方に拡散する表現、深い沈み込みはない。ブルックナーの場合、そのようなブルーな沈み込みにときとして魅力あるサウンドで出くわすことがままあるのだが、この日は上位方向のみ。下側180度四方の音楽の響きは聴かれなかった。すすみ具合としては特に問題があるわけではないが、音楽の振幅、多様性といったあたりの広がりを味わいたかった気持ちは残る。
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第一楽章から弦の潤いは素晴らしく、ヴィオラの青い響き、チェロの太さ、ベースの安定感、ヴァイオリンの艶、それぞれ特に第二、四楽章を中心に聴きごたえがありました。
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前半の一曲目は奇妙なタイトル。題名の通り、湯治場で風呂上がりの浴衣感覚での演奏。会場P席奥は写真の通り「読響温泉」そして7時を示すでかい時計。
団員がリラックスした風呂上りスタイルで入場し、続いて同じような感じで下野がおはようとはいってくる。演奏は、まともにめちゃくちゃ、途中ワルツのノリがあったりお叱り、さぼり、適当な演奏、など温泉での練習ならでは?初見スコアだからしょうがないかっていう感じで。面白かったですね。わるのりですけど。
ヒンデミット二曲目は日本初演。
編成が巨大化した駄作。
おわり
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1276- very fine! アラン・ギルバート 都響 スペシャルコンサート2011.7.17

2011-07-18 22:04:00 | インポート

2010-2011シーズン観たオペラ聴いたコンサートはこちらから。
2010-2011シーズン
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2011年7月17日(日)2:00pm
サントリーホール
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ブラームス ハイドン・ヴァリエーション
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ベルク ヴァイオリン協奏曲
 ヴァイオリン、フランツ・ペーター・ツィンマーマン
(アンコール)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタNO.2よりアンダンテ
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ブラームス 交響曲第1番
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アラン・ギルバート指揮
東京都交響楽団
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指揮者のことはあとで書くとしてまずはこの日の演奏。後半のブラ1から。
オーケストラの余計な「りきみ」がまるでなくてリラックスしていて、音に淀みがない。プレイヤーが安定した精神状態での演奏であることが手に取るようにわかる。それとポリフォニックな音のあやの素晴らしさ!第1番がこのように室内楽的に響きそして明晰なポリフォニーが聴かれる演奏はめったにない。清らかで透明でむしろ静寂さえ感じられる演奏。コーダの駆け上がりも自然の盛り上がりで、それはこのような演奏スタイルと安定した気持ちがあったから高まったのであって全く違和感のないジャストフィットのエンディング。
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ホルンを含めたウィンドのアンサンブルが非常に良い感じで、流れる、楽しむ。例えばホルンなどリラックスしていてなんだか本来の音のバランスみたいなことを教えてくれる。清らかな鳴り。音色が統一されているのも強み。
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ブラームスの形式とか構造といったことを思い出させてくれない聴く喜びを教えてくれるいい演奏でした。
そもそも前半1曲目のハイドン・ヴァリエーションからして、わりと小型の編成ですっきり。プログラム・ビルディングとしては1番の交響曲に至る道がここにある。ギルバートのディテールに必要以上にこだわりすぎない、それでいてわくわくするようなダイナミズム、小川のようなせせらぎ。どれをとってもいい演奏でしたね。さすが、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督。そう言えば、こうやって書いていること、その音、なんだかフィルハーモニック・サウンドに似てるかも。
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ベルクのヴァイオリン協奏曲。昔、一度は12音技法の理屈本を完膚なきまで読んでおいてよかったなぁ、というときがたまにはあるものだ。そうゆうことを頭に置いてないとなかなか入り込むことはできないものだが、そうしてはいりこむと音のつくりがよくわかるようになりスゥッとはいっていける。力のいることではあるのだが。
最初は曖昧模糊としたものが変化を経て清らかなバランスで終わる。そこまでの出来事。
進行は規則通りということなんだろうが、音色変化の世界、リズムの変化の世界がある。
シェーンベルクの灰色とも違う、ウェーベルンのウェットな世界でもない。もう少しドライで精緻な感じがある。それをうまく表現できていた演奏でした。オーケストラも良い。
そしてアンコールはバッハつながりで、無伴奏より。このアンコール曲には3.11への思いがあるということだそうで、アンコールというよりも前半三つ目の曲ということだったのだろう。バッハ自身が作り上げた語法と技術がこの上もなくいい形で再現されておりました。
ということで全部満足のゆく演奏でした。
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ところで、アラン・ギルバートのことは何度か書いてますので少し古くなりますが紹介します。
355- ニュース鈍報 ニューヨーク・フィル 新たなシェフ アラン・ギルバート a1
356- アランはマムと叫んだか。 a2
357- アラン・ギルバート ストックホルム・フィル a3
497- 完璧なN響 マルティヌー4番 2007.12.08
754- 新音楽監督になるアラン・ギルバート ニューヨーク・フィルハーモニック
834- アラン・ギルバート 新音楽監督 ニューヨーク・フィルハーモニック
888- ニューヨーク・フィルハーモニック 新たな船出 アラン・ギルバート もうすぐオープニング・ナイト2009.9.16 at 7:30pm
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1275- トリスタンとイゾルデ 新日フィル2011.7.16

2011-07-18 16:08:24 | インポート

2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2010-2011シーズン
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2011年7月16日(土)2:00-6:50pm
すみだトリフォニー
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ワーグナー トリスタンとイゾルデ
     (コンサート・オペラ形式)
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トリスタン リチャード・デッカー
イゾルデ エヴァ・ヨハンソン
ブランゲーネ 藤村 美穂子
マルケ王 ビャーニ・トール・クリスティンソン
クルヴェナール 石野 繁生
メロート 桝 貴志
牧童、若い船乗りの声 与儀 巧
舵取り 吉川健一
合唱、栗友会合唱団
(演出 田尾下 哲)
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クリスティアン・アルミンク指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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歌い手が揃っていて充実した歌唱を目の当たりにできました。トリスタンは昨年の10月のびわ湖公演以来です。
今回の公演はコンサート・オペラ形式ということで前シーズンのペレメリと同じような感じ。第2幕の森は、ペレメリと同じ映像かと錯覚しました。
いずれにしても演出とよべるものではなく、イメージの喚起だけとなります。位置関係もばらばらでかなり疑問。歌い手たちが素晴らしかっただけにその乖離の大きさに戸惑いを感じないわけにはいかない。登場人物と指揮者が同じ高さで同じスポットで歌い棒を振る。全く奇妙で、指揮者も登場人物の一人のような位置関係と動きでまたよくみえる、これはないだろう。
オーケストラはステージに上がっているが前方、真ん中、後方となっていてそれらの間を通路のように歩きながら歌うスポットがある。前方オケのさらに手前、ウィンドあたりの中腹通路、後方通路、そして最後方上を見上げると大きな映像幕、前方から後方へ少しずつ角度がついている。
自席は定期公演そのままなので5列目。歌い手たちと目が合う位置。かなり首を上にあげて映像にうつる字幕を、頭をささえながら拝見。ですからステージ上の様子は見えるがステージのセッティングについては今一つ不明瞭。
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タイトルロール二人がオーケストラのさらに前方で絶唱。第1幕を飛ばしすぎて、第2,3幕で少し落ちたかな、などといったことはまるでわからない。これほど大きな声で正確な歌い口、みごとの一語に尽きる。インストゥルメントと同じ正確さが求められていてそれをやすやすと実現する歌唱、お見事でした。
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第1幕では藤村が主役と対等に張り合う。微妙なニュアンスまでよくこなれており精緻な歌に好感。薬がどうだこうだとか前史のことなどは、今歌っているその歌詞の内容からしか垣間見ることができない、それはそれでいいのかもしれない。そういう意味では割愛的な要素が必然的に出てきてしまうこの演出ではどうしようもないけれど、かわりに気持ちいいほど整然とした音楽の流れがある。精度の高い内容で、きっちり歌えた反面、第2幕以降でちょっとばてた感じはあるのかもしれない。
音楽は媚薬を境にガラッとかわる。かなり濃い。いわば動きのない場面転換のような感じ。ここからの盛り上げはアルミンクの棒もあるのだろう、劇的で一気にブラスのエンディングまでもっていく。
第2幕もタイトルロール二人の圧力がものすごい。夜の世界はあっという間に終わってしまった。ここでもトリスタンが刺される場面点から一気に進行。60分という短さで劇的なエンディング。
マルケ王のクリスティンソンはいかにも場馴れしたような歌いまわしで、少々フラット気味な個所があるがあれは余裕の形崩しみたいなもの。奥の方から全くよく通る声でこれまた圧倒的な存在感のマルケ王です。
デッカー、ヨハンソン、クリスティンソン、藤村、それにとりまき日本人歌い手みんないい出来だったと思います。もしかしてこのトリフォニーは人の声がよく通るホールなのかもしれません。
第2幕のオーケストラはますます精度が高くなり乗ってきます。どんどん速くなりますね。通常のカットがあってももう少しじっくりと味わいたい気持ちもある。
本来の演出はありませんのでストーリーを追って書くのはやめてます。第3幕ではトリスタンのデッカーが絶望的な悲しさの幸せを歌いつくさなければなりません。非常にスマートな歌で柔らかい、ヘルデン・テノールとはやや異なる響きがこの劇にはふさわしい。場面前半のお船到着まででだいたい終わりかかっている劇のまとめでマルケ王が追いかけて到着、なぜ、イゾルデが先だったのかという不思議はだいたいあるのですけれど、あらかじめ媚薬事実はわからないし、お船を追い越すこともままならなかった。それで劇としてはなりたっている。ハッピーエンドにしたければお船が追い越すというふうにすればいいということでもありますね。ただ、この場合、マルケ王との戦いはこれまた避けられない。それにトリスタンは息絶え絶えだからどちらにしても絶望的なストーリーしか成立しないかもしれない。前の史で既に運命づけられているともいえる、下敷きがあるとはいえ見事なストーリー・テイリング。ただ、前回聴いたびわ湖公演でも書きましたが、マルケ王が到着してゴタゴタと人が死に(着く前のトリスタンも含めて)、それからストレートにイゾルデによる「愛の死」になるが、ここの部分の必然みたいなものに一つ欠ける。ワーグナー、もうひとひねりほしい。
でも結局いつものことながら、ワーグナーのカタルシスに浸ることが出来ました。じわじわとくる。音という時の流れがただ流れるだけでなく積み重なっていき、ついには積分的盛り上がりが聴く方を熱くさせてくれる。いい公演でした。
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第1幕80分
第2幕60分
第3幕72分

フライングブラボーがありましたけれど、さすがにばつが悪かったのかもう一度静寂が訪れたのはいいことでした。決まってホール奥の方からしか聴こえてこないフライングですが、そんなに我先に叫びたかったら一番前の席をたまには占めたらどうか。音速的には最も早くフライングできますよ。どっちにしろ、
全てが水泡に帰す。ただ一人の「これ」で。
おわり
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1273- 蓬生の里

2011-07-08 00:10:00 | おみやげ

今週の華金は禁酒なんだが、なんだか、
アブサン飲みたい。
アブサンのストックはないので、
よもぎ微粉末でよしとするか。
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秋田県中仙産
特別栽培よもぎ100%
蓬生の里
yomogiu no sato
毎日を明るく楽しく健やかに
よもぎ微粉末

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1272- ブルックナー9番、ベートーヴェン レオノーレ2番、ワルター&ニューヨーク・フィル

2011-07-06 00:33:59 | 音源

 

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1946年3月17日(日)3:00pm
カーネギー・ホール
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ブルックナー 交響曲第9番(in the original version)
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ベートーヴェン 序曲、レオノーレ第2番
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ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
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当日のプログラムの順番も上の通りです。放送時間の関係で変則なのか、ワルターのユニークなプログラム・ビルディングなのか、おそらく前者と思われます。
七、八年前に正規版のCDがでてから音の割には何度か出回っている音源。
1940年代、当時の日曜午後3時は、CBS(Columbia Broadcasting System)による生放送中継で決まり。
全米に放送されているのですが、ニューヨークなら生放送、ほかのところは州(放送中継基地)により後日の放送。ですので音源の可能性としては、後日放送用の録音音源とあとはプライベート録音ということになります。商用音源としては前者となるでしょう。
掲載してあるプログラムは、CBSによる全米放送用のプログラム(!)です。時代的に放送すること自体が貴重で、また、ひとつの教材ともなっていたようでこのような丁寧なプログラムがあるわけです。カーネギーホールのオフィシャル・プログラムは別にあります。
なお、この9番の版についてはin the original versionという微妙な表現になっておりますが、Orelオーレル教授版ということで、詳細はこのプログラムのなかに書かれておりますが割愛します。
2枚目の写真は当時つまりロジンスキー時代のメンバー表です。音楽監督がアルトゥール・ロジンスキー、客演指揮がジョージ・セル、ブルーノ・ワルター、ハワード・ハンソン、イゴール・ストラヴィンスキー、というなんだかとんでもない時代でしたね。
それでメンバーのコンマスは、ジョン・コリリアーノ。今の著名な同姓同名は息子です。ちょっとそれますが息子のCDを紹介しておきます。

ジョン・コリリアーノの息子はジョン・コリリアーノ

ヴィオラはウィリアム・リンサー、チェロはレナード・ローズ、フルートはウンマー、オーボエはゴンバーク、トランペットにヴァッキアーノ、ホルンにはすでにヨゼフ・シンガーの名前が見えます。くらくらするようなメンバー表ですが、だいたいこの体制でバーンスタイン時代にこのあと突入していくのですから、それはすごい時代でした。
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音源はとりあえず3枚紹介しておきます。
1枚目は、MUSIC&ARTSからのもの。2003年に発売。Previously unreleasedとクレジットされていて、世間一般的には、初商用リリースとなります。一時間余りの短いコンサートですので2曲とも収められております。ノイズカット等編集した人の名前まで明記されております。ここらへん、MUSIC&ARTSのまめなところですね。ライナーノーツも非常にコアでマニアック。23ページにおよぶもので、ワルターの棒によるブルックナー9番の6種の音源タイミング比較表などの記載もあります。どなたか訳した人がいたら教えてください。いなければ自分でやります(笑)時間のある時に。
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2枚目。これは知る人ぞ知る。見ただけでわかる人はわかる。ウィングの限りなく妖しい(?)CDです。音質的には特有の硬さみたいなものがありますが、ウィングを好きだった人は結構いると思います。例によって解説書のようなものはありませんので、何も足さない何も引かない、音で勝負といった感じ。
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3枚目は、一番最近のものとなるデルタ盤。このCDにはオーレル版と明記されておりますね。ライナーは見開き2ページだけですが非常に小さい字でこの版のことも含めてかなり詳しく書かれております。ただ、このCDにはレオノーレが収録されておりません。完全な片手落ちで非常に残念なCDです。
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1271- ≪独立宣言235年 自由の女神125年≫

2011-07-04 21:48:46 | 日記・エッセイ・コラム

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ブロードウエイはパインストリートを越え、右にトリニティーチャーチを仰ぎ見ながら、ウォールストリートをやり過ごし、レクターストリートをスキップすると、まもなくバッテリーパークに着く。そこから見るやや遠目の、スタチュー・オブ・リバティーは今日もしっかり立っている。
昔、地下鉄コートランド駅、アレキサンダー・デパートの上に天までとどくビルがあった頃、その天から睥睨したながめは絶景であった。右にハドソンリヴァー、その先にニュージャージー、左にイーストリヴァーを見ながら、そして正面やや左にスタッテン・アイランド、やや右に、スタチュー・オブ・リバティーを展望することが出来た。ジャンプするとどこまでも飛んでいけるような気がした。そのビルも今は無い。
アメリカが独立宣言をしたのが1776年。独立百年記念で自由の女神をフランスから寄贈されたのが1886年。百年記念と言いながら、110年たっていた。だから自由の女神寄贈100年祭は1986年。このお祭りのとき、レーガン大統領はたしか空母だか戦艦だかを降りなかったはずだ。当時リビアのカダフィがマンハッタンの地下鉄に爆弾を仕掛ける、などといった噂がニューヨークに流れていたのだ。100年祭で世界中からたくさんの船が来てお祝いをし、自国の、島のような空母、戦艦なども山のように寄港した。しかし、レーガンは確か上陸しなかった。いずれにしろ独立記念日と自由の女神寄贈とは百年単位+10年という割と中途半端な数値である。

ニューヨーク・フィルの最初の公演は1842年アポロ劇場においておこなわれた。思えば長い歳月が経ったものだ。ざっと169シーズン。数々の指揮者がオーケストラとともにあった。未来の音は聴くことが出来ない。しかし音を出すことによってしか未来は創造出来ない。未来を創造するのは夢・希望に膨らむ若手プレーヤーをおいて他にない。河童に出来ることは残念ながら昔の音を思い出すということだけだ。
指揮者と歌い手、変な話、亡くなると両方ともあっという間に忘れ去られてしまう。場合が多い。例えばギュンター・ヴァントの盛り上がり。あれは一体なんだったのか。その意味では聴衆は冷たい。今、ここで、音楽を発する演奏家が大事なのである。この冷たい現実はしかししっかり受けとめなければならない。音楽をする喜びとともに聴かせることが出来る喜び、両方感じたい。
作曲家は未来の音を予言する。聴衆にとっては予期せぬものだから張り切って聴けばいいものを、その根性がなくなってきている。駄作が増えたのではなく、予期せぬ音楽の広がり緊張感についていけなくなってしまったのだ。最近の河童は半世紀前のいわゆる当時の現代音楽も何故か懐かしい。誰か音楽の行き先を教えて欲しいものだ。Too ripeした音楽はどこへ向かっているのであろうか。
(記憶だけで書いてます)
*
掲載写真は約100年前のもの。トリニティーチャーチを南西方向から。
チャーチ先の左から右にある道路がブロードウエイ(左がアッパー、右はバッテリーパークへ。チャーチ先から奥への道路がウォールストリート。手前の広場は予約待ちが地面に重層しているらしい著名人の墓たち。)
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1267- 7月初華金 六本木 アイラ・バー

2011-07-01 00:10:00 | インポート

お疲れ様です。
7月に入っていきなり最初の華金です。
暑い日が続いてまして、そんな日はディープな場所でコアなウィスキーでも飲んで、からだのほてりを冷ましてみてはどうでしょうか。
冷めるかどうかわかりませんけどね。
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お河童さんは6月にすでに水分補給していたようですね。
アイラ・バー

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場所は六本木一丁目のとりあえずT-Cube目指してくれば、ともいきません。
歩きなれている人ならだいたいわかるでしょう。
六本木通りの方を六本木交差点に舵を取り、T-Cube越えると外に階段があるのでそこを昇りきって、ちょっと右にカーブすればすぐ。
いろんな行き方があります。地下鉄づたいなら外付けエレベータがあるのでそれが一番楽。
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最近はやりの食べて飲むバーではありません。飲んで飲むバーです。

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