河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1331- デニス・ラッセル・デイヴィス=ハイドン交響曲全集 途中93-98

2011-12-29 00:10:00 | drd-haydn-complete syms


例の37枚組聴いている途中です。
今まで聴いた内容は以下にあります。
ここ
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ロンドン・セット第1期
93番からいきなり、小規模なオーケストラからもうひとつビッグなサイズに拡大してきたかなという感じ。折り目正しい中にも激しさがある。ベートーヴェンへの道はモーツァルトではなくハイドンであると思わざるをえない。
95番は序奏がないが、ほかの曲は短めながらも魅力的な序奏が付く。ベートーヴェンの交響曲の第1番からの序奏は4番あたりで極端に拡大化されるが、作りはその流れと同流だ。
94番驚愕も序奏が魅力的で全体的な爽快感、重くならない演奏スタイルも良好。歯切れの良い録音も魅力的ですね。
95番は流れがややぎこちないようなところもあるが、スケルツォ、トリオなどそのこと自体が魅力的というか、こうなるとゴツゴツ感もいい感じ。
96番奇跡もそうだが97番あたりになると曲サイズが大きくなり、もう一回り大きな編成もほしくなる。演奏スタイルはこのようなことの繰り返しで最近の演奏史の伸縮自在な表現は聴く方としてもとらわれずいろいろと聴き比べることが出来るので楽しいところ。
98番のマイナーな序奏は第2楽章アダージョと同質であり個体としての曲の魅力がはっきり確立してきていると感ずる。また、各曲の第3楽章の雄弁さが増してきていてスケルツォやトリオを聴く楽しみもあります。98番第4楽章のホルンはきっちりきまってます。
それから録音ですが、ロンドン・セットあたりから近めの収録で力強さは出てきているがちょっとボテ系になっていると思う。(それでも切れ味鋭い演奏は変わらないが)
音が近い分だけ編集跡もほんの少しだけですが少し気になります。
つづく

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1330- デニス・ラッセル・デイヴィス=ハイドン交響曲全集 途中88-92

2011-12-28 00:10:00 | drd-haydn-complete syms


例の37枚組聴いている途中です。
今まで聴いた内容は以下にあります。
ここ
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88番は演奏機会が多いと思うがここらあたりの番号はみんな魅力的な曲ばかり。89番の第1楽章の第1主題はこれそっくり。「しょ、しょ、しょじょじ、しょじょじのにわは、、」。
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オックスフォード92含め、90,91,92は短い序奏が魅力的。91番第4楽章の小刻みな前進性は演奏ともども切れ味鋭い。オックスフォードのマイナーで物憂げな序奏も捨てがたい。本当に佳作が続く。
指揮者の棒がいい。鋭角な縁取りは現代音楽的感覚であり、その鋭さは消えていない。もともと彼にしみついているものだ。今の時代に通ずるハイドンであり彼が振ることにより、道程のようなものが見えてくる。オーケストラも絶品。端正な中に激しく飛ばす部分もあり表現の多様性が光る。本当に素晴らしいハイドンだ。
つづく

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1329- クルト・ザンデルリンク追悼1912.9.19-2011.9.18 マーラー10番 6連発公演 ニューヨーク・フィル

2011-12-27 00:10:00 | 音源

前日ブログの続きです。

今日のテーマについては何度かブログ掲載をしておりますので、リンクをまた、貼り付けておきます。

エンタメの街で、ニューヨーク・フィル1983-1984シーズン1月の定期公演にゲストコンダクターとして出演しマーラーの10番を6回振ったのがザンデルリンクです。振る方も聴く方も大変な出来事でした。うち2回聴きました。

おわり


1328- クルト・ザンデルリンク追悼1912.9.19-2011.9.18 ショスタコーヴィッチ交

2011-12-26 00:10:00 | 音源

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ザンデルリンクはほぼ一世紀近い年月(としつき)の天寿を本年全うした。2002年に引退しているのでポーディアムでの活躍は70年ぐらいか。
彼のことは詳しくないけれど、マーラーの10番全曲版の演奏では必ず名前が出てくるし、またショスタコーヴィッチ15番でも同じ。このフリークともいえるような執拗なプログラミング、なんだかよくわかる。ここらあたり自分とザンデルリンクの気性のようなものが妙にオーバーラップする。
これらの演奏は重くなく妙にさらさらしていて皮膚を音が滑っていくようでもある。最初から本質を理解していたのだろうとも思う。多様な演奏解釈の向かう先のような表現である。
流行りはじめのころは演奏すること自体が先端を行く行為であり、オーソリティとして、どうだ、という意気込みで振っていたと思う。そして時代は彼を追い越してしまい、それでもなお10番と15番を振り続けていたように思う。鋭い感性は変わらずとも時代が変遷すれば、それは取り残されたという奇妙な感覚の言葉で表現されてしまうのかもしれない。こんなことはザンデルリンクには無用なことではあっただろう。だからオーバーラップというのは私自身の自意識過剰以外のなにものでもない。
ザンデルリンクのショスタコーヴィッチの第15番第4楽章の演奏時間は20分前後、録音データでは昔からほとんど変わらない。しなやかさと静けさ、そしてパーカッションの謎めいたピアニシモによるシンポジオンでエンディングをむかえる。圧倒的な清らかさで終息をむかえるショスタコーヴィッチの人生のエンディング・シンポジオン。これ以上の演奏表現はないでしょう。ザンデルリンクは最初から最後までお見通し。
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【河童ライブラリー】
ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番
クルト・ザンデルリンク 指揮
河童ライブラリーです。ほかにもあるかもしれませんが、自分でもっているものだけ書いておきます。
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1. ベルリン放送交響楽団
 ベルリン、イエス・キリスト教会
 ・ドイツ・シャルプラッテン LP ET5061
  録音1978/5/26-/6/2
 ・AVEX SACD AVCL-25286
  録音 1978/5/26,31、6/1,2
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2. BBC交響楽団
 マンチェスター
 ・Eyewitness
  録音1984
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3. シカゴ交響楽団
 オーケストラホール(おそらく)
 ・RARE MOTH 539-S
  録音1985.11
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4. ベルリン・フィルハーモニカー
 フィルハーモニーザール
 ・NHK-FM DAT-102(河童蔵通番)
  録音 1988/9/17
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5. クリーヴランド管弦楽団
 セヴェランス・ホール
 ・ERATO 2292-45815-2
  録音 1991/3/17-18
 ・ERATO SHMCD WPCS12233/4
  録音1991/3/17-18
  ****最高音質****
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6. シュトゥットガルト放送交響楽団
 ベートーヴェンザール
 ・NHK-FM DAT-1097(河童蔵通番)
  録音 1996/2/29
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7. ベルリン・フィルハーモニカー
 フィルハーモニーザール(おそらく)
 ・自主制作盤 BPH0611 
  録音 1997/6/9または1999/3/16
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8. バイエルン放送交響楽団
 場所不明
 ・RE!DISCOVER RED101
  録音 1990年代
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以上が河童蔵にあるものです。
これだけでも執拗な数だと思うのですが、コンサート・プログラムとしては当然これの何倍も演奏しているはずです。同一プログラミングの定期公演も単数カウントすると、もう、とんでもない数かと。
海賊盤が3個ありますがそれはそれとして、最高音質はエラートのSHMCDフォーマット。非常に済んだ清らかなサウンドで聴くことが出来ます。(5番の二つ目のCDです)
7番の自主制作盤も清らかな演奏ですが、自主制作盤なら録音データをきっちり載せて欲しいですね。例によってカップリングとの日付が不明確。昔からの慣習で、日付データは古い方から並べるやりかたをいまだ踏襲している。CDの収録順と録音データの順番は一致しているわけではない。画竜点睛を欠くCDです。指揮者の演奏には影響する話ではありませんけれど。
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ほかにザンデルリンクのショスタコーヴィッチの15番ご存知の方おりましたら教えてください。
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1327- デニス・ラッセル・デイヴィス=ハイドン交響曲全集 途中82-87

2011-12-25 00:10:00 | drd-haydn-complete syms


例の37枚組聴いている途中です。
今まで聴いた内容は以下にあります。
ここ
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例の37枚と言っても、81番まで聴いたのが昨年2010年4月ごろだったので、だいたい1年半ほど放置。
この前、秋山&読響のロンドンを聴いて、すっかり忘れていたものを取り戻しました。
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とりあえず、次の82番から87番まで聴いてみました。圧倒的な音楽の充実度です。ダイナミックでシャープ、多彩な表現、どの一曲をとっても魅力あります。どれもこれも素晴らしい曲だが、このなかで一番気に入ったのは82番かな。
あと、例えば86番の第2楽章カプリチオ・ラルゴなんか聴いていると、人声といいますか、まるで人が語りかけてくるような趣があります。あくまでも折り目正しいハイドンですけれど、激しさが打ち勝つこともあり濃い表情も魅せてくれます。
それからこの指揮者とオーケストラの響きの充実度も聴きのがせませんね。オケサイズもちょうどいい。スピーカーの上方にきっちり定位する録音サウンドも魅力的。
昔をある程度知るものにとって、デニス・ラッセル・デイヴィスがこのようにハイドンやブルックナーの全集に至る指揮者になるとは想像できませんでした。彼はヨーロッパでしっかりと音楽作りをしてきたということになるのでしょう。
つづく

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1326- 河童お不動駅模様

2011-12-24 00:10:00 | 河童色模様

河童お不動の街医者で診察が済み、薬をもらう為にソファに座ってぼんやりしていたら、先に診察を終えた若い女性がこちらを見て、もう一度振り向き小首をかしげて会釈をした。でも私にはその女性が誰かがわからない。近眼なので少し暗かったりすると誰なのかよくわからないことがままある。自分の後ろに座っている人に会釈したのかもしれない。でもそれなら振り向きなおすのはなんだか変だ。きっと他の知り合いと間違えたのだろう。
お不動で、ジョギング中のおじさんとすれ違う。そのたびにこちらに会釈してくれるのだが、私には誰だかわからない。誰だろうといつも気になっていたのだが、たまたま口に手を当てて目だけ見えるタイミングになったことがありそのときにわかった。いつも行く床屋さんだった。髪を切るのは二三か月に一回ぐらいなので親しいわけでもないのだが、床屋さんの場合はマスクをして仕事をしていて、向こうはこちらの顔を良く知っている。でもこちらはよくわからない。
歯が子供のときから良くなく、歯医者通いは日常茶飯事。歯医者の場合もインターンとか知らない顔ぶれの医者がマスクをしながらたまに治療するわけで、マスクをとってしまうとたちどころにわからなくなる。顔が全部見えるとわからなくなる、というのも変だが実際そうだ。
 河童お不動で毎朝通勤電車に乗る。いつも同じ時刻、同じ車両、同じドアから乗る。仕事場とか始業時刻が変わらない限りこのパターンが続く。そうすると同じパターンの人と顔なじみになったりする。話しをするようなことはないのだが、顔はマスクもなくすぐに覚える。ここ2年ほどの仕事場がお日様駅近辺になったということもあり、河童お不動朝7時39分の電車に乗る。いつもの女子高生といつも一緒。デビュー当時の優香に似てなくもない。キュートで少しボーイッシュで、まわりの男の子としゃべっているときは無邪気だが、一人になると頭のよさそうな子だ。電車に乗ると、だいたい定番のおじさんとかおばさんの前にしっかり立つ。この不自然さが最初は良くわからなかったのだが、ちゃんとおじさんおばさんが降りる駅を知っているのだ。その前に立てば必ず座れると言うわけだ。私はいままでそのようなところまで気をまわしたことはない。
 そのような、しゃべらないけど顔なじみ、お互いになんとなく気が通じ合ってくる、みたいな妙な空気がここ2年ほど続いたであろうか。でも女の子もたぶん高校3年で、そうすると3学期はもう学校にはたまにしか出ないのであろう。大学受験の勉強に集中するわけだ。ある月曜日、あれはたぶん共通一次試験が土日にあり、翌月曜日に報告というかそのようなことで学校に最後に出たのであろう。いつものパターンで久しぶりに顔を見たのだが、電車に乗って私はたまたま座れた。あの子は他の席が空いているのに座らない。私の隣に座っている人の前に黙って立っている。どうしたんだろう。そして私の隣の人が降りたら、空いたその席に座った。あれは顔なじみだけだったけど、きっと高校最後のあいさつだったのだろうと、あとで思った。
 今日、街医者で会釈した彼女はその子だった。
おわり
2006年5月27日

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1325- 秋山、読響、本年ファイル全員集合か。ツァラトゥストラ2011.12.13

2011-12-17 13:50:15 | インポート

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2011-2012聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2011年12月13日(火)7:00pm
サントリーホール
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モーツァルト ディベルティメントK.136
ハイドン 交響曲第104番ロンドン
シュトラウス ツァラトゥストラはこう語った
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秋山和慶 指揮 読売日本交響楽団
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かなり筋肉質で引き締まったサウンドが鳴った。
モーツァルトからして、ほぼヴァイオリンセクションの方に指示がかたよっているように見えるが、出てくる音はチェロとコントラバスの微妙なニュアンスが素晴らしい。こうゆうことは厳しい練習のたまものなのだろうが、どうもそれだけではないように思える。練習の成果のみに起因するものではない、この指揮者のもとで自発的な音楽が鳴り続けている。自由度が高く、メンバーはそれを感じそして同じ方向に音楽している。響きの自由な積極性。緊張感のある中によく歌う素晴らしい演奏でした。
ハイドンも同じで序奏からまずは抜群の締まり。びっくりするぐらいの鋭い、突き刺さるようなオーケストラの音です。読響でしたか。
提示部からピンと伸びた背筋、格調があり折り目正しくよく歌う。例えば第4楽章の第2主題のふくらみ、このようなニュアンスのロンドンはあまり聴いたことがない。CDなんかではとらえにくいし、表現されていたとしても妙に強調されて聴こえたりでどうも今一つ納得できないようなことがあるのだが、この日の秋山の演奏には満足しました。このハイドンはモーツァルトのかなり先をいっておりダイナミックな響きと前進するスタイル、これらもうまく表現されていて幅のある演奏を大変に楽しむことが出来ました。
この日は牛が観客に混ざっていたようで、演奏後も~も~言っていましたが、このハイドンではたしかにブラボーコールをしたくなるような演奏であったのは事実だと思いました。よかったです。
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後半のシュトラウス。
そもそもこの日は、読響の今年の最終公演。もちろん第九は除くが。
それで、このオーケストラのファイナル公演、もしかしてメンバーが全員集合でオンステージしたのかもしれませんね。大編成の曲の上を行くようなとんでもない人数でした。よく床が抜けなかったと思います。マーラーの8番とかもこのホールでできますからそこらへんは大丈夫なんでしょうけど。
とんでもない編成でしたけれどこれまたよく締まった演奏となりました。研ぎ澄まされたサウンドという表現は少し違うと思います。自由な空気の中からきっちりと揃ったものがあふれ出てくる。
冒頭から爆音系の曲でちょっと油断をするとボテ系になってしまう、そのような瞬間も少しありましたけれど、概ね前半のプログラムと同様なスタイルでシュトラウス、特にこの曲独特な蒼い色彩の壁のような響きがうまく表現されていた。全耳をサウンドにゆだねてどっぷりと漬かることが出来ました。
エンディングもきっちり決まりました。
読響さん、本年もいい演奏ありがとうございました。
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1324- 青ひげ デュトワ N響2011.12.10

2011-12-11 19:34:02 | インポート

2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2011年12月10日(土)3:00pm
NHKホール
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ブラームス ヴァイオリン協奏曲
 ヴァイオリン、リサ・バルティアシュヴィリ
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バルトーク 青ひげ公の城 (演奏会形式)
 青ひげ、バリント・ザボ
 ユディット、アンドレア・メラース
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シャルル・デュトワ 指揮
NHK交響楽団
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窓のないお城、第1から第7までの扉をユディットの言われる通り開くと。
第7の部屋にいた3人の女性、コントロールされながらコントロールしていたのか、青ひげが。
一つずつ開けていく扉、男の奇妙な挿入感、なにか微妙な性的振動を感じる。
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非常に緊張感に満ちたストーリーで、節(ふし)としては少しつらいものがあるのだが、インストゥルメントによる劇のようなおもむきだ。第7扉まで前進あるのみで、リピート的な要素もない。
バルトークの緊張感をN響はよく表現しておりました。思ったより柔らかく感じたのは、指揮者のものか。もっと鋭い突っ込みのある表現も出来るであろう。振幅のあるオペラのように思えます。
歌い手二名はこの一時間オペラをノー・スコアで歌います。このオペラのオーソリティーなのでしょう。前口上から最後まで安心して聴いてられました。演奏会形式ですので動きはほぼありませんので、イメージを作り上げておかなければ歌いきるのは難しいと思います。素晴らしいものでした。字幕も良かったと思います。
個人的には途中から歌なのか語りなのか分からなくなるぐらいで、インストゥルメントとの融合が強く感じられ、インストゥルメントもまるで語りのように聴こえてきました。
第3の扉を開けると財宝の部屋、トランペットを中心にした輝かしいが、非常に不安定なハーモニー、合っているのか合っていないのか、はたまたそれでいいのか違うのか、微妙にきわどいロングトーンのようなハーモニーの上に歌がはいる。宝物を目にした人の心模様みたいなものがうまくあらわされている。そして扉にはまだまだ先がある、そのようのな複雑な心のあや。
第5の扉を開くと巨大な領土。だから、もしこれが舞台で行われているならばここで虚構のお城なのだということの認識が必要なはず。お城の中に巨大な領土はあるはずもない。象徴的な物事としての表現の可能性もある。トランペット4、トロンボーン4のバンダが巨大さを引き立てる。ここでもデュトワの表現とバランス感覚は絶妙で、キラキラしているものもあるし、ダークさもある、両方の光と影をうまく対比させていたと思います。この指揮者のもつ色彩感覚が、このオペラの心の明暗の部分で生かされるというのは必ずしも適切とはいえるわけではないかもしれないが、非常に生かされていたいい瞬間でした。
音楽的ドラマとして観ればなんとも豪華な布陣でしたね。
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前半のブラームスは整然とした響きはN響の最も得意とするところで、折り目をただすせばただすほど快感が増すN響の演奏。ヴァイオリンもそのスタイルなのかどうかわかりませんが、同じ方針で埋没しないような表現スタイルが望まれる。
おわり

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1323- こうもり、新国立劇場2011.12.4

2011-12-09 23:28:26 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2011年12月4日(日)2:00pm
新国立劇場、オペラパレス
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ヨハン・シュトラウス こうもり
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ハインツ・ツェドニック プロダクション
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アイゼンシュタイン、アドリアン・エレート
ロザリンデ、アンナ・カブラー
フランク、ルッペルト・ベルクマン
オルロフスキー、エドナ・プロホニク
アルフレード、大槻孝志
ファルケ博士、ペーター・エーデルマン
アデーレ、橋本明希
ブリント、大久保光哉
フロッシュ、フランツ・スラーダ
イーダ、平井香織
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東京シティ・バレエ団
新国立劇場合唱団
東京フィルハーモニー交響楽団
指揮 ダン・エッティンガー
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こうもりは随分と久しぶりに見た。昔、メトとシティ・オペラで何度か観たことがあるが、国内で見るのはいつ以来なのか定かではない。この日のプロダクションはハインツ・ツェドニック! 棒はワーグナーが大好きなエッチンガー。
メトで観たときのプロダクションはオットー・シェンクのもので、棒はほとんどがジェフリー・テイトだった。フロッシュはシェンクでドイツ語なまりの英語でわかせてくれてましたね。メトで観たのはかなり昔のものなのだが、この日のツェドニック・プロダクションは内容がほとんど同じ。一か所だけ違うとすれば、シェンクのはフロッシュ=シェンクが31日付のでかい日めくりカレンダーを酔いにまかせてめくったら32が出てきて大爆笑というもの。ツェドニックのものはこれが無いだけで、あとはほぼ同じ。アクションが一回り小さいぐらいでかなり似ている。アデーレはウエイトが高いので出来れば大物が望まれる。
また日めくりの関係で、正月に上演するとしらけるのがシェンク・プロダクションというところでもあります。
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こうもり楽しめました。字幕が命ですね。これないと半分ぐらいしか私は理解できなかったと思います。アデーレ&イーダ姉妹の配役が二人ともに日本人だったので、ここは字幕なし、つまり日本語でしゃべるというわけです。このようなやりとりのつながりで、ドイツ語英語日本語フランス語ハンガリー語ロシア語に寿司に焼酎、盛りだくさん。字幕大忙しでした。
第2、3幕にインターミッションがなかったのはあまり感心せず。第3幕は劇の世界で、ここは流れが断ち切れて当然の幕転換です。たばこは吸わないが一服したかった。じっくりと第3幕の劇にはいっていきたかった。第2幕の流れでそのまま突入すると尻つぼみになってしまってしまりがよろしくない。
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歌は誰か大物が一人混ざるともっとおもしろくなる劇だと思いますが、とりあえず、オルロフスキー公爵役のエドナ・プロホニクが大柄で、セリフと歌の声質が全く異なり違和感が印象的。男勝りということで配役としては面白かったです。昔メトで観たトロヤノスは見た目より柔らかく、男女(おとこおんな)という感じでしたね。
プロホニクはマンハイムではカルメンになるという情報がありました。エスカミーリョもホセもあの体躯に圧倒されると思います。カルメンはそう簡単にホセに殺られるとは思えません。
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あとはエッチンガーの棒ですけれども序曲から、つんのめるぐらいしっかりと細かいきざみのフレーズを揃えにかかる。いきなりギクシャクします。ベートーヴェンの世界。
また序曲中間部から後半にかけてワーグナーなみにテンポを揺さぶる。こうもりになにか劇的なドラマを求めているのかもしれない。大人の夜中遊びでは気が済まないらしい。逆の意味でこれがジョークだったのかもしれないがそこは、うがち過ぎというものかもしれません。
あとはこなれた感じでオーケストラをドライブ、それに歌い手たちの演技も相当に準備したものと思え無理な笑いを引き出すところもなく苦笑させられることもない。幕が開いてからはいい流れで進行したと思います。年末の風物詩的な観劇になるといいですね。まさか、カルロス・クライバーみたいにとんでもない恰好で出てきて流麗な棒さばきをする、そんな指揮者は空前絶後の世界ではあるんでしょうけど、誰か真似でもいいから出演して楽しませてほしい気もします。
おわり

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1322- フランツ・シューベルト第3番、フランツ・シュミット第2番、アルミンク指揮新日フィル2011.12.2

2011-12-05 23:13:36 | インポート

2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2011年12月2日(金)7:15pm
すみだトリフォニー
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シューベルト 交響曲第3番
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シュミット 交響曲第2番
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クリスティアン・アルミンク指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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シュミットは生もCDもお初です。一言で言うと、あまりに作為的で多弁になればなるほど空虚になり、響きの美しさと構造の無さが浮き彫りとなる。
第1楽章からあまりにあふれる美しき音、過剰でさえある。第2楽章の変奏曲は過剰な違和感とさえいえるわざとらしさで少し赤面したくなる。第3楽章も同じで絶え間ない美しき空虚さ、なにを言いたいのかわからない。技巧の果てを尽くして鳴り続ける響きの山。そこには道はなく構造もない。
むろん、ここまで聴かせてくれるオーケストラの整理整頓の見事さは驚嘆に値する。かなり横に広がった配置でこれだけ縦のラインがあった様はそれだけで美しくもある。また、そこらここらで始まるアンサンブル的ハーモニーの充実度も見逃せない。ポリフォニックなものは構造が欠如しているので求めきらない。
演奏はまことに素晴らしく、そしてもう一度聴きたいという衝動に駆られることはない。
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前半のシューベルトは引き締まった大きな演奏で前進性もあり好演でした。シューベルトのワイルド性のようなものがわりと頻繁に顔を出してきてそのあたりうまく表現していたように思います。味わい深いというか噛みしめながらあらためて聴きごたえのある曲と認識。
おわり

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1321- カンブルラン、読響、リア王、ロメジュリ、悲愴2011.11.30

2011-12-04 11:17:30 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら。
2011-2012シーズン
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2011年11月30日(水)7:00pm
サントリーホール
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ベルリオーズ 序曲リア王
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チャイコフスキー 幻想序曲ロメオとジュリエット
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チャイコフスキー 交響曲第6番 悲愴
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シルヴァン・カンブルラン指揮
読売日本交響楽団
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絶好調男のカンブルランは、なんだかスコア見ながらの棒が様になっている。いわゆる現代音楽が得意ということもあり、きっちり見ながらというのが様になっているんですね。
ベルリオーズのリア王、演奏会で取り上げられるのはレアだと思いますが、一般的に聴けば納得のベルリオーズでもどちらかというとわけのわからない部類に属する。技術的な部分でわざとらしさとか作為がないので単刀直入で奇妙な面白さはあるもののカンブルランでなければ最後まで聴かせることはなかなか難しい部類の曲。
指揮者の妙とオーケストラのうまみがよくマッチした演奏となりました。オーケストラは実に素晴らしいサウンド、深くて太くて引き締まっていて切り込みも鋭い、ハードなリカー気味で少しドライな感じがあるがそれも味わいのある渇きの癒しを感じさせずにはおかない。カンブルラン好みのサウンドと言える。今日の3曲ともにボテ系にならないのはこの指揮者のコントロールです。
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2曲目のロメジュリも引き締まったいい演奏。個人的にはブラスは昔のロシアのオーケストラ配置のように広がらない方が好きで、トロンボーン、チューバ、トランペット、ホルンが束になってかかってきてほしいところではあるのだが、フラットな配置でそれでも結構引き締まっている。聴いていて気持ちがいい。
ロメジュリはチャイコフスキーお得意のシンコペーションがあまりない。後打ちは多いのだが割とヘッドで合わせる感じでタイ、スラー、変則の曲ではない。エンディングのところでまとめてシンコペーションでうなるといったところで、やっとここでチャイコフスキー飛沫が出るという感じではある。
カンブルランが振ると曲が透けて見えてしまい、構造などないに等しいと言っているようでもあるが、彼が言いたいのはそんなことではなく、ぜい肉を落とした響きの筋肉質的美しさに重きを置いたもので、これでどうだ、と言っているわけです。
前半2曲いい演奏でした。
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後半の悲愴、第1楽章第2主題の入りは心をこめ過ぎるということはなく飽くまでも曲の流れを重視、あまりいじるような解釈ではない。現代音楽得意の一般的な傾向の棒だと思う。そうするとたとえば第2楽章の果てしもない経過句の長さがやや冗長に感じられてしまう局面も出てくる。作為の方法がわからないというのが彼のストレートな物言いだろう。
第3楽章の爆発も自然加熱の趣ではある。きっちり遅れて出てくるが決してもたつかないブラスは魅力的、爆発を冷静にとらえてますね。感情の高まりは聴衆のもの、と言わんばかりの冷静な凄まじさ。第3楽章が、トンデモ系のものでこれに勝る交響曲はないと思います。今日もまたあらためて実感しました。クレイジーで爆、何回聴いても異常としか言えない第3楽章ではあります。
第4楽章への入りをアタッカではいるのは個人的には好みではありません。爆な第3楽章は一旦収めてからあらためて第4楽章を開始してほしいのですが、なにぶん、フライング拍手抑止という側面も否めないということもあり指揮者によってはそのまま第4楽章に突き進む。進まざるをえない。
日本では第3楽章の終了後、フライングがはいるケースはあまりないのだが、諸外国特にアメリカではお決まり以上のブラボーコールが一斉に。それだけならまだましで、荷造りして帰ろうと立ち上がる客がたくさんおりますから大変です。まだ終わっていないよ、not finishedそんな感じの警告もなにもあったもんではなかったですね。
この日のカンブルランはきっちり聴衆の感情の高まりを抑えて第4楽章にはいった。とは言うものの曲想の変化が劇的というにはあまりに大きすぎ、アタッカはやっぱり違和感あります。
第4楽章も淡々と進む。最後のブラスの咆哮もひきずるようなところはなく、最後の弦のピチカートを経てエンディング、空白が待ち巨大な曲が終わったという感覚の実感。
おわり

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