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昨日の続きです。
チェリビダッケ初来日の棒は4回のみだった。
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1977年10月
18日(火)19:00東京文化会館
19日(水)19:00東京文化会館
メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲
ラヴェル 組曲「マ・メール・ロア」
バルトーク 管弦楽のための協奏曲
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1977年10月
28日(金)19:00神奈川県民ホール
29日(土)19:00東京文化会館
ベルク/ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン、ロニー=ロゴフ
ブラームス/交響曲第4番
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セルジュ・チェリビダッケ指揮
読売日本交響楽団
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10月18日初日の今も昔も歴史的な演奏会を観ることができたわけだが、その日購入したプログラムを見てみると、チェリビダッケの写真が載っている。この写真は日本に足を踏み入れたあとに国内で撮られたもの。
10日の来日の際のもの、11日の記者会見、12日の初練習が載っている。
プログラムを作成するにもそれなりに日にちがかかるはずだから、初日の公演までいかに何日もの練習を行ったかわかる日程となっているのである。たしか、練習は6日間と当時はうわさされていて、こうやって指を折ってみると確かにそうだ。
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河童は初日の演奏会で気力体力を全部使い果たしてしまった。聴いたこともないような音が日本のオーケストラから出た日であったが、あれはもし録音されていたとしても、しびれるようなピアニシモのニュアンスまでは拾えないと思う。チェリのコンサートはその傾向が昔からあり、NHK-FMから流されていたシュトゥットガルト放送響とのすばらしい演奏ライブも、なにかフォルテシモ部分のニュアンスを主に聴いていたような気がした。
生で初めて全てのことが氷解したような気分になったものだ。
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当時の評の新聞切り抜きもアップ。