河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

487- 芸術の秋も冬模様 指揮者業界に人材はいるのか

2007-11-30 23:08:00 | 音楽

この11月のオーケストラ・来日ラッシュでは、

クリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管、

マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響、

などもきた。

この二人、二つのビックオーケストラの常任を兼務している。

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クリストフ・エッシェンバッハ

→パリ管

→フィラデルフィア管

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マリス・ヤンソンス

→バイエルン放送響

→ロイヤル・コンセルトヘボウ管

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彼らの才能が、どうのこうの言う前に、いかに人材がいないか。

または、

彼らに匹敵する指揮者が本当にいないのか。

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この二人が、これらのビックオーケストラを4つも席捲しているなんて、うそみたい。

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実際のところ半分うそみたいなもんだろう。

だって、音楽シーズンはどこへいっても秋から翌春までときまっている。

たとえ両方をフルに振ったとしても、半分ずつしか振れない。

実態はもっとひどいと思う。

1シーズン30週ぐらいだとして、半分で15週。

これだけで、既に、希薄な関係。

客演とかで、指揮者だけあっち行ったりこっちに来たりするから、せいぜいその半分の78週ぐらいが関の山だと思う。

1シーズンに78週ぐらい振って、常任指揮者だと。

はっきりいって、指揮者とオーケストラの特別な関係なんて無いに等しいのではないか。

エッシェンバッハがパリ管の常任になって何か変わったのか。

彼が振っているときだけ、彼向きに変わっているだけでしかない。

そんなの別に常任でなくても客演で指揮者の場合でも、山のようにある現象だ。

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いまどき、指揮者とオーケストラの関係なんて、こんなもんなんだろう。

適当に変えて、また、ベートーヴェン全集やブルックナー全集のCDを作り、去っていく。去らされていく。

そしてまた新しい指揮者が、別の全集を同じように作ってまたいなくなる。

なんとも味気ない業界になってきたものだ。

オーケストラは無個性となり、そんなのあたりまえ、指揮者が無個性、だったりするもの。

そして、文化の平板化が始まる。

金太朗飴のオーケストラには金太朗飴の棒振りを。

なぜ、パリ管とフィラデルフィア管をこの指揮者が振っているのか、全く理解できない。

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486- マーラー交響曲第3番 マーカル チェコ・フィル 2007.11.26

2007-11-29 23:07:00 | 音楽

ドレスデン国立歌劇場のサロメの公演とぶつかってしまったが、やはりなんといっても今が旬のマーカル、この前のスメタナのわが祖国に続き、この日のマーラーの3番は聴き逃せない。

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20071126()7:00pm

サントリーホール

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マーラー/交響曲第3

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メゾ、ダグマル・ペッコヴァ

ガーデンプレイスクワイア

東京少年少女合唱隊

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ズデネック・マーカル指揮

チェコ・フィル

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1時間40分の演奏であった。

最後の局面でブラスが長い長い最終音を響かせながら、天上に消え入る音の見事さは、以前聴いたズービン・メータ/イスラエル・フィルの素晴らしさにはややかなわなかったものの、この曲の持つ本来的な明るさを最後まで聴かせてくれた。

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マーカルの棒は、この巨大曲に気張ることもなく、むしろ肩の力を抜き日常的な曲としてとらえていたようだ。

ギラギラとした硬さもなければ、無理な吹奏もない。

チェコ・フィルの日常をみているようで納得してしまった。

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この曲の第1楽章は40分近くかかるが、あまりにも形式が明白、明確であるため、そのことは頭の横に置きひたすら響きの面白さに集中することができ、あっという間に過ぎ去ってしまうのである。

この日も、チェコ・フィルの日常的でありながら多彩な響きに耳をみはってしまった。

1楽章をこのように聴くことができればあとの1時間など怖いものなしだ。

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チェコ・フィルの響きというのは独特で、先日のバイエルン放送交響楽団のようなマスで攻めてくるような感じとは異なり、一つずつの楽器の音が分解されてでてくるというか、変に混ざり合っておらず、それぞれの楽器が一つの生命体を主張している風でユニークだ。

そのような特質はマーラーの巨大曲でもかわるところはなく、自分たちの音楽を進めていく。

特色は第3楽章でいかされた。マーカルの細部に光をあてていくやりかたが、つまりは丁寧な音楽の作りが、このような第3楽章で効果をあらわす。

音色が色鮮やかに響き、そしてプリズムのように多彩に変化していく。

マーラーに別の光をあてたような新鮮で見事な演奏であった。

ポストホルンのとろけるような音はそれ自体魅力的だし、ブラス、特にトロンボーンの丁寧で端正なハーモニーは捨てがたい。

さらに、第4楽章の柔らかいメゾとそれを導くブラス、ここでもトロンボーンが目立つことなくきれいにバックをつとめる。

この日の第34楽章はマーカルとチェコ・フィルの結びつきの強さを示す見事な演奏になっていた。

1楽章の比較的あっさりとした演奏と同じように、第6楽章の深い祈りの音楽も、最近はやりの妙なテンポのおそさもなく、普通であり、普通が盛り上がり、クライマックスを自然に作っていく。

間延びしたところもなく弛緩することもない。

むしろ、曲の単純さが浮かび上がってくるようなところがあるような演奏でさえある。

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とはいえ、名手揃いのブラス・セクションもさすがに後半は少しばてた。

録音どりのようにはいかない。一発勝負の難しさがある。

しかし、一つ一つの楽器がアンサンブルでハーモニーを鳴り響かせるとき、それはそれで別の場所で花火が散るような、そのようなことがいろいろなところで起こっているようで面白さの方が先にくる。

ホルンのトップはノン・ビブラートで軽やかに音楽を進めていくが、2番、4番はなぜかビブラートをきかせているので、ホルンとしての音色が一様でないところがある。

24番は昔からのチェコ・フィルのメンバーなのかもしれない。

そこに高度な技術のトップがはいってくると音楽は安定するが、特色は失われていってしまうかもしれない。

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チェコ・フィルのメンバーは男性だらけで、今にしてはかなり珍しい。

女性は第1ヴァイオリンに二人、第2ヴァイオリンに一人、オーボエ3番に一人、ホルン8番に一人、ハープ二人、パーカッションにトラと思われる日本人一人。女性はそれだけである。

半分ぐらい女性がしめているオーケストラも最近は珍しくないなかで、いまだに頑張っているチェコ・フィル。

いろいろあったが、チェコ・フィルにはあらためて感心した。いい音だった。

ところで、今日も久しぶりのスペシャルシートで2階センターのこれ以上ないようなシートで聴いたのだが、第5楽章からアタッカでピアニシモの第6楽章にはいったとたんに、前列のおばさんがもがき始めた。

やたら動くのでどうしたのかと危ぶんだら、マスクをしていて必死になって咳をこらえているのだ。

ここの第5楽章までドラマティックな演奏を聴かせてくれて、さて、最後の第6楽章のピアニシモ・クライマックスで咳きこみ始めたのだ。

苦しさは理解できるものの、迷惑この上ない。

たぶん、第45楽章の合唱団の声に生唾を思わず飲み込んだせいなのかも知れない。

だって、この、ガーデンプレイスクワイヤ、って、どこの合唱団?立ち上がりの悪い声。

カタカナだけど日本人だな。ってすぐにわかる。

石橋とは自分たちの喉のことなのかも知れない。たたけば少しずつ歩くことはできる。だんだんと調子はでてくるようではあるが。。

来日団体がマーラーの3番を演奏する時は、いつも、メゾ、合唱団、少年少女合唱、が問題になる。今回メゾは連れてきたようでまろやかな声質は魅惑的でありマーカルの音楽を表現することが出来た。問題の少年少女合唱は今回は比較的よかった。だんだん進化しているのかもしれない。

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485- サロメとマラ3 衝突

2007-11-28 23:07:00 | 音楽

11月、来日オーケストラ・ラッシュはピークをむかえたが、12月になると一服する。

自国での演奏会が本格化するからだ。

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この11月末、残念なことにまた目玉公演がバッティングしてしまった。

1126()は、ドレスデン国立歌劇場の上演するサロメと、マーカル率いるチェコ・フィルのマーラー3番がかちあってしまった。

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サロメの公演回数が2回しかなくこのような事態になったのであるが、それならばマーラー3番は1回しかやっていないではないか、ということになるが、厳密には、マーラーの3番は東京と京都で1回ずつ、計2回演奏されてはいるのだが、いずれにしても、オペラ公演の場合、その演目数からいって1回ということはあまりなく、また最低でも2回、45回は上演してほしいものだ。

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ドレスデンはバレンボイムの指揮するベルリン・シュターツカペレの精力的な公演を見習ってほしいものだ。

26年ぶりの来日公演というにはあまり力のはいっていない公演旅行だったような気がする。

指揮者が、変更になったり、変更といっても当初の予定指揮者から音楽監督に変ったのに、主催者は、申し訳ありませんという。

普通に考えれば、

うれしいニュースです。音楽監督が棒をとることになりました。

といってしかるべきではないか。

ハイレベルな公演であったにもかかわらず、なんとなく煮え切らないところが残る来日公演であった。

それで、この日はどっちを観に行ったのかしら。またあとでブログにアップします。

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484- マリス・ヤンソンス バイエルン 2007.11.23

2007-11-27 23:06:00 | 音楽

484- マリス・ヤンソンス バイエルン 2007.11.23

いつもこのホールの音響のけちばかりつけているが、証左のためにはたまには特上シートで聴かなければならない。

この日は、2階前方センターの招待席で聴いた。(招待はされてませんけど)

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20071123()6:00pm

サントリーホール

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ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1

 ヴァイオリン、サラ・チャン

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ブルックナー/交響曲第7(ノヴァーク版)

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マリス・ヤンソンス指揮

バイエルン放送交響楽団

この日は来日中のバイエルン放送交響楽団7回公演の千秋楽。

マリスとブルックナーというのは少し違和感があるが、さてどんな感じだったのか。

まず、音、であるが、前日聴いたチェコ・フィルとはまるで異なる。

マスで迫る音。

やや粘着質で、弦やブラスやウィンドがびっしり敷きつめられ、圧倒的な力で迫りくる。

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それで、後半のブルックナーだが、ややテンポに問題のある演奏となった。

1楽章第1主題は独特の原始霧のなかゆっくりと始める。

2主題は曲想の変化やメロディーラインそのものの性格から自然にアップテンポとなる。

そして第3主題は、第2主題の雰囲気を背負ったまま、むしろ速くなるような感じで、押していく。

このようなこと自体は別に問題ではない。

ただ、例えば第2主題から第3主題への移行そして第3主題そのものについても言えることだが、呼吸がない、だから音楽に自然の息吹を感じることが出来ない。

歌がないものだから、第3主題など例のマス・サウンドが空虚に響いたりする。

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234楽章それぞれ同じような感じだ。

2楽章はロンド形式だが、やはり第1楽章と同じような問題がある。

速くなるに従い音楽が薄くなり軽くなってしまうのはどうしたことか。

ブルックナーではクライマックスに近づくにつれてテンポを落として呼吸を整えながら突き進む方がいいのかもしれない。

4楽章の第3主題は、爆発するブラスをもう少し呼吸する音楽としてとらえてほしかった。

隙間がなく進んでいくのは今は昔、カラヤンの世界ではなかったか。

1楽章のコーダは長大な再現部を経てホルンが冒頭第1主題のメロディーを先導し、それにトランペットがかさなり、全楽器がうねっていくが、頂点でそのトランペットがアウフタクト風に短いタンギングを聴こえるか聴こえないかといった感じで繰り返す箇所があるが、このような音楽イメージをいかに繊細に表現できるか、腕の見せ所であるのだが、わりと無視して進んでしまう。

ここの表現で忘れられない演奏は、カルロ・マリア・ジュリーニの指揮するロスアンジェルス・フィルの演奏だ。

決して強くなくそして品のあるトランペットのタタッー、タタッー、の繰り返しが実にすばらしく音楽を気品のあるものにしていた。

このような表現は録音では無理なんだ。

たとえスタジオ録音でもだめ、現場で感じるしかない。

ヤンソンスの場合、音楽が通過するだけであり、ブルックナーに対するスタンスの違いというか、どのような音楽としてとらえているのか、といったあたりがわかり、それはそれで別に悪い事ではないが、感興がいまひとつだ。

ソナタの形式感ということでは、以前聴いたミスターSによる棒の読響のブル7が忘れられないが、ただ形式で詰めると第4楽章がやや短めでバランスが悪いのが露骨にでてくる。

また経過句の扱いもなかなかうまい味がでなかったりで、痛し痒しとなってしまうことも事実としてある。

ヤンソンスは形式のことはいったん横に置き、音楽そのものの流れに身をまかすやり方であり、主題が進むにつれて音楽が軽くなる傾向は否めないが、それでもスコアの音楽はそのままのサウンドで表出されてくる。

ヤンソンスの演奏では第4楽章の弱点は全く感じなくなる。

音響を響かせながら進む。

でもやっぱり少し無機的か。

バイエルン放送響のサウンドはさすがだ。

まず、ブルックナーがさまになる音。

西欧の音楽はこのようなオーケストラの音で聴きたい、と思わせる。

隙間のない素晴らしい音楽を聴かせてくれる。

前半のサラ・チャンであるが、いつまでも子供ではない。1980年生まれだからもう27才だ。

ヴァイオリンのたちとしては結構好みではある。

真っ赤なロングドレスで場所を広くとりよく動き回る。

またドレスに隠れてよく見えないが、ハイヒールをはいた足で頻繁に空中を蹴ったりしている。動きの多いヴァイオリニストだ。

これでブルッフをじっくり聴かせてくれるからびっくりものだ。

ヴァイオリンの音に惹きこまれてしまう。

自分のペースで何事もやってしまうのだろう。

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前半のブルッフのコンチェルトは思いのほか大きい曲であり手応え十分。

そして後半のブルックナー7番ということで、プログラムビルディングとしてはなかなかいいものであった。

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483- 三連休初日はミュンヘンのバイエルン放送交響楽団を

2007-11-26 23:05:00 | 音楽

そろそろ、コンサートばて、してきた。なんていうことはありえない。いくらでも聴ける。

ということで、前日はチェコ・フィルをマーカルの棒で聴いたばかりだが、この日は気合いをいれなおしてバイエルン放送交響楽団。そのことは明日でも書くことにして。

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バイエルン放送交響楽団を初めて聴いたのはいつだったんだろう。全然記憶にない。少なくとも、あれ、は、聴いていない。

あれ。

1975年にラファエル・クーベリック率いるバイエルン放送交響楽団が来日した折、マーラーの9番を演奏する予定だったのだが、その場所が、日比谷公会堂。

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クーベリックは、

なめんじゃねぇよ、こんなひでぇ音の小屋でマラ9なんか振れるわけねぇじゃんかよ。

といって、プログラムを差し替えた。

たしかにひでぇ音の小屋だが、昔はあすこしかなかった時代もある。

日比谷通りと国会通りがクロスするあたりに屹立する日比谷公会堂は今でも健在だ。演奏会もやられているようだ。が、昔、なにかのまちがいで、ロリン・マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団があすこで演奏を余儀なくされたことがある。あれ以来、あすこにははいったことがない。

場所としては内幸町だから、銀座の8丁目あたりからガードをくぐったりしながら56分でつくいい場所ではある。ということは演奏会が終わったあと銀座に5分で着く。

でもあすこにいくことはもうないだろうが、銀座で飲んだり、山野楽器で買い物をしたあとは電車の都合で内幸町まで歩くことがあるので、わりと頻繁に近辺をうろつくことはある。

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でも、

山野楽器でCDを買ったあと、すずらん通り、西五番街、並木通り、ソニー通り、を、ななめにだらだらと、みゆき通り、交詢社通り、花椿通り、と歩き、外堀通りを通って、内幸町まで、

どこにも寄らずに、

たどり着くことができるであろうか!

無理。

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銀座には、たくさんのバーがある。ふらっとよって、カクテルを軽く2杯ぐらい飲んで、さっと帰ればよく眠れる。

でも、

軽く2杯で、帰れるわけがない。。

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ダブルスタンプ・デーにわざわざ山野楽器まで来てなるべく節約しようとしているのに、銀座によると結果的に、高くなる。

そんなこと最初からわかっているよね。

口実が、CD買い、だもんね。

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それで、日比谷公会堂でキャンセルしたマラ9は後日、上野で行われました。

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197564

東京文化会館

マーラー/交響曲第9

ラファエル・クーベリック指揮

バイエルン放送交響楽団

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クーベリックが同曲をイエローレーベルにいれたのが、1967年なので既に8年経過している。日本人にとってはうれいしいマーラーであったことだろう。

さて、今回2007年はアルヴィドの息子マリス・ヤンソンスが棒を振る。

どんな演奏になることやら。明日のブログをお楽しみに

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482- わが祖国 ズデネック・マーカル指揮チェコ・フィル2007.11.22

2007-11-25 23:28:00 | 音楽

錦糸町のすみだトリフォニーホールまでいってきました。

現在、超絶好調指揮者であるマーカルを聴かないてはない。

EXTONレーベルから出しているチャイコフスキー、マーラー、ドヴォルザークのそれぞれのシリーズは名演連発だし。

旬の彼らの演奏を聴けるわけだから錦糸町でもどこでもいかなければならない。

翌週のマーラー3番は必聴としても、この日のマイ・カントリーも必聴ではないか。

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20071122()7:00pm

すみだトリフォニー・ホール

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スメタナ/わが祖国

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ズデネック・マーカル指揮

チェコ・フィルハーモニー

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第一印象は、EXTONSACDの音が出てきた。という感じ。

EXTONレーベルから連発しているSACDのサウンドそのものような音だ。本来は逆なのだろうが、それだけSACDのスペックはすごいということなのだろう。

眼前にせまりくる音。ちょっと遠い席で聴いたので眼前というのも変だが、要は音の彫りが非常に深いのである。

遠近というか、強弱というか、チェコ・フィル独特の針金が一本ずつそのまま川面に流れていうようなサウンドが、マーカルのもと今度は束になって響き、非常に彫りの深いサウンドとなっている。

彫の深い音、直観的に感じるのは厳しいトレーナーではないか、ということ。

このような彫の深い音のオーケストラというのはだいたい指揮者が猛烈なトレーナーの場合が多いような気がする。

いままで下手だったわけではないが、分解していた弦の響きが、まとまったサウンドとなって響く。素晴らしいサウンド。

わが祖国。スメタナは聴こえない耳で作ったせいか自分で自分に感動しながら作っているような気がしないでもない。

スメタナをこうやってあらためて聴いてみると、マルティヌーの原型を聴いているような錯覚に陥る。

マルティヌーの飛ぶ音がミニマル・ミュージック風であったりするがその原型を聴いているような雰囲気になることがある。

マーカルは細やかな音楽のディテールを明確に、こだわりをもって表現する。

細部が非常に美しい音楽となっている。

SACDだとダイナミックな箇所もこまやかなところも並列して素晴らしいのだが、生で聴くとまた別の良さを発見できるものだ。

モルダウはやや速めで、びっしりと敷きつめられたヴァイオリンの音が美しい。

プレイヤーがみんな同じ方向を見て演奏している。

指揮者が絶好調というのはそういうことなんだ。

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この日は、通し演奏ではなく休憩があった。前半3曲。後半3曲。

総じて前半の3曲が素晴らしかった。

特にディテールの美しさは何ものにもかえがたい。

後半は曲の弱さが出てきてしまい少し弛緩した。

5曲目のフィナーレのブラスが、そのまま第6曲の冒頭部分の響きになるのは、曲の結びつきの強さを示すというよりも、弱点を単に補っているだけのように聴こえてしまう。

5曲目6曲目は曲が弱いと思う。

それならばと、マーカルは細部にこだわり、その部分の美しさを表現することに腐心していた。

曲の弱さを補って余りあるマーカル/チェコ・フィルの美しさである。

マーカルの棒は昔どこかで見たことがあるような気がするのだが、河童蔵で調べてみないとわからない。

遠目にはちょっとシャルル・デュトワのような雰囲気があるが、もうすこし指揮が丁寧だ。

左手をひらいて両手を大きく下から上に振る姿は体の動きがそれほどでもないため、観ている方としてもわずらわしさがない。

オーケストラに溶け込んだ指揮姿だ。

この組み合わせは現在、非常に魅力的。

すみだトリフォニーホールは今回初めて。

木目と金属骨組みのようなものがアンバランスになることなくしっくりしている。

また、前方ステージは奥行がかなりあり、となりの奏者と明確な距離を保てる。

ステージ両翼の音響板のようなものは、ななめに床に刺さっているように見えるユニークなもの。

一部ワインヤード型の階もあるが基本的には長方形でサウンドもまんべんなく響くようだ。

初めて聴くホールだが、マーカル/チェコ・フィルのサウンドに満足した。

ただ、このホール、ロビーというか、バーコーナーがあるが何故か壁だらけで窮屈で歩きにくい。

ホールは広く余裕のサウンドだが、周りの通路、ロビーなどあまりいいとはいえない。

休憩時間など、全然ゆっくりできない。

構造的に改築は不可能だろう。がまんがまんだね。

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481- 三連休前のはなもくはすみだでチェコ・フィルを

2007-11-24 23:28:00 | 音楽

11月芸術の秋まっただなかだが、ここにきて三連休がある。

23金、24土、25日が休みなので、22日の木曜日は、はなもく。

はなもくのチェコ・フィルは都心でコンサートをひらくことができなかった。

だって、22()は、

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●サントリーホール

NHK交響楽団定期2日目

ネロ・サンティ

ベートーヴェン/レオノーレ序曲第1

ベートーヴェン/交響曲8

ベートーヴェン/交響曲第7

(このコンサートも聴きたかったなぁ)

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NHKホール

ドレスデン国立歌劇場のばらの騎士の練習

(たぶん)

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●東京芸術劇場

ウィーンフィルメンバーによるスペシャルアンサンブル

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●オペラシティコンサートホール

ランチコンサート

倉本裕基ピアノコンサート

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●東京文化会館

12日から26日までたぶん貸し切りでドレスデン国立歌劇場の練習と公演。

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N響のサントリー定期は変えようがない。

上野とNHKホールはドレスデン歌劇場公演の練習や公演で占められていてどうしようもないというところなのであろう。

唯一、オペラシティコンサートホールではどうだろうか。ここはなんとなく譲ってもらえそうな感じだが、ランチタイムのコンサートがあるので、そうなるとチェコ・フィルのほうは練習ができなくなる。

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ならば、いっそ、チェコ・フィルはすみだでやろう。

ということなのかどうか全く不明ながら、現在、超絶好調男ズデネック・マーカルがチェコ・フィルハーモニーを連れてやってきた。

その模様はまた明日。

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480- サロメの回数が少なすぎ ドレスデン国立歌劇場

2007-11-23 23:27:00 | 音楽

今回26年ぶりの来日公演となるドレスデン国立歌劇場の演目と回数はこんな感じ。

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タンホイザー4

ローゼンカヴァリエ3

サロメ2

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サロメの上演回数はたった2回だけ。それも土曜日と一日置いて月曜日。

100分。1幕物ではあるが、最高席が5万5千円と他の公演演目とほぼ同じ価格帯。

人気演目だが、いつものように価格設定に難がある。

それは別にしてもたった2回しかできないのはスケジュールの都合か歌い手の都合なのかはたまた会場がとれなかったのか。いずれにしてもあまりにも味気ない。

たった2回だと行きたくても行けない人も結構いるのではないか。少なくとも4回は欲しい。

ということで別の演奏会とぶつかってしまい、サロメは1124()26()も行けない。

ところで、一流どころ(高価格設定)の来日オペラ公演は、東京においては、ずーっと、東京文化会館とNHKホールだけ。それ以外の場所では決してやらない。新国立劇場ができてもあすこでは決してやらない。

スケジュール、稽古、舞台装置、利権、入場人数、いろいろと問題はあるかもしれないが、共同戦線でやれるようにしたらもう少し幅が広がると思われるのだが。

それにNHKホールでやるのはいい加減やめにしてほしい。

あのような多目的で、音響の悪いホールで一体いつまでやり続けなければならないのか。

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誰かホール作って。といってもどうしようもないのだが、地方自治体単位に乱立するホールは東京でも同じ発想。

ならば、国立と銘打ってたてたオペラパレスであるのだからもう少し利口な使い方が出来ないものか。

新国立劇場がレパートリー形式をとり、週7回、常にハイレベルの上演を行っていれば、オペラハウスが外国からわざわざ来なくてもいいし、逆に日本まで観にくる人までいるかもしれない。

現実はそんな状態ではないし、ひたすら来日する団体を順番に、あるいは同時期に音の悪いNHKホールか、昔ながらの東京文化会館で観続けるしかない。

といっても、この来日ラッシュ、たとえ、来日団体専用オペラハウスを作ったとしても、たぶん、まわらない。

あまりにも多すぎる。

日本にはいくらでもカネを出す連中がウジャウジャといるわけか。

ならば、そのうちの一回をちょっと我慢してもらい、寄付して集めればオペラハウスの1個や2個簡単にできてしまう。それを来日団体専用オペラハウスにするって言うのは、どう?。

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479- ローゼンカヴァリエ ドレスデン国立歌劇場 2007.11.18

2007-11-22 23:26:00 | オペラ

前日のタンホイザーに続き、この日は、ばらの騎士。

この日は、みなとみらい線で日本大通駅を出て神奈川県民ホールまできました。その模様は昨日のブログに書きました。

今日は、ばらの騎士の初日。

2007年11月18日(日)  3:00~7:30pm 神奈川県民ホール

元帥夫人/アンネ・シュヴァンネヴィルムス
オックス男爵/クルト・リドル
オクタヴィアン/アンネ・ヴォンドゥング
ファニナル/ハンス=ヨアヒム・ケテルセン
ゾフィー/森麻季
マリアンネ/ザビーネ・ブロム
ヴァルザッキ/オリヴァー・リンゲルハーン
アンニーナ/エリーザベト・ヴィルケ

計40名

指揮 ファビオ・ルイジ
演出 ウヴェ=エリック・ラウフェンベルク
ドレスデン国立歌劇場


二人が外から駆け込んではいってくる。
元帥夫人とオクタヴィアンは、狂ったようにズボンを脱ぎ始める。脱ぐのがもどかしいといった風情で愛撫し合い、とるものもとりあえずベッドになだれこむのであった。

こんな感じで、激しく退廃したホフマンスタール台本によるオペラが始まる。
もっとおしとやかな始まりで最初から二人ともベッドにはいってしまっているプロダクションもある。いろいろなプロダクションがあるが、どれも似たり寄ったりだ。
全幕ともにどのようなプロダクションであろうともだいたい筋書きはわかる。台本が良すぎるのか硬直した時代背景が大きいのか、奇抜なプロダクションというのはあまりないし、あったとしてもわずらわしいだけかもしれない。

オクタヴィアンは、いわゆるズボン役なのでいきなりズボンを脱ぎ始めるというのは、私は女よ、といっているわけではなくて、役の上での話なわけだからどうでもいいといえばどうでもいいが、オックス男爵がはいってくるあたりで、今度はメイド女装をするわけだから、話がまもなく混乱を始める。
だから、観る方は、しっかりとオクタヴィアンは女ではなく男として観なければいけない。毎度のことではあるが、こればかりは字幕からだけだと少しわかりづらい。

ここまで、音楽は最初のホルンから、滴り落ちるような弦のめまいまで、素晴らしい響きを醸し出してくれる。
ドレスデン国立歌劇場の音は豊穣ではあるがふやけたところがない。
輪郭がしっかりしており、これはとりもなおさず楽器一つ一つが音に芯があり、また、自分の位置づけはどこにあり、どう奏するべきか、莫大な経験の蓄積があってこその音、そして奏でられるハイレベルのアンサンブルに裏付けられた音であるからこその音楽。
歌劇場管弦楽団としては来日を繰り返しているが、こうやってピットから出てくる音は一味違う。水を得た魚のようだ。


マルシャリンは良くも悪くも完成してしまった人生、自分の手でもはやそれを動かし変えることはない。
オクタヴィアンの人生はこれから。転んだり立ち上がったり本人しだいでどのようにも先を変化させていくことができる。
このような二人がこの先うまくいくはずがない。
マルシャリンはわかっているが、オクタヴィアンにはわからない。いつの世にもある。
人生の黄昏ではなく、これからむかえるであろう黄昏のことを切なく侘びしく、ライトが落ちた薄暗闇の中で静かに歌うアンネ・シュヴァンネヴィルムスのマルシャリン、第1幕後半の落ちた美しさはシュトラウスの圧倒的に美しい音楽とともに、絶品の芸術であった。
退廃の極みと言ってしまえばそれまで。
こんなことは今の我々の現実にはありえないようなストーリー(なかにはある人もいるかも)ではあるが、それとこの音楽に心を動かされるというのは別のことなのか。
現実感がなければないほど潜在化した願望が大きくそこでかなっているということなのかしら。
何回観てももう一度観たい、オペラハウスの来日公演の同演目は全部観たい、という人たちの気持ちはよくわかる。5時間の現実逃避。なにを言われようが、とにかくこれが先なんだ。


マルシャリンの従兄のオックス男爵は、とにかく若くてかわいい女性には目がない。
いやといわれても一度ベッドをともにすれば考えが変わる、いやといわれた方が明日への活力の源になる、などと今ならセクハラ、人権侵害で訴えられてもおかしくないストーリー展開なのだが、過去の芸術品である、そして結末を知っている、わけだからこれらも含めて楽しめば良い。
オックス男爵を憎みきれないのは、男はみんなこのような感情をもっている動物であるから心ならずも(?)共感してしまうし、まぁ、良いではないか。
オックス男爵が色目を使ったオクタヴィアンはメイド女装をした男なのであり、ズボン役のアンネ・ヴォンドゥングは、肩の張り具合などその辺の微妙な感じをうまくだしていたようだ。
オックス男爵のクルト・リドルは権力を背負った感じがなく、威圧感はないが、男の機微をこれまた絶妙に表現していた。


第2幕で、ゾフィーとタイトルロールになりバラをもったオクタヴィアンがあうことになるが、その前に、侍女マリアンネ役のザビーネ・ブロムの声量が大きすぎて、せっかくのゾフィー役この日、日本国を代表して歌った森麻季の歌が最初からかすんでしまったのだ。
ここにたどり着くまでに何年もかかっただろうに、ブロムには遠慮というものがないのか。
聴衆はブロムに反応してしまい、ちょっと想定外の事態ではあった。
しかし、ゾフィーとオクタヴィアンの目が合い、瞬間、調が変わる絶妙のシュトラウスの音楽にもかかわらず、お互いの気持ちの変化(あっ、この人だ、私が探していた人は、という感覚)が聴衆にうまく伝わらなかったにもかかわらず、森は細くも美しい高音を見事に披露することができたのは日ごろの努力と経験があったからなのだろう。

ただ、ゾフィーの衣装であるが、どうも少女っぽい。
日本の昔の白黒写真のころの少女衣裳なのだ。あれは失敗。演出のウヴェ=エリック・ラウフェンベルクのせいではなく、衣装のジェシカ・カーゲのせいかもしれない。かなりの違和感。
違和感と言えば、こちらは演出の方のせいなのだろうが、第1幕で観光客がはいってきてフラッシュをたく、第2、3幕でプレス(新聞記者)が大勢あらわれこれまたフラッシュの小嵐。この演出はなにを意味するのか。この部分だけ浮き出ていてとってつけたような感じ。成功とはいえない。

森は低音の方が少し弱く、また、声の強さが一様でない箇所があり、また、張り切り過ぎということもあろうが、圧倒的にキュートなゾフィーとまではいかなかった。
ともあれ、第3幕終場の3重唱、2重唱まで持ちこたえたのは評価できる。


指揮のファビオ・ルイジは劇場都合による代振りということだが、音楽監督が代振りというのも奇妙な話だ。普通だったら振って当然だと思うのだけれども。
なにやら不機嫌そうな感じのルイジであったが、ピットが暗くなってしまえば全ては闇の中だ。
音楽全体の印象としては、線が太く豊かな響きというよりも、スタイリッシュで明確な輪郭、縁取りをとっていくタイプのようだ。昔は、オペラアリアの夕べの伴奏指揮などもしていて、道を踏みはずすこともなくキャリアを積んできたのだろう。これからどのように変化していくのだろうか。
おわり

 


478- ばらの騎士の前はたみやでラーメンを

2007-11-21 23:25:00 | 音楽

前夜のコンヴィチュウニーのプロダクションによるタンホイザーの翌日は、ばらの騎士。

上野から神奈川へ移動だ。

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神奈川県民ホールにいくには、以前は、関内の駅からだらだらとななめに歩いていって、道端に垂れ流した水のように、向かう人たちがぞろぞろとしていたものだ。

今は、みなとみらい線が出来て、日本大通駅を出て5分ぐらいで着く。

みなとみらい線そのものの便利さとともに格段に、いく気になる。

それまでは交通の便が良くなくあすこのホールときいただけでうんざりしたものだが。

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それで、この神奈川県民ホールであるが、あいかわらず、まわりが不便だ。

近くにコンビニもなく、幕間の休憩時間に外に出てもとなりのビルのオープンカフェでコーヒーを飲むぐらい。

ならば始まる前にメシでも喰らいあとは野となれ山となれ。

メシは、この県民ホールの向かいにある、産貿ホールの地下のあまりきれいとは言えない食堂街で。

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長丁場のオペラでは、観る前に食事をする場合は、おなかの具合に気をつけなければいけない。

最近は西欧人の真似がはやっていてホールの中でアルコールなどを飲めたりするがあんな真似はしなくていい、百害あって一利なし。

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それで始まる前に何を喰らうか。洋食はだめだ。アルコールを飲むように出来てる。ワインでもなければ食えたしろものでない場合がある。

かといって和風割烹も同じようなものだ。

時間帯に難のある居酒屋も駄目だし、カレーだと眠くなる。

ソバ、うどんのたぐいだと5時間オペラではもたない。

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やっぱり、普段、酒の後ですするラーメンを今喰らおう。

おおそうだ。

ラーメンならアルコールも不要だ。

ラーメン・チャーハン、

か、

タンメン・半ライス、

だな。

これだと、おなかも落ち着き、アルコールもいらない。

それに5時間座って動かない分にはちょうどいい。

喰らったあとは自動販売機で水のペットボトルを買い、ホールにはいり自席で隠しながら飲んでいればいいのだ。

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このホールは少しばかり飲み食いができるコーナーはあるものの、ロビーが狭いので混雑極まりない。外は海の風が強くてわずらわしい。

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やはり、ローゼンカヴァリエの前は、例の地下食堂街の、たみや、で喰らうラーメンセットに限る。

オペラのおばさん連中で混むことが、この先も、ないよう祈りながら。

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さて、そろそろ始まるか。

ローゼンカヴァリエを観るときは、まず気持ちを頽廃モードにしなければいけない。

明日のブログをお楽しみに。

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477- タンホイザー ドレスデン国立歌劇場 2007.11.17

2007-11-20 23:25:00 | オペラ

来日中のドレスデン歌劇場公演を観ました。
昨日のマーラーの6番からあまり時間がたってませんが、聴けるときにみんな聴いておきましょう。
今日はタンホイザーですが、タンホイザーはつい最近、新国立歌劇場で観たばかりだ。
その感想はここ。

447- 贖罪のタンホイザー 2007.10.21オペラパレス

448- 反省のタンホイザー

それはそれとしてドレスデンのタンホイザーは、このように行われました。

2007年11月17日(土)
3:00~7:20pm
東京文化会館

ワーグナー/タンホイザー

ヘルマン/ハンス=ペーター・ケーニヒ
タンホイザー/ロバート・ギャンビル
ヴォルフラム/アラン・タイトス
ヴァルター/マルティン・ホムリッヒ
ビテロルフ/ゲオルグ・ツェッペンフェルト
ハインリッヒ/トム・マーティンセン
ラインマール/ミヒャエル・エーダー
エリーザベト/カミッラ・ニールンド
ヴェーヌス/エヴリン/ヘルリツィウス
羊飼いの少年/クリスティアーネ・ホスフェルト

指揮 準・メルクル
演出 ペーター・コンヴィチュニー


ドレスデン歌劇場は26年ぶりの来日ということだが、なんだか頻繁に聴いているような気がする。歌劇場管弦楽団としての来日があるからだろう。
まず、タンホイザーの長い音楽が奏された。
第一声がでるまで約25分。
ドレスデンのオーケストラの質は非常に高いものであることをあらためて認識。
芯のある楽器音。
決して垂れさがらない。
つややかな弦。
節度あるブラス。
そして全体の響きの美しさ。
アンサンブルの妙。
なにもかも日本のオーケストラにはないハイレベルな音楽。あらためて恐れ入った。
特に均質で芯のある質感のある楽器の音には脱帽。

さて、タンホイザーである。
終幕の最終局面で、ペーター・コンヴィチュニーは、舞台左斜め上から、笑うに笑えない大型の花一輪。
そして、奇抜な迷キャップのヴェーヌスが、死んでしまったエリーザベトとタンホイザーを抱きかかえながら、幕が下りる。。。。。
。。。。ンンン。なんとも言えない。
素晴らしいのか、大ブーイングすればいいのか、不幸なことに我々はその基準を持ち合わせていない。
そうであれば、ブラボーしかないのだろう。

エリーザベトは実は、左腕を剣で切り、自害をする。
そしてヴォルフラムの夕星の腕の中で息絶える。
そこにタンホイザーがローマから帰る。
ヴォルフラムは着ているものでエリーザベトを隠しそのまま劇は続行。。
そしてタンホイザーは、タンホイザーという人はこの局面では非常に生煮えの状態だと思うのだが、やはりそのまま息絶える。
息絶える前に一升瓶ではなくワインボトルを持って酔っぱらって出てきたヴェーヌスに結局二人とも抱きかかえられるのである。
これはどう解釈すればよいのだろうか。
結局、ヴェーヌスが一番で彼女に勝てるものはいないということを示しているのだろうか。
最近は意味不明な過剰演出が多いので慣らされているとはいえ、意味を考えるのも一苦労。

ブルックナーの第5番の演奏が特に素晴らしかった指揮者フランツ・コンヴィチュニーの息子のペーター・コンヴィチュウニーのプロダクションによるどちらかというと笑えたりする過剰演出のタンホイザーの始まり始まり。
1997年のニュー・プロダクションということだからこの10年でだいぶ陳腐化してしまい今ならもっと過激かもしれないが、我々としては今のこのプロダクションを大いに楽しみたい。
第1幕終場で、子供の遊び、なんとかごっこのように消え入る大の大人たちには笑える。
第2幕の行進の場では行進する人はだれ一人あらわれない。
第3幕のローマからの帰りの人たちは、腕を前に出し、全員全力疾走ではいってくる。
ローマに行ってお許しをもらえたからみんな元気なのか。かなり笑えた。
これ以外にもたくさんの読み替え(読み違い?)があり、演出過剰の昨今の状況はさらに混とんとしていてメチャクチャおもしろい。

それと、演出とは関係ないと思うのだが、ドレスデン歌劇場の公演ですが、このタンホイザーではドレスデン版ではなく、パリ版で演奏。
長い分だけ演出と関係あるかもしれないと勘ぐりたくもなる。

第2幕の歌合戦で思わず、真実の愛は官能の中にある、と、口が滑ってしまい、ヴェーヌスベルクでその官能の虜になっていたことをしゃべってしまったタンホイザーに対し、周囲の者たちはこの不埒な男を殺そうとするが、そこでタンホイザーを愛するエリーザベトは言う。あなたがたに彼を殺す権利はない。何の権利で殺そうとするのか。そして、殺すな、生かせ。と。

一番つらいのは、あたしエリーザベトなのよ。
愛するタンホイザーはヴェーヌスの官能の世界に浸っていた。でも殺すな。生かして。

なんという究極の決断。生きて贖罪しなければならない。
しかし、生きていれば、もういちどヴェーヌスブルクの世界の虜になってしまうかもしれない。
ローマ行きで許されるのが予定調和的ストーリーなのだろうが、ワーグナーは違う。
ローマで許されなかったタンホイザーはその時点で生き死に状態で戻ってくる。
こんなことだらけだと人間くさってしまい、またあの官能の世界に戻りたい、と愚痴の一つもこぼしたくなるのが普通の人間だろう。
そうだ、普通の人間なんだ。
このストーリーは反面教師でも何でもなくて、日常性あふれる弱いタンホイザーが、揺れ動き溺れていくストーリーであり、「そのまま教師」といったストーリーなのだ。
みんな思い当たる節がありますよね。

歌は、一番良かったのが強靭な合唱。
芯があり、張りがあり、のびがある。
耳の覚めるような言うこと無しの素晴らしい合唱。
技術の伝統が継承されている。

歌い手では、女性2名、ヴェーヌスのエヴリン・ヘルリツィウスが喝さいを浴びていたほか、エリーザベトのカミッラ・ニールンドの胸や声にやられた。
男声陣もおしなべてよく、ヴォルフラムのアラン・タイトスには冷めた拍手であったが、安定感があり良い歌だ。オラフ・ベーアの代役だからということであまり評判にならないだけなのかもしれない。もったいない話だ。
タンホイザーのギャンビルはもっと汗臭くて脂ぎっているほうが人間節タンホイザーの感じがでると思うが、最初、ちょっとさめてましたね。だんだんと熱くなり最後は人間タンホイザーになりきってました。
準・メルクルの指揮はあまり激しいものではない。いたって普通であり、もっとせめて欲しいところもあるが、今はあまり求めないでおこう。

あしたは、ローゼンカヴァリエだなぁ。


476- ゼンパーオーパー 26年ぶりの来日

2007-11-19 23:24:00 | 音楽

ドレスデン国立歌劇場

ゼンパーオーパー

来日

26年ぶり

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200711

10()タンホイザー

12()マーラー/復活

13()タンホイザー

14()特別コンサート

17()タンホイザー

18()ばらの騎士

20()タンホイザー

23()ばらの騎士

24()サロメ

25()ばらの騎士

26()サロメ

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タンホイザー4

ローゼンカヴァリエ3

サロメ2

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サロメの回数が少ない。

一幕物で三幕物とほぼ同じ料金というのはつらい。

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指揮者と歌い手が当初予定からかなり変更があるようだが、ドレスデンの場合、オーケストラがキャンセルしなければ文句は言うまい。

ということで、あしたから。

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475- 沼尻 マーラー6番 2007.11.16

2007-11-18 23:06:00 | 音楽

やってる方にしてみれば、

なめんじゃねえょ、お前らこの曲知ってんのかよぉ、

とでも言いたくなる超難曲である。

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今週2回目のコンサートはこれ。

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20071116()7:00pm

サントリーホール

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マーラー/交響曲第6

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沼尻竜典 指揮

日フィル

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拡大というよりも極度に肥大化巨大化したオーケストラ曲。

管弦楽だけの編成の曲中おそらく一二を争う規模の曲。

基本的には4管編成だと思うのだが、ホルンがたしか10本、トランペットが6本、トロンボーンが4本、ウィンドも4本ずつ。ヴァイオリン第1プルトは6列まで拡大。それにハンマーまでつく。

とにかく何から何まで肥大化している。

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30年前ならこの曲を演奏すること自体がイベント化し、はたしてこのトンデモ曲、当時日本では演奏困難とさえ言われ、日本のオーケストラにやれといえば出来るレベルではあったのだが美観など先の先だった。

今はどこのオーケストラでも余裕を持ってできる。あっけないほどだ。

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日フィルのホルンのトップは優秀だ。非常に安定感がある。

トランペットは、ああ、あすこでやばいね、と思ったところ、第1楽章提示部、ここはベートーヴェンのエロイカの葬送行進曲のフレーズの引用だと思うのだが、ここの最高音で案の定吹き間違いあり。ご丁寧に繰り返し主題でも同じまちがい。それ以外はだいたい許せる。

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会場は大入り満員とはいかない。89割がた。

曲後の拍手も冷静というか冷たいというか本当に今昔物語だ。

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沼尻の棒は好感の持てるものであり、棒がオーケストラの内面に食い込むような見事さだ。

というか、棒が途中から消えてしまい、手で振っている。空手もどき。

棒を持っている時から激しい動きだったので、棒が飛んでしまっても体全体が指揮棒のような動きとなっているため、むしろこの方がさまになっている。これからは棒いらない。

オケは優秀とは言えない。隠れた部分、派手に表に出ない部分が少し粗末でそろわない。トロンボーンの隠れたキザミ。ウィンドの激しい動き。いろいろと言い出したらきりがない。

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ただ、沼尻の棒はおしなべてよく、音楽そのものはわりと粘着質でやわらかく響いていた。

激しい身ぶりのわりには音楽の流れが自然。たまに目をつむるとよくわかる。

聴衆はこのような演奏には反応してほしい。

今やルーチンワークと化したマーラーの6番であるが、演奏の困難さは昔と変わらない。

昔に比べて、プレイヤーの技術的な要素の部分が飛躍的に向上したため、その点では安心して楽しめる。

しかし、その先にあるもの。核心の表現。何をどう表現していかに伝えるか。この部分で秀でたものがなければ良い演奏とは言えない。

その点、沼尻は虚勢を捨て音楽の内面に鋭く光をあてようとしたいい演奏であったのだ。

おわり

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473- ゲルギエフ 充実の公演 2007.11.14

2007-11-16 23:05:00 | 音楽

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ゲルギエフ、マリンスキーの2007年来日公演は1118()が千秋楽。

115日の公演はこちらのリンクから。

463- ひらひらチョップ炸裂 バーバーヤガ 2007.11.5

464- ゲルギエフ プログラム500円

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このあと14日の公演にも行きました。

あまりにも濃すぎるプログラムでした。

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20071114()7:00pm

サントリーホール

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(前半)

チャイコフスキー/交響曲第2

プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3

 ピアノ、イェフィム・ブロンフマン

(アンコール)

プロコフィエフ/ピアノソナタ第7番第3楽章

スカルラッティ/ピアノ・ソナタ

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(後半)

ショスタコーヴィッチ/交響曲第15

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ワレリー・ゲルギエフ指揮

マリンスキー歌劇場管弦楽団

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なんと素晴らしいプログラム!!!!

ショスタコーヴィッチの15番は、冒頭のトライアングルによる二つの響きの後、フルートによって奏でられるちょっと引っかかりのある音型が、終楽章の減衰していく音楽の最後の部分で多数のパーカッションによって不思議な響きを醸し出すその直前で、弦の一定音に導かれウィンドにより回帰される。この大団円をゲルギエフはものの見事に描き出した。

今まで聴いた15番で一番素晴らしいものであった。

ほかのロシア物のようにとばしていくのかなと思っていたら、予想に反してひじょうに丁寧な作りになっていた。

さすがゲルギエフ、今日のプログラムビルディングなどもそうだが、曲の並び、選曲、そして一定の効果、いろいろと考え抜かれたものだ。

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