河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2025- シベリウス、Vn協、ヴァハラ、Sym1、ヴァンスカ、読響、2015.11.27

2015-11-28 00:01:47 | コンサート・オペラ

2015年11月27日(金) 7:00pm サントリー

シベリウス カレリア組曲  4′+6′+5′

シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調  16′9′7′
  ヴァイオリン、エリナ・ヴァハラ
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番から「サラバンド」 3′

Int

シベリウス 交響曲第1番ホ短調  10′、9′、5′+12′

オスモ・ヴァンスカ 指揮 読売日本交響楽団


昨晩はオッコ・カムの指揮で自国のオケを指揮した1番、今日はヴァンスカが読響を指揮した1番。シベリウス生誕150年にふさわしい続き具合です。

ヴァンスカのシベリウスは自国で培われた、それこそ生まれた時からあるDNA的な要素は大いにあると思いますが、それにもまして、そのシベリウス像をオーケストラに深く注入、刻印するその彫りの深さ、そしてそれを実現させるためのオーケストラの練りあげ度の高さ、このような部分でのレベルの高い伝達棒で、シベリウスの極意というものをすべて理解したうえで、さらにオーケストラへの浸透させる力に優れていると言えるもの。換言するとインターナショナルな普遍性に優れている。このような演奏であればシベリウスへの理解も多くの人に伝播していくというものだろうと実感する演奏でした。

シベリウスの1番は既にソナタの形式感が後追いでついてきているようなもので、散文的な色彩が濃い。モザイクと言う話ですが、その原点で狂詩曲な様相を呈している。ヴァンスカはそれを押しとどめるようなことはしない。それは昨晩聴いたカムの解釈も同じです。気まぐれな交響曲とまでは言えないが形式は下敷きで利用するだけ、あとはシベリウスのしたいことをする、7番に至る本質がよく垣間見えるものです。
緩徐楽章は味わいの深いもので、コクのあるウィンドのハーモニー、完全にコントロールされたブラスの強奏、弦のひき締まった張りのある響き、シベリウスのツボをヴァンスカは非常にうまく表現していたと思います。3楽章のトリオの部分の演奏なども同じモードですね。
終楽章はロマンチックな色彩が濃いが、それを綿々と引き延ばしていくようなところはない。カムも同じ。ここらへん、ストンと切ったり終わったり、フィンランドの言語アクセントがどのようなものであるのか全く分かりませんけれど、共通項的な表現として感じる部分があります。
狂詩曲的な荒々しさと練りあげ度、解釈の浸透度、それらに応えるオーケストラ、いい演奏でした。

前半の協奏曲、これも好きな曲です。金髪でスレンダー美人、清楚な雰囲気ででもちょっと気が強そうなエリナ・ヴァハラさん、中音域低音域はかなり太くて大きく響く、高音域もおしなべて同じ。あの細い腕から強い芯のある音での演奏が繰り広げられます。シベリウスは十八番と思われます。緩急パッセージともに余裕の弾きで説得力ありました。あの金髪が乱れず強靭な音楽が奏でられるあたり、びっくり、うなるだけ、です。
また、ヴァンスカとこれまでも共演しているようで息の合った展開。ヴァンスカの舟を漕ぐような独特の指揮スタイルをきっちりわかっているようでオーケストラとのフレージングもきれいに合っています。このコンチェルトではオーケストラの全奏中でのソロがありますが、ヴァンスカはそのような個所はあえてオーケストラを押さえつけることはせず、ソロともども鳴らし切る。そのような解釈でした。音はかき消されるが音楽の一体感は凄いものだったと思います。まさに同時協奏です。こうゆうところにもシベリウスを聴く醍醐味があります。美しいプレイヤーのいいコンチェルトでした。


ここのところのヴァンスカのことは少しは知っています。
何年か前にフィラ管がバンクラプト、それを新聞記事で追っかけしていた頃があり、その流れでミネソタ管のロックアウトの話し、その後の展開、ヴァンスカのとった決意表明、考え、等々、いろいろあったと思います。それらを、ニューヨーク・タイムズやミンポストの電子版で結構長い期間フォローして読んでいました。ツイッターにも逐次展開を紹介したりと。ですので、その人となりも少しはわかっているつもりです。
今日はいい演奏会でした、カレリアの3曲アタッカ演奏から1番のピチカートエンディングまで楽しませてもらいました。
おわり


2024- シベリウス1番2番、オッコ・カム、ラハティ響、2015.11.26

2015-11-26 23:38:47 | コンサート・オペラ

2015年11月26日(木) 7:00pm コンサートホール、オペラシティ

シベリウス 交響曲第1番ホ短調  11′、9′、5′+12′

Int

シベリウス 交響曲第2番ニ長調  9′、14′、6′+14′

(encore)
シベリウス 組曲「テンペスト」より第2番第6曲「ミランダ」 2′
シベリウス 行列  3′
シベリウス 「ペレアスとメリザンド」より、間奏曲  4′

オッコ・カム 指揮 ラハティ交響楽団


まだ70歳になっていないと思いますが、椅子に着席しての指揮。
前半の1番は以前にもまして草木をなぎ倒すような豪快な演奏。細部もそうでないところも同じように前進していく。ヒートアップしていくというよりずっとそのままのテンションで草木をわけていく。
緩徐楽章での圧倒的なブラスセクションの咆哮。推して知るべしの全体バランス。1番の激しい音楽がよく表現されたものと言えよう!勇猛な演奏です。
冒頭のクラリネットソロのあと弦の響きは透明感あふれ印象的なもの、フィンランドのシベリウスを感じる。いわゆる北欧の透徹したサウンドのイメージ、それがそのまま広がる。豪快で彫りの深い演奏をこのようなサウンドで聴く。シベリウスに直に接した気分。
オーケストラの響きとしては、ウェットではなくかといってドライでもなく、メタリックな感じ、ブラス、弦、合奏がちょっと押しつぶされた様な響きになることがあり、スキル均質的な観点でのレベル感にばらつきがあるのかもしれない。指揮者は意に介さないと言ったところか。カラヤンコンクールのあと一頃、指揮に問題ありという時代もあったと記憶しますけれど、それもこれも努力して乗り越えたとうよりそれもこれも意に介さず踏み越えてきたような根っこの強さを感じさせる指揮者です。

後半の2番は、豪快さがやや丸みを帯びてきたようなところがあります。フィナーレは以前に比べ駆りたてない。比較的ゆっくりしたものでなにか解脱感のようなフィーリング。フレージングが予定調和を感じさせる。オーケストラのほうは前半でのテンションが燃え尽き症候群にあってしまったのかもしれない、ちょっと緩んでしまった。指揮者とオケが別々の思いながらゆるくなった演奏現象となり微妙な味わいでした。

来日公演だからか、前半後半チューニングのオーボエは別々のかた。前半の奏者はシベリウスとショスタコーヴィッチをハイブリットしたような眼光鋭い奏者でした。後半は出てきませんでした。オーボエトップが入れ替わるというのはあまり見ない光景。
ブラスセクションはウィンドよりかなり奥に配置されているが、オッコ・カムの指示の中、鳴らしすぎ。
そのせいかどうか、2番のバスーンのユニークなヘアメイクの女性のかた、後頭部をクッションのような物で覆っている。さらに頻繁に耳栓をしたりはずしたり。耳栓使用は他の何人かの方もしていて、ホルンのプリンシパルもそうだったので、本拠地のホールとこの初台ではなにか別の問題があったのかもしれない。
女性プレイヤーが割と多く、トランペットにも1名。それとメガネをしている人が多い。みんなインテリっぽい雰囲気持っていますね。


エニウェイ、1番は猪突猛進型、2番は少しあまめ。このあと7番までやるわけですが、3番、4番、ヴァイオリン協奏曲の組み合わせの日はどうなることか(聴く予定は残念ながらありませんけど)
1番のテンションで3番4番もっていかれたらちょっと違和感あるかもしれません。コンチェルトは豪快な伴奏でいけそう。
3番終楽章はメタリックな艶めかしさを聴けそうなワクワク感ありますね。

この日はレアなアンコール3曲ありました。同じように別のレア聴けるような期待感。
おわり



2023- エヴァ・マルトンはファン・ポンスのエルボーであごがはずれてもトスカを最後まで歌った、1986.10.20

2015-11-25 23:42:32 | met

今、新国立ではトスカを上演中、その初日に行きました。感想は感想として、別のことを思い出しました。昔の話しを再アップしておきます(長いです)。


1986年10月22日(水)のニューヨーク・タイムズ一面トップは二日前のメトのハプニングで彩られました。
トスカ上演中、演技が過剰になったのか、スカルピア役のファン・ポンスのエルボーでトスカ役のエヴァ・マルトンのあごがはずれてしまった。

これは10月20日(月)のことで、河童はこの日のサブスクリプションを持っておらずそれを見ることはできませんでした、残念というか。
この日、相手役のマリオのドミンゴはどうしてたのかしら、というところもありますね。
マリオ・カヴァラドッシはドミンゴ、パヴァロッティ、両方観たことありますので、ゼッフィレルリのプロダクションの面白い話しはまた別の機会に、ということで。

とりあえず、マルトンのあごの話し。

以下は拙訳です。
1は一面のヘラルド・ショーンバーグ。(拙訳)
2はインサイド・ページのドナル・ヘナハン。(拙訳)
3は河童感想です。

記事中、2幕の歌に生き恋に生きのうつ伏せ歌唱に関しての話しもでます。ソプラノのマリア・エリッツァのことですね。

エヴァ・マルトンのあご1

エヴァ・マルトンのあご2

エヴァ・マルトンのあご3

以上、記事の意訳なんですが、2006年にアップしてからいろいろとコピペいただきました。某、本にもしっかりいただかれました。
特にこだわりありませんので、
ありがとうございました。
おわり


2022- モーツァルト、pf協24、オピッツ、ブラームス4番、マリナー、N響、2015.11.25

2015-11-25 22:49:46 | コンサート・オペラ

2022- モーツァルト、pf協24、オピッツ、ブラームス4番、マリナー、N響、2015.11.25

2015年11月25日(水) 7:00pm サントリー

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番ハ短調K491  14′7′8′
  ピアノ、ゲアハルト・オピッツ
(encore)
ブラームス 幻想曲集op.116から第4番 間奏曲ホ長調  5′

Int

ブラームス 交響曲第4番ホ短調  12′10′6′10′

ネヴィル・マリナー 指揮 NHK交響楽団


1924年生まれだから91歳。昨年も2度ほど聴きました。そのときはがにまた歩きが気になりましたが、この日のマリナーは老いてますます意気軒昂という感じでした。
後半のブラームスはテンポを緩めるようなところは微塵もなく、むしろオーケストラを駆り立てていくような具合で、非常に引き締まった演奏。楽章が進むにつれてさらに筋肉質に変貌していくオケの個々のプレイヤーの気持ちの盛り上がりが良くわかるもので、古典的ブラームスの間から熱いものがにじみ出てくるような演奏でしたね。最近多いなよなよした神経質な演奏とはずいぶんと異なる。
あっというまに終わってしまいました。

前半のコンチェルトはメナヘム・プレスラーが17番を弾く予定だったものがキャンセル、オピッツが急きょ、曲を24番に変えて出演。こちらは1953年生まれで随分若い。62歳ぐらいですかね。指揮者と合わせると153歳。もし1923年生まれ92歳のプレスラーが出ていれば、183歳コンビと言う話でした。もう、こうなるとオピッツは若いというか。

オピッツのピアノはその体躯に似合わずと言っては失礼だが、音がとてもきれい。澄み切った音で、強弱や余計な熱でうならせるようなものとは異なる。音の振幅には特別な興味が無いように思えて、むしろ均質で正確な音価に注意を払いそれが身についてしまっていて、透明感と正確さは切っても切れないものだよと、そのようなプレイです。このモーツァルトはどこにいくのだろうという思いはあります。愛着を感じる演奏でした。

なかなかいい演奏会でした。
ありがとうございます。
おわり

追記
プレスラーは昔聴いたことがあるようです。この組み合わせのコンサートですからそちらのことばかり書いてプレスラーのことは書かずじまいですね。
832- マーサリス&MTT 1984.8.25 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル
 

 


2021- ショスタコーヴィッチ15番、ジョナサン・ノット、東響、2015.11.23

2015-11-23 18:56:53 | コンサート・オペラ

2015年11月23日(月) 2:00pm ミューザ川崎

リゲティ ポエム・サンフォニック、100台のメトロノームのための
(作動時間40′、1:30-2:10pm)
+連続演奏

バッハ(ストコフスキー編曲) 甘き死よ来たれBWV478  6′

+連続演奏

シュトラウス ブルレスケニ短調 20′
  ピアノ、エマニュエル・アックス
(enocre)
ブラームス ピアノのための6つの小品より、インテルメッツォop118-2 6′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番イ長調  8′、17′+4′、18′

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


昨日のサントリー定期に続き、本日は川崎で聴きました。名曲全集というシリーズの一環で行うもので、そのシリーズ名にふさわしい曲が並んだと思います。曲げずに理解します。

お目当てのショスタコーヴィッチ、第1楽章はスピードアップ、終楽章はゆっくりめでしたが概ね昨日と同じ印象です。
このホールのひな壇は、1段目と2段目にウィンドグループ、3段目にブラスとパーカッション、高めの位置でブラスは昨日より、より明瞭だった気がします。そもそも弦の位置する舞台、ひな壇の無いところですね、そこの位置が非常に低いホールのつくりで、客席と何十センチぐらいしか高さが違わない。1階席はオケと一体感あり過ぎで自分がプレイしているような錯覚に陥る。ので、後半は2階席空席に移動。8分の入りと言ったところか。ちょっと思い出しましたが、この日のパンフレットにアンケートがはいっていましたが、座った席の記入欄ありましたね。移動したのでチケットの席を書いておきました。

この曲はいろんなインストゥルメントのソロが多い。東響のプリンシパルの方々みなさん腕達者で感心しますね。これだけの腕前が揃っているから、この曲の説得力も倍加する。特に第2楽章のホールを揺るがすようなチェロソロにはびっくりしました。昨日のサントリーよりもよく鳴りました。
各プリンシパルと指揮者の呼吸がシンクロしているのではないかと思えるぐらい一致していて、ノットの思っていることがパーフェクトに伝わり表現されている。トップからパートプレイヤーにもいい具合に呼吸が伝わっていると感じます。
この究極の彫琢の美学作品が、なにか自然に出来上がったもの、自然美のように見えてくるから驚き。パーフェクトな作品にはパーフェクトなスキルが何も言わずともついてくる。
またアンサンブルも例えば第1楽章からある4拍子と3連符が同時進行するフレーズ、これひとつとってもクリアなサウンドにうなる。
まぁ、個人的にはこれをセッション録音して、英字の文面のライナーノート付けて世界に発売してほしい。もう一つ言うと、2枚組にして、リゲティ約40分かかったメトロノーム音からバッハ、シュトラウス、これも収録してしまう。それで世界販売したら話題になると思いますね。メトロノームに癒される人達、続出!みたいな話になるかもしれない。

曲については、昨日のブログをご覧ください。
2020- ショスタコーヴィッチ15番、ジョナサン・ノット、東響、2015.11.22


今日も素晴らしい演奏会ありがとうございました。
おわり


2020- ショスタコーヴィッチ15番、ジョナサン・ノット、東響、2015.11.22

2015-11-22 20:59:41 | コンサート・オペラ

2015年11月22日(日) 2:00pm サントリー

リゲティ ポエム・サンフォニック、100台のメトロノームのための
(作動時間40′、1:30-2:10pm)
+連続演奏

バッハ(ストコフスキー編曲) 甘き死よ来たれBWV478  6′

+連続演奏

シュトラウス ブルレスケニ短調 20′
  ピアノ、エマニュエル・アックス
(enocre)
ショパン ワルツ第3番 op.34-2   5′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番イ長調  9′、16′+4′、17′

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


大変に興味深い演奏会でした。
リゲティの曲はマシンに演奏させるもので、開場時に既にスタートしていて、マシンの物理的停止をもって曲を終わる。マシンなのにいつ終わるかは正確にはわからないという不確定なことを逆手に取ったもの。その不確定部分が音楽作品であるということのオンリー要素になっている。マシンへのこのゆだね方は姑息とは言わないがマシン任せ、マシンの勝手、マシンのねじの締め具合で100台のマシンが散り散りバラバラに早く終わったり長く動いているものやら、いずれにしてもだんだんと動いているマシンは少なくなるのでその分だけ響きやリズムが少しずつ変化縮小していく。減衰のマシン音の音響音楽。音楽としては頭の中で響いているだけかもしれず、作曲家はそれを狙ったのかもしれない。マシンとはメトロノーム。
この減衰音響は後半のショスタコーヴィッチの15番のクロージングの締め方に対を成すものではなくて、音響面での親近性の並列化と言えるもので、マシンはデジャビュなのかもしれないとあとで思えるようなかすかな思い出、弱音によるパーカッション饗宴エンディングで思い起こされる。面白い趣向のプログラム・ビルディングで、この指揮者ならではと言えるものだろう。

2時の演奏会開始とともにホールのドアはクローズされるがメトロノーム音はその30分以上前から動作している。そしてマシンの最後の音が終わるまで2時からさらに10分ほど。それが終わったところを見計らい、これ以上甘いメロディーはこの世に存在しないのではないかと思えるようなストコフスキー編曲によるメロディアスでメロウそしてメランコリックで耳触りの良いバッハが始まる。メトロノームマシンとは天と地の違いながらこのシームレスな演奏はものすごく親近性を感じさせずにはおかないものでその強烈な説得力に音楽という毒の中に否が応でも引きずり込まれずにはいられない。リゲティとバッハをノットの手腕がつなぎ合わせた。音の印象が音楽の印象となりました。
このバッハの演奏はそれ単体でも印象深いものでしばらく忘れられないものだ。オーマンディ&フィラ管のバッハ・トランスクリプションのようなハイテンションで魅力的な演奏となりました。この演奏の見事な息の長さは指揮者とオケの蜜月のあかしのようなものだ。

以上、リゲティとバッハでは舞台の照明を薄暗く落としていて、バッハがクローズする少し前にアックスがピアノに歩み寄りブルレスケが始まったところでステージの照明は通常の明るさを取り戻す。見事な演出コントロールはメトロノームの不確定さとコントラストを成す。

ピアノを弾くアックスの腕を見ているとあまり右腕左腕が大きく離れない。なんだか狭い音域で奏でられている曲のような気がする。小さいものに愛着を感じてやまないような曲で演奏もそれを同一ベクトルにうまく反映されている。非常に歯切れの良いプレイでメゾフィルティからメゾピアノあたりの音域でくるんくるんと軽快に動き回る。まぁ、はっと気がつくとタイトル通りの見事さだなぁと思ってしまいますね。さっきまでの緊張感がこの軽妙な曲とプレイで気持ちよく弛緩していく。お見事ですね。
演奏後の自分主役風なアックスの振る舞いはほめられたものではないのでその分残念ながら気分がそがれ減点、せっかくの良好な雰囲気が台無しとまではいかなくても、あまり見栄えのいいものではない。若いときはこんなことをしなかったので歳のせいかもしれないけれど、リゲティからの一連のストリームを止めるようなものでよくありませんでした。
珠玉のようなアンコールで相殺帳消しにしようとしたのかその見事さには納得しますが、一度表に現れたものは消えないのです。見事なノットのプロダクションに水を差しました。


前半最初の2曲の美音弱音系のノットの世界観は、2011年にN響でショスタコーヴィッチの15番を振った時の猛速でほこりっぽい演奏とはかけ離れたもので、例えば第2楽章のむき出しのトロンボーンソロのナイーブでデリケートで弱音方向に指向を感じさせる吹奏等にも端的に表現されている。弦の張りつめた薄い膜のようなサウンド、黄色い東響独特の響きの統率感も素晴らしい。
メトロノーム音から派生した抑制がこのショスタコーヴィッチ演奏へのメルクマールとなる、水面下で演奏しているようなモノローグ的弱音美の世界。

第1楽章、ウイリアムテルは全く出しゃばらないのもので、小さい泡立ちのようにトランペットが吹かれる。この曲はノットの中では既にレパートリーとして定着しきっている。譜面を見てはいるが、棒の指示は全てのパートに的確にされていてそれが全くぎこちなさを感じさせずむしろ慣れた自在さを感じさせてくれる。最後の一音のコントロールされた余裕のエンディング、お見事。
第2楽章のチェロは骨太で、このむき出し音のソロはトロンボーンまで引き合いに出されるわけですが、音楽は終始、静止している。複数のパートが大きく重なるのを意識して避けているのはもはや自明で、フレーズが進むにつれて全体が減衰していく。張りつめた弦、透明で明晰なものは見えなければわからない。東響の色合いが一本の糸のようにガラスの上をなぞっていく。慎重にバランスされたアンサンブル・ハーモニーの美しさと緊張感、ひき込まれました。ここまでくるとさすがに第14番までの交響曲とは100歩違うと誰でも感じないわけにはいかないであろう。
バスーンに促されてアタッカではいる第3楽章、唯一この作曲家独特な諧謔的な音楽の場。この小さなオアシスはあっという間にジークフリートの場に変容、それは死という話しで、第4楽章の頭はその動機。この曲は引用の山だったとあらためて感じる瞬間でもありますね。
ヴァイオリンによるしだれ柳のような美しいフレーズは神経細胞を直接見ているような死の淵のデリカシーを覗き見る具合で、美しさと恐さが二律背反的に存在する。恐いもの見たさもここまでくるとその美しさに我を忘れる。ショスタコーヴィッチの世界が極まる。
張りつめた弦の長い長いトーンが4番のエンディング・エコーのように響く中、壮大なピアニシモ・パーカッションの饗宴でクローズ。もう、ノットは、ショスタコーヴィッチは自然界の現象であって、この滑らかな演奏こそ最高の音楽表現、これしかないと、言ってます。
素晴らしすぎるものでした。
ふと最初のリゲティが脳裏をかすめます、なんのデジャビュだったのか、いろいろと考えさせられました。
満足しました。ありがとうございました。
おわり


以下、2011年N響を振った時の感想

ジョナサン・ノット、N響 ショスタコーヴィッチ第15番
2011.2.16
2011.2.17
 


2019- エル・システマ・フェスティヴァル2015、クリスティアン・バスケス、2015.11.21

2015-11-21 21:56:33 | コンサート・オペラ

2015年11月21日(土) 3:00-5:40pm 東京芸術劇場

バーンスタイン キャンディード、序曲  5′

チャベス 交響曲第2番 シンフォニア・インディア  11′

ヒナステラ バレエ「エスタンシア」から舞曲(4曲)  4′3′2′4′

Int

ベルリオーズ 幻想交響曲  16′7′18′7′10′

(encore)
アブレウ ティコティコ  3′
ペレス・プラード マンボジャンボ(たぶん)  3′
ペレス・プラード マンボNo.5(たぶん)  2′
バーンスタイン ウエストサイド・ストーリーからマンボ  2′
アルマ ジャネラ  3′


クリスティアン・バスケス 指揮
テレサ・カレーニョ・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ


エル・システマについては色々と出ていますので特にここに書くまでもない。
この日の演奏会は、芸劇会館25周年記念の芸劇フェスティヴァルの一環として招かれたもの。エル・システマ創設40周年記念行事の一環でもあるようです。
11/17芸劇、11/21芸劇、11/22相馬市民会館、3回公演の真ん中です。

素晴らしい性能のオーケストラと若手有望株のバスケスのコントロールの効いた棒。思う存分プレイしているのを聴衆もめいっぱい楽しめました。
チャベス、強弱自由で殊の外デリカシーに富み、いい演奏でレア接触のこの曲楽しめました。
後半の幻想は実は前に一度聴いています。2013年東フィルを振ったときに。
得意曲のようですね。大きな輪郭を作っていく演奏で東フィルのときもこの日もだいたい1時間を要している。聴いている間はそんなにゆっくり目には感じませんけれど、終わってみると大きな演奏と。(第4楽章はリピートあり)
幻想では指揮者が明らかに叩きつけるようなアタックと柔らかな押しのアタックを場面によって使い分けていて、それを完璧に表現するこのオーケストラの実力と指揮者への共感度の高さも感じました。

アンコールはこのフェスティヴァルにふさわしいお祭り騒ぎとなりました。途中、照明落して赤い派手なユニフォームに着替えたり、マーチングバンド風なアクションありと、最高潮に達しました。大変に楽しめました。

プログラム冊子によると編成は以下。計151名。
1vn-22、 2vn-20、 va-18、 vc-14、 cb-12、fl-6、ob-6、cl-6、fg-6、hr-13、tp-7、tb-5、btb-2、tu-2、pc-7、hp-4、kb-1 、

追記
1497- ブラボー・バスケス!幻想、ブラコン、前橋汀子、クリスチャン・バスケス、東フィル2013.7.18





2018- モーツァルト、pf協12、ラフマニノフ2番、レオン・フライシャー、新日フィル、2015.11.20

2015-11-21 00:22:05 | コンサート・オペラ

2015年11月20日(金) 7:15pm トリフォニー

モーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調  10′10′7′

Int

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調  20′10′18′16′

レオン・フライシャー、ピアノと指揮、新日フィル


フライシャーのピアノは以前聴いたことがあるような気がするが、指揮は初めて。この日は弾き振り。
1928年生まれとあるから、もう、87歳ですね。セルのレコーディングなどで馴染んでいていつもそこにいるような気がしたものだが、高齢になりました。

モーツァルトは小編成、びっくりするぐらいデリカシーに富みナイーヴなモーツァルトで、あの巨体からは思いもよらぬ音楽が奏でられる。室内楽風なオーケストラは完全に指揮者にコントロールされているのが手に取るようにわかる、いつものこのオーケストラの締まり具合と違うもの。そうとうなトレーナーなのかもしれない。
静かで美しいモーツァルトの音楽が流れました。落ち着いていてフライシャーの精神の安定を感じます。それに曲の大きさを感じました。このようにプレイできるピアニストなんですね。
前列右隣のおばさんは多分これを聴きに来ていて、一生懸命エア・ピアノをしている。目障りで注意してもうんうんと返事はするもののすぐに病気が再発するという被害は受けましたが、気持ちは分からなくもない。迷惑は迷惑。


後半は、もはやクレンペラーと化したかのような圧倒的な1時間越えのロングさ、そして色彩感など関心外と言わんばかり、一種名状し難い演奏となりました。
スタイルは前半と同様、オーケストラを相当引き締めていないとプレイヤーのテンションをこのように継続させるのは簡単ではないだろう。
極めつけは、第3楽章冒頭のクラリネットのソロの息の長さ。あれだけテンポがスローだと肺まで心配になってくる。1,2楽章のテンポ感でいけば3楽章のこのスーパースローは比して当然な尺度なのかもしれないが、こんなユニークな演奏は聴いたことが無い。これからも演奏会数多あり指揮者数多いれどこのような演奏に接することは無いような気がする。
オーケストラのハイテンションの継続には敬意を表したい。
バスは意識された抑制でかなり静かめにコントロールされていて、スローながら弦はスタッカート気味の筆の運び、いつも聴いているようなラフマニノフの粘っこい色彩感はなくて、求めていないと思われて、じゃぁなにが、という感じなのだが。水彩画ともやや違う、細めの筆で書きあげた一筆書き、ジャパニーズスタイルではもちろん、ない。あえて言えばイギリス音楽風味のデリカシーのような細身の綿々とした音楽スタイルのようでもある。
この指揮者の演奏は初めてなのでこんな感じなのですが、もう一度どんな曲であれ聴いたら、やっぱり同じ味付けだったと思うに違いない、そうも感じました。
とにかくもう2度と聴けないようなユニークな演奏でした。
おわり


2017- チャイコン1、アリス、幻想、エストラーダ、hr響、2015.11.18

2015-11-18 23:44:40 | コンサート・オペラ

2015年11月18日(水) 7:00pm サントリー

グリンカ  ルスランとリュドミラ、序曲  6′

チャイコフスキー  ピアノ協奏曲第1番変ロ長調  22′、8′+6′
 ピアノ、アリス=紗良・オット
(enocre)
シューマン 子供の情景より、詩人は語る 2′

Int

ベルリオーズ  幻想交響曲  16′、7′、16′、7′+10′
(enocre)
ブラームス  ハンガリー舞曲第6番  4′

アンドレス・オロスコ=エストラーダ 指揮 hr交響楽団


どうも一昨日の印象とあまり変わらない。
先を急ぐようなところはないが音楽に呼吸が無い、せかせかしていて、オーケストラメンバーは音楽の呼吸のタイミングを探しながら、戸惑いながらの演奏の気がする。これは良い悪いの話ではなくてそれぞれの違いなわけで、エストラーダを選んだオーケストラが慣れていくことがポイントになる。

コンチェルトでのオケの印象も五嶋龍のヴァイオリンのときと同じで、粒立ちが良く揃っていてものすごくいい伴奏。コンチェルトと幻想での演奏の質的な違いを感じる。

アリスはノースリーブ、背中が大きく割れた真っ赤なロングドレス、前見た時よりも一段とやせた感じで、あの細い腕でよくうなるような激演が出来るものだとびっくり、感心も。
じゃじゃ馬風の天衣無縫、自由奔放なアクション、ドライな響きは幾何学模様の演奏にはベストなのよと言わんばかり。魅力的ですね。
突き刺さるようなサウンド、余裕の技巧表現、ウェットなところは無い。アンコールのシューマンはものすごく落ち着いたいい演奏でした、精神の落ち着きはなにもウェットであることもないわ、と。
無機的では無くて幾何学的、好きな仕事を好きなようにコントロールしながらプレイしている。あのアクションは相当に意識されたものでもあると思いますよ。いやみがなくて素敵なものです。
おわり


2016- トスカ、初日、新国立劇場、2015.11.17

2015-11-18 01:06:40 | コンサート・オペラ

2015年11月17日(火) 6:30-9:30pm オペラパレス、新国立劇場

新国立劇場 プレゼンツ
プッチーニ 作曲
アントレッロ・マダウ=ディアツ プロダクション

トスカ
ACTⅠ 43′
Int 25′
ACTⅡ 40′
Int 25′
ACTⅢ 27′

キャスト in order of appearance
1.アンジェロッティ、 大沼徹
2.堂守、 志村文彦
3.カヴァラドッシ、 ホルヘ・デ・レオン
4.トスカ、 マリア・ホセ・シーリ
5.スカルピア、 ロベルト・フロンターリ
5.シャルローネ、 大塚博章
6.スポレッタ、 松浦健
7.羊飼い、 前川依子
8.看守、秋本健

新国立劇場合唱団
TOKYOFM少年合唱団

エイヴィン・グルベルグ・イェンセン 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団


新国立のこのプロダクションはプレミエ公演が2000年9月21日だから長く続いているものですね。舞台は色合いも良く印象的なもの、特に第1幕後半の奥行きのある美しさは壮観。テ・デウムの合唱から一人歌うスカルピアは気持ちがいいものだろう。ぎょろりと大きくひらいた眼ぢからの鬼形相、役に没入していくその様は圧巻です。舞台もキャストも素晴らしいものでした。
みなさんのカーテンコールのときにはこの8月に亡くなった演出のマダウ=ディアツの遺影写真も。

このオペラは3人揃えば鬼に金棒のようなものだが、この初日の公演、満を持しての3人、そして脇を固める歌手陣も充実した歌唱。それと第1幕の大人数の動きの一体感、よくコントロールされたもので気持ちが良い。緊張感を保ちつつも余裕の動きと言える。

単独でのきかせどころは多いわけではない、ドラマチックでシリアスなストーリーを最後まで緊張感を持続させていけるかどうかにかかっている。
冒頭のテノール、妙なる調和、部分変形に至るような伸び縮みがなく素直な歌いぶり、とりたててきかせどころに深く耽溺する具合ではない。自然な歌唱です。細くて一線の筋が通った閃光のような声はこのドラマにふさわしい。前に向かって良く響いてきました。ドミンゴ系ではなくパヴァロッティ系の声だと思います。
ここがきまれば次々と流れが出てくるものだ。
昔、メト座のカッパの頃にゼッフレルリのプロダクションを何度も観ました、ドミンゴ画家はハシゴ登って上で歌う妙なる調和、パヴァロッティのときはハシゴの下で歌っていました、パヴァロッティの一点光源型の細くて突き刺さるような声が圧巻であったのを思い出します。
その後、ゼッフレルリのプロダクションが観る基本になってしまった感がある。

第2幕はリアルなシーンが続く。
シーリの歌に生き恋に生き、非常に正確でぶれない。ひき込む力もある。歌姫にふさわしいボディーと演技もジャストマッチで劇にひき込まれていきます。
スカルピアがアニマルと化したところでトスカに刺されて血がべっとりと、トスカの手にもべっとりと。自白のむち打ちで血だらけになったマリオともども割と凄惨なシーンが。

終幕は冒頭、声の無い前奏がかなり長く続く。緊張感を保ちながらの演奏には指揮者の力量が問われる。いい演奏でした。
トスカとマリオの長い二重唱、バランスに優れ気持ちよくきくことができました。マリオ絶命のあと、トスカは舞台奥城の上から仰向けに後ろに落ちていきました。

2幕でシーリの胸に圧倒されたのか少し声が上ずったりしたスカルピアのフロンターリ、そういったところはありましたが、お三方のシーンをわきまえた品位のある歌、重唱でのバランスと呼吸の見事さ。聴きごたえありました。


指揮のイェンセン、イタオペ特有の極端な引き伸ばしのようなことはせず、部分に耽溺せず、ずぶずぶしない。歌う方もよくコントロールされているので、いい伴奏だと思います。
ひとつ、オーケストラの音がやたらとでかい。最後のあたりなど太鼓の音が強烈過ぎて天井と床が一緒に抜けてしまいそうな勢い。異常な圧力でした。そこだけでなく概ね、ダイナミックレンジが広い指揮者でテンポの取り方ではなく、強弱で音楽の起伏を作っていく。
指揮者も含めみなさん喝采を浴びおりました。
いい一夜、楽しませてもらいました。ありがとうございました。
おわり


2015- チャイコン、五嶋龍、GM1、エストラーダ、hr響、2015.11.16

2015-11-17 01:12:06 | コンサート・オペラ

2015- チャイコン、五嶋龍、GM1、エストラーダ、hr響、2015.11.16

2015年11月16日(月) 7:00pm NHKホール

ウェーバー オイリアンテ、序曲  9′

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調  18′、6′+10′
 ヴァイオリン、五嶋龍
(encore)
イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番第1楽章  2′

Int

マーラー 交響曲第1番ニ長調  21′、8′、10′+18′

(enocre)
ブラームス ハンガリー舞曲第6番  3′

アンドレス・オロスコ・エストラーダ 指揮 hr交響楽団


フランクフルト放送交響楽団の初来日は1987年、それまで単独で何度も来日しているインバルとの組み合わせで。2年後の1989年も同じ組み合わせで来ていて、インバルは私の時代が来たと言わんばかりにマーラーを振りつくした。そしてフランクフルトとの時代が終わるとともに、個人的には1970年代から続いていた彼の興味深い演奏、録音への関心も一通り〆となった。

1970年代にヘッセン放送協会からのテープを盛んに流していたNHK-FM、他のところのテープよりも音質が良好でNHKも積極的に取り上げていたと思われます。そこらへんも含め、1989年の来日公演の感想に織り交ぜて書いていますのでよろしければどうぞ。

0189- インバル ベルリン 夜の歌1989-9
0219- インバル フランクフルト 復活 1989-21
0220- インバル フランクフルト 悲劇的 1989-22


エストラーダという指揮者はお初です。
フランクフルトのサウンド傾向はhrとなっても変わらず、清らかなもので、突き刺さる感じは無く、プレイヤーが自分の周りの音を聞いてハーモニーを感じてから次のフレーズに入っていく、水平指向と言いますか、マーラーでいうと2番3番あたりの最後の音の気持ち良い伸ばし具合がよく合っている。そんなイメージです。
この指揮者はフレーズのタメを作らず、句読点もつけないので隙間なく流れていく、hrの特色とよくマッチしていそうな気もしますが、ちょっと違っていて、直進的な棒をオーケストラのプイレイヤーによっては息をつくタイミングが探せないでいる感じで、必ずしもベストマッチというわけではないですね。これはマーラーで特に。

チャイコンの伴奏はスタッカート風な切れ味と粒立ちが正確でヴァイオリンの良い支えとなっておりました。
五嶋さんのヴァイオリンはこれまたお初で聴くような気がしますが、一音目のアクセントが強く良く響きますね。音楽の始まり、フレーズの始まり、そういったことを強く意識させてくれます。この小屋はヴァイオリンソロにふさわしいホールとはとても思えませんけれど鳴らし切りました。
ウェットでもドライでもない、中性的な雰囲気のサウンド傾向で醒めた熱演と感じました。
おわり


2014- ドン・ジョヴァンニ、広上、読響、2015.11.15

2015-11-16 00:28:48 | コンサート・オペラ

2015年11月15日(日) 2:00-5:40pm 日生劇場

日生劇場プレゼンツ
モーツァルト作曲
菅尾友 プロダクション

ドン・ジョヴァンニ
Ov.6′
ACTⅠ 85′
Int 20′
ACTⅡ 89′

キャスト(in order of appearance)  of  overture
1.レポレルロ
2.ドン・ジョヴァンニ
3.騎士長
4.ドンナ・アンナ
4.ドン・オッターヴィオ
5.ツェルリーナ
5.マゼット
6.ドンナ・エルヴィーラ

キャスト(in order of appearance) of ACT
1.レポレルロ、 青山貴 (Br)
2.ドン・ジョヴァンニ、 池内響 (Br)
2.ドンナ・アンナ、 宮澤尚子 (S)
3.騎士長、 峰茂樹 (Bs)
4.ドン・オッターヴィオ、 望月哲也 (T)
5.ツェルリーナ、 鈴木江美 (S)
5.マゼット、 金子亮平 (BrLirico )
6.ドンナ・エルヴィーラ、柳原由香 (S)
C.ヴィレッジシンガーズ

広上淳一 指揮 読売交響楽団

ニッセイオペラの出し物を観てきました。ここに来ることはめったにありませんが、さすがに古い、というより、入口入って階段などひとまわり小さい、バーでいうと銀座のルパンの様な感じで、建材の経年変化ではなく作りの小ささに時代を感じてしまうもの。曲線を強調したデザインは出来上がり当時ハイカラだったんだろうとしんみり思う。

照明が消える前に、チューニングの前に、指揮者の広上は既に指揮台に立っている。そのままざっくりとチューニングが始まり、おもむろに照明が前方から落ち、カーテンがあがり序曲開始、第一音とともに後ろの照明も落ちる、といっても、通路の足元ランプはたくさん点いているので真っ暗という雰囲気は無い。
序曲中にキャストが順番に登場してきます、歌はもちろんありませんけれど、とりあえず全員出し切る。この種の演出はもう何度も書いていますが既に陳腐化している。演出は古くなり音楽だけが残る。その繰り返しです。
硬質のホールサウンドで読響の音が明瞭すぎるぐらいクリアに序曲を奏でる。

周り舞台にはむき出しの階段が交錯するように何個かあり、シーンに合わせて回ったり止まったり、シンプルなもの。両幕とも同じです。
奥行きの無いステージだからというわけではないと思いますが、階段の手すりの下をくぐりながらの動きは窮屈そうに見える。
冒頭にやられてしまう騎士長は、その後かなり頻繁に出てきていて、最後まで舞台を歩き回る。最初から最後まで良し悪しは別にして印象的。
キャストのメイクが奇抜で特に顔、目の色彩感が尋常でない。ブレードランナーに出てくるレプリカントのプリスがセバスチャンの前でするあのアイメイク、思い浮かびます。男連中のメイクも似合うかどうかは別にして同様な奇抜さ。
以上により現実感が無くなるようなぼかしを故意にしていると思えます。もともとそういうストーリーかもしれませんけれども。
フィガロソングではバンダと言った特別な趣向もなく流れ的にちょっと起伏感が薄れてくる中、最後に騎士長が出てくるところには、上から大きな暖簾の様な幕がぶら下がり、そこにプロジェクションマッピングか、別映像として騎士長の上半身が映し出される。ずっと歩きぱなしのリアルな騎士長は別にいて歌っていて、このマッピング映像はリアル歌と口がまるで合っていない。映像とリアル、二人存在する騎士長、どのように理解すればいいのか。

ここまでくると創作というより実験工房的な世界に近くなってくる。結果顧みずの世界観はそれなりに面白いものではありますけれど。瞬間瞬間のシーンで興味をつなぐようなところがあり、ともすると、創作と田舎芝居の崖っぷちに立たされているような眩暈を感じる、けれども、スタッフの意欲はかいます。

それで、歌と伴奏。
伴奏の広上&読響は硬い響きのホールを手玉に取り素晴らしく整った演奏で指揮者の意向を見事に取り込んだ読響の演奏は素晴らしいもの、躍動感もダークな響きもおしなべて表現されていたと思います。コントロールの効いた演奏。
歌の声はよく通るもので、階段の上での歌はさらにクリア、一部PAも使用していると思われましたが、全員バランスの取れたものでした。ただ、流れが無い、歌の羅列でつなぎが良くない、シームレス感がない。またアンサンブル局面での声が重なるこのような個所での多重的な押しが無く勢いが出てこない。断片の切り口でいうと個々の歌は相応なものであるので別の問題があると思う。まぁ、勘でいうと、オケ指揮はそれはそれで、歌と動きはそれはそれで、リハ積み重ねあげたと思いますが、一体化したリハあったのかしら、と。
広上のオケ指揮よくてもシンガーが彼に共鳴してシングしているようには見えない。信頼感が無いというのでもない、常設の小屋とオケと指揮なら当然あるはずのものがまるで感じられない、イベント性の強い瞬間的な出し物への出演という感が濃厚。プログラム冊子には副指揮者5名載っていますので、パート部分では彼らのほうが意思疎通のとれた指揮と歌唱になっていたように思えます。広上さんも前半は歌への指示はほぼ無く、後半少し指図は出てきましたが、一体感はありませんでした。歌手も指揮者の意向をくみながら歌唱を進めていたようには見受けられませんでした。流れが良くないというのは次の局面への展開つながりを感じながらのプレイかどうか、それは指揮者がまず一番に認識しオケと歌に伝播させなければならない。歌は棒のコントロール下には無かった。山のようにオペラを振りつくしている指揮者ではないのでしょうがないところではありますが、なんというか、オペラ・ハート、欲しかったですね。
結果、各シーンは理解できるもののストーリー展開が拡散していく感じ。焦点が無くフラットな印象となりました。2幕とも同じ舞台でしたが色々と趣向ありましたので舞台には飽きない、伴奏オケは充実、歌や動きも深刻だったりウィットに富んだり、これらを総合的にまとめていければさらに楽しめたと思います。

タイトルロールは身のこなし軽く鮮やかスタイリッシュでなかなか良かったですね、ドン・ジョヴァンニの役にふさわしい。
女性陣の爆発系のヘアメイク、お化粧、アイメイク、衣装、動き、キャラクター的な要素が強調されていて配役の妙がよくわかるものでした。
ベームがフィデリオを振ってこけら落しをしたホール、由緒あるものでしょう。もはや、プロダクション関係者や若手シンガーが次へのステップアップを目指す場と感じたのは自分だけなのかもしれませんけれど時代の流れを感じました。

マゼットがドンジョ扮するレボレルロにたたかれて、痛い痛いと日本語で。
おわり

 


2013- シベリウス、バッハ、チャイ5、インキネン、日フィル、2015.11.14

2015-11-15 10:36:13 | コンサート・オペラ

2015年11月14日(土) 6:00pm 神奈川県民ホール

シベリウス 歴史的情景第2番op.66  7-6-7

バッハ 2挺のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043  5-7-5
  ヴァイオリン、扇谷泰朋、ピエタリ・インキネン

Int

チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調op.64  15-14-6-13

(encore)
シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ  4′

ピエタリ・インキネン  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団


いつものみなとみらいホールでの演奏会はなぜかこの日だけ神奈川県民ホール、あいにくの雨が重なり出かける気持ちが少しなえていた。
結果的にはやっぱり来てよかったという演奏会になりました。

冒頭のシベリウスは前の週は1番、この日は2番。特別な関連性は無いということでしたが1番2番あまり聴くことのない曲ながら両方ともに佳作でした。
この日の2番はブラスは無し(ホルンはあり)。Ⅲは描写音楽風味が濃くなり、なんだか名残惜しそうに終わる。
最近よくみるこのティンパニストさん、どこの国のかたか、メンバ表に名前もないので今一つわからないのですけれど、割と強烈にメリハリ付けて叩くあたり音楽がよく締まりいいものだとおもいました。ホルンは香りがもっと欲しい。デッドなホールということはありますが。

2曲目のバッハはインキネンとコンマスのダブルソロ。レアなものに遭遇しました。インキネンはもともとヴァイオリニストですから特別な違和感はありません。
インキネンさんのヴァイオリンはこのオケとの同質性を感じさせるもので、よく溶け込んでいて優雅な香り、また、一歩ひいたステージマナーは好感のもてるもので扇谷さんと息が合っておりました。

後半のチャイ5、デッドで硬い音響のホール。オーケストラの音がむき出しに響いてきます。ブラスは少しザラザラと隙間があるように聴こえます。第2楽章のノンヴィヴラートのホルンソロは、正確なレングスの音価で吹く。これに何がしかのフレーバーがあれば色々と味わいも出てくると思います。
クラリネットの暗さ、バスーンの明るさ、対象的で印象に残るかけあい。
弦は透明で張りがあり美しい。また、例えば第2楽章中間部から後半にかけてのベースの正確な刻みと強調は、終楽章の第1,2主題とのつながりをよく感じさせるもので、このような意図や企みは指揮者のものでしょう。

インキネンのチャイコフスキーは脂ぎらないデトックス風なところがあり、またどこかこだわりがあって耽溺するという演奏ではない。それでいて結構な長い演奏となるのはだいたいいつものこと。この手品はまだわからない。

全体で2時間に迫る演奏会でしたのでアンコールを聴けるとは思っておりませんでした。思わぬことでした、珠玉のアンダンテ・フェスティーヴォが聴けるとは思ってもいなかったのでこれはまさに僥倖。
かなりの快速な演奏で弦をきつく絞ったような締めサウンドで美しい。最初から最後まで緊張感に満ち、演奏する喜びをプレイヤーが感じつつ、聴衆にもそういったことが良く伝播してくるものでいい演奏会で〆られました。
ありがとうございました。
おわり


2012- ブルックナー7番コールス版、ダニエル・ハーディング、新日フィル、2015.11.8

2015-11-08 17:54:10 | コンサート・オペラ

2015年11月8日(日) 2:00pm サントリー

ディーン  ドラマティス・ペルソネ (日本初演) 12-8-9
  トランペット、ホーカン・ハーデンベルガー
(encore)  マイ・ファニー・バレンタイン  2′

Int

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 WAB107  19-21-9-12
 (ベンヤミン=グンナー・コールスによる新版2015) 日本初演


ダニエル・ハーディング  指揮  新日本フィルハーモニー交響楽団


このコールス新版というのは、ハース版やノヴァーク版の前の、初版=改訂版をベースに詳細に再考を積み重ねあげたもの、簡単に言うとそうゆうことになるかと思います。

日本初演、初めて聴くわけですが、一言でいうと、昔、生で聴いたシャルク版の5番の様なぶ厚さで色々と楽器をいたるところ重ねているように聴こえた。ヘヴィーという感じはないですが、牡丹雪の様なサウンドが降り注ぎます。
指揮者がこの版を選択したものと思われるわけで解釈はそれなりに食い込んでいたように思います。
混じりけのない牡丹雪で全般にわたりレガートの効いたものでその柔らかいサウンドが心地よいものでした。なかなか良かったと思います。
第1楽章の第1,2主題は等速でぼっとしていると区別がつかない。そのあと第3主題までの長い経過句を過激にアチェルランド、この方針で進めるのかと思いましたが、結果的に強烈な加速はここだけでした。第4楽章の第3主題もスピーディーなものでしたがインテンポでもっていきましたし。
展開部の入りはスローで重い。ハーディングのスタイルでしょうか。進むにつれて克明になってくるあたりも含め。
再現部、コーダともに5分刈りカットのように決然と解放します。ですので、展開部の頭と最後の締めでは音楽の表情がだいぶ異なっており、そこらへん全体俯瞰の点でこれからが楽しみです。
第2楽章はシンバル付き。

第4楽章は展開部の展開不足の作品と感じますが、この日のハーディングの棒ではあまり気になりませんでしたね。
このように柔らかな演奏の7番は久しぶりに聴きました。ギスギス感や角張ったところがまるでないもので、あたたかな演奏となりました。


前半のドラマティス・ペルソナ、これはラテン語で、劇中におけるメイン・キャラクターを意味するそうです。このソリストに捧げられておりますのでそこらへんの含みもありそうですね。
第1楽章のスーパーヒーローの転落は大変にトリッキーな動きをするトランペットが印象的。作為的過ぎる部分もあるがこのソリストにとっては作品自体、格好の餌となるわけです。
第2楽章の独白、スモーキーでウェットな響き。
終楽章の偶発的革命、曖昧模糊なものが徐々にリズムの集合体となっていく。ソリストは手前からオーケストラのトランペットセクションに歩いていきそこでみんなで吹奏、音楽はさらにリズミカルになりその極みで引き伸ばし終わる。
最初の印象からは思いもつかぬマーチングになり効果満点。
曲のタイトルに相応しいエンディングで、聴衆はもやが晴れた感じになりスッキリ。
楽しませてもらいました。
ありがとうございます。
おわり


2011- シベリウス2曲、大地の歌、ピエタリ・インキネン、日フィル、2015.11.7

2015-11-07 22:53:19 | コンサート・オペラ

2015年11月7日(土) 2:00pm サントリー

シベリウス  歴史的情景第1番op.25  5′6′8′

シベリウス  組曲「ベルシャザールの饗宴」 3′4′4′4′

Int

マーラー  大地の歌  8-10-4-7-4-29    64′(i含む)
  テノール、 西村悟
  バリトン、 河野克典

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

トーク・アフター・コンサート
ピエタリ・インキネン 約10′(通訳付き)


前日はP席。この日は定期の席で、声も良好に聴こえました。全体内容は概ね前の日と同じです。
テノールさんはあごを上にあげて歌う場面が多く、上のほうに声が飛んでいってしまう、というよりもちからが思う存分入らないのではないかと思ってしまうのです。
力感という点ではバリトンさんいいですね、河野さんは何度か聴いてます、一音たりとも粗末にしないていねいな歌い口が魅力的です。一つずつかみしめて味合うことが出来ていいものです。
大地の歌は大曲です、インキネンが振るとそう重くもないのに結構な時間となる。前に別の曲の演奏でも同じような印象をもったことがあります。ワーグナーに馴染んでいる独特の呼吸があるようにもみえます。まして声がはいった曲ですし。
なお、前日今日と、インキネンは大地の歌、初振りだそうです。
おわり