河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1301- ニューヨーク・フィルハーモニック・第170シーズン・オープニング2011.9.21

2011-09-23 00:44:00 | インポート

とりあえず掲載しておきます。

第170シーズン。2011-2012シーズン

2011年9月21日(水)です。

デボラ・ボイトがアラン・ギルバートと共演。

デボラ、いいですね。

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PBSの生中継もあったようですね。

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ニューヨーク・フィルハーモニックのサイト

http://nyphil.org/index.cfm

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1299- ハインツ・レーグナー読響 モーツァルト、ブルックナー1981.7.13

2011-09-21 00:10:00 | インポート

昔の演奏会から。
1981年はこちら(一覧)
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1981年7月13日(月)7:00pm
東京文化会館
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モーツァルト ピアノ協奏曲第24番
 ピアノ、神谷郁代
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ブルックナー 交響曲第9番
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ハインツ・レーグナー 指揮
読売日本交響楽団
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例によって当時のメモをそのまま書きますけど、かなりひどい。文章よりも演奏内容がです。
他のオケでこの演奏よりもっとひどい演奏も何度か聴いたことがあります。明らかにソロパートのやりくりがつかなかったと思える演奏会もありましたし、総じて技術レベルが低く、さらにモチベーションがなかったりすると最悪の演奏になる。でもそんなこと、その場にいて聴いてみなければわからない。それがコンサートに通うということ。
まちまちな演奏会が多かった中でN響だけが平均的に安定してとりあえず安心して聴いていられるレベルではあった。それでも優秀なウィンドに比して、トランペット、ホルン、トロンボーンの不安定さは隠しようもなかった。それをおもえば今はみんな超一流です。
この時代の読響は不調だったのか知らないが、今はこんなことはないのは承知しています。
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当時のメモ

ドレスデンのブルックナーとなんと違うことか。
惨憺たる演奏であった。
モーツァルトにおける木管のアンサンブルは品の悪さを越えて下品であったと言っても言い過ぎではないように思う。あまりにも歌がなさすぎる。室内楽的アンサンブルにまるでなっていない。歌がない。音が干し草のように乾いている。
ブルックナーは指揮者がこのオケと明らかに練習不足であるということをさらすだけのものでしかない。
まず、第一の失敗は弦と管のピッチの相違。音楽が二種類になって別々のところで鳴っているとしかいいようがない。それに金管楽器の深みのない軽薄な音。
日本のN響以外のオケは曲でしか人を寄せつけることができなくなっているのではないか。はっきり言って、モーツァルトが2曲並んだとしたらこれだけ人がはいったかどうか。
また、久しぶりに興ざめしたのは、この演奏もさることながら、ブルックナーの第3楽章の余韻があるうちに素晴らしい拍手合戦があったこと。これじゃオケもたいしたことがないけれども、聴衆も拍手要員でしかない。(曲の終わりそうな頃に来て拍手だけして帰ってください。)
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こんなメモでした。
はっきり言って、ぼろくそですな。いくらありのままとはいえちょっと失礼しました。
でも、当時は聴きての自分としても感受性豊か、耳も研ぎ澄まされていて、たぶん間違いのないところ。
それはそれとして、この日のプログラムノートは宇野さんが書いてますのでそれをアップしておきます。これは聴く前に書いたわけで、聴いたあとどう思ったのか知りたいところではある。
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1298- ドレスデン歌劇場管弦楽団公演、ブロムシュテット モーツァルト ベートーヴェン1981.7.7

2011-09-20 00:10:00 | コンサート

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昔の公演から。


1981年7月7日(火) 7:00pm 東京文化会館

モーツァルト 交響曲第41番 ジュピター

ベートーヴェン 交響曲第3番 英雄

(アンコール)
ウェーバー 「オベロン」序曲

ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団


例によって当時のメモをそのまま書き写します。

ブロムシュテットはブルックナーとこれらの曲を完全に区別して演奏している。といっても当然だと言われてもしかたがないのかもしれないが、現在はその当然でない方が案外はやっているのではないか。
ブロムシュテットの表現はかなり強固であると思う。ベルリン・フィル的しなやかさをあえて要求していないと思う。弦主体の音響&音楽アンサンブルが素晴らしく、まさに東ドイツ的表現の表現方向と一致しているように思える。
最初のモーツァルトは力強さでベートーヴェン的であり、ベートーヴェンの方は弦主体のアンサンブルの素晴らしさでモーツァルト的だと思う。
ただし、これはひたれる音楽、演奏では決してない。共同して、解釈してあげなければならない。つまり演奏者が最大の喜びを感じているのだ。
これはアンサンブルのかたまりだ。
「英雄」を知るには、僕にはこのような表現でなされた演奏が必要なのだ。
アンコールのオベロンなんか聴いていると、目をつむっただけで、行ったこともないドイツの自然が浮かんでくるから、なんとも不思議なものだ。弦のアンサンブルの素晴らしさを知るにはこの曲が最高であった。
ブロムシュテットは、是非また生演奏で聴いてみたい。

といった簡素なメモでした。力強くもしなやかさを兼ね備えたエロイカ。最初の二つの打撃音が上野に鳴り響いたとき、両腕をまくり、さて聴きまくるか。そんな感じで身構えて耳に聴こえてくる音を料理した。充実していましたね。
おわり

1297- ブロムシュテット ドレスデン シューベルト&ブルックナー1981.7.6

2011-09-19 08:15:00 | コンサート

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昔の演奏会から。


1981年7月6日(月) 7:00pm 東京文化会館

シューベルト 交響曲第8番 未完成

ブルックナー 交響曲第4番

ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団


それでは例によって昔のメモをそのまま書き写します。みっともない文章ですが手を加えない方が、臨場感があるような気がしますので。
巨大にして強固な演奏であった。
ブルックナーの「ロマンティック」が、こんなに巨大な曲であったなんて、知らなかった。
巨大音響がまるで壁画みたいに鮮烈に鳴り響いたとき、なんというベートーヴェンとの違い。
このような強固な表現は後にも先にもこれが初めてだ。
ブロムシュテットのブルックナーは既に3年前に5番を聴いていてある程度は知っている。知っているつもりであった。それにしても「ロマンティック」がこのように響くとは思ってもみなかった。
金管群のものすごい咆哮。巨大にして完璧なオルガン的音響建築物である。まさにブルックナー的音響のたわむれの極限をいった金管群の圧倒的にして完璧な表現だと思う。
そしてその金管群に全く負けていない弦がすごい。特にヴィオラ、チェロ、コントラバス群が表現能力の最上部をいっている。第1ヴァイオリンと同一の表現と力強さでせまってくる。第2楽章における弦楽器の強力な表現能力、一瞬、バロックでも聴いているような錯覚に陥った。とにかく「ロマンティック」が楽章ごとに独立性をもって、かつこれだけ巨大にして完璧に鳴ったのは、少なくとも自分の音楽体験の中では初めての出来事である。
第1楽章の第1主題から最終楽章まで、忘れろと言われてもそんなに簡単に忘れることのできるような演奏ではなかった。後頭部をハンマーで殴られたような圧倒的ショックを受けた。
第8番と同等の巨大さがせまってきた。といってもうそにはならない。
ブロムシュテットのこの演奏だけは忘れはしないだろう。

といったかなり興奮した内容のメモですっかりシューベルトのことは忘れてしまっている。
ブルックナーの4番はレコードで聴いてもかなり強力なサウンドで、第4楽章のように長調が完全にすっきり抜けきるまで吹きすさぶ感じがあって気持ちが良い。それを実演で圧倒的なサウンドで押しまくられたものだから聴衆の方も完全に打ちのめされた。ブルックナーの中では人気曲ではあるものの、今みたいにいつでもどこでも聴ける曲ではなく、ましてまるでホルン協奏曲なみの難度、名手がいないとまともにできないのも事実。当時東ドイツのホルンの名手はペーター・ダム。この日もきっちり生真面目な雰囲気でトップを吹きまくっていたと記憶する。だから我々も曲にどっぷりと漬かることができたわけだ。
おわり

1296R- breaking クルト・ザンデルリンク 追悼

2011-09-18 22:56:19 | インポート

クルト・ザンデルリンクが亡くなった。98歳、大往生。
演奏活動をやめてだいぶ経つので受け止め方は柔らかいものがある。長い長い指揮活動、そして音楽人生、お疲れ様でした。
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ザンデルリンクへの思い入れは数々あれど、彼が振りつくしたのはだいたい3曲に集約されるのではないか。
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番(7種保有)
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ブルックナー 交響曲第3番 (4種保有)
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マーラー 交響曲第10番全曲 (2種保有)
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それぞれ海賊盤を含めたザンデルリンクの棒のものの保有数だが、海賊盤はライブなのでこの数から推して通常のコンサートでは異常な回数を振っていたと思う。
この中で一番完成度の高いのは、クリーヴランドを振ったショスタコーヴィッチの交響曲第15番ではないかと個人的には思っている。あまりの透明度に唖然。特に第4楽章終結部の透徹した響きは両者のいいところが全部出ている名演だと思う。
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異常な回数ということでは、ニューヨーク・フィルを振った定期でマーラー10番全曲の6回公演というのがあった。通常ニューヨーク・フィルの定期の一プログラムは4回。それがはみでて6回も振るという異常さであった。聴衆もよくついていったものだ。この演奏会は6回中2回聴いた。
661-マーラー10番 必殺6連発 クルト・ザンデルリンクNYP1984.1.5
662-マーラー10番 必殺6連発 クルト・ザンデルリンクNYP1984.1.5 その2
663-マーラー10番 6連発クルト・ザンデルリンクNYP1984.1.7
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他にも何度か聴いた。既成概念とか固定観念にとらわれない音楽づくりで、そういう意味ではムラヴィンスキーと同じ流れだったのかなとも思ったりする。同時期に活躍していた時代もあった彼らだ。
ザンデルリンクのこのような音楽づくり、挑みやすいのはショスタコーヴィッチの15番であったことはまず間違いのないところで、マーラー10番の完全版へのスリルも同じだ。ブルックナーの3番についてはよくわからないが愛着のある曲であったようだ。
音源はわりと持っているのでこれからも聴き続けよう。
クルト・ザンデルリンク。合掌。


1296- 歌劇新演出 伝統に挑む。100回目の独バイロイト音楽祭

2011-09-18 10:21:47 | 新聞

100回目の独バイロイト音楽祭
歌劇新演出 伝統に挑む
子供向けに短縮版も
若いファン獲得 試行錯誤

こんなタイトルの記事ですけれど、案外こんなところが本音なのかもしれない。
大騒ぎするのは歴史を肌で知っているファンだけで、これからどう永続させていくか、ファンも一緒に考えて行動していかないといけないんだろうね。
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Scan10185

日経、本日2011.09.18版


1295- ベルリーズ ロメオとジュリエット シルヴァン・カンブルラン 読売日本交響楽団2011.9.12

2011-09-17 21:55:39 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら。
2011-2012シーズン
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2011年9月12日(月)7:00pm
サントリーホール
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ベルリオーズ 劇的交響曲「ロメオとジュリエット」
Ⅰ~Ⅳ:62分
休憩
Ⅴ~Ⅶ:38分
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メゾ、カタリーナ・カルネリウス
テノール、ジャン=ポール・フシェクール
バス、ローラン・ナウリ
シルヴァン・カンブルラン 指揮
読売日本交響楽団
合唱、新国立劇場合唱団
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緊張感にあふれた見事な棒さばきというしかない。線しかないような大胆な単旋律だらけの、ともすると陳腐になってしまいそうなベルリオーズに臆することなく隠し立てすることもなく音楽を霧でだますこともなく、明快な棒で大きく縁取りをとっていくカンブルランの指揮は全世界的に見ても絶好調男のなせる技で、自信に満ち溢れている。
特に管弦楽のみで奏されるⅡ、Ⅳ、Ⅵ部など際立って素晴らしく、その雄弁さはときとして歌の上を行く見事さで、微妙な表現が限りなく素晴らしかった。分厚い読響の細やかな表現も完成度がたかく、指揮者の棒に納得している様が明明白白。
大胆な一本の主旋律と負けないカウンター・ライン。まさにシンプル・イズ・ザ・ベストのような表現から、愛の情景のデリカシーまで、言うことありません。
ベルリオーズのロメオとジュリエットでは、タイトルロール双方Ⅰ部で出番が終わり、さっさと下手に消える。ここからがカンブルランの腕のみせどころ。9列目の定席からはあまりにも見事な棒さばきが丸見え。素晴らしいね。絶好調男。同時期N響を振っている完全菜食主義者のような名の売れた棒による人生、炎の核だけ残った、ような演奏悪くはないが、今が旬の棒こそ観るべき聴くべき。ブロムシュテットは今のカンブルランの年齢の頃はドレスデンに引っ張られている感じな時もあれば、安心して心ゆくまでN響を振っていたときでもあり、心の二面性のようなところがなんとなくあったものの、それでもちぐはぐなところはなく、細身ながらしっかりした棒。かたや、カンブルランは、曲の中に分け入り、それがやぶだろうがなんだろうがとにかくきっちり明晰な棒で雑草を刈り取る。残ったのは限りない見通しの良さで、曲がこじんまりとまとまってしまうことがなく、ベルリオーズの大胆な音楽がそのスコアのように眼前に浮かぶ。2006年に同オケを振ったメシアンのトゥーランガリラ、あの絶演を思い出さずにはいられない。
とにかくこの日のロメジュリは、久しぶりに本当の名演にぶち当たったような気持ちだ。大胆さと繊細さ、特に管弦楽のみのⅡ、Ⅳ、Ⅵ部と他部のオケパートのニュアンスは特筆に値する。
メゾは少しざらざらしたような声でガラスが拡散して水模様といった感じで、芯が今一つ。テノールはフランス人でメゾとの発音は、フランス語はよくわからないが、違いは歴然。素晴らしい響きで激情的なところもあり表現としては素晴らしかったと思います。ただ、見た目、高いジュリエット、低いロメオ、グノーの舞台なら難しいかもしれない。
バスの神父はいかにもといった安定感で落ち着いて聴くことが出来た。響きも深いく居心地がいいが、新国立の合唱の深い森に負けてしまうところがあり、もう少し馬力があってもいいかもしれない。
この日の演奏会ではプログラムとは別にリブレットがついた。字幕がいいか、リブレットがいいか、どっちともいえないが、内容の深さをより理解するにはリブレットがよく、この日の演奏内容にはこれが合っていたように思う。
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ところで、ベルリオーズのロメオとジュリエット、一番最初に聴いたのはいつだっけ。思い出しました。マゼール&フランス国立による1978年の公演でしたね。その後数回は実演に接していると思いますが、今は思い出せません。
あと1979年にくちびるのセルジュ・ボド&リヨンが来日しましたが、このオケの副指揮者は、「シルバァン・キャンブルリング」でしたね。
おわり

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1294- 初期のCDジャケカバー

2011-09-12 00:10:00 | マンハッタン

前回ブログの電気ショップJ&Rで買ったCDで思い出したこと。
マンハッタンのダウンタウンにあったJ&Rとか、リンカーセンターの近くのタワーレコードでCDを買うことが多かったのですが、CD黎明期は、アナログディスクと一緒に並べてあって、ショーケースの形が定まっていなかったような、売る方も戸惑いかありましたね。下の写真は初期のCDをくるんでいたカバーです。縦がCDサイズの倍以上(厳密には32センチ)ぐらいあって高さがちょうどLPと同じような売り物箱に置ける。それはそうなんだが、とにかくがさつで扱いにくかった。この紙カバーはさらにプラスティックの透明で硬いカバーで覆われており取り出す前のプラモみたいな感じ。はさみでプラスチック部分を切り取り紙カバーを露わにし、さらにその紙カバーの端をはがしてようやくこの紙サイズの三分の一ぐらいのCDケースがでてくる。随分と大事にされていたもので、初期のころの貴重品の趣がある。
結局何年もたたずにこのがさばるカバー付きのCDはなくなり今のようになった。思うにアメリカへの輸入CDはたぶん最初から今のようにシンプルな包装で、アメリカに渡ってからがさばる頑丈なカバーをしていたのではないかと思う。盗難防止とかそのような意味合いもあったと思う。だんだん流通量が増えて価格が安くなるにつれ貴重品扱いではなくなっていったのではないだろう。
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写真のカバーはブランチャードのいいショットだったので残して壁に貼り付けていたもの。今となってはこれしか残っていない。
ブランチャード最高でしたね。
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1293- around the wtc, then and then 9.11

2011-09-11 15:42:17 | マンハッタン

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1980s

1980s

ブロードウエイにあるトリニティー・チャーチの方からツイン・タワーのほうに歩いていくと、手前にアレキサンダーのデパートがあって、その地下は地下鉄コートランド駅。
2001.9.11になにもかもなくなってしまった。
タワーの南側に道路を隔てて日本料理の「田村」というお店があってそこはたまに寄ったりしていたことがある。あすこらあたりはどうなったんだろう。
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コートランド駅はコートランド・ストリートに作ったのでそういう名前なんだろうが、ツイン・タワーのあたりはその昔はRADIO ROWとよばれていて日本で言う秋葉原電気街のようなところだったと思います。
ラジオ街そのものは見たことがありませんけど、ちょっと離れたところに電気ショップのJ&Rがあって、これがラヂオ街周辺の名残だったのかどうかはよくわかりませんけれど、Radioshackなんかも近くにあったような記憶があります。
電話機はRadioshackで買ったし、オープンリールデッキTEAC X2000Rとかニコンの210ミリオートフォーカスと本体のN2020はJ&Rで買った。1983年頃出だてのCDなるものもここでお昼休みに結構お世話になった。一番最初に買ったCDはこのJ&Rで買ったもので日本から輸入されたDENONレベールのスイトナーのベルリン・シュターツカペレのエロイカ。価格は15ドル99セント。といいながら8.25%のタックスがついて、今ならそれでも1400円もしない。ただ当時の例えばプラザ合意の前なら1ドル240円換算で4000円以上の価格です。内外通貨に関係ない人にとっては4000円とかは関係ありませんけど。
このダウンタウンのJ&Rは、バッテリーパークからブロードウエイを上っていって、ウォールストリートとか無視してまっすぐ歩いていくと途中、前方右手にシティホールが見えてくるのでその手前を斜め右にの方に折れた右側にあった。(と記憶する。)
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どっちにしても、マンハッタンの残像は個人的には白黒の方がイメージがわくし、なんだかイエローキャブが道路を迷走しほこりが立つような埃っぽい感じがしっくりする。だから、then and now ではなく then and then の思い出だらけということですね。
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1936 RADIO ROW

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1898 CORTLAND STREET

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1885 CORTLAND STREET

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1292- ワーグナー ジークフリート牧歌、ブルックナー7番、アルミンク 新日フィル2011.9.9

2011-09-10 23:50:33 | インポート

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この日が2011-2012シーズンコンサート聴き始め。
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2011年9月9日(土)7:15pm
すみだトリフォニー
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ワーグナー ジークフリート牧歌
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ブルックナー 交響曲第7番(ハース版)
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クリスティアン・アルミンク指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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今まで生聴きしたブルックナーの7番の最高峰は、カルロ・マリア・ジュリーニ&ロスアンジェルス・フィルのもの。あの高貴な溜息のような深呼吸のような何とも言えない森でありながら実は林のような名状し難い演奏は今でも耳に焼き付いている。かたや構造支配のミスターSの演奏も素晴らしく、構造に光をあてればあてるほど曲の弱点が露わになるといったこれまた別の意味で素晴らしい演奏、これも忘れがたい。
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アルミンクの解釈はこれらに比べるべくもないのだが、それでも素晴らしい楽器を得て精いっぱいやっておりました。
第1楽章21分
第2楽章23分
第3楽章10分
第4楽章12分
タイミングはこんなところ、後半2楽章が弱く特に第4楽章は展開部がもう少しあったほうが前半2楽章とのバランスが保たれる。アルミンクのせいではないのでいかんともしがたいのだが、この日の演奏は結果的にこの弱点が補われたような聴後感覚はある。
アルミンクの棒はためがなく呼吸がない、ブルックナーの構造レベルの美しさとは別の深呼吸して音が降り注いでくるような生きた美しさにあまり関心がないのか少し立ち止まって息をついてほしいところでもサラッっと次に行く。その瞬間に残念だなと思ってしまう。3主題の提示の仕方が自分はこうなんだ、と言われればそれまで。だけれどもその一つの主題のなかにあっても陰影がほしい。
第2楽章の第2主題の速度感は結構なもので重い演奏からの脱却は感じる。主題毎のメリハリがあっていいと思いました。
第3,4楽章のブラスのバシャーというアクセントは、ズシーンという底から湧いてくるような音の出とはだいぶ異なるもので、爽快感はあるものの空洞が出来てしまうような響き。棒は棒でそれなりの確信があって指示しているけれども、オーケストラの方はその棒の通りの呼吸をするしか音の出し入れしかできず可能性の広がりを心の余裕としてもてないし、そもそもブルックナー・オンリーのオーケストラでもないし指揮者でもないのだからしかたがない、そういう意味ではルーチンワークの種々の曲をこなさないといけないオーケストラをドライブできるのが現代の、昔もそうか、大指揮者の一つの才能なんだろうね。
第3,4楽章はダイナミックで小ざっぱりした演奏で、結果的にこの部分の構造的な弱さを忘れさせてくれた。ゆっくりめのコーダには少し驚いた、オーケストラの方が駆り立てて最後の響きがホールに昇天した。
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前半のジークフリート牧歌は一番気持ちがいいのはたぶん奏者自身だろう、いつものことだ。それを共有しよう。リラックス。
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おわり

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1291- メト 2011-2012シーズン・オープニング・ゲイラはネトレプコのアンナ・ボレーナ2011.9.26

2011-09-08 00:01:02 | インポート

連絡。

メトロポリタン・オペラの2011-2012シーズン開幕初日は、

ネトレプコによるアンナ・ボレーナです。

2011年9月26日です。準備しましょう。

Photo

シーズン後半来年の3月には、同じくネトレプコのマノンがあります。

Photo

でわ。

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1290- 映像と音楽<ミュージックトゥデイ21>サマー・フェスティヴァル2011  2011.8.27evening

2011-09-04 23:44:19 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2010-2011シーズン
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サマーフェスティヴァル2011
<ミュージック・トゥデイ21>
映像と音楽
2011年8月27日(土)7:00pm
ブルーローズ、サントリーホール
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1.『G線上の悲劇』
九里洋二 映像監督(1969)
一柳とし 作曲(1961)
演奏、録音録画の再生
声、オノ・ヨーコ
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2.『オートノミー(Autonomy)』
松本俊夫 映像監督(1972)
湯浅譲二 作曲(1972)
演奏、録音録画の再生
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3.
映像『ゴーランド』
加藤到 映像監督(1981)
音楽『フォーリング・スケールNO.2』
藤枝守 作曲(1975/2011)改訂版初演
ピアノ、砂原悟
エレクトロニクス、有馬純寿
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4.『ラメンント(哀歌)』
中村慈延 映像、作曲(2008/2011)改訂初演
ソプラノ、持松棚世
ヴィデオ
エレクトロニクス、有馬純寿
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5.
映像『理性への回帰』
マン・レイ 映像監督(1923)
音楽『理性への迷路』
望月京 作曲(2007) 日本初演
演奏、アンサンブル・ノマド
指揮、佐藤紀雄
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6.『フルイド・カリグラフィー』
山口智也 映像監督(2010) 日本初公開
藤倉大 作曲(2010) 日本初演
ヴァイオリン、花田和加子
ヴィデオ・アドリブ
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7.『フィルム・ストリプスⅡ』
飯村隆彦 映像監督(1966-70)
鈴木治行 作曲(2011) 世界初演
演奏、アンサンブル・ノマド員
指揮、佐藤紀雄
ライブ・エレクトロニクス、有馬純寿
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わからない音楽が多い夏の行事だけれど、とりあえず映像監督と作曲家がだいたい登場するという妙なお得感がある。久里さん一柳さん湯浅さん望月さん・・・・、みんなラフな格好で曲が終わるたんびに前に来てご挨拶。
ブルーローズは狭いホールだが、ステージ台がないため一番前が一番見晴らしがいい。じっくり聴かせていただきました。といっても、耐え難きを耐え、のような曲もごろごろ。
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『G線上の悲劇』はアニメ映像の意味不明。音楽もわけわからず。これはこれで調和していると言えるのだろうか。
『オートノミー』これはもっとわからない。偶発性の波の映像、そしてミュージック・コンクレート。なにがなんだかさっぱりわからない。
『ゴーランド』+『フォーリング・スケールNO.2』ここでちょっとメリーゴーランドというリアルな世界、それと、音楽はライブになったのでわかりやすくなった。少し冗長だけれど。
『ラメント』ソプラノ・ソロで歌われる。だんだんわかりやすくなってきた。イージーというわけではない。
『理性への回帰』+『理性の迷路』3分という短いものだが、アンサンブル・ノマド結構なメンバーの編成になる曲。映像は1923年というといかにもそれらしき感じ。音楽の方が先をいっているような心持ちだが、望月が作っているわけで当然といえば当然。映像ともどもインパクトあり。
『フルイド・カリグラフィー』単調さを競っているような感じで長すぎる。
『フィルム・ストリップスⅡ』音楽と映像を合わせる必要がないというか、最後の曲になってようやく破壊がきた。再創造はいつになるのかしら。
おわり

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