1977年聴いたコンサートより書いてます。
前回ブログ881-、882-、883-の続き。
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1977年11月16日(水)19:00
普門館
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ベートーヴェン・チクルス第四夜
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ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
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ベートーヴェン/交響曲第5番
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ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィル
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この日の演奏についても感想メモがあるので、ほぼ、そのままの形でアップ。
以下です。
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演奏が終わった途端に、花束をもって走っていた女どもは知らなかったのだ。カラヤンがベルリン・フィルの指揮者であることを。そう簡単に受け取るはずがないは当然の理である。なぜなら聴いているのはそこにいる全ての人だから。
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カラヤンの田園は僕には速すぎる。もう少しゆっくりやって欲しかった。田園を速く歩いても少しもさまにならない。速く歩いてさまになるのは東京みたいな、なんとか人が多くきているようなところだけだ。
とはいうもののなんというアンサンブルであろうか。
木管、金管、弦、ティンパニ、そのほか全てにわたってなんというアンサンブルであろうか。
オーボエのあの微妙なニュアンス。カラヤンの手そのものを音にしたようなあの細やかな表現。とても考えられない。第3楽章のアンサンブルが特にすごかった。
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ハ短調、最近のカラヤンの傾向は少しずつ変わってきているのではないだろうかと思う。
今までよりずっと柔らかさよりかたさを出している。激しさをもっている。これはハ短調交響曲だからだろうか。そればかりとは言えないと思う。たしかにこの曲になったら俄然棒の振りが鋭くなったことは明らかであった。それにしてもベルリン・フィルはなんだろう。この驚異的なアンサンブルは何ゆえか。とても常識では考えられない。
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ハ短調こそ、ベルリン・フィルのモットー。
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といったメモだった。
演奏後舞台袖に走るミーハー連中の花束は最後まで受け取らなかったと思う。少なくとも自分が去る前にそのようなしぐさはなかった。印象的だったので覚えている。
それと、田園の速度であるが、当時、フルトヴェングラーの田園がやたらと遅いのは妥当だ、みたいな文を書く人がいてそれに影響された感想だったかもしれない。第1楽章が田園に着いたところの描写かどうかということもある。着いたところならむしろ速くていいとさえ思う。気分としては遊びに出かけ、お目当ての名所に着いてのろのろ歩き始めるのはどうかと思うし。
おわり