僕はいきつけの茶色の小瓶でいつもの、あまり透き通らないぐらい厚いステンドグラスのような味のブローラを飲みながら、小石で割れたガラスのようなのどごしを楽しんでいた。
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カパコ「やっぱりここにいたのね。」
河童「どうしたんだい。」
カパコ「ただなんとなく。」
河童「何か飲む。」
カパコ「うん。あまりドライじゃないマティーニでも。」
河童「OK。作ってもらおう。カパコは美人だからあのバーテンダーもきいてくれると思うよ。」
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カパコ「おいしいわ。」
河童「今日のカパコ少し元気ないみたいだな。なにかあったのか。」
カパコ「ちょっと仕事で面白くないことがあったの。でもこうやってあなたと飲んでいると少しずつ気が紛れてきた。やっぱり、あたしあなたがいないと生きてゆけないみたい。」
河童「なんだ、もう酔ってるのか。」
カパコ「あなたはあたしの気持ちの隙間をうめてくれるだいじな河童よ。」
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河童「ところで少し前一緒にカラオケ行ったけど、カパコ、歌ものすごぐうまかったよね。トレーニングしてたの。」
カパコ「んんん。そんなことないわ。人間音楽学校で少し歌ってたから。でも専門はピアノよ。」
河童「そうだね。ピアノのことは塔レコでのCD選びでわかってるよ。僕の一番好きな曲はベートーヴェンのテンペストだ。」
カパコ「そうなの。あたしそれなら少し弾けるわ。今度あなたのために弾いてあげる。」
河童「あの曲のうねり、もつれる糸、ほぐれるわけでもなく、解決は聴くほうまかせ。ベートーヴェンのピアノ・ソナタはどれもこれも素晴らしいね。」
カパコ「あたし、本当はあなたと連弾したいぐらいだわ。」
河童「ユニゾンでね。僕らはいつも一緒だ。」
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カパコ「あたし、昔のことは覚えてないの。今が大事。」
河童「昔のことは話したくないんだろ。」
カパコ「そうかもしれない。でもなぜわかるの。」
河童「僕がわかるのはそこまで。あとはカパコの気持ちしだい。」
カパコ「そうね。あたしの心は閉ざされている。」
河童「カパコには夢や希望はあっても、それはなんのため。」
カパコ「わからない。」
河童「力は余っているけど、なににどうやって使っていいかわからない。」
カパコ「そうかもしれない。」
河童「でもなぜそうなってしまったの。」
カパコ「この話しはもうやめましょ。あたし自分で自分のことを見つめるのが怖いの。」
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カパコ「きょうは送って。」
河童「いいよ。もうおそいからタクシーで送るよ。」
カパコ「少し歩きたいの。」
河童「ちょっと寒くなってきたね。」
カパコ「あたしの左手握って。」
河童「わかった。」
カパコ「あたたかくて気持ちがいいわ。」
カパコの手は思いのほか小さくピアノのオクターブがぎりぎりかもしれない。でもそんなカパコがいとおしく、しっかり握りしめ、深夜の街並を気持の通じるまま歩き果てた。
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ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第17番ニ短調「テンペスト」