河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

722- 復活専門実業家指揮者キャプランがニューヨーク・フィルハーモニックに登場 予告編

2008-11-29 22:45:52 | 音楽

Kaplan_gilbert_0809

マーラー第2番の専門家ギルバート・キャプランがニューヨーク・フィルハーモニックを振るようだ。もちろん復活。

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2008128()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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マーラー/交響曲第2番 復活

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ソプラノ、クリスティアーネ・イェールゼ

メゾ、ジャニーナ・ビークル

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ギルバート・キャプラン指揮

ウェストミンスター合唱団

ニューヨーク・フィルハーモニック

演奏会は8時からだが、キャプランのお説教が6時半からあるらしい。

実業家ながらマーラーにはまってしまい、マーラーの2番だけにはまってしまい、自分のふところを惜しむことなくオーケストラの一回公演に注ぎ込むその姿。素人の理想的な趣味の世界はかくあるべき。だったのだろうが、だんだんと熱をおびてきて、今では復活のオーソリティだ。この曲に関しては知らないことはないだろう。

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ニューヨーク・フィルハーモニックは普通月曜の定期はないが、この週はエレクトラの公演があり、歌い手を休めながらの公演のため変則。それで月曜の公演となったのだろう。

とにかく目白押しの演奏会が続きます。

nyp

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721- ズッカーマンの棒 セント・ポール 1984.2.17

2008-11-28 00:42:32 | 音楽

Scan10021

1983-1984シーズンの聴いたコンサートより。

今日はグレート・パフォーマー・シリーズより。

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1984217()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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グレイト・パフォーマー・シリーズ

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オール・ベートーヴェン・プログラム

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エグモント序曲

交響曲第1

ピアノ協奏曲第1

 ピアノ、ミッシャ・ディクター

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ピンカス・ズッカーマン指揮

セント・ポール室内管弦楽団

ズッカーマンは当時、ヴァイオリン、ヴィオラ、指揮、などいろいろと忙しくやってました。

ズッカーマンの指揮に接するのは一度目ではないのだが、こうやって近くで見ているとなんとなくぎこちなく、さまになっていないようなところもある。ただし音楽自体はそうでもなくわりとうまく鳴っていたように思う。

彼は意識してやっているのかどうかわからないが、テンポがおそい。非常におそいというわけではないのだが、全体的におそく、フレーズや主題かわってもあまり動かない。

ただ、おそくても音楽にゆるむところがなく、それなりに響いているということは本人が意識してこのテンポを選んでいるということである。

オーケストラ自体あまり深みがあるわけではなく、ズッカーマンの指揮もそんなに特徴があるわけではなく、ベートーヴェンの良さだけが前面に出てくる。

これだけのいかにもあっさりとした当時の感想。

ズッカーマンは温和な感じで、ヴァイオリンを弾いているときはそれはそれでいいのだろうが、いざ指揮をするとなると、ある部分、強引にというかそれなりに主張していかないとついてこないところがあるわけで、さらに一段のアクティヴな棒が求められた。

おわり

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720- フィリップ・スミスもおとなしく吹いていた。NYPサブスクリプション 1984.2.14

2008-11-27 00:15:09 | 音楽

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芸術の秋冬コンサート通いは一服ついてますので、また、昔のコンサートから。

1983-1984シーズン聴いたコンサート、観たオペラより

1984214()7:30pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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10,454

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ハイドン/交響曲第104番ロンドン

ベルク/3つのオーケストラのための小品

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ハイドン/トランペット協奏曲

 トランペット、フィリップ・スミス

シュトラウス/

ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら

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ズービン・メータ指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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いかにもルーチンワーク的なプログラムであるが、このシーズン、メータの意向もあり、ソリストにメンバートップをたてた定期がぽつぽつとあった。

前半のプログラムは、この前の29()のものと同じである。特にハイドンについては、印象も同じである。

ベルクの作品は金管が非常に強烈な作品であり、本当に気がふれたかと思われるようなものすごさである。

ただ、弦の表情が柔らかくなるときは、ふとマーラーの歌を思い出してしまうほどの情緒がある。いわゆるクラシックな音楽ではないかもしれないが、つい姿勢を正しくして聴きたくなるような説得力をもった作品だと思う。

このところウェーベルンやベルクをたて続けに聴けるということはラッキー。今は2月、定期シーズン真っただ中にいるせいか、いろいろと感慨深いものがある。

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後半もプログラム・ビルディングからいけばいかにもちぐはぐな感は否めないが、これはハイドンのトランペット協奏曲のトランペット奏者がニューヨーク・フィルハーモニックのトップであるということに意義があるのである。

ホルンのトップによるシュトラウスのホルン協奏曲、コンマスによるブラームスのヴァイオリン協奏曲、そして今日と、ニューヨーク・フィルハーモニック・トップによる顔見世が続いたと思えば良い。

今日のトランペットはいつもマーラーやブルックナーで演奏する素晴らしい金管の張りのある音楽とはちょっと異なる為、質素な感じがしたが、音色といい、オーケストラに対するバランスといい、彼がシカゴ響から移ってきたなんて信じられない。

おわり

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719- 新字幕 ディレクターズカット版 帝国オーケストラ ベルリン・フィル125周年

2008-11-25 00:10:00 | 音楽

ベルリン・フィルが創立125周年をむかえたということで、日本で映画上映2本。

ベルリン・フィル創立百二十五周年記念

第1弾

「帝国オーケストラ」

ディレクターズカット版

新字幕

2008111日よりロードショー!

もう終わったのか、まだやっているのかわかりません。

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このフライヤーを見ていると、一気に60年以上昔に戻ったような錯覚に陥ります。

歴史を振り返るというよりも、フルトヴェングラーの過去の判断を問うようなところが多くを占めているのでしょう。

上の2枚目の写真はフライヤーの裏面ですが、ドイツでの写真ではないと思います。イギリスかアメリカ、でかでかとプラカードにヒットラー憎しを書いてますのでアメリカでのデモのようにも見えます。

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フルトヴェングラーの世界は一度、端を舐めましたのでもういいかなと思ってはいるのですが、やっぱりたまに立ち止まることもあります。

昔の映像で印象的なのは、指揮姿もさることながら第九演奏後のゲッペルスとの握手をするときのフルトヴェングラーの顔でしょう。それに忘れてはならないのはずらりと並んだ政治家たちの恍惚とした顔。彼らもまたドイツ音楽が好きだった。一人の人間の多様性。システマティックに割り切れない多様性が現実を漂っていた。

芸術至上主義、現実、戦争と平和、演奏家仲間の扱い、もめ事、演奏への集中、政治家のとりなし、政治思想、頂点にいる政治家、頂点にいる指揮者(本人)、かけひき、、、、

フルトヴェングラーは音楽以外は煮え切らない性格であったらしいが、それは何事に対しても悩みぬいた末の決断しか意味をもたず、また政治家と同等の発言の権限という重みがあり、簡単には言葉に発せられない。言葉の重みを政治家同様知り尽くしていたからだと思われるが、フルトヴェングラーの心の苦しみははかりて余りある。

そのようななかで平静な精神状態で棒を振ることは可能であったのか、戦争があったからこそあのようなとんでもない名演が生まれたのだ。なのに政治と芸術は別物というのはおかしいのではないかと言う人もいる。しかし、それは以前も書いたが、戦争がなかった場合の演奏については現象として成立しておらず、そのような意見は多く見積もって50パーセント以下の確率でしか正しくない。

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技術を越えた表現。そのような演奏というのはめったにありません。下手なオーケストラにはふさわしい言葉ではありません。一流オーケストラだけに許される表現です。

プレイヤーの持っている力量を無視してまで表現したかった芸術。絵ならあり得ます。本人一人で描くわけですから、自分の力量次第ですし、越えた表現も時には可能でしょう。

しかしオーケストラとなると難しい。プレイヤーは指揮者がもしいなければ自分の力量以上のことはしません。当然です。正しく譜面をなぞります。合奏ですから自分勝手には出来ないですし。

フルトヴェングラーの戦中、戦後のライブには度を越したものを多数聴くことができる。とりわけすごいのが、1943(昭和18)6月の運命の演奏。特に第4楽章のコーダの解釈は演奏史上極めて稀な速度感で進行する。コーダ以前から音楽は異様な盛り上がりをみせているが、このコーダに入り圧倒的なアチェルランドがかかりもはやブレーキがきかなくなってしまったかのような様相、展開となる。弦はもつれ、トランペットのタンギングはベルリン・フィルのラッパ連中の舌の切れ味の上をいっており、もつれ状態になる。しかしそこから生まれる音楽の堀の深さ、迫力、身震いのするような遠近感。音楽が生きている。。

フルトヴェングラーの解釈は、よく言われるようにテンポをこれだけ動かしても後に残るのは造形の見事さ。

ブレーキは残っていた。最後の連続打撃音でまるで歩くような速度まで一気にテンポを落とします。流れの行きつく先、下流から海に出た流れは大海に解放されたかの如く、これまた圧倒的なリタルダンドなどという生易しい言葉では間に合わない反作用的アチェルランドで締めくくられる。この自在な伸縮性が音楽を生き物にしているのであり、いわゆる‘今生まれた’様な音楽を作り上げていくのである。が、これが戦争という逼迫した心理状態から生まれたものなのか、それともフルトヴェングラー自身自らの表現発露なのかということである。

演奏のことで一つ付け加えると、これまた有名な第九のコーダの奇天烈な速度であるが、多種ある第九で一番有名な1951年のバイロイト再開の初日に演奏された第九。あれだけが異常に鳴っていない。ほかの第九のコーダはみんなおんなじ速度感であるが鳴りきっている。だから心配はしなくてもいい。

ただし、このコーダは心の準備を事前にしなければ出来ない類のものであり、練習もしくは日常の解釈は浸透していての表現。よくいわれるような即興性とは少し違う。即興性というならば、むしろその速度のさじ加減が日々違っていただけだと思われる。

それで、

先ほどの映画の話であるが、第2弾がある。

ベルリン・フィル創立百二十五周年記念

2

「ベルリン・フィル」

最高のハーモニーを求めて

20081115日よりロードショー!

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Scan10013

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</imagedata></shape>

こちらは現在のベルリン・フィル。

ツアーもののようだが、昔と違いツアーは普通の定期と同じような感覚になりつつあるのだろう。昔みたいな大変な一大イベントではなくベルリン・フィルにとって日常的なものであり、そこから素顔、普段の姿が見えてくるかどうかはいま一つ疑問ではあるが、現代の中でしか扱えないものであることも事実。

個人的にはショービズのバックステージものは全く興味がない。業界の裏事情とか当事者との接点を強調する‘プロ’演奏家に興味がないと換言してもいい。

ゴルフで優勝した記念ボールをお客に放り投げるのがプロで、大事にしまってしまうのがアマ。プロはまた優勝すればいいし、アマは優勝はおろか二度と舞台に戻れない場合が多く。

アマの延長でやっているようでは一流プレイヤーにはなれないだろうと思う。

演奏家にもそのような人たちがいるかどうかしらないが、いずれにしてもこの種の苦労話の映画に観る価値がそんなにあるとは思えない。

それでもう一枚。

こちらは日本フルトヴェングラー協会からの割引券。。

東京用と地方上映用があり、会員であれば、東京用は定価1700円から300円引き。

地方上映用もそれぞれ300円引き。

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718- 数字が語ってしまう。メト棒振り100回以上ランキング

2008-11-24 01:49:38 | 音楽

 

芸術の秋から冬。

去年みたいな来日ラッシュは今年はない。

そろそろベルリン・フィルが来日する頃だが、プログラムにあまり興味湧かず。

12月の最初の週に別のコンサート3本控えているので、今は小休止。。

それでと、ちょっと脇道にそれて、メトロポリタン・オペラを振った回数は誰が1番か。答えは誰でもわかると思うが、じゃぁ、2番、3番は?

それからシーズンあたり1番振っている指揮者は誰?

1番は言わずと知れたジェームズ・レヴァイン。ものすごい回数です。年数が長きにわたるのでそうなるところもあるが、マイハウスですから。。

2番はボダンツキー。レヴァインの半分以下の回数ですが、シーズン数がだいぶ少ない。

シーズン平均にすると、レヴァインよりも多い指揮者が結構います。トスカニーニも多い。

シーズンで1番多いのは、1シーズン振りつくしたロドルフォ・フェラーリという指揮者。

ですが、知りません。

1907-1908シーズンと言えば、今みたいに上演回数が多いわけではなく、一人で振り尽くしでしょう。109回です。。

(2008.11.11現在)

 

 

 

 

 

       
           
         

 

 


717- 手が震えていてもすごかったマルケヴィッチ イーゴル・マルケヴィッチの芸術 ユニバーサル

2008-11-23 16:45:51 | 音源

Markevitch_topimage_3

シャッフル状態の会社からでている好企画。

マルケヴィッチの芸術が出たのは2006823日というから2年以上前だ。

ようやく全部聴き終えた。

http://www.universal-music.co.jp/classics/special/legends_of_20th_century/igor_markevitch.html

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マルケヴィッチは手が震えていた最晩年の棒を観たが、悲愴も展覧会の絵もなんというか、この項もいつかは左側のリンクの聴いたコンサート、観たオペラに載せる。先の長い話ではあるが。。

それで、この20枚だが、ベルリン・フィル、ラムルー、ロンドンなどを振りつくしているがどれが一番いいか。

全部いい、

と言ってしまえばそれまでだが、あらためてこうやって聴いていると、指揮者の精神の安定を感じる。

鬼才ではあったのだろうが、出てくる音楽は派手なもの、クールなもの全てに共通するのはその落ち着きはらった精神状態。演奏するほうもきっと同じであったに違いない。

指揮者と演奏者のシンクロが素晴らしい音楽を作り上げている。どこのオーケストラを振ってもそうなのだから、指揮者の才能以外あるまい。

マルケヴィッチはどこそこのオーケストラの常任、音楽監督などという地位にはあまり関係なく、いい音楽が出てくる。だって両手でたしか、二拍子と三拍子をいっしょに振れたんでしょ。たしかそんな話を聞いたことがある。

そんな指揮者の言うことだから、プレイヤーはだいたい言うこときくよね。ハルサイなんてちょろいもので、日フィルという1960年当時、土壌のなかったオケ相手にしてこそ、指揮者の才気がありありと出たはずだ。

それで、どれがお薦めか。やっぱり全部。

取り分けて言うならば、エロイカは言うに及ばず、ベートーヴェンは全部いい。ラムルーとの運命はサウンドの腰の強さもあって三角錐的均整のとれた見事な演奏。

ロンドンとのチャイコフスキーは第3番がすごい。あのシンコペーション的三拍子のリズムを完全に噛み砕いてお見事。

ベルリン・フィルとのものも、相手が誰だろうが関係なしに気持ちのいい演奏となっている。モノフォニック録音も総じて音がよく極めて聴きごたえあり。

マルケヴィッチの音源はもちろんこれだけではない。まだまだある。

そんななかで好印象なのはケルビーニのレクイエム。チェコ・フィルのもの。

だから20枚とは言わずもっとたくさん出して欲しかったというのが本音。

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716- エレクトラ マゼール&ポラスキ ニューヨーク・フィルハーモニック 2008-2009シーズン

2008-11-21 00:16:36 | 音楽

Photo

マゼールの任期もあと半年。

ニューヨーク・フィルハーモニックの定期はいいプログラムが目白押し。

12月はエレクトラを演奏会形式でやるようだ。

オール・スター・キャストと銘打っている。

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2008124日(木)7:30pm

2008126日(土)8:00pm

2008129日(火)7:30pm

20081213日(土)8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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シュトラウス/エレクトラ (演奏会形式)

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ロリン・マゼール指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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オール・スター・キャストと銘打った歌い手は、

エレクトラをデボラ・ポラスキが歌う。

以下。

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Deborah Polaski (Elektra)
Anne Schwanewilms (Chrysothemis)
Jane Henschel (Clytemnestra)
Julian Tovey (Orestes)
Richard Margison (Aegisthus)
Jessica Klein (Clytemnestra's Confidante)
Renee Tatum (Clytemnestra Trainbearer)
Ryan MacPherson (Young Servant)
Frank Barr (Old Servant)
Matt Boehler (Orestes's Tutor)
Helen Huse Ralston (Overseer)
Janice Meyerson, Stephanie Chigas, Linda Pavelka, Priti Gandhi, Julianne Borg
New York Choral Artists, Joseph Flummerfelt, director

Sung in German with English translation projected above the stage.

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上記にあるように英語の字幕つきですが、「横」ですね。

日本だと「縦」になります。それも左右につきます。

「横」でもできます。

圧倒的に日本語の勝ちですね。

それはそれとしてどのような演奏になるのか楽しみです。

ニューヨーク・フィルハーモニックのオペラの演奏は非常にち密で高濃度。他の追随を許しません。

マゼールが振るエレクトラ。行こうと思えばまだ行けます。

nyp

エレクトラの公演で最近忘れられないのは、20036月のものです。

NHK交響楽団を去るシャルル・デュトワの最終公演でした。

昔のバイロイトの主エリザベート・コンネルが、巨大化したヘヴィーな体をゆっさゆっさとゆらしながらNHKホールのステージに現れたとき、聴衆から思わずどよめきが起こりました。

いつかレビューをアップします。

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デュトワもお得意の3曲プログラム・ビルディングをやめてたまにはこのような曲を普段からやっておけばよかったものを、と思います。

当時、デュトワはN響の連中からは絶賛されてましたが、聴くほうからするとそれほどでもなかった。ハルサイとかはたしかに良かったことは良かったですけど、ルーチンワーク的な棒にはあまりありがたみはなかったようなきがします。今となってみれば。。

12月にストラヴィンスキーのエディプス王をN響相手に振ります。

前回のブログで昔のMETの公演のエディプス王の感想入れてますのでよろしければ一日さかのぼってくださいませ。

このオペラ・オラトリオ、どのような舞台になるのか楽しみですね。

おわり

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715- 春の祭典、夜鳴きうぐいす、エディプス王、ジェフリー・テイト MET 1984.2.11

2008-11-19 01:41:38 | オペラ






また昔のコンサート、オペラに戻ります。
1983-1984シーズン観たオペラ、聴いたコンサートから。
それで、観たオペラ、聴いたコンサートですが、今日アップしているのは、METにおけるバレエ付き、劇付き、のオペラ。と呼べるかどうかわかりませんが、たまにそのような夜もありました。非常に面白い一夜でした。

今日はオペラというよりも、まずは3本立てのタイトルを見てください。
「春の祭典」
「夜鳴きうぐいす」
「エディプス王」
ストラヴィンスキー物3本立てです。オペラハウスにあってかなりレアな夜でした。

1984年2月11日(土) 8:00pm メトロポリタン・オペラハウス

「イゴール・ストラヴィンスキー1882」

指揮/ジェフリー・テイト
演出/ジョン・デクスター
メトロポリタン・オペラハウス・オーケストラ

Ⅰ バレエ音楽「春の祭典」  (MET通算第12回公演)

振付:ジャン‐ピエール・ボンネファス

生贄の乙女:リンダ・ジェリナス
長老:クリストファー・ストッカー
メトロポリタン・オペラ・バレエ

Ⅱ 歌劇「夜鳴きうぐいす」  (MET通算第19回公演)

振付:サー・フレデリック・アシュトン

漁師:アンソニー・ダウエル (歌:フィリップ・クリーチ)
夜鳴きうぐいす:ナタリア・マカロヴァ (歌:グェンドリン・ブラッドリー)
料理人:クラウディア・カタニア
侍従:ジョン・チーク
坊主:エイラ・バーベリアン
中国の皇帝:モーレイ・メレディス
日本の大使たち:マイケル・ベスト、ジーン・ブッチャー、ポール・フランク
死神:ジャン・クラフト

Ⅲ オペラ・オラトリオ「エディプス王」  (MET通算12回公演)

話し手:アンソニー・ダウエル
エディプス王:ウィリアム・ルイス
クレオン:フランツ・マズーラ
テイレシアス:エイラ・バーベリアン
イオカステ:フローレンス・クイヴァーがキャンセル。代役はジェシー・ノーマン!
メッセンジャー:フランツ・マズーラ
羊飼い:ジョン・ギルモア


このような上演のこのような演奏こそ真に意義のあるものと言わなければならない。
有名なわりにはなかなか観る機会に恵まれないハルサイ以下3演目であるので、これは非常に有意義であった。
「春の祭典」はよく知っているところであるが、「夜鳴きうぐいす」については全く知らず、「エディプス王」についても、その名前を知っているだけである。
しかし、時として、オーケストラ演奏のみに物足りなさを感じるむきには、本当に納得のいくパフォーマンスであったと思う。
「春の祭典」は自分にとってみれば、ピエール・モントゥーの指揮する初演を見るのと同じ程の意義を持つ。
バレエは素晴らしくよく訓練されており、特に自分が初めてみるだけに、なおさらそう思うのかもしれないが、素晴らしいことに変わりはない。舞台はあまり抽象的なところがなく、一見して太陽の神とか、それぞれのものがわかりやすく、疲れない。
また、あの複雑なリズムにわけもなくのって踊れるダンサーのものすごさ。それにもまして、このMETのオーケストラのものすごさ。とにかくオーケストラ・ピットから出てくる「春の祭典」のリズムは強烈である。
レコードから出てくる現代風のスマートな音とは全く異なっていたといっても差支えないと思う。特にブラスはそれに反発しているような荒々しさであり、この凶暴さは同時に舞台を観ている人にしか理解できないものなのかもしれない。自分にとって全く初演の舞台を彷彿とさせるものであった。やはり本当の理解とはこのようなところから来るものなのであろう。
本来の姿に接してこそ真の理解が生まれる。本当にストラヴィンスキーの「春の祭典」には音楽とバレエが表裏一体となった姿こそふさわしい。

次の「夜鳴きうぐいす」これは全く初めて聴く音楽であるから、当然、舞台の方中心に目がいってしまうわけであるが、本当に素晴らしい舞台であり、音楽のみで果たしてここまで聴かせることができるか。
舞台は一見してわかるようなまるでそれは海の底であり、あのMETの舞台のスケールの大きさを身をもって感じさせるに十分である。
ナイチンゲールと漁夫は歌うことは困難なので(彼らはバレエそのもの)そのかわりとなる二人がオーケストラピットの最後尾で歌うが、それがまた歌わないときは後ろを向き暗闇そのものとなり、歌うときにのみ前方を向くといった非常に手の込み入った作業を繰り返し行っていた。非常に綿密な舞台作りであった。
とにかくこれだけいきいきとした舞台作りがされると音楽まで舞台の上に乗りこんでくるようであり、ストラヴィンスキーのこのあまり一般的でない音楽が、まるで遠い昔に聴いたことがあるような錯覚に陥る。
また、これはユーモアにも満ちていて、機械仕掛けのうぐいすが首を振り、羽を伸ばす姿などは、ありえないことなのだが、現にこのようにしてみてみると逆に妙に現実感を帯びてくるから不思議である。

最後に「エディプス王」この舞台を奇妙と言わなくて何が奇妙なものか!
これはオペラ・オラトリオであり、まず、舞台配置はというと。。。
オーケストラピットの最後尾に独り語り手が座っている。そして舞台の最前列にはコーラスが2列になって左から右へと平行に並んでいる。その後ろから舞台は2メートルほど高くなり、その上に各歌手が配置されている。
ドレスサークルの最前列から見ると。


 
上の5人の登場人物は、いわゆるオペラ風の服装ではなく正装であるが、それぞれが歌うときはその前後で立っている人が持っている仮面をかぶらなければならない。非常に奇妙な舞台である。特に最後の場面でエディプス王が仮面をかぶったまま、赤い涙(と思われる)を流すがもうここにいたってはリアリズムそのものといった感じで、聴衆をあっと言わすに十分である。
音楽はいわゆるカンタータであり、合唱と独唱の繰り返しであり、特に合唱は非常に力強くハウスに響き渡る。
イオカステ役は、フローレンス・クイヴァーが体調不良で代役がジェシー・ノーマン。これがアクシデントというのかどうかわからないが、とんでもない代役に違いはない。METではたまにある。フィガロでも代役が、今マンハッタンですぐに手に入るキャスリーン・バトルです。という支配人のオン・ザ・ステージでのパフォーマンスを見たこともある。
それで、ジェシーがすぐさま舞台のパフォーマンスをこなせるとは思えず、プログラムは急ごしらえの代役であるかのような書きっぷりだが、実際のところは計算されたものだろう。

以上、3つの舞台ともそれぞれ初めてみるものにとってはほとんど鮮烈とさえいえる。
また、指揮のテイト。彼に接するのは2回目だが、今回のこのような視界抜群の席から見ていると、その姿は下半身こそ不自由だが、上半身は雄弁であり、特にその腕の長さは尋常ではない。また、引き出す音楽も現代流のスマートさよりもストラヴィンスキーのリズムの荒々しさをよく出しており、これもやはり舞台とともに生きている指揮者の形だと思う。しかし、彼が求めているものはなにもその荒々しさだけではないということは「夜鳴きうぐいす」を聴けばすぐにわかる。

いずれにしろ、ストラヴィンスキーを認識、再認識するには十分すぎるほどの演奏と舞台であった。
おわり


714-激流の爆演 イルジー・コウト NHKso. トリスタン第2幕 2008.11.16

2008-11-17 00:10:00 | インポート

Scan10005

今シーズン2008-2009は、東京ではまだワーグナーの出し物があまりない。

新国立劇場オペラ・パレスでは来年2009年の春に東京リングの再演のうち、ラインゴールドとワルキューレが行われる。これは必聴だが、その前に、N響が定期でトリスタンの第2幕をやるということで、これまた必聴。

20081116()3:00pm

NHKホール

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ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」より

        前奏曲と愛の死

 ソプラノ、リンダ・ワトソン

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(休憩)

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ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」より

        第2幕全曲(演奏会形式)

 イゾルデ、リンダ・ワトソン

 ブランゲーネ、クラウディア・マーンケ

 トリスタン、アルフォンス・エーベルツ

 国王マルケ、マグヌス・バルトヴィンソン

 メロート、木村俊光

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ゲスト・コンサートマスター/ペーター・ミリング

イルジー・コウト指揮

NHKso.

絶対爆演!!

コウトは1937年生まれだから70歳を越えているが、今日の指揮は激しく、たとえば第2場でトリスタンが現われる場面での音楽の盛り上げは尋常ではなく、度を越した振りぶりであった。

ワーグナー遣いが日本のオーケストラにその解釈方法をトランスファーしにきたわけだが、事実、コウトがいなかったらまともな演奏にならなかったかもしれない。でも逆に、あの激しい指揮ぶりは完全にオーケストラを信じきったうえでの棒であり、練習通りに引っ張っていくというのではなく、そのうえを目指している姿であった。N響は十二分にその期待に応えた激情の愛のシーン第2幕であった。

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コウトはやせていて普段はポッポッポッというかんじで軽快にポーディアムに歩いてくるが、今日は演奏後、オヴェイションを受けポーディアムを行き来するその足がふらついてフラフラしていた。それだけ激しい棒だった。内容も完全に満足するものだったと思う。

ワーグナーものはオケピットにはいったオーケストラの音もいいが、たまにはこうしてオーケストラをステージにあげての演奏を聴くのもいいものだ。音が変にぶよぶよしていないし、整理整頓されており、さらにN響の几帳面な音作りのおかげもあるが、垢が全部落ちた様な演奏は気持ちがいい。

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コウトのドライブはものすごく、先ほど書いたような場面転換の音楽でさえ全く弛緩することなく、むしろそこに重要な旋律が多数入りこんでいるのだよ、とでもいいたげにとくとくと、ときには圧倒的に、聴衆の脳裏に刻ませる。

スペシャリストの一筆書き的伸縮自在でダイナミックな爆演であった。

ワーグナーのスペシャリストは少なくなってしまったが、日本にも一人いると思うが、(経歴からいっても)カリスマ性は持ち合わせていながら、能力あるオーケストラに恵まれない、というかそのようなオーケストラととも一大興業のワーグナーものを連発するには環境的に無理がある。

今日のような放送局付きオーケストラによる演奏会形式の場合ですら、第2幕という異色のプログラムであることを差し引いても、日本人はメロート一人しか本当に用意できないものなのだろうか。

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今日のN響はやたらと素晴らしく、やっぱりドイツ物の系譜の指揮者たちの連続だった歴史というものがあり、自負があり、それがありありと出ている。

まずはハーモニーがきれい。ピッチが良く合い響きが美しい。またフレーズのコントロール


713- ジンジャーマン

2008-11-14 01:25:18 | 音楽

3019860830

写真は1980年代のエイヴリーフィッシャーホールです。リンカーンセンターの一角を占めているわけですが、この当時近くにレストラン・バーとでもいうのでしょうか、ジンジャーマンというお店があり、たまに演奏会のあと寄ったりしてました。

このジンジャーマンはリンカーンセンターを出てまっすぐ、すぐ近くにあったと記憶してます。今はそこにはないと思います。

ジンジャーマンに寄るのは、メトのオペラのあとではなく、だいたいがニューヨーク・フィルハーモニックのサブスクリプション・コンサートのあとでした。メトだとはじまりが8時で跳ねるのが深夜になるので、河童ハウスの隣のアイリッシュパブに寄ることが多かったですね。

ニューヨーク・フィルハーモニックは同じく8時スタートですが、10時には終わるので、たまにブラッと寄るわけです。

だいぶ前のことですから、プラザ合意の前後あたりと思っていただければいいのですが、といっても円で払うわけではないですが、とりあえず目をつむり思い出してみます。

ドアを開けるとすぐホールになっていて、ドアの間口に比べて中が広い。こうゆう店が多いですけどね。

それでホールを進むとバーカウンターがあります。このバーカウンター円形だっと思います。なかに作り手が何人かいて、丸いカウンターの外に大勢の客が群がっていました。

そこでスコッチのオンザロックスを一杯たのみます。プラザ合意の前です。だいたい3ドル50セント前後だったと思います。8.25パーセントのタックスとチップを含め、面倒なので5ドルをカードで払うわけです。今なら日本円で500円もしませんね。プラザ合意の前は1ドルがだいたい220230円あたりで推移していた記憶があります。それで計算すると5ドルといえども1100円以上。といっても1100円です。日本で飲む酒の高さと比べたら、それこそ比べ物にならないぐらい安いですね。

それでもその5ドル、丸カウンターの中のスタッフにカードで払うんです。アメリカ人らしいですね。

お酒は丸カウンターで立ち飲みです。文句は言いません。立ったまま、黙っていてもでてくる特盛りスコッチをすすりながらそのカウンター越しに奥を眺めるとたしかテーブルがあってレストランになっていた記憶です。そちらには座ったことはありません。

カウンターの方は演奏会が跳ねたあとの聴衆連中がたくさん寄っており、音楽の熱気がそのままこのお店に移ってきたような感じで楽しかったですね。雑踏さえも。。

コンサート・シーズンというのは秋から始まり、真冬あたりに佳境を迎えるわけで、その寒さのなか、帰路につく前に、かどうかわかりませんが、とにかくジンジャーマンでいっぱい。この夜の先のことはまずグイッといっぱいやってからおもむろに考える。

夜のマンハッタンは長い。朝まで飲めますが、朝は4時か5時以降はお酒を出せない条例になっていたと思います。どこでも。

だから、時間近くになると、お酒を3杯ぐらいまとめて作ってもらうわけです。そうすれば条例越えの時刻になっても、これはその前に作ってもらったものをまだ飲んでいるのだ、で済むわけです。なにもそこまでして飲む必要もないわけですが、当時そのようなハイな空気が漂っていたわけですね。個人的には。。

演奏会を聴いた後、毎日お酒を飲んでいたわけですが、妙なことに演奏会のことはだいたい覚えてます。その時、素晴らしい演奏だなぁと思うこともあるし、何日かしてからじわじわと思いだすような演奏会もありました。いずれにしても楽しい日々でした。

冒頭に書きましたが、メトのオペラのあとは河童ハウスのとなりにあるアイリッシュパブの常連。

メトでは3つのサブスクリプションをもってましたが、一番力をいれて観るのはやっぱり土曜日の夜公演。マチネーはたまにいくぐらいで、やっぱりこの曜日の夜公演は聴くほうも力を入れて気張ってました。

ワーグナー物以外は大抵8時スタートですから、例えばモーツァルトのフィガロの結婚も、休憩がしっかり3回あり、跳ねるのが真夜中です。流石にそのあとはゆっくり飯でも食いたいという感じで、まず、オペラハウスからでて前の通りを河童ハウスまで歩いて帰るわけですが、といっても5分ですが、その通りを歩いていると、土曜の深夜なので、すでにニューヨーク・タイムズの日曜版が道端で売られているわけです。知っている人も多いと思いますが、空恐ろしい厚さです。分厚い紙の塊がたしか1ドル25セント。日曜版のミュージックレビューはそれだけで別構成になっている感じで読みごたえ十分。

それで、今思うと、新聞を売っていたのはスタンドではなく、ストリートヴェンダーだったのではないかと思います。河童ハウスとリンカーンセンターの間にスタンドはなかったですから。

その重い紙の塊をもって早くうちに帰ればいいものを、わざわざ一軒手前のアイリッシュパブにはいるわけです。アイリッシュパブというのはちょっと紛らわしいですがお店の名前です。

それで真夜中です。だいたい指定席が奥のテーブルにあるわけですが、まず、ビール。

そしてメニューをたのんで、どっちにしろあまり見なのですが、とりあえず見た振りをしてオーダーするわけです。ロブスター&ステーキ・ディナー・セット。イモ付き。

真夜中です。体にいいですね。血圧がどんどんたかくなること請け合いですね。。

それと、グラスワインです。

体にいい悪いは別にして、至福の時間ではあります。

ニューヨーク・タイムズのミュージックレビューは幅広いジャンルにわたっており、内容もかなり濃い。読みごたえ十分です。ロブスターとステーキで油まみれになった脳味噌で読みながらワインでその頭をたまにうがいする。

至福タイムが終わりそうになったら、ウィスキーを一杯(アイリッシュではなく)飲んで、さらにうがいをし、それで隣の河童ハウスにたどりつき、ドアマンに1ドルだったか5ドルだったかチップをはらいドアを開けてもらいようやく就寝。

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このアイリッシュパブですが、ディナーが30ドルしなかったですね。たしか22ドルとかで、ビール1杯、グラスワイン2,3杯、それにウィスキー1,2杯で、合計でたぶん40ドルぐらい。それに8.25パーセントのタックスと、あと同じ額ぐらいのチップで大合計が50ドル以下。昔ですから、クレジットカードの支払いもカーボンに自分で金額とサインを書いて例のガシャっと手で引き押しする機械でした。なんて呼ぶのかしりません。

お店の子が、カーボンに食事代40ドルと、タックス3ドル30セントを書いて持ってきます。そうするとこちらはボールペンを借りて、チップの記入をするわけです。6ドル70セントと書けば、合計が50ドルとなってちょうどきりが良くなります。それでサインをしてボールペンとカーボンを返します。

そうするとそのお店の女の子は、キャッシャーのところにそのカーボンをもっていき、そこでお店の財布をあずかる人へ渡し、カーボンの控えを持ってきてくれるわけですが、そのときにその財布の人から6ドル70セントをお店の子はもらうわけです。

40ドルの客としてはいいチップだったと思います。

おわり

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712- MTT-SACD大地の歌 テノール&バリトン

2008-11-12 00:34:09 | 音源

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演奏会のことはちょっと休憩で、少し前に買ったSACDについて。。

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マーラー/大地の歌

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テノール、スチュアート・スケルトン

バリトン、トーマス・ハンプソン

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マイケル・ティルソン・トーマス指揮

サンフランシスコ交響楽団

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200792629

デイヴィス・シンフォニー・ホール

ライヴ

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サンフランシスコ交響楽団

自主製作盤

821936-0019-2

SACD

(日本での輸入・販売は東京エムプラス)

(AVIEレーベル)

相変わらずの高価格で推移しているMTTのマーラーシリーズも佳境に入ってきた。

交響曲で残すのはあと一千人の交響曲だけだが、ここにきて大地の歌がでた。

歌が、テノールとバリトンということで最近では比較的ユニーク。

普通はテノールと、

メゾまたはアルトまたはソプラノ。

このパートをバリトンのハンプソンが歌っている。

テノールはスケルトン。

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135楽章のスケルトンはなんだかその名前の通り、骨組はよくわかるが少し硬い。気張り気味だ。

246楽章のハンプソンが抜群。

特に第6楽章が、心をこめた絶唱で久しぶりにいい歌に出会えた。心をこめて歌っているのがよくわかる。

大地の歌を知らない人のために書くと、といってももったいぶらずタイミングだけ書いてみると。

1楽章:827

2楽章:931

3楽章:316

4楽章:657

5楽章:425

6楽章:3039

ということで、いかにバランスが大事か。思い知らされる曲ではある。

6楽章はコリン・デイヴィスの長さにはならないが、それでもゆっくりめで、それでいて間延びのしない緊張感あふれる歌が披瀝される。

最初のフォーエヴァー(イーヴィッヒ)のメロディーが実に情感に溢れ、続くハンプソンの自由にひきのばされた歌の解放感が見事。

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そしてこのあとあたりからMTTの棒がそれこそアドリブというか即興というか変幻自在のテンポ、そこに五線紙はなく一筆書きの見事な連続体。揺れ動くマーラーの心模様がそのまま単旋律の連続体になったような感じ。

そして最後のフォーエヴァーにかけのぼるまでのオーケストラの微妙な味わいの盛り上がり、表現芸術がきまった、瞬間だ。

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たまに、このブログを覗いてもらっているオペラの夜さまのご意見もうかがいたいところだ。

録音については、SACDサウンドは抜群で、奥行き、横の広がり、定位する音場、空気感、微妙なニュアンスまでとらえた見事な録音。ライブとは思えない。

いい演奏は、いい録音で。

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711- ディクテロウのブラコン メータ NYP1984.2.9

2008-11-10 00:10:00 | 音楽

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演奏会の合間に昔の演奏会のことを書いてます。

今書いているのは1983-1984シーズン、観たオペラ、聴いたオーケストラのことです。

このシーズン、またその前後は、ほとんどがニューヨーク・フィルハーモニックとメトロポリタン・オペラハウスのことだらけです。シーズン・サブスクライバーで、狂い聴き、狂い観、といったところでしょうか。

それでは、今日はこれです。

ブラームスのソロのディクテロウはこのオーケストラのコンマスです。

198429()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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10,451回公演

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ハイドン/交響曲第104番 ロンドン

ベルク/3つの管弦楽小品

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ブラームス/ヴァイオリン協奏曲

 ヴァイオリン、グレン・ディクテロウ

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ズービン・メータ指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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WQXRFM 1984.6.3 at 3:05pm放送予定

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この前のハーグ・フィルの演奏と比べてみると、うまいへたは別にして、違い、その質の違いというものを感じないわけにはいかない。

例えば、メータの棒でこのようなハイドンを聴いていると、いったいこれが的確なテンポなのかどうかわからなくなることがある。別に極端に速いテンポやおそいテンポで奇をてらうような演奏をおこなっているわけではないのだが、どうも気持が落ち着くといったテンポではないような気がしてならない。全4楽章が終わった後のその造型というものを思い出してみてもどうも散漫であり、音楽が正しく確立されていない不安感をいだく。

ブラームスでもやはり同じようなことを強く感じるのだが、メータはまだここ(NYP)を土台とか足場のように考えているようであり、自分が過渡期にあるのを意識しているようでさえある。

例えば、ヨーロッパのオーケストラを彼が振った場合、結果は違ったものになっているかもしれないし、それらは毎年夏のヨーロッパの音楽祭などにおける演奏会の実況録音を聴いてもある程度は感じられることなのだ。

ブラームスのこのようなほとんどシンフォニーとでも呼べばよいような協奏曲に立ち向かうとき、お互いに問題意識がなければ、それなりにそれこそ何の問題もなく音楽は進むのであろうが、今日みたいにこちら側にそれなりの問題意識があるときには、このようなありきたりの演奏では物足りないのだ。もっと中身の濃い演奏が欲しいときがある。中身とはなんだろう。それはこの前のハーグ・フィルが図らずも示してくれた。

おわり

難しい言葉が好きなドナル・ヘナハンの評がいつもどおりニューヨーク・タイムズに掲載された。

ディクテロウに対しては、コンマスにありがちな、安住の地があるばかりに目的、情熱がないような演奏が多い中、彼はそのようなことがない演奏を行ったとしている。

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710- ペトリ・サカリ アイスランド交響楽団 シベリウス聴きたかった。2008.11

2008-11-08 20:30:08 | 音楽

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楽しみにしていたペトリ・サカリ指揮アイスランド交響楽団の日本初来日公演が中止になりました。

理由は報道にあるとおりアメリカのサブプライム問題に端を発したもののようです。

どちらかというと実需なき繁栄で激しく潤っていたアイスランドは、同問題により一気に地に落ちました。

金融機関は国営化され、そうなると娯楽エンタメであるクラシック音楽なんてぇのは、真っ先に切られ楽団員に給料が払えるかどうかというところにあったのではないでしょうか。

スポンサー企業は娯楽どころではなく、存亡の危機なわけですからそれこそ生死をかけた戦いの真っ最中、出たとたんに消えてしまう音なんてぇのは、お金をける価値があるのか、ということになったのかもしれません。お金も同じようなものだと思うのですが。。

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初来日が実現していれば、シベリウスの交響曲全曲演奏を聴くことができたはずですが、残念です。

これはすみだトリフォニーホールで行われる予定でした。フライヤーにあるとおり、シベリウスは3夜あったわけですが、1回券が最高席で7,000円ということで国内オーケストラの演奏会チケットと同じレベル、もしくはそれ以下の価格設定であり、かなりお得なコンサートとなるはずでした。

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ペトリ・サカリ指揮アイスランド交響楽団の組み合わせによるCDはナクソスからでておりました。シベリウスの交響曲全部、管弦楽曲が単発で56年前に発売の都度購入しました。

録音はだいたい2000年前後です。

ナクソスは安価なレーベルですが、馬鹿にしてはいけません。素晴らしい演奏がたくさん出ております。ジャケットがいま一つチープな感がありますが、そんなものCDラックに並べてしまえば、わかりませんから問題ありません。

今回の来日に合わせて、シベリウスは全集という形でまとめてだすようですが、買うときは、やっぱり旬のときに単発買い、そしてすぐ聴く。これがその時代の空気も一緒に吸う感じでいいものです。

再発の全集ものというのは大体造りが軽く、内容まで軽くなったような気がして、そして、再発はずっと後の発売になるので、ずいぶんと昔の時代演奏を聴いているような趣きであり新鮮な感動は得にくいものです。

公演中止になりましたのでこの週末は、あらためてシベリウスのCDを聴きながら過ごしたいと思います。

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ところで、アイスランド交響楽団のCDですが結構出てます。一番のお気に入りCDは、ウラディミール・アシュケナージ指揮のカリニコフの交響曲第1番と第2番がカップリングされたCDです。

なんというか、透明で、氷のようなサラサラ感、むしろ水が零下で凍らず流れるような、素晴らしいオーケストラのサウンドです。このオーケストラの音を聴くにはこのCDの方がいいと思います。透徹な響き、派手でない抑制された音づくり。言うことなしです。

この録音は2003年レイキャビックで収録されたものですが、EXTONSACDではありませんが、HDCD DSDレコーディングによるもので、抜群のサウンドですね。

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アイスランドがいつか復活すればオーケストラも息を吹き返し、あらためて日本公演ができることでしょう。その日を楽しみにしております。

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709- 華金はセメダインで。

2008-11-07 00:25:52 | 食・レシピ

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また華金がやってまいりました。

今週はどうしましょうか。。

たまには昔の記憶が脳裏から剥がれてくるような超ブレンド・ウィスキーでも飲みましょうか。

ドヮースのホワイト・レイブルなんかどうでしょうか。

アップしてある写真は、かれこれ四半世紀前のものですが、この時代のホワイト・レイブルは最近ではあまりみかけません。あってもワン・ショットが結構な値段なので、本当はグラスに半分ぐらいストレートで飲みたいのに、へたにダブルでたのんだらとんでもない金額になったりします。

四半世紀前のその当時は、写真のような瓶で買うことはあまりなく、ワン・ギャロンのものを手に入れて飲んでました。ワン・ギャロン瓶はかなりでかく、瓶に取っ手がついてましたね。。

それを平日買い、その平日は仕事が終わった後毎晩外で飲むわけですから、ギャロン瓶を味わうのはいつも週末。

度数はそこそこながら、このセメダインのような独特の消毒液。。

良かったですね。生きているっていう感じ。

シングル・モルトが全盛になってきてからは、忘れた頃にたまに飲むぐらい。それも味わうというよりも、その脳裏に張り付いている記憶を探る手立てのようなもの。飲むと昔のことを思い出します。

マンハッタンに引っ越す前のブルックリンは、その時代でも、さらにもうひとつ前の時代が取り残されているようで自分を確かめるにはいいところでした。

マンハッタンが1980年代の頃、ブルックリンはひと昔もふた昔も前といった感じで、そうですね、ロケものテレビドラマの刑事コジャックのロケシーン、あれはマンハッタンばかりですが、当時のブルックリンにはそのロケシーン的リメンブランスを感じます。

1970年代のマンハッタンを想起させてくれる刑事コジャックはいいですね。今みたいにアメリカから生中継が日本国内の生中継と同じような感覚で見聞きする時代では全くなくて、あれはあれで、閉鎖された情報時代ではなかったのですが、あのようなネームヴァリューはあるけれど実態に接したことはない、といったあの感覚、むしろあれこそが世界のあるべき姿のように見えたりします。車が去るとほこりぽかったあの時代、ホワイト・レイブルとともに思い出します。

おわり

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708- サンクトペテルブルク・フィル テミルカーノフ 2008.11.3

2008-11-05 00:38:38 | 音楽

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文化の日がらみの11月最初の三連休。

1() 2() 3()

3日の月曜日は完全休養でゆっくり休みたいところだったが、この最後の最後に、なんと夜の7時からの公演。

誰もはいっていないだろう、と思ってサントリー・ホールに向かったが2階後列側S席がきれいに空っぽだった以外は結構入っていた。みんな元気ある。。

2008113()7:00pm

サントリー・ホール

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チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1

 ピアノ、デニス・マツーエフ

(アンコール)

バッハ/サラバンド

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チャイコフスキー/交響曲第5

(アンコール)

エルガー/愛のあいさつ

チャイコフスキー/ナッツクラッカーよりトレパーク

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ユーリ・テミルカーノフ 指揮

サンクトペテルブルク・フィル

‘レニングラード・フィル’の方がどうも語感、響きがいいのでこのあとはそう書く。

レニングラード・フィルの来日公演にはなるべく必ず出かけるようにしているが、20年前の1988年に神が天上に去った後、その席に座り続けるテミルカーノフ、この組み合わせ、最近は録音もさっぱりで、大半は古録の偽新譜があるだけだ。結局、来日公演が一番の聴き時となって久しい。

この日は昼夜の2回公演の予定だったのだが、お昼のほうは中止となった。理由は指揮者の健康上の理由らしい。そもそも12回おこなうなんてぇのは昔はなかった。バブルの頃あたりにマゼール、フィルハーモニア管だったかが、暴挙に近い形で行い、内容もさっぱりだったのだと思うが、あすこらあたりから始まった悪癖みたいなものだ。これをやるとはっきり言って粗末になる。

それはそれとして、まずこの日の音を聴こう。

神が去る10年前あたりに神の音を聴いた身としては、やっぱりこの音はこのオーケストラからしか出ない、納得し屈伏させられてしまう。

ピアノ協奏曲の第1音は実にさりげないテミルカーノフの棒から信じられないような柔らかくて、透明で、それでいて力強い弦で開始された。昔、神ムラヴィンスキーが同じように信じがたい田園の第1楽章の第1音を出したのをふと思いだしたりした。

この独特のサウンドは世界広しといえどもこのオーケストラからしか出てこないもの。録音ではまずわからない。生に限る。。

ブラスの音は個々人はたぶん細みの音になっているが、弦の透明感は技術力の上に何かがあることをあらためて思い知らされる。

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テミルカーノフの棒は -->