河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1822- W協、惑星、デニス・ラッセル・デイヴィス、読響、2015.7.25

2015-07-25 18:23:33 | コンサート

2015年7月25日(土) 2:00pm みなとみらい

ブラームス 二重協奏曲イ短調 17′8′8′
  ヴァイオリン、ダニエル・ゲーデ
  チェロ、グスタフ・リヴィニウス

Int

ホルスト 惑星
 火星8′、金星7′、水星5′、木星8′、土星9′、天王星6′、海王星8′
 児童合唱、東京少年少女合唱隊

デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮 読売日本交響楽団


彼の偉業を見るにつけ日本までわざわざ来て振るプログラムではない気もしますが、そういったあたりの話は神のみぞ知るといったところか。

前半ブラームス、ソリストとオーケストラとの混ざり具合がいい。ブラームスのオーケストラ・サウンドを聴く醍醐味、その魅力全開にしてくれた演奏。
オケの奥ゆき感を堪能、締まったサウンド、2楽章中間部のウィンド・ハーモニーのバランスした美しさとモヤモヤ皆無の縦ライン、ここでソロチェロがじわっと素晴らしく味わい深く響く。
DRDの棒による際立つ縦ライン、そして平衡感覚に優れたハーモニー、いいブラームスでした。

後半のプラネッツ、
火星からいきなり濃い表現!、濃厚な火星、テンポをぐっと落とし、締めでの執拗なオケ強打、この迫力、圧倒的です。
有名な木星の中間部、わりとあっさりしている。木星全体の3拍子への転換等々、フレッシュなものを感じさせてくれて、木星の別の面を見たような気にさせられました。
海王星は最後のところ指揮することなく、影の合唱が陰に響き美しいフェイドアウトのエンディング。
そして、毛利、日橋のソロの掛け合いも今日の平和の神で最後。

みなとみらいはほぼ満員、静かなエンディングをさらに高めてくれた本当に素晴らしい聴衆。静かさの極み。
DRDの棒はやっぱり素晴らしい。ありがとうございました。
おわり




1821- マーラー9番、尾高忠明、東フィル、2015.7.17

2015-07-18 00:46:46 | コンサート

2015年7月17日(金) 7:00pm サントリー

マーラー 交響曲第9番ニ長調  28′16′13′28′

尾高忠明 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


東フィルなのか、本当に。
骨太でオケが鳴りきっている。いたるところすべてフォーカスが完ぺきに合っている感じ、燃えさかる太陽のような響きで、尾高の至芸を聴かせてもらいました。

編成によるものだけでなく、今日の東フィルは全般に骨太サウンドで、パンチも決まっている。最後の長い弱音コーダもそれまでの力感を感じさせるもので、5分かけた異常なテンポではありましたが、この指揮者によって全体像は既にフォーカスされているので、あとはもはや昇華していくだけと観念しました。素晴らしい演奏の9番でした。


第2楽章終わったところでの大チューニングは、次楽章のトランペットの入りに安定感与えました。この楽章のエンディングスケルツォのエキセントリックな筆の運びは特にお見事でした。

宙づりマイク14、床上マイク9、いずれも可視。カメラも入っておりました。あとで聴けるといいですね。
おわり


1820- ウィンドSym、バルトークpf協1、ラーンキ、運命、ノット、東響、2015.7.16

2015-07-17 01:22:04 | コンサート

2015年7月16日(木) 7:00pm サントリー

ストラヴィンスキー  管楽器のための交響曲(1947版) 10′

バルトーク  ピアノ協奏曲第1番  9′、7+6′
 ピアノ、デジュー・ラーンキ

Int

ベートーヴェン  交響曲第5番ハ短調  8+10′、5+11′

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


前半のストラヴィンスキーとバルトークの棒さばき、ノットの棒はほかの連中と全然違う。オレの音楽はこれだと言っている。共感棒。
独特のバランスやフレージングをいたるところで感じますけれど、それ目当ての奇を衒うものではなくて、この音楽を理解させてやる、の、やる気を感じる、納得の音響と思います。オーケストラも全般にわたり意を汲んだ佳演。

バルトークでのラーンキの鍵盤に90度のような垂直攻撃の響きは自信たっぷりに聴こえてきました。垂直的な弾きがそのまま音になる感じ、そして澄み切った響き。


ノットの今日のストラヴィンスキーの棒さばきを見るにつけ、演奏会収録ライブCDなんかとは別に、セッションでストラヴィンスキーのオーケストラル作品全部を入れて欲しいと思う。オーケストラはアンテルコンタンポラン、バンベルク、東響、ロマンド、またいで構わないので。

あと、この日の演奏会、正味66分でした。短すぎます。
充実の演奏会でしたが、正味の演奏時間が短い。東響ノットにはもう1曲お願いしたい。この構成だと前半に追加は厳しいと思うので、後半の運命の前にもう1曲ね。(ウエリントンの勝利とかね。)
おわり




1819- エルガーVn協、ホープ、スコティッシュ、広上淳一、日フィル、2015.7.11

2015-07-12 10:49:44 | コンサート

2015年7月11日(土) 2:00pm サントリー

エルガー ヴァイオリン協奏曲ロ短調 18′13′19′
 ヴァイオリン、ダニエル・ホープ
(encore)
ヴェストホフ  鐘の模倣  2′

Int

メンデルスゾーン  交響曲第3番スコティッシュ 14+4+11+11

広上淳一 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


エルガーは巨大な作品。
第3楽章、広上の指揮指示が現代音楽風になる、これ見ても迫力あります。曲の構造理解が必須のロングさですね。
真摯な佇まいがいいホープ。鳴りがが均質で、情に流されない冷静な弾きです。

メンデルスゾーンは導入部から明確に2つのテンポ構築でして、これを聴いただけでスコティッス像を持っているのがよくわかります。
第4楽章前半の攻めないしなやかさも印象的。
オーケストラは秀逸で、美演でした。

広上のいいところはコンチェルトでもなんでも指揮棒を持って振っているところですね。
おわり




1818- マーラー復活、ハーディング、新日本フィル、2015.7.10

2015-07-12 10:30:28 | コンサート

2015年7月10日(金) 7:15pm トリフォニー

マーラー 交響曲第2番ハ短調 復活  23′、10+12+5+36′

ソプラノ、ドロテア・レシュマン
アルト、クリスティアーネ・ストーティン
合唱、栗友会合唱団

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


オーケストラのスキルベースな部分での問題は横においても、さめざめとした第3楽章に見られるように全般に渡り燃えず流れずうねらずドライブせず。
まな板の魚の様な表現は聴き覚えがあるクレンペラー風味。絞った雑巾から何かが出てくるところまではいかない暗中模索。ユニークな復活でした。

自分の席は1階センター比較的前寄りで、しもてのコントラバスの音は「完全に」右から聴こえてきます。
おわり

 


1817- ブラームス、ラルス・フォークト、ダニエル・ハーディング、新日本フィル、2015.7.3

2015-07-04 12:52:38 | コンサート

1817- ブラームス、ラルス・フォークト、ダニエル・ハーディング、新日本フィル、2015.7.3

2015年7月3日(金) 7:15pm サントリー

ブラームス 悲劇的序曲 15′

ブラームス ハイドン・ヴァリエーション 19′

Int

ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調  18′9′11′9′
 ピアノ、ラルス・フォークト

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


オール・ブラームス・プログラム。
メインのピアノコンチェルト、鬼泣き形相フォークトのピアノは殊の外デリカシーな打楽器風味、明晰でピュアな響きが心地よい。しなやか部分は全部オケに任せたよという感じ。
弱音に向かって何階層も有りそうな鍵盤ニュアンスがきめの細やかさを感じさせる。

最近たまたまこの曲を聴き込んでいていろんなパターンを感じるが、今日のフォークト&ハーディング&NJPは流れを作っていく風ではなくまたゴリ押し系でもない、ぽーんと音を出すと自然に作品の旨味が出てくるのに任せている感じ。この到達感の快感を得るまで結構聴き込みました。

このコンチェルトはシンフォニックと言われますが、第2楽章をスケルツォとはとらえず、第3楽章と同一形式を強調させる気配、異例の快速。第4楽章の軽めの入りはイタリア風味満載でシンフォニックな趣きとせず。
第1楽章があって、第2=3=4楽章の並列感で、沢山聴いた中でもレア表現でした。
指揮したがりフォークトもここは抑えて。

それから、そんなに前席で右寄りだとピアノタッチ全然見えないじゃないかというアドバイスもありますが、そんなことはなくて、ピアノの裏蓋が鏡のようにつるつるで、タッチもスコアもよく見えるのです。

パリ管シェフに決まり、パリと東京をつなげたハーディングの棒に、東京メトロポリタンエリアのオーケストラの一角、プレイヤー個々人まで自負や気概の様なものが見えました。ハーディングの必要以上に縁取りをしないブラームス、無理に押さず、充実した力でうま味が出ました。
おわり


(おまけ)
フォーク、ちょっと前のトラブルリサイタル。

Pianist Vogt overcomes Beethoven lapses to deliver transformative Schoenberg  

By David Patrick Stearns, Inquirer Music Critic
Posted: February 22, 2015

Lars Vogt was well on his way to making a significant solo recital debut Wednesday at the American Philosophical Society when Beethoven's Piano Sonata No. 32 Op. 111 started coming unraveled.

Problems began in the dense, first-movement exposition, when a memory lapse set in, one Vogt covered skillfully, but starting a spiral that eventually forced him to start over and leave the stage to grab the printed music. Also unfortunate: the piano's music stand had been removed, making page turns awkward. The rest of the performance was fast and smelled of panic. He hastily explained he had adjustment problems with the piano at hand, but the issue was clearly his memory.

In the end, the recital was significant for reminding us what we already know about the high-wire life of artists - no matter how poised they may seem in these Philadelphia Chamber Music Society concerts. Having played here in chamber music situations with other artists, Vogt, 44, is also one of the leading European pianists of his generation, one you'd trust with most any repertoire. His command of the keyboard is solid. Playing the towering Op. 111, though, is a life's work, if only to play such singular music - it never becomes as comfortable as Mozart or Brahms - with clarity that reveals interpretive vision.

Mishaps are so likely that grousing about even labored technique is ungracious. And the Wednesday audience was more than gracious, with smatterings of encouraging applause when Vogt kept forging ahead.

His pre-lapse Beethoven showed the music's many dense layers clearly laid out, almost as if the music were Bach, but fused with a combination of speed and heat that made the performance anything but safe, and revealed the countless points that the composer made by not allowing the music to be meshed easily with itself.

Both halves of the program began, unconventionally, with the same piece, Schoenberg's Sechs Kleine Klavierstucke Op. 19, an early atonal work that shows the composer at his least threatening. The piece's presence highlighted the harmonically ambiguous strangeness in much of the rest of the program - which included Schubert's Sonata in C minor - that's easily overlooked as your ear naturally gravitates toward melody. Thus, the broad-strokes starkness of the Schubert sonata was more textured in this context.

More interesting was how the Schoenberg changed when reprised in the second half. Perhaps because Vogt was heartened by a piano retuning during intermission, the music was more brilliantly colored, transforming what can often seem like a tentative experiment into a fully realized end in itself. Such Schoenberg performances are like hitting gold, so seldom do you hear them. Vogt ended with Chopin's Nocturne in C-sharp minor, which was similarly accentuated by Schoenberg's strangeness. Might there be more Vogt concerts with greater risks?

 


1816- ノタシオン17432、ベルクVn協、郷古廉、ハイドン最後7言葉、ロト、読響、2015.7.1

2015-07-02 00:53:52 | コンサート

2015年7月1日(水) 7:00pm サントリー

ブーレーズ ノタシオン1,7,4,3,2番  3′7′2′3′2′

ベルク ヴァイオリン協奏曲 ある天使の思い出に  11′16′
 ヴァイオリン、郷古廉

Int

ハイドン 十字架上のキリストの最後の7つの言葉 (管弦楽版)
 序奏 5′
 Ⅰ6′、Ⅱ6′、Ⅲ8′、Ⅳ6′、Ⅴ7′、Ⅵ5′、Ⅶ6′
 地震 2′

フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮 読売日本交響楽団


ノーテーションは通常、管弦楽版だと、1432が取り上げられる。ロトは7番を加えて、17432の順番に演奏。このパターンのオケ版お初で聴きました。巨大編成の曲でメシアンがよく聴こえてくる作品、明晰クリアな響きの世界が当時の現代音楽のモードをよく感じさせてくれる。
7番は全体の4割の長さで他4曲ピースどれをとってもその倍以上のレングス、座り心地がいいとは言えない。欠番のものを混ぜ合わせて流れを作るようなスタイルが、今となっては無い物ねだりなのか。12個のうち残りの7個5-6-8-9-10-11-12も管弦楽版となれば、ブーレーズのことだから全体バランスの良いものが出来そうな気はするが。
それでお初の7番、これはその前の1番の雰囲気がブラス、パーカス等のアクセント的フレーズに感じられて前半はモードが近く聴こえる。後半に進むにつれて灰色というかメシアンからシェーンベルクに位相がシフトしていくようなおもむき。位置的にここに置くというのはわかるがちょっとその長さに比して冴えたものともいえない。ひらめきが感じられない。
全体的に読響の重心の低い、腰、骨太系の響きだが、この曲やっぱり、オケスキルも赤裸々なものになる。ブーレーズのセンスから少し乖離。ロトは微細なところの表情を濃厚にしてくるのでニュアンスは面白い。オーケストラの透明度は今一つでした。

ロトの微にいり細にいりのスタイルは後半の小編成大曲のハイドンで余すところなく全放射されました。
ハイドンの流れる音楽を全て押しとどめてアナザーワールドを創作した意思と手腕、大したものです。音楽を制止させ中空を漂うような雰囲気を醸し出した演奏、小編成ながらストリングを中心に強弱を強調、特に弱音系のところの静けさと微妙な佇まいには息をのんで聴くしかないような空気感を感じた。
七つのソナタ全てがゆっくりしたものでその中で指揮者が起伏をつけつつ音楽を漂わせる、これだけゆったりしたテンポでありながらロトの作り出す演奏にはまるで隙間がない。ずっとつながっていっているような感じで、非常にコクのある演奏。ロトはおそらく何かをイメージしながら振っていると思う。十字架上で語った言葉それ自体をイメージして振っているのか、それとも何か別のことか、抽象的ななにかか。よくわかりませんが、弛緩することなく緊張感が持続していく様は見事と言うしかない。言葉が無い作品なのに何か、あるような。
このような曲で小宇宙が出来ていくなんてすごい形成力、構築力ですよね。完結したものを再現するのではなくて、ゼロから作り上げていくように聴こえてくるあたりのみずみずしさ。味わい深い演奏でした。
と同時に、昨年のN響との第九演奏とはかなり異なるものでロトの懐の深さもじっくりと楽しむことが出来ました。

2曲目のベルク、ただルールを並べているだけではないという解説が多いが、自分に言わせると、ただルールを並べているだけの開始の継続で、引用の魅力も乏しい。曲自体面白いと思わないので熱はいりません。
聴かせることを排除しているとは思いませんが、聴き手のことを忘れてしまっている開始はなんとも処置なしと思います。
おわり




1815- ロシアの葬送、フレ・バリ、ショスタコーヴィッチ11番、オレグ・カエターニ、都響、2015.6.29

2015-07-01 00:19:16 | コンサート

2015年6月29日(月) 7:00pm 東京文化会館

ブリテン  ロシアの葬送  6′

タンスマン  フレスコバルディの主題による変奏曲 12′

Int

ショスタコーヴィッチ  交響曲第11番ト短調1905年 12+17+11+13

オレグ・カエターニ 指揮 東京都交響楽団



後半ショスタコーヴィッチは第3楽章の弦の柔らかく透徹した響きが美しい。フィナーレ楽章はつんのめって前に進む感じでユニークな表現でした。

前半1曲目のブリテンは若作り。このロシアの歌による葬送主題の引用は後半の1905年でも同じく引用されている。

タンスマンは巨大弦による美しい歌。

おわり