河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1702- ショパンpf協1、リシエツキ、ドヴォルザーク6、下野竜也、N響2014.10.29

2014-10-30 01:20:05 | コンサート・オペラ

2014年10月29日(水)7:00pm サントリー

ショパン ピアノ協奏曲第1番 21′10′9′
 ピアノ、ヤン・リシエツキ
(encore)
ショパン ノクターン ハ短調 op.20  4′

ドヴォルザーク 交響曲第6番 17′12′8′11′

下野竜也 指揮 NHK交響楽団


1995年生まれのリシエツキは前年(2013.6.26)、ショパンの2番を聴いているので自分としてはこの日の1番とあわせ協奏曲完全制覇となりました。
概ね前回と同じ印象で好感。その時も感じたのですが、こなれているというか弾きこんでいて自分のものとして消化してから表現を重ねているので独自さが説得力を生みます。
それと、ピアノの音の強弱、フレーズの中でのいわゆるダイナミズムとは少し違うような気がしますが、強弱の層が何層か感じられます。そのひとつの層でひとつのフレーズを弾いていくようなおもむきですね。
この曲のオーケストラパートは2番よりはマシかとは思います。聴くなら入れ込んで、良さの追求だけするしか手は無い。提示部5分かかりますがベートーヴェンの3番コンチェルトなどとは比べたらいけないんでしょう。
ショパンに天下無二の快晴のときはあったのか。

後半のドヴォルザークは激しくて力強い曲、この指揮者の表現力、主題のフレーム感覚がきっちりしているので交響曲形式としての巨大さがよくわかります。50分の大曲ですね。
6番以前のドヴォルザークはほとんど聴く機会がありませんけど、こうやってあらためて並べられると素晴らしい曲だと思ってします。終わって外に出て口ずさむふしがあればさらにいいと思うところはあります。
N響の男声比率はまだまだ高く、1vnは16人中12人、2vnは14人中10人といったところです。第3楽章のトリオのような秋模様なメロディーもぶ厚い表現で力強さとシンフォニックな構成感がお見事の一言に尽きます。揺れ動く弦の波動。
全楽章が巨大で間延びしないのは指揮者の功績でしょう。いい演奏会でした。
ありがとうございます。



1701- ドン・ジョヴァンニ、千秋楽、ラルフ・ヴァイケルト、東フィル、新国立2014.10.26

2014-10-27 00:25:43 | コンサート・オペラ

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1701- ドン・ジョヴァンニ、千秋楽、ラルフ・ヴァイケルト、東フィル、新国立2014.10.26

2014年10月26日(日)2:05-5:40pm オペラパレス、初台

モーツァルト 作曲

グリシャ・アサガロフ プロダクション

ドン・ジョヴァンニ
 序曲6′
 第1幕87′
 int
 第2幕87′

キャスト(in order of appearance)
1.ドン・ジョヴァンニ、 アドリエン・エレート
1.レポレッロ、 マルコ・ヴィンコ
2.ドンナ・アンナ、 カルメラ・レミージョ
3.騎士長、 妻屋秀和
4.ドン・オッターヴィオ、 パオロ・ファナーレ
5.ドンナ・エルヴィーラ、 アガ・ミコライ
6.マゼット、 町秀和
7.ツェルリーナ、 鷲尾麻衣

ラルフ・ヴァイケルト 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団


世界最高峰の歌声アンサンブルが聴けたような気がしました。こうなると他国のほうがもしかすると井の中の蛙かもしれない、毎晩連発出来ればの話ではあるのですが。

と、それとともに、
演出に深みがあり、自分としてはこのオペラの理解がようやく済んだ気になりました。大変に良く理解できました。
まぁ、ヴェネツィアで舟漕ぎながら、スペインでは1003人とか言われても違和感はあるのですが、昨今の読み替えの妙は時として過剰演出の弱みとなってところどころ現われてきます。ワーグナーも同じです。
歌詞を変えればいいのにと思ったりすることがあるのですが、演出はわりと自由で、言葉はなかなか変えづらいということでしょうか。

世界最高峰の歌声アンサンブルは、この品のある演出のおかげでもあります。歌い手たちがきっちりとキャラクターにはまっていて気持ちが良い。
アンナのカルメラ・レミージョさんの声が自分としては好み。(なのは、いいがどんな感じの声、歌だったの?と問われれば、かなり経ってから書いているこの感想、忘れてしまっていることのほうが多い。)
騎士長の妻屋さんが一番上背がある感じで、キャラクターのポイントをうまく押さえたベストキャストでしたね。

ワイケルト&東フィルは響きが重くならず引き締まったサウンドで好感。

レポレロのヴィンコ氏はソロカーテンコールのとき、はさみ跳びで出てきました。千秋楽までの緊張感がようやく解けたのかもしれません。
おわり


1700- チャイコフスキー、弦セレ、ショスタコーヴィッチ4番、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2

2014-10-25 18:18:42 | コンサート・オペラ

1700- アゲイン!、チャイコフスキー、弦セレ、ショスタコーヴィッチ4番、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2014.10.25

2014年10月25日(土)2:00pm サントリー
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チャイコフスキー 弦楽セレナーデ 10′4′10′6′
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第4番 26′9′30′
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アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団


前日と同じような感想になるのであまり書かないが、第3楽章の終結部8分ぐらい、ベースがずーっと引き伸ばしている。精神的圧力が凄い。このような演奏を聴いてしまうと次の第5番は政治的迎合的な思惑の入り混じった曲というよりも、ただ単に、この前の曲はちょっと精神的にもヘヴィーだった。だから次の曲はちょっとシンプルに書いてみるか、そんな感じさえさせる。とにかくラザレルの棒だといろいろと気づきをさせてくれます。

前半のチャイコフスキーは前日に増して滑らかさが勝ち、力強い強靭な響きの中にも柔軟な美しさがよく醸し出されているもので味わいもより深かった。

二日続けて充実の演奏を聴かせていただきました。
ありがとうございます。
おわり



1699- チャイコフスキー、弦セレ、ショスタコーヴィッチ4番、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2

2014-10-25 18:15:49 | コンサート・オペラ

1699- チャイコフスキー、弦セレ、ショスタコーヴィッチ4番、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2014.10.24

2014年10月24日(金)7:00pm サントリー

チャイコフスキー 弦楽セレナーデ 10′4′10′6′

ショスタコーヴィッチ 交響曲第4番 26′9′31′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

最後の空白のようなものを指揮する指揮者、初めて見ました。音が無くなっているのに振り続けている。両手の人差し指を動かしながら何かモノローグ風。相手であるべきオーケストラは固まってしまっていてラザレフの人差し指がモノローグしている。そして振り止んでその人差し指のついた両掌を頭に持っていき抱え込んだまま静止。どのくらい続いたのか、深刻の極みの曲は病んでいたようにも見えた。シリアスな演奏行為でした。
ラザレフは前半部分のほう高カロリーで草木もなぎ倒すような限界サウンドに高じているように見受けられましたが、その前半もよくよく聴くと非常に繊細極まる個所が続出。後半の最後に向かい音量レベルはトーンダウンしつつ、反転するようにナイーブで繊細な音楽が大きく表出。位相の入替のような錯覚に陥りました。12番13番あたりに位置していても違和感のないようなシンフォニーに思えてきました。特にエンディングは拍子こそ違え15番モード。神秘的な世界に入りつつあるような雰囲気。ラザレルの美的感覚の振幅の大きさ!
思うにこの4番、作曲者は言いたいことがたくさんあるけれども暗中模索、それに表現したいことの道具がまだうまく揃っていないもどかしさを本人が一番認識していながら作っている。それの究極の解は15番にあると最初から分かっていたわけではないけれど自分の作る曲の行きつく先はよく見えていたような気がする。極めて充実した演奏で、曲が大きくそびえ立つ、屹立という言葉こそふさわしい。
オーケストラも他の指揮者を圧する豹変ぶりで能力を引き出す指揮者のちから、再認識しました。
いい演奏で曲の真価を再認識。

規模の大きい曲だけに、都響のプリンシパルのホルンをはじめ混成ブラスで対応、収録マイク可視で18本、ライブ収録を商用にするんでしょうね。この日の響きがうまく収録されていることを願います。

前半のセレナーデ。この日はこの曲から始まったわけですが、16型60人の弦の芯の強さと透明感、それに横に広がったワイドな響きにいきなり圧倒されました。想定外と言っては失礼ですがこの美演、やればできるじゃないか、と。指揮者により惰演から美演まで能力の引き出しがなかなか開かなかったり、蝋を塗ってもいないのに滑るように開いたりと、忙しいオーケストラ。例えばN響は1プルトから最後尾まで同じ意識で演奏しているように見えます。この日の日フィルはそのように見えました。いつもと張りが全く違っている。N響との違いはその持続性の有無にあるわけで、スキルとプロ意識、両方のテンションをいつも最高度に保ち、プレイしていくのはプロオケでもいろいろまだら模様と考えさせられるわけです。

前半後半、曲の極限美と独白美、堪能できました。ありがとうございます。
おわり



1698- ショパンpf協1、スクリャービン1番、ミハイル・プレトニョフ、東フィル2014.10.21

2014-10-22 01:42:37 | コンサート・オペラ

1698- ショパンpf協1、スクリャービン1番、プレトニョフ、東フィル2014.10.21

2014年10月21日(火)7:00pm サントリー
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ショパン(プレトニョフ編) ピアノ協奏曲第1番20′9′10′
 ピアノ、チョ・ソンジン
(encore)
ショパン ノクターン嬰ハ短調「遺作」 4′

スクリャービン 交響曲第1番  7′11′12′3′8′13′
 メッゾ、小山由美
 テノール、福井敬
 新国立劇場合唱団

ミハイル・プレトニョフ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団


格別だ。
しっとりとしたウエット感が勝るスクリャービンの初期シンフォニー。それに譜面不要のプレトニョフが繊細さを加えて、フォルテ終止ピアニシモ開始、といった作曲家の語法が美しく響く。味わいの深い演奏でした。
長い曲ですがもっと聴いていたい。終楽章はほぼマーラーに傾斜していますが、それも含め作曲家の脳内思考がよくわかる作品で、まぁ、自分とは合っている。スクリャービンのシンフォニーを聴くときは真ん中の3番を起点にしていろいろ辿るのが習慣。こうやって遡って初期のものを聴ける楽しみは何物にも替え難いものです。
プレトニョフは共感の棒ですね。前半は弾き振りで同じ作曲家のピアノ協奏曲でもやってくれれば言うことなしといったところ。

前半のショパンは教室の中で弾いているような雰囲気。何が足りないのか自分で分かっていないのかもしれない。
おわり



1697- RVWノーフォーク1番、ブリテンpf協、オズボーン、ウォルトン2番、ブラビンズ2014.10.20

2014-10-21 02:16:38 | コンサート・オペラ

1697- RVWノーフォーク1番、ブリテンpf協、オズボーン、ウォルトン2番、ブラビンズ、都響2014.10.20

2014年10月20日(月)7:00pm サントリー

ヴォーン・ウィリアムズ ノーフォーク狂詩曲第1番 11′

ブリテン ピアノ協奏曲op.13(1945年改訂) 12′5′7′+8′
 ピアノ、スティーヴン・オズボーン
(encore)
ドビュッシー 前奏曲集第2巻、第10番「カノープ」 3′

ウォルトン 交響曲第2番 8′8′9′

マーティン・ブラビンズ 指揮 東京都交響楽団

ブラビンズは初めて観聴きします。名古屋フィルの常任をしているということですから馴染みの方もいると思います。
発掘系ではないと思いますが、イギリスの作品を潰していくとその先には普段あまり聴かない佳作もいろいろと顔を出してくるのだと思います。そうゆうあたり普段からしっかりこなしていないとなかなかいい演奏にはならないのだと思います。
ブラビンズは沢山イギリスの音楽を振っているように見受けられました。

ウォルトンの2番は知ってはいても実演はレア。自分でも初めて聴くのかそうでないのか覚えていません。プログラムの解説を無視して自分流に解釈すると、第1楽章が欠落したソナタ形式ですね。いきなりスケルツォ―トリオの世界から始まって、次の楽章は緩徐楽章、そしてフィナーレをソナタで締める。そう思えば理解は早い。なぜそのような構造様式なのかは不勉強なのでわかりませんけど、とりあえず一夜を楽しむにはこれでも可か。
響きがやにっこくてあまりなじめないところもありますが、聴くコツとしては、イギリス・ブラス演奏の雰囲気で向き合うと割と楽。形式は書いたとおりシンプルですので、あとは音の世界を楽しめばいい。
都響のサウンドは硬く美しく、磨かれた技術がこれ見よがしに前面に出ることなくルーチンレベルのハイクオリティを感じさせてくれて満足のいくものです。この日の演奏は奥行きよりも横幅の広さを感じさせてくれるもの。でもけっして浅くはならない。横の広がったサウンドでアンサンブルが整った演奏というのはスキルがハイでないと出来ないと思います。各人離れていますから合わせがより難しいと思います。隙間なく横広に響くサウンドは快感ですね。

前半2曲は作品的にかなり厳しい。とくにブリテンは派手にたたく曲だが空虚で中身の味わいがあまりないもの。駄作の部類でしょうか。若作りの曲なので偉大に成長する前のワン・ステップかと思います。
ピアニストは時折、弾き語り風になるところがあり、このセンスだと別の曲のほうが合っているように思います。
おわり



1696- キラル、クシェサニ、ドヴォVnコン、庄司、ルトスワフスキ、オケコン、クシシュトフ・ウルバ

2014-10-19 18:07:38 | コンサート・オペラ

1696- キラル、クシェサニ、ドヴォVnコン、庄司、ルトスワフスキ、オケコン、クシシュトフ・ウルバンスキ、東響2014.10.19

2014年10月19日(日)2:00pm ミューザ川崎

キラル クシェサニ  16′

ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲 Ⅰ+Ⅱ23′、Ⅲ10′
 ヴァイオリン、庄司紗矢香
(encore)
パガニーニ 「うつろな心」による序奏と変奏曲より 1′

ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲 7′6′16′

クシシュトフ・ウルバンスキ 指揮 東京交響楽団



キラルのクシェサニ、作曲家の名前さえ初めて聴く珍しいもの。リズムの継続と調性の保持が印象的。最後はブラスがスタンディングで演奏。
耳に馴染みやすく聴きやすい曲で、現代音楽に拒否反応を持つ人たちはこちらの曲は好感を持って聴けると思う。

庄司のヴァイオリンはこのホールを鳴らすもので、スキニーな割に結構な音の太さで迫ってくる。音価の長さが正確で、かつ必要以上の感情移入や余計な情感がない。自然に彫の深さが歪なく出てきます。コンチェルトが次第に巨大に聴こえてくる。現代的な感覚の成功例なのかもしれませんね。

昨年のハルサイの振り姿が強烈なインパクトとして残っていますけれど棒の位置が常に胸元かそれより上にあり、演奏するほうは見やすいと思います。正確な棒ですね。

ルトスワフスキは最初の曲のクシェサニと響きが似ているような気がしました。自国ものだからかもしれません。第3楽章が長い。聴きごたえのある曲。
ドヴォルザーク以外は譜面不要のウルバンスキ、シュガーフリーみたいなところもありますが、ガサガサしたところはなく殺伐ともしていない。オリーヴオイルは混ざっていそう。
おわり


1695- タッソ、ダブルコンチェルト、ツァラトゥストラ、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2014.10.18

2014-10-19 02:16:04 | コンサート・オペラ

1695- タッソ、ダブルコンチェルト、ツァラトゥストラ、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2014.10.18

2014年10月18日(土)6:00pm 横浜みなとみらいホール

リスト 交響詩「タッソ、悲劇と勝利」19′

ブラームス ダブル・コンチェルト 17′7′10′
  チェロ、山崎信子  ヴァイオリン、佐藤俊介

シュトラウス ツァラトゥストラはかく語りき 30′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮

日本フィルハーモニー交響楽団

ラザレフのリストは何曲か聴いています。今回も同様に幅広と言いますか、横に思いっきり広がるサウンドで新鮮な響き。馴染みのない曲ながら飽きさせない演奏で、曲への理解も出ました。リストの交響詩といえばノセダがCDをたくさん出しているのであらためて聴いてみようかなとふと感じさせてくれました。
ブラームスは伴奏オケの響きが明るく明瞭、クリアでよく鳴ります。負けじとチェロの音もでかい。ウェットでこなれたいい鳴りで満喫できたのですが、ヴァイオリンの方はちょっとどうかな。音は大きくなく負けている。その割には弾いていない時はオーケストラのほうばかりじっと睨めている。演奏に集中しているとはとても思えない。これ、どういう方なのかわかりませんが、オーケストラのメンバーもやりにくそう。一人だけ浮いている感じ。
自分としては、ダブルではなくチェロコンチェルトモードで聴くことに切り替えて対応。

後半のツァラトゥストラは30分の快速モード。ラザレフの棒がやたらと速い。
テンポ落して演奏すれば丁寧に聴こえて思い入れを理解してもらえそうだ、などと言う妙な思い込みはラザレフの場合、一切無い。だから真逆をやってみようかという悪巧みもない。作品に対してストレートに向き合っているとしか言いようがない。
後半にかけて間延びの全くない演奏で、むしろ緊張感が増してくる、この音楽の構成感。傾斜を最後に向けて上のほうにスライドさせていくあたり、他の指揮者達とひと味違いますね。
オルガンサウンドよりデカいラザレフの靴音、床板にメリメリビシバシと、step to the podium、元気この上ない。音楽の靴音ですね。
おわり


1694- サロメ、ムラーダ、ポポフ、ゲルギエフ、マリインスキー、2014.10.17

2014-10-18 13:01:21 | インポート

2014-2015シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2014-2015シーズン
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2014年10月17日(金)7:00pm NHKホール
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シュトラウス  サロメ (コンサートスタイル) 92′
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(in order of voice’s appearance)
ナラボート、水口聡、テノール
ヨカナーン、ミヒャエル・クプファー、バリトン
サロメ、ムラーダ・フドレイ、ソプラノ
ヘロデ、アンドレイ・ポポフ、テノール
ヘロディアス、ラリサ・ゴゴレフスカヤ、ソプラノ

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ワレリー・ゲルギエフ 指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
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ゲルギエフによるサロメの一気振り。ゲルギエフのサロメは1996年に日フィルとの公演を聴いたことがあるので2回目。
これ以上長くは出来ないようなシンプルストーリーで、配役も合唱がないかわりに脇役がたくさん出ますが、ロールは多くは無い。
ですので、舞台もいいのですが、こうやってコンサートスタイルだと配役たちの位置関係がよくわかって、これはこれでいいと思いました。オペラの構図とロールの立ち位置が非常に明確ですね。最初から余計なことを考えずに済む。
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ヘロデとサロメの絶叫に収れんされていく歌のドラマ。ゲルギエフは最初、まるで何もないところから出発して最後は頂点に達する。この音楽劇のストーリー展開のツボをよく心得た壮絶な演奏となりました。
舞台と錯覚してしまいそうなポポフのど迫力な動きと歌、サロメに踊ってくれということとあとはその願いは無理だ、その2点張りの歌だけなのですが、動きもまじえたドラマチックな歌、劇場型の圧倒的なものとなりました。ヘロディアスもつられたようにするサポートがこれまたよかった。
そしてラスト20分のムラーダによるこれまた白熱のサロメ。見た目はあまり動きのないサロメでどちらかというと、おし殺した感情がこわい。舞台でもこんな感じで歌うのだろうか。このような雰囲気がかえって狂気的な様相を余計に感じさせてくれる。動きがない分、正確な歌唱で、ドラマチックな歌が徐々に熱を帯びてくる。イタオペ的な一発勝負風なオペラではありますが、ドラマチックなラインに乗り切ったいい歌だったと思います。ゲルギエフの伴奏もそのようなラインをわきまえたものであったと思います。最後過激な演奏にはなりましたが。
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ゲルギエフの一発ライブ重視型演奏を聴いていると、練習か本番か時としてわからなくなる。本番しながら練習の延長のような雰囲気もたまに感じられなくもない。前々日のストラヴィンスキー3大バレエでも同じようなことを感じました。このオーケストラと指揮者はスタンディグの仕草一つ見ても分かるように完全に一体化しているので、このようなことが可能なんでしょうね。
おわり


1693- 火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典、ヴァレリー・ゲルギエフ、マリインスキー2014.10.15

2014-10-16 02:12:03 | インポート

2014年10月15日(水)7:00pm サントリー
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オール・ストラヴィンスキー・プログラム
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火の鳥 1910年全曲版 48′
Int 20′
ペトルーシュカ 1911年原典版 35′
春の祭典 14′+18′
(encore)
リャードフ バーバ・ヤガ 3′
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ストラヴィンスキーのバレエ音楽、3曲全部全曲やるというとんでもないプログラム。正味だけで2時間、休憩やらなんやで、ほぼ3時間コンサートというのがやる前からわかっている。ゲルギエフ、マリインスキーの底なしの底力をまた見れるのか、聴くほうもそれなりの覚悟がいる。
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ゲルギエフはライブ演奏で聴衆と結びついていくタイプの指揮者で、長い演目を自在に操りながら、だんだんとヒートしていき、最後は演奏家と聴衆が音楽芸術の共有化をはかることになる。最終的に気持ちの共有化が図れればいいので全部完璧とか、そういったことにはあまり興味が無いと思う。最初から微にいり細にいり入念にやることは大事かもしれないがそれによって双方に何が得られるのか、といったあたりに観点がありそう。ライブの一点でのつながりを双方感じることが一つのテーマになっていると思います。この強烈3連発も、まず全部全曲をやるというメインテーマが、なにがしかの意思の反映としてあるはず。そのやる気魂で作品、演奏家、聴衆の三者一体を感じ取れる、ゲルギエフにとっては、意図を成し遂げる意思、それらを聴くほうも、だからそれなりの覚悟がいるわけです。
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火の鳥全曲版はこの4月に初めて生聴きしました。
ヤマカズ、日フィル2014.4.25、2014.4.26
前半部分を中心になにがなんだかさっぱりわからず面白みもなかった印象ですが、一度経験してしまえば今日の日のようなコンサートがあっても割と余裕で挑めそうな気になります。
そうゆうこともあり、火の鳥は50分という長い曲ですが楽しめました。ゲルギエフの駆り立てる棒はまだ穏やかなものですが、オーケストラの引き締まり具合はいい。今回の来日公演は初日からあまり芳しくない噂が流れてきましたが、だんだんと調子を上げてきたのでしょう。張りがあり例によってぶ厚いベースの響き、強靭そのもの。ロシアのオーケストラ特有の響きですね。
踊りが加われば前半部分の弱音重視の流れのあたりももっと楽しめたかもしれませんが、繊細さと後半へのアクセル、そして変幻自在の音色、圧力と音色変化、楽しむことが出来ました。クライマックスは強烈なサウンドでした。
礼の爪楊枝は前回来日のときより少し長め、串焼き棒ぐらいまで伸びてました。ケースのようなものに入れるところも確認。
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この火の鳥で休憩。プログラムではペトルーシュカのあと休憩となっていて、変更する旨ロビーに出ていました。そのヘビーさからかマイナーチェンジとなった可能性がありますね。
前半の火の鳥は総じてゆっくり目のテンポだったと思いますが、後半はスピードアップ。
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後半2曲は踊りが無くても十分楽しめます。ペトルーシュカは好みの曲、マリインスキーのサウンドは線が太め、細いアンサンブルが絡み合う妙とは少し違います。骨太に進行する。ソロ・インストゥルメントはさすがにきっちり決めてきます。
雰囲気的には前半の火の鳥のフィナーレをひきずっているようなところもありますね。極端な透明度があれば最高だったと思います。それでも踊りが目に浮かぶような多彩な表現にはビックリ、そして感心。
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ペトルーシュカが終わり、指揮者が2,3回出入りして挨拶する間に位置替え、それがなんとなくまだ終わらないうちにバタバタと春の祭典が始まりました。何をそんなに急いでどこに行くという感じですが、そもそも長い演奏会ですのでいたしかたが無いところはあるとはいえ、そのバタバタそのままのような猛速ハルサイとなりました。トータルのタイミングだけ見てるとそうでもなく感じるのですが、テンポの緩いところはかなり落としています。アップテンポのところは、同じロシアのロジェストヴェンスキーに比べたら倍速ぐらいになっていた個所もあったかと思います。1拍子振りも散見されましたし。
ということで初めは少し騒々しいところもありましたが。少しずつ整ってきて落ち着きました。
最後は底力的爆発力で昇天。
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今回の来日公演は国内10回公演ですが、プログラムの演目が13曲ありました。全く同じプログラムという日は無く、毎回変わっていく。これはすごい。ゲルギエフのライブにかける意気込みはいつもこんな感じ。めくるめくプログラムに聴衆サイドもものすごい緊張を強いられるわけです。一緒になってのめり込んでいくしかないわけです。
大変なものを経験させてもらいました。
ありがとうございました。
おわり
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付記:この長さに加えアンコールがありましたから本当にすごい夜となりました。


1692- パルジファル、千秋楽、ハリー・クプファー、飯守泰次郎、東フィル、新国立2014.10.14

2014-10-15 01:38:11 | コンサート・オペラ

2014年10月14日(火)4:06-9:50pm オペラパレス、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ニュー・プロダクション

ワーグナー作曲
ハリー・クプファー、プロダクション

パルジファル  107′ 69′ 77′

キャスト(in order of appearance)
前奏曲での登場
1.僧侶3人
2.アムフォルタス、エギルス・シリンス
2.グルネマンツ、ジョン・トムリンソン
3.クリングゾル、ロバート・ボーク
3.クンドリ、エヴェリン・ヘルリツィウス
4.聖杯騎士2人+4人
5.アムフォルタスに水をやる子供

第1幕以降
1.グルネマンツ
2.クンドリ
3.僧侶3人
4.アムフォルタス
5.パルジファル、クリスティアン・フランツ
6.ティトレル、長谷川あきら


新国立劇場合唱団
二期会合唱団
飯守泰次郎 コンダクティング、
東京フィルハーモニー交響楽団

(タイミング)
前奏曲 13′
ACTⅠ
53′(パルジファル登場37′付近)
場面転換
41′

int 45′

ACTⅡ69′

int 35′

ACTⅢ
53′(聖金曜日38′付近)
場面転換
24′


この日はパルジファル5公演の最終日でした。
初日の感想
二日目の感想
三日目の感想
四日目の感想


初日のときの感想のあたまで、印象に残ったことを三つほど書いたうちの最初の二つについて不安定感として具体的なことを記すと、一つ目のグルネマンツによるアムフォルタスの放り投げは、立場や地位的な要素からいってありえない態度ではないかという話、二つ目の話は、第1,2幕でクリングゾルが伏せていた同じ位置に、第3幕ではパルジファルが伏せているところから始まっていて、なんだクリングゾルまだ生きていたじゃないかと思わせるようなところ、観ているほうとしては両方とも気持ちに引っかかりができて最後までひきずられてしまう。それで最後は光の道をパルジファル、グルネマンツ、クンドリ、そして聖騎士たちが、ぶらぶらと奥の僧侶のほうに歩いていくところで終わる、空中分解ではないが、クプファーは拡散状態にして終わらせる。彼が述べているところの、解は皆さんで探して、みたいな話に納得。最後まで宙ぶらりんのアクション演出、この一つ二つの要素としてあのような不安定感を演出しているのではないかと思ったわけです。
三つ目の印象としてあるグルネマンツによるアムフォルタス抱き抱えのシーンについては書いたとおりですので繰り返しませんが、12分ぐらいの前奏曲でタイトルロール以外全部出してくるあたり一種名状し難いクプファーの試みだと思いました。(ティトレルもでませんが)
思えば初めてパルジファルを観たメトのナザニエル・メリル演出では、レヴァインが猛遅速の約17分の前奏曲の間、ハウスは真っ暗闇でした。やっと幕が開いたかと思ったら森の色調を意識したモスグリーンの紗幕があり、舞台はやっぱり暗かった。舞台転換では通常の歩みで下手に移動するあたりこのハウスの巨大さに驚きました。
第2幕ではやや左奥に洞穴のようなものがありクリングゾルが槍を投げるとパルジファルはどのように受け取ったのか、聴衆のため息だけが耳に残ります。ただ、槍を投げるというのは、佐々木小次郎を思い出しましたね。手から放したあの瞬間に自ら負けを引き寄せた。
第3幕では上手奥からひどく重そうな鎧兜を纏ったパルジファルが手前の丘に登ってくる。今回のクプファー演出では坊さんの布きれで顔を隠しているだけですので、歌詞とのアンマッチがある。ここらあたりは昨今の過剰演出にありがちな違和感です。今となってみれば1980年代の演出も場所によっては古色蒼然たるものであったかもしれませんがこのような部分での違和感はないものです。
聖金曜日ではレヴァインがピットの中で両腕を振り上げての大震えとなる。実はあの棒だとスローなテンポの演奏が可能なんですね。バヤバヤと宙を漂っていて滞空時間が長い。いずれにしても長い演奏ではありました。
あと、この演出では舞台の上下移動は無かったと思います。このハウスの上下移動はゼッフィレルリ演出のトスカが見ものでしたが、ワーグナーものではエヴァーディンクの演出によるトリスタン、最後の愛の死のところでイゾルデが絶唱しているその位置周辺全部が上に持ち上げられていく。足元は暗くて鮮明ではないので不思議な浮遊感を観た記憶があります。
当時のメトではパルジファルの上演をシーズン初めの秋口と、〆の春先に集中的におこなっていた時代でした。字幕の無い時代ですからオペラを理解しながら観るのは大変。英語本の予習も時間がかかる。それで、東京書店や紀伊國屋で日本のオペラ解説書を取り寄せてストーリーを読んでいました。当時の日本の本の当地の相場は、レコ芸が1000円だとすると10ドル、3000円の本だと30ドル。今は1ドル100円時代ですから違和感ありませんけど、プラザ合意の頃の話ですから、1ドル200-250円時代。1000円のレコ芸は2000円から2500円相場。ぼろもうけだったのかどうかしりませんけど、給料がドルベースの生活だと円は関係ない中、唯一、円相場への直結を感じ取れるのが日本語本の購入だったわけです。


ところでパルジファルを理解するうえで割と読んでいる本はこれです。

ワーグナー パルジファル (名作オペラブックス)
音楽之友社

414ページ中、対訳リブレットは約100ページ、メインは解説ですからいろいろなことがよくわかります。特に前史や周辺事情の理解にはいいですね。オペラパルジファルはほんのエキス部分なのだというあたりのことがよくわかります。特にワーグナーのドキュメンテーション部分は必読ですね。


今回のパルジファルも上演回数と同じだけ観てしまいましたが、本当に人間技とは思えない作品。なにからなにまでワーグナーの創意によるものでとても人間が作ったものとは思えない。唯一存在した天才越えの宇宙人の作品のような気さえします。私はワグネリアンでもなんでもないのですが、単に偉大さにひれ伏すしかない、と思います。このような偉大な作品は知らない。
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それから演出の持つ力の大きさも感じました。2年前の二期会、クラウス・グート演出、そして今回のクプファー演出、対極のような演出でありながら双方とても面白いし、やっぱり演出は必要と。
これまでだとパルジファルを聴くに当たり舞台は自分のイメージを広げるための補助的な視覚で十分と思っていたのですが、やっぱり違う。舞台はあるに越したことはない。舞台をじーっと見ていると頭の中をいろいろなことが駆け巡る。思考が深まる気がする。あまり気張らなくても気持ちを自然に集中させていくと事が出来る。演出者の意図を読みながら観るのもとても楽しい。物事を斜めから見るのはあまりよくないというのも理解できます。うがちすぎはよくありません。まずはストレートに感じればいいと思いました。

今回の新国立のパルジファル上演、本当に良かったと思います。ありがとうございました。是非、リバイバル公演を。
おわり


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1691- レニングラード、クシシュトフ・ウルバンスキ、東響2014.10.12

2014-10-12 19:30:35 | インポート

2014-2015シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2014-2015シーズン
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2014年10月12日(日)2:00pm ミューザ川崎
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第7番 レニングラード
 30′11′+16′+15′
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クシシュトフ・ウルバンスキ 指揮 東京交響楽団
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昨年のハルサイの印象が強く、曲も曲だけに聴くほうも意欲をもって。
ウルバンスキは曲が身についてしまっている。昨年のハルサイのようにびくつくような箇所は少なかったものの、棒の先が終始、胸より上にあり、かつ、拍が正確で、プレイヤーにはわかりやすいと思われるあたりは同じ。譜面台が無いのはハルサイのときと同じ。
純器楽的でストレートな表現。ディテールに特にこだわることもなく、普通の中規模管弦楽曲のような雰囲気で進んでいく。オーケストラもよくコントロールされていて統率がとれている。16型でヴァイオリン第1,2合わせて30人中、男どもがたったの3人という、弦だけとればほぼ女性オーケストラ、だからどうだというわけではありませんが、弾きは強くない。ウルバンスキはそれに不満があるようには見えないし、東響のイエローなサウンドは昔から変わらず練習の伝統みたいなものを感じるところはありますが、サラッと感はあるね。ゴシゴシ感はない。個人的には弦はもっと深く弾いてほしい気がします。
それ故なのかどうか、ブラスとの強弱バランスがあまりよくない。気張って吹いているわけでもないブラスセクションに弦が負けすぎ。これは聴衆の座る位置により印象がだいぶ異なるのは承知、またロシアのオーケストラのぶ厚い弦の響きを求めるわけではないが、ちょっと音の強さが少ない。このシンフォニーは一見派手に見えるが、ブラスが鳴りを潜める静かな部分が多い。弦の見せ所が多い曲と思います。
曲の持ち味だけでうなったところはあります、聴衆サイドとしては。
おわり


1690- パルジファル、四日目、ハリー・クプファー、飯守泰次郎、東フィル、新国立2014.10.11

2014-10-12 10:50:22 | コンサート・オペラ

2014年10月11日(土)2:05-7:55pm オペラパレス、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ニュー・プロダクション

ワーグナー作曲
ハリー・クプファー、プロダクション

パルジファル  110′ 70′ 78′

キャスト(in order of appearance)
前奏曲での登場
1.僧侶3人
2.アムフォルタス、エギルス・シリンス
2.グルネマンツ、ジョン・トムリンソン
3.クリングゾル、ロバート・ボーク
3.クンドリ、エヴェリン・ヘルリツィウス
4.聖杯騎士2人+4人
5.アムフォルタスに水をやる子供

第1幕以降
1.グルネマンツ
2.クンドリ
3.僧侶3人
4.アムフォルタス
5.パルジファル、クリスティアン・フランツ
6.ティトレル、長谷川あきら


新国立劇場合唱団
二期会合唱団
飯守泰次郎 コンダクティング、
東京フィルハーモニー交響楽団

(タイミング)
前奏曲 13′
ACTⅠ
54′(パルジファル登場37′付近)
場面転換
43′

int 45′

ACTⅡ70′

int 35′

ACTⅢ
53′(聖金曜日39′付近)
場面転換
25′

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この日はクプファーのパルジファル、ニュープロダクションの四日目です。
初日 二日目 三日目

救済者に救済を!と言うのは、崇拝対象であって武器ではない救世主(登場しない)の聖槍を悪欲で汚され奪われ、その武器ではない槍で傷を負ったアムフォルタスは救世主(の持ち物)の純潔性を奪ったということになるが、アムフォルタス自身が傷を負ったのでありもはや修復不可能、だから救世主による救済作業が出来るよう恥辱の不純から、だれか、救世主を解放させてくれとアムフォルタスと聖騎士たちは叫んだ、という理解でいいのでしょうか。
アムフォルタス役のシリンスはこれまで何度か観聴きしていますが、今回のパルジファル上演における深くて滑らかなバスの響きにあらためて魅了されました。本当に良かったと思います。アムフォルタスは第1幕と3幕場面転換後のみの出番ですが、真っ赤な巨大メッサー上で苦しむその姿は印象的です。白熱の演技と歌、好演でした。来年の東京春音楽祭のワルキューレではヴォータン役を歌うとのこと。このお祭りは演奏会形式なのが惜しまれるところです。大柄だけれども肥えていないシリンス、舞台で観たいものですね。ヴォータンということですから今回のパルジファル上演でのグルネマンツ役トムリンソンからのつながりを感じさせながらの公演となりました。

聖騎士の仲間になりたかったクリングゾルは自らを去勢して官能愛を断ち切ろうとしたが、それは内面からの本当のピュアな行為ではないとして、救世主やティトレルに仲間参加を断られた、だからその腹いせか復讐のために聖騎士たちを官能エリアに引き込みズブズブにさせようとした、という前提でいいでしょうか。
その自らを去勢したはずのクリングゾルは第2幕のあたまのクンドリとの掛け合いの前のところ、巨大メッサー上で聖槍を自分の股間にはさみ、先のほうをブルブル震わせる。反省の念なのか、本能の煩悩なのか、よくわからないが妙にリアリスティック。
そこにクリングゾルに邪悪化されようとしているクンドリがあらわれ掛け合いが始まる。クリングゾルはクンドリに、まさか童貞なの?と一蹴されるあたり、観劇していなければわからない面白みでした。クプファーの秀逸演出ですね。
クリングゾル役のボークは、よくきまっていて、他の歌い手たちに食われることもなく、ダーティーな雰囲気もほどほどにして、弾力性のある動きと歌で魅了させてくれました。現代風な悪役ですね。低音配役のこのオペラにおいてシリンスとともに安定感あり、安心して聴いていられました。これもよかったと思います。

同じくこの2幕では、最初のクリングゾルとクンドリの掛け合いの後、パルジファルとクンドリの果てしもない掛け合いとなります。歌詞をよく見てないと物事がわからなくなりますので、字幕スーパーを食い入るように見ながらでしたが、字幕の威力というのはこれまた果てしもない。クンドリ役のヘルリツィウスは初日こそ、そこそこの沸きでしたが、回を重ねるごとに熱烈なコールが多くなりました。体当たりの演技はもちろんのこと、やはりなんといっても強烈でドラマティックな歌が役どころにきっちりとはまっている。クンドリというのは、タンホイザーのヴィーナスとエリザベートの両方の性質を有しているとものの本に書いてありましたが、たしかにそうですね。極端なわざとらしい変化は見せないヘルリツィウスではあります、ここはクプファーの演出に全面的に負いながら、歌とその時々の演技に集中。見事な歌唱でした。彼女のピッチの正確性は際立っていると思いました。
第1幕ではあまりぱっとしないパルジファルですけれど、クンドリとのこの掛け合いから俄然光り輝いてきます。フランツはこれまで何度も観聴きしているので聴き慣れているせいか、その光り輝くヘルデンテノールとこれまたピッチの良さ、さらには歌いまわしの自然さ、どれをとっても並みの歌手の3枚ぐらい上をいく、と言ったあたりのことがごく普通な出来事のようでさえある。今回も好演。

一番大変なグルネマンツ、トムリンソンのノンヴィブラートのひきずり唱法は終始ピッチが低めで安定せず、他の4人に比べると特にピッチ上の問題が大きい。深みのあるバスできまればふところの深い味わいのあるものではありまして、現にそういうところも多々ありましたが、なにしろ引き伸ばし部分でのフラットな音程はどうかと思います。ここまで毎度毎度なので、もはや、無くて七癖であると判断できるような気がします。彼の過去の活躍はそれなりに知ってはいるつもりですが。

ティトレルはソロとしては唯一日本人の長谷川。短い歌ながら、ピッチにまるで狂いが無い。役どころは死の間際な不安定なもの、メッサー位置より高いところで巨大椅子に座りながら歌います。過去の冷徹さがにじみ出てくるような響きでまるで警告音のようなワーグナーの音符です。シーンにきっちりはまっておりました。


今回のクプファー演出ではアムフォルタスは本人希望通り死に絶える。クンドリは生きる。
アムフォルタスの最後のシーンは、巨大メッサーから落ちたところをグルネマンツに抱きかかえられる。死に至る直前のところですね。何回か書いていますけど、この構図は一番最初の幕開きで現われる構図と一緒です。つまり冒頭でアムフォルタスの死は予感されているという話です。拡散せずにうまく帰結をむかえるあたり、見事な演出というほかない。
2012年のクラウス・グートのプロダクションではパルジファルは外様風になっていたように思いますが、クプファーの演出では完全な後継者。ただ、クプファーの解説にあるように、解はない。先のことは聴き手に任された。最後は光る道奥に配された3人の僧侶のほうに、パルジファル、グルネマンツ、ややおくれてクンドリ、そして聖杯騎士たちがパラパラと歩き、まさに漂いながら、終わる。最後まで考えさせてくれるクプファーの演出。

それから西洋東洋の融合の印に3人の僧侶が光る道を出たり入ったり、また座ったり歩いたり、ごく少な目な時間での出演。違和感は感じず、なぜか胃に馴染むようお茶のような趣きさえある。舞台に一体化している。曲線の無い角々しい舞台に一種ぬくもりを与えているようにさえ思える。

それから光る道は下から光が照射されるので登場人物に影は出来ない。そこらへんは人間界の出来事ではないなという風味になっている。
おわり


1689- ブルックナー0番、ベートーヴェン7番、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ91歳、読響2014.10.9

2014-10-10 02:26:16 | インポート

2014-2015シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2014-2015シーズン
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2014年10月9日(木)7:00pm サントリー
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ブルックナー 交響曲第0番 15′、13′+7′、11′
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ベートーヴェン 交響曲第7番 15′+8′+9′+11′
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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮
読売日本交響楽団
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ミスターSのブルゼロは同オケとの同じ組み合わせで聴いたことがある。
2008.9.22
あの日も今日もメインディッシュを2個並べたようなヘヴィーなプログラムビルディングではある。
だいたいいつもこの時期の来日、10月3日が誕生日だから日本で誕生日を迎えることが多そうだ。誕生日とか軽く言っているが、なんと1923年生まれ!91歳!
今回はこのプログラムを4回公演、4回目は下呂温泉で演奏!
ミスターSはこの年齢でも指揮台に立ったまま棒を振る。譜面台はあるが譜面は無い。台は不測の事態の支えみたいなものだろう。足は少し悪そうだが痩せているのでそこそこ軽快に、step to the podium!
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前回のときとはプログラムの順番が異なり、ブルックナーは前半に置いた。いずれにしてもこのギコギコした曲、よっぽど好きなんだろうなぁと思いますね。でないとあれだけ共感の棒にはならないでしょう。
前回聴いたときはまるでわからない曲だったが、今回は多少なりとも光がみえた。
第1楽章のかすかな3主題構成、だいたい最初の2分で三つとも出尽くす感がある。たぶんそんな気がする。ですので展開部が長めになると思います。ただ再現部とあるかないかよくわからないコーダとの境目がこれまたわからない。でもなんとなく全体輪郭はつかめたような気がしました。
第2,3楽章は前回同様連続演奏です。いつもこうやって振っているのでしょう。
それから第4楽章のあたまは序奏のような気がしました。
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ということで、彼がブルックナーを演奏するとジャングルジムになる。しっかりした構造でありながら骨組みの先の向こうまでよく見通せる。これがなんとも痛快。どうしてこのような演奏が可能なのか、こちらが構造に力点を置きながら聴いているからなのか、そう思わせようとする指揮者のたくらみなのか。
この曲の骨は少し細いが、でもそれを隠そうとしないSの表現は潔いし作曲家の一貫した構造スタイルと成長の根っこのあたりをちらつかせてくれて興味深い。
スキッとした演奏で曲も光りました。
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よく、指揮者がそこにいるだけでまるで違う演奏になるというまことしやかな話はありますが、ミスターSは変わらず的確な棒で快速ベト7(第1楽章提示部リピートあり)を作り上げたのでした。インテンポの迫力は以前と何も変わらず強靭そのもの、オーケストラの集中力が凄くて、弦の束がビシッと隙間なく迫ってくる。ものすごい統率的うなり。あまりに整然としたベト7にベートーヴェンも驚いたのではないか。こんな演奏を望んでいたのだよという声が聞こえてきます。
バレンボイムなんかもやるようにこの日のSも4楽章間髪入れずの連続演奏。緊張感張りつめた、余計なものは一切ない、見事な純器楽の響きを堪能することが出来ました。ありがとうございます。
おわり


1688- パルジファル、三日目、ハリー・クプファー、飯守泰次郎、東フィル、新国立2014.10.8

2014-10-08 22:22:17 | コンサート・オペラ

2014年10月8日(水)2:05-7:50pm オペラパレス、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ニュー・プロダクション

ワーグナー作曲
ハリー・クプファー、プロダクション

パルジファル  109′ 70′ 77′

キャスト(in order of appearance)
前奏曲での登場
1.僧侶3人
2.アムフォルタス、エギルス・シリンス
2.グルネマンツ、ジョン・トムリンソン
3.クリングゾル、ロバート・ボーク
3.クンドリ、エヴェリン・ヘルリツィウス
4.聖杯騎士2人+4人
5.アムフォルタスに水をやる子供

第1幕以降
1.グルネマンツ
2.クンドリ
3.僧侶3人
4.アムフォルタス
5.パルジファル、クリスティアン・フランツ
6.ティトレル、長谷川あきら


新国立劇場合唱団
二期会合唱団
飯守泰次郎 コンダクティング、
東京フィルハーモニー交響楽団

(タイミング)
前奏曲 13′
ACTⅠ
53′(パルジファル登場37′付近)
場面転換
43′

int 45′

ACTⅡ70′

int 35′

ACTⅢ
53′(聖金曜日38′付近)
場面転換
24′


この日はクプファーのパルジファル、ニュープロダクションの三日目です。
初日 二日目

曲線の無い舞台ではある。蛇腹のような光る道、巨大メッサー、ティトゥレルの高い椅子、鋭い直線が散らばる拡散系のクプファー装置。最後のシーンでパルジファル、グルネマンツ、クンドリ、騎士たち、光る道を散らばりながら奥の僧侶のほうに歩いていきエンディング。解は自分で見つけろ、と。
直線はメタリックな感はそんなにないのですが、どちらかというと、システム、のようなことを感じさせてくれる。聖杯はマストなものであり、ワーグナーの契約物語風というよりルール遵守的なストーリーにはうまく乗っているような気がする。第3幕場面転換後パルジファルが、アムフォルタスが投げつけようとした聖杯を槍で抑止、巨大メッサーを槍先で動かす。角々しくも劇的な場面が続きます。こうなってくるともう、直線力学の世界観。僧侶の組み合わせも違和感ない。三角形的にバランスした3人は、呆然とばらばらに近寄るパルジファル、クンドリ、グルネマンツの3人衆と数の上では一致。
直線指向ながら対称形の美学は放棄していると思われるので、座る位置によりキーポイントになるシーンが見えなかったりする。例えば第2幕クリングゾルが槍を放ちパルジファルが受け止めるシーン、左側の席に座ると見えづらいと思います。クンドリの登場はしもて側からでありそれも左サイドに座るとわかりづらいと思います。センター席取れないなら右側の席に座るのがいいですね。出来事が大体わかります。
光る道は縦移動が全体の中でどちらかというと非線形を示していると思いますが、固定した光る道と道の縦移動により歌い手のとるポジションが自然に決まってくる。槍投げのポジションは改善の余地あり。
いずれにしても、曲線の無い舞台。唯一、第1,3幕の場面転換後の紗幕の絵模様だけが曲線です。

オケピットのティンパニとブラスは、かみてに位置しているので、これまた左側に座ると今度はモロにドデカい音の攻撃に合います。好きな人にはいいと思います。ブラスはかなり荒いが、もともとワーグナーのブラスは荒い。往々にして荒い場面で使われるのですから問題ありません。二日目は4階席あたりからオーケストラにブーイングがありましたけれど、こうゆうところだったのかもしれません。他日別の席でも観ろ、と進言しておきます。
あと、指揮の飯守の声がかなり出ております。ブラスの咆哮時はわかりませんが、弦が歌うところではホール全体に聴こえているのではないか。


グルネマンツを歌うトムリンソンは、初日、二日目よりはよくなりつつある。体調もよさそう、ピッチ問題はだいぶクリアできてきたようだ、だけれどもやはり安定感に欠く。ワルキューレのヴォータンも大変だと思うのですが、それとは別の力学でも働くのだろうか、困難を極める役柄なのだな。それに幕開き前奏曲のところ、アムフォルタス役の大柄シリンス抱きかかえのシーンから始まるので、歌わなくてもいきなりしんどい。
トムリンソンは今一つだが、まわりの連中がやっぱりすごいの一言に尽きます。みんななぜか這って歩くシーンが多いのですが、基本的に動きは良い。歌も明瞭で美しい。口を大きく開いた歌唱のヘルリツィウスは特にクリアで聴きやすい。みなさんむらが無く劇的な中にも滑らかさが漂う美しい歌唱ですね。
グルネマンツもアムフォルタスも出番のない第2幕。
クリングゾル&クンドリ
クンドリ&パルジファル
パルジファル&クリングゾル(ちょっとだけ)
これら3人での掛け合いは迫力ありました。特に中間のクンドリ&パルジファルはセリフがわからないと辛いところもある長丁場ですが、こうゆう場合、字幕の効果は絶大ですね。納得の歌唱でありました。この3人歌のバランスよく役どころもはまっている。見ごたえ聴きごたえありました。
この幕には出てきませんが自分としては、アムフォルタスのシリンスが良かったと思います。他の公演で何度か聴いておりますけれど、今回の歌で彼の素晴らしさがよくわかりました。柔らかいバスで、何よりも苦しい声でないのが好ましい。このオペラでの役どころは苦しさ満点のものなのですが、ちょっとだけでも目を閉じて歌に集中してみるとソフトで深みのあるバスが滑らかに流れていくのを聴くことが出来ます。良かったと思います。
タイトルロールのフランツはもうなんども聴いています。これまでと同じようにそつのない安定感。
ヘルリツィウスは体当たり的白熱演技、非常に丁寧な歌唱でクンドリのあらぬ美学さえ感じさせてくれました。

アムフォルタスが救済を、と叫ぶのは逆説的な話ではあるのですが、そこで彼に背を向ける動きの統率がとれた合唱。合唱が一つの個体としてまとまったりうまく散らばったりと演技は相応に目配りのきいた良いものでした。歌に関しては、シンコペーションだらけの曲と思いますが、角がぬるい。もうちょっと鋭角的な歌唱が望まれます。全員、自分は全員の中の一人だと思ってはいけませんね。彫が浅い。
おわり



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