芸術の秋冬が一服ついてますので1983-1984シーズンの聴いたコンサートのことについて書いてます。
●
1984年2月19日(日)8:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
.
グレイト・パフォーマー・シリーズC
.
モーツァルト/交響曲第36番 リンツ
モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番
ピアノ、ウラディミール・アシュケナージ
.
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー/海
.
ウラディミール・アシュケナージ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
●
前半と後半が完全に分離したプログラム。
前半は自分の弾き振りもいれた完全モーツアルト。
後半はアシュケナージにあうかどうか、完全ドビュッシー。
それで、演奏会のほうはどうだったのだろう。
●
アシュケナージはこの前聴いたズッカーマンとはだいぶ異なり指揮がこなれている。また、ただそれだけではなく、それ以上のものをもっている。
アシュケナージは背がそんなに高くなく、というよりもむしろ低く、そして少し胴長のため、あまりかっこがいいとはいえない。
さらにピアノを弾きながら指揮するときが多いせいか、普通の曲を指揮する場合にも両手を最初から最後まで上にあげっぱなしである。あれだと疲れるだろうなぁ。
あの胴長でさらに両手を上にあげて指揮されると足の長さが(短さが)さらに強調されてしまう。
しかし、そんな見た目とは異なり音楽は良かった。モーツァルトもドビュッシーも良かった。
.
モーツァルトのシンフォニーはなによりもテンポの設定が良く、4楽章全部納得のいく速度であった。
ピアノ・コンツェルトはやっぱりアシュケナージのピアノの素晴らしさを認識したし、なによりもオーケストラとの呼吸が良く、フレーズの微妙な受け渡しが非常に滑らかで不自然さがまるでない。これは当然、彼が棒を振りながら弾いていることにも起因していると思うし、また彼は指揮もまたピアノと同じぐらい大事な仕事だと思っているに違いない。
.
それはそうと、今日の演奏会は聴く前からどうもフランスのオーケストラの演奏会のような気がしていたが、それはこの後半のプログラムのせいであると思う。
このプログラム・ビルディングはまるでフランスのオーケストラの海外公演のようであり、これはとりもなおさずアシュケナージ自身の好みを反映していると思う。フィルハーモニア管弦楽団については日本にいたとき、たしかブルゴスの指揮で聴いたと思うが、音のイメージはやっぱりなんとなくその時と同じでレコードから出てくる音と同じ!ような錯覚におそわれる。(フィルハーモニア管のレコードを聴きすぎているのだろうか?)
「牧神」にしろ「海」にしろ、指揮者が余裕から棒を振っており、まるで彼は最初から指揮者のようであった。
この「牧神」を聴いているとふとフランス国立管弦楽団の霧のような深い静けさが目に浮かぶのは何故だろう。そして「海」の第2楽章の海のようなざわめきもなんとなく写実的で迫力がある。
アシュケナージはむやみに金管を強奏させることなく、実に丹念に音楽を作っている様子であり、それが理にかなっている方向に進んでいると思う。いや部分的なものだけでなく、彼は全体的な雰囲気を作っていく上にもやはり指揮者である。
●
といった感じ。
二日後の21日(火)のニューヨーク・タイムズに評が載った。
ニューヨークでは今回は二回公演であったが、19日は初日の方。
評は概ね好評。というか悪いことを一つも書いていない。
おわり
●