河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2283- プロコフィエフ交協、イオニーツァ、火の鳥、プレトニョフ、東フィル、2017.2.26

2017-02-26 18:31:21 | コンサート

2017年2月26日(日) 3:00pm オーチャードホール

ストラヴィンスキー ロシア風スケルツォ(シンフォニック版)  5′

プロコフィエフ チェロと管弦楽のための交響的協奏曲 10′18′11′
  チェロ、アンドレイ・イオニーツァ
(encore)
ツィンツァーゼ チョングリ  1′
バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番より ブーレ  4′

Int

ストラヴィンスキー  火の鳥(1945年版)   32′

ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


2015年チャイコンチェロ部門チャンピオンの登場。
なのですが、曲がわかりにくい。目立つにはどう作曲すれば効果的か、ということの真逆の試みのようにすら聴こえてくる。何をやっているのか今のところどう努力しても理解に到達するにはしばらく時間がかかりそうだ。
せっかくのチャンピオン演奏、素人にもわかる作品で聴きたかったというのが率直なところ。
アンコール1曲目はピチカートだけで奏される。バッハあわせ力感ある演奏で、若い力がみなぎっていました。
このホール、1階席の横通路より少し後方で聴きましたけれども、オーケストラのようにみんなで音を出しているときはクリアに聴こえてきますが、ソロチェロは響きがちょっと潰れたようになり前に出てこない。もう、明白に、別の席ならもっといい音で聴けるだろうと感じる。今日の席、ソロの音量減衰が早い気がする。
いずれにしても本編のプロコフィエフ、私の周りはおねむのかた多かったですね。

指揮のプレトニョフは久しぶりに観ました。歩く姿はあまり力がなく、指揮姿は端正で淡いもの。タクトの振りはそれにあわせたような気配はない。きっちりとテンポで押してくる。オーケストラは素晴らしく光り輝くもので、プレトニョフの魔法というか、演奏会をみているだけではわからないなにかがあるんだと思う。オケが指揮者に畏敬の念を抱きつつというところもあるのでしょうね。アンサンブルの反応が実にいい。彼のCDはイエローレーベル等結構持っていて一頃よく聴いていました。あの感触思い出しました。
スケルツォはシンフォニック版と注記されています。短い曲ですが作品の音の厚みと動きがよく整っているもので楽しめました。
火の鳥は1945年約30分版。ラッパの鳴らしかたがラフなところもあるが、演奏は精緻でわきが締まっている。輝くデリカシー。
おわり


2282- ショパンPC1、ヤブウォンスキ、シマノフスキ2番、ヴィット、新日フィル、2017.2.24

2017-02-24 23:17:40 | コンサート

2017年2月24日(金) 7:00pm トリフォニー

モニューシュコ  パリア序曲  9′

ショパン  ピアノ協奏曲第1番ホ短調  20′10+10′
  ピアノ、クシシュトフ・ヤブウォンスキ
(encore)
ショパン ノクターン第20番 遺作  4′
ショパン 練習曲第12番ハ短調 革命  3′

Int

シマノフスキ  交響曲第2番変ロ長調  13′12+9′

アントニ・ヴィット 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ヤブウォンスキは大柄でどこからあのような音が出てくるのかわからないぐらい。
彼の弾くショパンはメゾフォルテからピアニシモの世界で音楽が出来てる。弱奏のクラリティが極めて美しい。入りをやや遅れめとし、ピアニシモで尾をひくような弾き。ホールの空気感が変わります。透明で清涼、空気がおいしい。森林浴のようだ。みずみずしいタッチでプレイ、ショパンの滴る詩情。美しいものです。激しさを求めない演奏ですね。
1曲目のモニューシュコでいきなり豪快な振りをみせたヴィットでしたが、このショパンの伴奏は双方アイコンタクトが割と頻繁で息がよく合ったもの。オーケストラの暖かみのある柔らかいサウンド、分解度の高いアンサンブル。ピアノもオケも演奏が生きている実感。
いい演奏でした。アンコール2曲も息をのむような美しさ。スバラシイ。

後半のシマノフスキは、スクリャービンの作風に似ていますね。どっちが先なのかわかりませんけれども似た芸風です。変奏を取り入れるあたりもそうですね。
ヴィットのエネルギッシュな棒、職人肌のようなおもむき。しっかりと鳴らし切りました。

オーケストラはルーチンワークに過ぎるというかあまりテンションを感じないもので、もうちょっと気を入れて演奏して欲しい気もしますね。
あと、演奏後、ヴィットが立て立てといっても絶対に立たなかった人、パート。ヴィットがあきれてあきらめました。このオケの定期会員ですが毎度こんな感じで、立つリハーサルもしたほうがいい。いい眺めではありませんよ。
おわり




2281- 武満、弦レク、マーラー6番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2017.2.23

2017-02-23 23:43:44 | コンサート

2017年2月23日(木) 3:00pm みなとみらいホール

武満徹  弦楽のためのレクイエム 8′

マーラー  交響曲第6番イ短調  23′14′14+30′

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


2月末から3月にかけて行うヨーロッパツアーのメインプログラムの予行練習。もう一つのショスタコーヴィッチ10番は定期で済んでいる。ちょっと関係ないがN響はNHKホールなんかでやるよりも今日のみなとみらいのほうが実にいいサウンド具合。こっちに本拠地移したらどうかしら。早く専用ホールを作って、今のNHKホールは全日本吹コン用に献上すればいいと思う。

マーラーの6番はパーフェクトなソナタ形式を実感させる手応え十分なもの。圧倒的な完成度のフォルムとハイレヴェルの技量連中による高濃度な圧巻の演奏。
第1楽章は短い序奏と続く激しい提示部、リピートありの演奏。ロングな提示部なのだが全体バランスを俯瞰するとリピートは妥当。何しろ30分かかる終楽章、序奏だけで5分、こんな具合だから全体のバランスのことを頭の中にいれつつ進行。
流れるようなウィンドのハーモニーがバランスしていて美しい。そして冴えるブラスセクション。各パートのプリンシパル、脇も堅い。横に広がった怒涛のようなラッパ陣、その圧力を押しとどめる弦はやや硬めで明るい。このホールの特色が出ているのかもしれない。クリスタルのような響きがホールに鳴り渡る。
コーダで明るく転じたパッセージはエンディング寸前、パーヴォはテンポをグッと落とし終楽章のモットーを強調。散らばるウィンド、ブラスがモットーを明瞭に響かせつつフィニッシュ。結局パーヴォがテンポを緩めたのは明らかに、ここだけ。この意味は深いと感じた。ソナタの表現と伝播は全般におよぶと、この1楽章で早々と納得のお見事な棒となりました。

この疾風怒濤のエネルギッシュな第1楽章を押しとどめることが出来るのは、アンダンテ・モデラートではなくてスケルツォ。押しとどめるというよりあのアレグロの波に耐えるのはスケルツォでしかない。逆にしてしまうとエネルギーを吸収して鎮めるには力不足となる。生の実感は何度聴いても変わらない。
このスケルツォ、トリオを聴くと形式はもはや古典に舞い戻る。3回あるスケルツォ、演奏が濃い。表現の変化が面白いようにきまるし、トリオの小規模アンサンブルの美しさ。スペシャルな技量の演奏、シャープで雲一つない明晰なプレイで、スケルツォ楽章の面白みを十分に味わう。結構な長さの楽章。
次のアンダンテ・モデラートはホルンのソロに見られる妙に不安定で線が美しい色々とハイブリットした内容の旋律が恐いほど良くきまる。秀逸なプリンシパルのプレイ。
作曲家、ちょっと斜めに構えた楽章だと思う。安定の形式感、妙に不安定な旋律。古典と試みのようなものが綯い交ぜになっている。美しさの限界を求めているわけではないので、スケルツォ楽章と同じ時間配分は、正しいものと強く実感。ヤルヴィの感性が光りますね。

そのまま終楽章へ。前楽章の香りを残しつつ、音が上下に跳ぶ弦、ハープのグリサンド、ブラスによる同一旋律の咆哮。そして低音ブラスを中心としたコラール風味満載の味わい深い吹奏。長い序奏です。主部へ入るとウィンド+ホルンによるベルアップが細やかに頻発。音圧と色合いが都度変わる。
各主題の進行は、パーヴォ、冷静です。古典の極致を味わい尽くす。サウンドは強大なり。N響の圧倒的なスキルが支配するなか、ハンマー。そしてパーカスがモットーを叩き、ブラスの散らばるハーモニーが、1楽章にかすかに聴こえたよねと全体フレームを感じさせる。パーヴォさんお見事ソナタフォルムの表現。力感と全体俯瞰がオケの技でさらに光りました。
3回盛り上がり。途中、序奏の回帰のところ、音がここでも上下に跳びますがホルンをはじめとするブラスセクションの吹奏が見事でした。こういったあたりのことを間に挟みつつ3度のエスカレーションまでの束タイムロングがほぼ同じ。きっちりとソナタしています。構造に光をあて完全な形式把握、ほれぼれするし、唖然。ヤルヴィマジック炸裂ですな。
まぁ、ここまで構造を締めてくれると言葉が出ない。絞り切ったタオルっていう感じ。
パーフェクトソナタエクスプレッション、前日の大阪フィルに続き、今日もヘトヘトになりました。
圧倒的な力感、技量、表現。構成感。全部パーフェクト。ありがとうございました。ヨーロッパツアー撃破の連続でしょう。

前半の弦レク。1957年の作だから60年も経つのか。内容も古典、もはやクラシックなものですね。どのくらい演奏されてきたことか。
パーヴォの棒はここでは持って無かったですので腕は、マーラー6番とまるで違うもの。意識されたものと思います。
テンポの出し入れがかなり濃厚、ゆれるゆれる。何階層もありそうな弦の多層な響きと流れが艶めかしい。このストリームはほぼシェーンベルク状態で、ハイスキル集団の弦グループが魅せるキラキラとそして深く切り込める色あいの音の束、確かにこのレベルでないと出せないサウンドですな。ヨーロッパ的なオーケストラの響きと断言出来ますね。
シェーンベルクが息を吹き返したような作品、演奏共々うなるしかない。うーむ、凄いもんだ。

ということで、休憩無し正解のド演奏会。満足満足。
ありがとうございました。
おわり


2280- ショスタコーヴィッチ11番12番、井上道義、大阪フィル、2017.2.22

2017-02-22 23:38:28 | コンサート

2017年2月22日(水) 7:00-9:20pm 東京芸術劇場

ショスタコーヴィッチ 交響曲第11番ト短調1905年 17+19+13+15′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第12番ニ短調1917年 14+11+4+11′


井上道義 指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団


大阪フィルはほとんど聴く機会ありませんが、この日はヘヴィーなショスタコーヴィッチを2個並べるというラインナップ。押して出かけました。

前半に大曲の11番をいきなり。
ややスローな始まり。1905革命絵巻、標題音楽や映画音楽のように時間の流れていくものを、見事な形式感に位相転換してしまうこの作曲家は根っからのシンフォニストとあらためて実感した井上&大阪フィル、渾身の演奏でした。
極めて重苦しい1,2楽章。切れ目なく続く全曲ですが、棒を持たない柔軟な指揮の井上はきっちりと2楽章への移動がわかるもの。ダークに塗りこめられた音楽が進む。この両楽章は暗い中、引用がマウンテン状態なのかもしれないがもともとの引用節を知らないのでそういった聴き方は出来ないけれども、井上のスローな中にメリハリのきいた筆の運びが素晴らしくて、理解がよく進むものだ。材料のエキスだけが地の底でマグマのように運動しているような代物、お見事な井上の両腕というしかない。
2楽章の後半でようやく動きがでます。オデッサ、自国民どうしでやりあう、革命の発端事件ということになると思うが、ここで音楽が激しく動く。井上の両腕さばきは一筆書きのようでもあり絵筆の様でもある。それに圧倒的に反応するオーケストラの凄味。唖然茫然。これぞオーケストラを聴く醍醐味。

場面は3楽章へ。亡くなった民衆へのレクイエム。一度聴いたら忘れることが出来ないメロディーラインがヴィオラにより切々と歌われる。ややドライなサウンド、息の長いフシが延々と続く。非常なコンセントレーションがありありとわかる大阪フィル、ヴィオラ陣の演奏お見事でした。

終楽章の頭は、もはや勝利の始まりか、といった雰囲気。勝利の音楽がエスカレータのようにドンドン進んでいくけれど、最後のコーダはいったい何だろう。シンフォニーに極限の音圧を出させるようなショスタコーヴィッチの試行ではないのかと、曲とは関係ないようなことが脳裏をよぎる中、空間が潰されるような限界音量、主題回帰は勝利ではない。まだこの先、革命が続く、暗くて重い、超ヘヴィーな極限音圧はそれを示している。
見事な井上両腕さばき、音が束になり圧倒的な反応力を示した大阪フィル、絶対渾身の演奏。エポックメイキングな演奏、井上の振り向きフィニッシュ、きまりました。

やってるほうも聴いているほうも、もはや、へとへとです。

ということで、後半12番。緩みました。
前半のスーパーハイテンションを後半12番に継続してプレイするのは簡単な話ではない。聴いているほうもです。

ラッパの動きはこの12番のほうが休みなく激しいと思うが、もはや、へとへと。汚れが目立ちました。技量の話ではなくて緊張感の維持。前半から持続するのは簡単な話ではありませんね。ホルンのプリンシパルはバトンタッチしていましたけれども、もはや、オケ全体に一仕事終えた感があり、空気感が緩んでいる。
1917も絵巻物だと思いますが、ソナタ形式はこちらのほうが感じやすい。気持ちを少し切り替えてできれば良かった気がします。ソナタながら切れ目なし作品としては11番よりこの12番のほうがわかりにくくてメリハリをつけにくいかも知れないというのはあるが、まぁ、肩の力を抜きつつ、前半の達成感は一旦横に置いて。難しいとは思いますが。


血の日曜日と十月革命を並べたプログラムビルディング。相応な意味はあると思う。演奏で両方ともに満足のゆく出来栄えにするには、、、。聴く方は欲張りなもんです。
井上、大阪フィルは合体したいい演奏で満足しました。
ありがとうございました。
おわり

朝比奈隆、大阪フィル、昔、東京での公演、田園と英雄を聴いたのを思い出しました。その英雄がずっと後になってCDで出てさらにびっくりしたのも思い出した。
大阪フィル創立30周年の東京公演です。プログラム(メンバー表付)も貼り付けてあります。

824- 東京エロイカ 朝比奈隆 大阪フィル 生身のXRCD24でよみがえる。1977.10.6プログラム全ページアップ

おわり


2279- 浜野与志男 ピアノ・リサイタル、2017.2.21

2017-02-21 23:44:22 | リサイタル

2017年2月21日(火) 7:00pm リサイタルホール、オペラシティ

J.S.バッハ フランス風序曲BWV831 21′

ペルト アリーナのために (1976) 3′
+ (連続演奏)
スカルラッティ ソナタロ短調K27  3′

シチェドリン/プレトニョフ編 バレエ音楽≪アンナ・カレーニナ≫ (1971) から
  プロローグ  4′
  競馬場experts  3′

Int

網守将平  M7ATION/Ver.13   9′

シルヴェストロフ ピアノ・ソナタ第3番 (1979)  14′

グバイドゥーリナ  シャコンヌ (1965)  9′

(encore)
エリッキ=スヴェン・トゥール  ピアノ・ソナタより第3楽章 5′

ピアノ、浜野与志男


浜野さんは以前一度聴いてます。2014年にラザレフ&日フィルの伴奏で弾いたスクリャービンのピアノコンチェルト。あれは見事な演奏でした。

1606- スクリャービンPC、浜野与志男、レニングラード、ラザレフ、日フィル2014.3.15

聴くのは今回2度目、今日はリサイタル。このリサイタルホールの企画もの。B2Cの一環。バッハからコンテンポラリーということで、バッハと現代曲が入っています。
プログラムは7作曲家7作品で、うち存命する作曲家の作品が5つとなっています。

1曲目は長いバッハの曲。長いと言いつつ軽快に20分ほどであっという間の出来事。
きれいな音です。鍵盤のよく見える席。指を強く押し込んでいるようには見えない。少し浅めに見える。これで均質なサウンドを作り上げていくには一様なバランスが要ると思う。
きれいな音ではずんでいく。歯切れがよくて締まっている。音に芯がありキリッとした音で、バッハが滔々と流れていく。
それと序曲の前半後半、それに各組曲、メリハリよくスッキリさわやか。最後のエコーはダイナミックなプレイで、ここで楽器ピアノの実感。

次のペルトの作品は後期のもの。極端にスローなオルゴールみたいな感じで、隙間が音楽のようで音は少ない。緩やかなスロープのよう。
3曲目はスカルラッティ。ペルトの曲からの連続演奏。曲の表情はガラッと変わるが、最初は同じ作曲家による切り替えのように聴こえてくる。両手の動きが見事なさばき、バッハとはまたちがった音楽を楽しめた。

4曲目はシチェドリン。プロローグと2幕の競馬場からの抜粋。短いピースが二つ。プロローグは重い曲。次が激しい競馬場の音楽。
ペルトよりも表情が濃い音楽で、研ぎ澄まされた感性が全開。日本刀のような凄味。

休憩のあとの1曲目は網守の曲。タイトルの意味が分かりません。
ひところあったアヴァンギャルドな雰囲気満載。指定された音のみ開放状態にして響きを連ねていく。プログラムノートにあるクラスター風味の音は聴こえてきません。もっとひとつひとつがリアルな響きかと思います。

次のシルヴェストロフ。
プレリュード、フーガ、ポストリュードから成りアタッカで続くとあるが、曲の表情が3楽章ともにあまり変わらないので境目がわからない。
点の響きが特徴的。浜野さんのピアノは各音が研ぎ澄まされていてる。あまり美しい作品とはいえないけれども、網守の盛りだくさんの音とは別の音の響き、両方ともに自分のものとしているプレイヤーで凄味がありますね。

最後はグッバイドゥリーナ、ならぬグバイドゥーリナ。彼女の曲は比較的多く聴いている。今日の作品は1965年の作で随分と経つ。
分かりやすいシャコンヌ。スキル誇示的な部分とちょっと瞑想的なところ、音楽はダイナミックに進む。最初に演奏されたバッハの呼吸が戻ってきたような気分になる。

アンコールはスヴェン・トゥールの1985年の作品。これでももう30年以上経つわけですね。音をまぶしたような趣きで、今となってみればすでに存在していたものという感じなのだが、そんなこと言ったら作品はみんなそうなわけだから、その中にどれだけ強い自己主張やインスピレーションが内包されているかといったあたりがポイントで、一度聴いただけではなかなかわかりませんけれども、これも浜野さんの際立ったタッチの美しさにかなり助けられているようでもある。
みずみずしくて全部聴きたくなるというのはありますね。

全体的な印象としてはやっぱりバッハが1枚も2枚も100枚もうわてだなと。
このリサイタル、ホール全体が最後までキーンと張りつめていて、その具合が浜野さんの弾くピアノのサウンドと同質のものを感じさせる、いい空気感を味わえた。すばらしいリサイタルでした。
ありがとうございました。
おわり




2278- ディートリヒ・ヘンシェル、岡原慎也、2017.2.19

2017-02-19 20:58:01 | リサイタル

2017年2月19日(日) 2:00pm トッパンホール

シューベルト
さすらい人が月に寄せてD870  3′
春の想いD686  4′
さすらい人D489  6′
野ばらD257  2′
独り住まいの男D800  4′
ガニュメデスD544  4′
魔王D328  4′

Int

シューマン リーダークライスOp.39  24′

(encore)
シューマン 二人の擲弾兵  3′
シューマン きみは花のように  1′
シューベルト ます  2′
シューベルト セレナーデ  3′
シューベルト 独り住まいの男  4′
シューベルト 魔王  4′
シューベルト 音楽に寄せて  2′


バリトン、ディートリヒ・ヘンシェル
ピアノ、岡原慎也


この著名なお二方、息がぴったり合っているというか、仲がよさそう。シューマンのあとのおててつなぎお辞儀がちょっとみだれましたけれどもご愛嬌。
品があって極上な振る舞い、歌に集中するときの切り替えがすごい。

前半シューベルト、後半シューマン。本プログラムは短いものながら、この二人の作曲家の創作の違いがよくわかるものでしたね。多様性と言いますか。
シューベルトはリリカルなもの、ドラマチックなもの、並べて7曲。山のようにある作品のうちエキスを並べたようなものだろう。ヘンシェルの集中力が凄くて、聴き手のほうもすぐに歌の中に入り込める。とても味わい深い。暗い中、対訳はよくみえないので事前の読み込みが必要ですけれども、詩の中身と歌の表情の一体感。詩を通したリート。実感。
うったえる力が尋常ではない。滑らかで上質の肌触りの声質、魔王に見せる特大声の張り上げでも決して崩れないパーフェクトバランス。表現の振幅が大きくて、もう、うなるしかない。
曲順も練ったものかもしれないと後で思いました。野ばらをサンドイッチにした前後のピースの配置なども全体的な流れを感じさせてくれる。
最後の魔王の多彩な歌い口、語り口は凄いもんでしたね。

このヘンシェルの歌を引き出したのは伴奏のピアノ岡原。入りの音から歌のあと消え入る最後の音まで音楽の香りが満ちている。柔軟という言葉が合いそう。
このホール、ピアノがよく鳴る。全体を包み込むピアノ、前に進むバリトン。ブレンド具合もいい。

シューマンは写実的でそのなかに心の動きが絡まっていくような趣き。曲想は深彫り感よりも少しモヤモヤと流れていく。曲のメリハリエレメントより別のものが中心にあるようだ。詩の内容と語り口、よく合っていると思います。シューマンの思いがこちらに伝わってくる。滑らかな歌、正確、誠実、みんな湧き出てくるヘンシェルの歌。

以上、休憩入れて80分ほどのリサイタル。そこで、アンコール7曲。前半のシューベルトのプログラムと同じ数だけやってくれました。味わいはアンコールという感じではなく、リサイタル後半の後半という感じ。本プロのリピートもありましたけれども、何度でも味わい深い。多彩な表現、集中力。バリトン満喫。

結局2時間かかりました。ヘンシェルは最後まで、譜面無し、水無し。
伴奏の岡原さんは譜面とっかえひっかえで汗だく、大変そう。それにアンコールではヘンシェルのコメントを訳してしゃべらないとならないし、で。
息の合ったコンビによるシューマン、シューベルトで大満足。お二方の作品に向かう姿勢とうったえてくる力、お見事というほかない。

トッパンに来たのは2度目。結構歩く距離で健康に良い。
この前(2017.2.7)、ブラウティハムのリサイタルで初めてこのホールを訪問。コンパクトで良い音響、席は余裕のあるものでゆっくりできる。今日2度目、なかなかいいですね。
ブラウティハムの時も今日もNHKのカメラが多数(5台ほど)入ってましたので、いつか放送で見れるかもしれませんね。
おわり




2277- 蝶々夫人、笈田プロダクション、バルケ、読響、2017.2.18

2017-02-18 23:38:40 | オペラ

2017年2月18日(土) 2:00-4:50pm 東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレゼンツ
プッチーニ 作曲
笈田ヨシ プロダクション
マダム・バタフライ

キャスト(in order of appearance)
1.ゴロー、晴昌彦(Br)
2.ピンカートン、ロレンツォ・デカーロ(T)
3.スズキ、鳥木弥生(Ms)
4.シャープレス、ピーター・サヴィッジ(Br)
5.蝶々夫人、小川里美(S)
6.ボンゾ、清水那由太(Bs)
7.ヤマドリ、牧川修一(T)
8.子、松村あゆみ
9.ダンサー、松本響子
10.ケイト、サラ・マクドナルド

合唱、東京音楽大学
ミヒャエル・バルケ 指揮 読売日本交響楽団

(duration)
ActⅠ 47′
Int
ActⅡ 46′
ActⅢ 32′


1幕冒頭、ゴローがアメリカ国旗を持って登場、終幕大詰め蝶々さん自刃直前、彼女は部屋に飾ってある国旗を抜き床に置き、その上を歩く。白い光が刀に向かう彼女の姿に当たり、光の中に消えていく。自刃が見えれば1幕冒頭と同じ、元の木阿弥ということなのだろう。

冒頭と大詰めのこの対比が外枠フレームだとすれば、2幕蝶々さんとスズキの二重唱で桜の花が飛び、舞う。そこに二人の黒子が現れて黒い花びらをまく。3幕でピンカートンがアリア、さらば愛の巣、散らばっている黒い花びらを拾い、絶唱。といったあたりが内枠フレームのひとつということだろう。ともに印象的なシーン。こういったことが連続する。
さりげない動きの中に籠めた深い意味合い、色々と考えるところのあった舞台でした。

このホールはオペラにはまるでむいていない。平土間に構えたオケ、ステージに簡単なセッティング。緞帳はないし、ホールオペラにしては粗雑な空間が広がる。音響はちぐはぐで良いコンディションとはいえない。それやこれやをしまいには感じさせないほど秀逸な演出でした。

ステージには数枚のふすまが最初は衝立のように立っている。これを一枚ずつ動かしてシーンを作り上げていく。
ステージ奥には紗幕をおろし、さらに奥を一段高くし、そこでは陰の動きとでも呼べばいいのだろうか、そういった動きが見え隠れする。ここでの動きが味のある濃いもので、効果抜群。練られた演出。
紗幕の奥、一段高くした舞台、第2幕での人の動きが非常に印象的。ピンカートンも現れますね。それから第3幕最終シーンで同じくそこに現れるのは父だろうか。遺品の刀に向かう蝶々さん。

第1幕はめでたい結婚式の場があり大勢の人たちが出てくるのだが、持ち物、いで立ち、化粧、装飾具等々、どうも、中国風味満載。違和感あるものだが、意識されたものかどうかわからない。全体的にカラフル。
この幕で印象的なのは蝶々さんの白い着物姿の足の装い。最初は赤い足袋だろうと思ったのだが、ピンカートンとの絡み合いで、どうも、赤いタイツのようだった。この色彩感覚。総じて、白、赤、黒、この3色がくっきりと目立つ演出ですね。

次の2幕では、ある晴れた日に、を歌い終えた蝶々さんはステージ後ろ向きに倒れるように伏す。森岡さんが書いたプログラム・ノートは実に興味深いもので、例えばクリストフ・ネルの2001年のプロダクションでは蝶々さんはもはや正気ではないという設定などもあると引き合いに出したりしている。こういったことがインプットされながら観る今日のオペラ、ある晴れた日に、を歌い終えて後ろ向きにくずおれるその姿は、悲しさとあきらめを心のうちに秘めた正しく正気の蝶々さんなのだろうと思わずにはいられない。
このプログラム・ノートには演出のことを色々書いてあるが、このオペラの要は、ピンカートンの背後にいる勝ち組、蝶々さんの背後にいる負け組、戦争の勝ち負け、貧富の差、そういったこのオペラに内在している多様な問題意識と演出の広がりに言及していて興味深いもの。
また、演出の笈田さんの文章が載っている。蝶々さんと僕の世代、という見出しの小文だが、まぁ、アメリカに負けた日本の原風景、最後の1文は長崎つながりで被爆の話に強引とも言える弁で終わっている。唐突感のある文だけれども、森岡さんのノート、昨今の演出の多様性、広がり、問題意識等々を一緒に読めば、その唐突感は消えていく。演出の意図が見えてくる。

照明をグッとおとし、合唱が中に動きハミングコーラス。綿々と進むプッチーニですけれどもここはものすごく短く感じた。ここらへんまでくると眼にワイパーが必要になってくる聴衆もいるはずだ。

2幕からポーズを置かず終幕へ。ここでダンサーが踊る。とってつけた感がまるで無い。やる人がやれば、当たり前のようにごく自然、こんなにきまるものなんだとただ驚くしかない。

ピンカートンはシャープレスにお金を渡す。アメリカの良心(と思おう!)シャープレスはそれを受け取り一旦ポケットに。そして蝶々さんに渡す。このストーリーの流れで蝶々さんの愛の気持ちが、3幕まで連続してくると、もはやお金は何の価値も無い。というよりも無力(むりき)なものなのだと言わずともわかる。投げ捨てる蝶々さん。
この演出ではケイトさんと蝶々さんの直接対話がある。1904年ブレシア再演時に残っていて1906年パリ版では消えた対話を復刻させている。このため双方のシチュエーションに変化が生じ、お金での解決の示唆による屈辱は絶望へと。プログラム・ノートのお話は興味尽きない。
そして大詰め、結末は最初に書いた通り。

演出家の思いはさりげない中に多数の動きで籠められており、観るほうはこんな感じで、ずれているかもしれないし、多くを見逃しているかもしれない。でも、伝わってくるものが大きかった。手応えありました。手応えが感情に作用し思いが伝播すれば感動となる。いい舞台でしたね。

オーケストラの位置のせいか音がデカい。反響はバシャっと感があり聴きやすいものではない。ものともしない小川さん、鳥木さんの清唱はお見事というほかないが、他の男連中の歌は総じて前に出てこず、アンバランス。オペラ舞台ではないので無駄な空間が多く響きが拡散し、このホールは征服しなくていいので次回はもう少し設備のある別のところで上演して欲しいものだ。とりあえずそれは横に置いて、
指揮のバルケはプッチーニ節をよく鳴らしてくれた。耽溺しない泣き節、歌手の伴奏時の控え目ながらポイントをはずさない棒で締める。主役がオケになるところでは、オペラ特有の空間を漂うようなメロディーラインの響きが素晴らしい。オペラ振りまくっている人の棒と実感。

低音が堪える蝶々さんながら出ていました。リリックなソプラノはドラマティックにいざとなれば向かう。やや細めの声のラインが微妙にバランスを保ちながら進んでいく感じ。小川さんはスタイリッシュで動きがよくて映える。しなる演技、シャープな動き、それぞれの状況をうまく表現。そして衣装がジャストマッチする蝶々さん。スバラシイ。
スズキの鳥木さんは今回は清楚な役柄を、うまくきめていました。耐えるのはタイトルロールだけではないあたり動きでも表現。二重唱もさえました。見事なバランスでした。
ピンカートンのデカーロは巨体で、リリックから身体そのものでプッシュ、スピントするという感じ。強烈すぎるといったほどのものではない。ホールのせいかもしれない。声方向が一点突き刺し型ではないような気がしますので、このバシャ感満載の小屋では力量が十分に出たとは言えない。
アメリカの良心シャープレスの仕草動きはお辞儀等々日本人的なところがあり妙な違和感が無くて、役柄というよりも日本にうまく対応している領事そのものと言った感じで、キャラクターのきまり具合はこの上演、男連中の中では一番よい。歌自体もものすごく説得力のあるものでロールになりきっていてお見事。

脇はいまひとつ。日本人なのに違和感のある動作が頻発。大きく動けばいいというものでもない。キャラクターがきまりません。
コーラスは、ハミングコーラスのところでは照明を落としてたくさん出てきますが、この方たちが他のシーンでも出ているのかどうかわかりません。いずれにしてもコーラスには芯が欲しい。

万全なコンディションではない上演であったかと思いますが、秀逸な演出はそういったことを忘れさせてくれた。
それから、ホールのところでたくさんチラシ配っていますね。他の公演のちらし、もちろん情報としては大事なものだが、始まる前に一生懸命見るのではなく、ここは一旦、うちに持って帰ってゆっくり見てほしい。始まる前に読むべきはプログラム・ノートです。
おわり




2276- シベコン、諏訪内、タコ10、ヤルヴィP、N響、2017.2.17

2017-02-17 23:19:43 | コンサート

2017年2月17日(金) 7:00pm NHKホール

シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調  16′8+7′
  ヴァイオリン、諏訪内晶子
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ラルゴ 3′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第10番ホ短調 23′4′14+11′

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


やつす感。著名な歌謡曲歌手が何千回も自分の持ち歌を歌っているうちに譜面のオタマとは微妙にずれてきて、やつすような歌い口になる人が多数いる。あれ、思い出しました。まぁ、余裕のヴァイオリンソロなのでしょう。余裕をやつす感で表す必要はないと思いますが。
伴奏オケは第1楽章に構成感が無い。型が不明瞭でまた血肉のサウンドでも無い。

ショスタコーヴィッチは快速。主題と副主題のテンポの差が非常に大きい。アレグロモードのパッセージでは意図して、より速めにしていると感じる。結果、全般に推進力が生まれて5番のような勢いをみせるところがあり、かなりの迫力。ヤルヴィは三拍子のあたりでは大きく一振り棒となるところがあるが、ほかはかなり忙しく棒を振っている。あまりのぐるぐる回しにこれも意図的に駆り立てるような具合だ。これまで持っていた10番の印象を払拭するような演奏で小気味が良い。芸風というより明確な意思表示ですね。
演奏はこのオーケストラ特有の重心の低いものであるが、この重心のまま機動力を発揮していれば力感あふれるものとなっていたはずだが、ちょっと運びが軽くなってしまった。
滑るようなエンディング、横向きフィニッシュで決めた指揮者。
客のフライングのブラボーはこの曲ではなかなかタイミングをとるのが難しそうで、きたないもの。
おわり




2275- トスカ、二期会、ルスティオーニ、都響、2017.2.15

2017-02-15 23:49:58 | オペラ

2017年2月15日(水) 6:30-9:20pm 東京文化会館

プッチーニ 作曲
アレッサンドロ・タレヴィ プロダクション
トスカ

キャスト(in order of appearance)
1.アンジェロッティ、長谷川寛(Br)
2.堂守、米谷毅彦(Br)
3.カヴァラドッシ、樋口達哉(T)
4.トスカ、木下美穂子(S)
5.スカルピア、今井俊輔(Br)

6.シャルローネ、増原英也(Br)
7.スポレッタ、坂本貴輝(T)
8.牧童、金子淳平
9.看守、清水宏樹(BsBr)

二期会合唱団
NHK東京児童合唱団
東京都交響楽団
ダニエーレ・ルスティオーニ、コンダクティング

(duration)
ActⅠ 44′
Int
ActⅡ 40′
Int
ActⅢ 27′


東京二期会のトスカ、初日にうかがいました。
指揮はここのところスポットライトを浴び始めた俊英ルスティオーニ。
あわせたようにガーディアンでも紹介されていました。
Facing the music: conductor Daniele Rustioni


舞台はオーソドックスなもの、人物の動きも同様。シックなもので1幕テ・デウムのシーンでもけばけばしさが無く落ち着いたものです。
ここでエスカレータ的な音楽的感興を大いに盛り上げたのが悪代官の今井さん。エスカレータのトップで合唱が被さってくるので大変なところ、その前のバリトンソロの大きな声の迫力、そして自然な息づかい。見事にきまっていました。後方に合唱を従え舞台手前でピットのオーケストラ圧力に負けずに、眼を大きくひらき、こちらを凝視して歌い切る、渾身のパフォーマンス。
気張ったようにみえず、滑らかで自然な歌い口は悪代官の冷静さを感じさせてくれる。1幕ここでのスカルピア、そして2幕での歌唱と動き、両方ともにナチュラルで秀逸なもの、キャラクターのきまり具合も最高。

トスカ、マリオ、悪代官、この3キャラクターは濃厚でよくきまっていました。
樋口さんはいろんなところでたくさん聴いてきましたが、こうやって本格的な役どころで歌うのを聴いたのはもしかして初めてかもしれない。ちょっとバリトン系のような気もしますが、息の長さより、籠める力の強さを感じます。2幕の勝利の歌にピッタリ。
その前に、1幕はいきなりアリアから始まるので聴く方も楽しみが増す。最初からは決して飛ばさない日本人シンガー的傾向が垣間見られたが美しい清唱はホールの空気を締めました。アイシャドウが結構濃かった。なんとなくアンビバレントなスリル。

トスカの木下さんもマリオ的傾向と思います。息の長さが割とさらっとしているのは指揮者のほうの方針なのかもしれない。濃厚になるのはむしろデュエット。このお二方のデュエットはいたるところよく息があっている。終幕、大詰めの吹き上げるような二重唱の頂点まで悉く良く鳴り渡るもの。スバラシイ。

この3キャラクターがフレームにはまっていて大いに楽しめました。
指揮のルスティオーニは譜面にらめっこでどの程度板についているのか今ひとつわからない。オペラのスケール感、高揚感が出るようになればさらにいいと感じる。
オーケストラは音がデカいが、精度が室内楽的に高くてクリアで明瞭(同じ意味!)。このプッチーニ作品、至る所にある布石のような先々の音をわかりやすく聴かせてくれる。揺れない音の運び具合は秀逸。2幕ではもっとウェット感が欲しいところもある。一本調子になってしまうところがあるのがこのオケの特色。長丁場のオペラでここらへん、自ら気付きが必要です。とはいえ、3幕での室内楽的アンサンブルの精度の高さはお見事。透明なサウンドはビッグなシーンでも声がきっちりと聴こえてくるもので、混濁とは無縁な演奏で大いに楽しめた。

舞台はオーソドックス。
3幕は牢獄を作り出せない舞台で、看守が処刑場と同じレヴェルのフロアにいる。色々と苦労している舞台かとも思います。ほかは概ね極めてオーソドックス。
今回の上演はローマ歌劇場との提携公演と銘打っていますけれども、それがどういったものなのかわからない。
あいかわらず、高価な千円プログラムを買わないとなにもわからない二期会上演。藤原歌劇でも同じだけれども、それでも藤原さんのほうがましだと思うのは演出家の意図、見解を相当数のページをさいて載せてくれているから。二期会さんのは演出の説明無し。提携公演中身の説明も無し。このプログラムを購入しても、当上演のことについて書いていない。大いに問題です。
おわり


2274- リスト、PC1、田中、悲愴、三ツ橋、2017.2.10

2017-02-10 23:08:23 | コンサート

2017年2月10日(金) 7:00pm 東京芸術劇場

グリンカ イヴァン・スサーニン、序曲 9′

リスト ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 20′
  ピアノ、田中正也
(encore)
プロコフィエフ 10の小品より 第7番 前奏曲 ハープ 2′

Int

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 悲愴 19′7′9+10′
(encore)
バッハ アリア 4′

三ツ橋敬子 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


都民芸術フェスティヴァルの公演。
田中さんはお初で聴きます。
ひとめ、見て聴いて、なんか、レヴェルが全然違う感じ。
両手の指さばきと出てくる音、鮮やかすぎる。指が弾いているというより骨が弾いているような雰囲気、骨をピアノが呼んでいる。唖然。
リストのドライな詩情がファンタスティックに鳴る。波打つ両手、素晴らしく粒立ちの良い響き、切れ味鋭く、そして余韻。鮮明なパフォーマンスで、まるでリストがそこにいて弾いてくれているような。見事過ぎる。あっというまに終わってしまった。20分だけだと全然足りない。もっと心ゆくまで聴きたい。オーソリティの技とはこのようなものなのか!凄いもんです。
ご本人は朝飯前のプレイなのかもしれないが、まぁ、開いた口が塞がらない。圧倒的。びっくりの実感、早くもう一度聴きたいものだ。

リストの伴奏をした三ツ橋、東フィル。この草木もなぎ倒すような独奏にうまく乗った、といったら変な話かもしれないが、息がよく合っていましたね。合体の協奏でした。
リスト、満足です。ありがとうございました。
おわり


2273- ロナルド・ブラウティハム、ピアノ・リサイタル、2017.2.7

2017-02-07 23:19:16 | リサイタル

2273- ロナルド・ブラウティハム、ピアノ・リサイタル、2017.2.7

2017年2月7日(火) 7:00pm トッパンホール

モーツァルト ピアノ・ソナタト長調K283 4′3′3′
モーツァルト ロンドイ短調K511 9′
モーツァルト ピアノ・ソナタヘ長調K332 5′4′5′

Int

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 悲愴 8′4′4′
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 9′3′3′3′
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第17番ニ短調 テンペスト 7′6′4′
(encore)
ベートーヴェン バガテル イ短調WoO59 エリーゼのために 3′

ポール・マクナルティが製作したヴァルター・モデルのウィーン式フォルテピアノ、
ロナルド・ブラウティハム


プログラムは休憩をはさんで長短がありそうで後半はモダンピアノに取り換えて弾くのかなと思ったがそんなことはなかった。
前半のモーツァルトは小鳥のさえずりのような押し出しの響き。クルンクルンときれいな鳴り。このホールに来たのははじめてで、木目のきいたいい響き。客席は余裕に満たされていてゆっくりとしながら聴くことが出来た。ホールサイズもちょうどよくて、モーツァルトを満喫。彫琢よく研ぎ澄まされた演奏、音が小粒でも右左のバランスがいいのだろう、均整のとれたもので聴き心地が良かったです。楽章の終わりのところでテンポを少し緩める弾き。

後半のベートーヴェン、悲愴の序奏はかなりスローなもの。これだけのテンポでフレーズの隙間を感じさせない。序奏の再帰でも同じ。腕が空中で弧を描いている状態となるのでそのへんのうまさもありますね。響きの開放。前半のモーツァルトとは随分違うと思いましたけれども、主題は軽快。
アダージョ・カンタービレは先にどんどん進んでいく。速めの進行の中、音の粒がきれいに響く。
おしなべて、テンポは小刻みに揺れ動く。音楽は速度にかかわらず響きに満たされている。

18番は絶品。第1楽章と残り3楽章は別物の作品のように感じるぐらい、がらりと変わる。2,3,4楽章は軽快でメロディーがあふれ出る。今日のフォルテピアノにはぴったり。特に2楽章は気持ちがいい。

テンペスト、音の粒がこぼれ落ちる。アコーデオンの蛇腹の上を水滴が転がるような趣き。
激情的な両端楽章の音楽をダイナミックに奏するのは別世界なのかとも思う。アダージョ楽章がきれい。バスがさらにあれば表情は濃いものになると感じる。

ベトソナ3曲。端正な中に作品の微熱を感じさせる演奏。
フォルテピアノのオーソリティ、もう一度聴きたい。
おわり


2272- 佐藤千佳 ピアノ・リサイタル、2017.2.6

2017-02-06 23:42:28 | リサイタル

2017年2月6日(月) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

バッハ トッカータト長調 BWV916  7′
バッハ トッカータホ短調 BWV914  8′

ベートーヴェン ピアノソナタ第21番ハ長調 ワルトシュタイン 12′3+10′

Int

ショパン ノクターン第3番ロ長調 7′
ショパン バラード第1番ト短調 9′
ショパン バラード第2番ヘ長調 8′

ショパン バラード第3番変イ長調 7′
ショパン バラード第4番ヘ短調 11′

(encore)
ショパン/ノクターン嬰ハ短調第20番 遺作 4′

ピアノ、佐藤千佳


お初で聴きます。
ワルトシュタインのアダージョはやや速めのアンダンテ模様、スピーディーなもので終楽章の序奏的色彩。全体的に強弱のダイナミクスに重き置くものではなくて、締まったプレイで淡白と思えるぐらい。硬めの響きはジャブジャブ感がなくてクリアでシャープ。チェンバロ風味の小気味のよいもの。やみくもに激しさを求めないワルトシュタインで作品に語らせる。ロンドは美しいもので、モヤモヤしないのはペダルの扱いにあるのかもしれない。
この演奏の前2曲はバッハのトッカータ、チェンバロ風な味わいが濃く、その流れがベトソナにそのまま流れてきている。プログラム前半のスタイルはピアニストの主張がよく出ていたと思います。

後半はガラッと変わってショパン。ノクターンのあとバラード全4曲。4曲で40分近くかかる規模の大きいもの。自分としては、これら作品は物足りない。ドラマが無いからといった話ではなくて、インスピレーションと作品創造の力、この2点で随分と物足りない。4番は色々と感じるところはありましたが。まぁ、こちらの聴きこみ不足が多分にある。
淡々とした演奏はすっきりしていて芯を感じる。いい演奏でした。ありがとうございました。
おわり


2271- カルメン、藤原歌劇、ヤマカズ、日フィル、2017.2.5

2017-02-05 20:35:04 | オペラ

2017年2月5日(日) 2:00-5:40pm 東京文化会館

JOFプレゼンツ
ビゼー作曲
岩田達宗 プロダクション
カルメン

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1.モラレス、押川浩士(Br)
2.ミカエラ、小林沙良(S)
3.スニガ、伊藤貴之(Bs)
4.ドン・ホセ、笛田博昭(T)
5.カルメン、ミリヤーナ・ニコリッチ(Ms)

6.エスカミーリョ、須藤慎吾(Br)
7-1.フラスキータ、平野雅世(S)
7-2.メルセデス、米谷朋子(Ms)
8-1.ダンカイロ、安東玄人(Br)
8-2.レメンダード、狩野武(T)

児童合唱、東京少年少女合唱隊
合唱、藤原歌劇団合唱部
平富恵スペイン舞踏団
山田和樹 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


(duration)
Prelude 3′
ActⅠ 45′
Int
Interlude 2′
ActⅡ 38′
Int
Interlude to scene1 3′
ActⅢscene1 37′
Interlude to scene2 3′
ActⅢScene2 16′



ヤマカズさんのオペラデビュー公演。合唱のほうは振り慣れてるでしょうし、オケもいつものオケ。タクトを振るための腕は既に満たされているでしょうから、あとは総合芸術としてどう?、うんぬんかんぬんといった話だけだと思います。ご本人はペレメリでデビューしたかったようですが、両ロールや合唱のこともありますから、このカルメン、まぁ、内容的にも良かったと思います。
藤原歌劇団いつもの公演のひとつ。都民芸術フェスティバル参加公演。

音楽的な深刻度は3,4幕だと思いますが、この日の公演、2幕が大変に充実していました。合唱、エスカミーリョ登場、5重唱、カルメン、ホセそれぞれの独唱、それにデュエット、次々と濃いシーンが連発。
圧力のある合唱は強靭、高精度の伴奏オケ、秀逸な展開でした。音に芯がありましたね。舞台は高い建物の壁が占めていて狭く感じる。狭い舞台での大人数の動きはかなり窮屈なもの、合唱はかたまって歌えるのでかえって充実のアンサンブル、という具合。オーケストラは登りつめる小刻みなパッセージまできっちりと揃っており精度が高い。オーケストラル・グループらしいアンサンブルで充実。それとヤマカズの粋なテンポ。前へ前へと進んでいく。変に耽溺しない。やりつくされたオペラ、この進行は正解と思います。ズブズブにすれば味わい深くなるというわけではないですし。
ホセ笛田、エスカミーリョ須藤は昨年の今頃やった同じく藤原歌劇トスカでの、マリオ笛田、悪代官須藤のコンビ再現。ド迫力のトスカを思い出しました。カルメンのほうは少しやにっこいロールとなりますがきっぷの良さとメリハリのある歌でキャラクターをきめましたね。
タイトルロールのニコリッチは大柄な女性、1幕とこの幕は素足生足の大熱演。素足でも男連中含め一番上背があった。動きもよく、ダンシングをしながらの歌はなかなか見ごたえあり。大柄な分、声もデカい。横幅のあるメゾの声域楽しめました。1000円プログラムブックレットには、カルメンの衣装デザインのイラストが載っていて、それには1幕と4幕の衣装イラストが描いてありますが、実際は第1,2幕が同じ衣装、3幕はズボン、4幕はドレス。それぞれ楽しめます。
合唱、エスカミーリョの流れから5重唱へ。テノール&バリトン、ソプラノ&メゾ、それにメゾのカルメンをいれてのキャラクターのきまり具合、動き、見事な重唱を展開。脇を固めていて締まる。この充実の5重唱は動きと歌さばきが結構あとまで残りました。いい具合でした。ヤマカズ棒もさえている。いい流れです。タクトが生き生きと。
そしてホセ、カルメンの独唱とデュエット。体当たりの演技と歌、マリオ、トスカのすかっと感とは別物のダークなものですけれども、そんなに広い声域に飛ぶことの無い歌、しっかりと歌い切っていました。このシーンも印象的でしたね。
スニガの入りは場違いで野暮なシーン、無くてもいいと思うが、カルメンの仲間たちがホセを実質助ける役をしてしまうので、ホセとしてはそのあと彼らの仲間になってしまう、その布石のシーンと思えばいいのだろう。2幕フィナーレへなだれ込む。充実の2幕でした。

ミカエラ、淡くて憐れな役どころ。3幕4幕での歌は聴き応えありました。ちょっと鋭角的なリリックで幅広、一点で押してくるわけではなくて広がっていく感じ。
児童合唱も充実。みんな大きくて児童には見えない。明瞭な歌声でピッチも正確。

舞台は総じて窮屈。高い建物の壁を4幕通して活用。左右から結構な圧迫感で、舞台中央の歌い手たちはその中であちこち動き回る。かなり狭く感じる。
舞台奥に赤い月。これがポイントだろうが、特に仕掛けは無い。
細かい振り付けは、第4幕最終シーン、ナイフ前、ホセのかなりな暴力的シーン、など色々とあるようだ。ポイントになる動き、意味のある振りつけはない。歌そのもので魅せてくれたという印象が濃い。
同じく終幕の闘牛場の位置、はじめはホール聴衆席側が闘牛場、後半は舞台奥が闘牛場という設定か。180度水平回転したという話。イメージの転換がなかなか進まなかった。

岩田さんの演出ノートは分かりにくい。観念的に過ぎると思う。舞台そのものへの実現性をもう少し聞きたい。赤い月の話しは相応にわかるが舞台では思ったほどの効果にはなっていないと感じる。それと、我々、と何度も書いてあって仲間たちをいれた複数の方たちのプロダクションなのかとちょっとすっきりしない部分がある。

それから、1000円のプログラムを買わないと何もわからないというところはあいかわらずで、毎度、改善を願う。色々と事情があるのだろうが工夫が必要。プログラムで儲けよう若しくは補てんしようということなのかどうかは知らないが、買ってくれないと損をしてしまうということなら工夫は多くある。
おわり




2270- チャイコン、ラムスマ、チャイ5、カンブルラン、読響、2017.2.4

2017-02-04 19:12:54 | コンサート

2017年2月4日(土) 2:00pm 東京芸術劇場

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調 19′6+10′
 ヴァイオリン、シモーネ・ラムスマ
(encore)
イザイ 無伴奏ソナタ第2番 最終楽章  4′

Int

チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調  14′13′6′14′

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


メシアンの興奮覚めやらぬなか、チャイコ2品。なにやら整理体操なものかと思いきや、やっぱりしっかりと地に足つけたタクトはお見事。

シンフォニーに彼のスタイルがよく表れている。チャイコフスキーの主題が揺れずに平衡バランスを保って流れていく。理性のフレージングでコントロールが効いている。現代音楽のオーソリティの作り出す音楽の平衡感覚がよくわかる。まみれたチャイ5に光をあてる、面目躍如たる棒でした。節々でのいわゆるリタルダンドとかアチェレランドは殊更することはない、というよりも、そのような音楽的な効果には興味がないように見える。ギアチェンジははっきりしている。ですので、余計な効果を求めないぶん、作品の底までスカスカと見えてくる。それが浅いものか深いものかといったことをあぶりだすことも殊更意識するものでもなく、方針はどのような作品でも同じだという話だと思う。メロディーラインがアンサンブル単位に帯になって流れていくさまはナチュラルな因数分解のようだ。
終楽章へのアタッカもない。4つの楽章が一つずつの個体のように見えた演奏。終楽章で音楽的感興はやや高まりをみせつつも、まぁ、全体を俯瞰すると、のせ蓋もしっかりと効いている。まだまだ先があるんだよという感じ。秋のアッシジ3連発もあるからねという感じ。
アンダンテのホルンのソロは高低音色が一律でお見事、淡いビブラートを魅せつつ、それぞれのパッセージは長く張ることなくフレーズごとにしぼむ。ここらへんにも指揮者の意識を感じました。興味深いプレイでしたね。

前半のチャイコン。
ラムスマさんは赤いロングドレス、長身のスレンダー美人。アンコールでの曲目紹介一声よりも10倍ぐらいデカい音のヴァイオリン。
彼女も音が揺れないし、オタマ以上の伸縮のブレがない。いや、あるのかもしれないが、それも含めて私のプレイを全部聴いて、という度胸というかオープンな。
このコンチェルト、綿々とした歌というよりスタティックな趣きが濃くて、最後まで落ち着いて聴いていられました。伴奏オケのサポートも同方針。指揮者との連携もよくとれていましたね。切れ味鋭い弾き、大いに楽しめました。
ありがとうございました。
おわり