河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

759‐ またやってきました華金

2009-01-30 00:10:00 | グルメ

華金が毎週一回やってきます。
今週も華金がやってきました。
が、、
なんだか知らないが仕事がやけに忙しい。
この時節、忙しいというのも変だが、来月はもっと加速しそうだ。
まっ、忙しいうちが華というもの。
それで、いつもなら演奏会とかオペラのあとに寄るお店ですが、
クラキチのレストランガイド
最近は夜更かしするのも仕事が終わった時間あたりがちょうどいい。
11時とか、0時とか、1時とか。。
今週はどうなることやら。。

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758- ズービン・メータのテニスひじ1983-1984シーズン  -3-

2009-01-28 23:00:00 | 音楽

一昨日、昨日の続きです。

シーズンが終わりきっていない中、ニューヨーク・タイムズにはメータのキャンセルに伴う代替指揮者の評や、もともと予定されていたほかの指揮者のキャンセルも含めいろいろと下世話な話が続く。

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198457()

ニューヨーク・タイムズ

Philharmonic Copes with Mehta’s Elbow but Pays a Price

フィルハーモニックはメータのひじへの対処を実行。しかし付けは払う。

By BERNARD HOLLAND

バーナード・ホランド

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アンドリュー・デイヴィスとロバート・ショウは、休暇の最中であった。ヴァツラフ・ノイマンはチェコ・フィルとともにアメリカ・ツアー中であった。ウエールズ国立オペラで2ヶ月のオペラ公演を計画していたマイケル・ティルソン・トーマスは監督とともにそれを放り投げ、自分のスケジュールの予期せぬギャップを見つけることとなった。ニューヨーク・フィルハーモニックは今春、たくさんの指揮者を発見したし、指揮者はいないものだということもわかったが、これらの指揮者や他の人たちはフィルハーモニックを助ける為に駆けずり回った。

フィルハーモニックの3月後半の危機はメータの痛むひじのせいであった。329日に指揮をしなければなならないので、その二日前にリハーサルを始めるためにフィルハーモニックの音楽監督は320日イスラエルから電話してきた。予定されている公演を危惧するに足る痛さであった。メータが翌月曜日に到着するまで確定的なことは何も言えない。最初の衝撃が駆け抜け、フィルハーモニックの管理監督であるアルバート・K・ウエブスターと音楽運営のフランク・ミルバーンは電話をかけ始めた。

音楽家の仕事のスケジュールはしばしば4,5年先までいっぱいである。従って、運と少しばかりの禁欲が必要である。どこのリストも多くのビックネイムは空いていないという認識で満たされていた。音楽家のマネージャーたちには相談があった。誰がそこにいなくて、誰がやる気があって、誰が可能なのか。

「すごくはやく。

私たちは世界中のどの有名な指揮者がどこにいるのか把握できる専門家になった。」ウエブスターは言い放った。

オーケストラにとっては既に悲惨なシーズンであった。手首を骨折したラファエル・クーベリックは当月前半の2週間におよぶフィルハーモニック・コンサートから退いていた。アンドレ・プレヴィンはつま先の怪我のため12月の契約をキャンセルしていた。1983-1984年シーズンはオーケストラ35週の定期公演のうち11週は代替指揮者の公演になってしまった。ウエブスターが言うには、「普通、キャンセルにともなうノルマは1年に4週間ぐらいだ。」

メータのひじの問題は新しいものではない。ミルバーンはベルリンにおける9年前のトリスタンとイゾルデを思い出した。同様なひじの不快感からの回復の為、第3幕前の休憩が長くとられたのだ。

「これは大きな問題になるとここ一年半ほどの間に認識しました。」とウエブスターは言った。「コーチゾン注射は効かなかった。6ヶ月の不在(6週間の誤り?河童注)は計画通りだったかもしれないが、彼のようなキャリアをもった人間は休みを取りたがらない。外科手術は最後のリゾートであった。」

Laid Up for Two Weeks

327日、メータは極めて深刻なひじの慢性的な腫れ、外側上果炎、の手術を行い成功した。ある意味、この損傷はテニスひじと同様なものであったが、もっと重いものであった。それは指揮のときの精力的で激しい腕と手の動きの結果であった。

メータは一週間入院したし、もう一週間はニューヨークで家にとじこもっていた。のちにメータは、オーディションを行う場所そして先のプログラミングをとりおこなうニューヨークと、自宅のあるロス・アンジェルスの時間を切り分けていた。

指揮者たちはしばしば長生きする。彼らはテクニックが衰弱しばらばらになることを心配することなく(ピアニストやヴァイオリニストはめったに楽しむことは出来ない)、老年においても行動的で興味深いものを保持することが出来る。指揮者の行動的なアッパーボディー動作は循環系統を強くし寿命を延ばすと誰でも思うだろう。

その一方で指揮者たちは整骨上の問題を引き起こしやすい。プレヴィン、トーマス・シッパース、小沢征爾、その他多くの指揮者たちが背中、ひじ、腕に問題を抱えている。フィルハーモニックは今春、良い状況を得たと言える。危機により良い側面を経験した。つまりフィルハーモニックと聴衆はあまりなじみの無い指揮者を見る機会を得た。実際のところ、ギュンター・ヘルビッヒとヴァツラフ・ノイマンにとってこれらの演奏会はフィルハーモニック・デビューになっている。

それでも、当初予定されていた多くのプログラミングは失われてしまった。メータの在任期間中いろいろと不満はあるが、多くの評論家から彼は関心を引く演奏を行うということで同意されている。

The Program Changes

プログラミングの多くはなくなってしまった。クーベリックのキャンセルで、スメタナのわが祖国、他にマルティヌーやノヴァークの曲を削除することにより喪失感が始まった。三つの新作、ブーレーズのノーテイションⅠ、エリオット・カーターの三つのオーケストラの為の交響曲、ギュンター・シュラーのConcerto Quarternio、が抜け落ちなければならなかった。うわさによると、代替指揮者の一人がブーレーズの曲を志願したが、数日後当惑してもとの楽譜に戻った。

「これらは難しい曲なのだ。」ウエブスターが言った。「とにもかくにも、客演指揮者がニューヨークに持ってくるようなたぐいの曲ではないのだよ。彼らはここニューヨークでベストをつくし自分たちを目立たせ大きな契約が欲しいのさ。」

予定されていたドイツ・レクイエムはロバート・ショウにより危機から救われた。しかし、ブーレーズとハイドンの曲に代わって演奏されたノイマンによるフランクの交響曲は退屈で面白みがない置き換えと評されたようだ。同様にドヴォルザークの交響曲第7番は繰り返し演奏されて陳腐になったチャイコフスキーの第5番にとって代わられた。クーベリックによるわが祖国の演奏は、セミヨン・ビシュコフによるベートーヴェン、リスト、ラフマニノフに代わってしまった。

質問されたフィルハーモニックの奏者たちは指揮者の変更ですこし影響を受けたように見えた。「私たちはたくさんの客演指揮者たちと、今春もほぼ普段どおりの演奏を行うことができるのさ。」一人の奏者が言っている。「私たちは自分たちの前にあるものを毎週毎週揺さぶり続けるのさ。彼らが連れてきた誰でもみんな有能なんだから。彼らはスターではなかったけれども、私たちが嫌いな多くのスターではなかった。」

Need for One Conductor

しかしながら、首尾一貫したコントロールのなかで一つのパーソナリティーが相違を作るという感覚がオーケストラのなかにある。一つのコメントとして「それが私たちが好きなものなのかどうか、広く受け入れられているアプローチを我々は必要としている。」

ある奏者は、注意深く細部を構築し効果的なリハーサルを行ったロバート・ショウは印象深かったと言った。メータの離脱の結果として代わりに指揮することにおいて、それは衰退することはないという警告だとフィルハーモニックは言っている。それは、定期公演のチケットホルダーの間で予約していながら来なかった人たちをチェックすることではない。

演奏されなかった重要なアイテムはこの先、本来スケジュールされていた指揮者のもと演奏されるということをフィルハーモニックは強調した。つまり2シーズンにわたるクーベリックによるスメタナ、数年以内のメータによるカーター、ブーレーズ、シュラー。

メータは6月にロンドンのコヴェント・ガーデンでアイーダの新演出を予定している。今月からリハーサルを行う予定だ。最初のリハーサルは他の指揮者が行う予定だが、メータがそんなに早く再び指揮をすることが出来るのかどうか、いまだ疑いの目で見られている。フィルハーモニックは再び負傷することを懸念している。しかし、ウエブスターは言っている。「我々は何をすべきかズービンに言う立場に無い。」

メータは’84ホライゾン現代音楽コンサートにおいて67日にエイヴリー・フィッシャー・ホールで指揮をする予定だ。そして8月にはアウトドア・セントラル・パーク・エクストラヴァガンザで指揮をする予定だ。

ニューヨーク・フィルハーモニックは、彼の準備が出来ているのか確信があるのか?ウエブスターは「我々は確信しなければならない。」と言っている。

おわり

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Mehta2

Mehta3


757- ズービン・メータのテニスひじ1983-1984シーズン  -2-

2009-01-27 23:00:00 | 音楽

昨日の続きです。

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メータに代わって棒をとった一番バッターはマイケル・ティルソン・トーマスである。

彼はその初日1984329()、フィルハーモニックから謝辞を受けている。当然だ。何故って。彼もオペラを棒に振った。

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3/29,30,31,4/3 MTT

バーンスタイン/ディヴェルティメント

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4

ピアノ、アレクシス・ワイセンベルク

チャイコフスキー/交響曲第5

(本来はドヴォルザークの交響曲第7)

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このあと、ヤング・ピープル・コンサートを挟んで次のようにどんどん進んでいく。棒が代わってもひたすら前進し続けなければならない。

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3/31,4/4 ラリー・ニューランド

ヤング・ピープル・コンサート

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4/5,6,7,10 ヴァツラフ・ノイマン

チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1

ピアノ、ブリジッテ・エンゲラー

フランク/交響曲

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4/12,13,14,17 アンドリュー・デイヴィス

ハイドン/交響曲第44

ブロッホ/シェロモ

チェロ、ローン・マンロウ

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5

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4/19,20,21,24 ロバート・ショウ

ブラームス/ドイツ・レクイエム

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4/26,27,28,5/1デイヴィット・ジンマン

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン、アイザック・スターン

ヴァイオリン、グレン・ディクテロウ(5/1)

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5/3,4,5,5/8 ギュンター・ヘルビッヒ

ブリテン/セレナーデ

テノール、ペーター・シュライヤー、

ホルン、フィリップ・マイヤーズ

ブルックナー/交響曲第9

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そしてここからは当シーズン最後までエーリッヒ・ラインスドルフが棒をとった。やはり彼の存在感は普通ではない。

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5/10,11,12,5/15 エーリッヒ・ラインスドルフ

ショスタコーヴィッチ/チェロ協奏曲第1

チェロ、ヨー-ヨー・マ

ブルックナー/交響曲第1

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5/17,18,19,22 エーリッヒ・ラインスドルフ

モーツァルト/交響曲第35

ルーセル/交響曲第3

ラヴェル/左手の為の協奏曲

ピアノ、レオン・フライシャー

ラヴェル/ラ・ヴァルス

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5/24,25,26

マーラー 交響曲第3

メゾ、フローレンス・クイヴァー

ポストホルン、フィリップ・スミス

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これで1983-1984シーズンは終了したが、このあと5/31からすぐにホライゾン‘84ニュー・ロマンティシズムのイヴェントが始まる。

これは10回シリーズで、ニューヨーク・フィルの公演が5回。メータはこのシリーズのうち第9回目に復帰した。

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ホライゾン‘84プログラムⅨ

6/7 ズービン・メータ指揮

オリヴィエ・クナッセン/Where The Wild Things Are

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ホライゾン・コンサートについては別記します。

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756- ズービン・メータのテニスひじ1983-1984シーズン  -1-

2009-01-26 23:00:00 | 音楽

1983-1984シーズンの演奏会のことを長々と書いてますが、このシーズン中盤から終盤にかけて、音楽監督のメータが6週間のキャンセルをしてしまった。そのあたりのことについてちょっとピックアップしました。

指揮者たちの上半身の患いは他人が思うほど楽ではないものらしい。首、背中、ひじ、腕など、とにかく動かすところは運動選手なみに擦り切れているのだろう。晩年のフリッツ・ライナーのような指揮だと決して磨耗するということはないだろうが。

ズービン・メータは1983-1984シーズンの最後6週間を手術で指揮をまさに棒に振った。その代わりいろいろな指揮者を見ることが出来たわけであるが、オリジナルのプログラムが代わってしまった定期もあるわけで、一概に良かったとは言えない。

ニューヨーク・タイムズはメータの手術の翌日、そのレポートを載せた。

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1984328()

ニューヨーク・タイムズ

Zubin Mehta Out for Season

ズービン・メータ、シーズンを離脱

By JOHN ROCKWELL

ジョン・ロックウエル

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ズービン・メータは昨日の朝、右ひじ筋肉の重度の慢性的な腫れを治すために手術を行った。今シーズンのニューヨーク・フィルとの定期は終わりまでの6週間を指揮することが出来なくなるだろう。

ズービン・メータの症状は外側上果炎、いわゆるテニスひじと呼ばれている極めて深刻なものである。痛みが激しかったりそうでなかったりして、運動選手と同じようにしばしば指揮者を苦しめる症候群である。メータはここ2年間、外科手術はしたことがなかったが痛みが激しくなり、最近になって手術することを決めた。マンハッタンの外科専門の病院で手術を担当したレオン・ルート博士はメータの手術を、完全な成功、であると言った。

メータの右腕には少なくとも3週間、副木(そえぎ)があてがわれる。メータは回復までニューヨークにとどまり、フィルハーモニックの運営行事に出席する。しかし、415日のアジア協会主催のオーケストラ室内楽シリーズを指揮することは出来ないであろう。オーケストラとしては、67日からのホライゾン‘84現代音楽祭に復帰できることを希望している。

Four Conductors Selected

代わって選ばれた4人の指揮者

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1977年来フィルハーモニックに登場していないマイケル・ティルソン・トーマスが今晩と明日、そして火曜日にエイヴリー・フィッシャー・ホールで指揮することになっている。プログラムは、バースタインのオーケストラの為のディヴェルティメントと、アレクシス・ワイセンベルクのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、チャイコフスキーの交響曲第5番である。

45,6,7,10日の指揮者はチェコ・フィルのヴァツラフ・ノイマンでフィルハーモニックのデビューとなる。ノイマンのプログラムには、ブリジッテ・エンゲラーのピアノによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が変更無くはいっている。

アンドリュー・デイヴィスは412,13,14,17日に指揮する。ローン・マンローのチェロによるブロッホのシェロモも演奏される。続く2週間分の指揮者はまだ決まっていない。

419,20,22,24日のプログラムはブラームスのドイツ・レクイエムのままである。ソリストはレオナ・ミッチェル(424日のみマルヴィス・マーティン)、トーマス・アレン。合唱はウエストミンスター合唱団である。426,27,28日、51日のプログラムには、ブラームスのヴァイオリン協奏曲がはいっている。3日間はアイザック・スターンのヴァイオリン、最終日はグレン・ディクテローである。

最後の週はデトロイト交響楽団の音楽監督に内定しているギュンター・ヘルビッヒが、フィルハーモニック・デビューとなる指揮をする予定である。プログラムには、ブリテンのテノール、ホルンのためのセレナーデがはいっている。ソリストはペーター・シュライヤーとフィリップ・マイヤーの予定。

331日と44日のヤング・ピープル・コンサートはアシスタント・コンダクターのラリー・ニューランドが指揮をする。今春予定されていた二つの現代音楽、エリオット・カーターの3つのオーケストラの為の交響曲と、ギュンター・シュラーのConcerto Quaternioは翌シーズンに持ち越しとなった。

おわり

こんな感じで代替も豪華だと思えるのだが、予定通りでないこと自体がニューヨーカーにとっては不満なのであろう。ニューヨーカーを通り越して他のイヴェントに乗り換えたのなら怒りもわかるが、今回は指揮者のアクシデントであるため、お忍びで他のオーケストラを指揮する、といったことではなく、とにかく修復計画を早期に立てるのが最優先されたわけだ。

それでは、代替指揮者はどんな曲を振ったのか?またこの時点で決まっていない指揮者は一体誰になったのか?さらに、その評はどうだったのか?

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Mehta1_2


755- マゼール フランス国立管弦楽団 1984.3.21

2009-01-25 17:16:41 | 音楽

Scan10006

今シーズン1月はあまり聴きたい演奏会がない。

それで、あいかわらず昔話の演奏会から。

今書いているのは1983-1984シーズンに聴いた演奏会観たオペラだがなかなか書き終えない。それだけ聴きまくっていたわけだ。

今日はニューヨーク・フィルハーモニックのサブスクリプションの隙間に聴いていたグレイト・パフォーマー・シリーズから。

日、月、水はニューヨーク・フィルハーモニックのサブスクリプション・コンサートがないのでこのシリーズはエイヴリー・フィッシャー・ホールでやるときはその曜日に行う。あとはカーネギー・ホールで。

グレイト・パフォーマー・シリーズというのは手っ取り早く言うとアメリカ国内他州などを含めた国内外の外来演奏団体等によるニューヨーク公演のこと。

それでは当時のまんま(ほぼ)の感想から。。

1984321()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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グレイト・パフォーマー・シリーズ

フランス国立管弦楽団

50周年記念

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ドビュッシー/海

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ラヴェル/ピアノ協奏曲

 ピアノ、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー

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ストラヴィンスキー/火の鳥、全曲

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(アンコール)

デュカ/魔法使いの弟子

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ロリン・マゼール指揮

フランス国立管弦楽団

久しぶりにマゼールを聴く。たぶんアメリカでは来て初めて聴くマゼールの指揮ぶりである。

あいもかわらず恐ろしいほどの暗記力と解析度。ほとんど信じられない。

いくら頭が良いとはいえあの暗譜力には本当に感心の度を越してそれはほとんど驚きとさえいえる。

例えば、このストラヴィンスキーの火の鳥全曲を楽々と暗譜でこなすのは言うに及ばずそれにもましてすごいのは各楽器に対する全く適切な指示。あの指示の仕方を見ていると彼は絶対に全てのパート譜を暗譜しているとしか思えない。それでもってその指示の仕方がまた不安感を伴わないものだからオーケストラの団員も安心して演奏ができる。というよりも尊敬の念とさえいえるのではないか。彼は自分で顔を向いていない方向にさえ何の苦もなく完璧な指示を常に送っているのだから。

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今日のプログラム・ビルディングはフランスものとストラヴィンスキーのバレエ音楽であるから、色彩的になかなか統一感のとれたものであり、なおかつ中身の充実度が高く、大曲を3曲聴いたような感じとなる。

そしてアンコールで魔法使いの弟子などというこちらでは全く予期していない思いがけない拾いものの演奏もあった。

休憩時間をいれて2時間半という最近の普通の演奏会ではあまり考えられないような長さであったが、充実度の方もそれに比例するように高かった。

この頃なにかと噂のマゼールの登場である。

この前のニューヨーク・タイムズにはマゼールはウィーン国立歌劇場の総監督の再契約をしないだろうという記事がでかでかと載っていて、彼はアメリカでも音楽通にとっては噂の人である。ずいぶんとマンハッタンで演奏会を聴いてきたが、聴衆の空気も彼には一目も二目も置いているというのがヒタヒタと伝わってくる。

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彼の指揮ぶりは昔から激しい。

そのリズミックな動きはたまにエイトビートを越して16ビートにさえなる。それは例えばストラヴィンスキーのような変則のかたまりみたいな曲でさえあいも変わらずひたすら激しい。

しかし、マゼールの動きにははたして誇張があるかと問われれば、無いと言わざるをえない。なぜならば湧き出てくる音楽もその通りなのだから。

それに風格も例えば、メータ、小澤、ムーティのような年齢の連中とはやはり一線を画すと思う。彼らは動きそのもののために音楽に乗るといった現象がたまに見られないこともなく、それが不自然さとなってあらわれる。しかしマゼールにはそのような不自然さはみられず、そこにあるのは恐ろしいほど完璧な楽譜への理解力である。聴衆がこのようなところを目の当たりに見せられたらやはり感心せざるをえないし、羨望みたいなものが湧いてきても不思議はない。

マゼールと彼らのようないわゆる有名な指揮者と言われる人たちの間にはやはりまだ隔たりがあり、彼らはそれを乗り越えていくべきなのだろうと思う。格が違うとはよく言ったものだと思う。

ただ、マゼールも -->


753‐ 華金がやってきました

2009-01-23 00:23:22 | 銀座にて

2jpg

さて、みなさん
いつものように華金がやってきました。
昨日までのいなかテレビによるアメリカ大合唱さわぎも少しは落ち着いてくれたでしょうか。
右向け右、左向け左。
上向け上、下向け下。
日本のいなかテレビはどうしようもないですなぁ。
わが街ケーブルテレビのマイナー放送実況と何も変わらないアナが、右手を縦にチョップしながら、アメリカから実況中継する様は滑稽以外の何ものでもない。このしぐさ笑えますよね。みんな金太郎飴のしぐさ。

この業界人間たちはなにを思っているのかしら。
頭をかち割って脳みそ見てみたい。
今週のばか騒ぎ放送を見ないで済ませる方法。
ウィークディはお仕事、華金はお酒、
これに限りますね。。

この時節、来日演奏団体も低調ですし、
ハイティンクのシカゴもあまり食指動かず。
今年は聴くほうもあまり熱がこもらない。
3月からの東京リング、あれだけですね。楽しみは。。
ラインゴールドは前回見逃しただけに余計楽しみです。
とりあえず初日の分はゲット済み。あとは何回行くか、だけですね。
ワルキューレ以降は前回全部観たのですが、充実した内容で楽しかったですよ。
もう一度観れるので楽しみ。

それでは華金、こちらにも寄ってくださいな。
夜中の飲み食い

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752- セミヨン・ビシュコフ ニューヨーク・フィルハーモニック1984.3.13

2009-01-21 00:10:00 | コンサート

Scan10006_2

 

 

1983-1984シーズンに聴いた演奏会から書いてます。

今日はラファエル・クーベリックがキャンセルした演奏会の模様。
 


 

1984313() 7:30pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

 

ベートーヴェン/序曲「プロメテウスの創造物」
 

リスト/ピアノ協奏曲第1

 ピアノ、アレクサンダー・トラッツェ

 

ラフマニノフ/交響曲第2

 

セミヨン・ビシュコフ 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

本来はラファエル・クーベリック指揮による「我が祖国」全曲の予定であったが、hairline fracture in right wristのためキャンセルとなり、わけのわからない若い指揮者の登場となた。是非クーベリック指揮、スメタナ/「我が祖国」全曲を聴きたかったのだが、いたしかたない。

曲は全くエントロピーの極致みたいなまとまりのないプログラム・ビルディングとなってしまった。

なにか団員に指揮者の方が試されているようでもあり、その雰囲気がなんとなく聴衆に伝わってくるようでもあり、何故か変なこころもちとなる。

リストなどはピアニストともどもただ馬力のみで勝負しているような傾向があり聴いていて疲れた。ポエムのかけらもなかった。

ラフマニノフはおそらくこの指揮者の十八番なのであろう。なかなかの手さばきであった。しかし、このとりとめのない曲にとりとめのない解釈をしてもどうしようもない。今日は途中で席を立った人が非常に多かった。
おわり 

 


751- キリ・テ・カナワ リサイタル メト 1984.3.11

2009-01-20 00:20:00 | 1983-1984seson






1984年3月11日(日) 5:00pm メトロポリタン・オペラハウス

ヘンデル/「サムソン」から「輝けるセラフたちを」

シューベルト/4曲

シュトラウス/4曲
 子守歌
セレナード
悪天候
解き放たれて

デュパルク/2曲
 旅への誘い
 戦のある国へ

フォーレ/2曲
 夢のあとに
 ネル

カントローブ/「オーヴェルニュの歌」から4曲
 女房もちはかわいそう
 子守歌
 紡ぎ女
 背こぶの人

イギリスのフォークソング/4曲
 ブリテン/サリーの園、とねりこの林
 HUGHES/I know Where I’m Goin’
 ブリテン/オリヴァー・クロムウエル

ソプラノ、キリ・テ・カナワ
ピアノ、ジェイムズ・レヴァイン
のはずがアクシデントにより、
ピアノ、ダグラス・フィッシャー

レヴァインにちょっとしたアクシデントがあり、ピアノが弾けなくなり、かわりに全く知らない若者が出てきた。
その前にとりあえず、レヴァインが謝りの挨拶をしに出てきたわけだが、こうやってみると彼は本当にメトの住人みたいなものだなぁとつくづく感じないわけにはいかない。なにはともあれ一応は顔を出すのだから。
ということで代役のピアニストはメトで華々しいデビューをかざってしまうことになったらしい。

カナワはいくつか知らないがいわゆる八頭身美人とでも言おうか、素晴らしく均整がとれ、出てくるだけでホールがなごむ。変なせせこましさがなく堂々としていて見ていて実に気持ちが良い。

最初はやはりピアノとしっくりこない面があり、曲によっては歌を間違えて最初から歌いなおしたのもあったくらいで、かなりピアノに気を使っていた。しかし、ここらへんのタイミングにおけるアメリカ人聴衆の気持の盛り上げ方は抜群だ。
カナワの声はいわゆる典型的なソプラノの美声とでも言おうか、セクシーな雰囲気は裏切らない声である。低音のヴォリュームがもうひとつ出ないような気がしないでもないが、安定感は抜群であり、またその美しい高音におけるピアニシモの微妙な変化がなんとも言えない。本当にその容姿と美声の両方で聴衆を包み込んでしまう。
曲はほとんど断片みたいなものばかりで、本当はもっと大曲というか重みのある曲に挑んでほしいような気がした。アンコールの最後の曲でみせたピアノ伴奏なしの正確無比な安定感はやはり実力そのものである。
おわり

二日後にニューヨーク・タイムズに評が載ったが、数歌った曲の列記みたいなところがありあまりほめられた内容ではない。



RECITAL: KIRI TE KANAWA
By BERNARD HOLLAND
Published: March 13, 1984

THERE was a subsidiary drama surrounding Kiri Te Kanawa's song recital at the Metropolitan Opera Sunday afternoon that often proved more vivid than the singing itself. James Levine, Miss Te Kanawa's scheduled accompanist, had rehearsed with her all week despite a cut finger; but finding the soreness increasing, Mr. Levine called in - less than 24 hours before the concert - young Douglas Fisher to replace him. This was Mr. Fisher's first major New York appearance; and with a soldout house at the Met, it must have been a daunting one.
The program he faced was difficult but extremely rich - Miss Te Kanawa choosing such Schubertian beauties as ''Du bist die Ruh' ,'' ''Gretchen am Spinnrade'' and ''Nacht und Tr"aume,'' Strauss's ''St"andchen'' and ''Befreit'' and the magical ''L'invitation au voyage'' by Duparc.
At the start, her strong, even soprano hurtled confidently through ''Let the Bright Seraphim'' from Handel's ''Samson,'' mashing some of the quick detail on its way but giving the music a sense of force as well. The heart of her program - the four songs by Schubert and four more by Strauss - seemed touched, however, only from a distance. The long exposed lines of ''Nach und Tr"aume'' were smoothly handled - indeed, one could only admire Miss Te Kanawa's skillful production of sound. Yet in almost all the German songs, there was a detached beauty that seemed to float clear of the music's emotional and spiritual core.
The French items were elegantly sung; and beginning with Faure's ''Nell,'' then four ''Chants d'Auvergne'' by Canteloube, and finally the English folk songs, Miss Te Kanawa's voice and her heart seemed to come together. Especially striking were ''The Sally Gardens'' and ''The Ash Grove'' in Britten's wonderfully original arrangements.
Mr. Fisher proved himself a musical and cooly reliable pianist, surviving even a major memory lapse by Miss Te Kanawa in Strauss's ''Wiegenlied.'' His collaborations were often too reticent - particularly in the Duparc - but his modesty, given the situation, was certainly understandable.

 










750- 楽しむのが一番

2009-01-19 00:10:00 | 音楽

レコ芸に吉田秀和氏の連載もの「之を楽しむ者に如かず」がある。20091月号を読んでいてどうも妙に気が落ち着かない。

この号の副題は

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ワルターとペライア

―運命的なものの反映として

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というものだが、メインのスポットライトはペライアのピアノ、ワルターに関してはその時代の他の演奏家のことも含め散文的な序文だ。

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氏はものを書くときおそらく資料的なものをなにも見ずにそれまでの積み重ねの経験、知識、記憶で書いていると思う。見ながら書くと流れが損なわれ文章がごつごつとなる。それはわかるのだが、あとで調べることもしていないと思う。あとで調べてわかるようなことを多く書いているのでわかってしまえば文章が成り立たない箇所が多い。

このようなことは昔はあまりなかったような気がする。

この号の連載の前半部分を読んでみるとよくわかるが、なんと‘?’の多い文章だろう。

昔話で的確に思い出せない部分に‘?’がやたらとついている。昔何回も取り上げた内容を散文的にブツブツと切れたように書いている。内容は深いとは言えないし、副題の演奏家の連関も今ひとつ説得力に欠ける。

‘?’の出現が全体的に、音楽の肯定要素を薄めてしまって力強さに雲がかかっている。

こんなことを書いていて昔話をするのも変だが、昭和40年代一番最初に「吉田秀和全集」のその1巻目が出たときはすぐに買った。平易な文章とスコアが一般文章の中に頻発するのが新鮮で、それまでのいろいろな単行本の焼き直しの内容もあったと思うが、どんどん読めて楽しかった。

第何巻と第何巻で言っていることが違うではないか、などと手紙を書き直筆(と思われる)の返事をいただいたこともあった。結局第1213巻あたりまで買い続けいつのまにかやめた。たしか、第10巻までは連発で刊行されたが、そのあと11巻からとびとびの発売になったような記憶があり、そのあたりから別の方に関心がいったのかもしれない。今考えると氏の考え方というよりも音楽の知識、接し方についていろいろとためになったことの方が大きい。その後、反発したりもしたが、あれは今考えると反抗期のようなものだと思っている。

1950年代のヨーロッパ音楽旅行が、第2の原点、音楽評論においては原点のように思える氏の活動、当時であれば最先端の音楽情報がはいってくるなかでうまくさばきながらの執筆活動それらが目に浮かぶ。

いまはどうであろうか?

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749- 冬の旅 フローリアン・プライ グガバウアー 2009.1.15

2009-01-18 12:15:43 | 音楽

Scan10006

歌曲の公演にはほとんど行くことがないのだが、冬の旅に関しては、以前NHKの放送でツェンダー編曲の録音()を聴いてから少しは興味があった。そんな微熱しかないことをいいことに安眠を貪っているのも棚に上げ、千載一隅のこの機会を逃すまいなどというのもおこがましい。

2009115()7:00pm

サントリーホール

.

モーツァルト/交響曲第40

.

シューベルト/冬の旅、全曲

 (鈴木行一、オーケストラ編曲)

.

バリトン、フローリアン・プライ

ワルター・グガバウアー指揮

読売日響

チケットは昨年のうちに買ってあったのだが、あまりいい席ではなかったので当日受付にもっといい席がないか訊いてみたら河童用の特別席があるとのことで、差額の2千円を支払い特等席に座らせてもらった。ネットの座席指定はどうも信用できないというか、ろくな席がないわりには会場はガランとしていることもままある。この日は比較的盛況だった。

みんな熱のこもった静かな拍手をするなか、特別席のすぐ後ろでただ一人ブラボーコールを繰り返す聴衆がいて、これなどご本人の聴く才能を周りに示したいばかりの部分があり不快ではないものの、大げさに素晴らしいと対象を誉めることは自身の価値を知らしめる為にやっている行為だというのはいかにも本当くさいものなのだ。

ということで、席の関係か、オーケストラの響きが強い。フォルテシモでなくても強い。響き自体は美しいものの、ときとして音型をなぞってユニゾン風に奏される伴奏は問題ありだ。ベートーヴェン第九のトロンボーンのような雰囲気であり、それであればなにを学んでの編曲だったのだろうか。ワーグナーの素晴らしさは歌と楽器が対等に歌うことであり、そのようなものを今日のシューベルトに聴くほうが求めていたとしたら勘違いしてしまったということだろうか。

オーケストラを抑えて歌を聴かす編曲ではない。グガバウアーの棒は限りなく献身的なもので、シューベルトの歌、そして歌手に限りなく近いもの。音楽の流れをこれだけ細やかに的確に表現しても、あの艶やかなプライの声が残念ながら少しかき消される箇所がありもったいない。ユニゾンの音型なぞりはピッチが合えば合うほど声の響きがなくなる。聴いていてよくわかった。

ヘルマン・プライの全盛期は知らず、運動のあとの整理体操状態の舞台を何度か見ただけだが、そのヘルマンが編曲を鈴木行一さんに依頼してできあがったのが今日演奏されたアレンジでありドイツ各地で昔よく歌っていたとプログラム冊子には書いてある。

編曲にちょっとケチをつけてしまったが、一曲の歌が済んだところからそれぞれのエンディングに至るオーケストラの演奏に味わいがあり、歌の感動の余韻が余波のように徐々に静まりかえる様はかみしめる価値あり。

今日歌ったフローリアン・プライはヘルマンの息子。細身で、指揮者ともども長身が目立ち、読響のメンバーと首一個違う雰囲気で大人と子供のように見えなくもない。

フローリアンのバリトンの声はそんなに大きくない。艶があり張りがあり、一番にドイツ語の響きが美しい。オーケストラのハーモニーが美しいのか飽和しているのかデリケートなニュアンスの音模様のなかにたまにうずもれる瞬間がある。声をソロ楽器のような扱いにしていないのでこのようになる。でも個人的にはこのような音色変化があった方が楽しめる。全24曲、ポーズなしで1時間を超える美演であったが、ピアノ伴奏ではちと辛い。

このサントリーホールをまるで室内楽専用ホールの響きのように耳をそばだてさせて聴かせてくれたのはグガバウアーの棒によるところも大きい。前半のモーツァルトは横に置くとして、ウィーン少年合唱団のタクトをとっていた指揮ぶりはみごとであり愛着からしか表出されないような織物のような彩、色彩、見事。歌の聴かせどころで思いっきり抑えるようなしぐさが少し痛々しいほどオーケストラが響いてしまう個所が数か所あったが、それは別の問題。編曲があって指揮者がいる。

とにもかくにも個人的にはシューベルトの歌曲発見。いままでまともに聴いたためしがない。今日のプログラム冊子には、別冊で対訳がついており、ドイツ語と一行ずつ対に書かれてある。ホールの照明がもう少し明るければ見やすかったというのはあるが、親切なプログラムにかわりはない。オペラのように左右に字幕を設けるというのはどうだろうか。サントリーホールのワインヤードでは、その瞬間、バックステージサイドに問題が発生するが、なんとかいい手だてはないものだろうか。それで、

12Einsamkeit孤独

19Tauschung幻覚

21Das Wirtshaus旅宿

あたりが特に心に響く。

全曲を通しで緊張感のまま歌いきるのは並大抵のものではないと思われるが、そのなかで歌う本人の共感がなければ歌に深みは出ないし聴衆への説得力も出ない。出たときに、双方が共感の共有がなされる。音楽とはイメージかもしれないが、共感とは方向を一にすることでありそのときに波はときほぐされて空気振動は感動に変わる。

ところで前半のモーツァルトですが、意識朦朧というか、後半のシューベルトに備えて熟睡とまではいかなかったものの、全部繰り返す(たぶん)解釈は、かなりコンパクトなオケ編成もあり、変化というものがあまり感じられず、だから熟睡したのではないが(意識朦朧)、今一つの工夫が欲しかった。

*注

シューベルト/冬の旅

(ハンス・ツェンダーによる新しい編曲の試み)

テノール、ペーター・ブロホヴィッツ

ハンス・ツェンダー指揮

ウィーン・クラング・フォーラム

199497(ウィーン、コンツェルトハウス)

1時間33

NHK-FM放送日1995-5-3

.

1時間33分というのが興味深いが、実はほぼ同じ組み合わせで国内版CDがでている。

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ハンス・ツェンダー

シューベルト/冬の旅~創造的編曲の試み

テノール、ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ

ハンス・ツェンダー指揮

アンサンブル・モデルン

録音1994815

ヘッセン放送ゼンデザール

RCA BVCC888384

発売1995-9-21

これはCD2枚組で、

5049秒+3556

となっている。放送録音とだいぶ所要時間が異なるが、放送のほうはライブでありポーズをそのままいれているからだろう。

あらためて聴いてみようと。

おわり

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748-ギドン・クレメル&ヨー・ヨー・マ&カシュカシアン 1984.3.4

2009-01-15 00:30:00 | 音楽

Scan10006

とびとびになってますが昔の演奏会のことを書いてます。

今書いているのは1983-1984シーズンの演奏。

今日は久しぶりに室内楽です。

198434()3:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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グレイト・パフォーマー・シリーズ

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ベートーヴェン/三重奏曲Op.87

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エルンスト・クレネク(クルシェネク)

弦楽三重奏のための「バッハを讃える小音楽ブーケ」op.122

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ヒンデミット/弦楽三重奏曲第1Op.34

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モーツァルト/弦楽三重奏のためのディベルティメントK.563

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ヴァイオリン、ギドン・クレメル

ヴィオラ、キム・カシュカシアン

チェロ、ヨー・ヨー・マ

本質的に明るいのだろう。この若い3人にはなんのわだかまりもなく、ただひたすら明るい音楽が流れ出る。

クレメルの音は細く、鋼のようにとぎすまされ、自分の音、自分が出している音を冷静に聴いている。

ヨー・ヨー・マはいつものように非常に安定感がありヴァイオリンのように軽く明るく歌う。

そしてチェロとヴァイオリンの間にするりと入り込むようにヴィオラが女性らしく歌う。

ここには音楽の中にある、ある種の伝統とは無縁のところで発生している音楽が存在している。

本質的にネアカの演奏。

例えば、いくらうまく、いくら丁寧にメヌエットを演奏したところで、それらは全く自分たちのなかからのみ発生している。音楽にまとわりつくある種の雰囲気のようなものは自分たちから意識して作っていかなければならない、とすればそれは大変なことだろう。

.

たまにこのように昼間の演奏会に行くのも良いものだ。久し振りに光を浴びると本当に土日以外、外の光をほとんど浴びていないということがよくわかる。このようなときは暗いホールのなかにはいって行くのがちょっといやになる。まぁ、それにしても今日の演奏は明るく晴れやかであったのでそれなりに楽しめた。

おわり

以上、ほぼ当時のままの駄文であるが、一部、未来のことを言い当てているようなところもありびっくりしている。

昔は、クレメルもマも将来の大器を約束されているような雰囲気でまわりもそのような目で見ていたはずだが、いつのころからか二人とも民俗音楽系というかどうも妙な方向にいってしまい、もう戻ってこないのかしら?

オーソドックスな曲や演奏には、天才ゆえ飽きた?演奏史が途切れてしまうようなショックはマに対して大きいが、演奏とは消耗だったのだろうか?

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747- ジョン・コリリアーノ&ボブ・ディラン

2009-01-13 00:10:00 | 音源

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昔の演奏会の模様はちょっと休憩。昨日に続き、買いだめしていたソフトの紹介です。

昔の演奏会の模様は、ブログ左側の

「聴いたコンサート・観たオペラ」

のリンクからはいってもらいますとそれぞれのシーズン毎に一覧になっております。そちらもご覧ください。

さて、今日はナクソスのCDです。廉価盤と馬鹿にして無視したら大事な曲の素晴らしい演奏をだいぶ損したことになります。ここはだまって安物買いの銭得く。。でいきましょう。

.

年末の買いだめはまだまだ聴き終えるまで時間がかかりますが、よく吟味して買ったものばかりですから深くかみしめて聴いてみたいものです。

.

ジョン・コリリアーノ作曲

①ミスター・タンブリンマン:

ボブ・ディランの7つの詩

 Ⅰ前奏曲「ミスター・タンブリンマン」

 Ⅱ「物干し網」

 Ⅲ「風が吹く」

 Ⅳ「戦争のマスターズ」

 Ⅴ「ずっと時計台」

 Ⅵ「自由の鐘」

 Ⅶ後奏曲「永遠の若者」

.

3つの幻覚(「アルタード・ステーツ」より)

 Ⅰ犠牲

 Ⅱ賛歌

 Ⅲ儀式

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ジョアン・ファレッタ指揮

バッファロー・フィル

ソプラノ(電気増幅)、ヒラ・プリットマン

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NAXOS 8.559331

2007.3.5-6録音

バッファロー in ニューヨーク

ヴォイス・オーヴァー2008.6

ミスター・タンブリンマンを含め7つの曲はボブ・ディランの詩にコリリアーノが曲をつけたコラボ系のヘヴィーな曲。

ボブ・ディランの音楽は全く知りませんが、頭を無地にして聴くのもいいでしょう。コリリアーノの音楽はいわゆるポピュラー、ロック、ポップス等とは正反対なもの。正反対のコラボ?

まとわりつくようなコリリアーノ独特の音のうねりが気持を不安定にさせるのはいつものことながら、微妙に安定調性を求めたり求めなかったり、すぐに引き込まれます。

ヴォイス・オーヴァーで電気増幅、ミックスされたソプラノが強く響く。低音のエネルギーが十分とは言えないが、ゾクゾク感を味わうにはいいCDだ。

2007年の最新録音を廉価盤で手にいれることが出来る。いいことだ。

.

NAXOSCDを買うときは、プラケースの右上隅の国旗を見ながら探すと便利だ。星条旗が書いてあれば全部アメリカもの。作曲家がアメリカのもの。

そのうち買うのは、演奏もアメリカのもの。これ必須。

NAXOSのアメリカ音楽は充実しており、他の独占大レーベルに爪の垢を砕き煎じて飲ませてあげたい。

いつかまとめて書くことがあるかもしれませんが、アメリカ音楽を系譜としてではなく、純粋にその音楽を楽しむ、そのようなスタンスで買って楽しめるものばかり。他のマイナー・レーベルでもそうですが、昔はこんなにアメリカの音楽のソフトは売ってなかった。というか録音してなかったというほうが正しいだろうなぁ。今はかなり出てきており、NAXOSのように廉価で買えるということは二重にハッピーなわけです。

それで、もう一曲のほうですが、例の映画「アルタード・ステーツ」の伴奏音楽を編曲したものです。このケン・ラッセル監督の映画の音楽はコリリアーノが作ってますので、その断片ということになります。まったくコリリアーノそのものといった弦の絡み合いからはじまりますが、2曲目の賛歌は三拍子のメランコリックなメロディーが不気味に印象的。

ちょっと気になるのはアルタード・ステーツという語記。

発音からいうと、オルタード・ステイツの方がより近いでしょう。

直訳は?

変化する状態?変化させられた状態?

それと、この映画、カルトですか?

見る人いますかね?

みてますよ。DVDも持ってます。。

2

ということで、音楽は(も?)かなりのお勧めです。

このCDには日本独自文化であるタスキがついていて、全曲世界初録音と書いてますが間違ってます。初録音はタンブリンマンの方。

アルタード・ステーツの世界初録音はこちらです。

ジョン・コリリアーノの息子はジョン・コリリアーノ

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746- コレルリ&テバルディ 1973東京ライブDVD

2009-01-12 00:16:37 | 音源

1

 

1973年11月21日 NHKホール

フランコ・コレルリ、レナータ・テバルディ
デュオ・リサイタル
森正 指揮 東京フィル


画像とかのことは後回しにして、まず、この場にいた人たちは幸せだなぁー。
コレルリの絶唱が聴ける。
テバルディは不調なのかどうか、歌う曲が少ない。段取り時点でわかっていたのかしら?
全部で18曲中、コレルリが9曲。テバルディが7曲。二重唱が2曲。
観た印象ではテバルディはコレルリの半分ぐらいしか歌っていないような感じ。

コレルリの、歌う直前の姿勢を整える姿は、習字のときの正座、息を整える、そのようなものに通じるしぐさを感じさせるし、ハイ音の前の集中力もこれまた聴衆をも一点に集中させるインパクトをもつ。
それに舞台映えする姿は、その歌ともどもスーパーマンのように見える。
観てのお楽しみ。
テバルディに関しては、この日のレベルなら他にも上をいく歌い手が多くいると思うが、なんというか、栄光の歴史みたいなものがその背にある。後光が射している。

ところでこのDVDですが、ソフトだけとれば逆輸入です。歌い手から数えると逆逆輸入ということになりますが。
NHKからライセンスの許可をとってあると書いてます。
データは、

DYNAMICレーベル
DVDVideo 33542
DOLBY DIGITAL 2.0
COLOUR
89min

つまり、イタリア?のダイナミック・レーベルがNHKの許可のもと編集したもの。カラーで89分の収録ということになる。
日本での公演だが日本語の解説書はついていないので注意。但し、テレビ字幕、最初のアナウンスは日本語ですからそれはそれで便利です。コレルリ・ファンは地の果てまでソフトを求めたか。
それで、DVDをDVD&HDD&VHSマシンにかけてみた。プレイボタンを押して一番最初に出てくるのがこれ

9

NHKのニュースが終わったところからはじまります。次に10:10芸術劇場の放送となります。つまり当時のNHK教育の番組「芸術劇場」のダビングですね。これは。
ほんとに正規品?と思ってしまいます。でも、買ったのは銀座の山野楽器だし、HMVとか塔レコのサイトでも発売してますから正規なんでしょう。編集しわすれたんでしょうかね。
編集はかなりやっているようで、オーケストラだけの演奏はあったがどうかわかりませんがこのDVDにはありません。入場退場もすこし編集があるようです。ただ歌っている途中で切れるような箇所はないようです。
オープニング含めインデックスが19まで。18曲まるごとはいっております。全89分。結構ヘヴィーですね。
正規のプログラムはインデックス14のラ・ボエームの愛の二重唱まで。そのあとはオーケストラ団員が退場し、ピアノが出され三浦洋一さんの伴奏でコレルリ3曲、テバルディ2曲の大アンコールが始まります。

この時点で聴衆はかなりエキサイト気味となっており、前方に押し寄せた連中がステージにかじりついたり(ほんとかいな)、かじってる横でバンバンと床を叩いたりと、当時のカラー画像からリアリスティックな模様が垂れ流され続けられます。いいですね。

デュエットは二曲です。ボエームの愛の二重唱はわりと粗雑にはじまります。
Che gelida maninaもSi Mi chiamano Mimiもなく、いきなりO soave fanciullaの二重唱から歌われるため、心の落着きがない状態からの開始。
最後のハイCはコレルリが完全に決めてます。ここ何回観てもいいですね。
フォルテシモでの決めとなりますが、オペラではだいたい舞台裏からの絶叫ですので、この日のようなリサイタルではまた別の味わいがあります。
今のテノールでここ完全に決めれる歌手いますかね。生で決めたのを聴いた記憶がない。
だいたい下げます。
二重唱の妙はもう一曲のデュエットであるオテロの出来の方がいいでしょう。
それにしてもだ、リゴレットはとめどもなく暗いストーリーだが、あの立ち姿、歌で女心の歌を歌われてしまったら、まっ、いいかな、って感じてしまってもおかしくない?


この放送はテレビでみた記憶があるが、どんちょうの前で歌っていたような記憶が目に残っているので別の放送だったかもしれない。
おわり


745- レナード・バーンスタイン ウィーン・フィル NYT評1984.3.2 =5=

2009-01-11 00:34:38 | 音楽

1984年のウィーン・フィルによるカーネギー・ホール公演のことを幾分間延びしながら書いてきました。最初に書いたのは735-

全体像は1983-1984シーズンの聴いたコンサート観たオペラに書いてあります。

1984年、ウィーン・フィルによるカーネギー・ホールの公演は229日、31日、32日。これまで、229日、31日のことについて書いてきました。

最終日の32日は同演奏会に出かけておりませんので、ニューヨーク・タイムズに載った評をかいつまんで書いておきます。

198432()8:00pm

カーネギー・ホール

.

モーツァルト/交響曲第41

ブラームス/交響曲第2

.

レナード・バーンスタイン指揮

ウィーン・フィルハーモニカー

ニューヨーク・タイムズはウィーン・フィルの評を3日連続で載せるという力の入れようで、この最終日の公演も、最初2日と同じジョン・ロックウェルが評をかいている。

かいつまんで自由に訳すと、

まず、この年のウィーン・フィルによるアメリカ8都市のツアー、皮切りとなるニューヨーク3公演に最大級の賛辞を送っている。

今回の3公演で取り上げている18世紀後半の交響曲、ハイドン88番、モーツァルト4041番におけるバーンスタインの素晴らしさ、特に第4楽章における自由に歌う表現の見事さを伝えている。ジュピターの終楽章の素晴らしさをわりとしつこいぐらい褒めている。このジュピター、45分ぐらいかかったようだ。

ブラームスも爆発的な終楽章のことを書いている。

バーンスタインは必ずしもブラームスに合っているわけではない。過度なロマンティシズムは避けている。

ウィーン・フィルの表現の陰影の濃さ、彫の深さの見事なこと。

.

バーンスタインの役割は、オーケストラにインスピレーションを与えること。そして今回の公演は大成功。若かりし頃ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督であったときのようにウィーン・フィルと楽しんだ。

結局この3日目の公演が一番素晴らしかったが、3公演ともに語られるべきものだ。

ウィーン・フィルは世界で一番すぐれたオーケストラというより、その地で作曲された曲を演奏することにおいて最もすぐれたオーケストラ。ウィーン・フィルはソノリティ、スタイルの点で他の追随を許さない。また、現存する指揮者でバーンスタインと並ぶ者はいない。

おわり

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