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2019年8月26日(月) 6:05pm-6:58pmギリギリまで ブルーローズ、サントリー
トーク プレ・コンサート ミカエル・ジャレル、細川俊夫
2019年8月26日(月) 7pm-9:10pm ブルーローズ、サントリー
ミカエル・ジャレル 作品
エチュード ピアノのための(2011) 11
ピアノ:永野英樹
『ベーブング(ヴィブラート)より』 クラリネットとチェロのための(1995) 20
クラリネット:上田希
チェロ:多井智紀
『...分岐された思考...(ナッハレーゼⅦb)』 弦楽四重奏のための(2015) 4-4-4-7+2
ヴァイオリンⅠ:辺見康孝
ヴァイオリンⅡ:亀井庸州
ヴィオラ:安田貴裕
チェロ:多井智紀
Int
『無言歌』 ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための(2012) 11
ヴァイオリン:辺見康孝
チェロ:多井智紀
ピアノ:永野英樹
『エコ』 声とピアノのための(1986) 8
ソプラノ:太田真紀
ピアノ:永野英樹
『分岐(アソナンスⅠc)』 アンサンブルのための(2016)(日本初演) 12
指揮:キハラ良尚
フルート:上野由恵
クラリネット:上田希
バス・クラリネット:山根孝司
打楽器:神田佳子
ピアノ:永野英樹
ヴァイオリン:辺見康孝
ヴィオラ:安田貴裕
チェロ:多井智紀
コントラバス:地代所悠
●
サントリーホール サマーフェスティバル 2019
~サントリー芸術財団50周年記念~
サントリーホール 国際作曲委嘱シリーズ No. 42
(監修:細川俊夫)
テーマ作曲家〈ミカエル・ジャレル〉
《室内楽》
恒例サントリーのサマーフェスティバル、今年のテーマはミカエル・ジャレル。細川俊夫がベルリン芸術大学からフライブルク音楽大学に移ったときに同じクラスにいたということだから同じような年代、環境で空気を吸っていたわけだ。
この日はオール室内楽で6作品。全部初めて聴く。おしなべて規模が大きい。大規模でヘヴィーな作品群。室内楽の編成ではあるのだが多彩な音色。ピツィカートの多用。短切音とそれの連続。関連した音高で次々と推移。3曲目の弦四による分岐された思考は、明確な形式、緊張感あふれる音楽。第2楽章のピツィカートによるスケルツォ風味、終楽章に付けられたピツィカートはコーダ風であり、連関を感じさせる作品で圧巻、特に印象的な作品でした。
細かい解説は分厚いプログラム冊子に書いてあるので、それを事前に手に入れておいて読んで臨むもロングな作品群に立ち向かうのはそう簡単ではない。
エチュード
ソロ・ピアノの曲。フランツ・リストにもとづくという言葉が添えられていて、かつ、エリオット・カーターに捧げられてる。といったあたりのことを頭に置きながら聴くことに。
思いついたような叩きつけ、短い音の粒とフレーズ。後半はだんだんと緩くなり弱音終止。
ピアノが共鳴機になっていくという思考のプロセスを追えればそこそこ理解はできるものかもしれないが、そこまでには至らない。
ベーブングより。
クラリネットとチェロの作品。ベーブングという別の作品から派生した作品とのこと。
ベーブングというのはクラヴィコードにヴィブラートをかけること、もしくはその奏法。だそうで、この原理を他楽器のアンサンブルに適用。音を引き継いでいき変調していく行為。
チェロはピツィカートを多用する。クラリネットは呼吸するようなプレイ。果たして上に言われるようなことが現象として発生したのかどうか、わからない。
分岐された思考
本日の作品群の中で一番の充実した作品。形がわかるので理解しやすいというのもあるかもしれない。
節目ごとのタイミングが、4-4-4-7-2。第1,2,3,4楽章と2分のコーダ、と、勝手に楽章数をつけてしまったが、そのような理解だ。
第2楽章はスケルツォで最後は減衰しながら終わる。第3楽章も跳ねる音楽。終楽章の進行は最後にコーダ風に付けた全部ピツィカートの収束するフィニッシュ。ここは第2楽章を思わせるもので、総じてこのように関連性が印象付けられる箇所があり、一つのまとまった作品としての充実度が感じられる。聴きごたえ満点でした。
以上3曲、ここで休憩。
無言歌
ピアノ三重奏曲。いわゆる無言歌と何が違うのか、弦に歌が現われてくる。
何種類かの緩急テーマが散らばる。散文的に漂流する。流れを聴くのみで、これもよくわからない。
エコ
ソプラノとピアノ。ルイス・デ・ゴンゴラのソネット80番にもとづくもの。プログラム冊子に日本語対訳がついているので理解しやすい。
その歌詞の内容の抑揚、歌う声の抑揚、これらが音楽の抑揚として一致している。声が入ると一気に雰囲気変わりますね。
分岐
これは比較的規模の大きいアンサンブルの作品。この日の締めくくりの曲としてここに置いたものだろう。
色彩感、多彩な音色、インストゥルメントの多さがそのまま多彩なミュージックを作っている。相応な面白さあったけれども、この日の6作品では一番できの悪い作品のように聴こえた。
以上合計6作品。プレイヤーたちの腕前は大したもので、こうやって演奏されてこその現代音楽と思う。絶賛。
6つ聴きましたけれども、3曲目の弦四のための作品が手ごたえありました。総じて、もう一段、ほりの深さが欲しいものだ。偽らざる実感でしたね。
おわり
2019年8月4日(日) 7pm 両国門天ホール
リチャード・キャリック 《音の手触り》2台ピアノのための(2015)世界初演 7
ピアノ、井上郷子、篠田昌伸
スティーブ・ライヒ 《ピアノ・フェイズ》(1967) 10
ピアノ、篠田昌伸、榑谷静香
エリオット・カーター 《ピアノについての2つの考察》より II. カテナリー(2006) 2
ピアノ、榑谷静香
エリック・リチャーズ 《フィールドの解明》(1988) 5
ピアノ、井上郷子
Int
アニア・ロックウッド 《RCSC》(2001) 3
ピアノ、井上郷子
エレノア・ホブダ 《スプリング・ミュージック・ウィズ・ウィンド》(1973) 10
ピアノ、井上郷子
ジョージ・クラム 《時代精神》2台の増幅されたピアノのための6つのタブロー(1989)
7-4-5-4-3-5
ピアノ、篠田昌伸、榑谷静香
●
第5回 両国アートフェスティバル2019〜芸術監督:内藤明美 7/28/日〜8/5月
8/4と8/5の両日は、演奏会タイトルとして、
コンサート「アメリカに見る創造精神」
芸術監督内藤明美氏の視点から、30年近く暮らすアメリカにおける独創的なピアノ作品を紹介します。
とある。
プログラム冊子はコンパクトながら、資料的価値も高い。このようなときに、特に現音系で、いつも思うのは、開場して30分で作品紹介資料を読むのは大変、あとで読むのもいいが、ここに並んだ7人の作曲家のピアノピースの事はまるで知らないし、どうしてもあらかじめ読んでおきたい。まして、一旦、音になって消えてしまったら、音源が簡単に手に入るかどうかもわからないし、どうしても始まる前にじっくりと読んでおきたい。というわがままな願望が先に立つということ。
現音系のレア作品や初演ものは特に、身を粉にして観て聴いてできる限り記憶の中に押し込める。まず、その努力が必要だ。冊子はとりあえずかじり読みし、あとでじっくりと読むときに音がよみがえってくれれば自分の脳みそに感謝だ。まあ、これはこれで楽しみといえるかもしれない。
アメリカの作曲家7名というプログラミングは壮観です。ざっくり、前半が通常のピアノ作品、後半はプリペアードっぽくなる。
キャリック
世界初演となっているが、今回のオリジナルなピアノ・デュオでは世界初演。ソロピアノなどで既に演奏されているようですね。
ドビュッシーの遊戯が下敷きにあるようですが、響きというよりもイメージの拡大ですかね。遊戯よりも短く切った音、それが水滴のように広がっていく。後付けではないなあと実感できるものだ。
ライヒ
ライヒ初期の作品。フェイズ・シフティングによるミニマル・ミュージック。2台のピアノの進行が少しずつずれを起こしていく。同一波長で片方の速度を上げていくとこうなるのか。音響・響きが焦点ですね。と言いたいところだが、造形も練られていて12音での繰り返し進行から8音列へ、最終的に4音リピートへと帰結する。一度聴いて容易にわかるものではない。10分のタイミングはこれ以上長くも短くもできないだろうな、というエキスのみの世界ですね。考えぬかれた作品に聴こえる。ずれが、3つ目の音を生んでいるようにも思えるのだが。
終わる少し前のところで地震があって、それでもポンポコリン状態が佳境に入っていて、とにかくそのまま進行。
カーター
晩年多作型の作曲家で作品カタログのうちの半分が80歳を越えてから。このカテナリー懸垂線は97歳の時のもの。和音がない。単音の連鎖ですね。このアイデアは作者のみぞ知るだろうが、エネルギッシュな97歳が見えてくる。速いパッセージが強烈印象、あっという間の2分。
2つの考察とあるからもうひとつピースがある。ぜひやってほしかったですね。
リチャーズ
聴いてる限り、タター、タター、といった単音の連打。連続する単音、ここから何を想像していけばいいのだろうかとは思うのだが。
タイトルのthe unravelling of the fieldはアメリカの詩人ダンカンの詩集the opening of the fieldをもじったものという。ダンカンの死を知ってインスパイアされたもののようですね。
譜面は4枚で綴じられていない。どこから始めてもよい。同一ページを繰り返してもよい。自由ですね。
以上、前半4曲終了。休憩があって後半はピアノで色々なことを始める。
ロックウッド
ピアノの内部奏法が顕著。ピアノ線を叩く、弾く、擦る。といった世界がでかい譜面1枚に綴られている。もはや、過激な世界とは思えない慣れっこな日常となってはいても、あらためてこうやって至近距離で見ていると、思考と苦難がしのばれるものだ。
RCSCというタイトルはあまり思慮が感じられず、タイトル、めんどうくさいわ、の雰囲気すらある。ピアニストのサラ・ケイ(SC)が、女性作曲家ルース・クロフォード・シガー(RC)へ敬意を表して、女性の作曲家たちに委嘱した7つの小品のうちの一つ。でも、もう少しましなタイトルつけてもよかった気もするが。
ホブタ
鍵盤の蓋は閉じられたまま開くことはない。多種のマレットとマレットモドキと呼んでいいかどうかわからないが、とにかく、見て感じる作品のようだ。
スーパーボール・マレットのちのフリクション・マレットを紹介したアルシデス・ランツァのために書かれている。グランドピアノの内部全体を7つの部分に分けている。このイメージがポイントかもしれない。
ダンパーペダルは踏み続けたまま。スーパーボール3種とゴムバンドを巻いたもの2種と同じくゴムバンドを折って縛ったもの1種。0.5リットルの酒ボトルに水を満たしたもの1種。これで計7種。加えて、プレイヤーの呼吸音、口笛、ハミングも。
これで大体イメージ湧きますよね。見るに限るといったところです。どうやったこういった発想になるのか脳みそを見てみたい気もするが、このプレイ行動じたいが脳みそなのかもしれない。
クラム
Ⅰ前兆portent
Ⅱ2人の道化師two harlequins
Ⅲ一弦器monochord
Ⅳ彗星の日day of the comet
Ⅴモルフェウスの王国the realm of morpheus
Ⅵ反響reverberations
この日最後の作品はクラムで30分に及ぶ規模の大きなもの。クラムの作品はつかみどころのなさもあることはあるが、一つの作品を丹念に聴いていくと、その努力が報われる快感のようなものが走るから手ごたえ感がよいわけですね。
タイトルにある、増幅された、というのはアンプリファイということですから大体イメージは湧く。それを現実のものとする。こういう機会はめったにない。
なぜ総タイトルがドイツ語なのかは固有名詞だからですね。ツァイトガイスト。6つの絵画の副題もzeitgeistを知る方にとっては何でもないことなのかもしれないが、全くわからないので手の施しようがない。副題と実音のイメージをひたすら結び付けて聴くのが関の山です。
そういったことはあるものの、聴いているとやっぱり充実感に浸ることは出来る。副題と曲想のイメージをたどりつつ、それらがよく一致しているなあと。聴き進むと、もはや、言葉の意味合いそのものの音ではないかという思いに至る。Ⅰの前兆がこのなかではトップの充実度。最初が肝心。いきなり全開して、そのあとの絵も勢いにまかせることのない見事な作品と思いました。良かったですね。まあ、これを聴きたかったのだ今日は。
以上、全7作品。堪能しました。ありがとうございました。
おわり
2018年12月5日(水) 7:00pm 紀尾井ホール
マーラー(シェーンベルク編曲) さすらう若人の歌 4-4-4-6
バリトン、萩原潤
vn1, vn2, va, vc, cb, fl, cl, per, harm, pf
Int
ブルックナー(1,3アイスラー、2シュタイン、4ランクル編)
交響曲第7番ホ長調 22-24-9-13
vn1, vn2, va, vc, cb, hrn, cl, per, harm, pf1, pf2
出演者
vnアントン・バラホフスキー
(バイエルン放送交響楽団メンバー)
vnダフィト・ファン・ダイク
vaベン・ヘイムズ
hrnカーステン・ダフィン
(紀尾井ホール室内管弦楽団メンバー)
vc伊東裕、cb吉田秀、fl野口みお、cl金子平、per武藤 厚志
(客演)
harm西沢央子、pf1北村朋幹、pf2中桐 望
br萩原潤
●
ブルックナー、交響曲第7番ホ長調
第1,3楽章 ハンス・アイスラー 編曲
第2楽章 エルヴィン・シュタイン 編曲
第4楽章 カール・ランクル 編曲
duration
1st mvt. 3-3-2-5-2-2-2-c3
2nd mvt. 4-4-6-1-7-c2
3rd mvt. 3-3-3
4th mvt. 1-2-2-2-1-2-2-c1
11人編成によるブルックナーの7番。このテンションの高さ。やっているほうも聴いているほうもこれ以上ないハイテンション。じっくりと構えて熟成のテンポ感。アンサンブルのポテンシャリティーの高さは個々の技量の見事なハイレヴェルリキからくるものだろう。それに、プレイヤー達が日常的にオーケストラル・パフォーマンスを夜な夜なやってる連中であり、シンフォニックな作品に対する絶対的強みがある。スキルと経験が万全。最高のブルックナーが奏でられました。
当時、小ぶり編成への編曲は手っ取り早く聴かせる等色々と理由があったのだろう。今やる意義、まあ、時代の多様性、求めるものがあればやるし、やってみたければ集まる。作品、演奏家、聴衆、それぞれの求心力のようなものが実現に向かわせる現代の波に乗ったのだろう。今この時代なら、聴くほうも半端ない連中と、やるほうも腹をくくるしかない。
前半のマーラーでは10人編成であったものが、フルートはホルンに替わって、ピアノは一人から連弾に。計11人の編成となった。
作品は一人の編曲ものでは無くて3人による編曲。まだら模様と言えなくもない。終楽章のクラリネットはやや安めの鳴りも耳に入ってくる。また、ブラスセクションの鳴りをピアノやハルモニウムでするだけではなくて割と低めの音域楽器をも代弁している音模様があったかと思います。
全体的にピアノは中桐さんがフメクラーで、弾くかめくるかの忙しさでしたね。
色々とそういったところもありましたが、作品全体の筋をきっちりと魅せてくれた最高のブルックナーで、これはここにいる演奏家たちのおかげ、様様、で間違いなし。
指揮者無しながらテンポが先走りしていく様子は無い。少しずつ速めになりそうな気が、最初はしたものの、こちらの杞憂。オーケストラに居る連中の凄さですな。つわもの達。
ゆっくりと始まったブルックナーは先を急がない。薄めの鳴りでも音楽の流れに隙間が出来ない。実音の余韻といった主題の変わり目の香りも香ばしい。透けて見えるディテールが一本ずつ波打つ。きれいだ。流れが美しい7番が一段と輝きを増す。転調で音色が変わらない味わいは、いつもオケでかぶれた身にはいいものかもしれない。味わい尽くしました。
70分に迫ろうという演奏、規模の大きな室内楽のイメージをはるかに越えたもので幽玄のブルックナー。いつもなら規模にアンバランス感が付きまとう終楽章なども惚れ惚れする造りと進行でしたね。あっという間のショートな展開部、そして3→2→1と出てくる再現部主題群。ここらあたり、展開部から再現部への動きは9番にみられる溶解の序奏か。明快な演奏に舌鼓を打ちながら改めて考えさせてくれる。
初楽章のソナタバランスと吹き上げるようなコーダと堂々とした余韻。丹念に掘り下げたため息のアダージョ楽章。きりりとしたスケルツォとトリオのメリハリの良さ。終楽章のコーダをむかえるところでフラッシュバックしましたね。お見事な演奏でした。堪能しました。
●
前半のさすらう若人の歌。
気張った力が見えない歌唱。素晴らしく滑らかな歌い口でコクがあり深みがある。一つ一つのワードがよくわかる。よく見える。
ゆっくりとした進行の中、マーラーの明るさと暗さが綯い交ぜになった複雑さ、23才頃の作品は触ればうずくデリカシーに富んだもの、萩原さんの歌唱で丹念に掘り尽される。
ワーグナーの響きを感じさせる3曲目の燃える刃、ドラマチックでスッと終わる。終曲は一段とテンポを落としピアニシモにこめた思い。滑らかな質感がツボにはまり、なにやら、複雑なマーラーも解決したような心地となる。若いマーラーが透けてみるような歌でしたね。スバラシイ。
紀尾井室内管の伴奏がキラキラと花を添える。ゴージャスな響きは少人数ながらも比重を感じさせるもので、この時代から先のマーラーの予兆も思わせてくれた。
噛み締めて聴くマーラー。
素敵な一夜でした。ありがとうございました。
おわり
2018年6月10日(日) 1:00pm ブルーローズ、サントリーホール
ベートーヴェン・弦楽四重奏曲サイクルⅤ
第3番ニ長調Op.18-3 5-2-7-5
第2番ト長調Op.18-2 5-6-5-5
Int
第7番ヘ長調Op.59-1 11-8-14+6
(ラズモフスキー第1番)
カザルスSQ
●
サントリーホール・チェンバー・ミュージック・ガーデン2018、日曜に散歩がてらうかがいました。
前半の2曲は古典的な型の中にあって作品をそのまま楽しむ感じで。
チェロさんが休みなく右左のプレイヤーを見回す。リーダーなのかどうかわかりませんが、観てる方としては、かなり、気になる。ご本人は音楽に集中しているのか余計な心配までしたくなる。
力をあまり入れなくても相応な響きのする小ホール。
軽い弾きでとげも角もない。肌ざわりのみの愉しみがそこはかとなく感じられて、もうひと声、突っ込みが欲しいなあと思う。
後半のラズモフスキー1番
前半と同じスタイル。心地よい演奏でした。が、
4つの音が集結してコブのような局面が無い。水銀のようなまとまりの瞬間が無いですね。ツボはどこなんだろうと探しているうちに終わりました。
上席確保でもフラットな床に椅子を置いただけのホールで視界わるし。
おわり
2017年12月19日(火) 7:00pm コンサートサロン、ヤマハ銀座
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2 幻想曲風 5-2+8
ピアノ、上野優子
ボルトキエヴィチ チェロとピアノのための3つの小品Op.25 4-5-3
チェロ、工藤すみれ
ピアノ、上野優子
リスト(サン=サーンス編曲) オルフェウス (ピアノ三重奏曲版) S.98 R.415 10′
ピアノ、上野優子
ヴァイオリン、西江辰郎
チェロ、工藤すみれ
Int
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調Op.11 街の歌 8-4-6
ピアノ、上野優子
ヴァイオリン、西江辰郎
チェロ、工藤すみれ
(encore)
ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ 6′
ラヴェル 三重奏曲 第1楽章 8′
ピアノ、上野優子
ヴァイオリン、西江辰郎
チェロ、工藤すみれ
●
豪華ソリストによるリサイタル。お初で聴くのは上野さん。新日フィルの定期会員2本持ってますので西江さんはそちらのほうでしょっちゅう聴いてます。工藤さんはニューヨーク・フィルのチェリストですのでそちらで見ております。
上野さんが書かれたプログラム冊子によると、西江さんは桐朋の先輩、工藤さんは高校の同級生。
プログラム後半はラヴェルの三重奏からベートーヴェンの街の歌に変更。
●
息の合った演奏でどれもこれも素晴らしいアンサンブル。3曲目のオルフェウスの最初の音を聴いて真綿のような肌ざわりにゾクゾクときました。前にヴァイオリンとチェロ、奥にピアノ。弦のふんわりとした輝きとそのバックでピアノがよく流れる。ピッタリと合った呼吸で満喫しました。
最初の曲のベトソナは月光とせず幻想曲風とクレジット。13番からの流れを感じさせる。
幻想曲風というとなんとなく縁をぼかすみたいなイメージがあるけれども、実際のところは芯があって輪郭が明瞭。2楽章の気分の転換、終楽章のスケールの大きい流れが素晴らしかったですね。
2曲目のボルトキエヴィチ。この作曲家の事は不勉強で全く知らなかった。会場で購入した上野さんのCDにボルトキエヴィチの作品が二つはいっているのでお得意のものなんでしょう。
工藤さんが前、ピアノはその後ろにセッティング。80人規模のサロンホールのかぶりつき席。工藤さんのチェロが約1.5メートルの距離で弾いてくれる。これだけ近いと、自分のためだけに弾いてくれている、というのが、もはや、錯覚ではないと、この実感。曲どころではなくなってしまったの。
不遇の時代を生きた作曲家。奏でられる音楽というのは、そういったものとは対極にありそうな何かうっすらとした希望のようなものが、心にペイントされた、やや明るいとさえいえる心象風景。
惚れなおしました。
3曲目が最初に書いたオルフェウス。オケで聴くものとは随分と違うサン=サーンス編の三重奏。別物の感じで聴きました。チェロ美しいです。
●
後半はラヴェルから変更になったベートーヴェン。若い作品でいまいち。
2楽章のチェロとヴァイオリンの掛け合いが魅力的。それと、終楽章の変奏。まだまだどんどん変奏を追加できそうな勢い。
アンコールのクレジットはありませんでしたが、一番上に書いた通りと思います。
楽しいリサイタルでした。
ありがとうございました。
おわり
2017年11月15日(水) 7:15pm 小ホール、トリフォニー
佐々木亮輔 人間的な2つの「性格」for 2tp-hr-tb-tba 7
石川亮太 金管大相撲 for 2tp-hr-tr-tb 5
ウェルナー・ピルヒナー ポケットにハンマーを持った男 for 2tp-hr-tb-tba 21
Int
山口尚人 ニュー・ブラス!(wp) for 3tp-hr-tr-tb 4
ヴァーツラフ・ネリベル 金管楽器のための三重奏曲 for 2tp-tb 4
オスカー・ベーメ トランペットのための六重奏曲 for 3tp-hr-tb-tba 6-3-4-4
(encore)
モーツァルト(高橋宏樹 編曲) モーツァルトだよ人生は 3
原六朗(浅見亜希子 編曲) お祭りマンボ 2
以上
トロンボーン、山口尚人
トランペット、伊藤俊、服部孝也、杉木淳一朗
ホルン、田島小春
テューバ、佐藤和彦
●
新日フィルさんのブラスセクションによる室内楽。この室内楽企画はお初で聴きます。この小ホールも初めて。
ちょっとデッドだがブラスにはちょうどいい感じ。
前後半3曲ずつ計6作品、うち5作品に参加したテューバは大変だったろうね、これ最初の実感。
最初の佐々木さんの作品は何かの入選作と記憶。二つのテーマで進めていく。今聴くとちょっとやにっこいところがあるように思う。いきなりこれから始めたのでこちらの没入度が浅かったのかもしれない。濃さは感じました。
新日フィルの面々は、普段二つ持っている定期シリーズで馴染みの衆です。こうやってあらためてオケではなく裸のブラスアンサンブルで聴くと新鮮味ありますね。まぁ、ザッツの合い具合が気持ちいい。こうゆうのを阿吽の呼吸というんですね。オケには無い接近遭遇ポジションですしね。
次の石川さんの作品。小泉首相の「感動した!」にインスパイアされたもののようで架空力士による相撲を、呼び出しから始める。行司、相撲、擬音効果的な吹きも含めしなるようなサウンド進行で面白い。しも手サイドにめくり台があり、めくりには相撲の様子を表わす縦字幕キャプション、黒子が一枚ずつめくっていく。演奏とよくシンクロしていて、面白い試み。
錦糸町で聴くと国技館の近さが実感される。
当オケ副首席トロンボニスト山口さんのプロデュースによる今回の企画、その企画タイトルはピルヒナーの曲から冠した。
大規模なブラスクインテット作品。7曲あって最後がハンマー男。ハンマー男は割とあっけない。それぞれのピースに説明が付いていて日本語の対訳が欲しいところ。作品のイメージが先か説明書きが先か、そんなところも味わいたかった。ピースごとの表情付けが明瞭。きっちりとメリハリ効いた演奏で覚めている目がさらに目覚める。
ブラバンだとやりがいあり過ぎまくりの曲だろうね。
●
後半、プロデューサー山口さんの世界初演もの。
久石さん的ミニマル風味をブラスでというものらしい。フレーズがつながっていくものというよりは、音を切っていって、それが連鎖していく。前半3曲のあとこれを聴くとなにやらオーソドックスなスタイルに聴こえてくるから不思議。もう少し長くてもいい作品。手応えありました。
ネリベル、ベーメに並べてきた山口さん新作という話しですな。
そのネリベル。安定の三重奏で、理想的なバランスとパワー。高音域低音域の動きが見事に一致。これだと金賞もの間違いなしでしょうね。堪能できました。
最後のベーメ。
山口さんのニュー・ブラス!とこの作品が6重奏。Njpに少しない熱量、内からのアツいものがこのオーケストラに欲しい、そういう思いからのプロデュース選曲。その期待にそえたか、はたまた。
熱いものではあったがさらなる精度が要求されるところも、の実感。
スタンダードナンバーで内容もシックで素晴らしく出来のいい作品だけに色々と見えてくるものもある。
充実した内容で楽しめました。トークやヴィデオも楽しかったし、演奏後の写真OKもいいですね。感動表現はスタンディングオベーションで、と。
ワンコインパーティーもあったようですね。錦糸町で酔ってしまうとたぶん、ハシゴすると思う。
おわり
2017年5月5日(金) 1:30-2:20pm 邦楽ホール、石川県立音楽堂
ベートーヴェン 「悲愴」ショートヴァージョン 5′
舞、藤間信之輔
笙、豊剛秋
二十五弦箏、中井智弥
モンティ チャールダーシュ 6′
笙、豊剛秋
中井智弥 花のように 7′
二十五弦箏、中井智弥
ベートーヴェン 「悲愴」2017音楽祭ヴァージョン 9′
舞、藤間信之輔
笙、ピアノ、豊剛秋
二十五弦箏、中井智弥
●
ガル祭2017
3人の自由な組み合わせによる4曲。うち2曲は悲愴第2楽章より。悲愴と言えば第2楽章という話か。
今回のお祭りでは悲愴をたくさん聴きました。この日の演奏は2人だけで、その楽器自体、線が細く、メロディーで形を整えていくようなところがありますね。
短い舞台でしたが楽しめました。ただ、トークが長すぎて、またその内容が笑いをとるようなところもあり、どうかなと思いましたね。
このお祭りはクラシック一色ではなかったようで、客種も別世界でした。
おわり
2017年5月5日(金) 11:00-11:45am 邦楽ホール、石川県立音楽堂
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調 大公 13-7-13+7′
ヴァイオリン、アン・アキコ・マイヤーズ
チェロ、クリスティーナ・レイコ・クーパー
ピアノ、バリー・ダグラス
●
ガル祭2017
ビッグなお三方によるヘビー級の演奏となりました。
ステージ左アキコ、右レイコ、真ん中奥にバリー。
チェロのレイコさんが皆さんの息を整えている感じがあります。表情豊かでアイコンタクトも率先して。
ヴァイオリンのアキコさんはひたすら弾きまくる感じで。奥のバリーは慎ましやか、音も弦の邪魔を決してしないレベル。
大きい曲、ピアノと弦がバランスよく滑らかに流れていく。抱擁されるような居心地の良い演奏。
最初はピアノが主導するような形、すぐに溶け込むように弦がメインストリームを作っていく。ピアノの主張は出しゃばらない、弦と同じように弧を描くような歌い口は繊細で時にストイックとさえ思えるバリーのもの。本当に良いアンサンブル。
第1楽章ソナタは巨大、チェロのレイコさんがしなやかにのびのびと歌う。アキコさんのヴァイオリンは時に鋭く刺さる。この2楽器による掛け合いはお見事ですね。バリーがソナタの形式感を保つ。
1楽章がこれだけデカいと次のスケルツォもデカいというか、ベートーヴェンの寸法レベルでのバランスの良さを実感できますね。余裕の2楽章。
次のアンダンテ・カンタービレは第1楽章と同じ規模。3楽器なれど隙間が無い。あるのだろうけれども、呼吸が素晴らしい。音楽がリアルに息づいている。真綿雲のように流れていく音楽。
音楽が呼吸をしつつアタッカでそのまま終楽章へ。突入という感じは無くてフワフワ雲の流れが少し速くなったようだという感じ。デリカシーも終楽章まで同じ香りで持ち越され漂う。生きた演奏。本当に素晴らしい。3つあわせて一つの楽器になった。
ベトソナ全とはまた違った趣きの曲、演奏、楽しめました。
おわり
2016年8月24日(水) 6:30-9:00pm ブルーローズ、サントリー
<オール・サーリアホ・プログラム>
6:30-6:55 プレ・パフォーマンス・トーク 25′
サーリアホ/細川俊夫
7匹の蝶(2000) 12′ vcアンッシ・カルットゥネン
トカール(2010) 7′ vn竹内弦 pf石川星太郎
テレストル(2002) 11′ fl梶原一紘、vn, vc, harp, perc, 指揮:石川星太郎
Int
ノクチュルヌ(1994) 5′ vnアリーサ・ネージュ・バリエール
光についてのノート(2010) (日本初演) 5′3′8′11′
vcアンッシ・カルットゥネン
石川星太郎 指揮 アンサンブルシュテルン
(encore)
不明 30″ vcアンッシ・カルットゥネン
●
サントリー サマーフェスティヴァル2016
サーリアホの室内楽を集めたもの。5ピース。ノクチュルヌ以外は2000年以降の作品。
作曲者と細川さんによるトークが6時半からあり結構長い話となった。気分は2時間半ロングの演奏会。
7匹の蝶。
明確に7つに分かれた小品。チェロ独奏曲で色々な技を使っていそうだ。技巧の詳しいところはわかりません。タイトルを頭に入れれば蝶が舞うように聴こえてくる。クルンクルンと飛んだりパタパタと飛んだり。7匹同時に鳴っているのではなく、7つの違う性格の蝶が順番に出てくるわけだ。ソリストの左手の動きが激しくて見ていても面白い。
この7ピースは蝶表現なのだろうが自分には明確にシベリウスのざわめきが聴こえてくる。
トカール。
ヴァイオリンとピアノの曲。異質な楽器の組み合わせの話が冊子解説に長々と書いてあるが、これら楽器の組み合わせは昔からあるもので、この説明には妙な違和感がある。
曲はヴァイオリンから始まるが最後まで聴けばピアノの主張が強いもの。音量的にも聴衆寄りのヴァイオリンよりも奥のピアノの音量が豊か過ぎる。印象としてはちょっとふやけた感じ。
テレストル。
フルート協奏曲の改訂版。二つのピースから成るが明確な区切りは無く連続演奏。前半は、もう、メシアンそのもの。刻みつける音符、急降下する音型。
鳥に関する曲で、解説ではメシアンとは違うと書いてあるが、メシアン風味満載の前半。
後半は少しゆったりとしていて遠心力の余韻のようなたたずまい。
ノクチュルヌ。
当フェスティヴァルをまとめたパンフレット(外で配るやつですね)には、この曲は入っていない。5分ほどの曲にわざわざヴァイオリニスト連れてきているので曲とは関係ないほうで訳ありなのかもしれない。この曲だけ1990年代の作品。
淡くて音量振幅も無く、いくらノクターンとはいえ、どこで演奏すればベストなのだろうか。
光についてのノート。
5楽章の曲ということだがポーズは3か所。解説とあわせてみるとおそらく第4,5楽章が連続演奏になっていると思う。セッティングはチェロ協奏曲です。
1楽章の静、2楽章の動、3楽章の流れ、4楽章のダークな装い、5楽章は余韻のたたずまい。4楽章のダークで濁ったような響きの流れの束が耳をひく。
闇の中に尻つぼみ的に終わる。
以上、
全曲表題付き。表題や説明でイメージをサポートしていくわけです。現代音楽は例えば、既存のシンフォニーのように曲を知らなくても形式やルールをある程度知っていれば初めて聴く曲でもいきなり理解を深めることができる、といったものではなくて、現代音楽でそれと同様なこと、もしくはそれに代わる別のルールのようなものがあればと思ったりもする。ルールは無くしたものがモダンな音楽なのだと言われればそうなのかもしれないが、ならば表題はルールではないのか。でもそれは、あらかじめ既存のものとしてあるわけではなくて、作品が出来る時にあるもの。常に新しいものが作られるのでそれはそれでいいのではないのか。たしかにそうかもしれない。
が、一度、このような演奏会で一切合切、表題副題解説のないものを聴いてみたい気もする。
それとも作り手はなにかインスピレーション的な物語がないと曲を作れないのだろうか。
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アンサンブルシュテルンはメンバーを固定しない団体とのこと。現代音楽の理解にはハイレベルの腕前があればあるほど聴き手の理解は深まると思う。メンバーはみなさん若くて素晴らしい腕前。切れ味が鋭くフレッシュで、このような音楽に積極果敢に向かって行っている姿がよくわかる。張りつめた空気感が心地よい。
指揮者のコントロールは的確で整理された演奏はお見事でした。
サーリアホのスペシャリストであるチェロのカルットゥネンともども、いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり
2016年4月15日(金) 7:00pm 小ホール、東京文化会館
ベリオ シーケンス7 10′ オーボエ、古部賢一
ベリオ シーケンス9 13′ クラリネット、アラン・ダミアン
ベリオ シーケンス12 18′ バスーン、パスカル・ガロワ
ブーレーズ 弦楽四重奏のための書、より
5 5′
6 6′
ジャック四重奏団
ヴァイオリン、クリストファー・オットー
ヴァイオリン、アリ・ストレイスフェルド
ヴィオラ、ジョン・ピックフォード・リチャーズ
チェロ、ケビン・マクファーランド
Int
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第16番ヘ長調op.135 7′3′7′7′
ジャック四重奏団
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前日に続き3大B、ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェンの組み合わせ公演。
東京・春・音楽祭の一環、ポリーニ・プロジェクトと銘打っているがご本人が出るわけではなく、冠演奏会で紛らわしいと言えば紛らわしい。
ベリオのシーケンスは前日はなにがなんだかわからなかったが、この日は少しこちらの理解が進んだような気がする。響きの世界ではなくその逆への思考の深化という感じで、たとえて言うとマーラーの5,6,7番あたりの究極の音響世界への思考推移と真逆的なもので、フォルムについても同じく反対思考のような気がする。既成概念を壊そうとするものではなくて、それと関係ないところでゼロから何かが生まれるときの逆のことをしているように思える。作品への照射よりむしろ演奏者への照射でここが終点。あるのは先ではなく戻ってくること。
この日の3曲は長大。
最初が7番のオーボエ。単楽器ではなくどこかで一つの持続音B音が最初から最後まで入る中での演奏。譜面の中に時間指定があるようで、そのようなものを含めた困難な技巧の方に気がいってしまうのをそうさせないための持続音なのかどうか意図はわかりません。最初と最後、古部さんがスタートとエンドを大きくアクションしていましたので、マニュアルベースの持続音音出しだったような気がします。
オーボエの音は、これは結果的な話ですが、次の完全オーソリティ2プレイヤー、クラリネットとバスーンに比べて、小さい。技巧指定への配慮が一因なのかどうかわかりませんけれども、曲想合わせ全体に繊細風味が勝っているような作品とプレイでした。
次が9番クラリネット。ダミアンのクラリネットは非常に滑らか。困難そうな音の推移をいとも簡単に吹いているのだろうとは思いますが、技巧に余裕があり、高低飛び跳ねるオタマジャクシもごく自然に聴こえてくる。楽しめる代物ではないが聴き手に色々と思考する余裕を与えてくれる演奏でした、
3つ目は12番のバスーン。これはベリオがデディケイトしたご本人の演奏。パスカル・ガロワはご本人というより、もう、御本尊という雰囲気。
この日の前半プロの照明は前日よりかなり暗かった気がしますが、それをさらに落とし、真っ暗状態にして暗闇の中からどこからともなく、なぎなたのようなものを持った影がのしのしとステージ中央に歩いてくる。なぎなたを横にして軽くお辞儀なのか重くてそうなるのか判然としない中、少しだけ照明が御本尊をスポットライトする。そこでようやくなぎなたがバスーンとわかる。目に見える譜面はなかったがもしかして楽器にフィックスしていたスマフォのようなものが電子譜面だったのかもしれない。でないとあんな恐ろしい18分もの演奏が説明つかない。神業という話です。それと電子音のようなサウンドが時折顔を出しますけれど、あれ、別なところで何か鳴っているのではなくて全部、御本尊のなせる技なんですかね、なにがなんだかわからないとてつもない演奏でしたね。鳥肌、サブいぼが出てきそうな不気味で恐ろしい演奏で、デディケイトされた作品の方がプレイヤーに屈服させられちまったような驚異の演奏でした。ありとあらゆる技巧が何の引っ掛かりもなく素直な悪魔みたいな雰囲気でホールを包む。ソロ楽器の技を堪能できました。素晴らしい演奏とアトモスフィア。
ヘヴィーな3曲、楽しめたというか、ねじふせられたと言いますか。
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こうなると、前半〆のブーレーズは最悪のプログラム・ビルディングがあらためてわかる程度の整理体操みたいな雰囲気でしかない。昨日も書いたが、なんでわざわざ二日に分けたのか。作品初演の時期が分散していて、その初演の束を想定したものという話であれば、さらに、振り返った歴史をトレースするものというのであれば、それはそれで大いなる時代錯誤としては理解できるが、そうでなければこんなことをするのは、商業的オペレーション、つまり二日に分けることにより人の興味をひいて入場者をつなぐという陳腐なレベル発想でしかない。
創作のずれはあったが4以外ほぼ出来上がっている作品を今の時代の人間はひとつの作品として見ることが出来ているのに、なぜ、わざわざわけるのか、一つの個体作品を聴くいいチャンスをみすみす逃したわけです。昨日も書いた、あと10分の世界です、この冠プロジェクトの最大の大失敗はこのブーレーズのプログラム・ビルディングです。ブーレーズを好むピアニストがプロジェクターですから、最悪の上塗りとしか言いようがない。
そのようなことがあるにしろないにしろ、5,6はあまりに唐突で薄い。インパクトがまるで無い。パスカル・ガロワの巨大な演奏の後に、跡形もない。あとでやっているのに、
むしろ、ガロワに感謝すべきは、とりあえず次にブーレーズを聴く体勢に気落ちをさせてくれたこと。そういう音楽会だったと思い出させてくれたことをガロワの演奏に感謝しなければならない。あれがなかったら本当に虚しさだけが漂う5,6だったと思います。
企画者は真剣にプログラム。ビルディングをしてほしいと思います。
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後半のベートーヴェンは、抜けた明るさのようなものが出てこない。何よりも、昨日同様、聴衆への訴える力が不足していると感じる。
ヴァイオリンは1番2番さんが昨晩とスイッチしておりましたが、演奏自体変わるものではありませんでした。
おわり
2016年4月14日(木) 7:00pm 小ホール、東京文化会館
ベリオ シーケンス1 5′ フルート、工藤重典
ベリオ シーケンス2 11′ ハープ、篠崎和子
ベリオ シーケンス6 12′ ヴィオラ、クリストフ・デジャルダン
ブーレーズ 弦楽四重奏のための書、より
1a 3′
1b 3′
2 12′
3a 4′
3b 3′
3c 2′
ジャック四重奏団
ヴァイオリン、クリストファー・オットー
ヴァイオリン、アリ・ストレイスフェルド
ヴィオラ、ジョン・ピックフォード・リチャーズ
チェロ、ケビン・マクファーランド
Int
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第10番変ホ長調op.74 9′9′5′7′
ジャック四重奏団
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「ポリフォニー的なリズムの統合」、この場合の自分の理解と言うのは、リズムがポリフォニック的に多リズム、そしてそれが一つの世界になる。始点と終点がそれぞれ一つずつあり、一つの始点から始まりすぐに4つのリズムに独自の広がりをみせつつ、一つの終点に収束する。それが連続していく。独自のリズムの広がりはバラバラではなくてユニバース的ユニットの世界で綴じられている。そういった感覚で聴きます。口ずさめるようなしろものではありませんがブーレーズの作品は割とよく聴く。誰風、メシアン風、レイボヴィッツ風、ウェーベルン風、でもなく、この凝縮されたポツポツ音楽と言うのはまさしくブーレーズ風としか言いようがないもの。この聴き方、非常に疲れた。ブーレーズのこの作品、縦のものを横にして聴くような努力が要る。そうすると不思議なことに自然と、これはものすごく凝縮、圧縮された音楽作品に間違いないとフツフツと思うようになってくるから不思議。疲れが快感に変わる瞬間ですね。
ハイなスキルレベルで鋭利なサウンドのジャック四重奏のこの集団。ブーレーズの作品には欠かせないものと思いました。研ぎ澄まされた響きがひとつずつ短く、すべての音に意味があるということをこのように明確に表現できる集団の見事なアンサンブルで聴かせてもらうと、もう声にならない満足感。完成度の高い演奏です。
「対立構造」、厳格や硬質、と、柔軟や豊かな装飾性や即興的な軽いリズム構造。これは楽章対楽章の対立。この聴き方には時間の推移を止めて聴ける技が要る。全体構造を俯瞰できなければなりません。それは割と得意なんだが、この対立する2種類のエレメントを理解するには、まとめて連続演奏されなければならない、とプログラム解説にある。当たり前すぎる話なのだが、このポリーニ・プロジェクトという冠プロジェクトでは舌が乾く間もなくわざわざ二日に分けているのでお話にならない。言っていることとやっていることがこれほど違うのも対立の構造なのか。ジョークが過ぎる。二日に分けたのが商業的なものだともし仮にすれば、実際のところ誰の企画か知らないが、ほとんど論外級のダメ企画です。わざわざ、数日に分けて演奏されるのが通例で今回は二日でやると胸を張っているのはたった2回で全部できるから素晴らしい企画だろうということのようですが、残り5と6は合わせてあと10分の時間があれば出来るのですよ。何を考えているのでしょう。素晴らしい企画なのにダメさ加減のほうが浮き彫りになるケースと言うのはよくあることとはいえ。
1と2、3、5と6、という束、演奏されてきた経緯束みたいなのは確かにあることはあるが。
まぁ、明日も行く。そうしないと自分の気持ちも完結しない、二日分のチケットを買わないとならない、わかっていながら商業ベースに乗らざるを得ないこのもどかしさ。
今日のジャックを聴くと、パリジイの録音はもう少しゆったりしているなぁと感じる。どっちがどっちと言うこともなくて、やっぱり生演奏の説得力は凄いものとあらためて感じるところでもありました。ジャックは楽章間の音合わせにかなり時間を取りますね。ベートーヴェンでも同じでした。
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ベリオの作品は、これはもうなんというか、何の世界かわからない。誰それさんのピアノリサイタル、同一作曲家の全作品連続演奏会みたいな世界の作曲作品版みたいなものでしょうか。フルート、ハープのシーケンスはポツポツと短く、突き刺さる音が連続する。上下によく飛ぶ音の響きの妙、音楽なのかどうかはわからない。
ヴィオラのかたはオーソリティのようでして、譜面無し。フルートやハープの楽想とそうとうに異なっていて最初から最後までギザギザ刻みまくり、これはなんなのか、やっぱりわからない。最後のみロングなトーンで落ち着きをみせる。
プログラム後半のベートーヴェンは、ブーレーズの流れから全く違和感がないもの。ベートーヴェンはやっぱり凄かったという結果に落ち着く。これはいいコンビネーションのプログラムと感じます。ジャックの演奏はブーレーズのときより柔らかい。滑るような演奏とまではいかない。息の合ったアンサンブルは音楽への共感はわかるが、聴衆への伝播がもう一つ欲しい。訴えかける説得力が要ります。
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この日の演奏会は、東京・春・音楽祭の一環。ポリーニ・プロジェクトという冠プロジェクトで、明日と二日続けて行うもの。
当公演はポリーニにより、本年亡くなったブーレーズにデディケイトするということで「ブーレーズ追悼公演」として行われました。
おわり
2016年4月8日(金) 7:00pm 小ホール、東京文化会館
モーツァルト 弦楽四重奏曲第2番ニ長調K.155 4′4′2′
ドビュッシー 弦楽四重奏曲ト短調op.10 6′4′8′8′
Int
ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲第2番イ長調op.81 15′15′4′9′
ウェールズSQ(嵜谷直人、三原久遠、横溝耕一、高岡廉太郎)
ピアノ、アレクサンダー・ロマノフスキー
●
東京・春・音楽祭より。
充実した濃いプログラムでした。
モーツァルトは軽快でリズミカル、歯切れのよい演奏で素直に楽しめました。このウェールズは普段は別のところで個別に活躍していて、ときおりこのように集結して演奏するのでしょうが、SQとしてのノウハウはグループとして基礎を固めていると思われます。呼吸が合っていて生き生きしている。溌剌とした演奏で裏表なくモーツァルトを楽しめました。このグループ、軽い音も出せるということでした、結果的には。
ドビュッシーは、一本ずつの線の細やかな動きのあや、弦が隙間なくホールに敷きつめられる。ウェットで途切れることのない作品で、まぁ、弦楽四重奏ものとオーケストラル作品との区別が一瞬つかなくなったりする。ドビュッシー堪能しました。
後半は、ドヴォルザーク1曲のためだけに来日したロマノフスキーのピアノが加わり極上のアンサンブル。これは聴く贅沢ですね。主導するピアノがきれいに流れる。フメクラーさんを見ていると随分と繰り返しの多い曲だなぁという実感なのですが、リピートでも表情が色々と変化していて味わいが深い。意識されたものと勢いの流れがうまくミックスした弛緩しない見事な表現でした。
ロマノフスキーの鍵盤に垂直にポーンポーンと跳ねるような腕の動き、斜めに風を切るようにグリサンド風に勢いをつける手、弦四グループをウォッチしながら絶妙な呼吸。
フレッシュな切れ味と真正面から作品に取り組む姿勢がにじみ出るウェールズ。ピアノと過度にずぶずぶにならず、むしろ端正と言いたいぐらいだが、これはこれで現代の呼吸のような気もする。5人衆みなさんそれぞれ相応な距離感を保ちつつ音楽の緊張感を作り出している。
ドヴォルザーク45分とヘビーな曲でしたけれども、最初から最後までこんな感じで楽しめました。歌うのだけれどもそれよりも全体の流れの見通しの良さ、素敵な演奏で満足しました。ありがとうございました。
おわり
2016年4月6日(水) 7:00pm 小ホール、東京文化会館
シューベルト 弦楽三重奏曲第1番変ロ長調 D.471 8′
ベートーヴェン 弦楽三重奏曲第2番ト長調 op.9-1 9′7′6′5′
Int
ブラームス ピアノ四重奏曲第2番イ長調 op.26 12′13′11′11′
(encore)
ブラームス ピアノ四重奏曲第3番ハ短調 op.60 第3楽章 10′
ヴァイオリン、長原幸太
ヴィオラ、鈴木康浩
チェロ、上森祥平
ピアノ、田村響
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東京・春・音楽祭より。
前半は三重奏。後半はピアノが加わり四重奏。ピアノの田村さんの見た目印象随分と変わった気がしました。それはそれとして、この4人衆素晴らしいアンサンブルでしたね。長原さんはオケ演奏会でよく見ますし、それぞれバリバリのプレイヤーたちです。
生き生きとハイレベル、レベル越えでいて、いっぱいいっぱいではなくて、余裕のある演奏で、変なわざとらしさもなくストレート。上森さんのチェロはシックで深い音色が魅力的ですね。
ベートーヴェンもブラームスもフォルムが強固。ブラームスの息の長さには少しばかりのめり込んでいかないと時間が長く感じるところもある。まぁ、それでも、ハーモニーだけで勝負しているような箇所がたくさんありそうなブラームスは、それはそれで味わい深く聴くことができました。ベートーヴェンの黒光りする三重奏は彼なら何本のインストゥルメントで作った曲でもあのような味わいを出せそうだと、なんだか納得。
いい室内楽の夕べ。楽しめました。
ありがとうございました。
おわり
前回ブログ820-で書いた続きです。
1984年のフェスティヴァルは7月9日から始まりました。翌日の10日から通いはじめ、2カ月弱のフェスティヴァル期間のあいだ10回ほど聴きました。今日はそのうちの最初のものです。
1984年モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル
プレ・コンサート・リサイタル
1984年7月10日(火) 7:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール
ホフマイスター フルートのための魔笛のテーマによる変奏曲
モーツァルトピアノ・ソナタK.331
フィリップ・アントルモン、ピアノ
キャロル・ウィンセンス、フルート
●
メイン・コンサート・リサイタル
1984年7月10日(火) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール
モーツァルト 弦楽四重奏曲第20番K.499 (ホフマイスター四重奏曲)
モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番K.478
モーツァルト フルート四重奏曲(ホフマイスターによるピアノソナタK.533とK.494の編曲)
ベートーヴェン弦楽四重奏曲第11番Op.95 セリオーソ
東京クヮルテット
ピーター・ウンジャン、ヴァイオリン
池田菊衛、ヴァイオリン
磯村和英、ヴィオラ
原田禎夫、チェロ
ゲスト・アーティスト
フィリップ・アントルモン、ピアノ
キャロル・ウィンセンス、フルート
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アップしてある写真のプログラムは順番変更となってます。記載した順番が正しいものです。
8時からのコンサートの前に必ずプレ・コンサート、リサイタルが7時からありましたのでそれも一緒にアップしました。
それでそのメインの演奏会の模様は?
昨日からモーストリー・モーツァルト・フェスティヴァルが始まった。去年もこの夏のマンハッタンの音楽祭を聴いたので、あれからはやくて1年も経ってしまった。夏のみんな暇のもてあましている連中にとってはちょうどよい暇つぶしではある。それに7月9日から8月いっぱい日曜を除く毎日ほとんど2カ月近くやっているので、観光などでばったりマンハッタンに来た人でも手軽に聴いていける気安さがある。
ただ、今日はものすごい聴衆であった。ほとんど満席で、エイヴリー・フィッシャー・ホールが立錐の余地もなかった。これは東京SQの人気によるものなのか、はたまた始まったばかりだからか?よくわからないがとにかく人は少ないほうより多いほうがよいにきまっている。するほうにとっては。
というわけで東京SQ。レコードは1枚持っているが生で聴くのは初めて。室内楽を大ホールで聴くのは好みではない(なぜか眠くなる)のだがしょうがない。
東京SQはその名声に違わず素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれた。どういうところがよかったかと言われてもあれだが、とにかく東京SQ独特のトーンカラーを持っていると思う。以前レコードで聴いたとき少し音が曇った感じだったので、これは録音のせいかなと思っていたのだが、実際こうやって生演奏に接してみても同じ傾向のトーンカラーなので、ああこれはまさしく東京SQのものだなあと感じた次第。薄曇りの日にみるステンドグラスみたいな音色である。
それにしても、モーツァルトとベートーヴェンの違い。
セリオーソなど聴くとひとりでに背すじがシャンとしてきて姿勢をただしたくなるような音楽なのに対し、モーツァルトの室内楽はサロン的雰囲気が強く、あまり観ながら聴きたいとは思わない(広い場所では)。1曲目では熟睡してしまった。
次の曲ではフィリップ・アントルモンも出ることだしと思って少しその気になって聴いたら、これが、息が合っていて楽しかった。
セリオーソでは4人が息の合ったところをみせ、素晴らしいハーモニーが一点の狂いもなく響き、ホール全体が良く鳴っていたように思う。
なぜ、ベートーヴェンが室内楽を書くと他の分野同様このように音楽が凝縮された感じをもつのだろうか。彼の弦楽四重奏曲を全てそれも一晩のうちに聴きたい衝動にかられてしまうから不思議である。
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といった拙い感想でした。
ところで、2日後の12日のニューヨーク・タイムズにこの日の演奏評が載った。書いた人はウィル・クラッチフィールドさん。
バーナード・ショウが昔メルバをほめた言葉を引用している。メルバというのはネリー・メルバ、昔のソプラノ。その室内演奏団体版だというのである、東京SQを。
早い話、ベタほめ。それでも物足りないらしく、ホロヴィッツ、サザーランド、ハイフェッツ、リヒテルまで出してくる。メルバを知らない、好みでないなら、彼ら他の人間から選んで比較しろとまで言っている。
異常な評だ。
内容はほとんどセリオーソのことだけ。
たしかに、あの凝縮して充実した響きがホール全体に棘刺したことは今でも思い起こすことができる。
おわり