河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

マゼール フランス 1990-27

2007-05-31 19:52:00 | 音楽

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1990年この年の10月、池袋にエスカレーターが異常に長い東京芸術劇場が完成した。

それも見たいし、マゼールも見たいということで、出来てから約一か月後池袋に向かった。

駅の前のお世辞にもきれいとは言えない汚れた通りを抜けすぐにホール前の広場にたどり着く。

この街なみとホールのたたずまいが、ものすごい落差を見せつける。そういえば上野の東京文化会館もそうだ。このホールで6万円のオペラを観る人間と外の浮浪者との距離は目と鼻の先だ。これらを足して2で割れば、世界はみんな平和になるのではないかと考えたりする。この落差は現実のものとして受け止めなければならない。

しかしコンサートに来た人たちは、このようなことを考えるのは後回しにして、差し迫った演奏会のことを考えなければならないし、終われば終わったで外の俗世間から逃げるように帰る。楽しみも苦しみも紙一重だ。

ということで、フランスから国立管弦楽団がやってきた。

1966年、1978年、1982年に続き4度目の来日。

この年の公演はこんな感じ。

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1990

1124()19:00大阪

1125()15:00名古屋

1128()19:00東京芸術劇場

1129()19:00東京芸術劇場

1130()19:00東京芸術劇場

121()19:00東京芸術劇場

122()14:00東京芸術劇場●

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●は河童潜入

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このときは千秋楽の公演をみた。

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1990122()14:00

東京芸術劇場

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ドヴォルザーク作曲

交響曲第9番新世界より

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ベルリオーズ作曲

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マーラー5番 ケルンRSO4 1990-26

2007-05-30 20:51:00 | 音楽

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1990年のケルンRsoによるマーラー第1サイクルがはじまった。

今後12か月の間に今回も含め3回のツアーを行い、マーラーの交響曲全部と大地の歌を演奏するというもの。

1サイクルの3番目の曲は第5番。どんな感じだったのかしら。

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19901130()

サントリーホール

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マーラー作曲交響曲第5

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ガリー・ベルティーニ指揮

ケルン放送交響楽団

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ようやく純楽器による交響曲だ。

567番は次回ツアーの第2サイクルでまとめてやってほしかったような気もする。

今回、合唱とソリストを23番のために連れてきているので、この際一気に8番をやってみるのもよかったかもしれない。

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5番のシンフォニックな音楽がこのオーケストラに合うかというとそうでもない。

冒頭のトランペットと第3楽章のホルンを除けば、至難のソロ的要素はあまりない。その点思いっきりシンフォニックな世界に没頭できるはずであるが、放送交響楽団の宿命というか、なんでもおしなべて演奏できなければならず、そのような習性が身についているのか、5番は平均的なたたずまい。むしろ小振りに聴こえてくる。

2楽章後半のブラスによる輝かしい音楽、第5楽章のゴツゴツとしたなかに飛び跳ねるような快活な音楽。トップオーケストラのようにはなかなかいかないようだ。スケール感が小さい。

あと、ブラスの3連符が不ぞろいだったりして、これまたどうもいかん。

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5番はやりつくされた曲だけに、ちょっとした瑕疵がみんな手に取るようにわかる。聴き手がわりと日常的に5番を聴けるような時代になったということ。それだけに普通のオーケストラの普通の演奏では満足しきれない。

今回のツアーでは、325番を演奏したわけだが、5番が一番印象が薄かったように思える。

おわり

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マーラー復活 ケルンRSO3 1990-25

2007-05-29 20:34:00 | 音楽

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1990年のケルンRsoによるマーラー第1サイクルがはじまった。

今後12か月の間に今回も含め3回のツアーを行い、マーラーの交響曲全部と大地の歌を演奏するというもの。

1サイクルの2番目の曲は第2番復活。どんな感じだったのかしら。

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19901124()

サントリーホール

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マーラー作曲交響曲第2番復活

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ソプラノ、クリスティーナ・ラーキ

メゾ、フローレンス・クイヴァー

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ケルン放送合唱団

南ドイツ放送合唱団

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ガリー・ベルティーニ指揮

ケルン放送交響楽団

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2番は3番と異なり、どちらかというと1番に近いウェットな曲だ。復活というだけあったものものしい曲ではある。

この曲の白眉は何が何でも第5楽章の全部てんこ盛り状態がすごい。

炸裂する導入部、拡大されたスコアのティンパニの爆発的持続音、それにつづくブラスの咆哮、第三部の草書のようなスコアを吹くウィンド、違った二つのテンポの同時進行、とにかく、聴きようによってはメチャクチャな音楽、それを新しいものととらえるか、この曲も生で観聴きしなければならない。それは文字通りだ。ブラスがホール席で吹奏したりするので、聴衆もそれなりに大変なのだ。昔、小沢征爾がボストンを連れてカーネギーホールの定期でこの曲をやったときは、第5楽章の追加ブラスを2階正面バルコニーに置いた。だから聴衆の方をみながら棒を振っていた。指揮者が聴衆の方をみるというのはどうも変な感じではある。

ということでケルンのときはどうだったかというとはっきり覚えていない。ブラスが2階席横の方に陣取っていたような気もする。あまり印象に残っていないということは、小沢ほど派手ではなかったのだろう。

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ところでこの曲、第1楽章冒頭の音を聴くとオーケストラの力がわかる。高弦による幅広なトレモロのなか、低弦がゴソゴソッ、と刻みをいれてくる。ここらへんもつれるかもつれないか。ケルンRso.の音はいま一つ透明感に薄い。世界トップクラスとはいかないようだ。ここを明瞭に弾ければいきなり唸るところだがそうはいかないようだ。それでも、強い音で音楽の輪郭を聴こえなくする、といった変なことをすることもなく、1小節ずつきっちりと仕事をしていく。こうゆうのは指揮者ベルティーニの目指すところだ。もしくは目指していなくても、このような交通整理がうまく出来る指揮者なのだ。ベルティーニに世界トップクラスのオーケストラがあてがわれたことはないと思うが、彼は自分の居場所がわかっていたのかもしれない。

つづく

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マーラー3番 ケルンRSO2 1990-24

2007-05-28 19:48:00 | 音楽

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1990年のケルンRsoによるマーラー第1サイクルがはじまった。

今後12か月の間に今回も含め3回のツアーを行い、マーラーの交響曲全部と大地の歌を演奏するというもの。

1サイクルの最初の曲は3番。どんな感じだったのかしら。

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19901123()

サントリー・ホール

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マーラー作曲交響曲第3

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メゾ、フローレンス・クイヴァー

ケルン放送合唱団(女声)

南ドイツ放送合唱団(女声)

東京少年少女合唱隊

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ガーリ・ベルティーニ指揮

ケルン放送交響楽団

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マーラーの3番の40分におよぶ第1楽章、その第1主題はブラームスの第1交響曲第4楽章の例の有名なメロディーそのものだと思うのだが、指摘した文章を見かけない。

同じくマーラーの第6番の第1楽章の冒頭の第1主題は、ベートーヴェンのエロイカの葬送行進曲そのものだと思うのだが、これも指摘したものを見かけない。

無骨で雄大といったイメージがあるのだが、ベルティーニは最初から渾身の力をこめて振る。棒は下から上に湧き上がるような感じだ。

サントリーホールの手狭さはこのような曲の場合どうしようもない飽和感がある。巨大な曲、膨らんだ楽器群、合唱群、どれをとってもキャパ不足は否めない。

ケルンの音はドライ。艶やかさがあまりない。ブラスは強力ではあるが押し込めるような音。この音、第3番には妙に合う。全面ねっとりやられたらヤニっぽくなって、ちょっと辟易するが、このサウンドだと見通しがよくドライさが心地よい。夏の歌、というだけあってビールなんか合うのかもしれない。

全部で6楽章100分の曲だが、第1楽章から3楽章まで、この迫力サウンドで押し切る。

4楽章はアルト(メゾ)・ソロで歌われる。ここではじめてなんだかしっとりした音楽が鳴るが、弦はあくまでも、絡まない糸、のように歌わない。それでもいい感じになってきた。

この曲の場合、いつも問題になるのが唐突にはじまる第5楽章の日本人による児童合唱。

子供たちには悪いが、ここでガクッとなる。なんでもかんでも外国から来る連中の方がうまい、とは思わないのだが、第5楽章の児童合唱でガクッ。

このパートだけ日本での調達。ちゃんと練習してこの日の演奏にかけているに違いない。しかし、やっぱりいまいちだなぁ。

おなかに力がはいっていないというか、表面づらをなぞっているというか、きれいでピッチもあっているのだろうが、第6楽章まで見渡した時、第5楽章だけへこんでいるような感じなのだ。メゾの声だけがはっきりと浮き出ている。

この第5楽章は、第4楽章のゆっくりした音楽と、第6楽章のこれまたゆっくりした祈りの音楽をとりもつ気分転換的要素をもった5分なのだが、どうもいかん。

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ベルティーニという指揮者は中庸というか、わりと激しく棒を振ったりする局面もあるが、出てくる音はいたってオーソドックス。第6楽章もこれ以上の思い入れはない、ということではなくきれいに流していく。

最後のオルガン風な息の長いロングトーンも、気張ることなくブラスのブレスもそれなりに分かるような感じのなか、引き締めて、サァ、と終わった。

つづく

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ケルン放送交響楽団1 1990-23

2007-05-27 21:33:23 | 音楽

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眼の裏に残るケルンというのは、ライン川に絡まる列車の旅、大鉄橋、首の痛くなる大聖堂。

街並みは、亡国の某街のようにアルトシュタットをぶち壊し、同じところにノイエシュタットを作るような馬鹿な事は決してせず、味わい深いもの。

そのケルンから、ドライな乾いたサウンドの味わいのオーケストラがやってきた。

放送交響楽団というのは、みんなこんな感じの匂いがが多少ともするのは気のせいか。

今回199011月の来日をいれて、今後12カ月の間に日本に3回ツアーを敢行し、マーラーの交響曲全曲と大地の歌を演奏するそうな。まさに、私の時代がきっとやってくる、と言ったかもしれないマーラーの予言通りのブームだ。それにバブルもお手伝いしている。クラシック音楽花盛り。

河童も11月前半は5日連続でオペラ公演など、体が疲弊気味だが耳は大丈夫だ。

ブログページの左トップに全項目一覧をリンクしてますので、お寄りくださいませ。

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12か月で3回日本ツアーを行うその1回目のツアーのプログラムはこんな感じ。

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マーラー・第1サイクル

1990

1120() 第3

1121() 第3

1123() 第3番 ●

1124() 第2番 ●

1125() 第2

1127() 第2

1128() 第5

1129() 第5

1130() 第5番 ●

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ガーリ・ベルティーニ指揮

ケルン放送交響楽団

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●は河童潜入

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11日間で3曲を9回演奏して帰るわけだ。

ケルン放送合唱団と南ドイツ放送合唱団も同行している。児童合唱は和製だ。

ガーリ・ベルティーニではなく、ゲイリー・ベルティーニと言いたいところだが、一般的なほうで書くことにする。

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ケルン放送交響楽団は今度で4回目。

最初が1980年 若杉弘 指揮

2回目1983年 若杉弘 指揮

3回目1988年 ガーリ・ベルティーニ指揮

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初来日の1980年のことは1980年まで遡らなければならない。今は1990年のことを書いているので、詳しい話はちょっと後回し。

1980年の初来日の折は、若杉がタクトをとっているオーケストラということもあり世間がかなり盛り上がった。

1983年のことは知らない。

1988年のときはこんな感じ。

ベルティーニ ケルン1988

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1990年の時代でも、プレイヤーに日本人が比較的多く、四方恭子さん宮本文昭さんをはじめ何人か姿が見える。宮本さんのオーボエの角度は相変わらずかなりのものだが、ケルンに比較的溶け込んだ音色だ。

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さて、今回のマーラー・第1サイクルはどんな感じなんだろう。

つづく

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ザ・定盤 やまの

2007-05-26 22:20:41 | 音楽

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「ザ・定盤」は山野楽器が自信をもっておすすめする名盤セレクション。

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というだけあって、山野楽器らしいマガジンだ。

「定盤」という日本語熟語はない。定番、という日本語と発音だけ同じ。

ここ何年か、同じような表現、キャッチコピーを亡国では猫も杓子もよく使う。

乱れ切った日本語に輪をかける。

河童が山野楽器の社長なら、この日本語は使わせない。

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山野楽器の銀座本店は3月に改装を行ない、3階にあったクラッシック兼ジャズは、クラシックが2階に栄転し、同フロア全部がクラシックとなった。

その割には、量質ともにいま一つ変わり映えしない。歩く空間が広くなったような感じだ。

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銀座本店でCDを買う人間と渋谷あたりのHMVやタワレコで買う人間となんとなく雰囲気違うんだなぁ。

早い話、プライスと相談して買うかどうかということ。銀座の方の購入者は値段に関心があまりないなぁ。欲しいCDを買う。買った後これこれの金額だった、ということだけ。

渋谷系とは異なる。

それに、たしかにタワレコの品数はすごいが、そこまで血眼でCDを捜す連中は銀座ではあまりいないし。。

だから銀座にはあれぐらいの品数かちょうどいい。そのかわり、新譜だけはきっちり出していかなければならない。新譜と「定盤」のバランスがちょうどいい感じだ。コアなものはないし、あすこでは不要。コアなものを買いに銀座に来る人はいない。銀座はCDのようなものを買いにわざわざ買いに来るところではないなぁ。CDって、ブランド品とかってないものね。

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それでも、たまに変なものがあったりする。

ブルックナー/交響曲第4番ロマンティック

クルト・マズア指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

国内盤 価格750

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このCDの国内盤は見かけることはほとんとないが、何かの間違いで置いてあるときがあった。値段も変だ。正価格をディスカウントしているのだろうか。

考えることは後回しにして、キャッシャーにもっていった。

売る方も、変な価格、といった顔で売ってくれたが、まぁ、なじみ客だし、売る方も考えるのは後回しにした感じ。

まめに見て歩けばこのようなことがたまにあったりするが、そうそう毎晩、夜の銀ブラをするわけにもいかない。750円のCDで終わればいいが、1020倍の銀ブラ食事でもすれば、何しに来たのかわけがわからない。それも一つの楽しみではある。

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どっちにしろ、山野楽器でCDをふらふら見て歩き、まっすぐ河童の洞窟に帰るのはかなり難しいね。

おわり

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耳にあまるピッチの実力派歌謡歌手

2007-05-25 20:10:00 | 音楽

河童も風邪はひく。

風邪はひいても耳は大丈夫だ。

ダウンしながらテレビをみていた。

NHK歌謡コンサート(5/22)

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若者にとっては無縁。高年齢向け。

シーラカンス番組。

歌謡コンサートだから火曜日にやる。

生中継もの。

生中継は20:00-20:4545分だが、高年齢人気抽選無料番組であるためかどうか、番組生放送が終わった後もステージは続くらしい。。

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2007522()

20:00-20:45

歌謡コンサート

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出演者は以下(順不同)

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坂本冬美/空港(テレサ・テン)

三船和子/他人船

上杉香織里/波止場うた

イルカ/まるいいのち

日吉ミミ/男と女のお話

川野夏美/室戸岬

和田青児/おとこの海道

A.前川清/恋歌

B.美川憲一/おんなの朝

C.細川たかし/佐渡の恋歌

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日吉とイルカは別にして、4人の女性陣と1人の男性歌手がそれなりに聴かせる歌を歌っているなか、あい変らずの幻滅感を見せてくれたのが、言うまでもなくA,B,Cの3人。

世の中では実力派歌手などといわれたりするが、悪い冗談だ。

このABCの3人。まずそのピッチの悪さに思わず耳を覆いたくなる。ABは一発で音程を決めることが出来ない。始終ぶら下がり気味。

Cはいつもながらのずり上がるピッチの不安定さが聴き手の耳にこたえる。

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Aは自覚症状があると思われる。いつから自分はこんなに歌が下手になったのかと。

年齢とともに高音はでなくなり、キーは下げなければならない。若い時の酷使の影響もでているのだろう。力の衰えは一耳瞭然だ。

Bは普段ほとんど練習していないはずだ。練習していればあんなひどい歌にはならない。目標は越路吹雪とかいっていたのを聞いたことがあるが、200パーセント以上実現不可能だ。

Bの場合、Aほど喉が鈍化していないようなので(練習していないから当然と言える)、人並みの努力をすべきだ。おんなの朝、は好きなメロディーなだけに幻滅感も大きかった。

ABはともに、今の力では、カバーは歌えない。

最後の大物。C。銅像まであるらしいC。しかし、一言で言ってあまりに歌が能天気。それに都会ずれ業界ずれしてしまった田舎人間の作為的態度がいつまでも鼻につく。

とにかく歌っているあいだじゅう、シャープ気味にピッチがはずれっぱなしなのが能天気に輪をかける。自信過剰からくる粗末な歌の表現が最悪の形ででているわけだが、このような自分に早く気がついてほしいものだ。そしてもうひとつ。Cの歌には心がこもっていない。内面の心の動きの告白がないのだ。ただ歌詞を棒歌いしているだけ。

「矢切りの渡し」という曲がありますが、ちあきなおみの歌とCの歌を比べてみてください。心の慟哭が歌にこれほどあらわれるものなのか、と、あまりの違いに茫然とする。

おわり

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フルヴェンの絵

2007-05-24 20:24:00 | 音楽

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ウィルヘルム・フルトヴェングラーは聴き終えた。

昔のように呪縛に縛られながら聴く時代は遠い昔のものとなり、今は自由自在に聴く。といっても、新物好きだから、毎月出る新譜を聴くことに余念がなく、フルヴェンはほぼ聴かなくなってしまった。昔は神棚の神だったのに、今は、埃をかぶった神になってしまった。

フルヴェンは1954年に亡くなってしまったが、一度死ぬとあとは録音は増えない。未発売や埋もれた録音の掘り起こしなどはあるが、量的にはたいしたことがない。

そのため、コレクターは自分で作業範囲を決めるまでもなく自ずとその範囲が特定されるので、比較的楽に収集できる。

あとは、同じ録音の別のメディアを収集して、その音の違い、どちらが音がいいか、といったあたりに拡散していく。行きつく先みたいなものだが、クラシック音楽を俯瞰すると、フルヴェン的現象はもっと明白である。つまり同じ曲を違った演奏家の録音で聴く。マーラーやブルックナーを違う指揮者、オーケストラで何度でも聴く。ベートーヴェンの運命など100種類ぐらい河童の蔵におさまっているが、だからどうだということもない。

このような聴き方というのは録音ではなく、やはり、生、で聴くべきではないだろうか。生で聴くかげろうは瞬間芸術にふさわしい。100回生で聴いてもそれまで。何も残らない。音楽とはそういうもの。

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同じ指揮者、演奏家を追いかけるのはどうだろうか。それも死んでしまった人間の。

トレースすることにより、もう一人の自分を彼らに重ね合わせるのだろうか。それとも彼らのことを誰よりも詳しく知りたい、知っている、ということを少しでも自分の存在感の肯定要素にしたいのだろうか。別に音楽に限った現象ではなくて、誰々の生涯に関する本、などというのはみんなそういうことだろう。

フルヴェンの発掘録音はへたをすると彼が毎日棒を振っていた日々のつながりであったりして、昨日はあすこ、今日はここ、あしたはいずこ、といった感じのトレースであったりする。そこまでする必要があるのかしら。ハント本を見れば、生涯の演奏記録はあっという間にわかるわけで、それを見ながら発掘録音で日々を追う。これは音苦ではないか。

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河童はそのような聴き方はやめた。

ではどういう聴き方をしているかというと、レコード芸術、という音楽雑誌がありますね。あれには、宣伝、音楽評、紹介、などいろいろとでてますね。

あれを見て、よさそうなものを毎月チェックして、適当につまみ食い的にお店でピックアップする感じですね。気が向けば聴くし、そうでなければ1年ぐらい聴かなかったりする。

おわり

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ロジェストヴェンスキーの絵

2007-05-23 20:42:00 | 音楽

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昭和47年、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとモスクワ放送交響楽団は、西側初演となるショスタコーヴィッチ作曲作交響曲第15番をひっさげて来日した。

記憶では、テレビ放送があった。

NHKNHK教育か覚えていない。

解説は、二人いたような記憶がある。

聞き手と評論家だったかもしれない。

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とにかく、この問題作の茶化した部分にだけ焦点をあてたような解説だった。

ロッシーニのウイリアム・テルがでてくるよ、ワーグナーのモチーフがでてくるよ、といった感じ。

終わってからも同じような感想だった。

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それはそれとして、非常に興味深い発想の曲だ。

磨かれたサウンドに惹きつけられるものがあり、弦、パーカッション、など鮮やかな演奏となっていた。

ロジェストヴェンスキーは長い指揮棒をクルクル回す。回してるだけ、のように見える。

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曲、指揮者、ともに唖然とするものであった。

その後、両者ともにもちこたえている。

曲の方は、フル・オーケストラ版から室内楽版、ピアノ版、までいろいろと出るようになった。

ロジェストヴェンスキーは読売日本交響楽団での活躍。

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15番は是非ともスコア、それもフルスコアを見ながら聴いてほしい。たまにマーラーなみに縦の線だらけになったりする個所もある。スコアがあるとさらにわかりやすい音楽となる。

ザンデルリンクが言ったかどうか知らないが、この15番はショスタコーヴィッチの交響曲の中で最高傑作ではないだろうか。といつも思う。

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セルの絵

2007-05-22 20:34:00 | 音楽

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ジョージ・セルがニューヨーク・フィルハーモニックの常任であったのは、1969-1970のたった1シーズンのみ。

それでも、1939年アメリカ滞在が戦争の都合でエンドレスになってしまったわけだからかなりの数を振っている。メトも同様に振っている。

それよりも、1946-1970年の間鍛えつづけたクリーヴランド管弦楽団のことを忘れるわけにはいかない、というよりも、これで、クリーヴランドは今でも、その輝かしい栄光が燦然と光り輝いているわけだ。

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演奏家の場合、来日したことがあるのとないのではその評価が大違い、というケースがある。セルに関して大半の日本人はオデッセーなどキンキン系の録音レコードでしか腕前を知らなくて、とにかく耳が心地よくない、といった印象しかなかった。

それが、1970年の大阪万博の年に初来日して、吉田秀和さんはじめ、多くの音楽評論家、クラシックファンの耳を洗ったわけだ。

エロイカの横に幅が広がるスタンスが圧倒的な透明音。ふくよかななかにも微妙なニュアンスがちりばめまれたこれまた透明なモーツァルト40番。

セルは万博の名演でクリーヴランドの名声を決定的なものとして帰国し、すぐに死んでしまった。

日本人が知るのがおそ過ぎたわけだが、それでも死後に出てきた録音はみんな音が良くなっていた。あのままの音質だったら評価も今一つ鈍かったかもしれない。1950年代後半からのステレオ録音は、みちがえるようなサウンドになって甦った。

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ワルターの絵

2007-05-21 20:59:00 | 音楽

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ニューヨーク・フィルハーモニックにとって、マーラーからワルターまでどのくらい時間的距離があったかというと。

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8代常任マーラーからかぞえてみると。

グスタフ・マーラー(1909-1911)

ジョゼフ・ストランスキー(1911-1923)

ウィレム・メンゲルベルク(1922-1930)

アルトゥーロ・トスカニーニ(1928-1936)

ジョン・バルビローリ(1936-1941)

アルトゥール・ロジンスキー(1943-1947)

ブルーノ・ワルター(1947-1949)

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マーラーが死をもって常任を終わってから、36年後に常任になっている。

2シーズンという短い期間だが、その前後に頻繁にメト、フィルハーモニックを振っているわけだから、この期間というのはあまり重要でないような気もする。

マーラーの曲の人気が出てきたのは、本人が常任の頃ではなく、こうやってみるとやはり、メンゲルベルクの力によるところが大きい。

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録音はストランスキーのものはあるが、マーラーが振ったフィルハーモニックの音というのは現存しない。聴くにはタイム・トラベルをするしかない。

メンゲルベルクやトスカニーニものは録音がわりとあるが、特に後者はNBCの録音のインパクトが強烈であり、比べるようなしろものではない。

バルビローリは、あるにはあるが特色があるわけではなく、放送のルーチンワーク。これはこれでよいかもしれないが。

ロジンスキーの録音は、第2次世界大戦終結前後のものが、昔AS Discからでていた。オーケストラ、演奏家のレベルはかなり落ちるが、続けていたことに意味があり、さらに定期的な放送があったことが素晴らしい。

ワルターの録音は、みんなで語りつくしている。

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ニューヨーク・フィルハーモニックとの惜別は。

1960424

カーネギー・ホール

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シューベルト/未完成

マーラー/大地の歌

アルト、モーリン・フォレスター

テノール、リチャード・ルイス

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ブルーノ・ワルター指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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ワルターの解釈で聴く未完成と大地の歌は、表現がこなれており、身も心も音の振動にゆだねることができる。

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マーラーの絵

2007-05-20 22:03:36 | 音楽

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1908年の元旦にトリスタンを振らなければならない。

190712月にアメリカに渡った。

公演はうまくいったのかしら。

マーラー MET

メトで3シーズン棒をとることになった。

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1909年にはニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者として登場した。

1910-1911年はニューヨーク・フィルハーモニックを精力的に指揮した。

ツアーも頑張った。

ニューヨーク・フィルハーモニックとの最後のツアー、最後の演奏。それは。

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1911216()

コネッチカット州

ハートフォード

パーソンズ・シアター

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バッハ/オーケストラのための組曲、4

 ハープシコード、グスタフ・マーラー

ベートーヴェン/交響曲第6 田園

ウェーバー/舞踏への勧誘

リスト/前奏曲

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グスタフ・マーラー指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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リストの曲は本当に、死への前奏曲。

前奏曲は死への旅立ちの準備。

思い出は前奏でしかない。

うねる波、しかし、

引き際は、輝かしくも、

空中に放り出されるように終わる。

リストの見事なスコアをマーラーはどのような思いで振ったのか。

同年、ヨーロッパにもどったマーラーは5月に圧倒的に短い51歳の生涯を前奏曲としてしまった。

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チェリの絵

2007-05-19 22:20:11 | 音楽

Ts3c0009 

日本に単独来日していたころのチェリビダッケ。

足は当時から少し悪かったものの、棒の振り方、腰の振り方、ともに脂がのりきった壮年期の姿の絵のようだ。

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チェリビダッケ初来日の模様はこちらです。

チェリが来た

チェリが来た 2

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新世界の絵

2007-05-18 20:49:00 | 音楽

Ts3c0005

この絵は、

ドヴォルザーク作曲

交響曲第9

ジョン・バルビローリ指揮

ハレ管弦楽団

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のジャケットではない。

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この曲の演奏をイメージしていたらこのような絵が頭の中をよぎった。

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マンハッタン島、

ハドソン・リヴァー

イースト・リヴァー

ロングアイランド

スタッテン.アイランド

といった具合に見えなくもない。

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これでよろしかったでしょうか。

2007-05-17 20:14:00 | 音楽

コンビニで缶コーヒーを買う。

客「コーヒーここに置かせて。週刊誌も一緒に買うので待って。」

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店員「はい、わかりました。」

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客「さっきのコーヒーも合わせて計算お願いします。」

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店員「これでよろしかったでしょうか。」

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客「そうです。一緒にお願いします。」

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こんな会話ならなりたつなぁ。でも。

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客「この缶コーヒーください。」

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店員「袋はよろしかったでしょうか。」

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客「はぁ?」

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店員「このホット缶コーヒーをいれる袋はよろしかったでしょうか。」

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客「はぁ、どうゆう意味?」

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店員「ですから、このホット缶コーヒーは熱くて持てないと思いますので、袋はよろしかったでしょうか。」

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客「なめんじゃねぇ、まともな日本語しゃべれよ。」

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店員「すみませんでした。よろしければ袋にお入れしますので、袋はよろしかったでしょうか。」

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客「何もいらない。帰る。日本語使えない日本人とはしゃべる気がしねぇ。

Do you speak a language?

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店員「Sorry、なんていえばよろしかったでしょうか。」

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この店員さん、50ぐらいのおばさんでしたが、若者のはやり言葉が、はしかのように感染しているようだ。

コンビニは若者が多いので、あのような言葉の方が通じるし、親近感もあるのかもしれない。

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このような乱日本語を使われたときに、注意したいのだが、どのように注意していいのかわからない。普段から考えておくことをすすめます。

店員「袋はよろしかったでしょうか。」

客「よろしかったです。」

って答えたら、

店員は袋を出すのかなぁ。出さないのかなぁ。

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