河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1343- ラ・ボエーム 千秋楽2012.1.29 新国立オペラパレス

2012-01-30 20:13:53 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2011-2012シーズン(一覧)
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2012年1月29日(日)3:00-6:00pm
新国立劇場、オペラパレス、初台
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プッチーニ ラ・ボエーム
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ミミ、ヴェロニカ・カンジェミ
ロドルフォ、ジミン・パク
マルチェルロ、アリス・アルギリス
ムゼッタ、アレクサンドラ・ルブチャンンスキー
ショナール、萩原潤
コッリーネ、妻屋秀和
べノア、鹿野由之
アルチンドロ、晴雅彦
パピニョール、糸賀修平
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新国立劇場合唱団
TOKYO FM少年合唱団
コンスタンティン・トリンクス指揮
東京交響楽団
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昔、仕事場で、後ろの席に座っていたW.フォークが「お河童さん、今日オペラいけなくなったんで、チケットあげるよ。」といって初めて観たイタオペがこのボエーム。ワーグナー物とかは既に観ていたが、たまにはイタオペも観ないといけないなぁといくことにした。メトは通常8時スタートなのでいつも通りいったん家に戻り、ご近所のリンカンセンターに日参していたのがかれこれ何十年前の話になるのかな。
当時のボエームは当然のことのようにゼッフィレルリ。このゼッフィレルリ・プロダクションは第2幕で乗せれるだけの人と動物を乗せてしまおう、多ければ多いほどいい。というスタンスで、人間300人ぐらい、動物が何頭と何匹、それに大道具小道具、メトの上下移動式舞台によくあれだけの頭数が乗ったものです。底が抜けたらそれこそ奈落の底へ全員まっさかさまだったでしょうね。今このプロダクションは映像で見ることができますけれど、生観(なまみ)の迫力はメトのオペラ・ゴアーズにだけ許された特権だったと思う。
特権と言えば、ザンドナイのフランチェスカ・ダ・リミニの火、ムソルグスキー(ショスタコーヴィッチ編)のホヴァンシチーナの火、ワルキューレの火。ワルキューレはあの火にワンナイトで10万ドルだか毎度かかるという話でしたね。(オットー・シェンク・プロダクション)どれも消防車待機の公演。全部、オペラ・ゴアーズ特権の生観体験だったんです。
それで、ボエームの第2幕は異常な人と動物であふれかえりカフェ・モミュスの騒ぎどころではなかった。でもこれは第1幕があって奏功したところもある。ゼッフィレルリは第1幕をあらん限りのみすぼらしさにしようとしました。第2幕との強烈な対比。これ以上ないと言えばそうかもしれない屋根裏部屋ストーリー。こういってはなんですが、あまり使い物にならない屋根裏部屋、そこに住む人たち。ストーリーとしてもちっぽけなもの。この小さなストーリーにこれ以上ないプッチーニの泣き節全開モード。だから第2幕への転換はアタッカでなければならない。転換はスピーディーでなければ効果は半減。舞台転換は速ければ速いほどいい。
ろうそくと鍵でどちらがモーションをかけたのかわからない(お針子さんの方だろうね)、このちっぽけなきっかけが悲劇の始まりです。あまりにみすぼらしくも哀しい、どうでもよくないよ、人の心のひだ、あや、そして機微や喜怒哀楽。100人いれば100のストーリーがある。そのような小さなところにつけたプッチーニ節。この第1幕から一気に第2幕への爆発。爆なト系演出の効果はてきめんでした。(ちょっとだけ今日の公演のことで付け加えると、この第2幕のムゼッタとマルチェルロががまんならず抱き合う場面、爆な体当たり、双方よくぶっ飛びませんでしたね。リアル演技でした。)
そして第3幕で「春、暖かかくなったら別れよう。」何とも切なくて哀しい歌詞が弧を描くツーショット二組の絶唱で一段と映えます。ミミが天国に行く前に別れよう、二人ともわかっていながらの絶唱が弧を描く。このオペラで一番好きな第3幕。何度観ても泣ける。ゼッフィレルリはこの場面、舞台を横に大きく使いこの二組のデュエットが悩みの大きさの違いはあるけれどそれぞれ人生の別々のことで悩みもがいている様を近くに遠くに表現する。第2幕の雑踏から開放された静かな雪の夜です。最初と最後の二つの打撃音が心に杭を打つ名場面でしょう。
そして第4幕の、プッチーニ一流の単旋律泣き節全開モードがピアニシモで場を鎮める。見事な音楽というしかない。人を黙らすにはこれ以上雄弁な材料はないのだよ、プッチーニが耳打ちしている。
ミミが亡くなってもストーリーは少し続く。コラージョ。
ここの場面はヴェルディのトラヴィアータを想起させずにはおかない。ああ、あたしの体が軽くなる。といったときヴィオレッタは天国の人、あとの流れはご本人が天国から見た自分を見ながら歌っているといったら言葉のあやが過ぎるでしょうか。
ボエームを観るといろんなことが思い出されます。

ということで、ボエームの千秋楽。
この日まず一番にあげたいのがオーケストラの素晴らしさ。伴奏は東京交響楽団で、非常に能力が高くキッチリと整理整頓されたアンサンブルが耳を惹きました。指揮者の求めるところでもあったかと思います。プッチーニの曲は黙ってても泣く。だからあとはキッチリと合わせることに労を向ければいい。そんな感じだったのかもしれません。バルビローリなんかと正反対の方針だったかも。でもこの日の演奏はそのようなことを忘れさせてくるほど気持ちよく整理整頓されておりました。多少の混乱は「生きている動物オペラ」にはつきものなので、乱れをいかに短いフレーズで取り戻すか、それも立派だったと思います。
第1,4幕冒頭は前奏なしで同じ音型が奏されますけれど、ここでだいたいわかる。ブラスの意識レベルの高さ。あとはいたるところに現れる弱音のウィンド・アンサンブルの見事さ。越えて几帳面なたたずまいの弦がこの日の上演を引き締めていたのは言を待たない。
歌の方は、ロドルフォをはじめどうも一発勝負をしてこないもどかしさ、ロドルフォがしかけてきたらほかの三人も前のめりになってきたと思えるだけにちょっと残念でした。最初のアリアで決めてほしかったですね。
みんな個々人が自分の能力を発揮することに力を注いでいたように思えます。ですので、一人ずつをみればわるくはなくてそれぞれの力を発揮していたと思います。ムゼッタは場の雰囲気をよく変えてくれました。というよりもこのような体当たりが新たな場を生んだといえる、ロドルフォに求めるものはそのようなものなんですよ。ムゼッタはおしなべて、衣装、面構えがシックに古風に自然に決まっておりましたよ。「足が痛い、ここらあたりが」このめくりシーンはもうちょっとだけテンポを落としてもよかったかな。
総じて楽しませてもらいました。横幅のない小屋なので多少の窮屈感はがまん。メトなんかと違うところは、小屋サイズだけでなく、平土間(いわゆるオーケストラ)と呼ばれる一階席の位置が非常に高いこと。初台では一階席で見上げるような場所はありません。どっぷりと一階席から舞台を見上げる感じの空間であれば、響き自体もっと余裕のあるものになっていると思います。一階席から四階席まで全部、下を見る感じなんですね。
オケピットのサウンドは真上に向かい反射し真下の高い位置の一階席に速めにぶつかってしまう。なんで、舞台から席にストレートに聴こえるはずの歌手の声がオケサウンドの響きの遮幕にぶつかってしまう。この日は4階席の中央寄りのバルコニー席に座りましたが、これら問題がここだとあまり感じられない。オケ、歌い手、ともに反射前のサウンドがダイレクトに聴こえてくる。そんな感じで、席位置としては、あたり、だったと思います。上演中、地震が少しクラクラやってきて、もしかしてほかの席よりは揺れがあるのかなとは思いましたけれど。

第1幕の重唱含めたアリア三連発が始まるまでの前置きが長いと思ったことはありませんか。昔だったら第1幕はこの三連発だけで十分だと思っておりました。でもこのオペラは悲劇一辺倒なものではなくて悲喜こもごもとした市井の生活、だからアリアだけを待っていては、多くのものがむなしく通過していく。ストーブにくべる紙を引きちぎるところを音楽で表現しているといったあたりの擬音効果的な要素の御託などより、もっと、バラなストーリーの局面局面も愛しんで観ていたい、最近はそう思うようになりました。だから、ここ、飽きません。第1幕はだいたい40分で、うち半分以上が三連発の前の場面で、どうでもいいかもしれないストーリーで全く込み入っていない内容なのですが、ここの説明がないと以降の展開は浅くなってしまう。音楽のバランスです。
それからこれは何度もブログに書いてますけれど、このオペラはソナタ形式の交響曲のように聴ける。それほど端正な佇まいなんですよ。4幕物つまり4楽章形式の交響曲。第2,3楽章は、第九やブル8なみにひっくり返していますが、第1,4楽章はブル5状態で始まりますし、交響曲との親近性を感じるんですね。
第1楽章は序奏と展開部のない第1,2主題の提示部のみ。つまり第1主題の提示と変奏、第2主題の提示と変奏。第2楽章はスケルツォとトリオが繰り返されますね。ここは拍子ではなくオタマの刻み方に耳配せして聴く。第3楽章はアダージョ楽章です。AとBが最後に混ざり合います。ここらへんまでくるともう明白なのではないかと、こじつけではなくて。
第4楽章は悲劇で終わりますけど第1楽章冒頭がそのまま出てくるのは言うに及ばず、歌詞の内容です。あのときこうゆうことがあったよね、と、第3幕までの内容が再帰します。そしてコラージョ。ここは結尾のごく短いコーダながら曲を閉じるにふさわしい。
ものは聴きようということかな。
あとは贅沢を言い出せばきりがないが、クリスマス・イブより前に観たい。それも12月のクリスマスモードで観たい。シチュエーションはこの第1,2幕で決まりますから。
こうもりを年末よりちょっと前に観たいというのと雰囲気似てます。両方とも夏観ると結構暑苦しい。ここは西欧の音楽のシーズン制に納得ということなんだ。
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どっちにしても、この上演、純に楽しめました。
おわり
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1342- ブルックナー交響曲全集 マゼール バイエルン放送交響楽団

2012-01-28 10:36:33 | 音源



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2010年の11月24日(水)に6,552円で購入したマゼールのブルックナー全集を聴き終えました。箱もの11枚です。
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ブルックナー交響曲 10曲。
ロリン・マゼール指揮バイエルン放送交響楽団
BRKLASSIK 900711  (11CDs)

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第1番:1865-1868リンツ稿1877改訂ノヴァーク版54′17″
第0番:1869ノヴァーク版48′48″
第2番:1877稿ノヴァーク版69′34
第3番:1889第3稿ノヴァーク版58′34″
第4番:1878-1880第2稿ノヴァーク版73′34″
第5番:1875-1878ノヴァーク版79′56″
第6番:1879-1881ノヴァーク版61′28″
第7番:1881-1883ノヴァーク版66′39″
第8番:1887-1890第2稿ノヴァーク版86′05″
第9番:1887-1896未完成ノヴァーク版70′40″
収録:1999年1月23日~3月20日の間に一気にライブ収録。
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最初の3曲で勝負あり。ユニークすぎてスケールでかすぎてマゼール節全開でのけぞります。特に第2番の圧倒的な立体感と、初期の確固とした構造物の大きさに吹き飛ばされます。生半可じゃない解釈だなぁ。
第2番
Ⅰ:21′59″
Ⅱ:17′32″
Ⅲ:7′31″
Ⅳ:22′31″
まず、異常な速度。特にⅠとⅣはこれより遅い演奏はないだろう。Ⅱでこれよりおそいのは河童蔵の音源ではシャイーとミスターS!
とにかく異常にスローなのだが、全く弛緩しない。オーケストラの能力の高さも圧倒的。



第1番。マゼールの解釈は相変わらずユニーク。最後のトランペットなんて、ほかの指揮者なら3回ぐらい終わっている感じ。
第0番。第1番のあとは第0番です。このボックスでもその並びです。なんともダイナミックな演奏で飽きさせません。
第2番。これぞ圧巻で圧倒的な70分、第1楽章第2主題あたりで既にマゼールの刻印。2番が最高かもしれない。第2楽章のスローさと息をのむ美しさ。でかい曲、フィナーレのコーダは第1楽章第1主題の再起のあと、第1番とは逆に早めのテンポで決める。全く曲の理解が深いとしか言いようがない。第1、0、2番の演奏の充実度、それから面白さは第3番を凌ぐ。もうこうなると自信に裏打ちされた孤高の芸術。
第3番。第2楽章の盛り上がりをロマンティックで古色蒼然というのは簡単だろうが、マゼールの場合、表現の多様性のうちの一つのように聴こえる。山のもっていきかた。起伏のつくり方、大見栄はどこではるか、全部わかりきっている。すごい。
第4番。ひねる、ひねる、彼にとっては普通に。
第5番。第3楽章は結構スロー。ティンパニがことごとく決まっている。最後に待っていた爆な仕掛け。コーダのもたれかたは尋常ではない。
第6番。やっぱり遊んでいる。響きの饗宴。
第7番。冒頭から精神の安定を感じる。第1主題と第2主題の明確な違いが、極端すぎる。高性能オケはユニゾンが下品にならない。第2楽章も第2主題が速い。ドライなサウンドが実力を露わにさせる。独特の音価でまことに勇壮におわる。
第8番。音楽が静止している第1楽章。わりとまとも、横幅があり巨大な演奏であることは言を待たない。
第9番。Ⅰ:31:17、Ⅱ:10:59、Ⅲ:28:23。うって変わって第2主題のスローさが耳をひく。際どい演奏だぞ。
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とにかく、全部マゼール節全開。面白すぎて一気にあっというまに聴いてしまったが、買ってから聴き始めるまでに1年2か月かかってしまった。2010年にCDを買いすぎたのでその影響だな。
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録音について。ボックスには書いてありませんが、中の一枚ずつに
BR-KLASSIK ARCHIVE
と、あります。つまりバイエルン放送のアーカイブということだと思います。
サウンドはきれいで横幅のあるものですが、いわゆる放送録音的であり、分解されて出てくる音ではなくまとまりを感じさせる。ボリュームを少し上げ気味にすれば解像度が増すような気がする。
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あっというまの10曲でしたが、すぐにもう一度聴くとしたらどれか、という質問を受けたら間違いなく第2番ですね。
おわり

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1341- マーラー4番、読響、上岡2012.1.25

2012-01-26 20:21:01 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
2011-2012シーズン(一覧)
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2012年1月25日(水)7:00pm
サントリーホール
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モーツァルト 交響曲第34番
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マーラー 交響曲第4番
 キルステン・ブランク、ソプラノ
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上岡俊之 指揮 読売日本交響楽団
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この指揮者はお初で観ます。
スコアは置いてあるものの見ることもなく、曲をかみ砕いて消化し、いったん自分のものとしてから表現している(勉強と経験かな)ので、再創造というアウトプットとしての説得力は大きいものがあります。再創造する際のこの指揮者の解釈が、流れるような音楽なのか、そうでないのか、また、別のおもむきを示すのか、それは指揮者による再創造の多様性といいますか、そのようなものがあるわけで、その人なりの考えと方向感をもって表現することになると思うのですが、その考えが思う方向に合えばそれはベクトルの方向感が一致しみごとな演奏となる。今日の演奏は、棒が空振りになるようなことはよもやありませんでしたが、その内容がバットの真芯でとらえたものなのかどうか、どうやらそうではなかったというのが第一印象です。
振り姿はクライバーとマゼールを掛け合わせたような感じで、前半のモーツァルトはクライバー寄り、後半のマーラーはマゼール寄りの似姿。たまたまそうなってしまったのか、それともまねの産物なのかわかりませんが、かなり目障り。前半のモーツァルトで大きく弧を描く振り様が不正確性の要素を増大させ不安定さが増すのならあのスタイルはやめた方がいいと思う。そうではなくあの振り姿があるからこそ音楽が生きるというのならそれはそれでいいことだとは思うが、残念ながら前者の様相を呈していた。クライバー風な振りは別に悪くありませんが、身ほど流れていたかというとそうでもなくて、インストゥルメント単位とかアンサンブル毎の音の出し入れのニュアンスは指示通りであり立体感はありましたけれど、それが音楽の流れとなってワクワクと前進していたかというとそんなことはない。見た目ほど流れていない。むしろ細かいニュアンスが音楽の前進性を押しとどめている。停滞した立体感。流れるような身振りとの間にぶれがある。指揮者の方向感が見えてこない。立体感はあるがモノフォニックな響きで、それほどポリフォニーの世界観に腰をいれていないところも気になる。これは後半のマーラーでも感じました。
とにかく、全体的にちょっと、わからない。
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後半マーラーの4番。一言でいうと、次の主題の節(ふし)を思い出せないぐらい経過句を伸ばしきってしまい、構築物としてのバランスを著しく欠いた個所が散見、四見!次の主題を探り当てるスリルの伏線なのだ、と言われれば返す言葉もない。
ディテールにやたらと光を当てすぎる昨今の演奏とはちょっと違うとはいえ、局所的には断片を取り出せば同じような表現であり、今どきのマーラー解釈の延長にあるといえるかもしれない。
でも、主題そのものではなく移りゆく経過句を耽溺したリタルダンドのべき乗で伸ばしきる。聴衆としては珍しい解釈を聴いたという実感はあるかもしれない。ユニークな解釈で音楽は停止し構築物としてのバランスは悪く、ひずみが許される宇宙で音楽鑑賞をしているような居心地で、中空に漂う音響。ほぼ無い状態のポリフォニーの遊び。マーラーだから許容できる世界かな。指揮者自身はこの曲に対する全体的な造形感はしっかりともっていると思います。でなければこんな演奏表現できません。
後半のこのマーラー、今度はほぼマゼールの振り姿そのもの。こんなにそっくりなのは見たことが無い。横にかきむしる棒ですね。あとは譜面(ふづら)の拍子を克明にビート風にスウィング。本当によく似ている。だからどうだということは無いのですが、マゼールの場合、スウィング棒、かきむしり棒のスタイル通りの鋭い音が、タイミング通りに出てくる。
上岡の棒は、音楽がリズムを持たないところでもしっかりと小節とオタマを実感させるところがあり生きた音楽を感じることが出来ました。ので、余計なところで余計なことはしなくてもいいのではないか。努力と溢れる才能を別のところ使っているのかな、才能の浪費なら残念。音楽の方向だけに磨いてほしいと本当に思いました。
端的に言って動き過ぎは出てくる音が不正確になる確率が高まる。その証拠に経過句への耽溺部分では動きを抑えて、込めた音になっており正確性が微妙な色合いの音色まできっちりと表現され、思いが成し遂げられていた。これが主要主題に対しても同じように込めた棒になることを強要してはならないが、自然にそのうち、そうなるだろう。か。
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ブランクの声はこの曲には合わないと思いました。まず太い。マーラーの交響曲では一番静かなこの曲には合わない。また、ハイでは押しきらないと声が出ないような感じで劇的要素の強いワーグナーとかシュトラウスのサロメ、エレクトラ向きかな。プッチーニならトゥーランドット。
マーラーのこの曲の場合、アウフタクトではいって小節のあたま(つまり歌詞の二音節目)でハイにもっていく曲想があり、ここをグサッとアクセント気味に歌われるとかなり違和感を持つ。メゾ域からの人なのかな、ソプラノ・リリコ・スピント風で、強く歌うと音程が安定するようなところがありました。棒のほうも合わせようとしているのか、はたまた自分のペースにしようとしているのかよくわかりません。双方前向きな努力は見えましたが結果を生むには至らなかった。演奏の向きがバラバラになってしまった。
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後半のマーラーが特にそうでしたが、部分のきめ細やかさや美しさが全体としてまとまりを見せていたかというとそうでもない。構築物としての造形がメインテーマとなるハイドン、ベートーヴェン、ブルックナーあたりはいまの演奏表現スタイルでは疑問です。特に3主題構成のブルックナーの場合、主題の転換が多く経過句への過度なこだわりはピサの斜塔になっちまいます。倒れていないからいいのではないかということもありますが、いつか倒れるものと持ち直すものでは大きく異なります。(倒れる瞬間をみたいという気持ちもなくはないのですが)
モーツァルトとマーラーしかまだ聴いていないので、余計で過剰な杞憂であればいいのですけれど。
オケピットにはいって振りまくりのほうが視界を気にせずに済みそうだし、この日も目をつむればいい音が出てきている、そんな感じ。
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何と言いますか、あれです、このブログ河童メソッドの副題どおりです。
たまに副題も眺めてくださいませ。
おわり

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1340- TEAC X-2000R 110V対応 オープン・デッキ

2012-01-23 00:31:07 | 音源

この前、2回にわたりオープン・リール・テープ発見のブログを掲載しました。
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1334- オープン・リール・テープ
1338- オープン・リール・テープ 追加発見!!
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今日はオープン・デッキ本体をアップしました。
ちょっと別けあってデッキを動かさないといけないので、そのついでに写真を撮ってみました。
TEAC X-2000Rの雄姿です。
本体の上に載っているのは、110ボルトの昇圧機です。
このマシンはアメリカに住んでいた時に買ったもので日本仕様ではありません。電圧が異なります。
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このマシンは国内でオーバーホールしてますので十分に動きます。
たぶんそう遠くない時期、再使用する予定です。
なにしろ、お宝音源だくさんありますので。それと、また追加発見したのでそのうちアップしますね
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1339- マーラー9番 ダニエル・ハーディング 新日フィル2012.1.20

2012-01-20 22:56:05 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2012年1月20日(金)7:15pm
すみだトリフォニー
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マーラー 交響曲第9番
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ダニエル・ハーディング指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

第1楽章:29分
第2楽章:15分
第3楽章:12分
第4楽章:27分
完全空白黙とう状態:1分
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完成度は今一つ。その足りない分を熱で押しきるタイプの指揮者ではない。音楽を消化している点が強く感じられるバトンテクニックはいつも素晴らしいと思う。この日は練習不足だったのかな。練習でうまくできたのに本番でよくなかったのではなくて、練習の過程のような気がした。
ホルンの出来がよくない。2番手以下に足(くちびる)を引っ張られたのかもしれないが、そうとばかりも言えない。第1楽章の終結部におけるマーラー特有の奇妙なホルンのソロがまるで決まっていなかった。
ここは指揮者の意図もあったのだろうか、ハーディングは明確なポリフォニックな表現に対応するかのように、ソロ旋律のところは明らかに他の楽器を抑えてソロを浮かび上がらせていた。でもこの部分、あまりにあっさりと通過。第2,3楽章への布石のようなものがまるでなかった。奇妙な部分を抑えて第1楽章はこれはこれで完結させる、そのような意図だったのかもしれない。ホルンパートは散漫。以降第4楽章の最後の最後まで不安定。ピッチも問題あり。
逆にものすごい形相で音楽を鳴らしきって、ある部分指揮者の上を行くようなドライブを魅せていたのがコンマス。尋常ではなかった。豊嶋さんですね。この日の殊勲者だと思います。ハーディングは感情で押し切る指揮者ではない。その微熱の部分を豊嶋さんが代弁、代振りしてくれたような見事な弓捌きでした。
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難しい曲ではある。右に位置した第2ヴァイオリンの足がステージからあふれ出てくるようなものすごい編成でありながら、音は薄い。極度に機能分解された曲想だらけでありみぎひだりコントロールしていくのは指揮者も難しいし奏者としても自分の立ち位置が指揮者なしではつかむことができないのではないか。
ハーディングの棒は明確で、抜群のバトンテクニック。彼の棒を観ていると第1楽章が29分もかかったような気がしない。なんでこんなにかかったのかよくわからないが、少なくとも、やにっこさのようなものはない。音価の長さが不自然に伸び縮みするところはない。例えば第1楽章の最初の盛り上がりのところを聴けば一耳瞭然、棒の振り分けも見事としか言いようがないが、とにかく等価、もしくはリタルダンドはオタマがきっちりと比例した長さで伸び、進行する。大変に明快なのだ。
棒さばきがいいので全体のコントロールもいきとどいている。薄い部分でも流れを造っていける、実に素晴らしい指揮者だと思う。反面、オペラはこれからだろう。あれは軟体動物だからね。
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第4楽章へはアタッカではいったがそのようにしなければならないほどの気の狂いようのあった第3楽章ではなかったと思う。バーンスタインみたいな極度のアップテンポで何かにとりつかれてしまったようなクレイジーさはなく、かろうじて三拍子を一振りしてもいいかな、というぐらいのスピード感までアップ。プレイヤーはこの指揮者の特質をきっちり理解して演奏していると思います。
また、バーンスタインの例になってしまいますが、彼が振る第4楽章は、歌舞伎、です。この曲の第4楽章って、ポーディアムに立って一人芝居、歌舞伎わざ、見得、そんな世界です。バーンスタインはその身振りと演奏の内容で他の指揮者の追随を全く許さなかった。
ハーディングは飽くまでも音楽の中身で立ち向かいます。
この第4楽章の消え入るエンディングに10分かけたハーディングもすごい。音楽の転換はありませんがいつのまにか忍び寄るようにエンディングの世界を模索しはじめる。これぞハーディングの棒の特徴だと思う。音価が自然に比例的に伸びていきすーっと終わりを摸索しはじめる。このようにディテールに主張を魅せる解釈は昔はあまりなく、マーラーブームが明確になったあたりからのものでしょう。もちろんバーンスタインがその先駆者ではありましたけれど。
音の動きが音楽の形式を主張する世界を離れ、人の心の動きを照射するような意味合いを強く感じさせるマーラー演奏解釈史は、マーラー自身から発しているものなのかもしれないが、演奏が成り立てばいい時代を越えて今のような微にいり細にいり、まるで神経細胞そのものを表現するような解釈になった。流れはハーディングといえども立ち止まり、ごく薄く、隙間に点のように音を埋めていく。その解釈と説得力はすごいものではありましたけれど。
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第4楽章の神経細胞が動きを止めました。そして完全な空白がまるで一分間の黙とうの如く続きました。目をつむっているプレイヤーもおりました。あれは一年前3.11当日にマーラーの5番を敢行し、その日だけしか演奏が出来なかったハーディングが日をあらためて演奏会を設けてくれた良くも悪くも因縁めいた彼の一年間の心の動きを鎮める為の長い呼吸だったのかもしれない。
拍手もお見事。2回目のコールでブラボーがより強く熱くなった、久しぶりに聞こえてきた真の感動表現のように思えました。

アップしてあるピンボケの写真。1月10日(火)アラン・ギルバート&ニューヨーク・フィルのマーラー9番のエンディングで鳴ったパトロン客の携帯着信音事件のことを完全に意識した注意書きでしょうね(笑)
おわり

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1338- オープン・リール・テープ 追加発見!!

2012-01-19 21:25:04 | 音源

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このまえオープン・リール・テープが150本ぐらいあるけどどうしようかという話を書きました。
1334- オープン・リール・テープ
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それで終わりかなと思っていたのですが、別のところからまた出てきました。
今回の新発見(笑)!!は12本だけですが、写真の通りレアレアです。
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この調子だと未発見がまだかなりありそう。思い当たるふしもあるし。
近いうちに、TEAC X2000Rをなんとか再始動させますね。
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1336- ワレンシュタイン、シンフォニエッタ、ドヴォ6、ラドミル・エリシュカ&N響2012.1.14

2012-01-16 00:10:00 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら。
2011-2012シーズン
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2012年1月14日(月)3:00pm
NHKホール
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スメタナ 交響詩「ワレンシュタインの陣営」
ヤナーチェク シンフォニエッタ
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ドヴォルザーク 交響曲第6番
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ラドミル・エリシュカ 指揮
NHK交響楽団
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初めて観聴きする指揮者です。
ホールの方はじわじわとお客が入り席にだんだんと浸透していくような感じでした。熱狂とはまたちがう、安心してその国の音楽に身を任せられるようなそのような指揮者がまたNHKホールに現れてくれたといったところかもしれません。
最初のスメタナはたぶんCDでも聴いたことがないお初です。解説通りの4つのパートからなりますが、なんというか穴だらけというと言いすぎですが、隙間が多く、でこぼこしていてこの指揮者が振ったからこそ持ちこたえたと思います。
初めて聴く曲というのは耳を凝らしていいところを探し当て、起伏を感じながら発見を繰り返しながら楽しいことではあります。いろいろと魅力的なところはあるもののやっぱりちょっときびしい。隙間が多い曲でした。
エリシュカはこの曲に精通していて愛着があるからこの日のように全く弛緩しない棒でオーケストラを振れたと思います。N響をドライブするのとはちょっと違いますが、N響にローカル色豊かな音楽を移植してくれた瞬間だったと思います。なんだか、ベルリオーズのギクシャクしたブラスの響きが魅力的であったりする、そんなことがちょっと浮かんできました。
2曲目のシンフォニエッタは13個のブラスがバンダ風にオーケストラのバックに横一列に並んで吹奏。一番高い台の上です。台と言えば、この日の配置は置くに行くほど3段ぐらいに台があがっていて効果的な響きを生んでいたと思います。
バンダが一番後ろですので、前方の弦がかき消されることがなく、非常に雄弁で魅力的なサウンドを満喫できました。曲自体はとらえどころがありませんけど、ときおりマルティヌー風な響き、もっと言うとミニマル風な流れの寸前といったところがあり、そのようなことは今回初めて感じました。これもローカル色あふれる音楽で指揮者の共感なしには語れない。
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後半はドヴォルザークの6番。こうなると、祖国が全てでありそれ以外はあまり考えられない。おそらくこの指揮者は自国で自国の音楽を振りつくしてきていて、それについては絶対的な自信があるのだろうと感じられた。また、音楽の作り出すアクセント、ローカルなアクセントなども音楽に多く盛り込まれているのかもしれない。
しかし、この曲も、きびしい。
ソナタ形式と考えるのは誤りではないと思うが、そんなことよりドヴォルザーク特有のメロディーや舞曲風な流れに身を任せた方がいい。それでもやはり曲自体の響きが薄いようなところがあり、スメタナの一曲目同様、隙間が多すぎる。話がそれるがロヴィツキ&ロンドン交響楽団の全集では、第7番の直前の曲といったそれなりにりっぱなおもむきがあったのだが、この日の演奏は悪くはないが、慣れないオーケストラがそのありあまるスキルだけで音響を積み重ねただけの結果、のような演奏だったと思う。
高性能スキル集団によるスキルの集積、それだけで音響は築かれ、指揮者が事前にこまかい節回しを練習で指示すれば四角四面かもしれないがそれなりに音楽はできる。しかし、プレイヤーの体が動いていない。慣れない曲で歌のツボがわからなかったのかもしれない。N響は慣れた曲でもこんな感じのときがある。棒にドライブされていない。何故かは知らないが、流れてはいるが氷のような冷たい血。この日のようなプログラムにはどのように身をふるまえばいいのかを知っているのかもしれない。音楽の共感を引き出すのはやはりこれも指揮者の仕事だ。相手がN響であっても。
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エリシュカは最近日本でブレークしたのだろうか。自分にとって少なくとも4半世紀以上前から知っている指揮者ではないし、80才前後の指揮者を聴くとは我ながら驚き。
昨年、マーツアルが読響の定期をキャンセルし代わりにヴロンスキーが振った。チェコの自国内でこれまで活躍してきた指揮者なのだろう。エリシュカ、マーツアル、ヴロンスキーの世代の流れはあるが、マーツァルは外での活躍が長い人だったしレパートリーも幅広い。ヴロンスキーは動きが自意識過剰で目障りなところがある割には鈍重なマーラー5番だったし、エリシュカはこの人たちとだいぶ異なる。とはいえ音楽の原点は自国の作曲家のものであるのは間違いのないところ。尽くすタイプの指揮者であるのだろうと思った。
おわり

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1335- 第九→めし→バー→新年会

2012-01-13 00:40:58 | グルメ

あれ、クラキチさん、食べログ アップですか?

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第九の感想はすでに書きましたので、年末年始の飲み食べだけ書いておきました。

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年末。

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銀座・大野

http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13030803/dtlrvwlst/2075109/

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銀座・黒猫や

http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13096161/dtlrvwlst/3698679/

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年始。

六本木・板前寿司

http://r.tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13122085/dtlrvwlst/3698589/

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では、今年もよろしく。

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1334- オープン・リール・テープ

2012-01-10 01:10:21 | 音源

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オープン・リール・テープが10年前に箱詰めしたものとか、さらしたまんまのものとか、音源がはいっているものが150~160本ぐらいあると思う。
早く何かにコピーしないといけないのだが、オペラ物が多く、CDRへの焼き付けは収録時間が短くてネック。
思うに市販されているCD、SACDともに高音質へ改善されて再発を繰り返しているが、収録時間の改善は全く見られない。リング・サイクルの無残なブツギリ状態は昔とほとんど変わっていない。ラインゴールドなら2~3枚。ワルキューレ、ジークフリート、カミタソなどは、無神経に前詰めブツギリされたひどいものがいまだに横行している。
DATはよかった。ラインゴールドが一枚に収録出来て、ほかの三つのオペラについても、DAT一本に2幕分収録できたし。でも、DATはシーラカンス状態。
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ここはとりあえず、オープン・リール・テープの話なんだけれども、やっぱりCDRへのコピーしかないだろう。まず、ハードディスク・レコーダーに丸ごと収めて、そこから少しずつブツギリしてCDR化するしかないだろう。不便な世界になったものだ。
ハードディスク・レコーダーは持っていないのでまずこれを買わなければ話はすすまない。オープン・リール・デッキは、以前はTEAC X10Rを持っていたが手放して、同じTEACのX2000Rはオーバーホールした状態なので問題なく動く。但し120ボルト対応なので昇圧機がいる。これももっている。ちゃんと機能するかどうか。
このまえ、カセットデッキとCDレコーダーが一台にくっついているものを買った。TASCAMの型番は忘れた。カセットも1200本ぐらいあるので、このマシンでコピーする予定。
あとは、DATがこれまた1500本ぐらいあるはずで、これもどうするか問題が山積。
順番にゆっくり移し替えようと思っています。
ただならクラウド移行でもしたいけれど、1タイトル2ギガぐらいだし、、、
あまり現実的ではない、今のところ。
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1333- デニス・ラッセル・デイヴィス=ハイドン交響曲全集 完了!99-104

2012-01-08 00:10:00 | drd-haydn-complete syms


例の37枚組聴き終えました。
今まで聴いた内容は以下にあります。
ここ
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ロンドン・セット第2期
一気に6曲聴き終えました。全てに序奏が非常に魅力的。そして各楽章の味が濃くなっていて曲の特色が非常に明確になってきた。やっぱりこのあとはベートーヴェンなんだと思う。
それぞれ副題にとらわれることなく聴こう。
第99番は演奏が妙に落ち着いていてあっさりと短い印象。
第100番も端正だ。第2楽章結尾のトランペットが印象的。ブラスの大胆な使用がだんだんと出てくるということだ。
第101番は流れが美しい。特に流麗なフィナーレはお見事。
第102番はうってかわってこぎみがいい。
第103番はさらに大きくなり、第1楽章の序奏が回帰するあたり規模の拡大を感じる。序奏のティンパニのリアルなサウンド収録は特筆に値する。
第104番はもっと大ごとになる。オーケストラがひきずるような音を出してくる。次の作曲家にこのあとはまかせよう。といったところか。
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これで全部聴き終えました。
若い頃のデニス・ラッセル・デイヴィスのイメージからして、よもやハイドンやブルックナーの交響曲全集を振るとは思いもよりませんでしたが、研ぎ澄まされて鋭角的で美しくも明快。へんな小細工に弄されることなく、己自身のハイドン像をりきむことなく表現。何度でも聴きたくなります。今後は曲順ではなく、思いついたところからこちらも自由自在にピックアップして繰り返し聴いていきたいと思います。
すばらしい全集でした。
おわり
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1332- 年末行事 第九 宮本文明 東京シティ・フィル2011.12.28

2012-01-07 14:29:32 | インポート

2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2011年12月28日(水)7:30pm
東京文化会館
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ベートーヴェン 交響曲第九番
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ソプラノ、澤畑恵美
アルト、坂本朱
テノール、大槻孝志
バリトン、河野克典
合唱、東京シティ・フィル・コーア
指揮 宮本文昭
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オーケストラの中の中心で演奏している姿は30年以上前から見ている。棒を見るのは今回初めて。
まず、オーケストラに切れ味がない。特に弦はよどんでいる。一つのパートだけ丹念に聴いているとそれなりなのだが、まとまると音が鈍角になってしまう。ピッチが合っていないこととは別の問題なのかもしれない。人数が多くなればなるほどもやもやと。
宮本さんの棒は指示が表面的で音になぞられている感じ。ベートーヴェンの音楽を一度、噛み砕いて飲み込み全部吐き出す、それが再創造である。そのようなところには遠い。
個人的には小編成のアンサンブル的な棒からやったらいいと思う。先を急いでしまってなにか大きな欠落が出来てしまっているように感じる。
おわり

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