河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1802- ばらの騎士、ジョナサン・ミラー、シュテファン・ショルテス、東フィル、オペラパレス、2015.5.24

2015-05-24 21:25:59 | コンサート・オペラ

1802- ばらの騎士、ジョナサン・ミラー、シュテファン・ショルテス、東フィル、オペラパレス2015.5.24

2015年5月24日(日) 2:00-6:05pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ

シュトラウス 作曲
ジョナサン・ミラー プロダクション
三浦安浩 リヴァイヴァル・プロダクション

ばらの騎士  67′ 55′ 57′

キャスト
In order of appearance, sometime in order of voice’s appearance
1-1     マルシャリン、 アンネ・シュヴァーネヴィルムス
1-2     オクタヴィアン、 ステファニー・アタナソフ
2     オックス男爵、 ユルゲン・リン
3-1     元帥夫人執事、 大野光彦
3-2  モハメッド
4-1  3人の孤児、前川依子、小林昌代、長沢美希
4-2  公証人、 晴雅彦
4-3 テノール歌手、 水口聡
4     ヴァルザッキ、 高橋淳
4    アンニーナ、 加納悦子
4    料理人の主人、 加茂下稔
4    帽子屋、 佐藤路子
4    動物商、 土崎譲
5-1  ファニナル、 クレメンス・ウンターライナー
5-2 ファニナル家の執事、 村上公太
5-3 マリアンネ、 田中美佐代
5-4 ゾフィー、 アンケ・ブリーゲル
6  警部、 妻屋秀和

新国立劇場合唱団
TOKYO FM少年合唱団
東京フィルハーモニー交響楽団
指揮 シュテファン・ショルテス


何度か観たプロダクションですが、リヴァイヴァル・プロダクションとして日本人の名前が載っているのでマイナーチェンジがあるのかもしれない。

個人的にはジョナサン・ミラーの解説の中に書いてあるポイント、言葉に重点を置いて観てみる。
言葉の重みと言う観点でいろいろ含みがありそうなのはマルシャリンだけのような気がするけれども、ロール自身、デカい声で張り上げることなく噛みしめながらの歌は、歌詞の深みを理解するうえでは良かったと思います。
人生のたそがれと、替わる人たちの夜明け。人間関係がある者同士でシームレスに時代の進行をうまくバトンタッチできるとは必ずしも限らないけれども、数知れぬ形があって当然と言う気もしてくる。それをどう、達観する必要はないけれども、味わい生き尽くすか、ということなのかもしれない。タイトルロールのほうは食われてしまった感があるけれど、かといってマルシャリンがでしゃばっていたわけでもなく、それぞれ中庸ななかに音楽自体の旨味が自然と出てきた佳演だったと思います。

主要ロール特に男たちはユルゲン・リンを筆頭に見栄えがよく場の雰囲気を盛り上げておりましたね。テノール歌手もきまっておりました。あすこらあたりのシーンはドタバタしていて落ち着きが無い個所ですけれど、歌手の歌のシーンできっちり締まりました。

オーケストラは人数編成の割に音が痩せている感じでした。

最後、三重唱から、これでいいのだわ、と、二重唱へ、チリチリする美音のなかハンカチエンディング。
おわり











1801- RVW、ディーリアス、ブリテン、エルガー1番、尾高、新日本フィル2015.5.22

2015-05-24 00:25:18 | コンサート・オペラ

2015年5月22日(金) 7:15pm トリフォニー

ヴォーン・ウィリアムズ  タリスの主題による幻想曲 16′

ディーリアス  「村のロミオとジュリエット」より間奏曲、楽園への道 10′

ブリテン  「ピーター・グライムズ」より、4つの海の間奏曲 4′3′4′5′

Int

エルガー  交響曲第1番イ長調  19′7+12′12′

尾高忠明 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


イギリス物4連発、尾高得意のブリティッシュな香りが漂う素晴らしい演奏、その香り以上に凄い圧倒的なブラスの咆哮がイギリス・ブラスバンドの響きを大いに感じさせ、ノーブルブラスここに極まれり。

メインディッシュのエルガー、サウンド満喫しました。
尾高共感の棒でありながら昔みたいに本人が曲に感動し過ぎながら振っているという感じはなくなりました。
テンポ設定にゆるいところは微塵も無く、無為に力を入れることなくほどよい進行。第2主題の対旋律がくっきり浮かぶ音模様の多様な美しさ。ブラスやパーカッションの極度な岸壁アタック、弦はコクがありそして鋭い、揺れないテンポ設定、充実しきった展開部、ツボを押さえた見事なエルガー解釈棒と言うしかない。
この第1楽章は特にこの展開部の充実感が生半可ではなかった。特筆すべき演奏でしたね。

第4楽章大詰めのブラス3連符の圧倒的に立体的なギザギザ感。あすこをこれだけ見事に浮き彫りにさせることのできる指揮者は今の日本には彼をおいていない。ブラスの醍醐味ですね。
この第4楽章で特に顕著だったのは、全くテンポを緩めないこと。先を急ぐという感じではなく、ストレートな流れを作ったような感じでした。圧倒的でしたね。オーケストラともども会心の演奏でした。
もじゃもじゃコンマスもこれでは彼に一歩下がるしかないでしょう、確かにそう見えました。


前半のディーリアスとブリテン、両曲ともに大編成で結構な鳴り。
ディーリアスは繊細さを微細に追う感じのそもそもそんな間奏曲ではなく、大掛かりな曲ですね。昔、ディーリアスと言えばバルビローリみたいなときがあってそのアナログディスクも聴いたりしたが、この日の演奏では随分と違う印象を持ちました。
尾高は大雑把に振っているわけではなくて、細やかさを追っているわけではないと思いますが細部の表現にも結構光をあてておりました。
ブリテンのPGは黒光りする鋭い演奏で、舞台で奏されるような緊張感はらんだドラマチックな演奏と言うよりはシンフォニックな趣きが濃い。オペラ振りの指揮者ではないし、方向性としては自然にこうなるのだろう。スコアからうねりを作っていく感じ。これも聴きごたえありましたね。

一曲目のRVW、2部弦は右寄り奥。分離したオーケストラの響きを楽しめました。


充実のイギリス物4個で2時間オーバー。トリフォニーの聴衆はサントリーみたいにうるさくないし、音楽を余韻までじっくりと楽しめました。
ありがとうございました。
おわり


1800- 黛、林、三善、矢代、下野、日フィル、2015.5.16

2015-05-17 22:22:09 | コンサート・オペラ

2015年5月16日(土) 2:00pm サントリー

黛敏郎  フォノロジー・サンフォニック ―交響的韻律学―  11′

林光  Winds  11′

三善晃  霧の果実  13′

Int

矢代秋雄  交響曲  9+5+15+9

下野竜也  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団


昨晩はいただいた席。今日は定期の席で鑑賞。
下野の棒は前晩と同じく非常に緊張感にとんだものでした。作品の最上の姿を最高の演奏で聴かせてくれる。

後半の矢代のシンフォニーはさらにアタッカ気味と言いますか、前の日よりも連続演奏意識が濃いものでした。二日目の演奏はこなれていて緊張感の中にも余裕が感じられました。二回目ともなれば見通しがよりわかるようになるからだと思います。


概ね前の日と同じ印象。このような作品群を二日続けて聴けるという有意義で充実した時間の流れ、いいですね。

本当に楽しみました。ありがとうございました。
おわり


1799- 黛、林、三善、矢代、下野、日フィル、2015.5.15

2015-05-16 11:44:30 | コンサート・オペラ

2015年5月15日(金) 7:00pm サントリー

黛敏郎  フォノロジー・サンフォニック ―交響的韻律学―  11′

林光  Winds  11′

三善晃  霧の果実  13′

Int

矢代秋雄  交響曲  10+4+15+9

下野竜也  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団


これはいい演奏会でした。今よりもこの当時の作曲家のほうが積極果敢で斬新、意欲的な創作活動がスカスカに見えてくるようでとても新鮮に聴くことが出来ました。
今のいわゆる現代音楽の作曲家たちがどこかに忘れてきてしまった腰のある、輝きのある圧倒的な響き。しおれない、しなだれない強烈な前向き音楽。

後半に1曲だけ置かれた矢代秋雄のシンフォニー、置かれた位置も内容も相応しい。
ヴィオラが内と外、別れて奏する緊張感はらんだメロディーラインとユニークなパーカッションの第3楽章、そこが白眉の頂点。そしてコラールファンファーレのインスピレーションが素晴らしいフィナーレ。
シンプルで強固な形式感がかっちりときまっている曲です。
響き、陰影、リズム、ダイナミズム、全体バランス。もう、わくわく感がとまらない。
第1,3楽章の静謐な響き、第2,4楽章の強烈な叫び。最高です。
第3楽章のパーカッションはショスタコーヴィッチの15番シンフォニー第4楽章の先取りのように聴こえるし、第4楽章の序奏はマーラー6番のフィナーレ序奏と同じモード、とにかく強烈な曲ですね。
下野の棒は非常に明快で、強烈な締め具合、その緊張感が圧倒的。曲との同質性を感じさせてくれるもので、また、まだまだ無限な可能性さえ感じさせてくれた説得力あるものでした。

最初の黛の曲はゴチャゴチャしたものですが、音響が光り輝いており腰がある。今の作曲家達にはすっぽりと抜けてしまっているものがここにある。

林のWindsはしなやかさのあるものだが、これは次の三善と比べると少し時代を感じさせる。

それぞれの作曲年次が、黛1957、林1974、三善1997、矢代1958、
このうち三善の作品のみ、今寄りといいますか、腰の無さ風が前面に出ている。前半は特に柔らかすぎる世界に足を踏み入れた感がある。影がありウエットでしなやか。
最後のコラールに向かう姿はやっぱり、その訴えかけの強さが圧倒的。後から見れば時代折衷的な曲だったのかもしれないという側面を感じる。
この三善の前半部分のアトモスフィアは林の作品のそれと同質性を感じるが、林のほうは当時の中にあっても現代音楽と言うよりも時代音楽と言う面が強く出たのではないかという印象です。

いずれにしましても、とにかく充実の内容。作品の内容もさることながら、下野の棒、そしてオーケストラの圧倒的に充実したサウンド。3者の共感度密度の濃さ、圧倒的でした。


これで、柴田南雄の夕べでもあれば何も言うことは無い。
ありがとうございました。
おわり


1798- デュティユー、Sym.No2、ブラームス、Sym.No2、ベルトラン・ド・ビリー、都響2015.5.13

2015-05-15 23:19:00 | コンサート・オペラ

2015年5月13日(水) 7:00pm 東京文化会館

デュティユー  交響曲第2番 ル・ドゥーブル 7-10-12

Int

ブラームス  交響曲第2番ニ長調  20-9-5-8

ベルトラン・ド・ビリー 指揮 東京都交響楽団


プログラム的にはもう一曲まぜてほしい。都響のショートプログラミングは相変わらず。5分遅れのステージインも相変わらず。遅刻開始、短いコンサート、おおいに改善の余地あり。

デュティユーですが、このてのミュージックは時間が経つと忘れてしまうという難点がある。気に入ったら何度も聴き返さなければいけない。
この曲は編成が特異で、大編成と小編成が聴衆に向かって半円ドーナツ型に並ぶ。小編成が手前。小編成組をあとで入場させることにより、その配置がよりわかりやすくなり、またインストゥルメントの種類もよくわかる。いいアイデアですね。
雰囲気はこんな感じ、
1.    スタッカート風な
2.    空虚な鳴り
3.    とろとろと流れていく
ヒラメキミュージックではないですね。苦労具合がよくわかるもの。曲の説明が必要と言うのがこの種の音楽。


後半はブラームス2番。第1楽章リピートあり。長い演奏と感じることはありませんでした。
昨年、この指揮者でオペラとコンサート両方見ました。概ね同じ感想です。粒立ちがいいというか、アンサンブル単位での縦の線がクリアで、また、メロディーラインはスタッカート風な味付け。うねりを作っていくスタイルではなくて、ドライな感じ。熱狂型ではないですね。バランス感覚に優れた指揮者です。

都響の音は硬すぎて、昨年の新国立での東フィルとのアラベラのような雰囲気はなかなか出せないのだろう。
おわり


1797- 椿姫、ボブロ、ポーリ、ダザ、アベル、ブサール、東フィル、新国立2015.5.10

2015-05-11 01:14:42 | コンサート・オペラ



2015年5月10日(日) 2:00-4:50pm オペラパレス、新国立劇場、初台

ニュー・プロダクション プレミエ、サンデー・アフタヌーン
新国立 プレゼンツ
ヴェルディ作曲
ヴァンサン・ブサール プロダクション

椿姫

(キャスト) in order of appearance
1.ヴィオレッタ   ベルナルダ・ボブロ
1.アルフレード   アントニオ・ポーリ
1.ガストン子爵   小原啓楼
2.アンニーナ    与田朝子
3.ジェルモン    アルフレード・ダザ
4.フローラ     山下牧子
4.ドビニー侯爵   北川辰彦
4.グランヴィル   鹿野由之
5.ドゥフォール男爵 須藤慎吾

新国立劇場合唱団

イヴ・アベル 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
前奏曲 4′
第1幕 27′
SB 3′
第2幕第1場 39′
Int 30′
第2幕第2場 20′
SB 4′
第3幕 31′



新国立の椿姫、2002年から2004,2008,2011と舞台に上がったルーカ・ロンコーニのプロダクションに続く、今度はヴァンサン・ブサールによる新国立2回目の演出。
この日はそのブサールの新演出の初日公演です。
新演出ではなく新制作と言う言葉を他の出し物でも使っていますが、ここの英語のパンフはニュー・プロダクションとなっています。
なぜこのような日本語になっているのかわかりません。最初の頃は新演出と言っていたように思います。

ということで新制作のプレミエです。この日から6回公演です。
始まる前にタイムチャートみてがっくりしました。予想してはいたのですが、2枚組CDの取り替えと同じところで休憩。つまり第2幕の途中で30分の休憩がはいります。どうしても休憩は1回にして早く終わりたいようです。この日の出し物に限らず昨今は休憩省略公演が多いですね。
椿姫は第1幕があまり長くないとはいえ、ショートブリーフ3分で第2幕第1場へ突然移ってしまう違和感はかなりのもの。これだけでもマイナス要素強い。指揮者のアベルは極度のピアニシモ前奏曲から割とゆっくり目で結構ロングな1幕となっただけになおのこと余韻を楽しみたかった。この最近の流行りは本当によくないと思う。2回休憩取ってください。誰に言えばいいのかな、最後に出てきたブサールさんかな。
後半第2幕2場からいきなり第3幕へのヴィオレッタのメイクチェンジも大変だと思いますが、それ以上にぬぐい難い違和感、ピアノ蹴散らしその上で踊っていた連中の残像ありまくりな中、時をかまわずいきなりそのピアノがヴィオレッタの死の床となり現われるのですから。

演出は秀逸でしたので、誰の意向かわかりませんが、このような愚策は即刻改善してほしいものです。


演出を手掛けたブサールの記では、床は鏡、時代はいろいろな設定から引っ張り出している。最初から最後まで舞台のキーとなっているピアノも椿姫原作以降の時代物。どこかのホワイエ設定も。
当時だけでなく種々の時代のものから現代を考えたいと。

床の鏡効果は満点で光と影の屈折した色模様が美しい。また床だけでなく壁も同じく鏡で聴衆から見て水平と垂直の境目がわからない。面白いセッティング。
また、舞台中央は鋭角な床がオケピットの上まで突き出ていて、そこでの演技、歌唱が頻出。舞台かなり前方でのプレイが多い。
パーティーは昔のような脂ぎった埃っぽさが皆無で、現代のスタイリッシュなおもむきが良く出ている。鏡効果も満点。
乾杯の歌の後、ヴィオレッタ一人になり歌うアリアでは、ボブロはひと時、舞台前方で横になり床の鏡にほっぺを押し付けて歌う。これは鏡に映る姿と自分が上下に映り、なにやら意味深いものを感じさせてくれる。鏡は全てを抽象化する。この横歌いのせいでもないと思うが、ボブロの声の方は、最初はなんだかあまり張りが無く、あとの第3幕の病気局面に向けてだんだんと馬力が出てきてよく声が通るようになってくるという妙な具合。いきなりエンジン全開の歌ではありませんでした。とはいえ、
ピットの真上で、一人で歌う第1幕、やっぱりある程度ケツまくって挑むしかない。本当にたくさんの聴衆の前で一人ぼっちでアリア歌うのですからね。実力と度胸。
このアリアの節回しは慣れた具合で、際どさもありましたが、このオペラの場数を踏んでいそうで、そういう意味では安心感をもって音楽に浸れました。

ピアノが舞台中央にあります。ピアノは音楽そのものと言う雰囲気で、第2幕では机代わり、宴会テーブル代わり、そして第3幕では死の床になります。ずっと音楽があったわけです。


第1幕パーティーから、既に一緒に暮らしている二人の生活感さえにじみ出ているシーンの第2幕第1場まで3分。この違和感。プッチーニのボエーム第1,2幕の連続技は速ければ速いほど効果的なわけですが、あれとはまるでシチュエーションが異なる劇なわけで、どうしても一服必要だと思います。こちらの気持ちモード変更がうまく出来ない。この場切り構成は、例え劇が成功してもマイナス方向への要素しか持ち得ていない、よくないものです。
真ん中に例のピアノ、上方には空中停止のアンブレラ、さらに上には、空中停止の鳥たち、本当にシンプルな舞台です。
この第2幕第1場は長丁場でお三方のロールの心の葛藤が見事で聴きごたえのある場です。若さと老獪さがないまぜのような雰囲気がありましたけれど、素敵な舞台でした。
ヴィオレッタが最後にプレリュードのふしに乗せて、私が愛しているのと同じだけ愛して、と言う。でもそこは、You love me more than I love you の激しさなのです。役どころとしてはそこまで過熱していった感は徐々にありました。

ここでインターミッション。ノーコメント。

第2幕2場はパーティーの場、もちろんピアノもあります。ここのパーティーは第1幕の帰結編みたいなものですけれど、1幕が流れるような音楽とソリスティックな場面中心であったのと比べ、こちらはドラマチックな場面で、これが無いと第3幕へはうまくつながらないかもしれない。まぁ、ピアノの上で、あすこに手を当てて歌う局面もありますね(男)。
ここは合唱とオケ伴、指揮のせいもあると思いますが、隙間が長すぎ、空白がありすぎで、うまく音楽がつながっていかなかったきらいがある。ボッツンボッツンという具合で連鎖チェーンの感じられない演奏でした。回を重ねるとこういうところはうまくシームレスになっていくと思います。


第3幕の舞台は秀逸でした。
さっきまで蹴飛ばしていたピアノを4分で死の床に様変わりさせなければならない休憩無しの演出なのか初台の都合なのかは知りませんけれど、それは全く誉められたものではないですが、切り抜いて、観てみた第3幕は秀逸なものでした。
薄いしゃ幕のようなものが生側と死側が交わってはいけないもののように、ヴィオレッタとほかのものたちを柔らかく光りのひずみで分断する。幕のこちら側には今まさに天上に召されようとしているヴィオレッタ、幕のあちら側には生きている生側のものたち。その分断幕が光の反射、そして風になびき、まるで空気のひずみを表しているよう。死の床の空気は幕に沿い上の方にひずんでいる。そのように見えます。聴衆はそれを死側のヴィオレッタ側から見ることになる。劇のツボの中にいるような雰囲気を聴衆サイドは感じることになる。心理的な空気感をものすごく強く感じた設定と演出で、生の世界から乖離、はがされていくヴィオレッタのシチュエーションをものの見事に表現していたと思います。
この3幕の舞台演出ではヴィオレッタは最初から死んでいるという理解でいいと感じさせてくれます。最後に、ぁあ体が軽くなる、のセリフは死後のセリフと思いますが、この演出では最初から死んでいる。
死の空気のゆがみの表現が秀逸でした。

3人のロールはおしなべてしり上がりに調子を上げ、特にタイトルロールのボブロさんは役と本人の境目がわからなくなるほど鬼気迫る没我白熱の歌と演技となりました。そして最後はピット上に突き出た鏡の上で果てる。背中の緞帳落ち、照明落ち、舞台前でエンディング。

色々と美しい仕掛けは多数あれど、それらは奇を衒うことを主としない演出で、ストーリーの意味合い強調に一役買うことはあれど場を乱すことは無い。大胆な構図から繊細な動きまでおしなべて美しい舞台。脂ぎらないスッキリとした動きや背景。良かったと思います。カーテンコールでは演出のブサールさんにも拍手喝采。


初めて椿姫を観たとき、第1幕25分ほどで終え、なんだ短い第1幕だなと思うまも無く、40分の休憩で、まわりのみなさん食事。ほーなんとアメリカのメトはさすがにやることがちがうなぁと思ったりした時代、いまでは初台でも同じようなことをする時代。まさに隔世の感。1幕2幕のあときっちり休憩のある時代でしたけれども。
アルフレードの声が出れば、ヴィオレッタもつられて声が出る。それぞれの相乗効果でロールたちは風を切るような研ぎ澄まされた歌での熱唱の上演がいつ果てることも無く幾度も幾度も繰り返されていたのでした。

おわり




1796- シューマン1番、ブラームス3番、阪哲朗、日フィル2015.5.9

2015-05-10 10:51:09 | コンサート・オペラ

2015年5月9日(土) 6:00pm みなとみらいホール

シューマン 交響曲第1番変ロ長調 春 11-5-7-9

Int

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調 13-9-5-10

(encore)
トロイメライ(弦楽合奏) 4′

阪 哲朗  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団

14対向Cb7


昨今の日本人指揮者でシューマンとブラームスを並べて、これだけ聴かせてくれる指揮者と言うのは、まさに干天の慈雨に違いない。

シューマン、深い。味わい深かく、深すぎるくらい。正面突破の演奏で一つずつの音やフレーズが生き生きと波打っている。本格的すぎる選曲は自信の表れでもある。プレイヤーたちにこのような曲でやる気を起こさせて充実音出させるにはよっぽど説得力がないとスカスカと見透かされてしまいかねない。そこらへんの裏事情や練習風景はどうであれ、結果としての演奏の素晴らしくコントロールされときにドライヴされた音楽にはほれぼれとしました。シュマ1をこれほど味わい深く聴いたのは久しぶりですね。ぶ厚いサウンドが耳に心地よい。

後半のブラームスも同じ方針、ブサーとクラスター的迫力のアクセント、3番の美しいメロディーラインが湧き立つ、多段階アタックを伴った多彩なニュアンス、美しいハーモニーバランス、オーケストラの呼吸の一致、生き生きとした音楽が流れ溢れてくる。

約20年前にN響を振った時のあの演奏、もはや影も形も無いと言えよう。この20年の苦労がしのばれる。ものすごい成長力であったと言えよう。

アンコールで演奏された弦楽合奏のトロイメライ、息を呑む美しさでした。

横浜のお客はサントリーみたいにぎゃぁぎゃぁ騒ぎませんし、音楽をピュアに愛している落ち着いた大人の対応が自然と出来る、シックでいい演奏会でした。
おわり