2019年3月5日(火) 7pm 小ホール、東京文化会館
ベートーヴェン ピアノソナタ第1番ヘ短調op.2-1 4-5-3-4
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第1番変ホ長調op.1-1 8-5-6-9
ヴァイオリン、佐藤まどか、チェロ、藤森亮一
Int
ベートーヴェン ピアノソナタ第29番変ロ長調op.106 ハンマークラヴィーア
12-3+16+13
ピアノ、近藤伸子
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お初で聴きます。ベトソナシリーズの1回目という事で勇んで聴きに来ました。2曲目にピアノトリオが挟んであって、こうゆうプログラムビルディングは見たことが無い。
恥ずかしながらピアニストの事を知らなくて、そのままリサイタルに臨んだ。とは言っても始まる前にプログラム冊子は読ませていただいた。とりあえずのキーワードとしては、バッハと現音の生スペシャリストで、今回からベトソナに注力、と。
もう、これだけで、なにやら、情報のほとんどがインプットされた気になるから不思議なものだ。
この日のリサイタルは最後のハンマークラヴィーアを終えてご本人の一言があっただけで、言葉もアンコールも無い。凝縮の高濃度リサイタルであった。自分にはこのような舞台が一番むいている。
虚飾を排した29番は端正とも違う。力みの一切ないプレイはリラックスした演奏ではない。全く妙な言い方になるが、あえて言えば、経験ばかの正反対の演奏という話しだ。
実践したものだけ、やってきたものだけ得意に出来る。そうではなくて、そのような実践の積み重ねに加えて、分野を広げて本を読む、研究を重ねる、文献を知る、そういったことというのは、つまり、段々と、本を読むだけである部分、実践の世界を経験することが出来るようになる。本を読むという事は、行ったことの無い世界に、まるで行ったかのように色々な事を経験させてくれて、幅が広がる。もうひとつ例えると、今みたいに世界が狭くなる前の時代、外国に出て行って色々な事を経験し知ること。アメリカという一国に行っただけなのに、まるで何十か国も経験したような気持ちになる。あの世界観に似ている。
まあ、知的経験の多様性や深さを実感させてくれるプレイでした。現音フィーリングやバッハの感触を思わせてくれるベートーヴェン、そういった軽い話では無くて、同じ思いで弾いているなあ、という感じ。
近藤さんの他の演奏はこれまで聴いたことは無いけれど、何故かそうゆうふうに思わせてくれる演奏でしたね。バッハもシュトックハウゼンも見える。
といった具合で29番最初のひと押しから始まる。激烈な深さとさらりとした流れ、思わせぶりの全くないタメ、さりげないナチュラルな呼吸。殊更の巨大性は横に置き、しばし淡々と音楽は始まり第1主題後半の、四分音符と後打ち八分音符がまるでエコーのように響き冴えわたる。後打ち八分音符はまるで実体のあるエコーのように響く。明瞭でクリアな弾きは正確性からくるもので、まず、第一に、その正確性を求める、というのは正しいことだろうと思う。技巧と言ってしまえば身も蓋もないが、こういったあたりにバッハもシュトックハウゼンも見えてくる、言葉のトリックではなくて。
充実のパフォーム、第1楽章が済んだところでハンケチに手をやりひと拭き、と、何かに気がついたかのようにすぐに短い2楽章へ。そして3,4楽章はほぼ連続プレイ。なんか、ホントは全楽章このようにやりたかったのかもしれない。ハンケチの癖が出たのかもしれない、などと余計な事を思ってしまった。
長いアダージョは型を感じさせる。やや、アカデミックな雰囲気を醸し出しつつ、深すぎず浅すぎずの押しはあっさりと実にシンプルに音がつながっていく。音楽がこんなにもあっさりとつながっていっていいものだろうか。きれいな響きで引き際がすっきりとしている。実体のある緊張感は邪念、雑念が無くてミュージックそのものだ。
このソナタ形式の表現がまた良くて、ここから展開、ここから再現、といった切り替えが殊更に見せることが無く、つまり、つなぎの卵や片栗粉無用の高純度な物体の自然接着を思わせるのだ。バッハや現音はこういったところにちらりと見えたのかもしれない。実にピュアな演奏。
終楽章のアプローチは、あまり聴いたことが無い異色のもの。何が違うかというと響きのバランスと音のはじけ具合、こんなに飛んではじけて、こんな楽章だっけと多少びっくり。ユニークな表現と思うのだが、出どころは自身であり、自分が身をもって作り上げたもの、その真実の表現という納得のアプローチだったように思う。
ということで、全く長さを感じさせない29番でした。
31番の嘆きの歌がこの29番のアダージョで垣間見える。結局のところ29番から32番まで、どっぷりとつながった音楽精神構造の同質性、そんなあたりのことも色々と感じさせてくれた。いい演奏でした。
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最初に演奏された1番。弾く前のじっくりと時間を置く姿が印象的。
瑞々しく駆け上がるステップは、ビリー・バスゲイトが地下鉄降りて駅の階段をステップして駆け上がり地上に出てくるような初々しくて、朝のすがすがしさを思わせる。ベートーヴェンのソナタは1番から魅力がたくさん。
近藤さんの演奏は四つの楽章が並列に配されたような聴後感。そしてすこし幅広に置かれた感じ。大人の表現でしたね。
次の二曲目はベトソナでは無くて、ピアノトリオ。
近藤さんが書いたプログラム解説を読むとわかるが、ベルリンで聴いたバレンボイムトリオの奇跡的名演に触発されてここに置いたと。
ベトソナリサイタルにこのような挟み込みは聴いたことが無い。新鮮な驚き。
3人の音と表現が充実の極み。冴えわたるビューティフル・パフォーマンスに舌鼓。それもそうだわ、なにしろ、ヴァイオリンがまどかさん、チェロは藤森さんときている。もはや、明白。何が明白かと言うと、彼らが持ち合わせている技術レベルが一段と高いのだろう。色々な事が彼らの水準という名のもとに易々とクリアされている。このデフォレベルの高さ感。
びっしりと、三人で隙間なく埋められた音の、この充実感。ベートーヴェンも大喜びだろうなあ。まどかさんの熱くて濃い表現、藤森さんの涼し気なクリスタルチェロサウンド、そして、近藤さんのひたすら感。ベートーヴェンもよくもまあ難儀な三重奏曲を書いてくれたものよ。作品1の1だって。
なんだか100倍得した気分。峻烈にして鮮やかな滑り、素晴らしくマーベラス。言うことなし。
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ところで、当夜のリサイタルのプログラム冊子解説は近藤さん自らが書いたもの。全部読みました。譜例を入れた解説で、その譜例は冊子とは別になっている。別の紙。だから読みやすいですね。
このプログラム冊子はよどみなく流れる、躍動感あふれる文体、実に素晴らしい書きっぷりと内容の濃さ。書いてるときはもしかして何も見ずに書いているのではないか。博学輻輳した知識が次から次へとあふれ出る。専門的な事を書いてありながら、読み口は、素人や単なるクラヲタにもよくわかるもので、音楽の世界にスルスルとはいっていける。境界を排したような書きっぷりで実にわかりやすく、カツ、素直に専門職分野の世界に入っていける。ほれぼれするもので、ベトソナの世界に益々のめり込みたくなる。納得の解説。
ということで、いいこと尽くめのリサイタル、心の底から楽しめて、カツ、勉強になった。ベトソナ小型スコアを自然と手に取りたくなるような、いいリサイタルでしたね。
上野の小ホールはほぼ満席。席種が自由席のみということで、ホールに着いた時には、列が小ホール手前の坂からロビーの売店まで延びていて、そこで一旦列が折れ180度ターンしてまだ続いている。これは大変。並ぶのはあきらめて最後にゆっくりとあきらめモードでエンプティシートを探す。たまたま、鍵盤側の前よりに空席がありラッキー、じっくりと聴けました。とにかく大人気なピアニストでしたね。才気爆発のかたと見うけました。
楽しい一夜でした。ありがとうございました。
おわり