河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2580- ルル・スイート、アルテンベルク、林正子、マーラー4番、リットン、新日フィル、2018.6.29

2018-06-29 23:29:32 | コンサート

2018年6月29日(金) 7:00-9:15pm トリフォニー

ベルク ルル組曲  4-9、4、3、4、5-2
 ソプラノ、林正子

ベルク アルテンベルク歌曲集Op.4  2-1-1-2-3
 ソプラノ、林正子
Int

マーラー 交響曲第4番ト長調  16-9-19-9
 ソプラノ、林正子

アンドリュー・リットン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


とても美しい音で奏でられた3演目。雲の絨毯に乗っているような心地よい演奏にどっぷりと浸かる。

ルルはシーンの切り出しが結構長いもので聴きごたえがある。緊張感のある音楽ドラマ、30分あまりのドラマチックな音楽に聴き手のテンションもあがりっぱなしになりました。
リットンの作り出す流れは見事なもので、どの小節もまたどの一つの楽器もでこぼこすることがない。オーケストラがまるで一つの生命体のようだ。歌う弦、タップリとこくのあるフレージング、ハーモニーが命のウィンド、ブラス。見事なコントロールだ。抑制の美学なのかはたまた良識ある節度なのか、オーケストラの面々が一つのものを目指して作りこむアンサンブルは意識された作為とは別世界の美しさがある。意識が昇華されている。ルルがこれだけ美しさに傾斜していくと、その柔らかい音質と相まって身もだえがしてくる。
ソプラノの林さん、声に深みがあってステージの奥から、そして上から迫ってくるパースペクティヴな佇まいが素晴らしい。歌いくちも余裕ですな。ルルでは出番が少ないですけれども本格派の歌唱、満喫しました。

2曲目のアルテンベルクは10分に満たない。始まったと思ったらすぐに終わってしまう歌曲集で、味わっている暇がない、エキスのみで作り上げた極度にピュアな音楽、このような音楽を声で表現するには正確性の点で特に難しそうだ。膨大な楽器群による多彩な響き、それの一角を成すように聴こえたり、さえざえとした主張の歌いまわしだったり、そこはかとなく感じさせるシャープな現代性が垣間見えたりと、林さんの自在な歌にはほれぼれする。
それにしても、詩は詩としてもやっぱり短い。5曲を2回歌うというのはどうだろうか。


前半2曲のベルク、そして後半はマーラーの4番。林さんは全部に登場。

この4番はリットンがこのオーケストラに念入りに作りこんだものがたくさん聴けた。主張というよりも正しい演奏といった感が強い。ルルと同様、ひとつのインストゥルメントが決してでこることがなくぼこることもない。アンサンブルの一つの極致に到達している。オーケストラメンバーの気持ちが同じ方向を見て一つになっているなあ。練り上げられたアンサンブルの強弱バランスがお見事。このオケ独特の柔らかめのウェットな音色が曲想に似合っている。
シンクロしたアンサンブルはエンドフレーズの末梢神経まできっちりとおよんでいて、スパッとした切れ目は全員一致の見事さ。正しさが末梢まで行き届いているだけと言えばそれはそうなのかもしれないが、よく、聴こえてくるんですよ、そういったあたりのことまで。リットンマジックと言いたくなる。

クラリネットとオーボエのベルアップはアンカウンタブルなほどで、見た目も音も効果的。主張する音がウィンドのバランスの中にあるというのは驚異的。常日頃の室内楽シリーズで培われたものなのかもしれない。オーケストラの特質かもしれないしリットン技なのかもしれない。考え出すときりがないが、お見事な結実だったと言いたい。

こんなタッチの4番だった。小刻みなリズムと憧憬が交錯する初楽章と2楽章、一筆書きのような夢見る音楽に全てを忘れる。緩徐楽章は祈りのように聴こえてきた。奏者全員が祈っているようだった。一つの楽器によるモノローグのようにも聴こえてくる。実に見事な深いため息。
林さんは終楽章の最初の音が出たところで登場。ベルク同様の見事な歌いくちはマーラーとベルクの音楽の違いを感じさせてくれる。
繰り返されたあとの最後の節(せつ)は安定調でグッとテンポを落とし、噛みしめるような歌となり、オーケストラがその歌に絡み合い、えも言われぬ美しさの中、静かに消えていく。
おわり


2579- マーラー、リザレクション、マイスター、読響、2018.6.28

2018-06-28 23:24:24 | コンサート

2018年6月28日(木) 7:00pm サントリー

マーラー 交響曲第2番ハ短調 復活  21-9-10+6+34

ソプラノ、ニコール・カベル
メゾ、アン・ハレンベリ
合唱、新国立劇場合唱団

コルネリウス・マイスター 指揮 読売日本交響楽団

マイスターはあっちのセクションこっちのセクション、特定インストゥルメント等々、今様にいちいち個別指示を細かく出す指揮ではなくて、締まった振りで全体の流れを作っていく。リハで意思が浸透していてそれが音化されていればさぞかし素晴らしい演奏となることであろう。
オケのセクションやソロは個々の勢いでやっているところが散見。呼吸が時に不揃い。マイスターの彼の地のオケではそういったところはデフォベースでクリアしている、という前提の棒ですね。楽譜通りでは物足りず一緒に音楽をする心がまずあって、初めて彼のいいところが出てくるのだろう。読響はマイスターの見えない要求に応えなければならない。

演奏は増築を重ねた旅館のようで、一個前の出来事を基準に次に向かう進行で、そこだけ見ていれば何事も無くても全体を見渡すと不安定。バラバラな勢いは一つのパッセージのくくりが終わったところで次から揃う、そのうちずれていく。これの繰り返し。

終わるや否や阿鼻叫喚の大絶叫が最大限の違和感を持って発せられた。一人である。
ステージの指揮者もメンバーも茫然としていた。この種の嫌がらせは、ステージの上の演奏家たちから見ると聴衆という一つの個体のする行為のように見えたのかもしれない、心ならずも。
おわり

 


2578- music tomorrow 2018、鈴木純明、坂田直樹、ジェームズ・マクミラン、コリン・マシューズ、ステファン・アズベリー指揮、N響、2018.6.26

2018-06-26 23:55:18 | コンサート

2018年6月26日(火) 6:30pm コンサート・ホール、オペラシティ

尾高賞授賞式・プレトーク
坂田直樹、鈴木純明、白石美雪

2018年6月26日(火) 7:00pm コンサート・ホール、オペラシティ

鈴木純明 リューベックのためのインヴェンションⅢ「夏」(2018) 世界初演  19
NHK交響楽団委嘱作品


坂田直樹 組み合わされた風景(2016)  4-5-2-3-4-2
第66回尾高賞受賞作品

Int

ジェームズ・マクミラン オーボエ協奏曲(2010) 日本初演  6-12-7
 オーボエ、フランソワ・ルルー
(encore)
シルヴェストリーニ 
無伴奏オーボエのための6つの練習曲から第3曲「キャピュシーヌ大通り」 2


コリン・マシューズ ターニング・ポイント(2006) 日本初演  5+14


ステファン・アズベリー 指揮 NHK交響楽団


ここ何年か毎年聴いているMusic tomorrow2018、今年は日本物2本、洋物2本。

鈴木作品はリューベックにインスパイアされたもので、春、冬に続く3作目の世界初演。
ブクステフーデ、バッハの引用があり、さらに文字通りの季節感を醸しだそうとしているようだ。どのような音が出てくるのであろうか。
頭から思いの外和風な響きを感じる。それと、四分音符一個ずつをひとつひとつ押し付けるようなパッセージが多い。押し付けることのしつこさと隙間の無さがやや息苦しくて、どのような夏なのかとふと思う。解説にある内容と出てくる音との乖離が結構あるように感じるのだが、これはご本人のイメージなのだろう。描写の解説は不要だったように思う。

坂田作品は尾高賞受賞作品。
楽音とその楽音を出すときに一緒に出てくるノイズ。二つの音響が同居。そういった事を起点に性質の異なる音の混在を表現していく。5部とコーダの合わせて6つの部分の構成が解説で語られている。音響に関する形の解説で、抽象的と言えばそうかもしれぬが音という見えない存在の説明にはかえっていいかも知れない。それに現代音楽の作曲者にありがちな難解な言葉が無くて明快明瞭なのがいい。
6部に分かれていると言っても合計20分ほどで切れ目なく続く。フレーズが弱音系になり次の部が出てくるので構成は分かりやすい。
楽音を出すときに出るノイズ、そのノイズをひとつの楽音として楽器で出すわけだから、「主体・他(ノイズ)」のものが実際に奏でられるときは、「主体・主体(ノイズ)」となる。そこが起点になると思うのでノイズという言葉は取り払いつつ、対立軸をことさらに強調することではなく対比と調和を指向する、その方針の音化はうまくいった作品であると直感する。ノイズは対立軸ではないと最終的な自分的帰結も感じた。なかなか味な作品でした。



プログラム後半の一曲目。マクミランの作品は日本初演。この日一番長い作品がオーボエコンチェルトということでしんどいでしょうね。
ソリストの技を堪能できる作品を色々と書いているマクミラン、今日のコンチェルトもその一つのようです。器楽の響きの妙を堪能しました。ルルーはスコアを見ながらのプレイのせいか余計な動きが無くて響きも一様性が保たれておりまして聴きやすかったです。気の入れようが尋常ではなくて特に中間楽章が圧巻。
ハイテンション演奏のあとアンコールをやるもんだからさらに凄い。あのハーモニーのような技、一体全体どうやって出しているのかな。びっくり。

最後の曲はマシューズの作品。
曲を書いている途中で行き詰まり、一服して続きを書き始めた、ので、ターニング・ポイントと命名したとのこと。一気に書き上げればどのような副題になっていたのだろうかと皮肉りたくもなる。行き詰まりの指向プロセスまで感じながら日本初演ものを聴く耳は無いし。
最初の律動主体のほうにむしろ重さを感じ、徐々にゆっくりと流れていくとき軽さを感じる。不思議な感触。曲名は変えた方がいいのではないか。


以上4曲。

1600人キャパのホール、そのステージにフルオーケストラ、盛りだくさんのパーカス。N響の音は冴えわたっている。メンバーの気のこめようが手に取るようにわかる充実の演奏。このような演奏で現音がさらに輝きを増す。素晴らしい演奏でした。
初台凝縮サウンドは、多目的NHKホールのようにステージから出た音が即座に拡散してしまうようなことがなくて、プレイヤーも難しい響きを感じながら演奏できているのではないか。まぁ、やる気が凄かったですね。指揮者アズベリーのタクトも見事でしたし。

ということで、今年も堪能しました。ありがとうございました。
おわり
























2577- ブラームスPC1、アヴデーエワ、ドヴォルザーク8、フルシャ、バンベルク響、2018.6.25

2018-06-25 23:38:16 | コンサート

2018年6月25日(月) 7:00-9:25pm 東京文化会館

ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15  24-14+12
 ピアノ、ユリアンナ・アヴデーエワ

(encore)
ショパン ノクターン第20番 遺作  4

Int

ドヴォルザーク 交響曲第8番ト長調Op.88  10-11-6+9

(encore)
ブラームス ハンガリー舞曲第17番  4
ブラームス ハンガリー舞曲第21番  2

ヤクブ・フルシャ 指揮 バンベルク交響楽団


2010年ショパコンチャンピオンの弾くブラームス1番。ヘヴィー級の曲。
アヴデーエワはその2010年ほやほやの演奏を聴いたことがあって、その時の印象は柔らかな感じだった記憶。今日の演奏は力強さにしびれた。
かなり強い垂直押しで、音幅がありおしなべて強靭で光り輝く。時に両手で鍵盤かきむしり風になりその両腕がサイドバックに投げ出される。ガチガチシンフォニーのようなこのコンチェルトにガチで向き合っているようだ。音の深さが初楽章の縦進行のような角度のついた響きのこの曲に相応しい。もはや、シンクロ進行で。アヴデーエワもなりきりのシンフォニックワールド全開でしたね。大規模編成の作品に相応しいプレイで、オケ&ピアノの醍醐味を満喫。
一変して中間楽章の静謐な味わい。まさしくコクのあるブラームス、であるのだが、音符の繋がり具合が自由でなにやらモダンミュージックのキラキラとした多彩な響きを聴く様な心地になってくるところも。こうゆうところも彼女の真骨頂なのだろう。味わい深い。
終楽章は進むにつれてジワジワとしたうねりが出てくる。ナチュラルな勢いとでも言おうか。ブラームスの湧き出すヒート感。なんとも言えずエキサイティング。本格的な造形美に過ぎる作品ではありますね。正面突破のアヴデーエワの大胆不敵な演奏と見ました。凄い作品に凄い演奏。折角来日してくれた指揮者オケ、この演奏では忘れてしまいました。
アンコールはノクターン遺作。本編50分で放心状態だったので、ハッと忘れていたものを思い出した気分。来たかという感じ。ブラームスとはガラリと雰囲気を変えてウェットな滴が流れ伝わる。あまりの素晴らしいピアニシモの呼吸にため息。ホールの空気がピーンと張りつめる。しびれる。
オケのしもて奥に立ちすくして聴いていたフルシャもしびれ模様。

もはや、ここまでで、満腹状態。


前回のバンベルクは音がバルブに詰まっているのを無理に出している気配があったのだが、今回はそんなことも感じられなくて、まずは開放し、出た音はそのあとで色々と考えて調整していけばそれはそれで前向きなやりかただ、と言っているように聴こえてくる。
なかなかホットなコンビで相性が良さそうだ。シナジー効果的な勢いもちらほらと見え隠れする。ウィンドをはじめとするノリの良さも好感。そのドヴォルザーク、途中からチェコのオーケストラでも聴いているような気分になる。歴史的、地理的な背景もあるしあながち錯覚とも言えず。
フルシャの意思がそうとうに入り込んだドヴォルザーク、作為のやにっこさよりもやる気が前に出た好演でした。

アンコールのブラームスの渋め2曲。チェコとドイツ物が中和されていくようないい演奏でした。
おわり




2576- クララ行進曲、ツヴィッカウ、ブラームスPC1、アムラン、秋山和慶、東響、2018.6.23

2018-06-23 22:57:40 | コンサート

2018年6月23日(土) 6:00pm サントリー

クララ・シューマン/ユリウス・オット・グリム編 行進曲変ホ長調  7

シューマン 交響曲ト短調 ツヴィッカウ WoO.29  10-8

Int

ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15  22-14-12
 ピアノ、マルカンドレ・アムラン

(encore)
シューベルト:4つの即興曲 Op.142-2 D935  6

秋山和慶 指揮 東京交響楽団


クララ、ロベルト、ヨハネス、3本立て。
プログラム・ビルディング、内容ともに充実したもので、ソリストの冴え技ともども、ワン・ナイト・コンサートを満喫。

クララの作品は堂々たるもので、型のための型的な頭でっかちなところがあって古色蒼然たるものに聴こえるが、普段聴くことのないものだけにフレッシュな肌触りありました。この日の演奏会の枕詞にふさわしい重みも感じさせてくれた。皮切りにはもってこいの物でしたね。演奏も力感に満ちていて、プレイヤーたちのやる気度満タンで申し分ない。

ロベルトのツヴィッカウも演奏会では珍しい。とはいうものの昨年2017年に聴きました。
2290- モツコン17、真由子フェッター、ツヴィッカウ、春、石川、神戸市室内合奏団、2017.3.11 

今日の演奏はそのときと違いフルオケ編成の大規模なもの。力強さがデフォでズンズンと響いてくる。強烈な演奏。
全曲完成させなかったというのはなんとももったいないが、気持ちのリセット方法は彫琢を重ねること、別の作品の創作に向かうこと、など色々と思いはあったのだろう。
巨大な音が揺れ動きながら進行する様はまさにシンフォニックで大迫力、1曲目のクララ作品の演奏と同様、充実した東響にも大拍手。クラクラするようなパースペクティヴ感が圧巻。
フォルムと拍子の問題でもあったのだろうか、次に続く楽章が欲しかったですね。4番まで知っている後世我々の贅沢な希望と言えるけれども。


ブラームスを後半に置いてメインプロとする。ソリストしだいなんだろう。
ウルトラシンフォニーのような第1番のコンチェルト。ソリストはギシギシと立ち向かうか、どこ吹く風のピアノとするか、はたまた。

本格的な重量感に満ち溢れたベースをはじめとする弦の鋭い音響の作り出す迫力ある音場。このはちきれんばかりの切り込みに、何故か縁をぼかしたようなブラスとウィンド。2種類の音響が同時に鳴るこの趣向、偶然なのかはたまた作為なのか、神のみぞ知る。まぁ、いずれにしてもオケによる提示部、申し分ないシンフォニック攻撃に舌鼓。

アムランのピアノは神秘的、ミステリアスな響きで進行。第1楽章はオーケストラパートのみのところは重厚でスロー、ピアノがはいってくるとややテンポを速める。独奏でのテンポ感はさらにスピードアップする印象で、昨今流行りの演奏スタイルとは逆の傾向が顕著。というよりもこれが彼のスタイルなのだろう。今風でないと古色風なのかというとそんなことはなくて響きとテンポの兼ね合い、これが彼のフィーリング。
オーケストラとピアノが対立軸を作ることは無くて、アムラン、秋山、お互いの敬意が一種音楽を練り上げていたようにも見えた。

アムランの袖は鍵盤に触れそうなぐらい長くて、きっと、袖口から音が腕を伝わり体全体に沁み渡って、硬いような柔らかいような暗くて明るいような、えも言われぬ独特なマジックサウンドが身体全体からホワーと滲み出てくる。

長大な第1楽章は型通りと思えばあっという間に過ぎ去る。中間楽章の静謐な様は、鍵盤に手を自然に落としたその重力の音。ナチュラルな響きというのはこのように醸し出されるものなのか。ため息が出る。
終楽章はもはや、シンフォニックな行進、あまりに本格的なコンチェルトにクララの作品を思い出す隙もない。

オーケストラとピアノの掛け合いは作品の多面性を示してくれた。作品に内在する力を示してくれた力演でした。
おわり

 



2575- 謝肉祭、ベト7、シュマ協、辻本玲、ベト5、シャンバダール、ベルリン響、2018.6.22

2018-06-22 23:55:32 | コンサート

2018年6月22日(金) 7:00-9:30pm サントリー

ドヴォルザーク  謝肉祭  10

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調Op.92  12-9-8-7

Int

シューマン チェロ協奏曲イ短調Op.129  16+7
 チェロ、辻本玲

(encore)
カタルニヤ民謡 鳥の歌  3

Int

ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調Op.67  8-11-6+9


リオール・シャンバダール 指揮 ベルリン交響楽団


ベルリンという名につられて出かけました。というほどの事も無くてお目当ては辻本さんのチェロ。
辻本さんのチェロは最初からずーっとハイテンションを保っていて気持ちがいい。力感漲っている。ふくよかで締まっていて一瞬たりとも弛緩しない。お見事なコンチェルトで聴きごたえありました。シューマンのモヤモヤがまるで、無い。はちきれんばかりの充実のプレイでした。それに、
音がデカい。今日のオケが束になってかかってきてもかなわんだろうな。


オーケストラ作品のほうの演奏は、弦に強弾きあまりなくて、サッーサッーと軽めで過ぎ去っていく。シンフォニックなニュアンスが出て来ない。その弱点をカモフラージュするような強打に終始するティンパニに閉口。負けじとなぜかバスーンのトップも音がデカかった。
バランスが整理されていないオケという印象。指揮者はダイエットが必要ですね。今時おなかが出すぎの指揮者って本当に少なくなりましたね。
おわり










2574- シューベルト、イタ序2、メンデルスゾーンPC2、アシュカール、イタリア、インキネン、日フィル、2018.6.16

2018-06-16 19:25:54 | コンサート

2018年6月16日(土) 2:00pm サントリー

シューベルト イタリア風序曲第2番ハ長調D.591  7

メンデルスゾーン ピアノ協奏曲第2番ニ短調Op.40  8+13
 ピアノ、サリーム・アシュカール

(encore)
シューマン トロイメライ  3

Int

メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調Op.90 イタリア  12-7-7-5

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


ホワイエでアフタートークが予定されているとはいえ、短すぎるプログラム。定期公演、演奏だけでなくプログラム自体にも気合いを入れてほしいものだ。

ピアノのサリームはきっちりとしたプレイで好感を持てました。ただ、メンデルスゾーンのこの作品は終始ジャバジャバしてる感じが有って好みではなくて。

イタリアは日フィルの柔らかいサウンドが魅力的。切れ味もよくて、総じて迫力のあるもの。楽しめました。
おわり






2573- ベートーヴェン、チェロソナタ、2,1,4、小菅優、石坂団十郎、2018.6.15

2018-06-15 23:43:18 | リサイタル

2018年6月15日(金) 7:00-9:15pm 第一生命ホール

オール・ベートーヴェン・プログラム

《マカベウスのユダ》の主題による12の変奏曲ト長調WoO45  11

チェロ・ソナタ第2番ト短調Op.5-2  15-8

Int

チェロ・ソナタ第1番ヘ長調Op.5-1  17-7

《魔笛》から「娘か女房か」の主題による12の変奏曲ヘ長調 Op.66  9

チェロ・ソナタ第4番ハ長調 Op.102-1  8-7

(encore)
シューマン 幻想小曲集Op.73 第3曲  4

シューマン おとぎの絵本Op.113 第4楽章  5

ピアノ、小菅優 チェロ、石坂団十郎


チェロ・ソナタというよりもピアノソナタwithチェロといったおもむき。作品の傾向がそうだからというのもあるし、まあ、小菅さんの独壇場でした。演奏、主導権、全部、ですね。

1番2番は異色というか、若くてしっかりとしたフォルムで、そこまでしたからその後の作品が生まれたのかもしれないのだが、若さの中に息苦しさを覚える。2番の序奏は5分越え、ここまでしないといけなかったんだろうねベートーヴェンは。ホント、興味尽きないコンポーザーではある。
ピアノが目まぐるしく活躍する中、気がつくといつの間にかチェロが合わせて奏でられていた。そんな瞬間が続く。小菅さんの表現の幅は圧倒的ですね。空気がはずんでいる。お見事なプレイ。

1番と4番の間に置かれた魔笛の変奏曲は作品番号66なんですね。ということは67の前なのか、でも、初期の変奏曲なんですよね。

2番と1番を聴いた後だと4番はホッとしながら緊張感解いて聴ける。りきむことなく書き上げた筆のタッチが心地よい。音楽の表情が自然。
石坂チェロは総じてしなやか。みずみずしい切れ味もあって小菅のピアノとよく合っている。ピアノを邪魔しない、という妙な言い回しがしたくなるチェロ・ソナタの夕べでした。
ありがとうございました。
おわり






2572- グラズノフ中世より、グリーグPC、奥井柴麻、火の鳥、プレトニョフ、ロシア・ナショナル管、2018.6.14

2018-06-14 23:32:41 | コンサート

2018年6月14日(木) 7:00pm 武蔵野市民文化会館大ホール

グラズノフ 中世より 前奏曲  8

グリーグ ピアノ協奏曲イ短調Op.16  14-7+11
 ピアノ、奥井柴麻

(encore)
ラフマニノフ ひな菊Op.38-3 3

Int

ストラヴィンスキー 火の鳥(1945年版)  33

(encore)
チャイコフスキー 雪姫より 道化師の踊り 4


ミハイル・プレトニョフ 指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団

今回のロシア・ナショナル管の来日公演は11回。ソリストに、木嶋真優、反田恭平、牛田智大、と並ぶ中、奥井紫麻さんが、この日1回のみ出演。若いソリストのラインナップの中にあって一段と凄い2004年5月生まれ。別の方のリサイタル等でお顔は拝見しておりました。今日のピアノも楽しみにしていました。

細身ですらっとしていて腕が長くて手が大きく指を立てながら正確なタッチのプレイ。割と骨太の弾きっぷりで大胆で落ち着いた物腰。年齢は年齢としても経験がかなり豊富と見える。しっかりとした響きが魅力的なグリーグで鮮やかな佳演でした。
この作品は聴き尽くしている感があるのだが、魅力的なプレイヤーによる演奏だとあらためてじっくりと聴きたくなるもの。
カデンツァで棒を振るのをやめて立っている時のプレトニョフの背中には凄味が有りますね。ピアニストがピアノを聴く全部耳状態の背中。
オーケストラ指揮と奥井さんのアイコンタクトを含めた呼吸は見事なもので、奥井さんが信頼しきっているだろうことは、カデンツァで、一人で弾いている時でもなにかプレトニョフの背中から電波を感じているように見えるのだ。瞬間瞬間の閃きのようなピアノは素晴らしく美しくて魅了されました。素敵でしたよ。


二日前にイオランタの名演を聴いたばかり。この日はグリーグのコンツェルト含め通常のプログラム。火の鳥1945は昨年2017年に東フィルでも振っており、プレトニョフ好みの曲なんでしょう。フィナーレの刻みそのまま版、バッ、バッ、バッ、・・・・、間隔を置いたラッパがしつこく鳴らすもので、その後のシームレスな流れフィニッシュとの対比が鮮やかといえば言えるかもしれない。
このオーケストラはなにやら、一つのピッチに幅があるように聴こえてくる。極太といったことではなくて、太め透明といった感じ。火の鳥は完全に仕上げて置いて、そこからワイルドな表現をしているように聴こえてきて練った余裕を感じさせてくれる。味な演奏ですね。
弱音プレイから大圧力まで力みがなくて軽く持ち上がっていくようないい動きを聴かせてくれる。まぁ、プレトニョフの意のままなんでしょう。彼の棒なら全曲版も聴いてみたくなります。

1曲目のグラズノフは一昨日のオープニング以外の日全てに置いてあり露払い的なプロなのだろうと思うが、その前奏曲なかなか魅力的な作品でした。
おわり

 













2571- チャイコフスキー、セレナーデ・メランコリック、木嶋真優、イオランタ、プレトニョフ、ロシア・ナショナル管、2018.6.12

2018-06-12 23:15:03 | オペラ

2018ロシア年&ロシア文化フェスティバルオープニング

2018年6月12日(火) 6:30-9:20pm サントリー

セレモニー  15
挨拶、M・E・シュヴィトコイ、高村正彦

チャイコフスキー セレナーデ・メランコリック  10
 ヴァイオリン、木嶋真優

Int

チャイコフスキー イオランタ(演奏会形式/日本語字幕付き)  100

キャスト(in order of vocal appearance)

1-1.マルタ(イオランタの乳母、ベルトランの妻)、山下牧子(Ms)
1-2.イオランタ(ルネ王の盲目の娘)、アナスタシア・モスクヴィナ(S)
1-3.ブリギッタ(イオランタの友人)、鷲尾麻衣(S)
1-4.ラウラ(イオランタの友人)、田村由貴絵(Ms)


2-1.ベルトラン(門番)、ジョン・ハオ(Bs)
2-2.アルメリック(ルネ王の従者)、高橋淳(T)


3-1.エブン=ハキア(ムーア人の大医師)、ヴィタリ・ユシュマノフ(Br)
3-2.ルネ王(プロヴァンスの王)、平野和(BsBr)


4-1.ヴォテモン伯爵(ブルゴーニュの伯爵、イオランタに恋する騎士)、イリヤ・セリヴァノフ(T)
4-2.ロベルト侯爵(ブルゴーニュの公爵・イオランタの許嫁)、大西宇宙(Br)

合唱、新国立歌劇場合唱団
ミハイル・プレトニョフ 指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団

Duration 100
20 右1
06 左2
13 右3
34 左4~
13 九重唱等
14 フィナーレ


「ああ、なんて素敵なんだイオランタ、チャイコフスキーのオンリービューティフルでデリカシー満タンな神経細胞を垣間見るようなホレボレオペラ、10人衆圧巻じゃないか、素晴らしすぎて声もでない。
プレトニョフの頂点棒、応えるロシア・ナショナル管、新国立」

ツイッターでの一発目のつぶやき。素晴らしい内容が時間をおいてもドドッと寄せてきて波打つ。湯気が立つような感動の一夜だった。


1幕物100分、お初で見るイオランタ、演奏会形式で登場人物がメリハリつけて出てくるのでイメージでシーンをおぎなうことはできる。
冒頭の4人の女性、そして男性の方は大体2人ずつの束で歌う。
イオランタのストーリーもさることながら、伯爵、公爵、ライバルではないものでこれには気が安らぐ。

オネーギンを思い出す静寂が支配するイオランタだし、また、時折ほんの一瞬、ボリスで月夜に歌うマリーナに寄り添う音楽が短くブラスの咆哮をするといった音楽の盛り上げ効果、あのようなことを感じさせる局面がいい。咆哮は短ければ短いほどなんとも効果的でシーンがうるわしく滴る。心理劇と音楽の表情がパーフェクトにマッチする。

暗闇は暗闇にいては分からない。無から有が出来上がる抒情的エモーショナルストーリー。
目出度い喜びの物語、なのだが、聴後感というのは、そのような晴れやかさよりもむしろ、治癒前のイオランタのことを何度も思い出す。得ることによって無くなるものがあるだろうといった陳腐な話では無くて、なんだろう、切なさ、はかなさを強く感じさせる。なぜだろう。
チャイコフスキーの音楽がまるで誰かの、神経細胞を垣間見るようなデリカシーで迫ってくる。美しい弱音フレーズが触ってはいけない神経に触れる。美しさを越えたディテールデリカシー。音が場にしみこんでいく。それを共有したのかもしれない。
瞬間瞬間がほとぼり冷めることなくつながっていく。

冒頭ハープのチャイコフスキー節に続き女性4人による美しいソロ、重唱。
ロングクライマックスとなる中盤30分に及ぶヴォテモン伯爵とイオランタの掛け合い。静けさが支配していた音楽が絶妙に網の目のあやになって透明に張りつめていく中、二人が最高の歌の限りを尽くす。この1幕物オペラの実に三分の一を使った長丁場、圧巻のシーンでした。
そして9重唱、ロベルトが入り10人衆の惚れ惚れする歌、合唱。ナイーヴで繊細なチャイコフスキー節、大きくしなりを魅せながらオーケストラは頂点を吹き鳴らす。素晴らしい。
プレトニョフの作り出す音楽というのは繊細なもので、聴き手にヒタヒタと沁み込んでくる。オーケストラ共々極上テイスト。彼の美意識によく合っているオペラだし、納得の見事さでした。

女性4人衆、マルタ山下さんに導かれるように最初から好調。山下さんはこうゆう役どころが多いですが歌い口が好きで、最初のひと声で、イオランタのモスクヴィナ、鷲尾さん、田村さん、みなさん気合いが入り、ソロ、アンサンブル、見事でしたね。タイトルロールのモスクヴィナさんとの掛け合いも良くてその後の彼女の歌いっぷりを盛り上げていたように思います。山下さんの好唱が光る。

次の、ハオさん、高橋さん、ハオさんは最近いたるところに出ていて、もう、馴染んでます。高橋さんは山のように聴いているので、今回ももう少し長く聴いていたかったですね。

その次の、ルネ平野さん、医師ユシュマノフさん。
平野さんはたぶんお初で聴きます。スタイルのいいプロレスラー風味、キャラばっちりで堂々の歌。プログラム冊子にはフォルクスオーパー在籍10シーズンで350回というのが凄い。来日という定義ですね今回。そりゃそうだろうな、の納得歌唱。歌、仕草、動き、場慣れしていて、ドーンと何でも来いという感じ。
ユシュマノフさんは周りに比べると少し線が細いかな。昨年2017年、びわ湖でのラインの黄金に出演。しなる歌。

そして、ヴォテモン伯爵セリヴァノフさん、ロベルト侯爵の大西さん。敵対役と思いきや、このオペラではそうではなくて実に気持ちがいい。
大西さんはキャラクターがばっちりと決まっていて、前向きな歌唱、そしてアクション、そう快で、日本人とは思えない。あちらでの活躍がメインのようですからね。彼も来日という定義。
セリヴァノフさんはモスクヴィナさんとの長丁場での熱唱光りました。それもこれも、セリヴァノフ、大西、この両名がよくはまっていてこそ、で、オペラが一段と映えました。

以上の10人衆、みなさん素晴らしくて、オペラの醍醐味を満喫。コンサートスタイルでコンディションがいいというのもあるかと思いましたが、それ、途中から忘れました。オペラのシーンを観るように没入。


ブラスセクションと男声合唱は沈黙の長丁場覚悟、オーケストラのほうは吹いてなくても音を身体で受け止めていて常に音楽の中にある。集中力が切れることの無いもので、一旦音が出ると納得の凄味がある。
また、チェロが時折ベースのような音になる。そうとうに腰のあるサウンド。それやこれや色々と技を楽しめた。
プレトニョフのコントロールは隈なく効いている。最終的には強くそう感じた。

感動のイオランタ、ありがとうございました。

この日は、2018ロシア年&ロシア文化フェスティバルの初日。プログラム前半にセレモニー、そして、木嶋さんによるセレナーデ・メランコリックの美演。
木嶋さんのヴァイオリンは本当によく鳴る。少しうつむきながらの憂いを含んだ幅広な音と歌い口、それに伴奏オケ、細やかな演奏を楽しめた。


オープニングナイト、全て楽しめました。よかったなあ。
おわり

 


●●
付記


歌劇《イオランタ》 魅惑のロシア芸術に浸る一夜

 目の見えない愛娘を溺愛する余り、自分が盲目だということを娘に気付かせまいとする父王。彼女に本当のことを告げて共に試練に立ち向かうことこそ、真の愛だと考える騎士。人里離れた城を舞台に、愛の力で闇の世界から光の世界へと解き放たれる美しいイオランタ姫の物語を、詩情溢れる音楽で描いたチャイコフスキーの名作オペラ≪イオランタ≫が、「ロシア文化フェスティバル」のオープニングを飾る。
 演奏は、指揮者としてピアニストとしてロシア最高の音楽家の誉れ高いプレトニョフと、彼が創設し、今や「ロシア芸術のシンボル」と讃えられるロシア・ナショナル管弦楽団。歌手勢には世界で活躍する日露両国の若手とベテランが顔を揃える。
 プレトニョフはとりわけチャイコフスキーを敬愛し、他の追随を許さない精緻で洗練された名演で万人を魅了してきた。その彼が、日本では滅多に上演されない≪イオランタ≫を最高の布陣で聴かせてくれるとは、何という歓びだろう!それにこの演目は、愛の本質を問う普遍的なテーマを持った一幕物のオペラなので、感動を呼ぶ内容といい、約1時間40分の演奏時間といい、「ロシア・オペラは初めて」という方にもぜひお勧めしたい。更に今回は日本語字幕付きの演奏会形式で上演されるため、聴き手はチャイコフスキーの色彩感溢れる響きと名旋律に酔いながら、想像力を無限に羽ばたかせられる。
 オペラに先立ち、日本の若手ヴァイオリニストのホープ木嶋真優がプレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団との共演で、チャイコフスキーの珠玉の名曲≪セレナーデ・メランコリック(憂鬱なセレナーデ)≫を披露する。日本人が大好きな“チャイコフスキーの世界”を100パーセント楽しめる趣向だ。
 日露文化交流の場として、ロシア芸術の魅力と真髄を堪能する場として、これ以上ない魅惑的な一夜になるだろう。
ひのまどか(音楽作家)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/イオランタ

 





 

 


2570- シューベルト3番、矢代秋雄チェロ協、ベートーヴェン5番、カエターニ、都響、2018.6.11

2018-06-11 23:42:20 | コンサート

2018年6月11日(月) 7:00pm 東京文化会館

シューベルト 交響曲第3番ニ長調D200  9-3-5-6

矢代秋雄 チェロ協奏曲(1960)  4+5+5+9
 チェロ、宮田大

(encore)
滝廉太郎 荒城の月  2

Int

ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調Op.67  7-8+5+11

オレグ・カエターニ 指揮 東京都交響楽団


矢代秋雄のピアノ協奏曲、シンフォニーは何度か生で聴いていて、今日は初めての生聴きとなるチェロ協奏曲。音楽は調を無くしてから短くせざるをえなくなった一種必然性を帯びていると思うのだが、この作品はそういったこととは異次元の凝縮性を感じさせてくれる。規律は自律で。
いきなりソロから始まる作品で、動機、ハーモニー、律動、それらの陳列というよりもむしろ作品生成過程で使った素材を集結させて完成した後に、もうひとつ締め上げているように聴こえてくる。極限の凝縮度を皮膚に感じさせてくれる。小説家が使い尽くして涸渇した題材のあとに見えてくる随筆とはこのようなものなのだろうか。などとあらぬ妄想を掻き立たせてくれる。それらはもしかすると解放なのかもしれないとも、ふと思う。緊張感の中に食べ尽くす心地よさがある。
ソロのウエイトが高くて、通常の協奏曲並みにオーケストラ伴奏部分がもう少しあってもいいような気もするけれども展開はソロなのだろう。
第3部まで進んでくると日本伝統楽器の響きが自然発生的に鳴り渡る。無意識のジャパニーズDNAに作為は無い。インストゥルメントのpizz奏法が親和性を高めている。協奏的意味合いは少なからず雲散する。

凝縮性といういわば一つのエレメントであるべきもので、作品の内面を照らし出す稀有のものが出来上がった。だから、完成度が高いといったセリフは作品に向けられる必要はなくて演奏行為に捧げられるべきものだろう。
高濃度、高圧力の作品にふさわしいいきなり冒頭ソロのコンセントレートした宮田大、渾身のプレイ。最初から最後が見えている、表も裏も知り尽くしている。見通しのいい演奏という言葉が陳腐に思える。水平線の先を見据えながら海深く沈み込んでいく二つの技の同時性。オーケストラ伴奏と指揮が大きく寄与していたところはある。それはそれとしてソロチェロの圧倒的な技が隠れるほどの絶妙な質感、肌触り。名状し難い感興がフツフツと湧いてきて、鳥肌が立つ。
何度も演奏されてきた作品のように聴こえてきた。うーん、深い。お見事。今、再度聴く余力は残っていないぐらい。

1曲目のシューベルトは味わい深いもので、一節ずつ噛みしめて聴く。強引な節回しは無くて自然な中に主張が織り込まれる。スケルツォ楽章でのトリオのように立体的なフレーズ作り込みの刻印、絶妙の出し入れを魅せてくれる。また、フィナーレ最後の音、息を抜いて終わるの、あれ、チェリビダッケが壮年の頃よくやっていたのを思い出した。なんだか、上品な雰囲気が漂う。

後半の運命、冒頭から弦セクションが充実した力演、キックが鋭く力がみなぎる。2楽章は快適なテンポ、透けて見えるよう。
3楽章、フィナーレは追いこむことをせず、バランス重視で、シューベルトのトリオで魅せたようなパースペクティヴ感が効いている。力加減、さじ加減、知り尽くしているのだろう。自在な棒を楽しむ。
いつもは叩きすぎのティンパニ、だいぶ抑え込まれていましたね。

16型、両端楽章提示部リピート。
おわり


2569- ベートーヴェン、弦楽四重奏曲第3,2,7番、カザルスSQ、2018.6.10

2018-06-10 17:30:31 | 室内楽

2018年6月10日(日) 1:00pm ブルーローズ、サントリーホール

ベートーヴェン・弦楽四重奏曲サイクルⅤ

第3番ニ長調Op.18-3  5-2-7-5
第2番ト長調Op.18-2  5-6-5-5
Int
第7番ヘ長調Op.59-1  11-8-14+6
(ラズモフスキー第1番)

カザルスSQ


サントリーホール・チェンバー・ミュージック・ガーデン2018、日曜に散歩がてらうかがいました。

前半の2曲は古典的な型の中にあって作品をそのまま楽しむ感じで。
チェロさんが休みなく右左のプレイヤーを見回す。リーダーなのかどうかわかりませんが、観てる方としては、かなり、気になる。ご本人は音楽に集中しているのか余計な心配までしたくなる。

力をあまり入れなくても相応な響きのする小ホール。
軽い弾きでとげも角もない。肌ざわりのみの愉しみがそこはかとなく感じられて、もうひと声、突っ込みが欲しいなあと思う。

後半のラズモフスキー1番
前半と同じスタイル。心地よい演奏でした。が、
4つの音が集結してコブのような局面が無い。水銀のようなまとまりの瞬間が無いですね。ツボはどこなんだろうと探しているうちに終わりました。

上席確保でもフラットな床に椅子を置いただけのホールで視界わるし。
おわり


2568- ドビュッシー没後100年記念、幻想曲、牧神、海、アシュケナージ、N響、2018.6.9

2018-06-09 23:14:29 | コンサート

2018年6月9日(土) 6:00pm NHKホール

ドビュッシー没後100年記念

イベール 祝典序曲  14

ドビュッシー 幻想曲  7-9+7
 ピアノ、ジャン・エフラム・バヴゼ

(encore)
ドビュッシー 前奏曲第2集、第12曲 花火  3

Int

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲  11

ドビュッシー 海  10-7-9

ウラディーミル・アシュケナージ 指揮 NHK交響楽団


ドビュッシー没後100年記念プログラム。3曲、それにイベールが1曲なぜか入っている。

ドビュッシーはこのホールで一体どうすればこのような素晴らしいサウンドが出来上がるのか、アシュケナージマジックでも見ているような不思議な世界を醸し出していた。
デッカからシングルレイヤーのSACDが出ているのかどうか知りませんが、まるでこの音源が商用メディア化されたらこんな感じかなと、聴く順番としては逆だけれども、極めてビューティフルな音がごく間近に迫ってくるようでスピーカーが見えるような、パーフェクトで繰り返し聴きたくなるまことに魅力的なサウンドでした。


バヴゼは昨年2017年にレフトハンドを聴きました。
2376- 魔笛、ラヴェル左手、バヴゼ、ツァラ、広上淳一、日フィル、2017.7.9

粋な雰囲気あります。
幻想曲はオーケストラの音は絶えまず息長く有り、ピアノの音は叩けば短く消えゆくもの。なんだろうけど、バヴゼのピアノには粋な香りが漂う。やや太め透明でステンドグラス模様。殊の外、濃厚なところもある。ドビュッシーに多彩な光をあててくれて飽きることが無い。魅惑的なサウンドに魅了されました。N響のハーモニーの美しさも絶品、曇りガラスの先が見えるような暖かみのあるもの。
バヴゼのアンコールは、まるでメシアン。独特の呼吸を作って緊張感を高める。自家薬籠中とはこういった演奏なのだろうなと思いっきり惹きつけられた。素晴らしくクリスタルな響き。

後半最初の曲は牧神。
アシュケナージの振りは割と細かくて、肘上げ、腕上げ、活発な動き。ユルリと流れる牧神の流れと相反するように見えるところがある。でも、あれが技なんだろうな。一体全体どのようにすればあのような見事な呼吸になるのか、サラサラとした音色になっていくのか、本当にミラクル。究極の牧神ですな、ドビュッシー堪能。
オケスキルが極上で、やっぱり、万全であればあるほど透明度増す、当たり前かもしれないけど、これ実感。

海。ゆっくり濃厚。大いなる海原。角はなく曲線の世界。あたたかくて透明なシルキーサウンドは変わらない。ゆっくりと流れる。秀逸な演奏。アシュケナージの棒に、オケは呼吸を整えやすそうに見える。ポーディアムを行き来する姿、仕草に騙されてはいけない。N響は彼の掌に。


駄作と思えたイベール。サックスとホルンのハイブリッド音色とか、少しは楽しめたが全体に策のない鳴りに辟易。ここはコンサートタイトル通り、ドビュッシーをもう2,3曲やって欲しかった。

おわり




2567- ヴォルフ=フェラーリVnC、フランチェスカ・デゴ、シュトラウス、イタリアより、ルスティオーニ、都響、2018.6.4

2018-06-04 23:45:20 | コンサート

2018年6月4日(月) 7:00-9:10pm サントリー

モーツァルト フィガロの結婚、序曲   5

ヴォルフ=フェラーリ ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.26  10-8-17
 ヴァイオリン、フランチェスカ・デゴ

(encore)
パガニーニ 24のカプリースより第13曲  2

Int

シュトラウス イタリアより  9-12-13-9

ダニエーレ・ルスティオーニ 指揮 東京都交響楽団

ヴォルフ=フェラーリにヴァイオリンコンチェルトがあったのかという思いの前に、作曲家の事を知らなすぎるというお話で申し訳ない。
この作曲家のオペラはこの3月に聴きました。
2514- エルマンノ・ヴォルフ=フェッラーリ、イル・カンピエッロ、柴田真郁、新国立、2018.3.10

ということでちょっとは作風のようなものは感じていた。昔の作曲家では無い割にはオーソドックススタイルだなあと。音楽をピュアに楽しませてくれるところはいいですね。

ということで、お初で聴くコンチェルト。
オケ伴はパガニーニのように聴こえる。ヴァイオリンのように流れたりバンバンと締まりっ気のある勢いもあって。
デゴさんのくせのない中庸な弾きは曲の理解を大いに助けてくれる。ちょっと自意識過剰に見える瞬間も、いやいや、魅力的。
長い曲で頭の2楽章はモノローグ風味で思いにふける。ひたすら後ろ向きにも聴こえるが作曲家のスタイルなんだろう。ひとつずつ噛み締めながら聴く楽しみがある。
終楽章が一番大規模、プイレイヤーは大変だろうね。1,2楽章のモードをひきずりながらも、お仕舞のところできれいなカデンツァ、そしてようやくイル・カンピエッロ風な動きが出てきたと思っているうちにあっという間にフィニッシュ。楽しめた。

後半のシュトラウス。好きな曲です。
今日のオケは弦を中心にだいぶ気合いが入っていて、それがモロに良質な演奏を醸し出している。みなぎる弦。
ブレンドした美しいハーモニーがメロディーをあまり作ることなく流れる第3楽章は極め付きの美しさ。この美しさのバランスの良さというのは、ブラス無し、ティンパニ無しだからというのがある。特に他楽章での始終強音で鳴らす飽和状態のティンパニはなんとかしてほしいもの。ということで3楽章は音楽に浸る。
終楽章フィニッシュは裏打ち8つのあと表3つ、位相が180度変わる。ここの呼吸の位相変化をうまくやれるかどうかだ。
ちょっとはしゃぎ過ぎの感がある指揮で、その割に音楽は重め。切り替えはうまくやっていたと思います。
おわり




2566- プロメテウス、ベートーヴェン1番、3番、フランツ・ウェルザー=メスト、クリーヴランド管、2018.6.2

2018-06-02 23:30:44 | コンサート

2018年6月2日(土) 6:00pm サントリー

プロメテウス・プロジェクト
オール・ベートーヴェン・プログラム

プロメテウスの創造物Op.43 序曲   5

交響曲第1番ハ長調Op.21  9-8-3-6

Int

交響曲第3番変ホ長調Op.55 エロイカ  14-13-5+12

フランツ・ウェルザー=メスト 指揮 クリーヴランド管弦楽団


巨大化して、かつ、機能美に優れた演奏こそ、オーケストラを聴く醍醐味。歴史検証うんぬんくんぬんとかはとりあえず横に置き、純然たるオケピュアな響きを堪能。まさしく本格派、正面突破のシンフォニー攻撃に悶絶の舌鼓。まぁ、オハイオといえばシンシナティ響かもれんが、ビッグファイヴの一角といえばクリーヴランド管、スーパーステイツのオーソリティ集団といえるのだろう、あらためて実感しました。

本拠地、ウィーン、そして今日のサントリー、プロメテウス・プロジェクトと銘打ったベト全プラスの超本格化集中公演。初日その最初の曲はプロメテウスの創造物。皮切りにふさわしいもの。メインプロは1番12型、3番16型規模で、エロイカは見た目、倍に膨らんだ。まぁ、コンパクトという言葉は無い。

弦の潔癖さと内声の充実した響き。そしてセクション毎の音圧バランスがパーフェクトで、カツ、オーケストラ総体としてのバランスが見事にビューティフルなアンサンブル。
極限ポイントまで抑えたブラス。あってもメゾフォルテまで。そしてさらにその上をいく極度に抑えきったティンパニはあってもメゾピアノという、作為と言えば作為といえるかもしれないが、反してナチュラルなフィーリングと思えるのはこのオーケストラだからという先入観もあるからなのかもしれない。昨今の叩きまくりパーカスに慣れてしまった耳にはびっくりの、もの凄い説得力に心も耳のハートもきれいに洗われてしまった。わけてもティンパニはまるで弦楽合奏の片棒を担いでいるのではないかと思えるぐらい見事な溶け込みプレイで、全体のアンサンブル力をさらに高めていた。ティンパニの息づかいを感じる。ことほど左様に優れたアンサンブルというのは、あの指揮者のDNAが脈々と息づいているからなのだろうと。そして今、メストとの積み重ね16年の凄味を思わずにはいられない。


第1番がプログラムされた演奏会は、サイクルもの以外では最近、記憶にない。今回もサイクルもの、久しぶりに聴く生の1番。
全体の音圧バランスの見事さとともに造形のバランスが極めて良く、優れた構築物のようだ。音は過ぎていくものだけれども、上から俯瞰してみると全ての音が敷き詰められて作られていたのを見ることが出来る。
入念な両端ソナタ楽章は序奏から既に魅惑的な味わいがいっぱい詰まっている。リピートされた提示部はもはや解放されたような響き具合だ。メストはオケに同化、フル編成のアンサンブル精度は高く、揃う快感がある。ベートーヴェンの型がバッチリきまっていますね。
惚れ惚れする序奏のあとリピート有りの提示部の切れの良さ。スパッとあっている。この序奏、提示部という見事な流れを聴いているうちに、エロイカの提示部は繰り返しなしだろうな、とふと思った。いつもの感である。
いろんなことを感じた1番でした。造形感が耳に焼き付いた演奏でしたね。

後半のエロイカ。この演奏のみ天皇皇后両陛下臨席。
かなり長い拍手が続いた中、オーケストラ全員の直立不動、微動だにしない起立姿勢が、妙な話かもしれないが、圧巻。もはや、始まる前から、彼らの驚異的なアンサンブルを聴く思いになった。クリーヴランド・オーケストラ。
一旦落ち着きが訪れそして、登場するメスト。両陛下にご挨拶。もう、この後半からでいいから、昔の演奏会の頭によくやられた来日公演での両国国歌斉唱奏。これやってほしいなあ、と、何故か昔の、古き良き時代を思い出す。聴衆全員がごそごそと起立、君が代、来日国国歌、あのシーケンス、ね。

ということで、エロイカの頭2つは3拍子振り、それ以降は概ね1拍子振り、型を作るパッセージでは強く3拍子の拍をとるといった具合で、エロイカが息づいている。
提示部リピートなくしてスッと展開部へ入る。パープルな平原が広がる。
再現部への品のあるホルンのあと、ウィンドが徐々にめくれるように盛り上がってコーダへ。なんだか、全部、順番に思い出してしまう。16型の巨大オケがうなりをたてながら、きっちりと合いながら、大きく流れて渦を作っていくエロイカ第1楽章、素晴らしい。
葬送は分厚くて透明、ブルーな色彩感。思わせぶり皆無でひきずらないアウフタクト、この楽章でも潔癖なアンサンブルと造形。型のきまり具合の良さはこうゆうところからくるんだろうなとうなる。マーチなんだなと。
中間部以降の張りつめたテンポ、明晰なベースの刻み、しなる高弦。歌うウィンド。ひそやかなティンパニ。

スケルツォの刻みの揃い具合、突進も正確でなければならない。聴きどころのトリオのホルン、この流れ具合、まるで7番の1楽章でも聴いているかのようだ。斜め向きの刻みの躍動感が、音楽が前進する姿を感じさせてくれる。

終楽章はベートーヴェンお得意の変奏曲。変奏曲よ、終わらないで、という感じ。歌う流れ。
プロメテウスから始まった演奏会は、このプロメテウスで佳境に達した。
一旦、音楽は静まり再度盛り上がりを魅せ、弦とウィンドの入念な掛け合いで緊張感を高め、一気にコーダへ突入。これだけきっちりとあっているからこそ、ここ、良く鳴るんだろうな、の実感。ほんと、鳴りの良いコーダ。至芸のアンサンブルの為せる技。放心状態の前倒しのように、少し息を抜き節度と品をもって終えるエロイカ。ベートーヴェンの呼吸。

ベートーヴェンの型が生き生きと蘇った1番3番。メスト、クリーヴランド、いい演奏でした。ありがとうございました。
おわり

PS
前回、2010年公演より

1116- フランツ・ウェルザー=メスト クリーヴランド管弦楽団 めくれるような美しさのブルックナー7番2010.11.17