河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1150- トリスタンとイゾルデ グールドとテオリン 新国立劇場2010.12.28

2010-12-29 20:36:59 | オペラ
2010年12月28日(火)5:00-10:45pm オペラパレス、新国立劇場

ワーグナー トリスタンとイゾルデ
プロダクション、デイヴィッド・マクヴィカー
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トリスタン、ステファン・グールド
イゾルデ、イレーネ・テオリン
ブランゲーネ、エレナ・ツィトコーワ
クルヴェナール、ユッカ・ラジライネン
マルケ王、ギド・イェンティンス
メロート、星野淳
牧童、望月哲也
舵取り、成田博之
若い船乗りの声、吉田浩之
合唱、新国立劇場合唱団

大野和士 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

なんとも強靭なタイトルロールお二方。とても死にそうもないのだが歌としては強烈なパワーでものすごい前進力。お見事なグールドとテオリンでした。大野の棒は歌に合わせる自然なものだ。かといって自己のテンポを押し通すようなところもある。いずれにしてもオペラを振りなれているのは歴然としている。

それで、今年2回目のトリスタン。びわ湖で聴いたのが1回目でした。
あのときはいたく感動したものでしたが、総合力完成度で初台のこの日のものがワンランク上だと思いました。

第2幕で、日本語訳の字幕をみているだけなので正確にはわからないのですけれど、たとえば、「愛」「死」「昼」「夜」といった単語がまるで一つの生きた固有名詞として扱われていることに気がつきます。
「死が愛を殺すなら、永遠の愛とはなんだ。」
「昼を殺して夜だけにしてしまおう。」
こんな感じですから、それぞれがまるで一つの生きた個体のようなエクスプレッションです。トリスタンとイゾルデが一つの直線の上で対峙しているのではなく、三角形の底辺の右左にトリスタンとイゾルデがいて、頂点に愛とか死とか昼とか夜といった非常に抽象的でありながら明確であるもの、それらがその頂点にあり、その頂点で抽象的なやりとりをしているように思える。つまりそれらを共有できる者だけに見えるただ一つの頂点。そこが、愛の死を共有可能にする唯一の場所なのかもしれない。トリスタンとイゾルデが会話をしているのではなく、二人から表出される「気」の会話。
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それにしてもこの第2幕の装置、卑猥です。いくら夜中のセックスシーン的な幕とはいえ、観ようによってはかなり露骨ですよね。舞台やや左に塔が一本あり、上部のほうに何重にもなった輪が銀河のようにまとわりついている。アレそのものですよね。両性のシンボルが舞台の半分を占めている。
このプロダクションでは実際に水を張っていて、それが舞台右寄り。そのせいなのかどうか、第2幕中盤まで歌が左寄りのポジションに終始し、ちょっと気になりました。第3幕では、水の前でトリスタンが歌いまくりますので、最終的にはバランス感覚が取り戻せたような気はします。
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音楽的にも演奏的にもこの第2幕から濃くなり、しっくりしてきました。第1幕はイゾルデのもの、第3幕はトリスタンのもの、この第2幕はタイトルロールの交わり。第2場の愛の場面で音楽も十分な落ち着き感がでてきて、濡れてくる。一言だけオケについて言うと、この日の演奏は雑な個所が結構ありましたが、粗雑というのではなく、十分な練習を積んだのだが、実力的に問題があったということだと思う。第2場のような濡れ場の演奏は荒れてなくていいものでしたけれど、主体が弦からウィンド、ブラスになるあたりは問題ありの演奏でしたね。
それで濡れ場第2場あたりから歌のほうもぐーんとよくなりました。第1幕ではトリスタン役のグールドはなにかバリトン風でもあったのですが、ここらあたりから一本芯が付き、濃淡ともに深い歌となってきたように思えました。イゾルデのテオリンは余裕の絶唱で非常に丁寧な歌に感心しました。
ここらへんまでくると、10月のびわ湖の沼尻の公演とはやっぱりちょっとワンランク上だとはっきり思えました。観るほう聴くほう勝手といえばそれまでですけれど。
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遡って第1幕では演奏が少し稀薄。どうも間延びしてしまい音楽の呼吸というものがなく、楽想の並列的な並びの連続になってしまっていたような感じ。拡散系の演奏となってしまった。
演出ではたとえば、(一度は飲んでみたい)媚薬を二人が飲んだ瞬間、飲むのが早いか抱き着くのが早いか、といった演出で、そんなに早く効き目のでる薬ならさぞかし強力なんだろうと思っちゃう。
この場面も流れとしてはかなりぎこちないもので、すぐに抱き合ってしまうため、そのあとの音楽がなんだかおまけみたいになってしまい味わいに欠ける。頭でっかちの演出だ。
歌はテオリン、ツィトコーワともに筋肉質で正確さまるだしではあるのだが、流れ、呼吸を今一つ感じ取ることができなかった。第2幕からよくなりました。
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それで第3幕なんですが、第1幕で愛の媚薬を毒死の媚薬と認識して飲んだトリスタンということであれば、第2幕でメロートの剣を自らの腹部に刺す、そして第3幕でイゾルデが治療しにくるというので、その腹部を開いて治療しやすいように(?)する。つまりトリスタンは3回も死を求めている。この物語の前史では深手を負ったその傷をイゾルデにより治療してもらっている。その頃とは大違いなわけです。
前史を前提で観ないと理解できないオペラですが、前史のことを理解していれば、第1幕は起きたり眠ったりでも、だいたい理解できるストーリーではある。
その第3幕でほぼ死に体のトリスタン、なぜか絶唱です。イゾルデが治療のために船から降りてトリスタンのもとに駆けつけるまで、オペラの話とはいえ、60分かかります。この第3幕はだいたい85分ものなので、ほぼあらかたおわりかかっている。残り25分にマルケ王軍団がなだれ込み、メロートもクルヴェナールも、もちろんトリスタンはイゾルデか駆けつけた瞬間に死ぬわけで、みんな死んでしまう。それに最後の最後でイゾルデの愛の死の絶唱があるし、ここ25分はごちゃごちゃしてしまう。
この第3幕のポイントは第1,2場のトリスタンの生き死にの心象風景そのもので、聴きようによっては禅問答のように思えたりするのだが、正三角形の頂点の部分のあたり、共有できるイゾルデがそこにいない状況で、その空虚な心模様を見事にあらわしているワーグナーの音楽、グールドの絶唱もますますさえわたり進めば進むほどよくなる疲れを知らぬ好演でした。お見事。
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イゾルデによる愛の死。びわ湖公演の時は、この歌の唐突さに違和感を感じましたけれど、この日の公演ではそれを感じませんでした。むしろ自然な流れのように思えた。トリスタンの心象風景。マルケ王軍団のリアリスティックな動き。生きてはいるが別世界のイゾルデの愛の死の絶唱。なるほどと思います。
ここのテオリンによる愛の死ですが、大野の演奏ともども感情に流されすぎない中庸の美を表現したもので、滴る音楽ながら情だけに流されたものとはなっていない。その意味では冷静だったといえるかもしれない。それでも最後の最後で真紅のドレスを引きずりながら水面を渡り舞台中央奥に赤く消え去るイゾルデ、音楽がついには最終の最後の音が消えたのちもいまだ少し赤く尾を引きながらフェイドアウトしていく。非常に美しいエンディング。ここの呼吸は絶品でした。
背景に最初から最後までシンボリックに昇ったり沈んだりする真っ赤な太陽、しかし、その周りに太陽の光はあたることはなく、暗い。暗いながらも暗闇とはならず明かりがある、そのようなことを最後まで感じさせる絶妙なエンディング、イゾルデの美しい幕引きがそのまま音楽の美しさと重なり、一人だけいたずうずうしいフライング拍手でさえその美しさを帳消しするところまではならなかったのが、この横柄な客への一つの戒めになったのかどうか、本人は知る由もないであろう。
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大野は完全にオペラのとりこになっているように見える。オペラの呼吸をわかっていて、おそらく初めてのオペラであっても、オペラを振る呼吸を肌身で知っているので自由自在な棒が可能だろう。
この日の演奏は、歌のフレーズの緩急によくあわせていたと思う。出るポイントのあたりの指示は的確だが流れの中心は歌にあったように思う。ただ、部分的にここは譲れないといったあたりは結構強引にしっかり、明確な意思表示の姿勢がある個所も散見。そこらあたりはおそらく音楽の転換点だったりして主張に間違いはない。結果的にメリハリのきいたものになっていたようだ。オーケストラについては既に書いたような問題があり少し残念。
おわり




1149- 演奏も録音もつるつる マーラー4番 ホーネック ピッツバーグ響

2010-12-28 00:10:00 | 音源

Scan10050


前回ブログのマーラー4番つながりで、最近買ったCDからひとつ。
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どのようにすればこのようなつるつるの音になるのだろうか。ライブ収録などとはとてもまったく思えない。セッション・スタジオに人を少し多くいれただけなら話はわかるが。
SACDの極みの音かっ、
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演奏は非常に優秀でこれ以上ない。第3楽章の深い呼吸を聴くまでもなく、思い入れたっぷりでそれが違和感がない。まったく自然。ホーネックの音楽となっている。つまり自分の中で一度噛み砕いてそれから外に向かって表現をしている。完璧だ。
節回しはかなり自己主張が強いのだが、こうやってくれたらいいのに、みたいなあたりを心おきなく満たしてくれる。素晴らしい演奏だ。
録音はSACDの特性がよく出ているし、さらに、なんだか、とっても奥ゆき感がある。それに弦の音なんてウィーン・フィルの生音も吹き飛ぶようなすさまじいツルツル感。あえて必要なものといえば、今一つの音の縦の厚み。それも贅沢な要求でしかない。
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第3楽章のあすこ、あすこ以外は全面ピアニシモ系の音楽ですので、ヴォリュームは上げて聴いてほしい。豊かな音楽が鳴り響く。ただし、あすこで強烈なブラスとティンパニが絶叫して地響きをたてるので気をつけたい。
いずれにしてもこの曲を好きな方は必聴。
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マーラー 交響曲第4番
ソプラノ、スンハエ・イム
マンフレッド・ホーネック指揮
ピッツバーク交響楽団
2010.1.29-31ハインツ・ホール
EXTON EXCL00048 \3,000
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1148- マーラーの交響曲の中では一番静かな第4番のライブラリー

2010-12-27 00:10:00 | インポート


2年ぐらい前にマーラーの4番のライブラリーを書きました。それから少し増えましたので改めて更新します。
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1.ヤッシャ・ホーレンシュタイン/ロンドンpo.
  マーガレット・プライス 1970.11.23-24
LP Seraphim AA-5054
                 CD EMI 74882 2
2.ジョージ・セル/クリーヴランドO.
  ジュディス・ラスキン LP/CD多数
3.ジョージ・セル/クリーヴランド
? 1968.7.26 CD VIRTUOSO 93020
4.ウリ・セガル/シュトゥットガルトRSO.
  アーリン・オージェ 1976.2.13Live NHK-FM
5.ラファエル・クーベリック/バイエルンRSO.
  エルシー・モリソン 1968.4/18-20 LP/CD
6.ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリンpo.
  エディット・マティス 1980.1.26Live NHK-FM
7.アリ・ラハバリ/オーストリアRSO.
  クリスティーナ・ラキ 1982.5.14 NHK-FM
8.フリッツ・ライナー/シカゴso.
  リサ・デラ・カサ LP  RCA  AGL1-1333
          XRCD2 VICTOR JMCXR-0017
9.エーリッヒ・ラインスドルフ/クリーヴランドO.
  Irene Gubrud  WQXR1984.6.30 on air
10.ロリン・マゼール/ウィーンpo.
  キャスリン・バトル LP CBS IM39072
            CD SONY SX14K48198

11.ベルナルト・ハイティンク/
アムステルダム・コンセルトヘボウO.
  ロバータ・アレキサンダー1983.10
LP PHILIPS 412 119-1
12.ウィレム・メンゲルベルク/
アムステルダム・コンセルトヘボウO.
  ジョー・ヴィンセント 1939.11
CD PHILIPS 416 211-2
13.エリアフ・インバル/フランクフルトRSO.
  ヘレン・ドーナス1985.10/10-11
CD DENON 33C37-7952
14.アレキサンダー・ギブソン/スコットランド国立O.
  マーガレット・マーシャル
1980 9/14-15  LP CHANDOS ABRD1025
15.ゲイリー・ベルティーニ/ケルンRSO.
  白井光子 1988.4.3Live 神奈川県民ホールFM
16.ゲイリー・ベルティーニ/ケルンRSO.
  白井光子 1991.11.12Live サントリー・ホールFM
17.オットー・クレンペラー/フィルハーモニアO.
  エリザベート・シュワルツコップ
1961.4 CD EMI CE25-5657
18.エドゥワルト・ヴァン・ベイヌム/
アムステルダム・コンセルトヘボウO.
  マーガレット・リッチー
1951.9 CD DECCA 421-140-2
19.コリン・デイヴィス/バイエルンRSO.
  佐藤しのぶ1991.5.16Live
オーチャード・ホールFM
20.若杉弘/北ドイツRSO.
  ?   1989.2.12Liveハンブルク FM

21.ブルーノ・ワルター/ウィーンpo.
  イルムガルト・ゼーフリート
1950.8.24 CD TAHRA TAH571-572
22.ブルーノ・ワルター/ウィーンpo.
  ヒルデ・ギューデン1955.11.6 CD DG 435-334-2
23.ブルーノ・ワルター/ニューヨーク・フィルハーモニック
  デジ・ハルバン1945.5.10
CD CBS MPK46450他多数
24.ブルーノ・ワルター/ニューヨーク・フィルハーモニック
  イルムガルト・ゼーフリート
1953.1.5 CD TAHRA TAH524
      1953.1.4 CD MUSIC&ARTS CD-656
25.ウラディミール・アシュケナージ/ベルリンRSO.
  ジュリアン・バーンズ 1993.5.24Live FM
26.ローレンス・フォスター/NHKSO.
  バーバラ・ヘンドリックス
1995.4.13Live NHKホールFM
27.リッカルド・ムーティ/ウィーンpo.
  バーバラ・ボニー 1995.4.30Live FM
28.エド・デ・ワールト/オランダ放送po.
  シャルロッテ・マージョーノ
 1993.2.20 CD RCA BICC-8955-6
29.ヴァツラフ・ノイマン/チェコpo.
  パメラ・コバーン
1993.11.22-27 CD CANYON PCCL-00240
30.ヴァツラフ・ノイマン/チェコpo.
  マグダレーナ・ハヨショーヴァ
 1980 CD SUPRAPHON COCQ84024-37

31.ゲオルグ・ショルティ/ニューヨーク・フィルハーモニック
  イルムガルト・ゼーフリート
1962.1.13放送 自主製作盤
32.ゲオルグ・ショルティ/シカゴSO.
  キリ・テ・カナワ 1983.4 CD DECCA UCCD-3741
33.キリル・コンドラシン/モスクワpo.
  ガリーナ・ピサレンコ 1972ロシア語、1973ドイツ語
            メロディア CD BVCX-37008-15
34.ピエール・ブーレーズ/クリーヴランドO.
  ジュリアン・バーンズ 1998.4 CD DG463 257-2
35.パウル・クレツキ/フィルハーモニアO.
  エミー・ルース DClassics DCL 706722
37.クラウス・テンシュテット/ロンドンpo.
  ルチア・ポップ  1982.5 CD EMI 5 72941-2
38.アルミン・ジョルダン/スイス・ロマンドO.
  エディット・ウィーンズ
1990.11CD apex 8573 892382
39.エフゲニー・スヴェトラーノフ/ロシア国立SO.
  ナタリア・グエラッシモヴァ
 1996.1ハルモニア・ムンディ RUS288133
40.アンドリュー・リットン/ダラスSO.
  ハイディ・グラント・マーフィー
 1999.12/2-4CD  DELOS DE3261

41.レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック
  レリ・グリスト1960.2.1
LP COLUMBIA ML5485
SACD SONY SICC 10058 他多数
42. レナード・バーンスタイン/
アムステルダム・コンセルトヘボウO.
  ヘルムート・ヴィッテク
CD 1987.6 DG 423 607-2
43.レナード・バーンスタイン/ウィーンpo.
  ?            1984 CDR sardana sacd-151
44.クラウディオ・アバド/ウィーンpo.
  フレデリカ・フォン・シュターデ
  1977.5.20-25 CD DG F35G-50141
45.クラウディオ・アバド/ベルリンpo.
  ルネ・フレミング2005.5 CD DG 00289 477 5574
46.ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒRSO.
  Celestina Casa pietra CD avex  AVCL-25282
47.カレル・シェイナ/チェコpo.
  マリア・タウベローヴァ
 1950.4 CD SUPRAPHON COCQ83865
48.ウィレム・ヴァン・オッテルロー/ハーグpo.
  テレサ・シュティッヒ・ランダル
 1956.5/7-9 CD REPROSPECTIVE RET041
49.マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコSO.
  ローラ・クレイコンブ
 2003.9.24-28 CD SFSO 821936-0004-2
50.ジェラルド・シュワルツ/ロイヤル・リヴァプールpo.
  Rosa Manmion
  2002/5/13-15  CD CLASSICO CLASSCD1601
51.ズデニック・マーカル/チェコpo.
  ミカエラ・カーン
2006.10/12-13 SACD EXTON OVCL-00267
52.マンフレッド・ホーネック/ピッツバークso
  スンハエ・イム
   2010/1 SACD  EXTON EXCL00048

1番のホーレンシュタインのLPは1973年に出た\1,000の廉価盤。
1970年の録音だから、ほぼ新盤での廉価盤発売。
6番のカラヤンはNHK-FMの放送。第4楽章で棒を振り間違えたもの。
8番のライナーのXRCD2フォーマットのCDは驚異的なサウンド。
13番のインバルはデンオンの一本釣りの録音。ツルツルで新鮮でした。
15、16番のベルティーニの日本での公演放送はしっかりと歴史的遺産DATに収めております。当時はバブル期で国内生放送が多数あった。
24番のワルターは、1945年5月10日の録音。日本だと戦争に負ける直前の頃のものだが、夢見る演奏は戦争なんてなかったような感じ。
38番のジョルダンは日本では人気がなかったが、このような演奏もある。
51番のマーカルのSACDは驚異の生々しいサウンド。
53番のホーネックの演奏についてはあらためて書きます。いい演奏です。
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どれもこれも素晴らしい演奏です。
マーラーの他の交響曲と異なり全く静かで息の長いフレーズに気合を込めて演奏しなければなりません。オーケストラ、指揮者、ソリスト、魂をこめてピアニシモの美学を表現しなければ名演は生まれません。
最近、この曲を生で聴くことがあまりありません。演奏会で取り上げる回数が減っているようです。たしかに難しい曲ではあります。
例によって昔の演奏会でいうと、一番忘れられないコンサートはこれ。

1977年5月16日(月)7:00pm
東京文化会館
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ベートーヴェン/交響曲第8番
マーラー/交響曲第4番
 ソプラノ、大川隆子
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ベルナルト・ハイティンク指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
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素晴らしい粒立ちのサウンドにびっくりしました。あの時の上野に響いたサウンド、そしてユニークなアンコール。
演奏模様についてはここに書いてます。
おわり


1147- トラウベル ロジンスキー ユニークなプログラム ワルキューレ第3幕 ニューヨーク・フィル

2010-12-26 17:31:41 | 音源


昔のニューヨーク・フィルハーモニックのプログラムから
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1945年11月22日(木)8:45pm
1945年11月23日(金)2:30pm
1945年11月25日(日)3:00pm
カーネギーホール
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ワーグナー・プログラム ニーベルンゲンの指環より
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●ラインの黄金 ワルハラ城への神々の入城(9分)
●ワルキューレ 第3幕(51分)
 ブリュンヒルデ、ヘレン・トラウベル
 ヴォータン、ヘルベルト・ジャンセン
 他
(インターミッション)
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●ジークフリート 森のささやき(7分)
●神々のたそがれ 葬送行進曲(7分)
●神々のたそがれ 自己犠牲(18分)
 ブリュンヒルデ、ヘレン・トラウベル
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アルトゥーロ・ロジンスキー指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

1



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このプログラムは11月23日のものです。日本でいえば戦後にもならないような頃合いですけれど、マンハッタンのほうは、ヒットラーが好きだったワーグナーも関係なく濃い演奏が繰り広げられていたようですね。お金に満ち溢れ、敵軍の上陸もなく、快楽を享受していた人たちも多くいたわけです。
それはそれとして、ものすごいプログラムです。リング・サイクルを順番に断片で聴かせるというのはよくあるものですが、こんなユニークなプログラム見たことありません。特にワルキューレのところに第3幕全部もってきている。超ユニーク。
ロングなプログラムなはずなんですが、この第3幕があっという間の51分高速演奏。常識的な演奏では70分超えるぐらいですので約20分短い。第3幕単独の演奏会にはであったことがありませんが、第1幕だけの演奏会というのは遭遇したことがある。その流れでいったらこの第3幕だけのコンサートがあってもおかしくありませんが、51分だと少し短すぎる。
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ところで、11月25日の日曜日のコンサートはコロンビア・ブロードキャスト(CBS)で全米放送される日のものです。これは定例でほぼ毎週流れておりました。それで放送時間枠がありプログラム全部が流されるわけではありません。たしかに生中継だけだったらそれでも仕方がない部分もありますね。昔のNHK-FMによるN響定期なんかも同じようなことがありましたからね。但し、全米にすべて生中継していたわけではなく、録音をとっておいて日取りを変えて放送していたところもあったようです。
いずれにしてもこのサンデーコンサートは長寿番組で当時の啓蒙性にも長けており、この放送自体のためのプログラムが配布されていたようなんですね。だからちょっと紛らわしい。これです。
2



これにあるように最後の曲、トラウベルが歌う自己犠牲がありません。プログラム自体に載っておりません。実際には演奏されております。カーネギーホールのプログラムにも予告掲載されております。
3



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結局フライヤーのプログラムよりも、そのフライヤーと一緒に配られるA4サイズのカーネギーホールのオフィシャルなプログラムのほうが当然ながら正確ではありますね。
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いろいろと海賊盤のようなものも含め発売されているCDは25日の放送録音ですので、イモレーションはありません。だから一枚に収まっているというわけなんですが。
これでトラウベルが歌うイモレーションが聴けたら最高でしたでしょうね。前半のワルキューレで全力。それで後半の最後の最後にもう一回、今度はイモレーションを歌うわけですからね。同じ日にユニークなプログラムで2回聴けた聴衆は幸せだった。これが、マンハッタンにはあるはずもなかった戦後。日常のパフォーマンスだったわけです。
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音源としてはマイナーな感は否めませんがあることはあります。
RETROSPECTIVE RECORDINGS RET007
ARCHIPEL ARPCD 0210
ASdisc AS545
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ロジンスキーです。
クリントンではありません。
4



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1145- クリスマスイヴは自宅で、酒×おつまみ事典、かな

2010-12-23 22:36:32 | 食・レシピ

華金のクリスマスは仕事終えたらまっつぐ帰って、自家製つまみでしみじみとお酒をのむべきなんだろうね。

このほんいいんじゃない?

酒×おつまみ事典


いきつけのバーも載ってますね。


カクテルに合うつまみなんて作れないしね。


ウィスキーには、豚肉とキャベツの蒸し煮、なんかいいかもね。

1

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1143- プラザ合意前後当時のクリスマスw/t ニューヨーク・フィルハーモニック

2010-12-22 00:52:04 | マンハッタン

クリスマスがかなり近くなりましたので、12月1日に更新したブログを再掲します。

ずいぶんと昔の話なのですが、忘れないように書きとめておきます。

長い文章になっちまいました。

プラザ合意前後当時のクリスマスw/tニューヨーク・フィルハーモニック


1142- ヒュー・ウルフ 面白い組み合わせのCD

2010-12-21 00:08:19 | 音源

Scan10048cd

Scan10049cd

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昔、エリアフ・インバルが振っていたフランクフルト放送交響楽団をこのヒュー・ウルフは最近までつとめてました。1997年~2006年の10シーズン振っていたわけです。
このCDはその時代の録音ですが同じ日のものではありません。妙な組み合わせではあります。
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ベートーヴェン 交響曲第5番
 (録音2002.9.12-13)
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アイヴス 交響曲第2番
 (録音2004.6.17-18)
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ヒュー・ウルフ 指揮
フランクフルト放送交響楽団
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両方とも多面体のような作りの記憶があるアルテオーパーでの録音。
CD番号はhr Klassik hrmk025-04 です。
hrはヘッセン・ラジオの略でしょう。このオケはヘッセン放送協会のものなので、ということはこのCDは自主制作盤ということになるのかな。
このオーケストラはヘッセン放送からNHKが譲り受けたものをNHK-FMで多量に流していた時代がありますしね。1970年代です。インバルが若い頃、ゲテ系など含め振りまくり。グロボカールの日常茶飯事とか、ゲルハルトのペストだったかな、そんなものからマーラーの大地の歌なんかもやっていたんで、あの時代は確かにインバルの下積み時代。贅沢なオケを使って。
放送協会のサウンドでしたので当時、NHK-FMから流れ出るフランクフルトのあまりにきれいな録音のことがひところ噂になったりしました。ここらあたりのエアチェックはたくさんもってますので、別の機会にリストアップしてみたいと思います。
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それでウルフのCDなんですが、やっぱり買って聴いてみてくださいね。アイヴスのエンディングはどんな感じなんでしょうか。楽しみですよね。
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1141- 今季ベストの一つじゃないかな。第九。ヒュー・ウルフ 読響2010.12.19

2010-12-20 17:48:19 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
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2010年12月19日(日)2:00pm
東京芸術劇場
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ベートーヴェン 交響曲第9番
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ソプラノ、木下美穂子
メゾ、林美智子
テナー、高橋淳
バリトン、与那城敬
合唱、新国立劇場合唱団
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ヒュー・ウルフ、コンダクティング
読売日本交響楽団
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やっぱりいい指揮者でした。
これだけの大人数をドライブできるのは指揮力(しきりょく)以外のなにものでもない。圧倒的。
ヒュー・ウルフのCDは若干持ってはいるものの、生演奏は初めて聴きました。CDについては別の日に紹介したいと思います。
それで、この日の第九。
ドライブしまくりで、始終、前のめりになる演奏はさらに加速を続け、つんのめり状態になる。そこまでして表現したいものがあったということだろう。トスカニーニの血祭り第九ほどではないが、これだけノリまくった第九は久しぶりに聴いた。やりすぎの感もあるが、やりすぎればその先まで見たくなるのが人間のサガだなぁ。第4楽章のコーダのテンポは完全に度を越していて即興なら空中分解しているはずだ。
その第4楽章ではソロ、重唱、合唱、この指揮者一緒に歌まくりですよ。ポーディアムよりも手前の聴衆サイドに立つソリストを指揮者が横向き後ろ向きで合わせ振りしながら歌いまくり。このノリは尋常ではないなぁ。
第九とはこのように最初から最後までノリまくりの歓喜の音楽でなければならないのであって、大言壮語に構えた演奏はほぼ皮下脂肪だらけで不健康、歓喜は肉体と精神が前向きに相互作用しあってこそ本来の健全なものとなる。ウルフはたぶんそう言っているのかもしれない。
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指揮力(しきりょく)というのは練習の回数重ねとはあまり関係しないような気がする。クナは一発勝負が多かったといわれているが、そもそも日常、にじみでる力を感じているからプレイヤーは意を汲んだ演奏ができるわけで、さらに言うなら、指揮力というのは、いわば見ず知らずの連中をいかに手中に収めることが出来るか、そこらへんのオーラ的な力のことと勝手に思っている。
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空五度から始まるのですけれど、音楽と対面している人たちはこの時点では当然ながらこのあとどのように音楽が生成されるのか知る由もない、音楽演奏とは面白いものです。3分で気絶して深い眠りにつく人が多いのは年末恒例とはいえ、池袋界隈の人たちそんなに眠いのかな、そのような連中を無視するかのように快速テンポで進むので、おねむの人たちの漕ぎ具合も少しばかりアップテンポのようでもある。
第1楽章は第1主題が徐々にヴェールを脱ぐといった感じではなく、縦に突き刺さる感じ。ウルフの棒は爽快なテンポの割には底に深い。各楽器がちょっとばかり早めの入りになったりするのは棒の到達点と音を出すポイントが奏者により微妙に異なるからかもしれない。客演ではありがちなこととはいえ、圧倒的な推進力がそのようなことを瑣末なことと思わせてくれる。第2主題のような柔らかいフレーズは左手で大きく弧を描くことにより膨らみを持たせ歌わす。歌わせ方も絶妙といえる。
息急き切ったように聴こえる演奏は第1楽章後半からヒートアップ。普通の棒振りではないなぁと思い始める。第2楽章では、間髪いれず、音楽の呼吸、溜めを極力排し、つまり音楽そのものが呼吸なんだと、エキサイティングなスケルツォ。垂直な響きに陥らず久しぶりに前進するスケルツォを聴いた。100メートル競走では息をしないときいたが、そんな感じだ。演奏の場合競争ではないので例がよくないが、ダイナミックな音楽運動には感服した。ですので感覚的な速度感でいうとトリオはやっぱりトリオなんですね。スケルツォとトリオの対比がよく出てました。常軌を逸していない。トリオのメリハリもきいてます。
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この対比感覚は第1,2楽章と第3楽章の関係でも言えます。
あっという間の第3楽章はオタマに隙間がないくらいのばし(いわゆる楽譜通りというのはこうゆうことをいうのかもしれない)、非常に美しい。オーケストラというものは、各プレイヤーは呼吸をして息を整える個所があるが、総体としてみれば、敷き詰めた音楽模様は隙間のないものであって音楽自体に呼吸をさせる。たしかに、ウルフさんはそのようなことを考えさせてくれました。この楽章のファンファーレ前後あたりからペーヴメントのように敷き詰められた音楽は、だんだんと、そのようでなければならない、と思わせるに足る説得力あるものでしたね。
この時点でも、おねむモードの人たちは、第4楽章が始まる前に大事なことに気がつかずにあらかた済んでしまったということになります。覆水もまたボンに返らず。
そう思ったのですが、第4楽章はそれまでの音楽の集約というか、この指揮者の実力を如実にあらためて感じさせてくれました。ですのでやっぱりここだけ深い眠りから覚めた人たちにも価値のあるものとなったに違いない。
指揮力のある棒振りが振れば、読響としても感覚的にはそれこそ一回の練習でどのような指揮者でどのような進め方をするのか概ねつかみ取ることが出来るのであろうと思う。序奏から例の主題にはいるところで、まるでオタマが重なってしまったのではないかと錯覚するような響きは指揮者の譜読み、それを思いっきり音として表現できる読響、いい指揮者だとさらにいい演奏が出来る、そのような典型的な瞬間です。
最初にも書きましたが、ウルフは一緒に歌います。ソロも重唱も合唱もなんだか声高らかに歌ってますよ。この一体感がドライブさせまくりでも妙に安心感が湧いてくるんでしょう。なにせ棒を振っている人が歌っているわけですから誤りはありえません。だらか両者ノリまくりの状態になるのは手に取るように分かります。こちらもノッてきましたね。(日本にもこのような指揮者が必要でした。)
それで、音楽の流れ具合は最高で、加速していく音楽に身を任せればいいだけです。音楽を聴いている快感を得たということになります。とはいっても、こうなってくると最後の興味はあすこですね。コーダです。
ずーっと加速を重ねているので、コーダ前で音楽が一度テンポを緩めて極めて美しく響く重唱あたりまでの音楽も絶対係数としては突き進んでいる感じが強い。それでそのままコーダになだれこむ。一瞬譜面の輪郭がわからなくなっちまいました。行方不明状態。棒の振り具合は4小節一拍子みたいな感じ。輪郭つかむ間もなく昇天。ウルフが自己の音楽表現をしつくした瞬間だったと思います。この第4楽章だけでなく指揮者の意を汲んだ即興がかなり多かった演奏のような気がします。フレッシュで池袋の淀んだ空気が入れ替わったような。久しぶりに第九で興奮しました。いい演奏でした。
この組み合わせは計6回公演ですので後半になるにつれ、演奏がこなれてきて別の魅力が聴かれるかも知れませんね。
読響は慣れに堕しない非常に引き締まった演奏で、大人数でなければ出ないような締まった音というのも変な言い方ですけれど、大アンサンブルのだいご味を聴かせてくれました。
このホールはステージの奥行きがなくメンバーが窮屈そう。ティンパニはかろうじて響いておりましたが、バスドラは音がつぶれており位置がよくなかった。上が屋根ですからね。初台のオペラシティのコンサートホールも同じ傾向です。早い話、両方ともあまりいいホールではない。
ソリストはアンサンブルの共同体という側面が強く、コンパクトで手堅く、安定してました。ウルフ一緒に歌いまくりですからソロ部分も重唱なのかな。
合唱も引きずられてもすぐに持ち直すというか、圧倒的速度感にめいっぱいついていくという感じではなく、ノリの主体をなしていたと思います。
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問題は聴衆にありですが、みんなおねむなので、起きていてもわからなかった人たちが年末につき多かった部分を割り引いても、ほぼ満員のわりには醒めた反応だったのがものすごく印象的でした。ご本人たちのイメージしていた第九と違っていたのかもしれませんね。
おわり
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1140- エマール ラヴェルPf協 ショスタコーヴィッチ8番 デュトワ N響2010.12.16

2010-12-18 16:30:28 | コンサート

 2010年12月16日(木) 7:00pm サントリーホール

ラヴェル ピアノ協奏曲
 ピアノ、ピエール・ロラン・エマール

(アンコール)
メシアン 前奏曲から「静かな嘆き」

ショスタコーヴィッチ 交響曲第8番

シャルル・デュトワ 指揮 NHK交響楽団


ラヴェルはエマールのおちついた精神状態を垣間見るようないい演奏でした。音は太くて粒立ちが良くオタマの長さが均等で正確、響き重視でラヴェルの魅力が全開で見事な演奏でした。
特に第2楽章はまるでブレードランナーでレイチェルが弾くピアノのようなロマンティシズムに溢れ、滴の音さえ聴こえてきそうな静かさをコントロールしてお見事。オーソリティーというしかない。
第1,3楽章は第2楽章と正反対の動きの激しい音楽で、ピアノは冒頭から激しい音楽を求められるがエマールさんきっちりと弾いてます。オケのトリッキーな響きにも負けてません。

この曲は、ブラス、ウィンドともにほぼソロ楽器としての扱い、機能だけを求めておりラヴェルの真骨頂のエキスだけすくい取れる。ホルン、トランペット、トロンボーン、みんな際どいが、N響はしっかりしてましたね。実力がむき出しの曲ですけれどうまく引き締まっており奇妙で魅力的な音楽が全開。楽しめました。


ショスタコーヴィチの8番は、どちらかというとわけのわからないト系の音楽かもしれない。チチンプイプイの第7番の方が格段にわかりやすい。8番は音楽の方向性がよくわからない。後半の第4,5楽章は魑魅魍魎というかなんのために鳴っているのかホントよくわからない。第2,3楽章の裏返しのような気もするのだが、これがロシアの対称性なのかしら。その割には第4楽章へはアタッカではいるので構造の明瞭さを欠く。
頭でっかちの第1楽章が著しくバランスが悪い。6,7番あたりの傾向からしてその肥大化の頂点のようでもある。構造はあるのだが緊密性に濃くなく、何をポイントに聴けばいいのかときとしてわからなくなる瞬間がある。なんでこの曲作ったのかな。救済は第5楽章の最後の最後で調がハに安定して終わるところだけかな。ここだけとってつけたような響きが逆に違和感を醸し出している。決して自然な推移とは言えない。
ショスタコーヴィッチのシンフォニーは聴けば聴くほど第15番に収束していくような幻覚に襲われる。15番の第4楽章の冒頭のしなやかさと終結部の壮大なパーカッションのピアニシモの持続するハーモニー、なにもかもあすこに向かっているように思えてしょうがない。8番を作っているときはそんなことは露にも思っていないんでしょうけれど、ただこの8番でシンフォニー作曲おしまいなんてありえないと本人も思っているよね。

それでこの日の演奏ですが、全面的にデュトワの棒にかかってました。曲のいいところも悪いところもすべて受け入れ、最善を尽くすことにより曲の持つ魅力を思いっきり出していく。これしかありません。
デュトワでなければオーケストラにこのように緊張感を持続させることができなかったと思います。モチベーション大事ですね。いい演奏をするしかないんだと思わせる。指揮者の技量でしょう。
オーケストラは非常に引き締まっておりこの曲の表現に適している。第3楽章の妙にぎくしゃくしていながらそれでいて魅力的でダイナミックな音楽も面白いし、けっしてふやけない。第4,5楽章の弱音部分のハーモニーも美しい。ここらへん、構造、形式、どうでもよくなってきます。聴いている方としては。
どのように音楽が流れていくのか、持続していくのか、そのへんだけに興味が集中してしまいます。お見事なオケサウンドになっておりました。前半のラヴェルでの引き締めも効いていたのかもしれません。この演奏も堪能できました。

ちょっと忘れそうになりましたが、エマールのアンコールのメシアンよかったですね。
おわり


1139- 天ぷら屋で刺身定食を

2010-12-15 00:27:59 | インポート

浜松町でのランチは、竹芝通り新橋サイドはだいたい食べつくした。


あとはちょっと遠めの大門方面がテーマ。


天気が悪い時は、駅近の世界貿易センタービルの地下。


うろうろしながら、スーツに匂いがつくので


ランチでは極力いかない天ぷら屋へ。


衝動天ぷら(笑)


ランチのラインナップをみていたら、刺身定食1200円というのがあって、


天ぷら屋なのに思わず衝動刺身定食を(笑)


そして最悪の結果。


クラキチのレストランガイド

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1138- また、ブルックナー8番 WAB.108 尾高忠明 読売日響2010.12.13

2010-12-14 00:04:50 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2010年12月13日(月)7:00pm
サントリーホール
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ブルックナー 交響曲第8番
       ハ短調WAB.108ハース版
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尾高忠明 指揮 読売日本交響楽団
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Ⅰ:16分

Ⅱ:14分

Ⅲ:27分

Ⅳ:24分

全く自分のものになっていない。曲が指揮者のものとなっていない。第4楽章の展開部におよんでも停滞する音楽、全く流れない。
なぜだろう。おどおどしているような自身無げな棒だ。練習の成果が出るというのではなく、出たとしたら練習不足の成果がでたのかもしれない。ブルックナーの実演練習?
おそらくプレイヤーも一部の聴衆もミスターSを背後に感じながらのブルックナー奏法、聴き方がある部分確立していてその上での別指揮者のブルックナーという側面が強い。インスピレーションがない指揮者では、ミスターSの上をいくことは到底できない。
棒の振り方も違和感のあるもので、ブルックナー慣れした棒ふりならもっと動きの少ないものになっている。確信のない分だけ大振りになってしまっている。お得意のイギリスもの、ブラバン系の音の響きなどとは構築が異なるものであって、わりと致命的なような気がする。エルガー、R.V.W、ブリテン、ホルスト、あたりだったらこれでいいが、響きのポテンシャリティー、音場の高さが違うと思うので、もう少し工夫と経験が必要だ。確信のある棒のブルックナーではない。
どっちにしろ、エルガーの3番は横に置くとしても1番2番のオーソリティー、その方面の指揮者だ。何しろ30年以上前から、ウォルトン、パヌフニクなどあすこらあたり振っていた指揮者だし。
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舞台を正面にみて、右側にトランペット、その左つまり正面奥にトロンボーン、その左にチューバ、その左にワグナーチューバ、その手前がホルン。少し不思議な並びではある。
今日のホルンは問題あり。ワグナーチューバも含めどのようなメンバー布陣なのかわからないけれど。
要所ははずしていないが不安定。特に後半で顕著。さらに、曲に溶け込んでおらず、特にトップ、セカンドの違和感はちょっと。ただ、3番の包み込むような音色と安定感はわりと納得。
いずれにしろ、ワグナーチューバ、ホルン、あわせて洗濯機のザブザブすすぎモードみたいな感じ。もうちょっと締めないと。
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指揮者、オケ、この日一回だけの演奏にどれだけ練習したのかな。そうゆう問題じゃないか。
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1137- ブリテン 戦争レクイエム(字幕付き)シャルル・デュトワ N響2010.12.11

2010-12-12 17:59:57 | インポート


2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2010年12月11日(土)3:00pm
NHKホール
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ブリテン 戦争レクイエム 作品66
            (字幕付き)
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ソプラノ、タチャーナ・パヴロフスカヤ
テノール、ジョン・マーク・エンズリー
バス、ゲルト・グロホウスキ
合唱、東京混声合唱団、NHK児童合唱団
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シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団
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名作なんだろうが難解だ。字幕の違和感がなんとも言えない。
別に字幕が間違っているわけではないだろうし適切な訳なんだろうが、オリジナルがラテン語と英語が混ざっているテキストなのでそこらあたりの微妙な切り分けニュアンスに一工夫欲しい気もする。ただ、ロシア、イギリス、ドイツ、それぞれの歌い手の出演ということで明確な意思が感じられる。
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合唱、ラテン語
児童合唱、ラテン語
テノール(イギリス人)、英語
バス(ドイツ人)、英語
ソプラノ(ロシア人)、ラテン語
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テキストはこんな感じなので、ソプラノと合唱は一緒に歌えます。バスとテノールは一緒に歌えます。あとはそれぞれソロ、パートで歌えます。それ以外はありえません。テキストの理解は事前に必要ですね。いわゆるレクイエムとイギリス詩人の言葉がそのなかに挿入されていく不思議な曲ですので。
イギリス、ドイツ、ロシアの人揃えはインスピレーションだがドイツ人が英語で歌うのはなぜなのか。
そのテノールとバスで歌うのは詩人の言葉です。舞台のオーケストラの輪郭の前、指揮者のすぐそこに室内楽オーケストラが座り、この二人の伴奏をします。かなりユニーク。
ユニークと言えば、児童合唱は舞台に顔を出しませんので、裏で響くだけです。
児童合唱でない方の合唱は大規模で舞台後方全部を占める。オーケストラ編成もかなり大きい。NHKホールのパイプオルガンもちょっとだけ聴くことが出来る。
全体編成規模が大きく、おかげで割と前席にすわっている自分の席から字幕のうち下部分の字はオケメンバーに隠れて見えない状態。指揮のデュトワは4段あるポウディアムの壇上から全部を見ながら棒を振る。これまた一仕事以上だ。
大規模な割には聴こえてくる音は薄い。不思議な曲だ。
この馴染みにくい響きの聴き方としては、エルガーやヴォーン・ウィリズムなどのイギリス・サウンドとあまり変わらないので、いわゆるブラバン的響きの意識で聴ければ違和感は緩和される。戦争の時代が一つ去った後に作られたような距離感のある曲ですね。
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いわゆるレクイエムだったら字幕は不要かもしれないが、挿入される詩の内容がかなり深刻、この詩がポイントであるため字幕は必須。
また、太陽の周りの惑星のように室内楽と詩、オーケストラと合唱が響きあう、視覚的な要素も音楽の大切な部分だ。
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全体の様子はこのような感じ。内容までは踏み込めない。
クルト・マズアの棒によるニューヨーク・フィルハーモニックのCDは持っているのだが、今日のこの日の演奏が初めて本当に聴く日となったことは間違いない。
90分6曲。2曲目の怒りの日が音響的には一番印象的、内容的には詩の力が後半になるにつれて強くなる。最後は言葉の力を感じる。
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テノールはまるでボーイ・ソプラノのように響くきれいなもの。バスはもうひと押し。圧倒的なのはソプラノ歌唱。大きく開いた口は顔の半分にも達しそうな勢い。
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曲に対する不勉強は自分の不徳の致すところではあるのだが、なんだかあとあとまで残りそうな気配はある。聴き始めのきっかけだね。
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室内楽編成の方のホルンは卒業したはずの松崎さん。

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