河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1590- カンチェリ、アル・ニエンテ、チャイコフスキー4番、テミルカーノフ、サンクト・ペテルブルグ

2014-01-29 22:35:13 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年1月29日(水)7:00pm サントリー
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ギヤ・カンチェリ アル・ニエンテ (日本初演) 30′
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Int
チャイコフスキー 交響曲第4番 18′10′6′9′
(encore)
エルガー 愛の挨拶 3′
ストラヴィンスキー 組曲『プルチネッラ』から第7曲ヴィーヴォ 3′
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ユーリ・テミルカーノフ 指揮
サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
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前の晩に続き連夜。
プログラム前半のアル・ニエンテはテミルカーノフに捧げられた曲。ゆっくりと水の紋のように音が広がっていく。惑星ソラリスを遠くから見ているような雰囲気にさせてくれる。
かなり長い曲で先をわかっていないと、今なぜここでこうゆう響きなのだろう、間があるのだろう、といったあたり、日本初演ですから当然と言えば当然ですが、わからないところもあります。ただ、先のことを思い浮べるのは楽しいことでもありますね。
良い音楽でした。
マイクが乱立しておりましたので、日本初演のこの曲テイクしたものを是非とも聴きたいものです。
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後半のチャイコフスキーは前の晩とだいたい同じ感想です。16型でベース8、チェロ10の男連中の圧倒的な木こり状態の響き。特にチェロ化人間のあまりに充実した響きには脱帽するしかないし、このインストゥルメントがこのオーケストラを引っ張っているのは間違いのないところ!
この4番ですが、テミルカーノフの棒が動きました。第1楽章導入部のねっとりとしてやたらとスローな解釈棒。これは第1楽章の導入部ではなく曲全体のフレームだと思わせてくれる。例でいうとフルトヴェングラーが運命を振るとき、最初の主題表現を曲のモチーフとして別枠で響かせる手法と同じです。
そのあとの提示部以降は前の晩と同じような解釈で進行。チャイ4ですから音の爆発はラフマニノフの上を行くのはあたりまえですが。
ブラスセクションはおとなしくなったと思います。トランペットやトロンボーン、ホルンなどの音圧は減ったし、ビブラートもなくなった。この2要素が昔は目立ったがそれでもピッチの狂いが無いため水平線のような地響きだった。弦の威力、特にベースの骨太さは変わらないが今回はチェロの威力にあらためて驚きました。充実の響きです。この楽器を中心に世界が回っている感じ。
第4楽章のうなる弦は世界トップクラスレベルのオーケストラだけで味わうことのできる技です。圧倒されました。
それと2曲目のアンコールが凄かった。ストラヴィンスキーのソロパート、コントラバス1本でホール鳴らし切る腕連中の集合体というのがよくわかりました。あのコントラバスサウンド、在京オケ5弦がが束になってもあれにはおよばない。
楽しい一夜でした。ありがとうございます。
おわり


1589- チャイコン1、ヴィルサラーゼ、ラフマニノフ2、テミルカーノフ、サンクト・ペテルブルグ・フィル2014.1.28

2014-01-29 01:39:19 | コンサート

2014年1月28日(火)7:00pm サントリー

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番   20′6′7′
 ピアノ、エリソ・ヴィルサラーゼ

(encore)
ショパン マズルカ第47番イ短調 op.68-2   3′

Int

ラフマニノフ 交響曲第2番  19′7′12′10′

(encore) シューベルト『楽興の時』D780 (弦楽合奏)  2′


ユーリ・テミルカーノフ 指揮
サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団


ムラヴィンスキーはラフマニノフを振らなかったと思うので、こうやってレニングラード・フィル(旧名)で聴くのは格別のものがある。とにかく響きの充実度だけで十二分すぎるほど聴かせてくれるオーケストラなので、それがこうやって中庸な解釈のラフマニノフを聴かせてくれればさらにオーケストラの能力に感心するばかりなり。
ブラスセクションは昔ほど大胆な響きではなくなったように見受けられます、奏者に起因するものなのか、指揮者のコントロールによるものなのかは判然としませんが。
弦の素晴らしく太くて魅力的なサウンドは本当に変わらない。

まず前半のチャイコフスキー、ホルンの響きに導かれたビロードのようなオーケストラサウンド、角が無く、滑らかに骨太に滑る中、全てが朝飯前のようなヴィルサラーゼのピアノが鳴る。この演奏家たちのなんという高密度な音楽の表現。つれも唖然としていたが、それは自分も同様。身を任すしかない。チャイコフスキー最高の姿がステージに屹立している。作曲家の音楽がまずそこにあり、演奏がある。逆はない。少なくともこのオーケストラにあっては最高レベルの水準クリアがデフォルトで存在している、それは空気であってその中に作曲家の音楽のことが第一義的にあり、演奏表現の話はその瞬間消えているようなものなのだ。美しい音楽だと思わせてくれる。素晴らしい。完璧だ。
ヴィルサラーゼのピアノは強弱のダイナミックの幅もさることながら、横幅のアンプリチュードが大きい、太くなったり細くなったり変幻自在。どのようにすればこのような響きになるのかわかりませんが、演奏の表現幅の種類を何個も持っていて、それが同時にあふれ出てくる感じなのだ。いろんなことを同時にやっていて、作為がなく自然。聴き手としては驚きと安心感の両方を同時に得ることができる。
バックのオーケストラ、バックというのは完全に憚る言葉であって、最高度のオーケストラサウンドがピアノとマーベラスに溶け込んでいる。どちらがどちらに溶け込んでいるのかわからない。同質DNAが同じ方向を見ている、そんな融合。
あっという間の出来事、巨大なチャイコフスキー。

後半のラフマニノフ、このオーケストラでこの作曲家の作品はこれまで聴いた記憶が無い。3番だとはじけそうな気もするが、テミルカーノフはしなやかな2番を奇をてらうことなくやりたいのだろうと感じる。
全体は素晴らしく滑らかブラスセクションの主張は昔ほど前面に出てこない、ながら、弦の骨太サウンドは快感以外のなにものでもなく胃の底を通り越しお尻がむずむずするような激快感。
ブラスは抑制ではなく伝統の変化を感じるところもある。チェロは人間楽器のようになっていて中核どころ、鳴る鳴る。木こりがぶんぶん振り回しているような充実の響き。ものすごい圧力。一人分のチェロで国内オケのパート分の音を出しているのではないか。
ベースよりチェロがポイントですね。
テミルカーノフの棒はオーソドックスであって一見自然な流れなんです。が、前半やその場その場の小さなしぐさ、動きを見ているとオーケストラへの強烈なコントロールが効いていることがわかる。非常に小さな動きにものすごく反応している。指揮者の長期間にわたる手綱締めとオーケストラメンバーによる自発性、両方がうまくマッチしているのだと思う。装備能力の積極的な出し合いと融合。
1,3楽章は緊張の緒を切ることなく継続させるには厳しいところがあるが、隙間なくこれだけ魅力的に味わいをだして聴かせていただけるとワンフレーズずつ愛しみたい。
偶数楽章の爆発はエキセントリックなところがなく中庸な表現です。レニングラード・フィル(旧名)によりさらに偉大な曲へと変化。
テミルカーノフの解釈では、曲が走り出すということがありません。ホップステップジャンプ感がない。躍動よりしなやかな美しさの表現ということになる。それでいてだれない緩徐楽章の見事さには脱帽。そしてラフマニノフの巨大さにこれまた唖然。
これ以上ないチャイコフスキー、ラフマニノフ、ありがとうございました。
おわり


1588- インディオ交響曲、ラプブルー、新世界より、バッティストーニ、東フィル2014.1.26

2014-01-26 19:09:51 | コンサート・オペラ

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2014年1月26日(日)3:00pm オーチャード

チャベス 交響曲第2番「インディオ交響曲」 12′

ガーシュウィン ラプソディ・イン・ブルー 17′
 ピアノ、清水和音
(encore)ラフマニノフ作曲/アール・ワイルド編曲
    「美しい人よ、わたしのために唄わないで」 4′
Int

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」  9′13′7′10′

アンドレア・バッティストーニ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団


切れば湧水のように溢れ出す若々しい才能のイルミネーション。
いやぁ、なにをやっても様になり、それに前向きにとらえ突き進むオーケストラがこれまた素晴らしいの一語に尽きる。オーケストラを個体として前へ前へと進ませる力を持った指揮者、それ自体魅力のあるもので、聴くほうも思わず前のめりになってしまう。

チャベスのインディオ、CDは確か一枚持っているはず、生演奏はもちろん初めて。短い曲でブラスバンド風味もあり刻みも鋭く、とにかくオーケストラの鳴りがとっても良い。イキイキしていて活力あふれる演奏、音響パノラマがステージの全面、右から左までまんべんなく広がっている。素晴らしい演奏でした。

ラプブルーは、しゃっくりのように一つずつの音を深くスウィングするように鳴らせれば雰囲気がもっと出てくると思う。アメリカン・イディオムのDNAのようなものがあればいいのかもしれない。この日の演奏は飽くまでも楽譜に落としたインクのオタマジャクシをその通り再度音にしたということ。これはこれで、こうしないと再現できない。しょうがないのかもしれない。演奏のノリ具合はチャベスから引き継がれており、羽目を外した演奏は無理ながら、特にブラスのシンコペーションに見られるスッキリ感はうまく出ていたと思います。前向きな演奏となっておりました。
ソロの清水は埋没気味、アンコールの美しい演奏で挽回。

後半の新世界、
バーンスタインの若い時代の演奏のように超ストレート。楽譜の裏も表もない。最近の中年顕微鏡的解釈の指揮者たちとまるで違う。ストレートな演奏と響き、東フィルもどうしたことか、良く鳴る!!指揮者によってこんなに違うものかとあらためて思ってしまう。
この場合、音が詰まっているというのは詰まっていて出てこないのではなく、たくさんの音がそこにあるということ。凝縮圧縮された充実のサウンドだということがよくわかります。こうなると、全く陳腐でない新世界で、気持ち的にはチェリビダッケのカリスマ演奏を思い起こす。あれ、何度聴いても飽きないんですよね。

新世界の最後のトーン、そして拍手までのシ~~ン、額に入れて飾っておきたいぐらい見事に決まっておりました。
素晴らしい演奏ありがとうございました。
おわり


1587- カトゥリ・カルミナ、カルミナ・ブラーナ、ファビオ・ルイージ、N響2014.1.25

2014-01-26 01:54:11 | インポート

2014年1月25日(土) 6:00pm NHKホール

オルフ カトゥリ・カルミナ  37′
 ソプラノ、モイツァ・エルトマン
 テノール、ヘルベルト・リッペルト
 東京混声合唱団

int

オルフ カルミナ・ブラーナ 59′
 ソプラノ、モイツァ・エルトマン
 テノール、ティモシー・オリヴァー
 バリトン、マルクス・マルクヴァルト
 東京混声合唱団
 東京芸術大学合唱団
 東京少年少女合唱隊

ファビオ・ルイージ 指揮 NHK交響楽団


カトゥリ・カルミナはお初で観ました。名の知れたカルミナ・ブラーナと両曲並べたルイージの意欲的なプログラミングで、価値ある演奏会となりました。一言で言って、
ワイルド!!、ルイージの棒もワイルド!!

前半のカトゥリ・カルミナ、
編成は、ピアノ4台、打楽器10人、合唱、ソロ2人。早い話が叩くものばっかりと歌。
むき出しの強烈な音楽、激しい、ルイージも激しく動く。ワイルドで精根こもっている。
ですが、
舞台に字幕スーパーがありません。暗い中、もしくは演奏前にプログラムにあるリブレットを読んでおかないといけません。
ですが、
読むと、苦笑を越えて本当に笑いたくなる、周りの連中も読んで我慢しているのかと思うと、笑えません。
音楽は激しく炸裂し際物の様相、指揮ぶりもそう。だまって聴くことにします。
粗野でエッチな音楽をルイージは猛然と振りまくる。音楽への共感以外の何物でもありません。偉大なものはたまに奇妙だったりするものだ。

この曲の歌詞や解説をネットで探してもいいものは出てきません。結局のところ、当夜のブックレットの解説とリブレットが一番内容のあるものではないかと思います。
FM生中継はできるが、テレビ放映での字幕スーパーをどうするか、NHKとしても難しい対応を迫られるのかとひそかな楽しみを待ちつつ。


後半のカルミナ・ブラーナ、神をも恐れぬ炸裂する音楽。打楽器群のぼっこんぼっこんな圧力は叩くことにより音楽のリズムが取れていくんだなというのがあらためて明白にわかる。リズムの饗宴とも言える。
一方、リピートしまくりの音楽ともいえる。3部構成に頭と尾がついたカンタータだが、全体に渡りフレーズの拡大、縮小、の繰り返しである意味では非常に単純でもある。複雑だとかえってこのような粗野な際物な響きにはなりえない。果てしもなく繰り返していくしかないのだ。こうなるとこの種の音楽に立ち向かうには指揮者の並々ならぬ共感がなければならない。
冒頭の駿馬が雲の中を駆け抜けるような音楽、そのあとの張りつめた緊張感、繰り返し。シンプルな響きの快感、カンタータの枠を超えた面白さ。
テノールのティモシー・オリヴァーのトリッキーな動きとハイ音。短いが強烈なインパクト、まして合唱が素晴らしい。立ち上がりが良く全体的にクリアで透明。ごちゃごちゃした音楽だがごまかしはきかない。濁ればダイナミックさは出てこず音がつぶれるだけ。合唱とオーケストラは見事な表現で、暴れまくるルイージの棒に冷静についていっている。演奏の主体的表現者はその途中、感動なんかしてはダメ。多彩な表現力が受け手を理解と感動に誘うと認識すべし、ということです。

今日の配置はカトゥリ・カルミナでは、指揮台が舞台下ギリギリ手前、ソリストは指揮台ほぼ真横、ピアノも打楽器も合唱もかなり前に出ておりました。
カルミナ・ブラーナでは全体的に後方へ。理由は不明ながら、バスドラをはじめバクバク鳴っておりました。
おわり


1586- サン=サーンス、月桂樹、ショスタコーヴィッチ、チェロ協1、ヴァシリエヴァ、サン=サーンス

2014-01-26 01:20:54 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年1月25日(土)2:00pm サントリー
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サン=サーンス 「糸杉と月桂樹」より、月桂樹 7′
 オルガン、大平健介
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ショスタコーヴィッチ チェロ協奏曲第1番
           7′12′10′
 チェロ、タチアナ・ヴァシリエヴァ
(encore)バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番から「サラバンド」3′
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サン=サーンス 交響曲第3番 オルガン付き
        19′14′
 オルガン、大平健介
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井上道義 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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前半と後半にオルガンを活用した、いいプログラム。でも一番すごかったのはオルガンのいらないチェロ協奏曲といった、よくありそうな話でした。
ヴァシリエヴァのチェロの音は濃く少しドライ、ねっとりとせず、思いっきり弾いている。ぐいぐい惹きつけていく、凄いチェロ。
このコンチェルトは伴奏のオケも好きなのですが、響きが透明でなくショスタコーヴィッチ独特の寂寥感があまりでません。伴奏の域を出ません。
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サンサーンスも同じで、ダイナミックな音楽と静寂な祈りがある曲なのですが、弦が薄くて前に出てこない。なんでかわかりませんが、とにかくそうなんです。
曲自体は楽しめました。
この指揮者の突き出す腕棒にはキレがない。もしかして音より遅れて出てきているのではないのかと、ふと疑ったりする。
おわり


1585- シューベルト4悲劇的、ブルックナー4ロマンティック、ハウシルト、新日フィル2014.1.24

2014-01-25 00:30:43 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年1月24日(金)7:15pm トリフォニー
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シューベルト 交響曲第4番 悲劇的
 10′9′3′11′
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ブルックナー 交響曲第4番 ロマンティック
       (1878/80年、ノヴァーク版)
 21′17′11′26′
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ヴォルフ=ディーター・ハウシルト 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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ハウシルトはこのオーケストラでも以前聴いたことがあるが、そのずっと前は合唱指揮の印象が強い。まぁ、今日の演奏は雰囲気的には北に移動したシュヴァルツヴァルトみたいな統合前のドイツみたいな、寝床の壁から出てきたような表現だったように感じました。このような解釈の演奏を展開する指揮者は今はほとんどいません。お寺に鎮座する大仏のような趣きで縁日であればちょっとお参りしてみようかなという妙にフレッシュな。ところがなくもない。
ただ、自己いじりのような解釈ではなく、この曲はこのように演奏されてきた、だからこれからもそうする、ということだと思います。貴重です。
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それで前半のシューベルト、この曲は好みです。終楽章のエンディングがまるでブラームスのヴァイオリン協奏曲みたいな大業でびっくり。一度終わってもう一度終わるような感じでした。音と音との間隔を大きくとったヘビー級の終わり方。
それだけでなく、全体がおしなべてこんな具合なんです。
このエンディングは鉛が胃の底に落ちていく妙な気持でしたが、全般通して重い演奏だなぁとはあまり感じない。ふくよかに歌うというよりも、引きずられるような演奏でもなく噛み砕いてきっちりと表現できているため、部分をとると割とすっきりしている。音をあまり伸ばすことなく、隙間を作りながらの演奏で、これはこれでよかったと思います。ただ、
オーケストラの能力としては一拍目の解像度が長続きしない。ザー・ザーとやると二つ目のほうのザーが、だいたい濁る。普通は逆な気がしますが、このオーケストラの技術的なテーマというより気持ちの問題のような気もしますし、オーケストラの中に何かをはらんでいるのかもしれない。とにかく濁ると、ぼて系になってしまい、このザーは指揮者がその場で指摘、矯正できるものでもない。やはり一段落ちるのかなぁ、(サントリーとトリフォニー両方定期通ってますが、、)
二拍目以降の力がゆるんでしまうのは問題と言えよう!
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ということで、シューベルトの悲劇的、こんなに規模が大きくて本格的な曲だったのかとハウシルトの演奏であらためて得心。いい内容でした。ありがとうございます。
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後半のブルックナー、約75分かかりました。前半のシューベルトの拡大系、シューベルトが歌ではなく構築感で聴かせてくれたとすれば、このブルックナーはさらに強固になるのは目に見えている。そしてその通りになる。
特別何かを仕掛けているのではないと思いますがこのテンポで進めばこうなる。一つとるとすれば、それぞれ3主題の濃さもさることながら、提示部から展開部へ、展開部から再現部へ、このつなぎとでもいうべき経過句のエスプレッソな濃さ。この表現は経過句ということを忘れ濃厚な副主題とでも位置づけたくなる。合わせて主題から主題への移り具合も結構な濃さであり、全体的に時間がかかる一因になっている。裏返せば、そのようなあたりまで味わい尽くして聴かせてくれるハウシルトの棒。
ハウシルトはシューベルトでは立っていたが、後半ブルックナーでは中腰の椅子に座りじっくりと、じっくりと。
指揮者は濃厚な演奏ながら、聴くほうは森林浴でも浸かっている風で、抜け出せない心地よさがありましたね。
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ハウシルトは現代によみがえるカール・ベームみたいなところがりますね。このロマンチックの芸風も似ているかもしれない。違うのはーケストラで、ブレークするかどうか微妙なところもありますね。もちろんコマーシャリズムもありますけど。
熱狂の嵐とはいかないけれど、存在感十分なハウシルトの演奏、エンジョイしました。
ありがとうございます。


1584- 安良岡彰夫、レイディアント・ポイントⅡ、ポリフォニア、シェーンベルク、5つの管弦楽、梅田

2014-01-24 00:58:15 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年1月23日(木)7:00pm 東京文化会館
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安良岡彰夫 レイディアント・ポイントⅡ
      ~独奏楽器とオーケストラのための
      (2001年/2005年改訂) 23′
  打楽器、安江佐和子
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安良岡彰夫 ヴィオラとオーケストラのためのポリフォニア
(1996年) 19′
  ヴィオラ、川本嘉子
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シェーンベルク 5つの管弦楽曲Op.16
        2′5′5′2′3′
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梅田俊明 指揮 東京都交響楽団
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3曲とも同じようなレングスの曲だが、なぜこのような順序で、1曲目のあとになぜ休憩があったのかなんとなく理解できた。
ポリフォニアは真っ新の耳で聴く限り、音色旋律の音楽のように聴こえる。シェーンベルクに後戻りということでもないが親近性がある。シェーンベルクはもっとウェットで自然!だと思うのだが、連関のイメージにインターミッションはやはり邪魔。と勝手に想像しました。この後半2曲は大人の創意。
安良岡さんという作曲家はこのたび初めて聞く名前でした(失礼!)、曲目どころか芸風も何もかも知らない。かといってプレトークは聞きたくない。
お初印象は、音が、ぽこぽこ切れ切れに鳴っている、伸び縮みしない。旋律は、ポリフォニアに関しては音色旋律風ととらえれば、ある。
音が粒のよう舞い進む。創意工夫が音楽をきっちり作っている。そんな気がしました。この耳で次のシェーンベルクを聴くと、もはや古典の名作にしか聴こえない!、ウェットにしなやかに流れる弦、ブラスの微妙なニュアンスと咆哮。ウィンドの物憂げで暗いウィーン風な鳴り。
後半2曲はプログラム・ビルディングの創意工夫とあわせ、よかったと思います。
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前半の曲は2階にバンダ(自分の席は3階センターのため見えないが)、オケ規模も大きく、舞台の後方半分は打楽器が占めるといった大規模編成。
その割にはオケともども鳴らない。音は始終鳴っているのだが、肩透かし風ですっきりしない。空振りみたいな音楽だ。粒立ちの様な切れ切れの響きに、音楽が流れる方向感、次の音への必然性のようなものを感じない。技巧を駆使して、かつ、神秘性のような雰囲気も醸し出したかったのかもしれない。気持ちはなんとなくわかる。
おわり


1582- 沼尻竜典「竹取物語」(世界初演)、沼尻竜典、トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ、他2014.1.18

2014-01-19 00:16:06 | オペラ

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2014年1月18日(土)3:00pm 横浜みなとみらいホール
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沼尻竜典 作曲・台本 竹取物語 world premiere
(日本語上演、日本語字幕スーパー付き)
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   第1景16′
   第2景12′
   第3景21′
   インターミッション20′
   第4景12′
   第5景31′
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キャスト(in order of appearance)
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おきな(翁)、山下浩司BsBr
おうな(媼)、加納悦子Mezzo
かぐや姫、幸田浩子S
石作皇子、小堀勇介T
庫持皇子、大山大輔Br
阿倍御主人、大久保光哉Br
大伴大納言、晴雅彦Br
石上麻呂足、近藤圭Br
石上麻呂足の使者、森田皓boy-s
帝、友清崇Br
大将、小堀勇介T
月よりの使者、中島郁子Mezzo
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栗友会合唱団
トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ
指揮 沼尻竜典


さて、オケメンバーがはいってくるのかと思いきや、池辺晋一郎さんがマイク片手に5分、熱く語る。沼尻の1作目のオペラ、その世界初演ということでの話しかと思うが、余計な前提無く真っ白な状態で聴きたかった。開演前のプレトークならそこに居なければいいだけの話だが、定刻に合唱が整列し終えてオケメンバーが入る直前であり、半ば強制的なトークヒアリングとなりました。残念なことです。パレットに何かが零れた後での世界初演となってしまいました。一番大事な時に余計な事態が発生する。どこの世界でもあることとは言え。
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自作自演の世界初演。演奏会形式としてあるが実際にはホールオペラのスタイルに近い。日本語上演で日本語字幕スーパーがつく。かぐや姫の吐息がかかりそうな限りなく前方に座ったので字幕は首を右左しないと見えない状態だったが、席的には声を明瞭に聞きとることが出来ましたので個人的には字幕スーパーはいらない状態でした。

ステージ前方の指揮台、録音マイクの筒、ソリストの譜面台、これらはモスグリーンの竹模様、いい雰囲気です。
その後ろ、オーケストラがあって、合唱、そして奥の壁はスクリーン代わりでオペラの流れに沿って絵が変わる。それ以外にも爆竹やライトなどいろいろと仕掛けがあった。
沼尻はあまり深刻ぶった指揮ではなく、実に楽しそうだった。内容もノスタルジー、メランコリー、ウィット、ミュージカル風、いろいろ出てくる。難解なところはまるで無く、変に東洋風な味付けが濃いわけでもなく、ストーリーの断片を拡大して展開することもなく、慣れ親しんだストーリーをストレートに淡々と進めていく。次から次へと場面が移っていくので目耳を離すことが出来ない。
沼尻が初めて作ったオペラにもかかわらず気張るところが無く、一からのスタートであるということを、奇を衒うことなく謙虚に示した佳作であったと思います。
過大なペシミスチックのようなものはないのに、なんとなく泣けてくるというのは悲しさよりも日本人の郷愁を呼び起こすような原体験や日本人であることの誇りのようなものがDNAにアドレナリンを注がれたような状態になり、感動に誘われたということのほうがより強い為と感じました。
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第1景
【おじいさんが竹の中からかぐや姫をみつけ、おばあさんにみせる。】
神秘的な情景なはずだが、沼尻の曲はむしろなにか懐かしい、ノスタルジックな響きだ。ここらへんで既に、気張らないオペラであることが見える。単純にして最初に最後が見える、つまりそういうことだと思います。
神秘的開始にしてしまうとあとが大変ということもありますし。
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第2景
【3か月で成人し、あまりの美貌に世の男たちが列をなす。】
かぐや姫が成人し、美しすぎる自分の現実をどうやって受けとめるか、高慢に走るか内にこもるか、音楽は第1景よりやや動きが出てきて、序奏のあとの第1楽章とでも言えるものかもしれない。そして5人の男たちが先を切ってひれ伏し、かぐや姫から求婚のための無理難題を押し付けられる。
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第3景
【難題を押し付けられた男衆が3年後に戻ってくる。】
さながらスケルツォ、動きの激しい情景で一番受けるし笑いも誘う、上品なジョークやウィットのきいた場面が続く。内容はトゥーランドットを即座に思い出します。
この5人の男衆が難題を解決して一人ずつ、かぐや姫の前で口上し見破られる。第2景の最後に見られた5人衆の衣装はスーツでありながら、まさしく性格俳優的な衣装であり、そのまま第3景に継続し、アクションともども非常に楽しい場面であった。おとこおんな逆だったらちょっと暗くなる場面だと思う

が、女性が、よりどりみどり(ではない)男たちを痛快にコケさせるあたり、エンターテイメントの世界で、ミュージカルでも見ているような面白さであった。ここで音楽の幅がグーンと広がったと思います。
亡くなった5人目の代わりに使いのボーイ・ソプラノ、ここで物語がまた次の展開を呼ぶわけです。見事な流れと思います。
そしてもうひとりいるよ、と。
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休憩
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第4景
【かぐや姫の評判を聴いた帝が合いに行くが拒否。】
この情景は夜かな。
帝がかぐや姫に合いに行き求婚するが、拒否。和歌を詠んで交換し合おうと、純日本的なやり取り。
短いシーンですが、休憩前の動きのある情景までがまるで物語の前段だったのかのように落ち着いた感じ、しっとりとした流れがいい。
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第5景
【ようやく気持ちが通じ合うようになった。月に帰したくない、でも最後は帰る。】
この最終景は30分を超える。シーンも3つ4つ作れそう。
かぐや姫が月に帰らないよう帝の兵たちと戦争だと、しかし兵士の体は動かなくなる。UFOに乗ってやってきたエイリアンのほうが知能が高くて魔法をかけられたのか、と思いたくなる。ここらあたり、舞台でやるといろんなバリエーションを組めるような気がしました。未知との可能性ですね。罰で地球に来たのだったのか。
前半の激しい動きから後半はしんみりとしてくる。沼尻の節(ふし)は妙に日本っぽくなることなく進む、第1景が再帰してしたような気持になる。月に帰るのも竹に戻るのもあまり変わらない。音楽は場面に合せて次々と進んでいく。
最終的には帝とは一緒になれない、でも悲劇でもない、そのあたり西洋昔話には無いような淡くも切ない日本風味のストーリー、最後、富士山が出てきて盛り上がり最終的に弱音終結となる。ここの盛り上がりは聴衆を意識したサウンド的に強烈な場面が必要ではあったのだろう、かぐや姫はこのオペラ一番のハイ音を響かせ月に帰る。富士山はそのあとのシーンとなります。弥栄三唱。
最後、弱音にしたのは正解だったと思います。
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席が前だったため、声に関しては聴こえにくいといったことが全くなかった。明瞭な日本語で質が高く秀逸であったと思います。
舞台の冒頭は、おじいさん、これも性格俳優風ではありますが、この役どころ、ツボにはまり物語が展開するのを安心して楽しむことが出来ました。おばあさん、かぐや姫、まさしく山の神、竹の神、苦笑とでも言いますか、完全に恐妻ですな。いつの時代も変わらないということで。
おじいさんおばあさん、歌とセリフが見事に決まっており途中、演劇風なところもあったりして、なんだかセリア、ブッファがハイブリッドしているようなおもむき。
かぐや姫はもともと存在自体が性格的なところがあるためか、どっちにも偏らないむしろ中性的な魅力をたたえていたと思います。
皆さんの独唱は素晴らしいものでした。そして二重唱、三重唱も呼吸がぴったりでお見事。
帝の位置づけは男5人衆と一緒の扱いのような気がしました。5人衆の個性爆発な演技、歌、本当に楽しめました。帝の演技もどちらかというとそれに引きずられる感じで。
それから合唱のレベルが非常に高く驚きました。よく合っていて威力ありましたね。感心が安心に変化していきました。
オーケストラはホールオペラ風な舞台なれば、このサイズで妥当。前のソリストの声も消えない。ピットで演奏するとしたら、もっと濃い演奏が必要でしょう。彫の深い演奏が欲しい。サラサラしている。もっと力強くしなやかに。
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それよりも何よりも、自作自演者の沼尻の棒が深刻ぶらず、ときにはこれ以上楽しいことはない、みたいな雰囲気の棒で、自らの曲をこれ以上なく自在に振ることができ、一番の幸せ者は沼尻ご本人であったことは間違いない。聴衆もブラボーコールたくさん、十分楽しみました。
来年2015年の2月、ベトナムのハノイで本名徹二の棒でオペラ上演されるとのこと。それを経験すれば、沼尻の2曲目も大きく期待していいと思う。
素晴らしいオペラありがとうございました。
おわり


1581- アゲイン!、モツコン20、ブフビンダー、ブルックナー9番、ファビオ・ルイージ、N響2014.1.16

2014-01-16 23:06:08 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年1月16日(木)7:00pm サントリー
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モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 13′9′6′
 ピアノ、ルドルフ・ブフビンダー
(encore)
J.シュトラウスⅡ/グリュンフェルト
ウィーンの夜会 - シュトラウスのワルツ主題による演奏会用パラフレーズ op.56
5′
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ブルックナー 交響曲第9番 24′11′24′
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ファビオ・ルイージ 指揮
NHK交響楽団
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前の晩に続いて日参。
前半のモーツァルト、第1楽章のカデンツァの直前で演奏が止まったらしく、ルイージの掛け声とともに再スタート。その掛け声で目が覚めた自分。ですので寝ていたわけです。生理的に眠くて寝ていたのか演奏がつまらなくて寝ていたのかは自分でもわかりません、うとうとしてました。
カデンツァの一個前あたりのフレーズでこんがらがっちまったらしく、譜面の記号か小節のあたりを指示したのかわかりませんが、とにかくそこから再スタート。眠けの目で見てもその場、そして第1楽章終わった後の指揮者とのひそひそやり取りを見てても、どうもピアニストのほうが分が悪そうな雲行き。
ブフビンダーはどうもルーチンワークをいかにもルーチンワーク的に弾いているのではないのか。この日のトラブルで日本にいい印象は残せませんでしたね。
アンコールは面白い曲でしたが、挽回できませんでした。
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ブルックナーは前の晩と同じ印象です。でもこれは2回聴ける楽しみみたいなものがあるわけです。
第1楽章の第1主題の後半のピチカートがこの曲の雰囲気全般を覆っている、そういう印象をあらためて持ちました。こうゆうミドルミクロレベルでの気づきが拡大していくあたりにも複数回聴く楽しみがあるわけです。
弦は一日目のほうが緊張感がありました。
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それにしても、ルイージは、ピアニストのアンコールのときにステージ隅に出てきて直立で聴衆と一緒になって聴いている、不動な姿勢は演奏のスタイルと同じく生真面目で、好感度が高い。真摯に音楽に向かっている姿が美しい。
おわり


1580- モツコン20、ブフビンダー、ブルックナー9番、ファビオ・ルイージ、N響2014.1.15

2014-01-15 22:56:27 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年1月15日(水)7:00pm サントリー
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モーツァルト ピアノ協奏曲第20番
 ピアノ、ルドルフ・ブフビンダー
(encore) シューベルト 4つの即興曲 D899 第2番 変ホ長調
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ブルックナー 交響曲第9番 24′11′24′
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ファビオ・ルイージ 指揮
NHK交響楽団
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後半のブルックナー。
非常に生真面目で単刀直入。ストレートな表現で音に隙間がなく、厚みは硬く強固。
アチェルランドの駆り立てを巧みにおこなう、煽る感じは無くむしろ強固さゆえの粘り強さが印象的。逆にリタルダンドはあまりしないので、アチェルランドは文字通りフレーズや主題の終間際での動かしとなる。
目立つのは、第1,3主題でのブラスの駆り立て。ブルックナーにおけるブラスセクションの使い方はこうあるべき、そんな確信で鳴らしているようだ。もやもやせずクリアなのがいい。ロマンチックに傾斜するブル9解釈が昨今多い中、一線を画する解釈と言えよう!
それから、ブラスはほとんどノンビブラート。これも柔らかさを排している一つの方針で、例えば第1楽章の第1,3主題におけるチューバなんて、強烈にふやけるようなビブラートをつける演奏が多いが、あれなどは単に演奏スキルの余裕を見せているだけなのだな、とルイージの演奏を聴くと思いたくなる。普通にストレート。ホルン、トランペット、トロンボーン、どれもこれもまっつぐ。ハインツ・レーグナー的演奏か。
これだけストレートな感じになるとウィンドやストリングも追随。全体的にドライな演奏。
ウィンドの柔軟性はいつも通りで、ストリングもいいのであるが、並みのバランスで通す弦は必ずしもどこかが強固ということころがなく、あえて言えば物足りなく感じる。馬力が少し足りない。どっかのパートだけでもうんと力をいれて奏すれば、他のインストゥルメントもつられていきそうなものだが、まぁ、いつも通りの生冷静(なまれいせい)といったところか。ここらへんがつまらないといえば、そう。
とにかくこれだけ縁取りが明確であればブルックナーの構成感もよく出てくるし、そのことにしっかり気づくと提示-展開‐再現の経過句のためを排したクリアな表現の見事さなども浮き彫り、理系的だ。また、スケルツォの伽藍響きはさすがN響といったところか。
隙間なしでギュッと前に押し出した強烈な演奏のブル9は久しぶりでした。よかったと思います。
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前半のモーツァルト。
無色透明。フレーズは強弱感があり、聴いているうちに波のように聴こえなくもない。ルイージに比べるとブフビンダーはあまりにルーチンワーク的な演奏だ。(こうゆう演奏は耳が肥えている人たちにとっては日常的に聴いているものだということをきっちりわからせてあげたほうがいいのかもしれない)
おわり


1579- ガブリエリ、カンツォーナ、ベリオ、フォルマツィオーニ、ベルリオーズ、イタリアのハロルド、

2014-01-15 00:59:30 | インポート

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Fomation

極度に膨大でステージいっぱいに広がったオーケストラは広がりよりも密集を感じさせる。その大きさに相応しい音響であり、予想を覆すようなトリッキーなところがない分、違和感も湧かない。ここらあたりがやはり違う。表現する為に必要なものを全て要求し、それらを駆使し尽くす。ややもするとインストゥルメントが余って、響きが薄くなり、そうゆう曲なのだと言いたげな現代音楽などもあるなか、ベリオのこの作品は違うと思う。必要にして十分な要件を満たしてやり尽している。
音楽に確度がついており、つららが束になって横になって何かに向かっているような響きだ。つららのねっこはどこにあるのかわからないがオーケストラステージの奥、手前、右、左、あらゆるところから向かってくる。非常に立体的で奥行きがあり、3次元の上を行くような、まるで空気を音の中に押込めたような凝縮された響きが圧倒的。美しい。
音の広がりと密集を録音でテイクしてスピーカーから鳴らしても限界がありそうだ。
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後半のイタリアのハロルド。これも生でホールで聴かないと響きの広がりの面白さがわからないような気がした。少なくとも録音では最後まで興味が続かないモードになってしまうのだが、こうやって音響空間を感じながら聴くのは格別と言える。
カンブルランはもう冒頭から、ベルリオーズ得意ですよ、といった雰囲気ありありの棒。第4楽章の圧倒的な大伽藍、カンブルランはベルリオーズではないのかと思わせるに十分であったのですが、まずは第1楽章冒頭の序奏の思いもかけぬ歌。ヴィオラの良質な響きがゆっくり奏される、カンブルランの作り出す音楽はまるで羊水のなかを漂っているような雰囲気なのだ。これにはびっくり。先を見通したカンブルラン、余裕の構成感と見た。ねちねちせず味わうように奏される。山賊の手にかかって朽ち果てたハロルドがもう一度生き返って、また音楽が始まったそんな雰囲気なのだ。物語が展開していく起点がここにある、第1楽章は長大なストーリーを本当に楽しめました。ここまでで結構精力を使った。
このあとのアダージョ、スケルツォ楽章は双方同じような長さで二つ合わせても第1楽章の長さには満たない。ここでもヴィオラの響きは魅力的、潤いを含んだ幅広な演奏は魅力的で味わい深い。
第4楽章はヴィオラはちょこっと演奏しただけでステージから出て行ってしまう。出番が少ない。その分、暴れまくる山賊音楽はカンブルランの圧倒的な勝利の棒。こんなに彫が深くてパースペクティヴがきき、乱れず整理されながらベルリオーズの響きの世界に浸れるなんて。
正面奥、オルガンの下に弦奏者3人現われ、それとは別にソロヴィオラはP席を下りてきて一番前の隅の席でちょこっと弾く。そしてカンブルランの爆発。ああお見事。
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この曲が今ひとつ流行らないのはもしかしてソナタ形式を主張した曲だからなのではないかと勘繰ってしまいたくなるが、自分としてはわかり易くて追っていける。それにこの日の演奏みたいにスタイリッシュな演奏であればもっと何度も聴きたくなる。
それから、今日の3曲の感想、パースペクティヴという単語で共通化されてしまいました。偶然ですよ。
おわり


1578- グラズノフ、ワルツ1、チャイコン、ジェニファー・コー、スリーピング・ビューティー、アレクサンドル・ヴェデルニコフ

2014-01-12 00:22:42 | インポート

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2014年1月11日(土)3:00pm NHKホール
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グラズノフ 演奏会用ワルツ第1番 8′
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 20′8′10′
 ヴァイオリン、ジェニファー・コー
(encore)
バッハ 無伴奏パルティータ第2番BWV1004から、
サラバンド 2′
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チャイコフスキー 眠りの森の美女 抜粋(8曲) 43′
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アレクサンドル・ヴェデルニコフ 指揮
NHK交響楽団
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今日のN響は好調だ。粒立ち良く、目をつむるとアインザッツがいつにも増してよく揃っている。特にウィンドは歯切れよく気持ちいい。立て板を一枚ずつ抜いていくような揃い具合。そしてブラスもやたらと好調。グラズノフでのホルンとトロンボーンの裏打ちがこれほど気持ちよく合い、音楽的と呼ぶしかないような按配で、並々ならぬ合い具合、歌い具合、このような演奏で聴けるとは。美しすぎて言葉もない。
たぶん、指揮者のヴェデルニコフに起因する。
劇場の人であるが激情型のムチャ振りは全くしない。棒を持たない左手がかなり雄弁だ。どちらかというと十把一絡げ風なラザレフ(2013.10.18)とは真逆な表現で、指示が個々にゆきとどいており端正とさえいえるおもむき。さらに言うなら、劇場型の人を越えた理性の人かもしれない。シンフォニックとはちょっと異なる、整理整頓の部分の能力が秀でているのかもしれない。はっきりすっきり響いたグラズノフにうなりました。
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チャイコンの聴きものは伴奏を越えて、グラズノフの演奏をさらに拡張したようなウィンドの素晴らしさ。これも目をつむると明確にピッタリなのが良くわかる。
ジェニファー・コーはお初ですが、見た目がスキニーというか筋肉質のような、はがねのような。
そして見た目のような音が出てくる。ややドライで、響きが均質で、音価の質感の均整がよくとれている。チャイコンの泣き節の世界にはいない。一つバランスを崩すとだましがきかないかもしれない、一つ崩れるのも全部崩れるのも同じという理系的世界の音楽で、うまく決まれば今日のようになる。
この理系的な音のつくり、ヴェデルニコフの方針とマッチしているように思える。ソロ、オーケストラ、指揮、うまくいったこれも好演。
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眠りの森の美女、8曲抜粋はヴェデルニコフ譜面不要の馴染みの曲。ラザレフは抜粋ではなく組曲ということでやったが響きがかなり異なる。オーケストラの性能による部分が大きいとはいえ、これほど違うとはやはり指揮者という存在の大きさにはびっくりする。
ヴェデルニコフは、チャイコフスキーそしてスリーピング・ビューティーの演奏のしかた、自分の中に培ってきた演奏、それのN響への移植である。どこをどう鳴らせば力が抜けて明瞭な響きのサウンドになるのか、ベールのほこりが取れ生き生きした演奏になるのか、全てわかっていて、それを移植する。
彫りが深く、音粒が明瞭、奥行きのあるオーケストラサウンド、生き生きと流動するチャイコフスキー、素晴らしい演奏。堪能しました。
おわり



1577- チェルハ、シュピーゲル(鏡)Ⅱ、原田敬子、エコー・モンタージュ、池辺晋一郎、シンプレック

2014-01-11 01:43:00 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年1月10日(金)7:00pm サントリー
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チェルハ シュピーゲル(鏡)Ⅱ~55の弦楽器のための(1961)
 12′
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原田敬子 エコー・モンタージュ オーケストラのための(2008/2009)
 14′
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池辺晋一郎 シンフォニーⅤ「シンプレックス」(1990)
 6′8′7′
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秋山和慶 指揮 東京都交響楽団
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演奏時間が50分に満たない演奏会。現代音楽は長い曲ではもたないということを自ら証明しているような演奏会でした。
だいたい現代音楽の演奏会は、小品短品が多い。曲数をたくさん並べればいいような気もするが、現場で見ていると一曲ずつオケ配置を変えなければならない。これが結構手間取る。10数分の曲を一曲やって配置換え5分、そんなパターンが続くのである。本当に間延びの世界なのだ。
この日の演奏会も、始まる前から帳尻合わせのようにまずは5分遅れで団員入場、おもむろに音合わせ、指揮者がはいってきて演奏はあっという間の12分。そして、配置換え。
14分やって前半終わり。休憩20分。まさに間延びの世界。曲に緊張感があっても、だんだんだれてくる。配置換えをもう少し要領よくやるとか、席位置は全部の演目のバリエーションのORであらかじめセッティングするとかなにか知恵がないものか。そうすればいくらなんでも50分未満の演奏会とはならないはずだ。もちろん曲数はもっと増やさなければなりません。
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チェルハの曲はこの時代ありがちなもので、音楽は流れるということの正反対のことをしている。そこにただ「音が停滞しているだけ」、音楽ではないと思う。「音波」なのだろう。技術技巧の曲ではなく数理的な世界に溺れた結果の音であり、そのようなこともできるのかといった気づきをさせた点のみ買える。
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原田の曲は、説明文の主張は理解できるが、音はそこまで達していない。淡い。もっと圧倒的な彫りのあるオタマジャクシをごしごしと大胆に譜に置いていけばよかったと思う。それから、ひらめきにとぼしい。
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池辺の曲はフルオーケストラで騒ぎ過ぎ。第2楽章の緩は深みに乏しい。急にはさまれただけの静かさのような気がする。
ベースが7艇なわりには低音がいまひとつ響かないのも気になった。
おわり


1576- シューマン、マンフレッド、ピアノ協奏曲、ムラロ、ラヴェル、高雅で感傷的なワルツ、スペイン

2014-01-07 23:21:40 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年1月7日(火)7:00pm サントリー
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シューマン マンフレッド序曲 12′
シューマン ピアノ協奏曲 15′5′10′
 ピアノ、ロジェ・ムラロ
(encore)ラヴェル マ・メール・ロワ、パヴァーヌ 1′
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ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ 17′
ラヴェル スペイン狂詩曲 15′
(encore)ビゼー カルメン前奏曲 2′
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シルヴァン・カンブルラン 指揮
読売日本交響楽団
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前半のシューマンはカンブルランの一連の公演から続いているものだと思うので、後半のラヴェルとの組み合わせの違和感は多少あるものの理解はできる。
最初のマンフレッド、わかっていることとはいえ、それにしても鳴らない曲だ。カンブルランがいくらメリハリをつけてもだめで、逆にメリハリをつけようとするからだめなのではないかとさえ感じる。研ぎ澄まされた音に慣れてしまった現代があるのかもしれない。
協奏曲、ムラロにはシューマンは合わない。響きが空虚というか、一つの鍵盤の外のふちだけ鳴っていて芯が空洞のような鳴りなのだ。缶詰の外側だけの音、そんな風に聴こえる。
アンコール曲は後半のプログラムの先取りみたいな含みもあり、よかった。ラヴェルのほうが彼にはよくあっていると思う。たった1分だけでしたが。
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後半のラヴェルは前半のプログラムから倍近い膨らみとなり、前半を引きずらないプレイヤーが多いということもあり、しっかり切り替えができており楽しめました。
カンブルランの小指の立ち具合も、前半のしおれた感じから、ラヴェルではしっかりポッキー状態になっていました。前半とはうって変わって水を得た飛び魚状態のカンブルランは誠に正直な指揮者で、シューマンでの真摯なスタイルの音楽は良薬、口に苦しということだったのかもしれません。
特にラヴェルだけ得意というはずもないのですが、後期ロマン派から抜けてきて、シュトラウス、マーラーの張りぼて音楽はなるだけ避けながら綺羅星のような現代にいたる音楽を素晴らしく美しく分解して、この手の音楽好きを魅了する。貴重な存在なんですね。ラヴェル両曲まるで初めて聴くようなフレッシュな演奏となっておりました。
ありがとうございます。
それと、この前(2013.12.10)もそうだったのですが、定期にもかかわらず、全体時間が短めだとこうやってアンコールをいれて帳尻合わせをきっちりやるのもその趣旨としてはいいことだと思いました。
おわり