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酒折連歌賞「問いの片歌」が発表されました(2017-03-30 記事)を書いていたのでフォローしておきます。
問いの片歌は、次の5つの句です。募集期間は4月1日から9月末まで
 「百年を考えている夏目漱石」
 「森へ入る儀式のように小声で歌う」
 「手を洗う水に季節の移ろいを知る」
 「十字路で迷子になった小さな羊」
 「ニホニウム113をはじまりとして」

酒折連歌賞公式サイト で第十九回酒折連歌賞の詳細をご確認ください。

第十九回酒折連歌賞「問いの片歌」記者発表~「答えの片歌」の募集要項等を発表~(山梨学院ニュースファイル) に酒折連歌について詳しい解説も書かれています。
 「酒折連歌」と名づけているものは、5・7・7の問いの片歌に対して5・7・7の答えの片歌の問答形式になっている。

第十九回酒折連歌賞「問いの片歌」記者発表が行われました(2017年3月31日 山梨学院大学ページ)
 酒折連歌賞は、多くの人に連歌に興味・関心を持ち、連歌を蘇らせ文化の振興、文化の創造に資することを目的に1998年(平成10年)、山梨学院大学が母体になり創設されました。

酒折宮 (サカオリノミヤ 左下の ENTER ボタンからページに入れます)

酒折連歌賞のサイトから引用しておきます・・・
【問】 新治(にひばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる (新治・筑波の地を過ぎて、ここまで幾晩寝たのか)
【答】 かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を (日数を重ねて、夜では九夜、昼では十日~九泊十日~)
 4・7・ 7の片歌で問いかけたところ、5・7・7の片歌で答えた片歌問答になり、これが連歌の起源とされたことから、酒折が連歌の発祥の地といわれるにいたりました。片歌問答の 基本となる音数は5・7・7(問い)、5・7・7(答え)ですが、これはその後の短連歌や長連歌の形式とは異なるものです。
古文などに全く無知な私ですが、古事記の原典を確認してみたい・・・日本武尊ヤマトタケルの蝦夷(えみし、えびす、えぞ)遠征ルートなど・・・キーワードは「景行天皇」らしい

 1.酒折の住民(焚火番)が新治・筑波を経由して酒折まで9泊10日と知っていたことにも驚かされます。「甲斐の国」は「交(かい)の国」とも言える各地との交通の要所だったとの話を聞いたことがあるのですが、古代にも既に甲斐の住人は周辺とも行き来していた証しにもなりそうです。

 2.茨城県(常陸の国)で新治とは何処かを確認しました。検索で到達したのが Wikipedia 新治国古代律令制以前に、現在の茨城県西部に存在した新治国のこと。大化の改新以後の律令制下では常陸国新治郡となる。『古事記』の倭建命(やまとたけるのみこと)の歌に邇比婆利(にひばり)とある。2006年(平成18年)まで存続していた近世の茨城県新治郡(にいはりぐん)とは新治の呼称こそ同じであるが別。、「古代の新治は筑波山の北」との記事もありました。それなら新治-筑波との順序が理解できます。
筑波については問題無いです・・『現在のつくば市とつくばみらい市を合わせた区域にほぼ相当する』(Wikipedia 筑波郡

 3.「かがなべて」が2.では「日々並べて」と書かれています。現代語で「日数を重ねて」となる意味は判りました。が、「なべて」は「1.全体が同じような状態・程度であるさま。総じて。おしなべて。」「2.普通であるさま」(国語辞書 - 大辞泉)のようです。
この部分の解釈には異論があるようで、下の「其の一」と「其の二」です・・・
さらに、古事記だけではなく日本書紀にも酒折連歌発祥について書かれているようです・・・
◇ 日本書紀・景行天皇(三十五)新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる | 古事記・酒折宮での老人と歌
ヤマトタケル東征後の筑波問答「かがなべて」歌について 其の一
ヤマトタケル東征後の筑波問答「かがなべて」歌について 其の二

いつか時間がある時にでも古事記、日本書紀とも原典を確認してみます。「筑波の道」とも呼ばれる連歌、
「道」という理念がここにもあったことに気付いたのが一番の収穫として今回は終ります。


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8月15日終戦記念日でしたが急ぎの仕事で普段の日と変わらずパソコンと格闘していました。
一息ついたのが18時過ぎ、UTYニュースで子供たちに「今日は何の日?」と尋ねた結果も報じていました。小さな子供たちには終戦記念日を知らない子も多いようでした。

今年は山梨縣護國神社にもお参りできませんでしたが、ニュースでは護國神社での慰霊祭事も伝えていて、山梨県遺族会の会員数が2001年度には 12,452 人おられたのが、昨2016年度は 6,116 人とも報じていました。念の為に検索して 日本遺族会について(一般財団法人 日本遺族会) も初めて確認してみました。

ニュースでは山梨平和ミュージアムの集会も報じられていました。行かれなかったのが残念ですが仕方ないです。

2017-08-12 記事で長野県のニュースから「戦争遺跡(報道記録)」 を記録していました。山梨県でも戦争遺跡が遠い歴史の彼方に埋もれているのでは無いことを8月15日のブログ記事として記録しておきます。

山梨の戦争遺跡

いつになるかわかりませんが、山梨の戦争遺跡についてWebページに整理しておく予定です。私に出来るのはそんなことしかありません・・・

 私のサイトにアップロードしてある画像を goo blog 記事から呼び出して表示する技法が goo blog の仕様変更により出来無くなりました。とりあえず上の当該画像をアップロードして goo blog に託しました。
 goo blog の方針は理解できます。表示された画像そのものに、あるいは小さく表示した画像を読者にクリックさせることで、セキュリティ問題のある不適正な仕掛けに読者を呼び込む手法があります。スパムメールで使われる手法の一つです。goo blog としてはその点も考慮した設定に切り替えたものと私は理解しています。私としては過去の画像も含めて、画像全てを goo blog に託すことは避けたいので、ケースバイケースで自分のWebサイトに移行することも検討する予定です。【2019-08-11 追記】



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戦争体験・証言をどう受け止め、継承するか
日 時  2017年8月15日(火)14:00~16:00
会 場  ぴゅあ総合(山梨県立男女共同参画推進センター)
      山梨県甲府市朝気1-2-2
内 容  証 言 北朝鮮からの引き揚げ体験 : 高橋惟文さん(元山形県立高校教員)
     演 劇 峠の少女 : 脚本・演出 水木亮さん(劇作家)
参加費  500円
主 催  NPO法人山梨平和ミュージアム(YPM・石橋湛山記念館)
      山梨県甲府市朝気1-1-30/電話:055-235-5659

 戦後72年の夏がやってきました。戦争体験の風化が進む中、改めて戦争体験、証言の次世代への継承が重要になってきています。
 戦前戦後、満州・北朝鮮で苦難の体験をされた高橋惟文さんに山形からお出でいただき、貴重な証言をして頂きます。
 また、劇作家・水木亮氏の脚本・演出による演劇「峠の少女」により、北朝鮮からの脱出の状況をリアルに再現していただきます。
どうぞご参加ください。

北朝鮮からの引き揚げ体験
 1945年7月、満州の新京で暮らしていた私たち一家は、ソ連軍の対日参戦を想定して朝鮮半島に疎開し、朝鮮北部の港町にたどり着いた日が終戦。そこはただちにソ連軍の占領下におかれ、日本人は難民収容所に入れられた。その日から、酒に酔ったソ連軍兵士たちが毎晩のようにやってきて無理難題を吹っかけた。彼らを追い返すため、老眼鏡や腕時計、万年筆などをかき集めてはソ連兵の機嫌を取った。そのような日が約1年続いた後、漁船を買収してようやく祖国に引き揚げることができた。「五族協和」「愛国の花嫁」のスローガンに踊らされた両親は、一片の疑いもなく渡満したのだった。「戦争責任」は、国策に盲目的に従った国民自身にもあると思われます。
演劇「峠の少女」
 昭和20年8月敗戦。朝鮮に取り残された日本人は20万人。日本を目指して脱出が始まる。男達は軍に駆り出されていたので、女子供、年寄りの苦難の脱出である。38度線はソ連軍により封鎖され北朝鮮からの引き揚げ者はおよそ3万5千人が殺人、暴行、飢餓、発疹チフスなどで亡くなった。ソ連軍による強姦や略奪、朝鮮人保安隊の厳しい検閲、激しい反発に遭いながら、引き揚げ者達は集団となり、アメリカ軍が救援してくれる38度線を目指して、列車や舟、徒歩での死の逃避行が始まった。再び、もときた道に戻ろうとする日本の今、この演劇「峠の少女」を、満州や朝鮮に取り残され、祖国日本の土を踏むことが出来ず、置き去りにされ無念の死をとげた日本人引き揚げ者の、赤ちゃん、少年少女、娘さん、お母さん、お父さん、お爺さん、お婆さんに捧げたい。

イベント・講座情報 | やまなしNPO情報 掲載のPDFファイルと 平和の港(山梨平和ミュージアム・ブログ) を参照し引用させていただきました。



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インタビューするのも仕事である記者さんにインタビューしたというのも興味深いです。

 望月衣塑子記者は 2017-08-02 記事 平和を願う山梨戦争展@山梨県立図書館 8月3日~8日  でご案内した8月3日の講演会で来甲された方です。私は時間が無くて行かれませんでした、残念です。

望月さんは武器輸出の問題の取材を続けておられて、教育基本法の改正で愛国心とか道徳とかナショナリズムを全面出す形に法律が変わった事に大きな動きを感じられたと。
前川喜平前文科事務次官にインタビューもされていて、前川さんから教育基本法改正により政権に疑問を感じるようになったという話も引出しておられたようです。
私が見るのはもちろん声を聞くのも嫌なのですが、記事で読むあの話し方を「菅話法」というようです、初めて知りました。今度テレビ・ニュースに出て来たら我慢して聞いてみよう。
「長官を攻める私でも、夫婦ゲンカは受け身です」東京新聞・望月衣塑子記者インタビュー#2(2017年8月12日)



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松代大本営など戦争遺跡調査 たなざらし状態に(信濃毎日新聞 2017年8月12日)
 松代大本営地下壕(長野市)を含む全国51カ所の「戦争遺跡」を対象に文化庁が実施した詳細調査が、2005年度の実質終了から12年たった今も、取りまとめや公表の見通しが立たず「たなざらし」の状態となっていることが11日、分かった。信濃毎日新聞の取材によると、51カ所のうち大本営地下壕を含む34カ所は文化財指定を受けていない。戦争の記憶継承の重要性が増す中で、国の姿勢が戦争遺跡の保存や活用を停滞させている。
 同庁は、10年以上も報告書をまとめない理由について、「文言を調整中で、慎重に検討しているため」(記念物課)と説明する。ただ、戦争遺跡の保存に関わる関係者からは「沖縄など一部の遺跡の記述を巡り、政府内で慎重論が出て、公表できなくなった」との指摘が出ている。
 文化庁は、1995年の文化財保護法改正で、明治期から第2次世界大戦終結ごろまでの比較的新しい遺跡が文化財指定対象に加わったことを受け、保存・公開を後押しし始めた。有識者でつくる同庁の検討会は02年、地元自治体の意見などを基に詳細調査する遺跡を選定。03〜05年度にかけ順次、調査を進め、03年には松代も調査した。
 長野県教委への情報公開請求や文化庁への取材、戦争遺跡の保存・活用に取り組む「戦争遺跡保存全国ネットワーク」(事務局・長野市)が昨年まとめた資料などに基づくと、51カ所は松代大本営地下壕のほか、「陸軍第九技術研究所」(登戸研究所・川崎市)、「大津島回天特別攻撃基地」(山口県周南市)など。このうち、これまでに一部か全部が国指定文化財になっているのは幕末〜明治期の3カ所。市町村指定などの文化財が含まれる例は14カ所とみられ、松代大本営地下壕を含む34カ所は文化財になっていない。
 同庁は13年、全国の自治体に対し、国の調査報告の公表を待たず、自治体が主体的に戦争遺跡の史跡指定や保全を検討するよう通知。ただ、自治体側は、方針転換とも映る国の姿勢を疑問視し、「責任を持って歴史的な評価を示すべきだ」(長野市の樋口博副市長)との受け止めが強い。
 戦争遺跡保存全国ネットワークは早期公表を求めている。共同代表の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)・山梨学院大客員教授(72)=東京=は「戦争遺跡は国民の共有財産。戦争の記憶を伝える人が少なくなっていく中、保全などの取り組みが急務だ」と指摘している。

山梨県の戦争遺跡に関心があり、いくつかの記事を読んだことがあります。先日は十菱駿武氏など研究者の方々による山梨学講座も開催されたのですが、私は参加できませんでした。信濃毎日新聞記事に気付いたのでメモして、この件は後日確認し整理する予定です。



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こんな問題を知りましたので、神戸新聞などを参照しました。
灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ(2017/8/4 06:40 神戸新聞NEXT)
 私立灘中学校(神戸市東灘区)が採択した歴史教科書を巡り、自民党の盛山正仁衆院議員(63)=比例近畿=や和田有一朗・兵庫県議(52)=神戸市垂水区=が同校に「なぜ採択したのか」などと問い合わせていたことが3日、分かった。インターネット上でも「政治圧力ではないか」と問題視する声が上がっている。(以下略)

灘校に「問い合わせ」を行った和田有一朗(兵庫県議・自民党)、差別集団として悪名名高い在特会と親しい右翼政治家だった~つまり似非愛国者ですね。(togetter)
名門・灘中学校長が告白! 採択した歴史教科書めぐり同校に自民党とネトウヨから卑劣な圧力が(2017.08.03 LITERA/リテラ 宮島みつや)

謂れのない圧力の中で-ある教科書の選定について-(PDFファイル 129 KB) | 2016年9月9日 といXXXIV 2016(PDFファイル 1,001 KB) にも収録されています。
この論考を読んで関心をもったのが次のセンテンスでした・・・
 『これからの教育のキーワードともなっている「アクティブ・ラーニング」は、学習者が主体的に問題を発見し、思考し、他の学習者と協働してより深い学習に達することを目指すものであるが、そういう意味ではこの教科書はまさにアクティブ・ラーニングに向いていると言えよう。』
(私が街づくり事業やリニア新幹線事業に関心をもっているのは、この意味で私の教科書にしているからだと気付いたのです。)

教育をゆがめる政治家の雑言(2017/8/9 玄洋庵文庫)
私は玄洋庵文庫を拝読してこの問題を知りましたので、いつも通りにソースを確認しました。
過日、道徳教科書の選定、甲府市は8月9日か を書いたのですが甲府市教育委員会から明確な記事が出ていない状況で教科書選定が行なわれ、その会議録も何時、どのように公開されるか不明です。
そんなことも関係して、和田孫博氏のような教育者からの発信が読めるインターネットはやっぱり素晴らしいと思ってこの記事で記録することにしました。

いろいろ調べている時に和田孫博氏が 「国際人嘉納治五郎と揮毫に見る人生観」 を 「とい XXXIII 2013」(PDF 463 KB) にお書きになっていることを知りました。拝読していたく感銘をうけましたので末尾だけ引用させていただきます・・・

最後に、これは本校に遺されているわけではないのだが、教育者としての嘉納の心意気を示すものとして最も有名な言葉を紹介しておきたい。それは「教育事天下莫偉焉一人徳教廣加萬人一世化育遠及百世 教育事天下莫楽焉陶鋳英才兼善天下其身雖亡餘薫永存」である。書き下すと「教育のこと、天下これより偉なるはなし、一人の徳教、広く万人に加わり、一世の化育、遠く百世に及ぶ。教育のこと、天下にこれより楽しきものはなし、英才を陶鋳して兼ねて天下を善くす、 その身亡ぶといえども余薫とこしえに存す」となろうか。教育の醍醐味をみごとに表している。
自らの影響が自分が死んだ後も百世に亘って残るのだと思えば、いささか武者震いを覚えるのは私だけだろうか。教職に身を置く者として常に心に留めておきたいと思っている。

私もパソコンを離れて図書に埋没したいとも思う今日この頃です。



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広島市・平和宣言【平成29年(2017年)】
皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。

それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成29年(2017年)8月6日
広島市長 松井 一實
長崎市・平成29年長崎平和宣言(宣言文)
 「ノーモア ヒバクシャ」
 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える 122 か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000 発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15 万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして 72 年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。 語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の 7,400 の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。 被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 被爆者の平均年齢は 81 歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2017年(平成29年)8月9日
長崎市長   田上 富久
首相官邸・平成29年8月6日広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ
 本日、被爆72周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 今から72年前の、あの朝、一発の原子爆弾がここ広島に投下され、十数万ともいわれる数多の貴い命が失われました。街は一瞬にして焦土と化し、一命をとりとめた方々にも、言葉では言い表せない苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来も、容赦なく奪われました。
 このような惨禍が二度と繰り返されてはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み重ねていくこと。それが、今を生きる私たちの責任です。
 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。
 そのため、あの悲惨な体験の「記憶」を、世代や国境を越えて、人類が共有する「記憶」として継承していかなければなりません。昨年、オバマ大統領が、現職の米国大統領として初めて、この地を訪れ、被爆の実相に触れ、核を保有する国々に対して、核兵器のない世界を追求する勇気を持とうと力強く呼びかけました。核を保有する国の人々を含め、広島・長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れ、平和への願いを新たにする。若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。
 そして、各国の有識者の知見も得ながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら、援護施策を着実に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。  今や、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げられた、ここ広島市において、改めて、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げるとともに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
平成29年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三
首相官邸・平成29年8月9日長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
 本日、被爆72周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 一発の原子爆弾により、一瞬にして、7万ともいわれる数多の貴い命が失われたあの日から、72年がたちました。一命をとりとめた方々にも、耐え難い苦難の日々が強いられました。人々の夢や未来も、容赦なく奪われました。
 しかし、長崎の人々は、原子爆弾によって破壊された凄惨な廃墟の中から立ち上がり、たゆまぬ努力によって、素晴らしい国際文化都市を築き上げられました。
 この地で起きた惨禍が二度と繰り返されてはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み重ねていくこと。それが、今を生きる私たちの責務です。
 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。
 そのため、あの悲惨な体験の「記憶」を、世代や国境を越えて、人類が共有する「記憶」として継承していかなければなりません。昨年、オバマ大統領が、現職の米国大統領として初めて、広島を訪れ、被爆の実相に触れ、核を保有する国々に対して、核兵器のない世界を追求する勇気を持とうと力強く呼びかけました。核を保有する国の人々を含め、長崎・広島を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れ、平和への思いを新たにする。若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。
 そして、昨年12月、ここ長崎で開催された、核兵器廃絶に向けた国際会議での真摯な議論も踏まえながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら、援護施策を着実に推進してまいります。
 特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、改めて、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げるとともに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
平成29年8月9日
内閣総理大臣・安倍晋三
防衛省・平成29年版防衛白書(暫定版)広報ページ (PDFファイルでアップロードされています、HTML版及び電子書籍版は9月中旬に公開予定とのこと)

引用者はふりがなを外しました。漢数字をアラビア数字に置き換えた箇所があります。HTMLページとして編集しましたが内容は原文のままです。



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2016年06月01日、河川氾濫による洪水浸水想定区域の想定が改訂された、国土交通省情報 という記事を書いていたのを思い出して、今回の情報との関連を確認している時に、以下の記事に気付きましたので追記しておきます。
◇ 2017年03月28日 平成29年5月から富士川・釜無川の洪水時に緊急速報メールの配信がスタートします(国土交通省 関東地方整備局 甲府河川国道事務所)
 国の管理区間である「海から武⽥橋(⼭梨県韮崎市)付近までの範囲」が対象です。
 緊急速報メールとは、国⼟交通省(富士川・釜無川の河川管理者)が発表する洪水の情報を、対象の配信エリアにある個⼈のスマートフォンや携帯電話に⼀⻫に配信されるメールです。このメールが配信される時には、生命に関わる緊急性が非常に高い状態にあることを意味します。
 ※自動で配信されるため、登録等は必要ありません。

【編注】甲斐市、甲府市、昭和町、中央市、南アルプス市、韮崎市、市川三郷町、身延町、富士川町、静岡市清水区、富士宮市、富士市
・・・それぞれの地域住民に対して具体的に説明するPDFファイルがアップロードされています。既に各自治体から詳しい広報があったかもしれませんが、念のため。

富士川水系の新浸水想定区域公表(2017年07月31日 NHK甲府放送局ニュース 17時17分)

山梨県は、県が管理する富士川水系の10の河川について、1000年に1度の大雨を想定した新たな浸水区域を公表しました。
おととし(2015年)の水防法改正を受けて県は、県が管理する富士川水系の河川のうち荒川や芦川など10の河川について「洪水浸水想定区域」を見直し、(2017年7月)31日公表しました。
新たな浸水想定区域はこれまでの50年に1度から、1000年に1度の大雨を想定した浸水区域が示されています。
このうち甲府市や甲斐市などを流れる荒川では従来の2倍以上となる2日で810ミリの雨が流域に降るという想定となり、浸水面積は38平方キロメートルと従来のおよそ1.5倍に広がっています。
また、浸水が想定される区域に加え、堤防の決壊で住宅が押し流されるおそれがあるなど、特に危険性が高い場所を予想した「家屋倒壊等氾濫想定区域」も新たに公表されました。
流域の自治体は、今後、県が公表した浸水区域をもとにハザードマップの見直しを進めることになります。
県治水課は「避難場所や避難経路が変わる地域が出てくるので、自治体のハザードマップの見直し作業を全面的にバックアップしていきたい」としています。

このNHK報道を記録していて山梨県庁ページの探索は後回しにしていましたが、台風5号の影響による大雨、大月市での土砂崩れが報じられたりしましたのでソースを確認しました。

洪水浸水想定区域の改正について(2017年7月31日 ) これがNHKニュースの元でしょう。
 県の管理する河川のうち「荒川」など10河川の洪水浸水想定区域を公表しました。
 洪水浸水想定区域とは、該当する河川が氾濫した場合に浸水が想定される区域と水深を表示したものです。
 今回の公表は、平成27_2015年度に水防法が改定されたことを受け、既に公表されている洪水浸水想定区域図を見直したものになります。
 今後、山梨県ではこのデータを関係市町に提供します。
 市町ではすでに公表されている国管理河川のデータと県のデータをもとに、避難所や避難方法を示した「ハザードマップ」の見直しを行うことになります。
 公表図面等、詳細は関連リンクをご覧ください。

洪水浸水想定区域の改正について(2017年8月1日 ) 「公表図面等、詳細」の広報記事です。
浸水想定区域図、洪水ハザードマップ(2011年6月13日) 記事にあるように改訂予定です。

富士川流域浸水想定区域図(国土交通省 関東地方整備局 甲府河川国道事務所) ここにアップロードされたPDFファイルは 2017年3月21日作成の図面です。
平成27_2015年5月に水防法の一部が改正され、想定される最大規模の降雨を前提とした洪水浸水想定区域を河川管理者より指定・公表することとなりました。 富士川水系富士川(釜無川含む)、笛吹川、御勅使川、早川、塩川、日川及び重川の洪水浸水想定区域図等の情報を掲載します。

山梨県が8月1日に広報した10河川には早川は含まれていませんが、リニア新幹線工事の発生土置き場がありますので、ちょっと気になりました。
(1)荒川 (2)塩川 (3)境川 (4)滝戸川 (5)相川 (6)濁川 (7)平等川 (8)坪川 (9)滝沢川 (10)芦川



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オーストラリアで発生した第31海兵機動展開隊所属のMV-22オスプレイによる事故について(防衛省 2017年8月11日) 引用

オーストラリアでオスプレイ墜落事故がありました。沖縄駐在の第3海兵遠征軍がオスプレイ訓練中の事故だったようです。
Media Release #17-014: TRANSITION TO MV-22 MISHAP RECOVERY, SALVAGE EFFORTS By III MEF Public Affairs Office | 31st Marine Expeditionary Unit | August 5, 2017
III MEF Facebook 2016-08-06 10:54 600以上のコメントが入っています。

III MEF Marines オスプレイ事故報告
[ Facebook ]
 Keeping our families informed is of utmost importance to the Marine Corps. We have completed in-person notification to the families of the three missing Marines. All other personnel are accounted for and safe. Please keep these families in your thoughts and prayers during this difficult time.
海兵隊にとって、そのご家族の皆さんに情報提供を怠らないことは大変重要なことです。行方不明の海兵隊員3名のご親族に対しては直接のご報告を終りました。その他の隊員は全員無事です。苦しい時間を過ごしておられるご家族の方々を想い皆様も行方不明隊員の無事をお祈りください。(機械翻訳から意訳)
 31st MEU MV22B Osprey Mishap UPDATE
MARINE CORPS BASE CAMP BUTLER, Okinawa, Japan – On Aug. 6 at around 3:00 a.m. local time, the U.S. Navy and Marine Corps suspended search and rescue operations for three Marines involved in the Aug. 5 MV-22 Osprey mishap off the east coast of Australia. Operations have now shifted to recovery efforts. The next-of-kin for the three missing Marines have been notified.
8月5日にオーストラリアの東海岸で発生したMV-22 オスプレイ事故の救援にたずさわっていた米海軍と海兵隊は、8月6日午前3時(現地時間)に捜索作業を終結しました。この事は3名の行方不明海兵隊員のご親族にはお知らせ済みです。(機械翻訳から意訳)
 The transition comes after teams led continuous sustained search efforts supported by aircraft and ships. As the sea state permits, recovery efforts will be conducted to further search, assess and survey the area, in coordination and with assistance from the Australian Defence Force. Recovery and salvage operations can take several months to complete, but can be extended based on several environmental factors.
The circumstances of the mishap are currently under investigation, and there is no additional information available at this time.
航空機と船舶の支援を受ける捜索チームの持続的な捜索活動から確認できた段階でオーストラリア国防軍ADF支援のもとで、海洋状態の許す限り回収活動の拡大が想定されます。 回収引揚げ作業の完了には数ヶ月を要し環境の影響でその期間は延びます。
事故の状況は調査中です。当面お知らせできる情報は以上です。(機械翻訳から意訳)

北富士演習場にオスプレイ飛来の広報が無いかどうか確認している時に、この事故を知りました。在日米軍の発信する情報もブックマークしておきたかったので今後のために確認してみたものです。
第3海兵遠征軍の Facebook には驚きました。いろいろと勉強し直さないとダメだと痛感・・・

この件は後でマスコミ記事を確認してから更新するかも知れません。

August 7, 2017 Media Release #17-016: MARINE CORPS IDENTIFIES NAMES OF DECEASED MARINES IN MV-22 OSPREY
 Three U.S. Marines have been declared deceased subsequent to extensive search and rescue efforts when an MV-22B Osprey tiltrotor aircraft entered the water approximately 18 miles off the coast of the Shoalwater Bay Training Area, Queensland, Australia, the evening of August 5.
Deceased are: ---

今日の記事では乗員26名のうち23名は救出されたとして3名のお名前が公表されています。
この情報を伝えるFacebook にはコメントが多数入っています。ご冥福をお祈りします。
(日付時刻は米国の(太平洋)標準時によると思います。マイクロソフトの月例更新が毎月第2火曜日で日本では水曜日になるのと同じです) 以上8月8日 18:30 JST 追記

3 防衛省の評価

 今回の事故は、陸上への着陸よりはるかに複雑な、海上を移動中の艦船への着艦の最中に発生したものであること、米軍が事実関係及び事故発生までの状況を初期調査で確認し、MV-22の飛行は安全であると結論付けていること、MV-22に安全な飛行を妨げるような機械的、構造的及びシステム上の欠陥はないと米軍が認識していること、第31海兵機動展開隊が部隊の全隊員に対し安全及び運用の手順を再度徹底させたことを踏まえると、防衛省の知見に照らして、合理的な措置がとられているとみられ、米軍がMV-22の安全な飛行は可能であると説明していることは理解でき、引き続き安全に最大限の配慮をした飛行を求めていくことが妥当と考える。
 防衛省としては、米側に対し、本件事故の情報を開示し、現在実施中の事故調査が終了し次第、当該事故調査報告書を提供するよう求め、米側もこれを了承した。

私は飛行機の技術・工学的なことなど何も知りませんが、パソコンでも電子工学製品としては優れていてもオペレーティングシステムを含めたソフトに欠陥があったり、ユーザーには高度な ITの知識や操作の習熟が要求されるようだと、トラブルが生じやすいです。 ウィンドウズよりマックが使いやすいとおっしゃる人がおられるのも、そういう点があると思っています。私は Windowsパソコンが昔から欠陥製品だと分かっていても使っています。トラブルを生じさせない、生じても回復させられる程度の知識はあるつもりだからです。オスプレイも同様な視点から見ていくつもりです。純国産オスプレイを誕生させたらいいのにとも思います、静かで安くて安全で災害救援にも活用できるでしょう。もちろん民生輸出も。



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自由党サイトで 「第3次安倍第3次改造内閣発足をうけて」 平成29年8月3日 代表 小沢一郎 に気付いたので画像化引用しておきます。「全体の奉仕者」たるべき公務員が「一部の奉仕者」に成り下がっている・・・これを記録しておくのが目的です。
自由党小沢一郎 2017.08.03
第3次安倍第3次改造内閣発足をうけて
平成29年8月3日
代 表 小 沢 一 郎
いま内閣に問われていることは、総理の友人のための便宜供与や総理を守るための文書廃棄、口裏合わせ等の隠ぺい工作、そして、何よりそういうことを可能ならしめている公務員の「総使用人化」である。
「全体の奉仕者」たるべき公務員が「一部の奉仕者」に成り下がっているということである。
「トップ」が腐敗しているのだから、大臣を何人変えようが何の意味もない。内閣改造で人気取りをして何とか支持率を挽回しようという、総理の「さもしい願望」に過ぎず、醜すぎる。
安倍総理は内閣改造などという意味のないことをする前に、即刻「すべて」を明らかにしたうえで、今こそ潔く身を引くべき時である。
真に変えるべきは大臣などではなく、安倍総理その人であり、安倍政権そのものである。
衆議院本会議代表質問(2013年10月17日) 責任ある「健全野党」宣言、鈴木克昌代表代行・幹事長、これを読んだ時に私はこの党のリニア事業へのスタンスには疑問を持ちました・・・
 さて、話はかわりますが、最後に、被災地の復旧復興に支障を出さないことが前提ですが、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を我が国経済の発展の大きなチャンスとするため、2027年開業予定の東京―名古屋間リニア中央新幹線を前倒しして、2020年までに国家プロジェクトとして開業させることで、宿泊、交通等が分散でき、首都圏、中部圏が一体となった開催が望めると思いますが、よい公共事業の例として、総理の所見をお聞かせください。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 鈴木克昌議員にお答えをいたします。

 2020年オリンピック・パラリンピック東京大会及びリニア中央新幹線についてお尋ねがありました。
 リニア中央新幹線を2020年東京大会までに開業させることについては、JR東海が技術的な観点からなかなか難しいとの考えを示しているものと承知をしておりますが、御指摘のように、東京大会は、これまでの縮み志向の経済を払拭する大きなチャンスとなるものと考えております。
 政府としては、2020年の大会が、東京のみならず、首都圏や中部圏も含め、日本全体が活力を取り戻す弾みとなるよう、しっかりと取り組んでまいります。【185 - 衆 - 本会議 - 3号 から抜粋】

2013年9月に環境影響評価準備書が公開され、10月には各地で環境影響問題の審議が始まっていた時です。
鈴木克昌氏や自由党自身がこの当時、リニア中央新幹線事業についての理解がどの程度だったのかは判りませんが、愛知県選出議員としては当然の発言だったのでしょう。鈴木克昌氏は生活の党を離れて民進党に戻ったようです。
今の自由党がリニア中央新幹線事業の実相をどの程度に理解しているか、私には不明です。時間でもあれば別な方法で調べておきたいとは思っています。

山梨県では自由党は無縁だと思いますが、共同代表の 山本太郎さん 2016-10-12記事 のファンはおられると思います―山本太郎となかまたち

自由党のリニア事業対応はオイトイテ、小沢さんのメッセージがJR東海の下請け仕事に没頭している地方公務員の姿(私がネットから知り得る限り)に重なったので、政治・社会カテゴリーの記事です。小沢さんが沿線地域リニア事業担当公務員の実相をご存じかどうかは知りません。



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