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戦争体験・証言をどう受け止め、継承するか
日 時  2017年8月15日(火)14:00~16:00
会 場  ぴゅあ総合(山梨県立男女共同参画推進センター)
      山梨県甲府市朝気1-2-2
内 容  証 言 北朝鮮からの引き揚げ体験 : 高橋惟文さん(元山形県立高校教員)
     演 劇 峠の少女 : 脚本・演出 水木亮さん(劇作家)
参加費  500円
主 催  NPO法人山梨平和ミュージアム(YPM・石橋湛山記念館)
      山梨県甲府市朝気1-1-30/電話:055-235-5659

 戦後72年の夏がやってきました。戦争体験の風化が進む中、改めて戦争体験、証言の次世代への継承が重要になってきています。
 戦前戦後、満州・北朝鮮で苦難の体験をされた高橋惟文さんに山形からお出でいただき、貴重な証言をして頂きます。
 また、劇作家・水木亮氏の脚本・演出による演劇「峠の少女」により、北朝鮮からの脱出の状況をリアルに再現していただきます。
どうぞご参加ください。

北朝鮮からの引き揚げ体験
 1945年7月、満州の新京で暮らしていた私たち一家は、ソ連軍の対日参戦を想定して朝鮮半島に疎開し、朝鮮北部の港町にたどり着いた日が終戦。そこはただちにソ連軍の占領下におかれ、日本人は難民収容所に入れられた。その日から、酒に酔ったソ連軍兵士たちが毎晩のようにやってきて無理難題を吹っかけた。彼らを追い返すため、老眼鏡や腕時計、万年筆などをかき集めてはソ連兵の機嫌を取った。そのような日が約1年続いた後、漁船を買収してようやく祖国に引き揚げることができた。「五族協和」「愛国の花嫁」のスローガンに踊らされた両親は、一片の疑いもなく渡満したのだった。「戦争責任」は、国策に盲目的に従った国民自身にもあると思われます。
演劇「峠の少女」
 昭和20年8月敗戦。朝鮮に取り残された日本人は20万人。日本を目指して脱出が始まる。男達は軍に駆り出されていたので、女子供、年寄りの苦難の脱出である。38度線はソ連軍により封鎖され北朝鮮からの引き揚げ者はおよそ3万5千人が殺人、暴行、飢餓、発疹チフスなどで亡くなった。ソ連軍による強姦や略奪、朝鮮人保安隊の厳しい検閲、激しい反発に遭いながら、引き揚げ者達は集団となり、アメリカ軍が救援してくれる38度線を目指して、列車や舟、徒歩での死の逃避行が始まった。再び、もときた道に戻ろうとする日本の今、この演劇「峠の少女」を、満州や朝鮮に取り残され、祖国日本の土を踏むことが出来ず、置き去りにされ無念の死をとげた日本人引き揚げ者の、赤ちゃん、少年少女、娘さん、お母さん、お父さん、お爺さん、お婆さんに捧げたい。

イベント・講座情報 | やまなしNPO情報 掲載のPDFファイルと 平和の港(山梨平和ミュージアム・ブログ) を参照し引用させていただきました。



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インタビューするのも仕事である記者さんにインタビューしたというのも興味深いです。

 望月衣塑子記者は 2017-08-02 記事 平和を願う山梨戦争展@山梨県立図書館 8月3日~8日  でご案内した8月3日の講演会で来甲された方です。私は時間が無くて行かれませんでした、残念です。

望月さんは武器輸出の問題の取材を続けておられて、教育基本法の改正で愛国心とか道徳とかナショナリズムを全面出す形に法律が変わった事に大きな動きを感じられたと。
前川喜平前文科事務次官にインタビューもされていて、前川さんから教育基本法改正により政権に疑問を感じるようになったという話も引出しておられたようです。
私が見るのはもちろん声を聞くのも嫌なのですが、記事で読むあの話し方を「菅話法」というようです、初めて知りました。今度テレビ・ニュースに出て来たら我慢して聞いてみよう。
「長官を攻める私でも、夫婦ゲンカは受け身です」東京新聞・望月衣塑子記者インタビュー#2(2017年8月12日)



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松代大本営など戦争遺跡調査 たなざらし状態に(信濃毎日新聞 2017年8月12日)
 松代大本営地下壕(長野市)を含む全国51カ所の「戦争遺跡」を対象に文化庁が実施した詳細調査が、2005年度の実質終了から12年たった今も、取りまとめや公表の見通しが立たず「たなざらし」の状態となっていることが11日、分かった。信濃毎日新聞の取材によると、51カ所のうち大本営地下壕を含む34カ所は文化財指定を受けていない。戦争の記憶継承の重要性が増す中で、国の姿勢が戦争遺跡の保存や活用を停滞させている。
 同庁は、10年以上も報告書をまとめない理由について、「文言を調整中で、慎重に検討しているため」(記念物課)と説明する。ただ、戦争遺跡の保存に関わる関係者からは「沖縄など一部の遺跡の記述を巡り、政府内で慎重論が出て、公表できなくなった」との指摘が出ている。
 文化庁は、1995年の文化財保護法改正で、明治期から第2次世界大戦終結ごろまでの比較的新しい遺跡が文化財指定対象に加わったことを受け、保存・公開を後押しし始めた。有識者でつくる同庁の検討会は02年、地元自治体の意見などを基に詳細調査する遺跡を選定。03〜05年度にかけ順次、調査を進め、03年には松代も調査した。
 長野県教委への情報公開請求や文化庁への取材、戦争遺跡の保存・活用に取り組む「戦争遺跡保存全国ネットワーク」(事務局・長野市)が昨年まとめた資料などに基づくと、51カ所は松代大本営地下壕のほか、「陸軍第九技術研究所」(登戸研究所・川崎市)、「大津島回天特別攻撃基地」(山口県周南市)など。このうち、これまでに一部か全部が国指定文化財になっているのは幕末〜明治期の3カ所。市町村指定などの文化財が含まれる例は14カ所とみられ、松代大本営地下壕を含む34カ所は文化財になっていない。
 同庁は13年、全国の自治体に対し、国の調査報告の公表を待たず、自治体が主体的に戦争遺跡の史跡指定や保全を検討するよう通知。ただ、自治体側は、方針転換とも映る国の姿勢を疑問視し、「責任を持って歴史的な評価を示すべきだ」(長野市の樋口博副市長)との受け止めが強い。
 戦争遺跡保存全国ネットワークは早期公表を求めている。共同代表の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)・山梨学院大客員教授(72)=東京=は「戦争遺跡は国民の共有財産。戦争の記憶を伝える人が少なくなっていく中、保全などの取り組みが急務だ」と指摘している。

山梨県の戦争遺跡に関心があり、いくつかの記事を読んだことがあります。先日は十菱駿武氏など研究者の方々による山梨学講座も開催されたのですが、私は参加できませんでした。信濃毎日新聞記事に気付いたのでメモして、この件は後日確認し整理する予定です。



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