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NHK 能登半島地震 被災地からの声(随時更新)
 2024年元日、家族や知人がそろい1年の安全を祈る日。最大震度7の能登半島地震は、その平穏な時間を突然奪いました。地震発生直後からNHK取材班が聞かせていただいた遺族や被災者、被災地で活動されている方々の声です。
NHK 令和6年能登半島地震 最新情報
 2024年1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登半島を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生しました。地震や津波による被害の情報や最新ニュースなどをまとめています。
特集記事 相次ぐ災害 教訓を忘れないために NHKのこのサイトで
 能登半島地震 被災地からの声(随時更新) のメッセージとして書かれていました・・・
 能登半島地震の発生直後からNHK取材班が聞かせていただいた遺族や被災者の証言、声です。2024年元日、最大震度7の能登半島地震は、家族や知人がそろい1年の安全を祈る平穏な時間を突然奪いました。お話を聞かせていただいた日時ごとに随時更新でまとめていきます。

能登半島地震に関するNHK記事を重要と感じていますが、このようなメッセージを拝見すると綿密な報道を益々有難く思います。

2024年7月 1件
2024年7月3日 18時26分 「1分、1秒が宝物」あの日で時間が止まってほしかった
 昨日は、久々に仕事に行ってきました。
 そして、自宅に帰ってきたら誰もいない家で涙が止まらなくなりました。
 写真も選ぶことができなくて、投稿をさぼりました。今日はなんとか投稿します。
 時間がたってもなんにも変わらない。だんだんきつくなってきたな。
 飲めない酒飲んで明日に備えよう。みんな大好きだよ。
【全文お読みください】
NHK事件記者 「どうして代わってあげられなかったんだろう」妻と子ども3人を失った警察官は (2024年2月1日)
【全文お読みください】 この記事は上の2024年7月3日記事と同じご家族さんに関する記録です。

2024年4月 7件
2024年4月24日 6時00分 「まさかこれが助かってくれるとは」がれきから出てきたものは
 倒壊した珠洲市の自宅。
 ボランティアにお願いして、貴重品や思い出の品を探してもらいました。
 出てきたのは大きな箱。中はきれいな状態のままです。
 飾る時期は過ぎていますが、「宝物」が見つかったことが少しだけ前を向かせてくれました。
【全文お読みください】
2024年4月19日 14時47分 ばあちゃんの花が咲いた 焼け跡で見つけた希望
 「ばあちゃんが咲かせてくれたのかな。ちゃんと生きていれば、また花は咲くよって」
 あの元日の大地震で、自宅が全焼した夫婦。その約2か月後、92歳の母親を看取りました。
 希望を失った2人。その後、前を向くきっかけをくれたのは、自宅の焼け跡で見つかった母親自慢の花々でした。
【全文お読みください】
2024年4月9日 19時23分 「無理、もう無理や」それでも、できるものならこれだけは…
 お店は無くなりました。
 家も建ってはいるけど、次また来たらどうなるかわからない。
 でも、だから「はい、さよなら」っていうわけにはいかない。
 できるものなら、できるものなら…。
 最低限、これだけはしないといかんという思いだけはあって。
【全文お読みください】
2024年4月9日 17時53分 「今まで、ちょっと少なかった」通常どおりの給食再開に感謝
 「今までコンビニのおにぎりだったり、ちょっと少なかった」
 温かく作りたての給食に、子どもたちの顔がほころびました。
 石川県七尾市の小中学校で、いつもどおりの給食が再開。
 小学6年の女の子はこう話しました。
 「給食の人が、毎日作ってくれることのありがたさに気づきました」
【全文お読みください】
2024年4月8日 20時53分 入学式 2次避難先の両親と離れ、輪島市の学校へ入学する子も
 「楽しみです。うん」
 入学式を迎えた新1年生の男の子。恥ずかしがりながらも、元気よく答えてくれました。
 両親が暮らす2次避難先の石川県加賀市から輪島市へ。祖父母が暮らす市内の避難所から、小学校に通います。
 被災地の新学期、子どもたちの声を聞きました。
【全文お読みください】
2024年4月3日 6時05分 今も残る父の「冷たい手」の感触 一緒に飲むはずだった花見酒
 今も突然思い出すことがある。
 地震のあと救出された時の、父の冷たい手の感触を。
 どうしても震災前のような心境にはなれない。
 桜が花を咲かせているのも、きれいで癒やされる部分はあるけど、ちょっとしんどい部分もある。
 時間は進んでいるけど、被災した現状は何も…と。
【全文お読みください】
2024年4月1日 18時05分 一度は辞退した内定 それでも、被災した地元で働く道を選んだ
 能登町に本店を置く信用金庫に新たに採用された、
 一度は内定を辞退し、県外の別の企業に就職予定でした。
 しかし地震を経て、改めて採用を願い出ました。
 「地震が起きて地元がとても被災して。その中で、近くにいたかったっていうのが一番の思いです」
【全文お読みください】
2024年3月 18件
2024年3月28日 6時03分 「特別なものではなく、ただ日常を取り戻したいだけなんです」
 眠れない。食べられない。起き上がれない。
 言いようのない虚脱感にさいなまれる。そんな状態が、10日間ほども続きました。
 経営する民宿が被災し、心身の不調を経験した珠洲市の女性がインタビューの途中、ふとこう漏らしました。
「何も特別なものではなく、日常を取り戻したいだけなんです。いったい元に戻りつつあるんだろうかって、本当に思います」
【全文お読みください】
2024年3月26日 20時46分 「造れると思わなかった…」被災した酒造会社の新酒は
「まず、造れると思っていなかったんですよ」
 輪島市の酒造会社の杜氏は、新酒の味にほっとした笑顔を見せていました。
 小松市の酒造会社の設備を借りて酒造りを再開、「初搾り」を迎えました。
 酒造りに使ったのは、倒壊した蔵から取り出したお米です。
【全文お読みください】
2024年3月21日 21時09分 「涙が出ました、おいしかった…」輪島の老舗食堂が仮店舗で
 カツ丼を食べながら、涙を流す人がいました。
 地震で半壊し、営業休止を余儀なくされていた石川県輪島市の老舗の食堂。
 輪島市の中心部で、昭和初期からおよそ100年続く「萬正食堂」は、元日の地震で店舗が半壊するなど大きな被害を受け、営業休止を余儀なくされました。
【全文お読みください】
2024年3月19日 18時01分 「まだまだ時間がかかりますが…」ろうそく店が仮店舗で再開

【全文お読みください】
2024年3月16日 6時00分 「もっと見たかったのに…」36歳で逝った輪島塗職人の作品は
 36歳の輪島塗の若手作家でした。
 独創的な作風が評価され、数多くの作品を手がけましたが、多くは地震のあとの火災で焼けてしまいました。
 知人夫妻のもとをたずねると、残された作品を見せてもらうことができました。
 地震からひと月半が過ぎた2月16日。
 石川県が発表した死者の名簿に、その名前はありました。
【全文お読みください】
2024年3月13日 18時05分 「彼が守ってくれたから」珠洲で400年 塩田の風景、絶やさない
 地元に400年以上続く手法で塩づくりを行う職人でした。
 その塩にほれ込みました。
 「よそ者」だった私に塩づくりを教えてくれました。
 師であり、兄のよう。彼の遺志を継ぎ、この能登の景観を、伝統を、残していきたいと思いますー
 女性はそう語りました。
【全文お読みください】
2024年3月8日 6時05分 ギャラリーの涙
 ギャラリーで1人、涙が止まらなくなりました。
 「これ、親父のです」
 展示されている作品は地震で行方不明になっている父が作ったものだと伝えると、ギャラリーの男性から「作品を譲りたい」と申し出を受けました。
 けれど、あえて「そのままでお願いします」と伝えたのです。
【全文お読みください】
2024年3月7日 21時05分 「もういっぺんやっていこう」被災した本屋 教科書販売へ準備
 石川県珠洲市の創業75年の書店。能登半島地震で店舗が大きく被災しました。
 「地域の本屋さんとして子どもたちの笑顔を見たい」
 その思いから、4月の新学期を前に高校生に教科書を販売できるよう仮店舗での営業再開に向け、準備を進めています。
【全文お読みください】
2024年3月7日 5時58分 「父が亡くなったというのは、絶対、心の中で消えない」
 金沢市に住む場崎博之さんは輪島市の実家で1人で暮らしていた父親の鷹峰(ようほう)さんを地震で亡くしました。
 場崎さんは今、家主のいなくなった実家で、毎週のように片づけを続けています。
 「自分もやっぱり整理つけたいんですけど、父が亡くなったというのは絶対、心の中で消えないことなので」
【全文お読みください】
2024年3月6日 12時06分 「今日も一日 見守っててください。じゃあ、行ってきますね」
「本当に無念で、残念でなりません」 「2人が亡くなったことは、まだ納得できない」
最初に取材させてもらったとき、こう話していました。 夫と義理の母を亡くし、毎日のように泣き続けていました。 一度は県外へと離れた女性。その後のことを話してくれました。
【全文お読みください】
2024年3月2日 20時26分 石川 輪島 妻と娘亡くした男性「地震から2か月 何も変わらず」
能登半島地震で7階建てのビルが倒壊して自宅が巻き込まれ、妻と19歳の娘を亡くした石川県輪島市の男性が2日、自宅を訪れ「ここに来ると気持ちは1月1日のままで、地震から2か月というけれど気持ちも何も変わらない。朝起きると妻と娘がいるんじゃないかという気がして、時間だけが過ぎていく」と話しました。
【全文お読みください】
2024年3月2日 19時08分 地震で海底隆起 石川 輪島の海女 素もぐり漁できず「支援を」
能登半島地震で海底が隆起するなどして、港から漁船を出せなくなっている石川県輪島市では漁業者が苦境に追い込まれ、海女による伝統の素もぐり漁もできなくなっています。海女の女性は「自分たちの代で輪島の海女漁を終わらせたくないので、支援をお願いしたいです」と訴えています。
【全文お読みください】
2024年3月2日 16時27分 珠洲市に3年前に移住した私が、いま写真を募集するわけ
地震から2か月。
3年前に石川県珠洲市にほれ込んで移住した男性が、SNSで、ある募集をスタートさせました。
【全文お読みください】
2024年3月2日 6時04分 「これはダメやなと思って…」ホテルから避難所へ戻った理由は
 「やっぱりここでなきゃいかんなと思ってます」 そう話すのは石川県珠洲市の男性の99歳の父親です。 先月、一緒に2次避難先のホテルへ行きましたが、元いた避難所へ戻ってきました。 生活環境が整ったホテルではなく、段ボールのベッドを使う避難所を選んだ理由を聞きました。
 地震と津波で自宅が
「津波が来るよー」
 環境のいい2次避難先へ しかし…
「親父が納得すればそこが一番

石川県によりますと、能登半島地震のために地元を離れホテルなどの宿泊施設に2次避難している人は、2月29日の時点で4700人余りにのぼるということです。
【全文お読みください】
2024年3月1日 21時27分 地震で被害 県立輪島高校が金沢市で卒業式 校長がエール
 能登半島地震で被害を受けた石川県輪島市の県立高校の卒業式が金沢市に場所を変更して行われ、久しぶりに再会した卒業生たちが新たな門出を迎えました。
輪島市の県立輪島高校は、能登半島地震で体育館の一部が壊れ、3年生のおよそ3分の2が市外に避難していることなどから、会場を金沢市の県立音楽堂に変更して1日卒業式を行いました。
 平野敏校長「いつの日か帰っておいで」
 卒業生代表 村本さん「ともに力強く歩んで」
 卒業する生徒「ここから復興してほしい」
【全文お読みください】
2024年3月1日 18時59分 36歳で2度目の被災 熊本地震のつながりで古民家の民宿再建へ
 「本当に信じられないですね」 36歳で2度の大きな地震に遭った男性は、そう繰り返しました。 そのことばには正反対の2つの意味がありました。
 築200年の古民家 改修した矢先に
 熊本地震の“つながり” また支援が“つながり”
【全文お読みください】
2024年3月1日 12時15分 「とにかく外に出ろ」と言えばよかった…妻亡くし今なお苦しみ
 地震で亡くなった、竹園波津枝さんです。
 最初の揺れの直後は、まだ携帯電話でやりとりができていました。
 夫の親義さんは今もその時のことを思い出すと言います。
「最初の電話で『外に出て』って言えば、出ていたと思うんです。『とにかく外に出ろ』って言えば」
【全文お読みください】
2024年3月1日 7時23分 「珠洲が一番いい場所」能登半島地震から2か月 地元に残る男性
 能登半島地震の発生から1日で2か月です。石川県珠洲市で古くからの銭湯を受け継いできた男性は、被災後も地元に残り、「珠洲が一番いい場所で、どこにも移りたくない」と住み慣れた場所への強い思いがあります。
【全文お読みください 珠洲市=Suzu City】
2024年2月 36件
2024年2月28日 20時09分 「遠くに行っちゃって寂しい…」離れた友だちと会える日は
石川県珠洲市の沿岸部、日本海に面した大谷地区。 地震で道が寸断され、一時、孤立状態となりました。 再開した学校に通う児童・生徒は、地震前の23人から9人ほどに減少。 残った子どもたちに、離れた友だちのことを聞いてみると…。
「今度、会いにいく」
「オンラインでできないことを」
「いつか会えると思う」
 地域の人たちは

「この子らのためになんか、なんかしてやろう、なんかしてやろうとみなさん積極的に動いてくださいますし、子どもたちのおかげで、地域も元気を頂いています」
 3月12日、大谷小中学校は卒業式を迎える
【全文お読みください】
2024年2月26日 20時16分 「まだここに住みたかった…」珠洲市 緊急の公費解体始まる
「ここはわれわれの城みたいなもの。まだここに住みたかった」 70年近く住んだ住宅は道路に向かって傾き、「危険」と書かれた赤い貼り紙が貼られています。 朝8時過ぎ、トラックが横付けされ、残された家具や思い出のアルバムなどが運び出されました。

 緊急で解体する作業が始まったのです。
 始まった緊急の「公費解体」
「ごみのように見えますけど、ごみじゃなくて」
 なぜ解体進まない?背景は
 内灘町でも「公費解体」の申請開始
【全文お読みください】
2024年2月26日 19時16分 「無理やりにでも開院」断水の中、給水支援で歯科医院が再開
 「困っている人が1人でもいるなら、無理やりにでも開院するっていうのが正しい選択だと思って」
 地震の影響で断水が続いている石川県輪島市では一部の歯科医院が給水の支援を受けて診療を再開しています。
 水がないために口の中のケアを十分に行えなかった人たちが診療を受けています。
 2日に1度、給水受けながら
「一生懸命、自分の職務を」

この歯科医院では、ほとんどの従業員が被災しながら働いているということです。
【全文お読みください】
2024年2月25日 15時46分 焼け跡から“ラーメンのずんどう鍋”店再建を誓う 石川 輪島
 町中華「香華園」地元のにぎわいの場
 全焼した店に「ごめんな」
 焼け跡から見つかった“ずんどう鍋”
 再オープンは「朝市通りで」
 被災地の飲食店 厳しい状況に直面
【全文お読みください】
2024年2月23日 10時55分 「毎日、毎日ずっとやな」壊れたわが町 解体業者が足りなくて
「毎日、毎日。8時半から5時まで。こんな生活ずっとやな」
 従業員全員が住む場所を失った解体業者の社長。
 家族には遠方への避難を勧められた。
 しかし、彼はそこにとどまり、連日、朝から晩まで重機を動かす。
 動かさざるをえない、と思っている。
【全文お読みください】
2024年2月22日 18時04分 「ことしで97歳」20年暮らした母と乾杯、その数時間後に
「ことしで97歳だ」
 元旦、息子と2人で新年の乾杯をした母。うれしそうな表情を見せていました。
 地震が来たのはその数時間後でした。
 1回目の揺れのあと、2回目の激しい揺れで、直前まで母といた母屋が崩れ落ちていました。
 「いまも夢か現実かわからず、別の世界に来てしまったような感じです」(息子の勉さん)
【全文お読みください】
2024年2月22日 18時26分 朝ドラ「まれ」主題歌が能登半島地震の“復興のメロディー”に
 あの日、大きな揺れで一変した、吹奏楽団の部室。指揮台の向こう側にいるはずの、生徒の姿はありません。
 「日常が全部なくなって、毎日が悪夢みたいだ」
 そう感じていたときに聴こえてきたのが、あの曲でした。
 ことし1月に発生した、能登半島地震。
 石川県輪島市にある日本航空高校石川も被災し、校舎での授業や部活動もできなくなりました。
【全文お読みください】
2024年2月21日 16時13分「おやじは俺がみとらにゃならん」そのために帰ってきたのに
 倒壊した自宅から見つかったアルバムの中の、父の写真。 「おふくろが亡くなった時に、おやじから帰ってきて欲しいと頼まれて」 それから20年、ずっと父と2人で暮らしてきました。 「おやじは俺がみとらにゃなと思ってたんですけど、こういうことになってしまって…」
 元日、勤務先の介護施設で
「そうですか」としか言えなかった
「何事もない生活がおやじのため」
【全文お読みください】
2024年2月20日 16時57分 「ひとりで移動できない」避難所で想像もしなかった苦労が
「ひとりで歩きたい。みんなが困っている時だからこそ、みんなの手をかけないように、自分で移動したいのに…」
 視覚に障害がある男性のことばです。
 いま3か所目の避難所で暮らすこの男性。被災後、想像もしていなかった苦労に直面しました。
【全文お読みください】
2024年2月20日 18時23分 「なくしたくない」地域の憩いの場 “銭湯” 地震で存続の危機
 地震は、地域の憩いの場として親しまれてきた “銭湯”のありようも変えようとしています。
 能登半島地震で大きな被害を受けた石川県では、被害を免れた施設を使って入浴のサービスを提供し始めた銭湯がある一方で、存続の危機に立たされている銭湯もあります。
【全文お読みください】
2024年2月19日 20時41分 「店を再開していいのか」迷いの中、街の人の声に支えられ…

【全文お読みください】
2024年2月18日 18時34分 「母が助けてくれたのかな」一緒に居間にいて救助された娘

【全文お読みください】
2024年2月17日 20時24分 食べられなかったおせち 見つからない重箱の3段目は…

【全文お読みください】
2024年2月15日 16時40分 がれきから見つかった将棋の駒を棋王戦に「妻も楽しみに」

【全文お読みください】
2024年2月15日 18時21分 17日後、夢に出てきてくれた母「遅すぎるよ、でもありがとう」

【全文お読みください】
2024年2月14日 19時25分 「やめたらダメや」日記に記したふるさとへの思い

【全文お読みください】
2024年2月14日 17時27分 被災した運転手が支えるバス「少しずつ前に」【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月13日 16時01分 「受験頑張るんだよ」前夜励ましてくれた“輪島のばあちゃん”

【全文お読みください】
2024年2月12日 15時02分 見つかった結婚指輪「また一緒にならんかいえ」【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月11日 16時38分 「なんであんただけ先に逝ったんや」弟へ【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月10日 20時54分 救急車も助けも来ない「本当にごめんなさい」【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月9日 19時37分 「最後の最後までかっこいい父ちゃんやったな」

【全文お読みください】
2024年2月8日 20時23分 パティシエ 辻口博啓さんから広がる“甘い”支援の輪

【全文お読みください】
2024年2月8日 19時43分 もう車は動けない…6人救った介護職員の判断は【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月8日 19時39分 石川 輪島 妻と娘亡くした男性 思い出の品“一生大事に”

【全文お読みください】
2024年2月7日 19時20分 冗談だよって出てきてくれたら…兄弟仲だった消防団員の最期

【全文お読みください】
2024年2月7日 17時26分 ヘリで全員脱出の集落「すぐにでも戻りたい」【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月6日 19時30分 孤立で救助来ず 自宅に「父ちゃん」呼び続け【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月5日 21時01分 「いつもみたいに、笑顔で名前を呼んで欲しい」【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月4日 14時50分 「やっぞ(やるよ)!能登町」元気が出るように【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月3日 16時49分 停電しランタンで…それでも休まないスーパー【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月2日 19時46分 助けられなかった娘「ごめん」見つかった遺品は【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月1日 証言 当事者たちの声 「どうして代わってあげられなかったんだろう」妻と子ども3人を失った警察官は

【全文お読みください、長文です】
2024年2月1日 16時10分 「一緒に卒業するんやぞ」地震で失った級友へ【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月1日 12時37分 父の右手は固く握りしめられていた【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年2月1日 特集記事 孤立、別れ、とどまる決意 海沿いの集落の1か月
 動画に映されていたのは、孤立に耐え再生を誓う、ある集落の姿です。
「それでも、能登にとどまる」
 動画を撮り続けたのは、1人の住民の男性。ふるさとと向き合った1か月の記録です。
【全文お読みください、長文です】
2024年1月 19件
2024年2月1日 19時57分 妻よ 息子よ どこに… 鳴らし続けた妻の笛【被災地の声 31日】

【全文お読みください】
2024年1月30日 15時00分 土砂の中から弟の写真「早く顔を見せて」【被災地の声 30日】

【全文お読みください】
2024年1月29日 19時11分 「こういう被害あることを、知って欲しい」【被災地の声】

【全文お読みください】
2024年1月27日 14時35分 「最後まで頑張った息子が本当に誇り」【被災地の声 27日】

【全文お読みください】
2024年1月26日 17時14分 2次避難先 食事提供なく 避難所戻る人も【被災地の声 26日】

【全文お読みください】
2024年1月25日 18時52分 水なく「モーモーモー」200頭飼育の牛舎は【被災地の声 25日】

【全文お読みください】
2024年1月24日 19時14分 「会社もすごい被害、戻れないです」【被災地の声 24日】

【全文お読みください】
2024年1月23日 15時07分 自宅前の道路崩落「ドア前がすぐ崖に…」【被災地の声 23日】

【全文お読みください】
2024年1月22日 20時30分 濁流にのまれた孫娘を水中から救出 その時【被災地の声 22日】

【全文お読みください】
2024年1月21日 21時31分 実家倒壊「助けを呼んで」母の声 しかし…【被災地の声 21日】

【全文お読みください】
2024年1月20日 14時41分 建物倒れ父が…「現実受け入れられない」【被災地の声 20日】

【全文お読みください】
2024年1月19日 14時31分 救助後亡くなった母 「ゆっくり休んで」【被災地の声 19日】

【全文お読みください】
2024年1月18日 19時26分 2週間以上風呂入れず…「生き返るわい」【被災地の声 18日】

【全文お読みください】
2024年1月17日 18時40分 「別れたくない…でも母は健康でいて」【被災地の声 17日】
「悲しいけど、寂しいけど、おふくろには健康でいてもらいたいって思いで」
 同居する母には2次避難してもらい、自分は被災地に残ることを決めた男性のことばです。
【全文お読みください】
2024年1月16日 19時10分 津波にのまれ一命とりとめ「申し訳ない」【被災地の声 16日】
「もうだめかな、と思いながらもがいているうちに、すーっと波が引いて」
 珠洲市で津波にのまれながら一命をとりとめた男性のことばです
【全文お読みください】
2024年1月15日 18時54分 「怖い…でも我慢してここにいようと」【被災地の声 15日】
 被災地では依然1万9000人あまりが避難所に身を寄せていますが、中には被災した自宅にやむをえずとどまり続けている人たちもいます。
 地震から2週間。石川、富山、新潟で、取材にこたえてくださったみなさんの声をまとめました。
【全文お読みください】
2024年1月13日 20時11分 「いつ帰れるのか…」孤立集落からヘリで全員避難 その時
「これからどうなるのか、不安の中で地区を離れました」
 孤立状態が続いた石川県輪島市深見町では、ヘリコプターによる救助で全員が集落を離れた地区があります。
 孤立の中での避難生活の様子や、地区全員での避難を決めた際の詳しい状況などを、避難した61歳の男性が話してくれました。
【全文お読みください】
2024年1月12日 13時23分 「ゆっくり休む場所なく インフル感染も」【被災地の声 11日】
 元旦の突然の地震から10日がたちました。
 多くの人が日常を奪われ、今も各地の避難所などで避難生活が続いています。
 大変な状況の中で取材にこたえてくださった被災地の方々の声をまとめました。
【全文お読みください】
2024年1月10日 20時10分 「悔しいのひと言 命助かっただけでも」【被災者の声 10日】
 今回の地震では多くの人が突然日常生活を奪われ、各地の避難所などで避難生活が続いています。
 大変な状況の中で取材にこたえてくださった被災者の方々の声をまとめました。
【このシリーズの最初と思えます。全文お読みください】


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