「芸術は爆発だ!」で知られる岡本太郎は自宅兼アトリエでカラスを飼っていました。その理由についてエッセイで次のように書いています。
私は動物を飼うことは、どだい、あまり好きでない。変に人間になれた、愛玩用の動物のいやたらしさ、人間のために作られて、人間の気に入るようなポーズを心得ている。人間的な卑しさ。
ところがわがカラスは、かなり人になれているのだが、しかし毅然として人間と対決している。自分の立場をはっきりとっているという感じだ。かわいがられるときは、平気でかわいがられるが、決して媚びることはしない。そこが私にはたいへん魅力だ。
誰でも知っている岡本太郎の作品といえば大阪万博のシンボル「太陽の塔」でしょうが、あのモデルはカラスなのだそうです。
岡本太郎の秘書であり養女でもある岡本敏子さんが『太郎さんとカラス』という本を出しています。内容は、太郎自身のエッセイや対談、敏子さんのエッセイなどカラスや自然に関するテキストと、太郎とカラスの2ショット写真。
その中に、ある人が太郎に「どうしてあんなものを思いつかれたのですか?」と尋ねたら、「太陽の塔? あれはカラスだよ」と答えたというエピソードが記されています。
「カラスを飼っていらしゃるそうですね?」と聞かれると、「飼ってないよ、一緒にいるだけだ」と答えたとか。鎖をつないで凧揚げのように飛ばしながら散歩したり、逃げないように羽を切っていたそうですから、客観的には飼っていたわけですが、この芸術家の主観としては「一緒にいた」ということなのでしょう。敏子さんも次のように書いています。
ほんとうに、飼主とペットという、愛着だの、もたれあい、慣れあいの気配は、そこには全然なかった。双方、毅然として、独立自尊、誇り高く、だが孤独者同士の共感が通じあう。見ていても、いいなあと思わせる素敵な関係だった。
「ガアガア」と鳴くので「ガア公」と名づけたらしいので、種類はハシボソガラスでしょう。写真を見てもそのようです。
以前、ピカソがフクロウを飼っていたことをご紹介しましたが、インパクトの強い画風や立体作品も多く手掛けたことなど、東西の天才芸術家2人には共通点があるようです。
私は動物を飼うことは、どだい、あまり好きでない。変に人間になれた、愛玩用の動物のいやたらしさ、人間のために作られて、人間の気に入るようなポーズを心得ている。人間的な卑しさ。
ところがわがカラスは、かなり人になれているのだが、しかし毅然として人間と対決している。自分の立場をはっきりとっているという感じだ。かわいがられるときは、平気でかわいがられるが、決して媚びることはしない。そこが私にはたいへん魅力だ。
誰でも知っている岡本太郎の作品といえば大阪万博のシンボル「太陽の塔」でしょうが、あのモデルはカラスなのだそうです。
岡本太郎の秘書であり養女でもある岡本敏子さんが『太郎さんとカラス』という本を出しています。内容は、太郎自身のエッセイや対談、敏子さんのエッセイなどカラスや自然に関するテキストと、太郎とカラスの2ショット写真。
その中に、ある人が太郎に「どうしてあんなものを思いつかれたのですか?」と尋ねたら、「太陽の塔? あれはカラスだよ」と答えたというエピソードが記されています。
「カラスを飼っていらしゃるそうですね?」と聞かれると、「飼ってないよ、一緒にいるだけだ」と答えたとか。鎖をつないで凧揚げのように飛ばしながら散歩したり、逃げないように羽を切っていたそうですから、客観的には飼っていたわけですが、この芸術家の主観としては「一緒にいた」ということなのでしょう。敏子さんも次のように書いています。
ほんとうに、飼主とペットという、愛着だの、もたれあい、慣れあいの気配は、そこには全然なかった。双方、毅然として、独立自尊、誇り高く、だが孤独者同士の共感が通じあう。見ていても、いいなあと思わせる素敵な関係だった。
「ガアガア」と鳴くので「ガア公」と名づけたらしいので、種類はハシボソガラスでしょう。写真を見てもそのようです。
以前、ピカソがフクロウを飼っていたことをご紹介しましたが、インパクトの強い画風や立体作品も多く手掛けたことなど、東西の天才芸術家2人には共通点があるようです。
この話は知らなかったのですが面白いですね。
私は関西には高校の修学旅行の時の一度しか(まだ)行ったことがないのですが、帰りに京都から伊丹空港に向かう高速でバスの窓から「太陽の塔」を見えたときみんなで話題になったことを今でもよく覚えています。
ところで大阪だとブトよりボソの方が数が多いというか身近なのでしょうか?
札幌では私がいる辺りは山に近いのでボソは珍しく、故に私はボソを家の周りで見ると嬉しくなります(笑)。
こちらでも、やはりブトの方が多いです。ただ、探鳥会の鳥合わせでは、ほとんどの場合ブトもボソも記録されます。