興味をそそる本を見つけましたが、宇治市立や京都府立の図書館には蔵書がないので、大阪市立図書館まで出向いて借りてきました。そのタイトルが『鳥と砂漠と湖と』。
アメリカのユタ州に住むバーダーが書いた小説で、母親のがんとその死に向き合いながら、巨大な湖(ソルトレイク)に生息する野鳥を描くという内容です。
ハードカバー約350ページの中編が36章に分けられ、その章のタイトルがすべて鳥の名前。アナホリフクロウ、マキバドリ、ソリハシセイタカシギなどバーダーならつい最後まで読んでしまう構成です。しかも、その章には必ずタイトルの鳥が登場します。
著者はテリー・テンペスト・ウィリアムスという女性。このシリーズ(AMERICAN NATURE LIBRARY)には、『森の生活』のH.D.ソローや『沈黙の春』のレイチェル・カーソンの著作が並んでいるので、まだ62歳の作家ながら、アメリカの環境系文学の世界では同列に扱われているようです。
この作品の魅力は、著者が経験豊富なバーダーであるために鳥の描写にリアリティがあることと、人間の行動や心の動きを鳥を使って表現していること。例えば以下のような記述は、バーダーなら「なるほど!」と納得するでしょう。
私たちはおそらく、私たち自身嘆かわしく思っているものをムクドリに重ねあわせているのだろう。私たちの数の多さ、攻撃性、貪欲さ、残酷さ。ムクドリと同じように、私たちは世界を乗っ取ろうとしている。
ホシムクドリのことでしょうが、人間のマイナス面を鳥に例えています。また、鳥の個性を次のように表現できるのは、相当な観察経験があるからでしょう。
ダイシャクシギがそばにいる時は空気がかきたてられる。彼らはせかせかしていて攻撃的だ。アメリカオオソリハシシギのほうは落ち着いている。観察する時の忍耐のほかには彼らがこちらに要求するものはほとんどない。ダイシャクシギは罪の意識を起こさせる。こちらが侵入していること、そこに属しているわけではないのだということを彼らは思い出させる。
私は野鳥の生態の常識に疑問を持ち、想像力を膨らませて勝手な仮説を立てるのが好きですが、この著者にも同じような性向があるようです。
カナダガンの家族が遺伝的にあらかじめ決められた傾向によってではなくて、種が共有するビジョンに対する欲求のために南へ旅していくということはないだろうか?
オーデュボン協会(アメリカの野鳥の会)や州立博物館から調査を依頼されるほどのバーダーだけに、野鳥保護についても深い見識を示します。
こうした憩いの場がなければ何百万羽の鳥にとって渡りは成功しない。こうした拠点のどこも存在が保証されているわけではない。自然保護の法律はそれを支える人びとがしっかりしていれば効力を持つというにすぎない。私たちがよそ見をしていれば、ひっくり返されたり妥協に持ち込まれたり弱体化させられる危険がある。
最終章では、レイチェル・カーソンと同列に扱われている理由が分かります。母親、祖母、叔母など親族の女性9人がすべて乳がんのために乳房を切除した「片胸の女たちの一族」であり、そのうち7人が死亡し、残り2人もがんの治療中。その原因は、アメリカがネバダ州で行った核実験が原因であると訴えているのです。
カーソンの『沈黙の春』が農薬による環境破壊を告発したのに対して、この作品は放射能汚染による人間破壊を告発しているのです。そうした社会的な意味でも、単に野鳥の描写を楽しむだけでも、読み応えのある本でした。
アメリカのユタ州に住むバーダーが書いた小説で、母親のがんとその死に向き合いながら、巨大な湖(ソルトレイク)に生息する野鳥を描くという内容です。
ハードカバー約350ページの中編が36章に分けられ、その章のタイトルがすべて鳥の名前。アナホリフクロウ、マキバドリ、ソリハシセイタカシギなどバーダーならつい最後まで読んでしまう構成です。しかも、その章には必ずタイトルの鳥が登場します。
著者はテリー・テンペスト・ウィリアムスという女性。このシリーズ(AMERICAN NATURE LIBRARY)には、『森の生活』のH.D.ソローや『沈黙の春』のレイチェル・カーソンの著作が並んでいるので、まだ62歳の作家ながら、アメリカの環境系文学の世界では同列に扱われているようです。
この作品の魅力は、著者が経験豊富なバーダーであるために鳥の描写にリアリティがあることと、人間の行動や心の動きを鳥を使って表現していること。例えば以下のような記述は、バーダーなら「なるほど!」と納得するでしょう。
私たちはおそらく、私たち自身嘆かわしく思っているものをムクドリに重ねあわせているのだろう。私たちの数の多さ、攻撃性、貪欲さ、残酷さ。ムクドリと同じように、私たちは世界を乗っ取ろうとしている。
ホシムクドリのことでしょうが、人間のマイナス面を鳥に例えています。また、鳥の個性を次のように表現できるのは、相当な観察経験があるからでしょう。
ダイシャクシギがそばにいる時は空気がかきたてられる。彼らはせかせかしていて攻撃的だ。アメリカオオソリハシシギのほうは落ち着いている。観察する時の忍耐のほかには彼らがこちらに要求するものはほとんどない。ダイシャクシギは罪の意識を起こさせる。こちらが侵入していること、そこに属しているわけではないのだということを彼らは思い出させる。
私は野鳥の生態の常識に疑問を持ち、想像力を膨らませて勝手な仮説を立てるのが好きですが、この著者にも同じような性向があるようです。
カナダガンの家族が遺伝的にあらかじめ決められた傾向によってではなくて、種が共有するビジョンに対する欲求のために南へ旅していくということはないだろうか?
オーデュボン協会(アメリカの野鳥の会)や州立博物館から調査を依頼されるほどのバーダーだけに、野鳥保護についても深い見識を示します。
こうした憩いの場がなければ何百万羽の鳥にとって渡りは成功しない。こうした拠点のどこも存在が保証されているわけではない。自然保護の法律はそれを支える人びとがしっかりしていれば効力を持つというにすぎない。私たちがよそ見をしていれば、ひっくり返されたり妥協に持ち込まれたり弱体化させられる危険がある。
最終章では、レイチェル・カーソンと同列に扱われている理由が分かります。母親、祖母、叔母など親族の女性9人がすべて乳がんのために乳房を切除した「片胸の女たちの一族」であり、そのうち7人が死亡し、残り2人もがんの治療中。その原因は、アメリカがネバダ州で行った核実験が原因であると訴えているのです。
カーソンの『沈黙の春』が農薬による環境破壊を告発したのに対して、この作品は放射能汚染による人間破壊を告発しているのです。そうした社会的な意味でも、単に野鳥の描写を楽しむだけでも、読み応えのある本でした。