2012/04/09 記
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朝9時前、**子から連絡が入った。**子の兄夫婦の出産予定日なので、遠出を控えるように言われたらしい。私は来週、陸前高田に向かうので、それ以降となると、5月の連休が邪魔をした。今の作業所との関係もあって3月中に決める話が、この時期父親の仕事が短期決戦のような状態で、引き伸ばして九日が設定されていたのだった。無理は、やめようということで、今回の話が流れたが、いつもこういうとき、**子が行なうのは、体調悪化という後付けだった。状態は理解しているので、**子の気遣いが痛々しく、塾の頃は肩を軽く叩いて安心させたのだが、電話を通じて言葉に依存することが、どこか棘を抜き忘れたような不安を拭い去れない感触を残した。詰めたはずのことが、やはり経過の中で語れない空転を生んでいた。
私は傷の痛みの中にいる、綱渡り状態の引きこもり青少年とともに、明け方の魔の時間をともに過ごしてきた。夜間傾聴である。相模大野校の外勤が定年退職となって以降、紹介制を取っていたために、対象者が激減した。今は古株と、たまに飛び込みで入ってくる子たちだ。教室や訪問面談の相談の中で、病的なもの、妙なこだわりを感じさせる若者が私と電話でつながる。このときも、訪問中ならば、痛みが走るそのときに、その子の手を両手でそっと包み込んだ。女子の場合は頭に手を置くことにしていた。それがメールや電話を通じて、共通の時間をともにしていることで、私は私自身にも「大丈夫」と言い聞かせてきた。ただお互いの呼吸を感じ取ることだ。メール・電話の紙一枚向こうへのノンバーバル・コミュニケーションは声の調子だったり呼吸だったりする。
**子が落ち着いて、電話も切れたとき、縁側のサッシを叩く者がいた。庭師のバイトをしている++さんが立っていた。こうして私の睡眠時間は2時間となってしまった。
急に予定が変更となった。それではと遠野まごころネットの東京事務所に向かおうとして、東海道線車内で嫌な予感がした。HPをチェック。「月曜定休」と書かれていた。気付いてよかったのだ。そこで、10日に行こうと思っていた「みなと赤十字病院」に予定を変更した。
目的はQR-IDカードに記載する医療情報についての質問インタビューのためだった。東京・広尾の日赤医療センターと、県の保健福祉局保健医療部健康危機管理課に次の3点を確認するためだった。
1)救急救命時・治療看護時、それぞれの必須医療情報は何か。
IDカードの出番はあるか。
2)自己申請による医療情報カード利用時の、データの内容の誤りによる医療
事故の責任は誰にあり、内容監査はどのような形になるか。国際派遣時の事例はあるか。
3)頻繁に更新が必要な項目について、カード申請窓口を病院・医院等医療機関経由でカード作りをする道筋を作るためには、どのような組織の協力が必要か。(ex.県医師会等)
すんなりと応答してくれる内容ではないことはわかっていた。みなと赤十字病院の横浜市の災害対策医療の担当者の方と話すことが出来たが、3.11の後、港湾沿いにある、みなと赤十字病院自体の防災計画で手一杯で、地域防災計画は県に行って欲しいとのことで、ただトリアージの場面では戦場そのもので、QRコードを解読している場面は「私には」想像できないとの感想。これは公式見解ではない。
今回、時間にゆとりもないので、県の方は時間をかけたかったので、先に広尾の日赤医療センターに向かった。がっかりするような内容だった。担当者不在。16時半をまわっていたので、近くの某高校の知人教員に、会えないか電話。こちらも不在。結局無駄足に終わった。**子と再度でかけるとき、日赤医療センターに立ち寄ることにした。
小田急に出て相模大野校に少々早く到着。駅に戻って食事をしているとメール、陸前高田の竹駒の%%さんからだった。16日は前日にならないと予定がつかないとのこと。小友町モビリア仮設の図書室の件を聞くが、つかんでいなかった。
こういう日、突っ込んでもろくなことがない。演習は同僚に譲って、学習面談を済ませて茅ヶ崎に戻った。ビッグイシューを市民活動サポートセンターに届け、旧ジャスコ(イオン)で食材を買い物。急いで家に戻った。
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●「二極化する若者と自立支援」
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夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正2回目済み)