湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

関西に行っていたつけを払っています (^^;

2004-09-15 04:19:13 | 不登校
しょうもない話です。
川崎の生田緑地にある岡本太郎美術館と伝統工芸館に下準備のために出かけました。9/30に小中学生の親子と美術批評ごっこと藍染めをします。

美術館の方の問題は、日本の美術館の「静粛に個人鑑賞」というスタイルが邪魔して、作品を見ながらあれこれ話すということが制止されてしまうために出来ないという難があります。ここの調整を学芸員の方と話し合ってきたのです。結局はYESとは行ってくれなかったのですが、予告編だけは伝わったという状態です。箱根彫刻の森美術館のように、作品の野外展示が多いところは、やりやすいのですが、可能な場所が限定されてしまいます。

順路出口にビデオブースがあり、話し合うことが可能なので、ビデオ画像を見ながら話し、曖昧なときは順路を逆戻りして作品を見直すということにしました。

午前中は伝統工芸館で藍染めに挑戦します。これをビーカーレベルで再現するために、藍玉の少量安価入手法を聞きました。教室を開いている方から分けてもらうのがいいということになり、鎌倉で工房を持っている方を仲介して入手できそうです。発色の面白さがあります。

市のサポセンで印刷。ロッカーの場所のシャッフルに参加通告。明日は「子どもサポート・あねもね」の中西さんと茅ヶ崎市青少年課。市の広報原稿入稿後、市の適応指導学級「あすなろ」に行きます。そして藤沢大庭図書館で学習支援をして、文教大で資料を借りて帰宅後、塾というパターン。

9・11の会のレポートとぱれいしあさんへの応答が残っています。もう1~2日お待ちください。

話は変わりますが映画「青の塔から」のシナリオが日本評論社から出ているのですが、感想を聞かせてください。買おうかな、どうしようかなと迷っているところです。
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雑用係だもので

2004-09-14 05:18:51 | 不登校
寒川町教育委員会・平塚市市民活動センターに行き、担当者の方と「湘南子どもフォーラム」について話を煮詰めた。手応えはある。藤沢市をまわっている丸山さんの方はどんな具合か気になる。子育て団体が合流し始めている。全体のバランスが大事。不登校(選択登校)・引きこもりの子にとって、また陣取りプレッシャーがかかってはいけない。ここはハンデを抱えている子達が、だからこそそれを「生かして」自己表現を育てていく場なのだから。無神経占領になってはいけないのだ。

SOFの通信を書いている。「ちがさき選択登校を考える会」時代の交流してきた地元の方へ、祭の件とSOFの基本活動の紹介を載せて、従来通り郵送とFAXで配布する。e-mail分はいっそメルマガ(不定期)にしようかと考えている。とにかく時間の勝負。

明日は岡本太郎美術館の学芸員の方と、9/30親子美術批評の段取りを調整、伝統工芸館の指導員の方とより安価な藍玉の入手方策を相談。江戸時代の染物工業の視聴覚資料(大阪民俗博と調整済み)・関連グラフィックな書籍の予約(県立川崎図書館)・デジカメのレンタル予約(関内)と、茅ヶ崎ボラセンでSOF通信の印刷、県内をぐるり回ってくる予定。9/30はひさびさに子どもが親子が十数名になりそうだ。ニューヨーク近代美術館キュレーターのアメリア・アレナスの方式、条件の悪い岡本太郎美術館で参加者に受け入れられるか?箱根彫刻の森なら経験があるのだが。

大阪の会の資料を読み直していたが、こくりこくりと居眠り。ぱれいしあさん、申し訳なし。Freinetの対話探求型の実践にL.S.Vigotsky を合流させたといえば通じるだろうか。日本人なら佐伯胖さんの亜流を勝手に名乗っている。(迷惑しているだろうなあと思う。)

18日がフォーラムの第二回実行委。ぱれいしあさんがご近所の方なら、いっそ会って話したほうが早いのだが。月末に東工大(9/23~25)に行くので、東京の方なら会えます。オフラインは無茶かな。
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帰ってきました

2004-09-13 03:15:26 | 不登校
金欠なので往復バス。
今夜はこのまま。明日続きを書き込みますが、
10日話題提供された不登校・引きこもりと新たなまなびの関係の話は
翌日にはすっかり話題が別の方向に流れていて、蒸し返して質問する感じにはなりませんでした。前日の話を翌日質疑応答というのは、うまくいかないのです。

11日の話は充実していました。S氏が話をシャープにするので、インスピレーションがあちこちに。そんなわけで、ひきつづきおこなわれる別の会まで参加できないので、会場から引き上げてきました。

月曜日は寒川町・平塚市の行政との話がありますので、夜、11日の話を書き込みます。

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就学・復学はいいことなのだろうか(研究者の講演会より)

2004-09-10 23:56:29 | 不登校
 昨日から大阪にきています。

 今日は教育の枠組みを大きく転換するような試みについて話し合っています。

 午前中の部が終わったところですが、Yさんの講演は相変わらずパワフルで刺激的なものでした。ただ一貫して僕が感じている「実践との落差」が残りました。

 9月7日の朝日新聞第二神奈川13版の記事の中で、「放課後の居場所ができた/横浜市内9小学校『キッズクラブ』発足」ということで、授業の終わった午後、、学校の遊休施設を活用して、「地域スタッフ」が物づくりを通した授業外活動を行っているという紹介記事が出ています。Sさんの話と共通の部分で、これは非常に気になる記事なのです。

 というのは、今、ここで論じられているのは、(職場のまなびを含む)実践集団の「まなび」、そこから示唆される「まなびの転換」の論議でありながら、発想は公教育の「授業改革」の枠の中にあるということです。

 不登校領域の実践が呈示してきたのは「学校の丸抱え」の不自然さでした。学校内の人間関係の軋轢がそのまま、その子にのしかかってしまう。他に逃げることが出来ないということ、そのことに「新しいまなび」は、有用なヒントを出しながら、まだデザインできていないということなのです。

 学校という空間を、批判しつつもだれも桎梏とは感じていないのではないかと思います。ここの翻訳が僕の役割だろうと思っているのです。あらゆる教育改革の流れが既存の学校に収斂してしまうようなことになるのはおかしいのです。

 この点で午後の Harry Dniels さんのイギリスの取り組みの話は、ジグソー・パズルのピースが埋まっていくような印象を受けました。講演の前日、日本の不登校の話が話題になっていたようで、「公的な教育サービスから抜け落ちてしまった」子たちのフォローという、おいおい、ちょっとちがうぞ、という話から始まりました。

 少し話を聞いていて気がついたことは、彼はイギリスの青少年問題を念頭において、彼の常識の中で語っていたのでした。イギリスでは数十万の子が公教育を受けていないということ。その多くが転居後の未登録、非行によるドロップ・アウトであるということ。心身障がい児(者)を含む就学後のフォローが粗いことによるものということで、就学・復学が改善の道であるという発想に留まるものでした。

 日本のように、学校の友人や教員との人間関係の軋轢や、家族の抱える問題などによる個的な問題を受容せぬ標準志向の無神経集団による孤立化、授業に関連するまなびへの疎外感、さらにはデスクワークによる分断された知への違和感などの様々な挫折が不登校を形作っていること。(帰国子女などの日本の教育に愛想をつかして縁を切る場合もありますが。)この辺の話は、もし質疑応答時間、僕の挙手を受け取ったなら語ります。

 彼の発想では、まなびから疎外された子たちの状況改善に新しいまなびをという部分があって、明日は「学校から逃走する子どもたち」と語ったSさんも参加するので、話せたらと思っています。

 話は跳びますが、僕が提案した「湘南子どもフォーラム」は、様々な領域の子ども支援の出会いによる新しい発想の実践の可能性を引き出すことと同時に、地域の子どもの受け皿、活躍の場作りでもあります。学校外の道を選んだ場合社会の受け皿が日本はあまりにも貧弱だからです。特別な子達のためではない、子どもの生活とまなびの環境を重層・多様化していく契機となるような行政を含んだ試みなのです。

 イギリスと日本の子ども状況の違いが、どのような論に発展していくか楽しみでもあります。この間、従来の研究者の発想からすれば突飛な質問(意味を含んでいるのですが『実践との落差』の皮肉でした。)ばかりやってきたので、嫌われているので、場があるかどうかはちょっと不安ではありますが。

 就学・復学を改善ととる発想は、一方では公教育の授業改革と結びついて発想されています。しかし、やりがいのある楽しい学校ができれば子ども状況は改善されたことになるのでしょうか。僕には学校が「タコ部屋」に見えるのですが、「親の負担を軽減する」という殺し文句があるから、「親の教育権」とか「地域の子育て」ということが絵空事になってしまうのではないでしょうか。まなびを学校外に開くこと、これがSOFの「ごまめの歯軋り」でもあるわけです。

 しかし、地域の親の会や、私塾などの民間教育運動(こういうと特定の党派の隠語のようなアレルギーも出やすいので困るのですが)が、様々な面白授業・わかる授業を積み重ねてきたものが、学校の総合学習や土曜日・授業後のあそびボランティアなどの「善意」によって、吸血鬼に血を吸われるように独自性と元気をなくしていくことに、周辺の地域実践団体が気づいていない。学校外の学びが何を提供できるのか、何を改革していこうとしているのか、仕切りなおす必要を感じます。(研究者の論議は、こうした民間教育運動を踏まえていないのです。)

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12日夜まででかけています

2004-09-10 08:01:36 | 不登校
PCは持ち歩いていますが、投稿が遅れます。ご了解下さい。

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茅ヶ崎市・茅ヶ崎市社会福祉協議会の後援もつきました

2004-09-09 02:58:29 | 不登校
 昨日は寒川町の教育機関まわりをしてきました。

 一昨日、「茅ヶ崎市教育委員会」に続いて、「茅ヶ崎市」・「茅ヶ崎市社会福祉協議会」の後援が正式に決定しました。

 そんなこともあって、話はしっかりきいてくださって、寒川町・藤沢市の協力も道が開かれた感じがしています。寒川町役場からJR寒川駅に向かう道の途中に共同作業所「喫茶友達」があります。そちらにも参加要請をしてきました。

 今日の夕方から仕事で大阪にでます。12日の夜に帰宅予定。PCを持ち歩きますから、オンライン上は、さほど支障はないと思います。

 とりあえずはのご報告。

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11/28湘南子どもフォーラム・文化祭に行政の後援がつきました

2004-09-08 05:22:10 | 不登校
11/28湘南子どもフォーラム・文化祭に進展がありました。茅ヶ崎市教育委員会が後援することなり、まもなく茅ヶ崎市も後援の方向です。これで市内の公的な機関への協力

要請がかなりしやすくなりました。

今週に入って状況が急展開しているために、書き込みが遅れています。

詳細をお知りになりたい方は、SOFのHP掲示板をご覧下さい。

SOFーHP

以下、呼びかけ文と企画書を転載します。


●呼びかけ●

湘南地区子ども支援団体 各位         2004/09/07


             湘南子どもフォーラム・文化祭実行委員会

     *** 湘南の子ども支援団体の皆様に呼びかけます ***

 私たちは不登校・引きこもり・障がい児(者)・子育てなどの分野の団体による交流企画の実行委員会です。青少年に寄り添い、彼らの支援活動をしている者が集まり、11月に相互交流の地域フォーラムとお祭を実現する実行委員会を作りました。私たちは関係者の皆様に、この実行委員会の活動をお知らせし、参加を呼びかけます。

 不登校・引きこもり関連団体にとっては、今年、神奈川県立青少年センターに設けられた青少年サポートプラザの呼びかけによって、神奈川交流会が行われるようになり、お互いの運動の距離が近くなりました。運動のスタイルは違っていても、お互いの活動の様子を知るということは、様々な場面でお互いの協力し合えることや、意外な組み合わせのアイデアが生み出されるように思います。これを「知り合いの海」効果と名づけましょう。

 湘南にもいくつもの子ども支援団体があります。しかしその活動は同じ領域の知り合いの交流以外は単独の活動にとどまっています。県の青少年サポートプラザのような動きも、市町自治体の枠を超えた広がりの中では、まだ育っていません。私たちは子どもの支援活動をしていながら、自分たちの運動の領域を超えた活動の様子は、同じ町の中で営む者であるにもかかわらず、面識がないという状態だと思います。

 そこで県の青少年プラザ交流会の湘南版を作るのではなく、子ども支援関連の様々な領域に関わる人たちの地域交流を実現しようと思います。それを「湘南子どもフォーラム(広場)」と名づけ、年に一度程度の交流フォーラムと文化祭を行ええるように育てたいと思います。より気軽に交流できる地元の広がりの中で、緩やかな異分野交流・経験交換・共同企画(お祭)を通して「知り合いの海」効果を生み出したいと思います。

 その構想の出発点を今年11月28日に設けました。茅ヶ崎駅北口エメロード商店街を会場に、「第一回湘南子どもフォーラム・文化祭」を行います。皆様の活動をご紹介ください。企画は「持ち寄り企画」とします。実行委では、その自主企画の相互調整や全体会企画、紹介用統一印刷物の編集、広報などを行います。実行委への参加をお待ちしています。(当日の詳細は企画書をご覧下さい。)


(実行委構成団体)
第一回湘南子どもフォーラム・文化祭実行委員会(9月1日現在・順不同)

                    (検討中)
   子どもサポート・あねもね    ドーナッツの会
   ヒューマン・スタジオ      カフェ・ド・そうじゃん
   フリースペース「のびのび」   武蔵国際総合学園
   コロンブス・アカデミー     鎌倉・風の谷
   湘南オンラインフレネ      YMCA高等学院藤沢校 他


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●企画書●

2004年8月
湘南子どもフォーラム・文化祭実行委員会
湘南子どもフォーラム・文化祭企画書

1.趣旨・目的

  子ども関係団体は「子育て」「不登校・ひきこもり」「障害児」「地域子ども諸活動」等、多分野にわたっています。そして、それぞれの分野で多くの団体が活動しつつ、分野ごとには連携があり、団体合同スタイルのイベントを開催している分野もあります。

  ただ、異分野どうしの連携は、まだこれからというところだと思われます。

  そこで、茅ヶ崎市・藤沢市を中心とした「湘南」と呼ばれる地域に所在している子ども関係団体が、それぞれの分野の枠を超えて集まり、出会い、交流することにより、各団体・各分野の活動に新たな展開へのヒントが生まれ、ひいては湘南の子どもをとりまく環境の改善に資することを目指します。

2.主催
  湘南子どもフォーラム・文化祭実行委員会(事務局:子どもサポート・あねもね)

3.参加団体(スタッフならびに子どもが参加する団体)

  子どもサポート・あねもね、湘南オンラインフレネ、ヒューマン・スタジオ、フリー
スペースのびのび、コロンブスアカデミー(その他「カフェ・ドゥ・そーじゃん」はじめ参加予定団体、参加検討中団体多数)

4.内容

 日時 11月28日(日)10時~16時

 会場 茅ヶ崎駅前エメロード商店街
     第1会場 東海東京証券(株)会議室
     第2会場 茅ヶ崎ショッピングセンター(駐輪場・2階)

 プログラム 10時~12時「湘南子どもフォーラム(青少年支援セミナー2004秋冬)」

        参加全団体による自己紹介とシンポジウム
        テーマ『子ども支援の連携に向けて~何か面白いことできないか?~』

       12時~16時「湘南子ども祭り」(内容・時間割は参加団体確定後に決定)
        第1会場 発表会、相談コーナー、実演コーナー、作品展示等
        第2会場 (駐輪場)模擬店 (2階)パフォーマンス等
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教材ヒント集「手紙付きトマトの農家へ行こう」に触れて

2004-09-06 05:26:39 | フリースクール
ここの話です。

「手紙付きトマトの農家へ行こう 」(自習のヒント集をクリック)

 物流の流れを追う・産直青果の価値と実情を知る・販売店の裏の仕事を知るというような試みは、学校の授業の中に見受けられる。社会科の地域学習であったり、消費者教育であったりする。しかし、個人の調査の取り組みは、その話を聞かない。学校という肩書きがあると企業や諸機関の協力が得やすいということがあるが、どうも実情はそうでもないようだ。文化祭とか公開研究授業があったり、企業から逆に見学コース設定の話が持ち込まれたりと、本筋以外のことが契機になって、「物流川上り」が行われているように見える。目的は源流に到着することであって、散歩のわき道に立ち入ることもない。立ち入れば授業報告書が錯綜してしまう。というような教員の都合の中で調査が展開されている。

 個人で行う物流探索は散歩であっていい。期間的な制約があるわけでもない。ただ大人の職場に踏み込むことに気後れするから、個人の探索は成り立たないことだ。ただ自分の行いは振り返りをしよう。数ヶ月先の自分のために、備忘録をつけていくといい。

 学校で行われている「○○を知るため」というのは、わかっている結果を後付けするために、フィールドワーク(調査)が行われる。問題意識がなければ調査自体が成り立たないことは正しい。しかし現場は常に雑音に満ち満ちている。それを切り落として調査をまとめていくというのは、ときに歪な姿を見せる。期待に反する調査事例を切り捨てたり、調査のまとめを終着点としたりする過ちだ。

 個人は調査の中で脱線することが多い。それがいいのだ。トマトを追っている最中に、市場の奇妙な符丁が気になった。ならば、こっちの話を追い始めてもいい。映画を撮るときのようにカットを次々に作る。あとでコラージュ(つぎはぎ)を行っていく。もしもその調査が複数の同調者と行うことが出来たときには、気楽にティー・ブレイクを設け、調べたことで雑談をしよう。吟味はあとですればいい。異なる眼差しが役にすることが多いし、作業分担が出来れば効率も上がる。

 困難は別のところにある。遠方の調査の交通費やら親の心配だ。これについては、僕はこう考えている。東海道線沿線は自分の学校なのだと。(関東と言えないことがつらい。)たとえば鯨に興味を持ったとしよう。極地まで出かけることはなかなかできない。ところが近場の探索で済むものも多い。秘訣は大人を誘うことだ。大人はダシである。現場にいかないでもわかることは、テレコムや図書館を活用して、作戦を立てて(焦点を持って)出かけるべきだ。

 しかし「カメラ付携帯」は欲しいところだ。親の心配と画像の記録を解決するツールだからだ。

 小学生と駄菓子の源流をたどったことがある。御徒町のアメ横や日暮里の駄菓子問屋街を歩いた。しかし、どこに何を尋ねたらいいのかわからずに、現地で大混乱したことがある。やはり調査は下準備をしてから出かけよう。


 飛田の連絡先> tobitaと@mbm.nifty.com  だ。

        (ウィルス対策をしている。つないで「@」を「@」に直してほしい。)
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「手紙付きトマトの農家へ行こう」を載せました

2004-09-05 05:57:41 | フリースクール
SOF教材ヒント集に、

「手紙付きトマトの農家へ行こう 」(自習のヒント集をクリック)

を載せました。解説は後で書き込みます。

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11/28湘南子どもフォーラム・文化祭のログを募集しています

2004-09-04 04:02:38 | 活動理論
誰にも真似できる (^^;
単純明快なものを求めます。

企画の詳細は、リンクから湘南オンラインフレネHP
をご覧下さい。

-----------

今、遅ればせの「呼びかけ文」を仕上げ、校正を依頼して
いるところです。

今回も、ここで終わり。

いやだな、雷が鳴っている。
今日は本郷で講演会傍聴。仕事のテスト屋まわりをして
きます。来週に入れば落ちつくのですが、9日から12
日まで大阪です。PCは持って行きますがね。

以上
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SOFの問わず語り(SOFは e-learning ではない)

2004-09-03 06:08:32 | フリースクール
 ぱれいしあさんに応答ついでに、もう少しSOFの実践への思い入れを語ってみようと思う。

 従来、教育の基本は「読み・書き・計算」といわれた。社会人としての基本的な技能を身につけるために未熟な大人として、いわばお預けを食う形で、卒業というパスポートを得るまでは、子どもは隔離形成されるものとして、社会参加の公民権は制約されていた。

 しかしこのまなびの構造が、ある特定の時代のものであり、その基底が揺らいでいるために、矛盾を通して背景が見えてきた。とまあ、こんな大きな前提があって、その枠に従っていても、そこそこのものしか見えてこなくなってきている。

 文化人類学とか民俗学などでは「読み書き」が社会必須のものとはいえないという「無文字文化」の社会が明らかになってきた。「計算」に至っては、私生活の範囲では小4程度の四則計算と小数が理解できていれば日常生活は何とかなってしまうのが実態。この四則計算すら、「計算」の意味さえわかっていれば、「計算」そのものは数百円の電卓があれば、どうにかなってしまう。学校という制度そのものも、日本では明治の学制発布以降のことであり、それ以前の社会では、職業集団の周辺から徐々に重要な役割を体得し役割を与えられていくという、大人の生産集団と結びついたまなびのあり方が行われていたし、その仕事も地域の中に組み込まれていたがゆえに、職業教育そのものが社会教育と密につながっていた。つまり学校制度下の子どもの現在は公的には隔離され、私生活に押し込められたものとなっているが、そのあり方は決して普遍の原理に基づいているものではないこと。よって、その枠組み以外の別のまなびがないわけではないということだ。

 僕は不登校・引きこもりの子たちの鋭敏な嗅覚を感じている。それは学齢という時間枠にはめこまれたまなびが、個的な体験と交差するところで軋みをあげていること、取り結ぶ近未来社会が不安定・没個性の価値観しか呈示できず、公的な社会参加(職業・政治)と消費的な私生活の乖離を利用する形で、とりあえず消費的な私生活に身を委ねることに身の置き場を確保していることだ。これは間違いではない。ただ、そこには軋轢から垣間見えた世界を開く論も術もないのだ。

 先送りの学習構造から脱するまなびを生み出すことは出来ないものだろうか。家にいることのメリットを活かしたまなび、学校外にもうひとつのまなびを生み出したいと考えた。子どもの現在を定位できるフィールドワークのまなび、情報庫としてというより、人と出会い、結びつくことを容易にしたインターネット・テレコムを生かした柔軟なまなびを作ることだ。

 従来の教育者の論理は学校を基軸にしてまわっている。リベラルな論者にしても、子どもの善導論であったり、教員芸人論だったりする。子どもが客体ではなく当事者として発想されていない。

 一方、フリースペース実践者は臨床心理的な裏づけを得て「見守り」を行い、その場から身を切り替えようとし始めた子に、従来の学校制度下の高校・専門学校・大学への道を資格習得の実利として納得させて再組み込みしてしまう。ことは全く解決していないのに、受け皿を問うような創造力をもち得ないでいる。

 僕は学校が無価値であるとは思っていない。しかしモノカルチャーは硬直している。ひとは個的な事情のなかで考える。そのテンポを保障するには一斉授業の学校では無理だ。ひとつの世代集団の中に、子どもを丸抱えすること自身がすでにおかしなことなのだ。とはいえもうひとつのまなびを考えたとき、なしうることの落差は歴然としている。それは学校を経由しない子ども参加を地域社会が認めていないからだし、子どもが分断されているからなのだ。

 ここにひとつの鍵がある。それは「フィールドワーク」という鍵だ。「フィールドワーク」への誘いとしてインターネットを通じて生まれる出会いを膨らませていく方法だ。時にはそれはインターンシップ制度のような姿をとることもある。「いま・ここ」の充実を求め、大人と子どもの出会いを組織すること。

 このまなびは学校に通う子たちにも波及していくだろう。もちろんそこは、政治・市民運動の力が媒介する過程を経ることになるだろう。

 フリースペースの中から「次を求める子への環境作り」は、「もとのさや」に収まることではない。逆に言えば子どもを含んだ社会への構想力が問われていることなのだが、まずは各領域からのフィールドワークの立ち上げを始めて行きたい。ひとがいる。僕の仕事はその触発のモデルになることだ。ひとの磁場となることだ。

 僕はもうひとつの援軍をHP開設者・地域図書館リファレンス・退職地域生活者に見ている。やがて賛同者や企業などの協力も出てくるだろう。特にインターネット・コンテンツは大事なものとなる。転変の激しく、且つ真偽の曖昧な世界だから、吟味改訂を行うオンライン協力者の実務的な結びつきが、地味だが大事な役割を持ってくる。常に顔見せの出来る空間的なひろがりの単位を意識し、ゼミと図書館を学校外に備えたような運動がSOFの試みなのだ。

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「場のデザイン」ということ 他

2004-09-01 05:27:06 | フリースペース
 昨日は、辻堂駅西口の茅ヶ崎市出張所2Fにある「楽庵」さんにお邪魔しました。事故や病気などで、特に言語に問題が出た方を中心に、パソコンや陶芸などの作業を通じて自立を図っている共同作業所です。飛び込みで楽庵さんには失礼したのですが、Kさんは私の質問に丁寧に答えて下さいました。

 年齢層が高いとの話を事前に聞いていたので、引きこもりをされている方との接点が得られないかということと、湘南子どもフォーラム・文化祭への協力を得られないかという漠然とした期待を持って未整理のままKさんに提案をぶつけたので、困ったのではないでしょうか。

 その会話の中で「9月26日(日)茅ヶ崎駅北口にある農協ビルの上で、社協主催の福祉祭があること。そこならば、市内各地の共同作業所の方との接点がとれること」を教えてくださいました。ありがとうございました。

 広い明るい室内にパソコン4~5台と、その上の棚には利用者の方の陶芸作品が飾られていました。自分の好きなペースでパソコンや作陶が出来るゆったりとした時間と自由さは、なかなか得られるものではありません。実践の蓄積を感じました。ただ隠された場の意思をそこに見たのは、基本が背もたれの少ない椅子に座る形に場が設計されていることでした。床に座る・寝そべる・ひとりになるということが苦痛にならない程度に排除されているのです。つまりここは「工房」であるというメッセージ・作業を媒介とした交流の場であるというメッセージです。暗黙の凛としたかすかな空気がすっきりと場を引き締めているのです。

 不登校・引きこもり関連のフリースペースは「居場所」論によって、当人がリラックスできることが意識されています。どこかに他社の眼差しを遮断出来る場が出来ています。

 藤沢には「カフェ・ド・そうじゃん」という引きこもり関連のスペースがあります。ここは皆さんの「根城」。お互いの身体距離が非常に短かく、その動きが蟻の巣のようにお互いに影響を与えていきます。そのため、テラスのような屋外の息抜きの場が作られていますし、カウンセリング・スペースは外から見えない位置に置かれています。楽庵さんが「静」なら、「そうじゃん」さんは「動」。その「場作り」の対比が成り立ちます。

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 昨日はもうひとつの予備作業を行いました。湘南視聴覚ライブラリーへのアクセスです。湘南台の総合図書館の中に設置されているのですが、私が16mmの講習免許を取った頃は現在の南図書館に置かれていました。ずいぶん昔の話です。文化祭のイベントの隙間を埋めるために、上映作品の確保や映写機機材の確保、そして紙芝居を含む上映・上演ボランティアとの接点を作っておくためでした。ビデオの場合、貸し出しスライドプロジェクタが無かったり、台数が少なかったりして、TV画面の視聴となることが多いのです。人数が少し増えてくるとTV画面は多数の視線を支えることが出来なくなってきます。そのための予備作業でした。

 しかし昔のメディアだけあって、懐かしいものが出てきます。日経サイエンス社から出版もされたイームズ研の「パワーズ・オブ・テン(10の累乗)」などは、私がAMIの大会に初めて持ち込んだものでした。単純な視野の変化が質の変化を次々に見せる物質の世界観を提供するものでした。これを使ったいくつかの実践があります。これもそのうち紹介しようと思います。古いから傷だらけでしょうが、茅ヶ崎のライブラリにフィルムが生き残っています。

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 話は再び変わります。

 横浜南部の不登校(選択登校)をしている子と親御さんたちと、小さな「ぼけっと神奈川」という集まりを月に1回やっているのですが、9月下旬に生田緑地に行きます。岡本太郎美術館にも行くのですが、場の制約があってやりにくいのですがアメリア・アレナスというニューヨーク近代美術館のキュレーターの方の提唱する素人美術批評をやってきます。これは特に岡本太郎のような明快なメッセージのある方の作品がやりやすいのですが、たとえば、川崎駅の市民ミュージアム入口のメルヘンっぽい造形作品やショールームに展示された車などでも出来ます。

 当日は他にも藍染めをやらせてもらおうと思っています。合流したい当事者の方がいらしたら連絡を下さい。連絡先は、tobita@mbm.nifty.com です。("@"は半角の"@"に直してください。)日程が決まり次第、SOF-HPの「企画予定」または「掲示板」に公開します。ここ数日中に日程が決まります。


 とりあえず今回は、こんなところで。

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